生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

年の瀬に

2006-12-30 21:35:29 | 日記

今日は買い物に大掃除におせち作りで大忙しです。明日、息子夫婦を迎えます。毎年両方の実家に里帰りしていましたが、初めて迎える側になりました。(2日.3日と里帰りもするのですが……)大晦日の夜は久しぶりにみんなで鍋を囲みます。

今年はアップしないつもりでいましたが、希望の風さん(ブログはブックマークにあります)が、「カラマーゾフの兄弟」読破ツアーの旅日記の一部を公開されましたので、是非読んで戴きたいと思い、書きました。わたし(Fさん)の感想は最初に載っています。
わたしのは小学生の読書感想文のようで、お恥ずかしいのですが……。

「カラマーゾフの兄弟」の冒頭に書かれている聖書の言葉を紹介します。


まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24)

1年を振り返って(その2)

2006-12-29 13:35:34 | 日記
昨日から引き続き、1年を振り返ってよかったことを書いています。

<6>一人暮らしをしている娘の生活が守られたこと


娘が一人暮らしを始めて来春で2年になります。初めの1年は、18歳で一人暮らしをゆるしてしまったことを何度も後悔しました。ちゃんと食べているだろうか、学校には行っているのだろうか、風邪をひいてはいないか、危ない目にあっていないか……電話が通じず、メールの返事がこないと心配になり、それが雪だるまのように大きくなります。娘は「また、お母さんの妄想がはじまった」といって笑いますが、その時は胸もつぶれるような思いなのです。
しかし、娘はたくましく過ごし、この一年も守られました。信仰がなかったら、わたし自身がのりこえられなかったでしょう。


<7>5月に銀婚式を迎えられたこと


銀婚式を迎えての心境は、ブログに充分書きましたので省略します。


<8>お茶の水聖書学院ネットコースに入学できたこと


2月から学び初めて、7か月かかって1科目クリアーし、現在2科目目を学んでいます。10月-11月は父の事で落ち着かず、ほとんどできなかったので、今月ようやく1つ目のリポートを提出したところです。昔は勉強が嫌いでしたが、今は学ぶことが楽しいです。来年ものんびりペースで続けていきます。


<9>「カラマーゾフの兄弟」読破ツアーに参加できたこと


希望の風さんの呼びかけで参加したこのツアーは、岩波文庫「カラマーゾフの兄弟」全4巻を1か月に1冊のペースで読み、感想文をメールに添付して提出するというネットならではの斬新な企画でした。9名が参加して、全員が12月25日までに読破しています。
最初読みづらかったのと、内容が理解できないので、感想文が書けない!と脱落しかけましたが、完読した今は参加してよかったと心から思います。旅の仲間が9人もいたので、連帯感がありました。ひとりなら完読しなかったでしょう。


<10>akaneさんのHP「小さな憩いの部屋」と出会えたこと


クリスチャン・ペンクラブのHPのページを更新するときにクリスマスの画像を探していて出会った素敵なサイトです。



そのほかにもクリスチャン・ペンクラブのグリーン・ジョイフルで松原湖に行ったこと、ブログを続けられたこと、秋田に行ったこと、などなど……。よかったこと、感謝することはたくさんあります。今年の初めに神さまのカリス(恵み)についての日記と詩を書きましたが、2006年は実に恵み豊かな年でした。

1年を振り返って(その1)

2006-12-28 17:35:41 | 日記

先日、1年をふりかえってよかったことを書く「よかったさがしリース」に参加させていただきました。そこにわたしのよかったことのベスト10を書きましたが、今日はベスト5を紹介し、解説したいと思います。

<1>乳癌の再発転移もなく、一年間健康が支えられたこと
この弱い者の健康が支えられたことは、いちばんの感謝なことです。4月に病院で腫瘍マーカー値が上がっていると言われて再発したかもしれないと不安になり、人前で泣いてしまったわたしでした。
再発転移したとしても、すべてが神さまのみ手の中で起きることだから、心配することはないのだとわかっているのですが……自分の弱さを改めて知りました。再発転移ではなかったのでほっとしましたが、その可能性はこの先もずうっとあるわけです。イエスさまをしっかり見続けていないと、海におぼれる者となるでしょう。

