生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「ぞうさん」に込められた思い

2019-10-04 15:18:55 | CS(子供伝道)
童謡「ぞうさん」の歌詞は誰でも知っていると思います。
同窓会報を読んでいて、「ぞうさん」の作詞者まどみちおさんの思いが書かれている文章を見つけました。

この地球上の動物で像ほど鼻の長い動物はいません。像の子は『ぞうさん、お鼻が長いのね』と言われました。「鼻が長くて変だ」と言われたように受け取るのが普通だと思います。
しかしこの像は、いかにもうれしそうに『そうよ、母さんも長いのよ』と答えます。長いねと言ってくれたのがうれしくてたまらないかのように、褒められたかのように、自分も長いだけでなく自分の一番大好きなこの世で一番尊敬しているお母さんも長いのよと、誇らしげに答えます。

この像がこのように答えることができたのは、この象が像として生かされていることを素晴らしいことだと思い、幸せに思い有難がっているからです。誇りに思っているからです。
像に限りません。けものでも虫でも魚でも鳥でも、草でも木でも数かぎりない生き物がみんな各々の個性を持たされて生かされていることは、何物にもかえられない素晴らしいことです。
「ぞうさん」は、単なる像の紹介ではなく、この世に生きるすべての動物の存在を肯定し、「そのままの姿がいちばん素晴らしいのだから、自信を持って生きなさいよ」と告げているというのです。

まどさんの思いを読んで、短い詩にこめられている思いを知り、胸があつくなりました。

像が像として生かされていることを素晴らしいと思えたのはなぜでしょう……。
おそらくお母さんが「長い鼻って素敵なのよ。像にしか与えられていないプレゼントよ。わたしたち、像でよかったね」と自分の存在を喜び、長い鼻を肯定的に受け入れていたからだと思います。

その根拠は、(動物も人間もひとりひとり神様によって造られた存在である。)ということです。
「初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)」という聖書の言葉からきているのです。

まどさんは、クリスチャンではなかったようですが、教会に通われていたことがあり、その考え方に聖書の影響が表れたのではないかと私は思います。
子育てにおいて、自分が大切な存在であることを子どもに伝えられる親が増えることを祈っています。


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最後のぽんぽこクラブ

2017-03-20 16:40:54 | CS(子供伝道)
先週の土曜日は最後のぽんぽこクラブでした。

ぽんぽこクラブとは、Mちゃんの家で行われた子ども家庭集会のことです。月に一度の土曜日、数人の小学生が集まってきます。聖書のお話をし、賛美をし、室内ゲームをしてきまた。クリスマス会にはケーキのデコレーションをしたり、プレゼント交換をして楽しみました。その集まりは8年間続けられました。
8年前、小学1年生だった子どもはもう中学2年です。

お話とゲームは牧師先生と交代で行い、賛美の伴奏は教会学校の先生が弾いてくれました。
教会の長老がきてくださり、落語を披露してくださったこともありました。

わたしは創作童話を披露したり、室内ゲームを考えたり、準備をするのも楽しい時間でした。

先日はゲームとして百人一首をやりました。昔わたしが子どものころ使っていた百人一首で遊びました。坊主めくりもして楽しめました。
子ども家庭集会は19年の間、どこかの家庭で行ってきました。最初はわくわく子どもクラブという名で我が家で行うと、娘と同じマンションの子が10人も集まってきました。

その後、教会員で家庭を開放してくださる家庭が次々与えられ、続けられたのです。
ここにきて、家庭を開放してくれる家が途絶えてしまいました。残念ですが、仕方ないです。

これまで集った子どもたちはどうしているかな?と思うことがあります。
心の中にみ言葉が少しでも残ってくれているといいなあと願いつつ……。

長い期間、続けさせていただいたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、昨日は小学科の教会学校教師会、最後の日でした。教会学校に通っている子どもたちが成長してたくさんの実をみのらせてくれることを祈りつつ、小学科からティーンズへ向かって出発です。

「御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5:22)」

写真はMちゃん手作りのお菓子。

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立ち上がれ、出発せよ!

2017-03-08 16:17:48 | CS(子供伝道)
今日も真冬のような寒さですが、日差しの明るさに春を感じます。リハビリにせっせと通ったので、肩の痛みはだいぶ良くなりました。通院はまだ続きますが、楽に腕を動かすことができるようになってうれしいです。


わたしが教会学校の教師の奉仕を始めたのは、23年前、娘が小学1年生のときでした。ひとりの先生が急に辞められることになって、年度途中で急きょ頼まれたのです。

土浦に引っ越して2年もたっていないときでした。前の教会で幼児クラスの奉仕をしていたことが伝わって、わたしが選ばれたようでした。
車の運転ができないので、ふたりの子どもを自転車の前後に乗せて30分ぐらいかけて教会に通っていました。いちどは桜川の土手の道でころんで、
「もうお母さんの自転車には乗らない!」と子どもたちにしかられたことがありました。三人とも無傷だったのは奇跡のようでした。
近くに住む教会員の方が、見るに見かねて(?)車で迎えに来てくださるようになって助けられました。

