生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

誰も知らない私の悩み

2013-05-12 20:05:42 | あかしの紹介

上の写真は、母の日のプレゼントとして息子夫婦から送られてきたものです。


昨日は教会でゴスペルシンガーのKiKiさんを迎えてのティータイムがありました。ティータイムは、教会で年に一度行われる婦人のための集会です。


手作りお菓子と紅茶を飲みながらの集会です。あいにくの雨でしたが満席で、120人以上の人たちが集まりました。

KiKiさんは北海道に住んでおられます。土浦めぐみ教会に来られたのは3回目です。最初は2009年教会コンサートで、2010年にはティータイムに来てくださいました。KiKiさんに関することは以前のブログに書いています。

KiKiさんに了解を得ましたので、証しの一部を紹介させていただきます。


ゴスペルに惹かれて27歳のとき渡米され、『誰も知らない私の悩み』という曲を聞いて心打たれました。
それは、私のことを誰も知ってくれないと嘆く歌ではなく、「Nobody knows but Jesus」、つまり、主イエスはちゃんとわかっていてくださる、悲しみ、苦しみをイエスは知ってくださっているという救いと希望のメッセージが込められた歌でした。
当時歌詞の意味はわかりませんでしたが、このときゴスペルと出会ったのです。

その後、ゴスペルを知るためには神を知る必要があると思い教会へ行きました。最初は、違和感を抱いていたのですが、隣に座った人がいきなり「あなたのために祈ります」と言って祈りはじめました。

その後、お母さんが乳がんになったとき、その人の祈りを思い出しました。
そして、神の存在を信じたいと思うようになり、洗礼を受けました。水をくぐったことにより、少しずつ変わっていきました。それまでは弱い面を人に見せることができなかったのですが、心の鎧がはがれました。

ゴスペルを歌うようになり、これからというとき、乳癌の宣告を受けました。トリプルネガティブ乳癌で予後の悪い癌でした。再発、再々発もしました。でも、抗癌剤治療を受けずにゴスペルを歌うことに決めました。


と言って、賛美されました。人々にいやし、希望、力を与えたいという思いを込め、いのちをかけて賛美するその姿に涙があふれました。



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手足がなくても(その2)

2011-08-20 16:22:27 | あかしの紹介
前回は生まれつき手足のないニック・ブイチチさんのことを書きました。そのニック・ブイチチさんが、サーファーのベサニー・ハミルトンさんにインタビューをしている動画を見ました。
ベサニー・ハミルトンさんは13歳のとき、利き腕であった左腕をサメに食べられて失っています。

彼女は、小さいときから人生を神様にお任せしていたと言います。ただ、神のご意志によって、自分がサーファーの才能を通して用いられることを望み、お母さんと祈っていたそうです。
そのようなとき、事故が起きました。事故が起きたとき、すぐに神が計画した私の人生だと気づいたと言うから驚きです。

日々の生き方、祈りによって、どんなアクシデントが起きてもあわてない信仰の姿勢が表れていますね。

事故が起きたとき、友人が聖書のエレミヤ29:11を示してくれたといいます。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ。ーそれは、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレミヤ29:11)」

片腕を失ったら、普通ならショックを受け、不幸な事故にあったと思うでしょう。でも、彼女は決して不幸だと思っていません。神様からの計画であると確信したからですね。

彼女は、神様が忍耐力と、サーフィンに対する新しい情熱を与えてくれたと言いました。

「もし、サーファーじゃなかったら、どうやって難局を乗り越えられましたか?」
とニックさんが質問すると、
「サーファーがわたしにとっていちばん大切なものではない。いちばん大切なのはイエス・キリスト。イエス・キリストがサメからの恐怖を取り除き、前向きに生きる力を与えてくれた」とあかししました。

「もし、可能なら腕を取り戻したいですか?」と尋ねられると、Noとはっきり言いました。
片腕のない状況によって、健全な人に希望を与えられるから、腕はいらないと。

ベサニー・ハミルトンさんは事故にあったことが神様の計画だと知り、片腕がないことを受け入れています。

片腕がないことを嘆くのではなく、むしろこのことによって、イエス・キリストを伝えられ、人々に希望が与えられると喜んでいるのです。

ニック・ブイチチさんも同じです。彼は障害を受け入れるまでは苦しみを通りましたが、受け入れてからは、手足のないことをむしろ喜んでいます。

現在体が健康で、障害のない人でも将来はどうなるかわかりません。病気になったり、事故にあったり、また年を重ねれば、体が思うように動かせなくなります。

でも、そのことを受け入れられれば、嘆きは喜びに変わります。
癌になっても、神様の計画として受け入れられれば、精神的苦痛は取り除かれます。

人間、どんな状態になっても、イエス・キリストによって希望を持ち続けることができるということを2人のあかしを通して教えられました。
おわり



Nick interview with Bethany (英語、日本語字幕)




