生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

たくさんのありがとう!

2020-01-27 17:05:45 | 日記
体調不良が続き、パソコンの前に座ることも苦痛だったのですが、少しずつ癒されてきています。

突然ですが、ブログ「生かされて」を閉じることにしました。
書けないでいる間、祈りながら思いを巡らしていたのですが、ブログを書く時間に今まで書いてきた小説や童話を完成させることを神様から示されました。

作品を書いては、合評会に持っていき、書き直さなければ……と思いつつそのままになっている作品がたくさんあります。(完成した作品はありません。)

いつまでできるか、生かされている残りの時間はどれぐらいなのか……。神様にしかわかりませんが、今始めないとできなくなる気がするのです。
完成させてどうするのか、まだわかりません。神様が取り扱ってくださるでしょう。

このブログは2005年10月に開設しました。15年近くも続けられたことに自分でも驚きを覚えます。
たくさんの方にフォローしていただき、ありがとうごさいます。

しばらくはこのままにしておきますので、感想などありましたらコメント欄に書いていただけるとうれしいです。コメント返しはできないかもしれませんが、読ませていただきます。
皆様の上に神様からの祝福が豊かにありますようにお祈りします。

台風から守られて

2019-10-14 10:18:56 | 日記
台風19号が上陸し、関東に大きな爪痕を残し、去っていきました

土曜日、携帯(まだガラケーです)が鳴って、緊急避難勧告のお知らせが来ました。

土浦に30年住んでいますが、初めてです。桜川と霞ケ浦の水位が警戒区域に入ったというお知らせなのに、桜川と霞ケ浦が決壊したと勘違いしてしまい、あわてました。震えながら避難の準備をしていると主人が言いました。

「決壊はしてない。決壊の可能性があるといってるんだ。うちはマンションの2階だから大丈夫じゃないか?」

でも、わたしは恐ろしくてたまりません。いちばん近くの避難所に行くのに歩いて一時間近くかかります。行きつけないのでは?

携帯が鳴るたびにビクビクしていましたが、聖書の言葉「主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。」(詩篇121篇5節) を思い出してほっと安心しました。

神様はわたしを怖い目にあわせないと言っているのではなく、怖い目にあわせても「あなたを守る」と言ってくださると思い、安心したのです。

結局夜9時過ぎまで、何度か避難勧告のメールが入りましたが、無事に朝を迎えられ、教会にも行くことができました。
写真は増水した桜川。教会近くで撮りました。
これ以上被害が出ないように祈ります。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP10日に更新しました。ここをクリックしてごらんください。




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熱中症

2019-08-07 17:19:35 | 日記
ものすごい暑さが続いていますが、皆さまお元気でしょうか。

先週わたしは熱中症になりました。道を歩いていたら、めまいがして顔から汗がぽたぽた流れだしました。そのあと、割れるように頭が痛みました。
意識はあるし、汗は出ているのでまさか熱中症にかかっているとは思わず、病院にも行きませんでした。
後で主治医に尋ねると、「熱中症です」と言われてぞっとしました。

そういえば、この症状は過去に2回体験しています。そのときもしっかり休んでいなかったからでしょうか、あとから後遺症のような症状が出ました。

熱中症で亡くなられる方もおられるのですから、気を付けなければ……。
一度熱中症にかかると、身体が熱中症になりやすくなるとか……。

17日はTEENSキャンプの引率でキャンプ場に行きます。2泊3日のキャンプですが、わたしは日帰り奉仕です。それでも熱中症が恐ろしいと思っていたら、学生時代の友人からメールが届きました。

メールには、てのひらを冷やすと熱中症予防になると書かれていました。
あまりにもタイムリーなので驚きました。友人はわたしが熱中症になったことや、キャンプのことを知りません。神様の計(はか)らいだと思いました。