それから何年もたち、息子は2児の父親、娘はもうすぐ母になろうとしています。
間もなく教師25年になるので、2年後、きりのいいところで引退させてもらおうと思っていました。そして当然来年度はまた低学年を担当するつもりでした。

2週間ほど前、教会スタッフの先生から思いもかけない電話を受けました。
TEENS(ティーンズ)の教師になってほしいという電話でした。TEENSとは、中高科のことです。
ずっと低学年を受け持っていたのに高学年をとばして中高生の先生ですって!
驚いてしばし言葉も出ませんでしたが、なぜわたしがTEENSに呼ばれたかがわかってくると、受けた方がいいという思いが強くなってきました。でも、お返事は祈ってからにしますと言って、すぐには返事できませんでした。

かつてクリスチャン・ペンクラブの理事長だった池田勇人先生から「成長」の教案誌の中高生のところを書いてくれませんかと頼まれたことがありました。今奉仕している小学科を書くことさえできないのに、中高科の箇所を書くことなど、できませんと断ったことがありました。そのとき、池田先生は「小学科を担当しているの? 中高科担当だとばかり思っていた」と不思議そうに言われました。そのことを思い出しました。

わたしは中学生のとき、友達がひとりもいなくて孤独な一年を過ごしました。そのときのことを「キャンドルの灯」という題で小説を書いて応募したら入選し、クリスチャン新聞に連載されました。
本になった「リピート・シンドローム」では、高校生のドラッグ、リストカット、摂食障害について書きました。そのようなことから池田先生はわたしが中高生の担当教師だと思われたようです。

わたしが中高生に対して熱い思いを持つのは、中学2年のとき、自分の存在価値がわからなくて、ずっと死にたいと思っていたことから始まります。いま現在死にたいと思っている子どもたちに神さまの愛を伝えたいと、望んでいたのです。
小学生にというより、中高生に伝える必要があるのではないかと思いはじめました。

聖書を読むと「立ち上がれ。出発せよ。(申命記2:24)」と書かれています。

慣れ親しんだ場所から移動するのにはエネルギーがいります。引き裂かれるような思いもします。
同じ教会内でも小学科とTEENSの奉仕者の接点はほとんどありません。どのようなことをやっているのか全く知らないので、不安です。
でも、わたしがかつて受け持った子どもたちが大きくなってそこにいます。
必要な力……体力、能力はきっと神様が与えてくださるでしょう。

60歳の旅立ちです。



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2017年の暗唱聖句大会

2017-02-27 16:02:31 | CS(子供伝道)
昨日は暗唱聖句大会でした。
子どもたちにみ言葉(聖書の言葉)を覚えることの大切さを知ってほしくて毎年行われています。

今年も工夫を凝らしたゲームを考えましたので紹介します。

暗唱聖句大会の一か月前に、覚える聖句を書いた冊子を作って子どもたちにあらかじめ配っています。子どもたちは家や教会でそれを覚えます。
暗唱聖句大会当日は1~3年生約30人の子どもが参加し、10:30~12:30までの2時間で行いました。
(時を同じくして高学年30人も別の場所で行っています。)


最初に子どもたちを4つのグループに分け、話し合ってリーダーを決めます。
次にルールを説明します。
ゲーム1
上の句下の句ゲーム
学年ごと3か所で円になって座ります。
ひとつの聖句を半分に切り、前半部は教師が持ち、後半部を書いたカードをカルタのように並べます。読み手は聖書箇所をまず読んでから、前半部分を読み、少し間をおいて後半を読みます。百人一首の要領で……。お手付きにわざと間違えた言葉を入れているカードも含めました。

20の聖句を完璧に覚えている子が数人いて、聖書箇所を読んだだけで取っていました。レベルが高いです。

ゲーム2
早押し虫食いクイズ
パワーポイントに聖句を出します。一部をーーーーとしてそれが何か言える子は、早押しチャイム押します。一番に押した子のランプが光るので、その子どもが答えられたら10ポイントもらえます。間違ったら、次の順番の子どもが早押しチャイムを押します。
正解数はグループの得点になります。

ゲーム3
みことば並べ替えクイズ
聖句をバラバラに切ったカードを教会の庭や空き部屋の壁に貼り付けておきます。(貼り付けるのは、はがしてもやぶれない養生テープが最適)中にダミーが含まれています。
聖句を取りにいく子と、並べる子を分けたりしてグループごとに作戦会議をしてから、開始します。
3種類のみ言葉を早く正しく並べられたチームに得点がたくさん入ります。
しっかり話し合って分担しているチーム。全員で同じ場所へ取りに行くチーム。みんな一生懸命考えてやっていました。


集計して表彰し、少しだけ差をつけたお菓子を賞品として配りました。一位のチームの子も最下位のチームの子も満足した顔をしていました。
これを機会に子どもたちが聖句をどんどん覚えるようになってほしいと願っています。



