生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

色をなくしたインコ(その3)

2011-05-30 19:59:37 | 童話
今回は最終回です。

(七)
「もうそろそろいいだろう」
ノアがやってきて、天井の窓を少し開くと、サーッと光がさしこんできました。久しぶりの日の光に、一同はまぶしくて一瞬何もみえませんでした。

しばらくしてみえてきたとき、レアが「ククククー」とおどろきの声を上げました。
自分にはちゃんと色があるのにヨエルが灰色一色になっていたからです。
「ヨエル……ああ、なんていうこと……」
レアはショックでふるえています。

「ポポが元気になるんだったら、これでいい」
ヨエルは神さまが祈りをきいてくださったのだと思いました。

それでもヨエルは美しい色がなくなってしまったことがショックでした。じまんできるものが何もなくなってしまったのです。ノアはもう自分のことをかわいがってくれないでしょう。

悲しくて、悲しくて歌もうたわず、おしゃべりもせず、うつらうつら寝てばかりいました。
ヨエルは、ノアが最初にカラスを連れて部屋を出て行き、次にポポの奥さんのルルを連れて部屋を出たことに気づきませんでした。

(八)
ルルがもどってきたときから、ポポは食事をするようになりました。
ノアは、水がどれくらいひいているのか調べるのにハトを使ったのです。一週間後に今度はポポを外に放つとノアが言いました。それを聞いたポポは、灰色の鳥でも人間の役に立てることを知って嬉しくなり、えさを食べはじめたのです。

ノアが、すっかり元気になったポポを連れて部屋を出ていったときも、ヨエルは気づきませんでした。
「ポッポッポッ、みんな、聞いて! 嬉しい知らせだよ」
ポポがノアのかたにとまって部屋に入ってきました。ノアの手にはつややかな緑のオリーブの葉がありました。

「ポポがこれをくわえてきた。外は大洪水だったが、このオリーブの葉は水がひいてきた証拠じゃ」
「もうすぐ舟から出られるの?」
レアがたずねました。
「そうじゃよ」
「また、大空をとべるんだな」
ダイゴがはねを広げました。

「やったー!チチチ」
「バンザーイ、チュンチュン」
鳥たちは大喜びです。
元気なポポの姿をみてヨエルはほっとしました。けれども、舟から出られると聞いてもちっとも嬉しくありません。

ノアは、浮かない顔をしてそっぽを向いているヨエルに気づきました。ノアは灰色になったヨエルをみておどろきもせず、ヨエルの頭をなでました。
「おれのはね、きれいな色じゃなくなっちゃったよ」
「ちっともかまやしない。お前は大事な鳥だ。わしはお前のことが大好きじゃ」
ノアはヨエルの灰色のはねにほおずりしました。

(九)
ついに箱舟から出る日がきました。窓が大きく開かれ、いっせいに鳥たちがとび出しました。ヨエルは、灰色のはねでも大好きといってくれたノアの言葉で元気を取りもどしていました。
ヨエルはレアと連れだって大空をとびまわりました。ヨエルとレアが木の枝ではねを休めると、ポポとルルがすぐ隣の枝にとまりました。
「ポポ、ごめんな。おれが悪かったよ」
「ヨエル、ごめん。ぼくこそ悪かった」
二羽はお互いに心からあやまりました。

空に七色の線がすうーっと引かれ、虹が出ました。ヨエルは虹に向かって飛びたちました。
ヨエルの体が虹の中にすっぽり入りました。虹から出たとき、レアは驚いて目を丸くしました。ヨエルのはねが虹色に染まっていたからです。

ヨエルのはねは以前より美しくなりました。でも、ヨエルは決してだれにもじまんしませんでした。だって、はねの色は自分がつけたのではなく、染めてもらったものだからです。

ポポとルルにも虹の光が注がれました。ハトの首に虹色の首輪がみえるのは、このとき虹の光を浴びたからでした。

                    おわり



最後まで読んでくださってありがとうございました。


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色をなくしたインコ(その2)

2011-05-29 16:33:06 | 童話
昨日はJCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)の例会に出席し、たくさんの恵みをいただきました。今日の日曜礼拝にも祝福がありました。
昨日と今日のことは後日書かせていただきます。まずは、先日の童話の続きを……。


(四)
 ノアが部屋を出ていってまもなくザーザーと雨音が聞こえてきました。雨音はバラバラとたくさんの小石がぶつかっているように激しくなりました。音は何日も何日も続きました。
 やがて舟がゆっくり傾き、シーソーのようにゆれました。相変わらず部屋は灰色の世界です。
ヨエルはじまんのつばさを広げてみますが、どんなに目をこらしても灰色にしかみえません。ヨエルはだんだん不安になってきました。

「どうかしたの? おまえさん」
 元気のないヨエルのことをレアが心配してたずねます。
「おれさまのはねは、灰色になってしまったんだろうか……」
ヨエルはくちばしで胸のはねをつつきました。
「クックックッ……」

レアは大笑いしたいのをこらえて、
「暗いからそうみえるだけよ。わたしのはねだって灰色にみえるでしょ。雨がやんで窓があいたら、きれいな色がみえるわよ」
「そうかなあ……だと、いいんだけど……」
レアの言葉にヨエルは少し安心しました。