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例外はない

2019-06-05 16:48:13 | 日記
孫たちが帰って、ほっと一息つきました。
娘から「ソウクンは新しいおもちゃに囲まれて機嫌がいいです」とメールが届いたので、またおもちゃを買ったの? とあきれていると、「家にあったおもちゃを出したら、覚えていなかったようです」と追伸が届きました。

3か月もじいちゃん、ばあちゃんの家で暮らしていたのだから、それ以前のこと(もの)は、忘れて当然ですね。まだ2歳にもなっていないのですから。
ということは、おじいちゃんやわたしのことを忘れてしまうかも……。
わたしのことを「こちゃーん」(ゆこちゃんの「ゆ」はまだ言えない)と呼んでくれるようになったのに……。そして、帰る1週間ぐらい前から「おとうしゃん」「おかあしゃん」と言えるようになっていました。
あ、また孫のことを書いてしまいました。

わたしは、新聞を読むとき、いちばんに読むのは「こどもの詩」です。(読売新聞)
幼児から中学生までの投稿作品が掲載されています。
はっと胸を突く詩もあれば、ケラケラ笑い出してしまう作品もあり、とてもおもしろいです。

2、3週間前だったか自分のホクロについて書かれている詩があって、強く心に残っています。
インターネットで探してみましたが見つかりません。もっとも「こどもの詩」をブログに書くのは著作権違法になってしまうそうです。

自分にはホクロがあっていやだったけど、お父さんとお母さんが神様にたのんでつけてもらった。ホクロはわたしという印。という内容です。
すばらしいという評があり、自分の子が褒められたようにうれしくなりました。

わたしは5年生のとき、自分の顔に無数にあるそばかすが、いやでいやでたまりませんでした。「そばかすがあるのは美人の証拠」「そばかすは色白の人に多いんだ」と両親に言われても納得できませんでした。

中学一年のとき「赤毛のアン」を読んで、そばかすがあってもこんなに生き生きと明るく過ごすことができるのだと知り、そばかすがいやではなくなりました。でも、ホクロの詩を書いた子どもは、ホクロを受け入れているだけでなく、喜んでいます。ホクロのある自分の存在を喜んでいます。

自己価値が低い子どもが多い中ですばらしいことです。ご両親の価値観が反映しているように思います。

聖書には「あなたの存在は高価で尊い」と書かれています。すべての人の存在が尊いのです。例外はありません。



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ためていた言葉

2019-05-11 17:18:28 | 日記
ソークンが我が家に来てから3か月になろうとしています。来たときはほとんど言葉を発しませんでした。オノマトペだけだったので、言いたいことが伝わらず、よく泣いていました。娘は言葉が遅いと心配しました。

パパ、ママではなくお父さん、お母さんと呼ばせると娘が張り切っているのですが、なかなか難しいようです。

あるとき、大好きなアンパンマンのDVDを見て「アンパンマン」とわたしがいうと、小さな声で「アンパンマン」と言ったのです。でもそれ以来、促しても言いません。

それから2週間ぐらいして、次々言葉が出てきました。言葉をためておいて、練習していたのかもしれません。

「いただきます」「ごちそうさま」などはリズムをつけて歌うように言います。
おもちゃを投げたので怒ると、「ごめんなしゃい」と頭を床につけてあやまります。
その姿を見て、もう叱れませんでした。
「お父さん」「お母さん」はまだ言えませんが、もうすぐでしょう。

もう少ししたら、聖書の言葉を覚えてほしいと思っているおばばです。

日本クリスチャン・ペンクラブのHPを更新しました.
ぜひご覧ください。



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みんなちがって

2019-05-02 14:43:35 | 日記
病院からママが赤ちゃんを抱いて帰ってくると、1歳9か月のソークンは不思議そうな顔をして迎えました。やきもちをやくかもしれない。赤ちゃん返りするかもしれないと案じていましたが、そのようなことはありませんでした。
でもなんとなく落ち着かないようすです。少し離れたところでズーちゃん(赤ちゃんの愛唱)をじっと見ています。