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暗唱の力

2017-01-26 21:00:48 | CS(子供伝道)
「この世のに”雑用”という用はない。」天に召された渡辺和子さんは、言われました。
ひとつひとつのことを丁寧にやっていかなくては……と思います。
そのためには、時間が必要です。
他者のために時間をさくことは、その人を愛することだと聞きました。リーダーは、人に仕えるものだと聖書では教えています。

来月は教会学校で暗唱聖句大会が行われます。
冊子が出来上がったので、一生懸命覚えていますが、年々記憶力が悪くなっているようで、せっかく覚えてもすぐ忘れてしまいます。
聖句20個と長い聖書箇所(詩編139編1~18節)を覚えるのが課題です。
詩編139編はとても好きな箇所なので紹介します。


1主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。

2あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、わたしの思いを遠くから読み取られます。

3あなたは、私の歩みと私が伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。

4ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。

5あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。

6そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて及びもつきません。

7私はあなたの御霊から離れてどこへ行けましょう。
私はあなたの御前を離れてどこへのがれましょう。

8たとい、私が天にのぼっても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。

9私が暁の翼をかって海の果てに住んでも、

10そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。

11たとえ私が「おお、やみよ、わたしをおおえ。わたしの回りの光よ、夜となれ」と言っても、

12あなたにとっては、やみも暗くなく、夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。

13それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

14私は感謝します。
あなたは私に奇しいことをなさって、恐ろしいほどです。
私のたましいはそれをよく知っています。

15私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、私の骨組みはあなたから隠れていませんでした。

16あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべて書き記されました。
わたしの造られた日々が、しかも、その一日もないうちに。

17神よ。あなたの御思いを知るのは、なんとむずかしいことでしょう。
その総計は、なんと多いことでしょう。

18それを数えようとしても、それは砂よりも数多いのです。
私が目覚めるとき、私はなおも、あなたと共にいます。



暗唱していて、力が与えられました。神様がどういう方か知らされて、心から感謝しました。
私がすわるのも立つのも、これから話そうとしている言葉さえすべて知っておられる神様。

母の胎の中でわたしを組み立ててくださった神様。
どこへ逃れたとしても、いつもそばにいてくださる神様
やみがない、昼のように明るい夜。光そのものである神様
ハレルヤ、あなたをほめたたえます!



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クリスマスの不思議(その2)

2016-12-23 20:38:26 | CS(子供伝道)
クリスマスの不思議について考えてみました。子どもたちと一緒に考えたことを記します。
これが正解ではありません。推測です。本当のことは、神様しかわからないのです。でも、考えていくうちに、新しい発見があり、クリスマスの出来事がどれだけすばらしいかわかりました。

①なぜ神様はマリヤを神の子の母とされたのでしょうか。
→マリヤはまだ15歳か16歳ぐらいの少女でしたが、素直な心で神様を信じていました。神の子を身ごもっていますとみ使いに言われたときはとまどいますが、受け入れ、神様を賛美します。マリヤがこのようにまっすぐな心の少女だからこそ、神様が選んだのではないでしょうか。

②なぜイエス様はベツレヘムの家畜小屋で生まれたのでしょうか。
→マリヤとヨセフはナザレに住んでいましたが、ローマ皇帝のアウグストが、すべての人に自分の生まれた町に帰って住民登録をするようにという命令を出しました。マリヤはおなかが大きくなっていましたが、ロバに乗ってヨセフと共にベツレヘムに向かいました。やっとの思いでベツレヘムに着きましたが、町は人であふれており、宿屋はどこもいっぱいでした。

家畜小屋ならあいていると言われ、家畜小屋で泊ることになりました。
マリヤは家畜小屋で出産し、幼子を布にくるんで飼い葉おけに寝かせました。
イエス様が家畜小屋で生まれてくださったおかげでどんなに貧しい人でも、身分の低い人でもイエス様に会うことができます。もし宮殿で生まれたら、お金持ちや身分の高い人しか会えなかったでしょう。

なぜベツレヘムなのか。それには理由がありました。旧約聖書ミカ書の5:2には次のように書かれています。
「ベツレヘム・エフラテよ。ああなたは氏族の中で最も小さい者だが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る」

エフラテとはベツレヘムのことで、ダビデはベツレヘムで生まれています。
このように旧約聖書には、救い主についての預言が書かれた箇所がたくさんあります。それは、イエス様誕生の何百年も前に書かれたものでした。


③なぜいちばん最初に救い主誕生の知らせが羊飼いに届けられたのでしょうか。


→羊飼いは、ユダヤ人の社会から疎外されていました。羊を飼って生活していたので、安息日に礼拝を守れなかったからです。このように貧しく、社会から疎外されていた人に救い主誕生の知らせがいちばんに告げられたのは、意味深いことです。