(五)
雨音は今日も続いています。舟はゆれるたびにギシギシ音をたてます。外はどうなっているのでしょう。
このまま薄暗い部屋に閉じ込められたままなのでしょうか。最近では、鳥たちはおしゃべりする元気もなくなっていました。

「ああ……この世界の色が全部なくなっちゃったみたいだ」
ヨエルがため息をつきました。
「神さまが色を滅ぼしてしまったのかもしれないな」
ダイゴがいうと、ポポがグルルーグルルーとのどを鳴らしました。
「色が滅びるなんて、そんなこと、あってたまるか!」
ヨエルは壁にくちばしをつきたてました。

「色が滅びたら、みんながぼくたちみたいに灰色の鳥になるんだな」
ポポが明るい声でいうと、ヨエルの首のあたりの毛が逆立ちました。
「そんな! ポポみたいにきたならしい灰色になったらおしまいだ」
ヨエルは叫びました。

「おしまいって、どういうこと?」
ポポが首をかしげました。
「灰色の鳥なんて、何の価値もありゃしない。灰色になるぐらいなら死んだ方がましってことさ」
「何の価値もない……死んだ方がまし……」

ポポはポツリというと、がっくり頭をたれて黙りこんでしまいました。
「ヨエル、いいすぎよ! ポポ、傷ついちゃったわよ」
レアがたしなめました。ヨエルははっとしました。ひどいことをいってしまったと心がズキズキ痛みました。じまんのきれいなはねの色がみえないのでイライラしていました。そのイライラをポポにぶつけてしまったのです。
(ぼくは、なんていやな鳥なんだろう……)ヨエルは落ちこみました。

(六)
いつしか雨音が聞こえなくなり、静けさがもどってきました。
「雨がやんだんだ。もうすぐ外に出られるぞ!」
ダイゴが叫ぶと、

「やったー、チュンチュン」
「やったー、ピチピチ」
しばらくうたうことを忘れていた鳥たちが、いっせいにうたいだしました。インコとハト以外は、どの鳥もうれしそうにさえずっています。

インコ夫婦は右端の止まり木でじっとうつむき、ハト夫婦は左端の止まり木にとまって、やはりうつむいています。

 ポポの奥さんのルルが何かを決心したようにヨエルのところにとんできました。
「どうしてくれるの。うちのだんなさんは、ヨエルの言葉に傷ついて、三日もえさを食べてないのよ。このままだと死んでしまうわ。わたし、まだ卵も産んでないのに……死ぬってことは、ハトがこの世界からいなくなるってことなのよ」

「ごめん。おれ、本当に悪かったと思っている。ポポにあやまるよ」
ヨエルがポポの方へいこうとすると、ポポが頭を横にふって、
「こないでくれ。かえって具合が悪くなる」
と弱々しい声でいいました。

ポポの奥さんはヨエルをにらみつけてもどっていきました。
「どうしよう。おれのせいで……」
ヨエルは心から悪かったと思いました。
でも、口から出してしまった言葉をもとにもどすことはできません。あやまってもゆるされないならどうしたらいいのでしょう……。

「おれはポポの心を傷つけてしまいました。どうかポポを元気にして下さい。ポポの命を助けて下さい。おれのはねが灰色になってもかまいませんから」
ヨエルは祈りました。

                      つづく



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色をなくしたインコ(その1)

2011-05-26 20:02:56 | 童話
久々に創作童話を掲載します。
昨年日本クリスチャン・ペンクラブで発行した「花鳥風月」に掲載された童話です。ノアの箱舟の動物シリーズで書いています。

 
色をなくしたインコ
 
                           

(一)
今から五千年ほど前、ノアは箱舟を作り、すべての種類の動物をひとつがいずつ乗せました。
ライオン、象、チータなどの大きな動物。リスやウサギ、犬やネコ。ヘビやカエル、虫や鳥を種類ごとに部屋に入れました。

箱舟の中でいちばんやかましい場所は屋根裏部屋です。そこは鳥たちの部屋でした。
チュンチュン、ピピピ、チチチ……と、鳥たちは歌をうたったり、おしゃべりしたりしています。
オオワシのダイゴがはねをバサバサゆすると風が起こり、ハチドリが風にあおられてひっくり返りました。

インコのヨエルは、部屋のまん中の横木にとまって、ツンとすましています。ヨエルのつばさは目のさめるようなコバルトブルー。背と腹は黄色。頭から胸にかけて赤いもようがあります。
天井の小さな窓から夕日が差しこみ、ヨエルのはねはいっそうあざやかにみえました。

「おれさまほどきれいなはねの鳥はいないぞ」
ヨエルはじまんげに胸を突き出しました。
「ホントにきれい。あなたは、ひときわ目立っているわ」
奥さんのレアがうっとりとした目でヨエルをみつめました。

(二)
とびらが開いて、ノアが桶いっぱいのトウモロコシと水を持ってやってきました。

「わーい、ごちそうだ!」
 みんないっせいに桶のところにとんできて、争いながらそのふちにとまりました。

「おい、そこをどけ、おれさまが食べられないじゃないか」
ヨエルがハトのポポを追いやりました。
「みんな、どいてよ。わたしたち小さな鳥が先よ」
ハチドリがキーキー声を上げました。