ママがいなかった5日間は、わがままも言わず、いい子だったのですが、ママが帰ってくると、まとわりついて甘えるようになりました。
ズーちゃんが泣き出すとベッドに近づき「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と言って、おなかをなでていました。

ママがそうやってズーちゃんに話しかけているのを見ていたのですね。

ズーちゃんはよく眠り、おっぱいの時間になっても起きません。
無理やり起こして飲ませると、飲みながら寝てしまいます。せっかく飲んでも吐いてしまうことが多いです。

お兄ちゃんのソークンは一度も吐いたことがなく、よく泣き、よく飲んでいました。
「兄妹でも違うんだね」と娘が言いました。

子ども番組の「日本語で遊ぼう」を見ていたら「みんな違って、みんないい」という曲が流れてきました。金子みすずの詩をもとに作られています。嬉しくなりました。原作を紹介します。


わたしと小鳥とすずと   金子みすず

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。




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足のともしび

2019-04-23 15:02:37 | 日記
19日朝、娘が2人目の子どもを出産しました。2481gの女の子です。予定日より10日も早かったので、驚きました。入院の準備やらレンタルベッドの手配が前日にできたところでした。
夜中に陣痛が来て、家の人を起こすのは悪いと思って、ぎりぎりまでがまんしていたそうです。痛みの間隔が10分になったので、あらかじめ予約しておいたマタニティー陣痛タクシーを呼びました。わたしは娘の電話の声で目が覚ましました。

あわてて着替え始めたわたしに、「ついていかなくて大丈夫だから。ひとりでいくから」と落ち着いた様子でいいました。

娘はわたしが睡眠不足になると、すぐ具合が悪くなることを知っているからです。
娘は笑顔で出かけていきました。それから5時間後、午前9時に無事生まれました。
神様が与えてくださった新しいいのちに心が震えました。

お祈りしてくださった方々に感謝します。

21日はなんとかイースター礼拝に行けました。疲れてふらふら状態で、今にも倒れそうで不安でいっぱいだったのですが、「大丈夫です」という言葉を聞いて、主が御手をさしのべて支えてくださっていることがわかりました。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119:105)」


『神様は足元を照らしてくださいます。ずっと道は続いていますが、神様は、一歩踏み出すとその先だけを照らしてくださいます。もっと先を照らさないのは、高慢にならないため、神を忘れないためです。』という牧師先生の言葉に励まされました。




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インフルエンザでした

2019-02-03 17:24:24 | 日記
ブログ更新が滞っていました。インフルエンザに罹り、ダウンしていたのです。

予防注射を打っていたので、熱は39.4℃で、40℃以上にはなりませんでしたが、
体のあちこちが痛み、ひどい倦怠感に襲われました。喘息も出てきてしまい、
咳で夜眠れませんでした。

「なぜこんな目に合わないといけないの? 」と思わずイエス様に訴えましたが、『きっと意味のあることに違いない』と思うと平安が訪れました。

聖書の言葉「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)」

今日は発病して10日目。まだ身体はだるかったのですが、久しぶりに教会へ行きました。その間に家庭集会があったのですが、お茶とお弁当の用意を友人に頼んで、欠席しました。この家庭集会は30年近く続いていますが、わたしが欠席したのは初めてです。

教会へ行くと親しい方の何人かがインフルエンザに罹っていると聞きました。今年のインフルエンザは感染力が強いのですね。

わたしが具合悪かった間、ずっと食事の支度をしてくれた主人に感謝!!


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そうなんだ

2018-12-28 20:28:41 | 日記
毎年、年末には『今年を振り返って』と題してブログを書いていました。今年も書こうとしたら、何も思い出せません。(もしかして認知症?)