④なぜ東方の博士たちは長い旅をして救い主を拝みにやってきたのでしょうか。
→救いが外国の人たち(日本人もユダヤからみると外国の人)にもあるという意味です。

⑤なぜイエス様がこの世界に来てくださったのでしょうか。

→わたしたちは、罪を持っています。罪のためにこのままでは天国へ行くことができません。罪が赦されれば、天国へ行き、永遠のいのちをいただけます。
神様は、わたしたちを深く愛しているので、わたしたち人間が滅びてしまうのがつらくてたまらなかったのです。
それで、罪のないひとり子のイエスをわたしたちの身代わりとして十字架につけるためにこの世界にイエス様を誕生させてくださったのです。

イエス様を誕生させることは、神様の何千年も前からのご計画でした。神様のご計画は、途中で変更されたり中止になったりすることはありません。神様の深い愛と熱心によって、イエス様が誕生しました。このすばらしいできごとを思うとき、喜びが湧き上がってきます。

イエス様が生まれてくださったおかげで、イエス様を信じるだけでわたしたちは神様の子どもにしていただけるようになりました。ハレルヤ!!


聖書の言葉 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1;12)」
特権とは、特別な権利のことです。イエス様を受け入れ、信じた人は、神様の子どもにしていただけるということです。

                     おわり



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クリスマスの不思議(その1)

2016-12-22 17:00:18 | CS(子供伝道)
18日に教会学校のクリスマス会が行われました。低学年(1~3年生)は『クリスマスの不思議』というテーマで発表しました。

わたしはその日、義父の7回忌で主人の実家に行かなければならず、小学科クリスマス会に参加できなくて残念でしたが、10月末から子どもたちと一緒に準備してきました。

低学年の子どもたちに「これからクリスマスの準備を始めます」と言うと、「クリスマスのお話、全部知ってる」「つまんない。サンタさんが来るのはうれしいけど……」という声が聞こえてきました。

なぜクリスマスにお祝いをするのでしょう……。
イエス様が生まれてきてくださったからです。クリスマスの本当の意味は何でしょう……。
本当の意味を知ったら、心が喜びであふれ、祝わずにはいられません。
本当の意味を考える前に、クリスマスの不思議なことについて考えてみましょう。

クリスマス物語は多くの人が知っていますが、不思議なことがたくさんあります。
子どもたちと話し合って出てきた疑問はこんなにありました。

①なぜ神さまはマリヤを神の子の母とされたのでしょうか。

②なぜイエス様はベツレヘムの家畜小屋で生まれたのでしょうか。

③なぜいちばん最初に救い主誕生の知らせが羊飼いに届けられたのでしょうか。

④なぜ東方の博士たちは長い旅をして救い主を拝みにやってきたのでしょうか。

⑤そして、なぜイエス様がこの世界に来てくださったのでしょうか。


これ以外にもまだまだたくさんありますが、これらの意味を考えてみました。

つづく

前に進めないとき

2016-10-31 16:47:30 | CS(子供伝道)
先日は前に進めてよかったことを書きましたが、今日は前進できなかったことを書きます。

わたしは、教会学校で子どもの賛美の伴奏をしていますが、今年4月に引退しました。
主人がいちにちリビングにいて、ピアノはリビングにあるので練習がほとんどできなくなってしまったからです。

でも、奏楽者が減ってしまい、どうしてもと頼まれて9月からまた奏楽することになりました。
今まで弾いたことのある曲はなんとか弾けるのですが、新しい曲はうんと練習しないと弾けません。

どうしても弾けなかったら、その曲だけMさんが弾いてくれるというので引き受けたのでした。

リズムが難しい曲は、たくさん練習すれば弾けるようになるとは限りません。#や♭がたくさんついていても平気ですが、リズムが難しい曲は苦労します。もっとも、難しいと思うのはわたしだけらしいのですが……。

「キラキラ」という曲のリズムは、わたしにとって難解でした。教会でいちど聞いてもらうと、間違っていると言われました。でも、数えながらゆっくり弾くと弾けるのです。弾くのは次の週なので、それまで練習して日曜日の朝、聞いてもらい間違っていたら、そのときだけ代わってもらおうと思いました。

先週は主人が出かける機会が多かったので、一日1~2時間練習でき、ピアノを弾いてないときも頭の中で1,2,3. 1,2,3、1,2と数えながら歌っていました。

そして、必死に祈りました。「どうか正しいリズムで弾けますように。子どもたちが歌いやすいように弾けますように」と。
家に娘がいたときは、娘に教えてもらえたのですが、娘のいない今は、間違っているのか正しいのかさえわかりません。弾いているとだんだん自信がなくなってきます。

「神様。どうかこの曲を弾く力を与えてください。でも、もし弾けなかったら手放す勇気を与えてください」と祈りました。

できないと認めることはつらいことです。交代するのは自分自身に負けたようでみじめです。
でも、何が何でも頑張るというのは神様に喜ばれることでしょうか。

リズムが間違っていたら、ショックを受けないように。そのことを素直に認め、その曲はMさんにまかせて、ほかの3曲を心を込めて弾くことができるように願いました。

そして、昨日の朝、聞いてもらうと、やはりまだリズムが違っていました。それでその曲のときだけ交代してもらって、わたしはパワーポイント操作をしました。

「会えたんだ、イエス様に。愛されて、赦された」という歌に合わせて踊っている子どもたちの姿を見たとき、何ともいえないさわやかさに包まれ、平安と喜びが湧き上がってくるのを感じました。