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手足がなくても(その1)

2011-08-18 12:22:22 | あかしの紹介
水曜礼拝でニック・ブイチチさんとベサニー・ハミルトンさんのことが紹介され、You Tube を見せていただきました。

ニック・ブイチチさんのことは、4月にテレビでも放映されたのでご存じの方は多いと思います。
生まれつき手足のないオーストラリアの青年です。

父親は牧師でした。両親はこのような障害を持って生まれた息子を見て、神様のみ心がどこにあるのか疑い、息子の将来を思って絶望的になったそうです。

ニック自身もつらくて8歳の時から3回も自殺未遂をしたそうです。でも、両親の愛と助けのもとに育ち、一般の中高校に通い、大学では会計と経営を専攻し、前向きに生きておられます。

スケートボードをし、サーフィンをし、ドラムをたたき、ゴルフボールを打ち、パソコンも使いこなしています。

15歳でイエス・キリストを信じ、19歳の時から講演活動をしているそうです。

「人はだれでも十字架を背負っている。だれでも悲しみを背負っている。けれど、苦しみは人と比べるものではない。」

「あなたがどんな状況にあっても、神様はあなたと共にいる。神はあなたを導いて下さる。ぼくは空っぽの容器でしかない。」というメッセージに胸が篤くなりました。

「100回転んでも、起き上がろう意志がないと起き上がれなくなる。」

「自分が手足がないことを通して、人々がイエス・キリストを信じるようになるために生きている。手足がなくてもぼくの人生は希望でいっぱい。」

「神様はひと時もぼくを見放されたことはない。だからぼくも、ぼく自身をあきらめることはない。ぼくは、本当に祝福された人生だ。今、ぼくはだれも想像だにしなかった人生を楽しんでいる。ぼくはぼくの人生を愛している。」

と言うニックさんの目は輝いていました。

聖書の言葉
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:31)


You Tubeにニック・ブイチチさんの映像がありましたので、よろしければご覧ください。

Nick Vujicic 1(日本語字幕)


ベサニー・ハミルトンさんのことは、次回書きます。

                  つづく


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悲しみを乗り越え

2011-06-03 15:55:30 | あかしの紹介
先日、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会がお茶の水クリスチャンセンターで行われました。
JCPでは、「喜・怒・哀・楽」でエッセーを書いています。先日のテーマは「哀」でした。
Yさんが「哀」にちなんだあかしをしてくださいました。大震災で身近な方を亡くされて悲しんでおられる方にぜひ読んでいただきたいと思いました。Yさんの許可を得ましたので紹介させていただきます。


悲しみをのり越え


たいへん辛い悲しみを経験をしたことがあります。97年の10月5日、夜の11時ごろのことでした。長女から「結婚式の打ち合わせをしたいので先方のご両親に会ってほしい」という内容の電話がかかってきました。

家内などは大喜びをし、場所のことや料理のこと、そして着物のことなど、次から次へと話題を変えて話をし、終わったときは1時近くにもなっていました。

ところが、少し眠ったと思ったら、5時ごろになってまた電話がかかってきました。彼が交通事故にあって、意識不明の重態で広尾病院に運ばれたというのです。

事故があったのは昨夜の11時5分。家内と長女が結婚式のことについて楽しく話をしていた丁度その時だったというのです。仕事を終えて帰宅するべく、全日空ホテルの前の交差点をバイクで通過しようとしていた丁度そのとき、横合いから信号を無視してタクシーが突っ込んできたというのです。

 とるものもとりあえずわたしたちは病院に駆けつけました。しかし彼は意識を失ったまま一度も目覚めることなく、3日目の午後に息を引き取りました。

その間のことを少し、お話させていただきます。
集中治療室で少しの間面会を許された後、浜松から来られた彼のご両親に挨拶をし、そのまま、わたしたちは待合室にいましたのですが、知らせを聞いて30歳前後の若い人たちが続々と見舞いにきてくださり、午後の5時を過ぎたころには、集中治療室の前の廊下は若い人たちでいっぱいになってしまいました。

その殆どが、彼とわたしの長女の学生時代からの友人や職場の友人、そして、演劇活動を通しての友人たちでした。

彼は学生時代から演劇活動をしていたのですが、卒業後も仲間と小さな劇団を結成して活動を続け、私の長女も、学校は異なりますが、卒業後彼らの劇団に入って働きながら演劇活動をしていたのでした。

 話を戻しますが、次の日も、友人たちが続々と見舞いに来て下り、前日同様、集中治療室の前は若い人たちでいっぱいになってしまいました。そしてその日は、2、3人ずつでしたが、希望者全員に短い時間の面会が許され、多く若者たちが次々と集中治療室に入り、ある人たちは下を向いたまま無言で、またある人たちは体を震わせ、目を真っ赤にして帰ってきました。病院側の配慮によるお別れの時間だったのです。