覚えていることは、学生時代の友人Nちゃんが癌で天に召されたこと。そして仲間9人で追悼旅行へ長野まで行ったことです。

先日、大掃除で状差を整理していたら、何通もNちゃんからの手紙が見つかりました。Nちゃんは、クリスチャンではありません。

Nちゃんのご主人が2013年に召されたのですが、そのことを知ってお花料を送ったときのお礼の手紙には次のように書かれています。

『グリム、(学生時代、人形劇部の仲間内ではこのニックネームで呼ばれています)聖書の言葉をいつも添えてくれているけれど、今回は今の不安にピタッと合っていて「そうなんだ」と先が明るくなりました。』


わたしは手紙に以下のような聖書の言葉を書いていました。

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10:13)


それから5年後。Nちゃんが召される日までの一週間、メールを送ることができたので、イエス様のことを伝えました。でも、どのように受け止めてくれたかわかりませんでした。

これでよかったのだろうか……と不安に思っていたのですが、手紙に書かれていたように「そうなんだ」と受け入れてくれたような気がしてうれしくなりました。

明日から娘一家が帰省し、息子一家も来るので、年内のブログの更新は今日までとなります。皆さまが、よいお年を迎えられるようにお祈りします。


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ブログ13年

2018-10-15 16:53:00 | 日記

ブログ開設13年になりました。こんなに続くとは思っていませんでした。やめようと思ったことは数えきれないほどあります。

最近久しぶりに会う人に近況を話そうとすると、「わかっているから」と言われます。えっ、なぜ……と、思い巡らしていると、「ブログ『生かされて』を読んでいるから」と言うのです。

最近たて続けに何人もの方から言われたので、恥ずかしいようなうれしいような・・・・・・。

不特定多数の人に一方的に発信するということは、考えてみると恐ろしいことです。一昔前だったら考えられないことですね。
先日は、3年前に北海道に引っ越されたIさんにお目にかかりました。教会のYさんの絵画の個展がつくばで開かれるので、北海道から訪れたと言われました。

水曜礼拝に行くとき、ピスガの前で出会ったのですが、やはりIさんもブログを読んでくださっていて、「お礼が言いたかった」とおっしゃってくださいました。もっとIさんとお話ししたいと思いましたが、礼拝の後は聖書輪読会が予定されていたので、話はできませんでした。

ところが、輪読会でご一緒していたSさんが午後からYさんの個展に行くのでご一緒しませんかと声をかけてくださいました。それでSさんの車に乗せてもらって個展に行きました。(感謝)

神様を指し示す作品に心打たれました。とくに神様の天地創造が描かれている絵は迫力があり、圧倒されました。

その会場で再びIさんにお会いでき、ゆっくりお話しできました。神様の計らいだと思いました。Iさんのことを祈りのカードに書いて祈っていたと言うと、Iさんも私のことを祈っていたとおっしゃいました。私は、私の想像よりはるかにたくさんの人から祈られているのかもしれません。なんとうれしいことでしょう!!

このようなことがあると、ブログをまだ書き続けたほうがいいのかなぁ?と思わされます。

昨日の礼拝では、ピリピ人への手紙4:21-22からメッセージが語られました。ピリピ人への手紙の最後で、あいさつ文です。
「聖徒たちへ」と書かれていますが、クリスチャンは、みな聖徒なのだそうです。
聖徒といわれると、身が縮む思いですが、聖徒とは「その人の性格や能力に関係なく、神の一方的な恵みによって聖徒とされた者」だと聞いて、ほっとしました。

聖徒とはどういうことか教えていただきました。
①罪があるのに赦されたという立場にある。
②それにふさわしく変えられていくという状況にある。
③神に聖別された者である。(聖別とは他の者から分離された、きよくされたということ)

聖別には、必ず目的があります。神の目的を遂行させるため、聖別されたのです。聖別されたからと言って、高慢になってはいけません。むしろへりくだる者になるようにと奨めがありました。


わたしにとって神様の目的とは何でしょう。自分は目的に従って歩んでいるのだろうか……と考えています。



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追悼旅行(その4)