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苦しみからの解放

2016-10-13 15:47:26 | CS(子供伝道)
子ども家庭集会では、「讃美歌を作った人」のお話をシリーズでしてきました。そのひとつを紹介します。

ジョン・ウエスレーとチャールズ・ウエスレー兄弟は、イギリスのエプワースで生まれました。
ふたりはオックスフォード大学に入学して「ホーリークラブ」という会を作りました。この会では、聖書研究、礼拝、祈り会を行い、貧しい人たちへの奉仕と伝道をしました。
また、ホーリークラブは厳しい決まりを守ることを大切にしていました。

ジョンとチャールズ兄弟は、アメリカインディアンにイエス様を伝えようと、船でアメリカに向かいました。そのとき、弟のチャールズは苦しみの中にいました。努力しても自分の罪がなくならず、生きる意味がわからないと悩んでいたのです。

罪というのは、努力してゆるされるものなのでしょうか? そうではありません。
イエス様を信じるだけで罪がゆるされるのですが、チャールズはそのことがわかっていなかったのです。

そんなとき、アメリカから帰る船の中でモラヴィア兄弟団と出会いました。その人たちはウエスレー兄弟と同じクリスチャンなのですが、明るく喜びに満ちていました。なぜ、彼らはあのように活き活きとしているのだろう……と、ジョンとチャールズは不思議に思いました。

ふたりは、モラヴィア兄弟団の指導者のひとり、ペーター・ベーラーと話す機会が与えられました。
ベーラーは悩んでいるチャールズ、そしてジョンに語りかけました。

「イエスを信じなさい。そうすればあなたは救われます。主イエスを心から信じなさい。そうすれば、不可能なことはありません」「信じるだけで救われるのです」「ありのままの姿でイエスさまのところへいけばいいのです」というベーラーの言葉にふたりは心打たれました。

イギリスに帰ってからジョンはモラヴィア兄弟団の集会で「救われるためにキリストだけを信頼すればいいのだ。わたしの罪はすでに取り去られた」と感じたそうです。
その3日前に弟のチャールズもルターが書いていた書物を読んで「キリストが死なれたのは、この自分のためだ」と気づいていました。


ふたりはいままで神をおそれて罪に苦しんでいましたが、その苦しみから解放され、「神を喜び、楽しむ」人間に変えられました。
その後、ジョンは毎週集会で説教をしました。

チャールズは、集会のたびに新しい讃美歌を作って、礼拝の中で賛美しました。
チャールズの心の中に救いの喜びと平安が湧き上がってきたので、神を賛美する言葉があふれてきたのです。
チャールズは生涯で9000もの讃美歌を書いたそうです。


このお話をしてから、わたしにも解放感が訪れ、賛美したくなりました。
讃美歌、聖歌のコピーを台所に置いて、歌詞を覚えながら口ずさんでいます。

上の写真は、昨日教会の帰り道で写しました。貴重な青空です。遠くに筑波山がみえます。この土手で散歩中のマナ愛児園の子どもたちと出会いました。


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祝福の虹

2016-08-21 18:25:56 | CS(子供伝道)
19日、20日は、ヒックンが教会学校の高学年キャンプに参加しました。

ヒックンは小学2年生からキャンプに参加しています。わたしは教師として低学年キャンプに毎年参加しているので、2年続けてヒックンと一緒に参加しました。

子どもたちが小学生の時は、子どもと共に参加していました。それから20年近くたって、まさか孫と一緒に参加することになるとは夢にも思いませんでした。

今年、わたしは高学年キャンプには参加しないので、「今年はヒックンひとりでキャンプに行くんだよ」と言うと、「ゆこちゃん(わたしのこと)がいなくても平気だよ」と答えていました。

ところが、前の日になって、「ゆこちゃんは、キャンプにいかないの?」「キャンプで何するの?」「泊るところはどんなところ?」
と不安そうに聞きます。

低学年キャンプでは教会に泊まったのですが、高学年キャンプは少年自然の家に泊ります。教会学校には年に数えるほどしか連れて行けないので、親しい友達もいません。
不安になるのは当たり前です。

「詳しいプログラムは知らないけれど、楽しいことがたくさんあるよ」 
と言ってお祈りしたら、夜はよく眠れたようです。

翌日、大きな荷物を持って出かけました。主人はヒックンに頼まれて、教会の隣にあるイオンまで車で送ってくれました。(教会駐車場へは入りたくないので……)

2日間、台風の影響で雨が降ったりやんだりしていました。
後から聞くと、野外での活動のときは晴れ、室内での活動のときは雨が降っていたそうで、『神様って、すごーい!』と思いました。もちろん、キャンプファイヤーもできたのです。