3日目も希望者には面会が許されていましたのですが、午後に入ってそれが中断され、そして3時19分に息を引き取りました。

 警察による検死の関係でその日は地下室にある霊安室に安置されたのですが、夜の11時12時になっても帰ることなく、たくさんの若い人たちが残ってくださいました。

 そのようなことがあって、はじめは浜松で行う予定だった葬儀が、急遽東京で行うということに変更されました。一人でも多くの友人たちに見送ってもらった方が彼も喜ぶだろうとの、ご両親の配慮からでした。

そして、斎場は若い友人たちで埋めつくされました。在学中であればめずらしくはないのですが、彼の場合は卒業をして10年以上、わたしの長女も卒業をして七年、それにもかかわらず、150人前後もの若い人達が来てくださったのです。そしてその若い人たちみんなが、涙をもって見送ってくださったのです。

その様子を見て、私は、35年という短い人生ではありましたが、彼は人の3倍も5倍ものすばらしい友人に恵まれ、そして、人の何倍もの充実した人生を生きたのではないのだろうか、いや、きっとそうだ、そうに違いないと思うようになりました。

挙式を目前にして、交通事故で死んでしまうだなんて、なんと不幸せなと思っていた彼が、そうではないのだ、彼は幸せだったのだと思えるようになってきたのです。

わたしは『神のなされることは皆その時にかなって美しい』という、伝道の書の言葉がすきです。何かあるたびにそのみ言葉を思い出し、また口ずさんだりしていました。しかし、彼が亡くなってからは、そのみ言葉を口にすることができなくなってしまいました。そのみ言葉に出会っても、『アーメン』ということができなくなってしまったのです。

しかし、病院で祈ってくださった若い人たちのことや、葬儀の時にいっしょに泣いてくださった、たくさんの若い人たちのことを思い出したり、また、悲しみに打ちひしがれていた長女が、たくさんの友人たちの支えによって立ち直っていくのを見たりしている内にだんだん心が癒され、そのみ言葉を受け止めることができるようになってきました。「アーメン」といえるようになってきました。

 今回の大震災で、身近な人を亡くされ、そして、そのことを受け容れることができずに悲しんでおられる方がたくさんたくさんおられます。が、一日も早く、その人たちの心が癒され、そして、『神のなされることは皆その時にかなって美しい』といえる日が来きますようにと祈らずにはいられません。



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Y子さんの証しから

2008-12-26 17:53:40 | あかしの紹介

一人暮らしの母のところへ行って大掃除を手伝ってきました。中一の姪が泊まりに来ていて、姪と一緒にガラスふきや台所掃除をしました。姪はすすんで手伝いをよくしてくれ、大きな助けになります。
今日は姪を連れて我が家に帰ってきました。数日間わが娘となってくれることが嬉しいです。


クリスマスは過ぎてしまいましたが、書き残していたことがありました。ようやく今日書くことができます。

12月18日に教会で行われた家庭集会クリスマス会で、我が家の家庭集会に集っておられるY子さんが証しをして下さいました。Y子さんの証しを紹介させていただきます。



Y子さんの証しから

わたしが最初に家庭集会へ参加させていただいたのが12年前でした。家庭集会では多くの人との出逢いがあり、とても楽しく学ばせていただきました。
○年前に主人の両親と同居するようになってからは、なかなか教会へ堂々と来ることができなくなってしまいました。
主人の両親は宗教嫌いで、キリスト教の信仰はいまだに許してはもらえません。
しかし、わたしはこの家庭集会で文香さんの病気をきっかけに受洗に導かれました。

受洗を望んではいたものの、家族の反対を押し切ってまで受洗して揉めるのが怖かったこともあり、ずっと悩んでいました。しかし、そんなことをいっていたらいつまでも受洗できずに私のような中途半端な人間はいつか信仰さえも捨ててしまいそうで、そんな自分自身もいやでした。

そのころの環境からも抜け出したい思いや、わたしの罪や重荷をイエス様に救ってほしいという思いが絶頂に達した時期でもありました。
そして、ずっと祈って支えてくれた文香さんがもしもいなくなってしまったらという思いもあり、あせりました。今しかないと強く思い、2004年4月に受洗させていただきました。

こんな話をしたらしかられてしまいそうですが、12年間も家庭集会に参加して礼拝に出席できたのは1回だけです。こんな形で受洗させていただいたのは、わたしだけかもしれません。
しかし、こんな寛大なゆるしを受けられるのもめぐみ教会だからこそと感謝しています。

傲慢で自分勝手な性格は、クリスチャンになってもまだまだ直らずに、子どもにも「お母さんは偽クリスチャンだ」とか「偽善者だ」とか痛いところをつかれますが、本当のことです。
「だから、神様に赦してもらうために受洗したんだよ」と言うと、「何言ってんの? 意味不明」などと言われますが、いずれ夫にも娘にもわかってもらえる日がくると信じています。