2018-08-24 14:39:02 | 日記
安曇野では、ちひろ美術館へ行きました。神戸から東京に引っ越すとき、Mちゃんからいわさきちひろのハンカチをもらいました。今回、それを持っていきました。考えてみたら40年前のものです。「あまり使わないで大切にしまっていたの」と言ってハンカチを見せると、Mちゃんは驚いていました。



黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」の表紙にいわさきちひろさんの絵が用いられていることから、ちひろ公園内にトットちゃん広場が作られていました。

「窓際のトットちゃん」は多くの人に読まれているので、ご存じの方も多いと思いますが、簡単に内容を紹介します。トットちゃんは小学校入学後、2~3か月で退学を言い渡されました。でも、お母さんは退学させられたとは言わず、「よその学校へ行ってみる?」と言ったそうです。よその学校というのがトモエ学園でした。



トモエ園は列車の中で授業をしていました。トモエ学園では席も時間割もなく、自分で考える事を優先していたそうです。
校長先生がトットちゃんに話したいだけ話してごらんと言ったそうです。トットちゃんは夢中になって4時間も話し続けたそうです。真剣に話を聞いてくれた校長先生はなんと忍耐強い人なのでしょう。トットちゃんは受け入れられて、どんなにうれしかったでしょう。

校長先生は「君は、ほんとはいい子なんだよ」と何度も言ってくれました。校長先生の愛のあるとり扱いを受けて、トットちゃんの人生が変わったのです。

出会いによって人生が変わることがありますね。また、人の言葉がその人を生かすことがあります。逆に、人の心を一生傷つけることもあります。人を生かす言葉を語りたいものです。

周遊バスに乗って大王わさび園に行きました。わさびコロッケとわさびアイスを食べたら、昼ご飯は食べられませんでした。



わさび園はシートがかかっていました。


水車は黒澤映画のロケに使われたそうです。水がとてもきれいでした。

帰りはMGちゃんと2人で14時代の特急あずさに乗ることになっていました。おりしも台風が来ていて、時間が遅い方が、その後乗る常磐線に影響しないと知って、出発時間を2時間遅くしました。手数料なしで隣同士のチケットが買えたのは幸いでした。
台風の影響を全く受けずに3日間過ごし、無事帰ってきました。

車中ではMGちゃんと次の旅行のことをずっと話していました。みんなで旅行することも限られてくるので、今しかないと思うと、また行きたくなるのでした。

62歳は曲がり角だと思います。これからは老化と闘うことになるでしょう。いつまで生きられるか誰にもわかりません。残された人生、ぼんやり過ごすか、目的をもって生き生きと過ごすか……。

「いま曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。」という赤毛のアンの言葉を思い出して、神様の用意してくださった道が最善だと信じて歩んでいきます。

この旅行の動機となったNちゃん。色々調べて計画し、スケジュールを組んでくれたS子とK子、ありがとう。一緒に行けなかったAちゃん、この次は、一緒に行けますように。

                        おわり


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追悼旅行(その3)

2018-08-21 16:43:17 | 日記
2日目は松本へ行きました。松本市美術館で草間彌生展が開催されていました。
草間彌生さんは、幼少のころから幻視、幻聴を体験し、作品の要素として、独特の画風を確立されました。



印象に残ったのは、「傷みのシャンデリア」です。ミラールームでシャンデリアがゆっくりと回転する作品。上下左右はるか向こうまで反射されたシャンデリアがあり、その中にいると、取りこまれてしまうような危うさを感じました。
「南瓜へのつきることのない愛のすべて」には黄色い南瓜がぎっしりとひしめきあっていました。