<2>主人の健康と仕事が守られたこと

主人は体が丈夫で、結婚してから寝込んだのはたった1日だけです。でも、血圧とコレステロール値が高めなので、健康には気遣っています。今年も毎日夜遅くまで仕事、仕事でした。本当にご苦労様です。年末年始はゆっくりできますように。

<3>>息子が素敵な人と結婚したこと

突然の結婚宣言に驚かされましたが、息子にはもったいないと思うような人と結婚して、本当に嬉しいです。そして、来年はbaby誕生!!さらなる喜びをもたらしてくれますね。

<4>父がイエス・キリストを信じたこと

父が召されたことは悲しいのですが、キリストを信じて天国に凱旋したことがよかったことです。
教会への納骨は、来年の1番目のよかったことになるでしょう。(納骨式は1月13日です。)


<5>今年も教会学校の奉仕ができたこと

奉仕は他にもありますが、あえて教会学校のことをあげたのは、わたしにとって教会学校で子どもたちと接している時間がいちばん幸せと感じるからです。体力的に大変なときもありますが、今年も神さまに力をいただいて続けさせてもらいました。


                   つづく

実家にて

2006-12-27 17:58:09 | 日記
さきほど娘と一緒に実家から戻ってきました。風が強くてまた常磐線が遅れました。でも、雨が上がっていてよかったです。昨日の雨はすごかったです。実家(東京都武蔵野市)の方は大雨警報が出ていました。
実家では、母におせち料理の作り方を教えてもらって、大掃除の手伝いをしてきました。

夕べは母と娘と3人、こたつに入って松前漬けの昆布を刻みながら、楽しく語らいました。
「こんなふうにさ、たわいのないことでも話して笑いあうっていいねえ。べつに悩みを打ち明けなくても、話していると悩みが何だったか忘れちゃうよ」と娘。
「ほんとにそうね。ひとりになって寂しいこともあるけど、こうして笑いあうと元気になるわ」と母。

『ここにお父さんがいたらもっとよかったのに……』という言葉をのみこんで、わたしたちは3時間も話していました。



メリー・クリスマス

2006-12-24 16:42:02 | 日記

ブログを3日間書かなかっただけですが、随分長い間ご無沙汰した気がします。創作意欲の沸き上がったときにと思い、勢い込んで書き始めましたが、早くも壁にぶつかって、もだえています。まあ、書きながら悩むのはいつものことですが……。
以前お世話になったK先生からうれしいクリスマスカードをいただきました。ブログをみて「書かなあかんよ、よろしゅうに!」と書いて下さったのです。とても励まされました。ありがとうK先生。


10月に父が召されたので今年は年賀状の用意をせず、喪中の葉書を出してしまいましたが、「クリスチャンに喪中はないと思うのです。天国に凱旋したのですからね」とM姉からメールをいただき、その通りだと思いました。M姉からもすばらしいクリスマスレターを戴きました。


喪中の葉書の代わりにクリスマスカードを書けばよかったと後悔しています。年明けに年賀状が来ないとなんとも寂しいです。喪中の葉書を出してしまった方、年賀状下さいませんか。年賀メールも歓迎です。もちろん、「明けましておめでとう」でいいのです。

今日はクリスマス礼拝でした。夕方はキャンドルサービスがあるのですが、夜風をきって自転車で行く体力がないので家で静かに祈ります。
礼拝では「世の光」として来られたキリストのことが語られました。

世界で8億人の人が餓死寸前である現実。母親がわが子を殺し、小学生が友を殺すような殺伐としたこの世界は暗闇です。でも、そこに光としてイエスさまが来て下さいました。神さまの光に触れたとき、人の心の中に奇跡が起こり、愛することができるようになります。
というメッセージに心打たれました。