ピザを生地から作って焼いて食べたり、オリエンテーリングをしたり、聖書の箇所を読んで、スキット(寸劇)をしたそうです。ヒックンがダビデになってゴリアテを倒す役をやり、セリフも覚えてしっかり言えたそうです。ヒックンがダビデ役をやりたいと言って、じゃんけんで勝ち取った役だと後から高学年の先生に聞きました。
 
お迎えはヒックンママの車で行きました。キャンプを祝福するかのように虹が出ていました。


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今年のキャンプ

2016-08-01 20:17:42 | CS(子供伝道)
29日から1泊2日で行われた低学年キャンプが無事終わりました。体力がもつか不安でした。キャンプは屋外でのプログラムが多く活動的です。しかも梅雨明け直後で気温はうなぎのぼりです。

でも、子どもたちが水遊びをして喜ぶ姿を思い浮かべると嬉しくなって、大きな荷物を自転車に積んで出かけました。

昨年と一昨年は孫のヒックンと一緒にキャンプに参加しました。ヒックンが4年生になり、高学年キャンプに参加するため、今年からは別々です。

30人近くの子どもたちが参加しました。
はじまりの会のあと、教会幼稚園バスで霞ヶ浦ふれあいランドへ向かいました。水の科学館を見学した後、お弁当を食べて、水鉄砲遊びをしました。4チームに分かれて、紙コップで作った的に水を当てて落としていくゲームです。

夢中でやっているうちに服がびしょぬれです。そんなこと気にしている子どもはいません。そのあと、人口の川で水遊び。これが前の日だったら寒くて風邪をひくところでした。

夜のカレーは、お母さんたちが教会に来て作ってくださいました。
夜のお楽しみはなんといってもキャンプファイヤー。大学生のお兄さんが「猛獣狩りに行こうよ」のゲームをリードしてくれました。ほんとうに猛獣がきて食べられてしまうと思って、わたしの手をにぎって離さない子どもがいました。

夜はシャワーをあびて、教会幼稚園の部屋で寝ました。友達と一緒に寝るのがうれしくてたまらないようです。朝は4時半から起きて騒いでいました。
わたしは一睡もできないかもしれないと覚悟していたのですが、5時間近く眠れたようで、感謝しました。

2日目のゲームはオリエンテーリングで、さまざまな工夫がこらされていました。

このキャンプのテーマは「主の祈り」でした。
2回の礼拝で「主の祈り」についてのお話をK先生から聞きました。

主の祈りは、わたしたちがどのように祈ったらよいかイエス様が教えてくださったお祈りです。最初に「天の父なる神様」呼びかけているのは、お父さんにお話しするように父なる神様に祈るということです。

難しい言葉、長い時間はいりません。神様に話したいと思った時にお話しすればいいのです。

わたしたちが神様を親しくお父さんと呼べるのは、イエス様が十字架にかかって死んでくださったおかげです。
なので、お祈りの最後には「イエス様のみ名によってお祈りします」と言います。
最後のアーメンとは、その通りです。本当のことです。という意味です。

主の祈りはマタイ6:9-13に書かれています。


主の祈り

天にいます私たちの父よ。
御名(みな)があがめられますように。
御国(みくに)が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。


K先生のお話を聞いて、「主の祈りを祈ると、心があったかくなってほっとする」「もっと心を込めて祈りたい」という子どもたちの声が聞こえ、ジーンときました。

終わりの会での賛美は、はじまりの会よりずっと力強く、ひたむきに歌う子たちの声を聞きながら、わたしもピアノで賛美しました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。わたしの作品も掲載されています。ぜひここをクリックしてごらんください。


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奏楽引退

2016-07-01 20:33:05 | CS(子供伝道)
教会学校で奏楽の奉仕を20年させてもらいました。

わたしはピアノを4歳から小学2年生まで習っていましたが、練習がいやでやめてしまいました。
大人になって保育科の短大にすすむため、18歳から20歳までピアノを習いました。そのときは、すっかり弾けなくなっていたのでバイエルから始めました。

幼稚園ではピアノの伴奏をしていましたが退職後は15年間全く弾かず、ピアノの上は物置になっていました。

教会学校で奏楽できる人がひとりしかいないときがあったので、わたしもさせてもらおうと名乗りを上げました。15年の間にリズムが変わっているとは夢にも思わず……。

音楽主事の先生に聴いてもらうと、わたしの弾く曲のほとんどがリズムが間違っているといわれました。

それから闘いが始まりました。凝り性の私は録音した曲を聴きながら必死に練習しました。あっているのかどうかわからないので、娘に聴いてもらっていました。2時間弾き続けてもリズムが違うと言われたときは、ショックでした。

「伴奏やめた方が身のためだよ」「近所迷惑だし、子どもたちのためにもやめた方がいい」と、息子と娘に言われたのに必死に頑張っていました。そのころは主人が勤めていたので、何時間も弾くことは可能だったのです。

主人が退職してからはリビングにいてずっとテレビを見ているので、ピアノの練習は、夕方お風呂に入る10分の間だけです。
それで、今年4月に奏楽を引退しました。

ところが、奏楽者がいないときやキャンプのときは奏楽しなくてはならず、弾けなくならないように週に2~3回は(10分ずつですが)弾いています。全く弾かないでいると、指が固くなって一か月ぐらいで弾けなくなってしまうのです。