「痛みのシャンデリア」に仲間の一人を失ったわたしたちを重ねてみました。ほんとうはいくつあるのかわかりませんが、鏡に反射された無限のシャンデリアが見えています。

それは癒されることのない無数の心の傷のようです。でも、そこに絶望ではなく、希望の光を見るのです。わたしたちは一人ではありません。わたしたちは、慰めの言葉を発しなくても同じ思いを抱いています。ひとつのシャンデリアが無限に並んでいるように見えますが、一つの傷が癒されれば、すべての傷が癒されるのです。

仲間のひとりから、わたしだけ朝事に参加しなかったことについて、「グリム(わたしのこと)もみんなもつながっているから、それだけでいいんです。」といううれしいメールが届きました。

聖書には次のように書かれています。
「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。(伝道者の書4:12)」




松本城は中には入らず、外から眺めただけです。おまめのパフェがおいしかったです。
松本に出て3人は先に帰り、そのあと6人で旅を続けました。

いちばん上の画像は、常設の野外彫刻『幻の華』です。建物の壁の水玉は、松本出身の草間彌生さんから「松本から未来へ」というメッセージがこめられているそうです。
                  
                           
つづく


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追悼旅行(その2)

2018-08-20 15:57:16 | 日記
追悼旅行(その1)を書いてからずいぶん日にちが経ってしまいました。4歳のナルクンがいても昼寝している間に書けると思っていましたが、誤算でした。

ナルクンの相手をするのに疲れて、わたしも一緒に昼寝し、夜も一緒に寝ていたので、自分の時間が全くありませんでした。今日から数日はママのもとで過ごすというので、ほっとしています。

人形劇部(ろっち)の11人の仲間のひとりが欠けてしまって、悲しみの中に沈んでいたわたしたちですが、旅行の間は明るく、よくしゃべり、よく食べ、いたって元気でした。

駅のホームで和服の男性から「これだけの女性の団体は珍しいですね」と声をかけられました。
9人の関西弁のおばさんが、大声で話していたら目立ちますね。自分たちはすっかり若返って気持ちは10代になっていたのですが……。

ちょっとお茶飲みに店に入るにしても、お昼を食べるにしても、なるたけ一緒に座りたいと思っています。4人と5人に分かれることもありますが、店によっては机をくっつけて席を作ってくれます。一刻の間も一緒にいたいという気持ちなのです。
わたしたちは姫路、神戸、横浜、土浦・・・とそれぞれの場所から出発し、長野駅で9人がそろいました。第一日目は長野電鉄に乗って小布施(おぶせ)に行きました。

小布施の街並みは趣があって、高山を思い出しました。



町の雰囲気を壊さないようにでしょうか、信金にのれんがかかっていました。


どこの庭先にも寄せ植えがあって、心和みました。

時間が限られていたので、北斎美術館と高井鴻山記念館に分かれて入りました。


わたしは高井鴻山記念館に入りました。2階の展示室には一弦琴が置いてあり、学生字時代いちばんピアノが上手だったHちゃんが、即興で「花」を弾きました。

一番上の画像は、幹がねじれた栗の木です。
                         つづく


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追悼旅行(その1)

2018-08-12 17:21:55 | 日記
8月7日から9日、学生時代の友人9人で旅行しました。前回会ったのは、一昨年の11月に還暦旅行で飛騨高山に行ったときでした。(このときのブログは2016年12月1日に書いています)

友人たちは、神戸の保育科の短大で同じ人形劇部(ろっち)のメンバーでした。手作りの棒人形を持って、保育園、幼稚園や施設などへ出向いて演じてきました。巡業の旅といって、淡路島や米子までも行きました。
卒業して40年たった今もお互いに連絡を取り合っています。

ただ、わたしともうひとりは関東、ほかのメンバーは皆関西に住んでいるので、全員で集まるということはめったにありませんでした。(関西組では年に2回ぐらいはずっと集まっていたそうです)

一昨年、還暦旅行をしようということになって、久しぶりに仲間たちと会いました。そのときは2名都合悪かったので、やはり9名の参加でした。
それから一年半。こんなに早くまた旅行をすることになるとは思いませんでした。