礼拝の最後の祈り(祝祷)のとき、裸で血にまみれた生まれたばかりの赤ちゃんの姿が頭の中にクローズアップしました。誰かが世話をしないと一日たりとも生きられない弱くて小さな赤ちゃん。そんな赤ちゃんの姿としてこの世界に来て下さったイエスさま。最も貧しいところで生まれてくださったイエスさま。わたしを罪から救うために生まれて下さったイエスさま。ありがとう。

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。(ヨハネ1:4)


神さまからのビジョン

2006-12-20 13:34:36 | 日記

昨日、わたしの書いた本「リピート・シンドローム」を読み感動したのでお話が聞きたいと、千葉県から神学校に通っている青年が訪ねてきました。なんだか有名作家になった気分です。

土浦めぐみ教会でお話をすることにしたのですが、せっかく来られたのだからと思い、ひとつ手前のバス停で降りていただき、「リピート・シンドローム」の舞台となった桜川を案内しながら教会まで歩いていきました。
曇っていましたが、筑波山はくっきり見えました。土手を歩いているとき、ちょうど雲間から日の光が差し、たっくんが「天国の道だよ」と言った天使の梯子が見えました。


教会堂を案内してから、「リピート・シンドローム」のことや、現代の青少年に起きている問題のこと、青年伝道のことなど話しました。
初めてお会いしたとは思えないほど話しが盛り上がりました。青少年伝道を志す気持ちが一致したのでしょう。
卒論を書いているそうで、そのための質問に答えてほしいと3つ質問されましたが、質問の内容も何と答えたかも忘れてしまいました。こんなぼんやりした者の話しがお役にたったのでしょうか?(期待はずれと、がっかりしているかもしれません)


インターネットはやらないのですか?と聞くと、敢えてやらないようにしていると答えたことにちょっと驚き、偉いなあと思いました。 
最後にお互いに祈りあいました。わたしが今書いている小説のはなしをすると、それが本となって出版されたかのように祈ってくれました。実はその小説は一応書き上げたのですが、クライマックスのところをもう一度書き直さなければいけないと思いつつ9か月も放置していたのでした。


青年の訪問をによって、神さまからビジョンを与えられた気がしました。小説を書かなあかんのです。ブログを書いていたら、小説が書かれへんのです。(なぜかここだけ関西弁)

そういうわけで、ブログの更新を毎日するのをやめました。全くやめてしまうわけではありません。やめたら、わたし自身寂しいので……。コメントには対応します。
しばらく更新しなくても体調が悪いのではなく、小説を書いているのだと思ってください。そして祈っていただけたら幸いです。

受胎告知

2006-12-19 11:51:32 | 聖書から

この絵は17世紀イタリアの画家オラツィオ・ジェンティレスキの代表作『受胎告知』です。
一昨日、教会学校でお話をしたとき、子どもたちに見せた画像の1つです。受胎告知の絵は、大勢の画家によって描かれています。その中でいちばん心に留まったのがこの絵でした。


たいていの受胎告知の絵は右にマリヤ、左にみつかいが描かれていますが、この絵は左右反対です。さらにみつかいが上を指さしているところが特徴的です。驚きとまどっているマリヤに「神さまが恵みを与えて下さったのですよ」と必死に訴えるようなみつかいの表情が気に入っています。また、窓から光がさしこみ、鳩が入っているのが描かれています(右上)が、鳩は聖霊を象徴しているそうです。
マリヤの後ろにある赤い布も目をひきます。色のコントラストがいいですね。
絵の注釈はこれくらいにしましょう。


突然目の前に現れた天使に、お腹に「神の子」が宿っていると告げられたとき、マリヤが最初はとまどったものの、すぐに受け入れたことがすごいなあと思います。聖書には「ほんとうにわたしは主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように(ルカ1:38)」というマリヤの言葉が書かれています。