「争ってはいけないよ。食べ物はじゅうぶんあるのだから。仲良くお食べ」
 ノアはおだやかな声でいうと、部屋を出ていきました。

「いちばん偉い鳥から食べることにしないか」
ヨエルがみんなを見回していいました。
「いちばん偉い鳥ってだれだい?」
ポポが頭をくるりと回しました。
「そりゃ人間に喜ばれる鳥だよ」
「どんな鳥が人間に喜ばれるんだい?」
「はねが美しい鳥に決まってるじゃないか」
ヨエルは黄色いくちばしで自分の胸をつつきました。

「おい、ヨエル。お前は美しいものが偉いって思っているんじゃないか?」
ダイゴが口をはさみました。
「当然だよ。美しい鳥は、人間の目を楽しませ、喜ばせる。だからいちばん偉いのさ」
ヨエルはコバルトブルーのつばさを広げました。
「きれいなはねなんて、何の価値もありゃしない」
ポポがヨエルの頭をチョンとつつきました。

「ポポ。お前、おれさまのはねがあんまりきれいだから、うらやましいんだろう」
「うらやましいなんて思うもんか」
ポポは本気で腹を立てるとヨエルに向かってきました。
「やめろー!」
ダイゴが大声で叫ぶと、ポポは床に降り、ヨエルは天井までとんでいきました。

あたりはシーンと静まりかえりました。
ダイゴはゆっくりと桶の上に降り、中味をくちばしでつつきました。トウモロコシはパラパラと床にとび散りました。
「こうすればいいだろ」
小さい鳥たちはとび散ったのを食べ、大きな鳥たちは桶から食べ、争うことなくみんながおなかいっぱいになりました。
                          
(三)
翌朝、ノアがやってきました。
「これから雨がふってくる。雨は何日も続くよ」
ノアは長い棒を使って、天井の窓をぴたりと閉じました。
鳥の部屋は暗くなり、何もみえなくなりました。しばらくすると目が慣れて少しだけみえてきましたが、全体が灰色にぬりつぶされたようです。
「何日もって、どれくらいですか?」
ヨエルがたずねました。
「わしにもわからん。雨がやんでも地がかわくまでは外に出られないのだよ」
ノアはあごひげをつまみました。
「えーっ、こんな薄暗いところにずっといないといけないんですか?」
「ほかの動物たちもみんなしんぼうしている。外へとび出そうなどと考えてはいけないよ。この舟の中だけが安全なのだから」

                   つづく



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わらべ歌のすばらしさ

2011-05-24 11:52:39 | CS(子供伝道)
日曜日の午後は、教会学校の教師研修会でした。今回は近藤信子先生によるわらべうたの研修会なのでとても楽しみにしていました。

近藤先生は、NHKの「にほんごであそぼ」のわらべうたの指導をしておられ、つくば市で『とんとんやかた』というわらべ歌を基礎とした音楽教室を開いておられます。

日曜は同じ教会の礼拝に集っているのに今まで個人的にお話ししたことがありませんでした。今回、わらべ歌の素晴らしさを教えていただき、個人的にお話もできて、とても嬉しかったです。


まず、近藤先生の指導でわらべ歌の実践をしました。

いちにっさん にのしのご さんいちにのしの にのしのご……

と歌いながら指を出していくという単純な動作ですが、親指がいちになったり、小指がいちになったりと変化し、両手同時に出したりで、途中からついていけなくなりました。

最初緊張していましたが、やがて楽しくてたまらなくなりました。わらべ歌の持つリズムは、日本古来からあるので、なじみやすいですよね。

『あずきちょまめちょ』では、鬼につかまえられるかもしれないというスリルを味わい、
『かわのきしのみずぐるま』では、ルールを守って遊ぶことの大切さを学びました。

ふたりが向かい合ってすわり、「ここはとうちゃんにんどころ ここはかあちゃんにんどころ ここはじいじにんどころ ここはばあばにんどころ」(にんどころというのは似ているところという意味)
と言いながら相手のおでこ、あご、左右のほっぺたをつつき、顔をなでて最後に「○○ちゃん大好き」と抱きしめるわらべ歌には心がホカホカ温かくなりました。


触れ合うことによって、愛されていること、自分の存在の大切さがわかります。
鬼になって孤独を味わうことも大切で、ひとりで心細くてもあえて先生は付き添わないほうがいいのです。ひとりになっても、そのあとすぐに仲間になれるという安心感をもって孤独を体験させることも必要です。
また、好き嫌いに関係なく、遊びの中でいろいろな人と手をつなぐことによって嫌いな人を受け入れるようになります。
と教えていただきました。

わらべ歌遊びをすることによって社会性も身につくのですね。わらべ歌ってすばらしい!と思いました。そういえばわたしも小学校低学年のとき、『花いちもんめ』や『ひらいたひらいた』などやって遊んでいました。


ところで、わらべ歌の歌詞の中には日本の神話に出てくる神や坊さんが出てきます。クリスチャンである近藤先生は、最初は悩まれたそうです。
でも、それらの上にまことの神がおられるのだから気にしないで取り入れているとおっしゃっていました。お坊さんがいなければ、日本の文化はここまで発展しなかったのでしょうから。