書くのもつらいのですが、4月にメンバーのひとり、Nちゃんが子宮がんで天に召されたのです。Nちゃんの近くに住んでいる姫路の人たちは、病気になってから数回Nちゃんの家を訪れているので、病状がわかっていましたが、神戸に住んでいる人たちや関東のMGちゃんとわたしは、詳しいことがわからなかったので、大きな衝撃を受けました。

それでも3月末にNちゃんがホスピスに入ったと聞いたとき、覚悟しなければならないとは思っていました。ホスピスではだれにも会いたくないと言って、お見舞いを断っていたと聞いて、きっと変わってしまった姿を誰にも見せたくないという気持ちだったのでは……。

「この夏にNちゃんの追悼旅行をしましょう」と、S子からメールがありました。

行先は善光寺だと聞いて、少し迷いました。なぜ善光寺かというと、Nちゃんが最後に善光寺に行きたいと言っていたのに果たせなかったからです。

宿坊に泊まって朝事をするということでした。朝事とは何かわからなかったので、ネットで調べました。それは宗教行事でした。
宿坊に泊まった人は、必ず参加しないとだめというわけではありません。仲間たちやNちゃんに申し訳ないという気持ちを持つ必要もありません。

思い切って、朝事はパスしたいと伝えると、「かまへんよ。グリムはクリスチャンだからね」と、みんなが快諾してくれたのでうれしかったです。朝事は5時10分からだったので4:30に起きました。

皆が出かけて行ってから、部屋でひとりになって、いつものようにデボーション(聖書を読み、祈る)を40分間できました。Nちゃんのご遺族の方や、心を痛めている仲間たちのために心から祈り、そのあと少し眠りました。
Tちゃんに「朝事の間、何しとったん?」と聞かれ「半分寝てた」と答えましたが、嘘ではありませんよ。

宿坊では20畳ぐらいの広い和室にふとんを9枚並べて寝ました。合宿のようです。



宿坊での朝食
つづく


群馬の旅(2)

2018-06-07 16:36:28 | 日記
富岡製糸場を見学してから水上の宿で温泉につかりました。
翌日はSLに乗るのですが、16時近くの発車だというので、水上の町を散策しようと計画していました。
バス停に行くと、谷川岳ロープウェイ乗り場行きのバスが止まっていました。すぐにでも発車するというので、「乗りましょうよ」と言って、どれぐらい時間がかかるのか確かめもせずに乗り込みました。

今回の旅行はすべて夫任せで、地図も見ていなかったわたしは、水上から谷川岳の方へ行けるとは思っていませんでした。


30分ほどでロープウェイの乗り場に着きました。



驚いたのは、重なり合う緑の山の奥に雪渓が見えたことです。



ロープウェイは快適でした。ゆっくりと登っていきます。


雪が触れるほど近くにありました。

終点で降りると、リフトが動いていたので、それにも乗りました。
ふと、御嶽山の噴火を思い出しました。今、急に噴火したらどうしよう。何も遮ることのできないリフトに乗っているとき噴石が飛んで来たら……。
100パーセント安全な火山はないのですから。



谷川岳から戻って昼食をとり、水上駅に向かうとSLが汽笛を鳴らしてやってきました。孫に読んであげている「きかんしゃやえもん(阿川弘之作)」を思い出しました。
(やえもんは、おじいさんの汽車なので)
『あしや せなかが いたいので えきを でるときは、「ひゃあ!」とひとこえ
ひめいをあげました。』

という文を読むと、4歳のナルクンが「ゆこちゃんも足や背中が痛いの?」
と言ったのです。わたしのことを年寄りだと認識しているのですね。
「痛いのよ。ひゃあ!」と言って笑いました。
終点の高崎駅から2回乗り換えて土浦に向かいました。天気も最高で、良い旅ができたことを感謝しました。

                      おわり

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