なぜマリヤはこのように驚くべき出来事を素直に受け入れられたのでしょう?
マリヤは神さまが何でもお出来になる方で、神にとって不可能なことはひとつもないことを信じていたからだと思います。


20数年前友人に、「まさか処女懐妊をまともに信じているわけではないでしょう?」と聞かれました。
わたしは、その時教会を離れていた時期でしたので自信なさげに「信じている……」と小声で言うと、呆れた顔をされてしまいました。
クリスチャンでない方は、この処女懐妊とキリストの復活をあり得ないことだと言います。実際、この2つのことが聖書に書いていてあるからつまずいてキリスト教から離れてしまう人もいるそうです。


神さまのことを自分の理解できる範囲で考えると、人間にできないことは神さまにもできないと思ってしまいますね。でも、主は永遠の神、地の果てまで創造された方。イザヤ41:28
とあるように神さまは何もないところから天と地を創造され、人を造られたのですから、その能力は測り知れません。さらに神さまは、時間の制約を受けない永遠なるおかたです。
人間にはできないことでも神さまならできると考えると、マリヤが神の子を宿したことは、神さまのなせる奇跡として受け止められます。



クリスマスは、神さまがわたしたちにイエスキリストという最高のプレゼントを下さった日です。心からお祝いしたいです。


み言葉の光

2006-12-18 17:51:05 | 教会

教会学校のメッセージが終わってほっとしています。

昨日は洗礼式が行われ、5人の方が洗礼を受けました。ひとりの若い医学生の証に心打たれました。愛する家族の者が亡くなったとき、人生の空しさ、人の一生のはかなさを感じたそうです。彼女は、子どものころから神さまはいないのだと教えられてきたそうですが、空しさをどうすることもできなくて、求めていたそうです。クリスチャンの友だち、医学部の先輩に導かれて教会に行くようになり、キリストを信じたと聞いて主の導きに感謝しました。


口にこそ出さなくても、このような空しい思いを抱き、真理を求めて続けている人は多いのではないでしょうか。わたしもそうでした。このさすらいの旅を続ける魂にキリストを伝えたい。光を示すような小説が書きたいと願います。


礼拝ではマタイ2:1-12からのメッセージがありました。東方の3人の博士たちの姿は、求道者の姿だと言われました。救い主へと導く星があり、博士たちは星を目当てに旅をしていきますが、途中で星を見失ってしまいます。彼らの知識、経験に基づき、エルサレムに救い主がいると思って間違った方向に進んでしまいます。でも、再び星を見つけて、救い主のおられるところに導かれるのです。


星というのは神さまの言葉で、み言葉の光によってキリストに導かれていくのだというメッセージは心の深いところにしみこんでいきました。
この博士たちが星を一時的に見失ったように、わたしも見失って道をそれてしまったことがあったのです。今でも、この星=み言葉の光から目をそらしてしまうと道を見失う危険があります。目をそらすことなくいつも光を見つめていたいです。


その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。マタイ2:10


CSクリスマス会

2006-12-16 17:11:32 | CS(子供伝道)

今日は教会学校(CS)小学科のクリスマス会でした。保護者の方を入れると120人くらいの人が集まって、キリストの降誕を祝いました。
学年ごとに行われた出し物は、劇や歌、合奏、組体操、ペープサートなどバラエテーィに富んでいました。


わたしの担当する3年生のクラスは、このブログやHPでも紹介した「やせっぽちのロバ」のペープサートをやりました。日曜毎に11月から準備を始めましたが、1回の分級の時間が30分弱。制作に2回しか時間がとれず、セリフの録音はほとんどぶっつけ本番。間違っても録音しなおす時間がなく、立ち稽古は2回だけという厳しい条件の中でした。
さらに10日はわたしが秋田に出かけたため、子どもたちを指導することができず、神学生に頼んでいました。そして神学生は今日は来れなかったのですが……。