キャンプの食事のとき歌う「おいしい食事」のリズムがどうしてもわからなかったのですが、今回初めてわかって、この年になっても成長できる!と喜んでいます。

明日も子ども家庭集会で弾きます。うまく弾けるようにとは思いません。神様に向かって賛美する喜びを感じて弾けばいいのだなと思っています。
 

持ち運び用にと昨年買ったPC(ウインドウズ8)が勝手にウインドウズ10になってしまいました。起動してしばらく別のことをしているうちにそうなってしまったのです。そのとき作業していたものは、消えてしまいました。(ショック!!)

そのパソコンはワードで創作するときだけ使っているので、10になっても支障がないので、あえて元にもどすのはやめました。

今は、このPC(ウインドウズ7)が更新されないように見張っています。苦情が出たので、中止することが前より簡単になったようですが……。



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医療ミスをした医師にお礼を言った人

2016-06-20 20:35:47 | CS(子供伝道)
先日、子ども家庭集会で盲目の詩人、ファニー・クロスビーについてお話ししました。(高学年向き)
紹介します。

ファニー・クロスビーは 1820年、アメリカのニューヨーク州で生まれました。お父さんは、彼女が生まれて間もなく亡くなり、母親と信仰深いおばあさんに育てられました。
ファニーは、生後6週間で医療ミスにより目が見えなくなってしまいました。

でも大人になったファニーは、失明したことを感謝しました。非難のため町に住めず行方がわからなくなっていた医師を探し出して感謝の気持ちを伝えたそうです。

ファニーの母親はファニーが失明してしまったことを深く悲しみましたが、ファニーが少し大きくなると、有名な詩人ホーマーやミルトンも失明していたことを話し、ミルトンの「失明について」という詩を読んで聞かせました。
ミルトンの詩「失明について」は、ファニーに失明を乗り越える力を与えました。

おばあさんはファニーに自然の美しさと精神の世界のすばらしさを、詩人の心で受け止めることを教えました。眼のみえない孫のためにおばあさんは、日の出や日没の美しさ、虹のすばらしさ、小鳥や花々の愛らしさを語って聞かせました。

おばあさんは、それにも増して聖書の話を感情を込めて話して聞かせました。後年ファニーは「世界のどのような音楽も、祖母の(聖書を読む)声の美しさにはかなわなかった」と、言っています。ファニーは祖母が読む聖書の文章を暗唱していました。
この聖書の言葉の中からファニーの讃美歌が生まれたのでした。

ファ二―は27歳で盲学校の教師として働き始めました。3年後の30歳の時のことです。日曜日いつものように教会に出席していた時、聖歌隊が讃美歌旧138番「ああ主は誰がため世にくだりて」を歌いました。
「ここに、主よ、私自身を捧げます。」という言葉を聞いた時、ファニー自身もイエス様に生涯を捧げる決心をしました。

38歳の時結婚したファニーは、2年後に赤ん坊を生みましたが、赤ん坊は生後間もなく死んでしまいました。彼女はこの悲しみを深く心に留めました。

ファニーは、一生の間に6千以上の讃美歌を作詞したそうです。その多くは、ファニーに新しい曲を聴かせて、歌詞をつけてもらったそうです。
彼女の歌の多くに曲をつけたウイリアム・H・ドーンが、あるときファニーの家を訪れました。

「汽車の出発までに40分しかありませんが、この曲に歌詞をつけてください」とメロデイーを口ずさみました。これを聞いたファニーは「ああそれは、イエスの御腕に、という歌になりますよ」と答えて部屋に入り祈りをささげると、30分で書き上げてウイリアムに渡したそうです。彼女の多くの歌がそうであるように、世界中の人々に愛され歌われる賛美歌の一つになりました。
ファニー・クロスビーが書いた詩のひとつを紹介します。


何と私は幸せなのでしょうか! 私は眼は見えないのですが、ひとつの決意に支えられています。この運命に満足して生きようという決意に。
何と多くの祝福を受けていることでしょうか! 他の人々が知らない 失明という恵みを嘆き悲しんで生きることは、私にはできませんし、したくもありません。


目が見えないというハンディを持っているにもかかわらず、それがマイナスにはなっていないことに驚きをおぼえます。マイナスどころかプラスになり、「失明という恵み」として受け入れているのです。

医療ミスを犯した医師をわざわざさがして感謝の言葉を伝えるとは……このような人がいるなんて、びっくりですよね。心から感謝していたのでそのような行動をとったのでしょうね。



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規範なき社会にあって

2016-06-01 16:07:39 | CS(子供伝道)
日曜日の午後に教会で教育講演会が開かれました。講演を聞いての感想や考えさせられたことを書かせていただきますね。