この12年間、わたしだけの小さな信仰では何度もくじけそうになり、もうどうでもいいかな?と投げやりになったり、どうせだめだと落ち込んだりの繰り返しでした。

家庭集会に行ってみなさんと学びをしていると礼拝メッセージだけではわからない聖句のこまやかなところにも感動や驚きを覚え、それぞれの意見を聞くと、本当に聖霊の働きを感じずにはいられません。
そして各々の生活にあてはめて悩みや経験を打ち明けられるのも、家庭集会の良さです。

学びを終え、食事をいただき、くつろいだ雰囲気の中でああ、今日も参加できてよかったという思いでいっぱいになり、それが心の糧となり、次回の学びが楽しみになってきます。

同じ聖書箇所がでてきても、みなさんの理解が深くなっているのには驚きです。
自分は小さく弱い者で、決して受洗したからと言って何かが大きく変わるわけではありませんが、祈る喜び、平安、信じること、委ねることそしてすべてが感謝に変わることを少しずつ感じられるようになりました。

そして祈りあえる仲間がいる、その喜びをこれからも味わっていき、いつの日か我が家でも家庭集会が開けたらいいなあと思っています。
本当に家庭を開放してくださっている皆さん、ありがとうございます。

また、この家庭集会を通して救いにあずかる人が一人でも多くありますようにお祈りいたします。


家庭集会を開いて17年になりますが、家庭を開放するということは大変なことです。ときにはしんどいと思うこともありました。でも、Y子さんの証しを聞いて、その苦労がどこかへとんでいきました。家庭集会を続けてよかったなあとつくづく思いました。
それから、わたしの乳がんがきっかけでY子さんが受洗したことを思うと、主が病を用いて下さったのだと感謝せずにはいられません。

和 真衣香さんのあかし

2008-06-21 17:25:12 | あかしの紹介

今日は教会での婦人集会の「ティータイム」でした。ゲストに和真衣香(かずまいか)さんを迎えて、お話をお聞きしました。

和真衣香さんは、KZダンス教室の代表で、振り付け師として芸能界でも活躍してこられた方です。(宇多田ヒカルの振付もされました)土浦めぐみ教会でも隔週木曜日夕方にKZダンス教室が行われ、指導してくださっています。ダンスを通して福音を伝えるという素晴らしい働きをされている方だと聞いていましたが、わたしはまだお目にかかったことがありませんでした。

今日、初めてお目にかかってお証を聴き、心打たれました。で和さんの了承を得ましたので、紹介させていただきます。


子供のころ、お父さんが宗教にのめりこみ、そのことでお母さんと争いが絶えなかったのです。高校3年の時、お父さんの経営するレストランが破産して一家がバラバラになってしまいました。

19歳のとき、ダンスの勉強をしにニューヨークにいきました。そのとき黒人の方がレッスンの前に祈っていたのが印象に残りました。
友人がドラッグにのめりこみ、ニューヨークで自殺してしまったことに大きな衝撃を受けました。友人の死を通して命について考えるようになります。

その後、芸能人の振り付けをやることになり、芸能界に入ります。恋人のお母さんがクリスチャンで、お母さんに「ダンスは神様から与えられた賜物」と言われます。そのお母さんが脳こうそくで倒れ、召されてしまいます。そのときも衝撃を受け、人は死んだらどうなるのかと考えるようになります。

新人歌手を連れて、アメリカのハーレムのグランドチャンピオン大会に出場する前のことです。マンハッタンの駅でホームレスのおばあさんに出会いました。
グランドチャンピオン大会に出場することを話すと、おばあさんは持っていた1ドルでコーラとお菓子を買い、プレゼントしてくれました。

おばあさんにとって、1ドルは尊い生活費だったでしょう。それを捧げてくれたのです。そのとき、自分は大切なものを人に捧げたことがあっただろうか?と思い、おばあさんの愛の行為に感動して泣きました。

ハーレムに着くと、そのおばあさんがマンハッタンから歩いてきてくれました。ふたりのためにずっと祈ってくれていたのです。グランドチャンピオン大会では準優勝でした。おばあさんは聖書の言葉を語りました。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる。(詩編37:5)」

そのとき、心の中にあった鉛がストンと落ちたような気がし、神様ご自身の声を聞いたように思いました。外見、名誉を重視し、片意地張って生きていたけれど、すごく苦しかったのです。おばあさんとの出会いがきっかけで、教会へ行くようになりました。

その後、日本ではシロアムキリスト教会へ導かれ2001年に洗礼を受けました。お母さんの病気を通して、家族が救われ、バラバラになっていた家族がひとつになりました。



お話のすべてを紹介できませんでしたが、最後に2つの聖書の言葉を語られました。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」
「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。(詩編121:7.8)」



