1か月以上もご無沙汰してしまいました。ブログが更新されていないので、心配してくださった方もおり、感謝しています。
10月1日に母が亡くなりました。妹が海外出張中だったので、先に火葬をして、妹の帰国を待ちました。そして、21日に教会で葬儀が執り行われました。
以下は、教会の月報に書かせていただいた文章に少し付け加えたものです。
葬儀の花は妹が生けました。
母の受洗と召天
母は自分の力で道を切り開いていくタイプでした。あいまいなことが嫌いで、はっきり自分の意思を示す人でした。
わたしが、聖書の話をしようとすると、
「神様なんかいない。わたしは自分を信じる」
と言って耳を傾けないばかりか、食前の祈りをすると、わざと食器をカチャカチャさせ、先に食べ始めていました。
そんな母の態度が少しずつ変わり始めたのは9年前、父が召され一人暮らしをするようになってからです。
母は、口には出しませんでしたが、老後の不安は抱いていたようです。
父の死から2年後に土浦の老人ホーム見学に行きたいと言って、我が家から近いホームを2か所見学しました。でも、そのときは入所する気持ちはありませんでした。
わたしは実家に帰った折、声に出して食前の祈りをし続けていました。そのうち母も手を合わせるようになり。やがては、アーメンと言うようになりました。あかし文章やキリスト関連の本を持って行っては「読んでね」と実家に置いて行きました。
「重大な発表があります。わたし、胃癌になりました」という電話がかかってきたのは、昨年の9月でした。
驚いて駆け付けると、「病名がわかってよかった」とさわやかな顔をしていました。
手術がすんだとき「ずっとイエス様に祈っていたの。ほとんどイエス様を信じているけど、まだ洗礼は受けない。苦しい時の神頼みになるから」と言いました。
すでに母の心はイエス様に捕えられていたのです。
退院後元気になり、翌年の春に老人ホームに入ることを決心しました。60年も住んでいた家を処分することになり、片付けが始まりました。母は疲れが出たのか引っ越しの翌日に高熱を出してしまいました。病院へ行くと、胃癌ではなく肝膿瘍という病気で入院することになりました。
いのちが危なかったと主治医から聞かされ、ました。あのとき召されていたら、遺された家族の心は深く傷ついていたでしょう。
熱が下がったとき、母は「洗礼を受けたい」と言って、5月10日に病床洗礼を受けました。
2か月の入院でしたが、癒されてホームにもどることができました。それから3か月、2回も温泉旅行に行けました。
召される3週間ほど前から末期癌の症状が出てきました。足がむくみ、自分で寝返りさえも打てなくなり、呼吸が荒くなってきました。喘息で呼吸困難の壮絶な苦しみを知っているわたしは、見ているのが辛かったです。
それでも最後まで食事をとっていました。召される日の夜も夕飯を食べさせました。おかゆに海苔の佃煮がついていたので喜んでいました。ほんの少ししか食べませんでしたが、「夜中におなかすいたら、プリンを食べるの」と言っていました。
22時少し前、ホームから電話があり、駆け付けた時は呼吸が止まっていました。母はほっとしたような穏やかな顔をしていました。
イエス様が迎えに来てくださったのです。
今は新しい身体をいただいて、天国の花園を駆けまわっていることでしょう。
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10月1日に母が亡くなりました。妹が海外出張中だったので、先に火葬をして、妹の帰国を待ちました。そして、21日に教会で葬儀が執り行われました。
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葬儀の花は妹が生けました。
母の受洗と召天
母は自分の力で道を切り開いていくタイプでした。あいまいなことが嫌いで、はっきり自分の意思を示す人でした。
わたしが、聖書の話をしようとすると、
「神様なんかいない。わたしは自分を信じる」
と言って耳を傾けないばかりか、食前の祈りをすると、わざと食器をカチャカチャさせ、先に食べ始めていました。
そんな母の態度が少しずつ変わり始めたのは9年前、父が召され一人暮らしをするようになってからです。
母は、口には出しませんでしたが、老後の不安は抱いていたようです。
父の死から2年後に土浦の老人ホーム見学に行きたいと言って、我が家から近いホームを2か所見学しました。でも、そのときは入所する気持ちはありませんでした。
わたしは実家に帰った折、声に出して食前の祈りをし続けていました。そのうち母も手を合わせるようになり。やがては、アーメンと言うようになりました。あかし文章やキリスト関連の本を持って行っては「読んでね」と実家に置いて行きました。
「重大な発表があります。わたし、胃癌になりました」という電話がかかってきたのは、昨年の9月でした。
驚いて駆け付けると、「病名がわかってよかった」とさわやかな顔をしていました。
手術がすんだとき「ずっとイエス様に祈っていたの。ほとんどイエス様を信じているけど、まだ洗礼は受けない。苦しい時の神頼みになるから」と言いました。
すでに母の心はイエス様に捕えられていたのです。
退院後元気になり、翌年の春に老人ホームに入ることを決心しました。60年も住んでいた家を処分することになり、片付けが始まりました。母は疲れが出たのか引っ越しの翌日に高熱を出してしまいました。病院へ行くと、胃癌ではなく肝膿瘍という病気で入院することになりました。
いのちが危なかったと主治医から聞かされ、ました。あのとき召されていたら、遺された家族の心は深く傷ついていたでしょう。
熱が下がったとき、母は「洗礼を受けたい」と言って、5月10日に病床洗礼を受けました。
2か月の入院でしたが、癒されてホームにもどることができました。それから3か月、2回も温泉旅行に行けました。
召される3週間ほど前から末期癌の症状が出てきました。足がむくみ、自分で寝返りさえも打てなくなり、呼吸が荒くなってきました。喘息で呼吸困難の壮絶な苦しみを知っているわたしは、見ているのが辛かったです。
それでも最後まで食事をとっていました。召される日の夜も夕飯を食べさせました。おかゆに海苔の佃煮がついていたので喜んでいました。ほんの少ししか食べませんでしたが、「夜中におなかすいたら、プリンを食べるの」と言っていました。
22時少し前、ホームから電話があり、駆け付けた時は呼吸が止まっていました。母はほっとしたような穏やかな顔をしていました。
イエス様が迎えに来てくださったのです。
今は新しい身体をいただいて、天国の花園を駆けまわっていることでしょう。
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