教育講演会では、小児科医の田澤雄作氏とキリスト教愛真高等学校の先生、来栖達郎氏のお話を聞きました。田澤氏は9年前にも来てくださいました。

近頃テレビやビデオ、テレビゲーム漬けになっている子どもが多く、その子どもたちが体の不調を訴えてくるケースが増えているそうです。
1日4時間もゲームをして、慢性疲労になっている子がいましたが、ゲームを1週間やめただけで、すっかり良くなったそうです。

また、テレビやビデオをつけっぱなしにして子どもに見せていると、子どもは考えることをしなくなってしまいます。テレビを見たり、ゲームをしているときは、前頭葉がほとんど働いていないそうです。

また、母親がスマホに夢中になり、授乳しているときも赤ちゃんの顔を見ずにスマホを見ていると、赤ちゃんは情緒不安定になります。
赤ちゃんはお母さんと目を合わせて安心するのに、目が合わないのですから不安になるのは当たり前ですね。
言葉は、テレビやビデオで覚えるだろうと思う人がいます、テレビやビデオは一方的にしゃべっているだけで、子どもが何か言っても応答してくれません。

言葉は周りの人とのコミュニケーションによって、覚えていくのです。

日本は、自尊心の低い子どもが多いそうです。幼児期に母親と目を合わせなかったり、家族での会話が少なかったりすると、自尊心が低くなり、『生まれてこなければよかった』と思ってしまうことがあります。

行き過ぎた進学競争に巻き込まれて、自分を見失ってしまう子どもたち。いい大学に入れば幸せになると思っている小学生は79%もいると聞いて驚きました。これは親の価値観を子どもに植え付けた結果だと思います。

ちかごろ、スマホの普及率が高く、世の中は万人がスマホを持っていると想定して新しいことを始めてきます。
わたしはガラケーを持ち続けていますが、都内に出かけたときなど、電車が遅れたとき調べるのにスマホがあればいいなあと思うこともあります。
便利な世の中になってしまって、スマホや携帯、テレビやビデオのない時代に後戻りができません。メディアにさらされて育つ子どもたちが可愛そうです。

電車に乗っていると、ほとんどの人がスマホを見ているかノートパソコンを膝の上に乗せキーボードをたたいています。ペーパーの本を読んでいる人はひと車両にひとりぐらいしかいません。
スマホが悪いとは言いませんが、膨大な時間をスマホに費やすのはどうかと思います。依存症になっていて、やめたくてもやめられない人もいるそうです。

人の顔すら見ないで必死にスマホの画面をみている人たちを観察していると、異様な風景の中にいるようでぞっとします。

実際に人と会って目と目を合わせて会話しないと、人の心を想像することができないのではないでしょうか。
自分勝手な思い込みで好きな相手を殺してしまうような事件が起きたのは、メディアのもたらした害だと思います。

それでは、どうしたらいいのでしょう。依存症にまでなってしまった子どもたちからゲームやスマホを取り上げるだけで解決することではありません。

ゲームやスマホよりもっと魅力的なことを実生活で体験させたり、本を読むことの楽しさを教えられたらいいですね。

また、聖書を読み、神様がわたしたちにどのように生きていけばよいのか知ることも大切です。
聖書のテモテの手紙2には「そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。(1:14)」と書かれています。

神様からゆだねられたというのは、神様がまかせてくださったという意味です。神様が喜ばれるような使い方をしたいですね。

規範なき時代にあって、良いことと悪いことの判断さえつかなくなっている社会の中に生きている子どもたちです。聖書から正しい規範を学んでほしいと思いました。




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ピクニック

2016-04-12 16:42:18 | CS(子供伝道)
土曜日は子ども家庭集会のピクニックでつくば市の公園へいってきました。
その公園は広く、色んなエリアがありました。木登りのできる林などもあり、一日いっぱい楽しめるところです。

行く前に教会で礼拝をしました。その礼拝で先日書いた「いつくしみふかき」を作詞した
ジョゼフ・スクラィヴェンのことをお話ししました。

「いつくしみふかき」の日本語の歌詞の意味を書きましたが、英語の歌詞については触れていませんでした。英語の歌詞と日本語の歌詞はずいぶん違っていて、英語の歌詞のほうがずっと感動的であることを、お話を聞いた子どものお父さんから教えていただきました。

今回のピクニックに孫のヒックンが参加しました。家が自然の森の近くだというので、ママに公園まで連れてきてもらったのです。ちょうどその日は、いつも参加している男の子たちがお休みで、女の子ばかりの参加でしたが、恥ずかしがりもせず、カエルをつかまえたり、フィールドアスレチックで遊んだりして楽しんでいました。





ソメイヨシノは散りかけていましたが、八重桜が満開でした。しだれ桜も咲き始めていました。

ヒックンは、土曜日の夜、家に泊まったので、翌日は教会学校に連れて行きました。往復一緒に教会まで歩いて行きましたが、わたしより足が速いので、20分の道のりが苦になりませんでした。2年ぐらい前までは、わたしがひとりでヒックンを教会へ連れて行くときは、タクシーを使っていたのです。成長したなあと思いました。



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