わたしは、2001年9月につくばで行われたストップ・ザ・ドラックの集会に行ったことがきっかけで「リピート・シンドローム」を執筆しましたが、そのときに和さんも来られていたそうです。「リピート・シンドローム」はKZダンス教室のメンバーである友人を通して和さんに以前お渡ししていました。

和さんと直接お話しできたらいいのに…と思っていたら、お証のあとその友人が紹介してくれました。
『自分の存在価値がわからなくて居場所を探している子供たちに福音を伝えたい』というビジョンが共通しているので嬉しく思いました。和さんはダンスを通して、わたしは小説や童話を通してですが……。これからの和さんの働きのために祈らせていただきます。和さん、有難うございました。感謝。


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祈りと賛美の会社「五つのパン」の紹介

2007-11-02 13:06:16 | あかしの紹介

「特定非営利活動法人(NPO法人)Five-breads」の「五つのパンデザイナーショップ」から2008年のカレンダーの案内が送られてきました。五つのパンさんと関わりを持たせていただいて1年以上になります。

今年の3月にはオーナーのIさんとお目にかかり、3時間近くお話ししました。その信仰の素晴らしさに心打たれました。

Iさんは商社マンでしたが、一切を捨てて献身され、教会の宣教を支えるキリストの証人となられました。2004年にFive-breadsを設立され、障がいや弱さを持った方々の就労を助け、ゆとりとやすらぎの場を備える活動をされています。現在、地域作業所を計画されているそうです。

「五つのパンデザイナーズショップ」では、カレンダーの他、ポストカード、しおり、シール、デザインTシャツなどが販売されています。
インターネット販売もしていますから、ぜひ「五つのパンデザイナーズショップ」のHP
をご覧下さい。カレンダーの画像もはっきり見ることができます。

このブログでは、宣伝をしない方針ですが、カレンダーの案内状が届いたとき、何かわたしにできることはないかと思いました。カレンダーをまとめて買うことも、賛助会員になることもできませんが、祈っているうちにわたしのブログで紹介させていただこうという思いが与えられました。

「五つのパン」の働きのためにずっと祈ってきた結果、ひとりでも多くの方に紹介させていただきたいと思ったのです。
「五つのパン」のHP  もご覧下さい。

三浦綾子・光世さんのインタビューテープの感想

2007-09-06 13:47:35 | あかしの紹介

台風が近づいてきています。雨が降らないうちにと思って、朝9時半に自転車で近くに買い物に出かけ、キャベツなど葉物の野菜をたくさん買ってきました。台風のあとはいつも値上がりするからです。帰りは雨に降られてしまいましたが、合羽を持っていったのでセーフ。

インタビューテープの感想を書かせていただきます。

わたしは三浦綾子さんの本がきっかけでクリスチャンになりました。ですから三浦綾子さんの書かれた物はほとんど読んでいますが、今回テープを聴いて新しい発見がありました。

次々と重い病気にかかっておられるのに悲壮感が全くないことです。不思議なほど平安に満ちておられます。神さまへの深い信頼があるからでしょう。
また、とても楽天的なことが、声や話し方を聞いていて伝わってきました。

「神さまの与える病気は、奥が深く味わい深く、食べてみないとわからないようなものですね」と言われ、病気を『荒野の病気』、『花園の病気』と表現されています。病気を悪いこととしてとらえていないのですね。

「今日はわたしの命日になるかもしれないと思う」という言葉は本で読んだことがありますが、「今日という日は生きている中でいちばん若い日です」という言葉を初めて聞きました。そう考えると、体の具合が悪くても、気持ちが沈まないですね。

また、神谷美恵子さんの詩を通して『弱者を見る目』についても教えられました。
「イエスさまの十字架がなければ救われない人間です」と言われた非常に謙遜な綾子さんの言葉に深く感動しました。   

また、光世氏が実にタイミング良く語られているところもよかったです。綾子さんへの愛と思いやりが伝わってきました。

昨日、知人から貸していただいた三浦綾子・光世さんの「結婚30周年のある日に」というCDを聴きましたので、その感想も加えさせていただきます。

CDの中で綾子さんは、病気で寝ている自分を光世さんが5年待って結婚してくれたことを話し、「今まで30年の間にどんなに自分の結婚に感動してきたかわからない」と語っておられます。

そのとき、綾子さんは67歳ですから、インタビューテープの5年前です。パーキンソン病発病前だったのでしょうか。声の調子、しゃべり方がずいぶん違うのには驚きます。

光世さんの歌声は、以前講演会でお聴きしたことがありましたが、プロの声楽家といっていいほど素晴らしく、実にのびやかに歌っておられます。


三浦綾子・光世さんのインタビューテープ(その3)

2007-09-04 12:48:28 | あかしの紹介

平成6年、NHKラジオ深夜便「心の時代」に出演された三浦綾子さんと光世さんのインタビューテープ「神に愛されて」より。昨日の続きを紹介させていただきます。今日は最終回です。
次回は三浦綾子・光世さんのお話を聞いたわたしの感想を書きます。この記事を読まれた方、ぜひ感想をお聞かせ下さい。