子どもたちはよくやってくれました。3日に練習したときはバラバラだったのに、タイミングをちゃんとつかみ、お互いに声をかけあって助け合い、練習の時には入れられなかった効果音まで入れる余裕さえあって、素晴らしい出来だったんじゃないかと思います。(舞台裏にいたので客観的にどうだったのかわかりませんが……)
わたしは、この子どもたちを1年生の時から続けて受け持っているので、その成長が目に見えて、本当にすごいなあと思います。子どもたちの中にある素晴らしい力が発揮され、輝いていました。


子どもたちの出し物のあと、教師たちがスライド劇をしました。
「はくさい夫人とあおむしちゃん」柳川茂著 河合ノア絵 いのちのことば社フォレストブックスをもとにミュージカル風の台本を書きました。教師たちがセリフを言い歌ったのですが、緊張しました。 これはたっぷり時間をとって練習をしてきましたが、子どもたちには勝てませんでした。
でも、この絵本のテーマになっている「受けるよりも与えるほうが幸いである。(使徒20:35)」のみことばが伝わったことでしょう。


クリスマス会が終わってほっとしましたが、まだ気をゆるめることができません。明日は教会学校礼拝のメッセージをするのです。緊張で胃が痛んでいます。

お寺から教会へ(その7)

2006-12-15 13:32:09 | 日記

Mさんのご主人が車で迎えに来て下さったので、秋田恵み教会のかたが車で先導して下さり、秋田中央教会に向かいました。(大変お世話になりました)
大叔母は確かに秋田中央教会に通っていたことがわかりました。大叔母を知っている数人のかたとお話してから、公園墓地に向かいました。


この日(10日)秋田はとても変化に富んだ天気でした。晴れていたかと思うと、突然雨が降ったり、からっと晴れたり……。教会で礼拝を捧げている間は、かなりの雨が降ったようです。ところが礼拝が終わって外に出るといいお天気。公園墓地に行ったときもいいお天気でした。


母は、父の通夜と葬儀の時が晴れていたので、「お父さんが守ってくれるから、今回も絶対晴れる」と言って傘を持っていきませんでした。天気予報では、雨の確率50%だと言っているのに……。それでも母は晴れると確信していて、朝ホテルから荷物を宅急便で自宅に送ったのですが、その中に傘も入れていました。
結局、母のいうとおり傘は必要なかったのですが、わたしは心配だったので持って行きました。もし母がイエスさまを信じたら、不動の信仰を持つようになる気がします。母は、わたしのように迷うことがなく、こうと決めたらまっしぐらに進むタイプなのです。


前日、お寺に納骨したときも雨は降らず、感謝でした。とても寒かったのですが、秋田の人は「今日は暖かい」と言っていました。12月に入るとみぞれが降る日が多いのだそうです。1月以降は、お墓は雪に埋もれてしまうので、春まで納骨もできないそうです。

 
大叔父と大叔母のお墓にいってから、Mさんご夫妻と歓談しながら昼食をいただくと、もう帰りの新幹線の時間が迫ってきました。男鹿半島に行った一行も駅にもどってきました。男鹿半島の方は全く雨が降らなかったそうです。
帰りの新幹線で「秋田を満喫できてよかった」とわたしが言うと、
「なに言ってるの。わたしたちが行ったのは、お寺とお墓と教会だけじゃないの」と母が言いました。
そういえばそうでしたが、私の心は満ち足りていました。母も大役を果たしてほっとしているようすです。


父の遺骨を遠い秋田のお墓に納骨してしまっても悲しみに沈まないことが自分でも不思議です。それは、分骨しているからかもしれません。年が明けたら教会に納骨できるのですから。それよりも大きく心を占めているものは、天国で父や大叔母と再会できるという希望です。
いまごろ、大叔母と父が秋田弁でこんなふうに話しているかもしれません。


「おや、まぁ。あんたも、キリストさ信じてここに来たのけ」
「んだ、んだ」
「えがったっすなぁ」

(秋田弁、ちょっとちがっているかも……)