研修会には約20人(10代から60代の男女)の教会学校教師が参加しました。腰の痛い方は一部見学していましたが、わたしは年甲斐もなく(若ぶって?)全部参加。

『芋虫ごろごろ』などハードなものもあったので、翌日は疲れと筋肉痛と腰痛で、半日寝ていました。

わらべ歌の研修会のあと教師会だったので、家に帰ったのは6時を過ぎていました。3時ごろ豪雨に見舞われましたが、帰りが遅い時間だったおかげで雨はやんでいて感謝でした。


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預けられたもの

2011-05-21 11:06:00 | お茶の水聖書学院
OBI(お茶の水聖書学院)で奉仕について学んでいます。
奉仕といえば、一般の人はボランティア活動を思い浮かべるでしょう。

わたしは、教会生活の中での奉仕を思い浮かべていました。そうではなくて、奉仕の範囲は日常生活全般にわたっていることに気づかされました。

奉仕(stewardship)とは、神が与えて下さった物を管理して行うことなのだそうです。

『奉仕は、私たちに内在する神様ご自身のご性質の表現である』
『自分に与えられた物で何ひとつ神様に与えられていない物はない』
と教えていただきました。

イエス様が語られたとえの中で、タラントのたとえがあります。
主人が、しもべにそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅に出ました。5タラント預かった人は、それで商売をしてさらに5タラントもうけました。2タラント預かった人も2タラントもうけました。

ところが1タラント預かった人は土を掘ってお金を隠しました。
帰って来た主人は、しもべたちからそれぞれ報告を受けて、5タラントのしもべと2タラントのしもべには「よくやった。良い忠実なしもべだ・・・・」と褒めます。

ところが、1タラントのしもべには、1タラントを用いないで隠しておいたことをしかり、取り上げてしまいました。(マタイ25:14-29)

わたしは最初この箇所を読んだ時、1タラントのしもべは、お金をなくしたわけではないのにどうしてしかられたのかわかりませんでした。また、3人とも同じ額を預けなかったのはなぜだろうとも思いました。1タラントしか預けられなかったしもべは、ほかの二人より額が少ないからすねていたのでしょうか……。

でも、1タラントというのは当時の約6000日分の賃金だそうです。一日の賃金を一万円と考えると6千万円にもなります。額の大きさに驚きました。
6千万円も預けられて、少ないなんて言えないですね。

わたしたちは神様からタラント(才能)を預けられているのです。神様は、それをご自身の栄光のために用いてほしいと願って託されたのです。少ししかタラントがないから何もできないなんて言えないですね。

わたしに今与えられているお金や時間や健康。これらも神様から預けられたものですから無駄にできないなあと思いました。


一昨日、久々にわたしのHP生かされて…土筆文香(詩の部屋)を更新しました。ごらんください。



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阪田寛夫さんのこと

2011-05-18 16:58:09 | その他
昨日の朝日新聞に童謡「サッちゃん」の作詞者阪田寛夫さんの全詩集刊行の記事が載っていました。
詩集には阪田さんの書かれた1087篇の詩が掲載されているそうです。その中の一編が紹介されていました。



木の葉聖書

神さん
なんでおれひとり
いじめられてばっかり
おらんならんのか
と、悲しむ者は
しあわせや
木の葉が一枚
おまえの肩にとまっても
泣くほどうれしく
なるやろが
ほんまにわしは
きみらに告げる
わし一枚が
風に吹かれて落ちるのも
じぶんかってに
ひらひらするのやないわいな
とこ
とんやれな


この詩を読んで聖書マタイ5章3-4を思い出しました。
イエス・キリストの言葉で、山上の垂訓といわれている箇所です。


心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるから。


心が貧しいというのは、自分の中に自慢できるものが何もないと思っている人のことです。
悲しんでいる人というのは、自分の罪に気づいて悲しんでいる人のことです。
どうしてそのような人たちが幸いなのでしょうか……。

『木の葉が一枚、おまえの肩にとまっても泣くほどうれしくなるやろが』とあるように、心の貧しい人、悲しんでいる人は、ほんのちょっといいことがあったり、誰かの温かさに触れたりしたとき、とても嬉しく感じるのです。

わたしはいつも悲んでいる子どもだったので、よくわかります。学校でいじめられ、さんざんな目にあって涙をこらえながらの帰り道、友人がポンと肩に手を触れてくれただけで嬉しくて涙が出てしまうのでした。

さらに阪田さんの詩には、木の葉がいちまいひらひらするのも、自分勝手にしているのではないと書かれています。木の葉いちまいの動きにも神様の意志が働いていて、悲しんでいる子の肩の上に落としてくれたという意味ではないかと思いました。

阪田寛夫さんはどういう方だったのでしょう。それは最近出版された「歌人たちの遺産」(文芸社)池田勇人著に書かれていました。

14歳のときキリスト教の洗礼を受けたそうです。
父親は新聞インク製造業をしつつ教会幼稚園の園長をされていました。家は熱心なクリスチャンホームで音楽にあふれていました。母はオルガニスト・作曲家である大中寅二の姉だそうです。

「サッちゃん」のほか「マーチング・マーチ」「歌えバンバン」「やきいもグーチ―パー」「ねこふんじゃった」など多数作詞されています
童謡だけでなく、小説「土の器」では芥川賞受賞されています。

2005年に召されていますが、2002年のクリスチャン・ペンクラブの50周年記念会に来て下さるかもしれなかったと伺って、お会いしたかったなあ……と残念に思いました。



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祝福された親子礼拝

2011-05-16 16:49:14 | CS(子供伝道)