このブログの1日のアクセス数が昨日初めて100を越えました。いつもは50-60。多くても70くらいだったのに、100人以上の方が訪れて下さったのです。きっと三浦綾子・光世さんのことを書いているからでしょう。

三浦綾子さんは召されましたが、テープに声が残されており、時を経て紹介させていただけることの不思議を感じています。貴重なテープを送って下さったSさんに心から感謝いたします。

テープを聴いて書きましたが、語られていることの100%は書けませんでした。(80%くらいです)なるたけ忠実に書きましたが、話し言葉と書き言葉の違いもあって、そのまま記せない箇所もありました。テープをお聴きになりたい方は、ダビングしてお送りいたします。わたしのHPのメールのページにメールアドレスを記していますので、メールにて住所をお知らせ下さい。

字の色は、綾子さんの言葉をピンク、光世さんの言葉を青、アナウンサーの言葉を黒にしています。


病気になってもなお神さまに感謝できる、なお神に愛されていると感じるのは昔からですか?



洗礼を受けてから……結婚してからですね。病気というと、命の心配をしますが、神さまの与える病気は、奥が深く味わい深く、食べてみないとわからないようなものですね。
 
まばたきの詩人水野源三さんが短歌の選者をしている三浦のところに送ってきた短歌を紹介します。


幾たびも ありがとうと声出して
言いたしと思い 今日もくれぬ

自分では動くことも喋ることもできない源三さんが、純粋な神への感謝を表しています。
わたしは、まだまだ感謝が足りません。
水野源三さんや星野富弘さんは、神さまがどんな人の隣にもおられることをあかししてくださっています。


(病気を)感謝できるのは、特別ではないか?と言われることがあります。日本には、たたりという風習があって、その思想によると感謝が出てきません。でも、聖書は明るい希望を指し示しています。

人生の決算はありますが、キリストの十字架によると一切をゆるしていただけるということになれば、話しがうますぎるようですが、本当のことです。

現在、この世がすばらしいのだから、永遠のかなたにはさらにすばらしいものが備えられていると思います。ありがたい命。ありがたい未来を感じないではいられないと、ふたりで話し合っているのです。


朝起きると、今日はわたしの命日になるかもしれないと思うときがあります。そういうときは、平安があります。そう思うと変な喧嘩はしないし、人を赦すことができます。
また、今日という日は生きている中でいちばん若い日です。若い日だと思うと足取りも軽くなります。


以前お書きになったもので、信仰の道に入るには「狭き門から入れ」という言葉がありますが、今もそう感じておられますか?


はい。傲慢さがあると入れません。自分が罪人だと自覚して「神さま、赦して下さい」と、謙遜になって言うことが大切です。赦して下さいと言わない人は、神さまも赦さないと思います。十字架を仰ぐことが狭き門を通るということです。


人間は自分が絶対的存在だと思ったり、自分が正しいということにしがみついている。狭き門から入るには、それを振り切ることが必要です。神さまより大事な物があっては困ります。



日頃書かれているものの中で、そういうことを教えておられるのですね。


自分の書いているものをあまり自覚していないのでわかりませんが……十字架ぬきに信仰は与えられないことだけは確かです。
 

十字架は担ぎたくないという思いがありますが……


十字架を担ごうとしたとき、神さまが担いで下さいます。


同時に神さまが、担ぐ力も与えてくださるのです。


自分は心冷たく、どうしようもない人間です。『ひでえ野郎』だと思っています。神の子を十字架につけなければ救われない人間です。どうして自分の文章が伝道に用いられるのか不思議だし、おそれを抱いています。

                 おわり

三浦綾子・光世さんのインタビューテープ(その2)

2007-09-03 11:45:31 | あかしの紹介

平成6年、NHKラジオ深夜便「心の時代」に出演された三浦綾子さんと光世さんのインタビューテープ「神に愛されて」より。
一昨日の続きを紹介させていただきます。

字の色は、綾子さんの言葉をピンク、光世さんの言葉を青、アナウンサーの言葉を黒、聖書の言葉を緑にしています。


病のすべてを受け入れておられるのですか?