               おわり


わたしのHPを見て下さっているかたはご存じでしょうが、一年をふりかえって、よかったことを書く
「よかった探しリース」というのがあって、それに参加させてもらっています。25日まで、期間限定ですのでまだご覧になっていない方は、ぜひご覧下さい。
わたしのよかった探しのページは
ここをクリックしてください


お寺から教会へ(その6)

2006-12-14 12:55:01 | 日記

10日にルーテル秋田恵み教会に行きました。受付で大叔母のことを尋ねると、この教会ではないと言われました。ルーテル教会はもうひとつあって、ルーテル中央教会の方ではないかと言うのです。大叔母の娘さん(Mさん)が勘違いしていたのですが、このことも主の導きと思われました。

そのとき、礼拝が始まろうとしていたので、この教会の礼拝に出ることにしました。礼拝の後、恵み教会の人が中央教会まで送って下さるとおっしゃってくださいました。
そういうわけで、Mさんと母と私は秋田恵み教会で礼拝を捧げました。


ヨハネの福音書8章31-47から「主イエスの本当の弟子」という題でのメッセージを聞きました。
「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です(ヨハネ8:31)」
とイエスさまが言われました。
「わたしのことばにとどまる」というのは、従うという真面目な心を持ってみことばに耳を傾け、聞き従い続けていくことです。キリストのことばにとどまる人が、本当のキリスト者です。聞き従うとは、十字架を感謝して生き続けることです。
と教えていただきました。


キリストのことばというのは、聖書のことばです。聖書のことばに耳を傾けることは誰にでもできますが、それを心にとどめるのはなんと難しいことでしょう。
記憶力の衰えてきたいま、この記事を書くのにも礼拝のときにメモしたものを見ています。4日しかたっていないのに半分ぐらいは、すでに忘れています。くりかえしみことばに聞き、紙にではなく心の石の板に刻みつけたいと思いました。


礼拝のあと、近くのかたとお祈りして下さいとアナウンスがありました。奏楽をされていたかたがわたしたちのところに来て下さり、心をこめて祈ってくださいました。
お祈りの後、わたしが土浦めぐみ教会に通っていることを話しました。すると、彼女は土浦めぐみ教会員のIさんと同窓生だと言ったのでびっくりしました。わたしは、現在教会学校でIさんのお子さんを担当しているのです。
また5.6年前彼女は土浦めぐみ教会を訪れたことがあるそうです。それで話しがはずんで、秋田で誰かにさしあげようと持っていったわたしの本「リピート・シンドローム」を差し上げてきました。
この出会いに驚いて、信仰をもっていないMさんと母が「神さまの導きだねえ」と口をそろえて言ったのです。


それから大叔母の通っていた中央教会に向かいました。写真は秋田中央教会です。急いでいたので、秋田恵み教会の写真を撮るのを忘れてしまいました。残念。

              
                     つづく

お寺から教会へ(その5)

2006-12-13 19:05:19 | 日記

大叔母はわたしが中学2年のころから、夏休みに泊まりにいらっしゃいと言ってくれていました。喘息がひどかったわたしは、中2の夏も中3の夏も高1の夏も行くことができず、「残念でしたね。でもまだ夏休みは来年もあるので、来年こそは来て下さい」というような葉書を大叔母の長女Tさんから3回も戴いています。高2になって、漢方薬のおかげで喘息がよくなってきて、ようやく秋田行きが実現したのでした。


そういえば、漢方薬の煎じ薬を持参で行ったのでした。大叔母が、すごいにおいのする薬を50分も煎じて、毎日飲ませて下さいました。
わたしは知りませんでしたが、大叔母はわたしのことを祈っていたのだと思います。あのつらく苦しい中学2年のとき、イエスさまに祈ってくださっていた人がおられたとは……。わたしが死を願う毎日だったことを大叔母は知らなかったでしょうけれど、祈っていたことは確かです。ありがとう、大叔母さん。