昨日は年に一度の親子礼拝でした。いつもの教会学校は教育館で1.2歳クラス、幼稚科、小学科低学年、高学年に分かれてそれぞれ礼拝を捧げていますが、親子礼拝では1.2歳クラスから小学6年生までの子どもと親が共に礼拝堂で礼拝を捧げます。
礼拝堂は満席だったので、親子合わせて300人以上いたと思います。

「主われを愛す」「つながれイエスさま」
礼拝堂いっぱいに賛美の声が響きました。
わたしは受付だったので親子礼拝のメッセージをじっくり聞くことができませんでした。

親子礼拝の前に行われた第Ⅰ礼拝のメッセージの一部を紹介します。

旧約聖書の申命記はモーセの遺言のようなものです。書かれた目的は、出エジプトのとき起きた奇跡(10の災いや紅海がふたつに分かれることなど)を見ていない第二世代の民たちに主なる神のなさった業を伝えることです。

モーセはメッセージの途中で祝福の祈りをしています。

「―どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そして、あなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるようにー(申命記1:11)」


イスラエルの民にとって最大の祝福は、子どもがたくさん与えられることです。これからイスラエルの国を建国していこうというときに民の強さではなく、健康でもなく、イスラエルに子どもが増えることをモーセは祈っています。

なせそう祈ったか……モーセは祝福の原点を知っていたからです。
創世記1:28には
「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」」
と書かれています。

子どもたちが祝福の原点です。
それなのに自分の都合で子どもたちに接していませんか? 合理性と利便性を追求するあまり、子どもを優先しない社会を作っていませんか?

マルコ10章には、イエス様のもとに来る子どもたちを弟子たちがしかったことが書かれています。イエス様は憤って言われました。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。(マルコ10:14)」


子どもたちの存在そのものが神の祝福です。

それなのに、勉強がもっとできるようにとか、スポーツができるようになどプラスαを求めて喜びにしようとしていませんか?

子どもの存在そのものが祝福であることを多くの人は知りません。イエス・キリストを知らないとわからないことです。
モーセはこれから国家を建て上げていく第二世代に人たちに神の祝福の原点を語り、これを忘れてはならないと言ったのです。



子どもの存在そのものが祝福であることを知っていたのに、わたしは子どもにプラスαを求めていたことを思い出しました。「○○ちゃん大好き。ピアノの練習をしたら、もっと好き」などと言っていたような気がします。無条件で好きとなぜ言えなかったのでしょうか……。
わたしも幼いころ「いうことをきく子が好き」と母に言われて育ちました。母に嫌われることを恐れて逆らうことができなかったのでした。



親子礼拝の後、教会のグラウンドで親子運動会が行われました。チームに分かれて障害物競走、くるくるリレー(おでこを棒につけ、5回くるくる回ってから走る)、綱引きなどで大いに盛り上がりました。

親子運動会の最中に、雨が降ったわけでもないのに虹が出ていました。(写真)アーチ型ではなく、まっすぐな虹でした。
ノアの洪水のあと、神様は虹を立てて言われたことが創世記に書かれています。

「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。(創世記9:13)」


契約というのは、今後大洪水で地を滅ぼすようなことはしない。という神様の約束です。
このときも神様は「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と言っておられます。

礼拝メッセージにつながっているではありませんか!
神様は、こんなにたくさんの子どもたちと大人が共に礼拝を捧げ、神様をほめたたえたことをとても喜んで下さっている。それで教会の真上に虹を立ててくださったのではないかと思いました。



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おしゃべりなヒックン

2011-05-14 17:07:40 | 日記

4歳1か月のヒックンが水疱瘡になったので月曜、火曜の2日間預かりました。そのときはすでに熱が下がり、発疹の痒みもおさまっていました。月曜日は主人が家にいたのでヒックンはおもにおじいちゃんに遊んでもらいました。

写真は主人手作りの高速道路です。
2台の車を競争させられるので、電池で動く道路よりおもしろいようです。

火曜日はわたしひとりしか面倒を見る人がいませんでした。ヒックンを小児科に連れて行くという役目があったので、わたしは緊張していました。

子どもたちが小さいときは自転車の前と後ろに乗せてどこへでも出かけていましたが、ヒックンを自転車に乗せるのはためらわれ、タクシーで行くことにしました。

ヒックンは、どこへ行くにもパパかママの車で出かけるので、タクシーに乗ると言ったら大喜びです。タクシーの中から見える車の車種を次々と言うので、タクシーの運転手さんが感心していました。

わたしは車は色の違いしかわからないのに、どうして見分けるのかと思ったら、タイヤとマークを見るのだそうです。

「あれは、デミオ。○○ちゃんのお母さんの車」「あっ、プリウス。ママの車といっちょ(一緒)だ!」「カローラは○○先生の車」と、保育園の友達や先生の車まで覚えています。

タクシーは間もなく病院前で止まりました。ビルの3階なので、どこから入ったらよいかわからなく、うろうろしていると、「こっち、こっち」と数日前にも行ってよく知っているヒックンに教えてもらいました。
診察室で椅子に座る時は不安そうにしていましたが、「よくなっています。明日から保育園に行っていいですよ」と先生に言われ、ようやくニッコリしました。