そんなことないですよ。病気にも慣れるんですよ。苦しいときもあるけれど、苦しいままでなく、神さまがいろいろ工夫してくださる。

病人にとって何が問題かというと……病気になると3歳の子でもできることができなくなってしまいますね。そういう人を軽んじる人がいますが、それが問題です。

病気で何もできなくなってしまう人がいたら、そういう人を見下げないでほしいです。病人は、人と同じ物が食べられないこともあり、疎外感を持ちます。人は、疎外感が重なると生きていけません。わたしは幸いにもまわりの人が疎外感を感じさせないように配慮してくださっていますが……。

神谷美恵子さんがハンセン病療養所に行って患者さんを見て作った詩に感動しました。


なぜ私たちでなくてあなたが
あなたは代って下さったのだ


人間が弱者を見る目がこうであったら、この世に苦しみがなくなります。

病気の原因がたたりとかばちと言われると荒野の病気になってしまいます。神のわざが現れるためと言われたら、花園の病気になります。病気の問題は、病人だけの問題ではなく社会の問題です。

ヨハネ9:3にイエス様の弟子が生まれつきの盲人を見て、彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからなのか?とたずねたとき「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」と言われたことが書かれています。これを読んで感激しました。
病気だからといって、肩身を狭くする必要はないんですよ。神さまは不必要な人間を造るほど愚かではありません。生かされているのは、神が必要としているからです。


この聖書の言葉は綾子が13年の療養の時、非常に大きな力と慰めになったのです。


人間は律法のためにあるのではなく、律法が人間のために作られたというイエス様の言葉は私を自由にしてくれました。イエス様は、人間が律法のために造られたのではないと言われ、安息日にも病人を癒されました。自由な精神が今の日本に欠けています。


次々と病気をされて、十字架を負わされていると感じて大変だと思われたことはありませんか?


それほど悲壮に思ったことはありません。毎日楽しく暮らしていますよ。
重荷を負わされているという気がしません。神さまは負えないほどの重荷を負わせたりしませんから。


生来楽天的なのです。癌と言われても平安でしたから。


手術の前日も病室でいつもと同じように原稿を書いていました。とても平安でした。

それはなぜでしょうか?


神は愛なりです。綾子は愛なる神がいいようにして下さると信じきっています。


でも、人間だから取り乱すようなこともあるかもしれません。そうだとしても、神さまがわたしを造って下さった責任として永遠の命を与えて下さると高をくくって感謝しているのです。

世の中を見ていると素晴らしくて、どう考えても神さまが造ったとしか思えないでしょう。人間のまつげを見てもそう思うし、花の美しさ、美味しいさまざまな食べ物……。わたしが神さまだったらこんなに素晴らしいものをたくさん造ったりしないのに……。

この世界がこんなに素晴らしいのだから、次の世はもっと素晴らしいと思います。死後、いいことになるんじゃないかなあと楽天的に思っているんですよ。

 

                     つづく

*間違えて記載していた箇所がありました。太字で書いた部分が訂正した文章です。申し訳ありませんでした。(9月3日14時56分記す)


三浦綾子・光世さんのインタビューテープ(その1)

2007-09-01 09:23:34 | あかしの紹介

友人が三浦綾子さんと光世さんのインタビューテープを送って下さいました。
平成6年、NHKラジオ深夜便「心の時代」に出演された時のテープです。
晩年の綾子さんの肉声を聞くのは初めてです。感動して何度も繰り返し聞いています。

平成6年というと綾子さんが召される5年前、72歳の時です。パーキンソン病発病後です。途中で咳き込まれたりして、体調があまり良くないごようすでした。
インタビューテープの内容を数回にわたって紹介させていただきます。
「神に愛されて」というタイトルです。

字の色は、綾子さんの言葉をピンク、光世さんの言葉を青、アナウンサーの言葉を黒、聖書の言葉を緑、補足を茶色にしています。


綾子さんは、24歳で肺結核を発病され、その後脊椎カリエスで13年間寝たきりの生活。その後も帯状疱疹や直腸癌、パーキンソン病を患われました。



日本では信仰をご利益と結びつけて考える人が多いのですが、次から次へ病気をされたことをどのように受け止められますか?


キリストを信じているのに病気ばかりして、何かにたたられているんじゃないかと言われることもあります。日本では、たたりとかばちとか、病を悪いこととして受け取っている人が多いですね。

 逆に幸せというのは、健康であることと思う人が多く、幸せな結婚といえば相手が健康であることを第一に願います。でも、三浦は病気でいつ治るかもわからないこの者と結婚の約束をし、5年も待って結婚してくれました。三浦にとって、結婚は健康が第一条件ではなかったのです。
 
神さまはわたしに病気というかたちの恵みを与えて下さいました。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩編119:71)」
という聖書の言葉を星野富弘さんも言っておられます。

健康であることが良いこと、幸せなこと、としか考えていない人にはわからないことですね。
先祖のたたりとか言うけれど、わたしだったら子孫がかわいくて、子孫にたたろうなんて思わないですね。


『苦しみに会ったことが幸いになる』というのは、神を知ることができたからです。聖書には苦しみは後にならないとわからないと書かれています。
ヨブ記には、正しい人が災いにあうことが書かれています。災いにあう理由はそのときはわかりませんが、神さまの側に考えがあるのでしょう。読者の方から「本を読んで人生が変わった」という手紙がくるのは、妻が病気になったからです。



それでも生身の身体をもつ身としては、もう病気はいやだとお思いではありませんか?