お寺での納骨と法要は9日に行われるので、10日は観光をして帰ろうという計画が秋田へ行く2週間ほど前にたてられました。レンタカーを借りて皆で男鹿半島を周遊したいと妹たちが言いました。でもその日は日曜日なので、わたしは教会の礼拝に出席したいと思いました。もし大叔母の通っていた教会がわかればそこに行きたいと……。それができないのなら、9日中にどんなに遅くなっても土浦に帰りたいと願ったほどです。


でも、そのことを言い出すのには少し勇気が必要でした。思い切って母に話すと、「その日は自由なんだから、教会に行ってもかまわないわよ。わたしは男鹿半島行くけれど……」と言ってくれました。
クリスチャンは、日曜は礼拝しなければならないと律法的に考えているわけではありません。『しなければならない』なんていうことはないのです。どちらを選ぶかは自由です。実際クリスチャンの娘は何の迷いもなく男鹿半島周遊を選びました。わたしはそれに対して咎める気持ちはちっともありません。

ただ、わたしにとって礼拝を捧げることが、このうえない喜びであり、1週間の生きる力となっていること。神さまは日曜に礼拝を捧げることを望んでおられるという思いがあるので、なんとしても礼拝に出たいと思いました。どんなに素晴らしい景色を見たり、おいしいものを食べたとしても礼拝に行けなければ幸せと感じられません。


秋田に住んでおられる大叔母の次女(Mさん)が今回色々とお世話をしてくださいました。大叔母の教会に行きたいとMさんに電話でおはなしすると、Mさんご夫妻がホテルから教会まで車で送るとおしゃってくださいました。そのあと、ご両親が葬られている公園墓地に参ってほしいと言われました。
母は男鹿半島に行くつもりだったのですが、お墓参りをしなければ申し訳ないと思ったようで、私と一緒に行くことになったのです。


写真は天徳寺です。

               つづく

お寺から教会へ(その4)

2006-12-12 13:18:11 | 日記

わたしは、父方の親戚にも母方の親戚にもクリスチャンはいないのだと思っていました。
ところが、クリスチャンがいたのです。大叔母(父の叔父の奥さん)ですが、彼女が亡くなるまで、クリスチャンであることをその長女以外誰も知りませんでした。大叔母といっても父と同じ年でした。6年前に駅で倒れ、77歳でて召されました。


長女の意見で、大叔母の葬儀はキリスト教で行われました。そのときわたしは行きませんでしたが、父と母は秋田まで行って葬儀に出ています。
キリスト教式で葬儀をすると天徳寺には埋葬できないため、公園墓地に納骨されました。大叔父はその2年後に亡くなりました。大叔父はクリスチャンではないので仏式で葬儀がなされましたが、大叔母と同じお墓です。


大叔母がクリスチャンであったことを聞いたとき、とても嬉しかったです。高校2年の夏休み、秋田市内にある大叔母の家に1週間ほど泊めていただいたことがありました。竿灯を見に連れていってもらったことや、男鹿半島まで行ったことを思い出します。そのころは新幹線がなく、10時間近くかかる列車の旅でした。帰るとき、叔母がお弁当にサンドイッチを作って持たせてくださったことがなつかしいです。


その次に秋田に行ったのは、22年前、祖母が亡くなったときです。それ以降は今回まで秋田には行っていません。何度か大叔父と大叔母が上京したとき、実家でお会いしているはずですが、最後に会ったのはいつだったのかはっきりしません。
娘さんに尋ねると、大叔母は若い頃にプロテスタントの教会で洗礼を受けていたそうです。(大叔母の実家はカトリックです)クリスチャンになったことを大叔父に言えなかった理由はわかりませんが、なんとなく想像はつきます。つらいことも多かったのでしょう……。大叔母が生きておられたら、信仰のことなどお話したかったのにと思いました。


写真は、見晴らしのいい高台にある公園墓地。大叔母の名の上に十字架が刻まれていました。
                    
                 つづく

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