病院のすぐ前にバス停があったので、帰りはバスに乗って帰りました。ヒックンにとってバスに乗るのは生まれてから数回目です。停留所近くになったときチャイムを押して大喜びしました。水疱瘡が治ったことと無事に病院へいってくることができたことに感謝しました。

「保育園とゆこちゃん(わたしの呼び名)ちとどっちがいい?」と聞くと、「ゆこちゃんち」と答えたので嬉しくなりました。
でも、明日は保育園へ行ってくれないとゆこちゃんがダウンしちゃうからね。


ヒックンとの会話を紹介します。

リボン柄のついた服を着ていたら、
「こんどヒックンが来るときもこのお洋服着ていてね」

「ママが大好き。だって、ママ可愛いんだもん」
「ゆこちゃんは可愛い?」
「あした、髪の毛切ったら可愛くなるよ」

トミカのDVDを見て・・・・
「トミカの新車発売日は、第三土曜日だよ。あした買ってね」
(第三土曜日の意味はわからずに言っている)

一緒にピアノを弾いていて、ヒックンはあきてやめたのにわたしがいつまでも弾いていると、
「ごはんのしたく、しなくていいの?」

神様によって成長させていただいている孫にいろんなことを教えられています。



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求めなさい。そうすれば・・・

2011-05-12 21:13:15 | 聖書から
今日は家庭集会でした。我が家での家庭集会は奇数月に行っています。前回は3月半ばのはずでしたが、地震で中止になったので今回は久しぶりです。
牧師先生と6人の方が来て下さいました。娘もちょうど仕事が休みだったので参加しました。

今日の聖書の学びは、マルコ10:46~52です。盲人バルテマイがイエス様に癒される箇所です。
教会学校でも何度かお話しし、よく知っている箇所でしたが、初めて気づいたこと、教えられたことがありました。


盲人バルテマイはエリコの町で物乞いをしていましたが、「ダビデの子のイエスさま。わたしをあわれんでください」と叫び始めました。
町の人は彼を黙らせようとたしなめたのですが、バルテマイはますます叫びたてました。

その声を聞かれたイエス様は彼を呼んでくるように言われ、彼はイエス様の前に連れて来られます。イエス様に「わたしに何をしてほしいのか」と聞かれ、バルテマイは「先生、目が見えるようになることです」と答えます。イエス様は「さあ行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言って彼の目を癒されます。

「バルテマイが叫び始めたのはいつからでしょうか?」
 と聞かれて、改めて聖書を読みました。


「彼らはエリコに来た。イエスが弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると・・・・(10:46)」
と書かれています。

イエス様と弟子達はエリコの町を通って出て行くところだったようです。イエス様一行がエリコに入ったとき、バルテマイは「イエス様だ!」という人々の声を聞き、そのときから叫び始めたのではないでしょうか。そして、イエス様がエリコを出るときまでずっと叫び続けていたのではないでしょうか……彼はすごく熱心に求めていたのです。
と牧師先生が言われました。

バルテマイが叫んだとき、町の人々は大勢で彼をたしなめたと書かれていますが、彼をイエス様のもとに連れて行ってくれる友人はいなかったのでしょうか?


バルテマイというのはテマイの息子という意味で彼自身の名ではないそうです。生まれつき盲人だったかどうかわかりませんが、バルテマイは生まれた時から名前すらつけてもらえなかったか、あるいは周りの人から名前すら呼んでもらえない存在だったのかもしれません。

と聞いて、バルテマイはなんて孤独で辛い人生を歩んでいたのだろうと思いました。


バルテマイはイエス様に呼ばれたとき、「上着を脱ぎ捨てて、すぐに立ち上がってイエスの所に来た」のは彼の象徴的行為を表しているそうです。

バルテマイが座り込んでいたのは、試練の中で座り込んでしまうわたしたちの霊的状態をさします。バルテマイが立ちあがったとき、彼の心も立ちあがりました。自分の目を開けてくださるお方に出会ったとき、立ちあがることができたのです。

立ちあがり、目が開かれたバルテマイに対して、イエス様は「さあ行きなさい」と言います。
バルテマイには自由が与えられましたが、彼はイエス様の行かれるところについていきました。イエス様と共に生きる道を選び取ったのです。

イエス様はバルテマイに「わたしに何をしてほしいのか」と聞きます。バルテマイは「先生、目が見えるようになることです」と答えます。食べ物やお金がほしいとか、もっと望みはあったはずですが、目さえ見えるようになれば他のことはなんとかなると思ってそう言ったのでしょう。


イエス様ならきっと治して下さる。治せるのはイエス様だけだと思ったので、イエス様に「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われたのですね。

わたしはかつて喘息がひどかったとき、知り合いの紹介で漢方薬屋さんに連れて行ってもらったことがありました。店の人が「これを飲めば必ず治ります」言ってせんじ薬をすすめました。
ひねくれていたわたしは、そのとき(そんなに簡単に治るわけない)と思ったのです。また、自分が喘息患者であることを認めたくなくて病気から目をそらしていました。ほんとうは心から癒されたいと思っていたのにです。


「求めなさい。そうすれば与えられます(マタイ7:7)」
とあります。

バルテマイのように熱心に求め、イエス様と共に歩いていきたいと思いました。


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必要な食べ物

2011-05-09 07:23:15 | 教会
母の日に花束が届きました。息子夫婦からです。
花に添えられているカードには
「大好きなお母さんへ。優しいお父さんとお母さんに出会えて幸せです。お母さんの日頃の温かい心遣いに感謝をこめて❤」
と書かれていました。ジーンときました。
花をいただくって嬉しいですね。花は人の心を元気にし、和ませ、明るくしてくれます。


昨日は聖餐礼拝でした。聖餐式とはイエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言ったことを記念して、パンとぶどう液を会衆に分けるキリスト教の儀式です。キリストの十字架を思ってパンとぶどう液を戴きます。

今年の聖餐式では、イエス様の役割についてのメッセージが語られています。
今日は『食を備えて下さる羊飼い』についてでした。メッセージの一部を紹介させていただきます。


仏壇や神棚に食べ物を供える人がいますが、天地万物を造られた神様は人に食べ物を供えてもらうようなお方ではありません。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物をお与えになった方だからです。」と聖書(使徒の働き17:24-25)に書かれています。

イエス様が教えてくださった主の祈りに「日ごとの糧を与えて下さい」という一節があります。神様が自然の恵みとして食物を備えて下さるのですから、神様に食べ物を求めることが大切です。

『日ごとの』といっていますから、明日やずっと先の食物を求めるのではなく、一日一日の糧が与えられるように求めるのです。

世界中の食物が公平に分けられていたら、食物がなくて餓死する人はいないのだそうです。
誰かが高級なものを食したり、食べ物を無駄にしているから飢餓が起こるのです。

神様は体に必要な食べ物を与えて下さるだけではなく、魂に必要な糧も与えて下さいます。

イエス様は「わたしがいのちのパンです。(ヨハネ6:35」」とおっしゃっています。
これは、肉体のためのパンではなく、魂のパンのことを示しています。

「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。(ヨハネ6:27)」

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。(ヨハネ6:56-57)」


『パンを食べ、血を飲む』というのは、信仰の言葉で『イエス様に信頼する』ということです。
わたしたちの魂のためにイエス様は命を差し出して下さいました。
「体と魂、両方のために糧を用意すると言ってくださる主に信頼の告白をしましょう」
と牧師先生が言われました。


「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」という聖書の言葉から、教会で行われる聖餐式では人肉を食べ、血を飲んでいると誤解されたことがあったそうです。

わたしの友人は、初めて教会に行ったら、ちょうど聖餐式を行っていたそうです。パンとぶどう液がまわってきたとき、意味がわらないのでやり過ごしたら、「いつか聖餐を受けたいと思いますか?」と問われ、答えられなかったそうです。すると、受けられるように祈りましょうと言って、祈りの姿勢をとらされたことは不本意だったと言っていました。だから、教会には2度と行きたくないと・・・・・。
責められたように感じたそうです。とても残念なことです。

初めて教会を訪れた人にそのような対応をしたらびっくりさせるだけだと思います。
初めての人にとって、聖餐式は奇妙な儀式だと感じるかもしれません。疎外されていると思うかもしれません。

めぐみ教会では、「この儀式は、まだクリスチャンでない方々への神さまからの目に見える招待状です。疎外するのではなく、一日も早く受け取ってほしいと願っているのです」と言っています。

決して疎外しているわけではないこと。わたしたちの魂を救うために死んでくださったイエス様を心に刻むための聖餐式だということをお伝えしたいです。



これから、ヒックンが来ます。水疱瘡で保育園を休んでいるので2日間預かります。
12日の家庭集会の準備、JCP・HPの準備をしながらの子守りです。




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弱さをありがとう

2011-05-06 16:08:39 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

4日は息子一家が泊まりに来て、霞ヶ浦ふれあいランドに行ってきました。
霞ヶ浦ふれあいランドは、水をテーマにした科学テーマパークです。一昨年も皆で訪れ、2009.5.9のブログに書きました。

そのときは、高さ60mの虹の塔の展望台に上り、たくさんの鯉のぼりが泳いでいるのを見ました。
今年は、震災の影響で塔には上れず、ふれあいランドの半分が立ち入り禁止になっていました。鯉のぼりも一昨年の5分の1ぐらいしか見ることができませんでした。

2年前はベビーコーナーしか喜ばなかったヒックンでしたが、今回は水の科学館で色々な実験装置をさわって喜び、さかんに「何で?」「何で?」と言っていました。

夜は皆で食事に行き、主人の還暦祝いをしました。
次の日にヒックンがまた熱を出し、水疱瘡になってしまったので、4日に出かけることにしていてよかったと感謝しました。



先日のクリスチャン・ペンクラブでは喜怒哀楽の「怒」をテーマに400字エッセイを書き、合評しました。
わたしが書いたものを紹介させていただきます。


弱さをありがとう
              
 子どものころ、病気ばかりしていた。高校生になっても小児喘息が治らなかった。
「弱く産んでごめんね」と母が言った。わたしは返事をしなかった。過保護に育てられたせいでこんなに弱くなったのだと怒っていた。
試験勉強をして少し寝る時間が遅くなっただけで熱を出した。自分が情けなく、怒りは自分にも向けられた。
 
あるとき、聖書の言葉『自分の弱さを誇ります。(Ⅱコリント十一:30)』が心に留まった。なぜ弱さを誇れるのか不思議だった。
弱いから、自分の力では何もできないから、祈るしかなかった。何かできたとき、神様の力によってできたのだと思えた。神様はわたしが高慢にならないように弱さを与えて下さったのだ。弱さは恵みなのだと気がついた。

「弱く産んでくれてありがとう」わたしは母に言った。そして神様に「弱く造って下さってありがとう」と言った。
怒りはあとかたもなく消えていた。


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失敗が勝利

2011-05-03 22:03:09 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
今日は、友人の家に招かれていってきました。庭の花がすばらしく、感激しました。


日にちが前後してしまいましたが、30日はクリスチャン・ペンクラブの例会で御茶ノ水へ行ってきました。地震で3月の例会が中止になったので久しぶりでした。
例会ではK兄がエレミヤについてメッセージをして下さいました。紹介させていただきます。


エレミヤはイザヤ、エゼキエルと並んで三大預言者の一人です。「涙の預言者」と呼ばれていました。
当時ユダヤの人々は、イスラエルの神が神殿で常に自分たちを守って下さると思っていました。しかしエレミヤは、それとは反対のことを言いました。


「あなたがたは、『これは、主の宮、主の宮、主の宮だ』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。(エレミヤ7:4)」


当時神殿(主の宮)では、礼拝が捧げられていました。しかし、それは形式的なもので、民の日常の行いは主の教えに反するものでした。バアル神を拝んだり、子どもを捧げたり……。
そのことをエレミヤが指摘し、糾弾しています。

エレミヤは反感を買われ、つかまえられて穴に入れられてしまいました。
エレミヤの任務は表面的には失敗に終わったように見えますが、彼においては、失敗が勝利となっています。

ガラテヤ書では『愛の実践を伴う信仰こそ大切です』とパウロが書いています。礼拝さえ守ればいいというのは、出発点が間違っています。

信仰に時間の制約や場所の特定はありません。信じることは、形だけでなく、心が主に向かっているかどうか、イエスを求めているかどうかにかかっています。行いが伴わない信仰は死んでいます。

信仰が日常の行いにいかに反映しているかどうかと常に問い続けていかなくてはなりません。大それたことをするのではなく、花を贈るなど小さなことでもその人のことを思って何かをすることが大切です。


わたしは、エレミヤが気の毒でなりません。
預言者の中でも、彼ほど苦悩した人はいなかったのではと思う程です。神さまの言葉を忠実に伝えたことによって人々から激しく責められます。エレミヤは語るのをやめようとさえします。自分が生まれた日をのろうほどに苦しみます。

エレミヤ20章には真実の愛国者としてのエレミヤ、真の神の預言者としてのエレミヤの葛藤が記されています。
でも、エレミヤは忠実に神さまの言葉を伝え続けます。エレミヤは人々には受け入れられず、エレミヤが忠告したのにも関わらず、南ユダ王国は滅びてしまいます。

それでも『彼においては、失敗が勝利となっています。』というのは、嬉しい言葉です。
神さまの言葉を伝え続けたエレミヤは、主にあって勝利したのですね。


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人の予想を超えた導き

2011-05-02 17:24:12 | 教会
祈り、いろいろ考えて計画をたて、これこそ最善だと思って行動しようと思った矢先、ハプニングが起こって変更を余儀なくされることがあります。
なぜだろう……と、その理由をいくら考えてもわかりません。
祈ったのにわたしの決断がまちがっていたのだろうか? と問いかけても答えは出て来ません。

今回の震災で色々なことがキャンセルになりました。まさかこのような災害が起こるとは思わないので、予定を入れていたのですが、実行できませんでした。このようなことはわたしだけでなく、多くの方が体験されたことでしょう。

昨日のメッセージではステパノとサウロのことが語られました。一部を紹介します。

使徒の働き7章には、クリスチャンに対して激しい迫害が起きたことが書かれています。

ステパノはユダヤ民族の歴史を語り、ユダヤの民が神に逆らっていることを指摘しました。彼らが選ばれたのは、彼らがすぐれていたわけではないと言い、救い主を殺したことを指摘しました。すると、ユダヤ人たちは激しく怒って、ステパノを石打ちの刑にしてしまいました。そのとき、石を投げる者の着物を預かったのがサウロでした。

多くのクリスチャンたちは国外に逃げ、散らされて行きました。散らされた人たちはみことばを宣べ伝えながら歩いて行きました。

ステパノの殉教をきっかけに福音が外に広がり、多くの町にクリスチャンが誕生し、教会が生まれました。迫害という悲しみを通して多くの町々に福音が伝わったのです。
人の予想を超えた神のダイナミックな働きがあります。

パウロは第2次伝道旅行でエペソに行こうとしていましたが行けませんでした。その代わりトロアスから船でピリピに導かれました。
そのため福音が小アジアからヨーロッパに広まっていきました。

日常の歩みの中でも、さまざまなことの中に人の予想を超えた神のダイナミックな働きがあることを信じて、神の善意に信頼して歩んでいきましょう。

この大災害の原因を問うことはできませんが、人の予想を超えた神のダイナミックな働きによって、日本がさらに安全な国になるように。どんなかたちであれ、益となり、祝福となることを信じて祈ります。

と牧師先生が言われました。


わたしは震災のことを思うと、胸が引き裂かれそうに痛みます。でも、この出来事の中に人の予想を超えた神のダイナミックな働きがあると信じ、益となるように心から祈ります。


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