それほどわたしは重体ではないのでそんなふうには思いませんよ。わたしのことを造って下さった神さまが悪いようにするはずはないでしょう。神さまに「助けて下さい」というより、「神さまにお従いします」という気持ちになりたいです。


*重体じゃないと答えておられるが、当時の綾子さんはパーキンソン病でかなり大変な病状だった。



病気になって安らぎを感じたと書かれているのは何故でしょうか?


夫が祈る人であり、いつも励ましてくれるから。きびしいですけれど……


パーキンソン病はリラックスしなければいけない病気なので、もう少しきびしくないほうがいいかもしれませんね。

帯状疱疹で壮絶な痛みが襲ってきたときも、綾子は静かに耐えていました。失明するかもしれないと言われたときには、目を閉じて歩く練習をして、すぐに受容していました。

癌になったときも静かに受け入れていました。パーキンソン病で、立ちすくんで夜中に2時間もトイレにいたことがありましたが、じっと耐えて、決して焦らないんですね。

              
                つづく

Oさんのあかしより(その2)

2006-05-07 17:24:42 | あかしの紹介

 次の日曜日もOさんは礼拝に出席されて、だんだん親しくなり、息子さんのこともお聞きしました。
あかし文に
「こんなに泣いても涙は枯れることがないと知りました。」
(昨日の記事で紹介)という一文からどれだけ涙を流してこられたのだろう……と胸が痛みました。

同じ悩みを経験してないわたしは、その苦しみの半分も理解していなかったのだなあと思います。娘が中学のとき友達関係に悩み、学校を休んだことがありました。たった1日だけでしたが、その日は、心配で胃が痛くなりました。こんなつらい日をOさんは何百日も過ごしていたのですね。

9月からは毎回家庭集会に出席されるようになって、メンバーの方々とも親しくなりました。家庭集会のメンバーは、Oさんのため、息子さんのために祈り始めました。

息子さんは、何年もあまり変化がありませんでしたが、Oさんが少ずつ変えられてきているのを感じました。4年近くたって「洗礼を受けることを牧師先生に相談しに行く」という言葉をOさんから聞いたとき、わたしは神様に感謝の祈りを捧げました。

あかし文の続きです。

それから随分時が経ち、神様から沢山の恵みと祝福をいただきました。
「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8-28)」
必ず良くなるから大丈夫だよとかたりかけられたようでした。
「神様はすべてのことを働かせて益としてくださる」このみ言葉にどれだけ励まされたことでしょう。今は好ましくないと思われるようなことも、やがてきっとこの事を宝にかえてくださるにちがいないと信じ祈りました。
私がどうにかしようなどと傲慢にならずに神様のみこころにおまかせしようと思いました。沢山のみことばから自分が癒され恵まれると息子にも伝わり少しずつ歩き始めました。長いトンネルからやっと抜け出しました。
受洗の決心には勇気がいりましたが自分の意思で決心した新しい出発となりました。私が受洗するにあたり牧師先生方、また多くの兄弟姉妹の方々からのお祈りを心から感謝します。


Oさんの祈りがかなえられ、息子さんは、去年から予備校に通えるようになり、受験してみごとに合格し、この春から大学に通っています。本当によかったです。

Oさんは、息子さんが不登校になったのは、自分のせいだと思い、自分を責めて苦しい思いをされました。わたしも息子が高校時代、わざと学則をやぶるようなことをしたり(何度も学校から呼び出されてあやまりに行き、わたしは胃にポリープがたくさんできてしまいました)一年の大半も遅刻をしたとき、自分の育て方が間違っていたのだと自分を責めました。

でも、両親の育て方が悪いから子どもに問題が起こると短絡的に考えてはいけないと今日の礼拝メッセージでH牧師が語られました。旧約聖書に登場する祭司エリの息子たち、預言者サムエルの息子にもそれぞれ大きな問題がありました。ダビデの息子アブシャロムに至っては、父親に対して謀反を起こしました。


親が子供に対して出来る最善のことは祈ることだ
とH先生から聞いたとき、家庭教育においては不充分でしたが、必死に祈ってきたので(社会人になった今も心配で祈っています)もう自分を責めるのはやめようと思いました。きっと、祈ることができる幸いをOさんも感じておられることでしょう。

引きこもりの人は、茨城県だけでも数十万人もいるそうです。本人も親もつらいでしょうね。その人たちのために教会で何かできることはないでしょうか……と祈っています。教会にフリースクールができたら、命を削ってでも奉仕したいと思います。


Oさんのあかしより(その1)

2006-05-06 12:20:00 | あかしの紹介

3月に洗礼を受けた友人のOさんが、この前の日曜礼拝の中であかしをされました。心を打たれるあかしでしたので、あかし文を送っていただきました。Oさんの許可を得て一部を紹介させていただきます。
 
 私をとりまく環境は仏教です。意味もあまり良くわからずに仏事に参加していました。そんな中で苦しいことや困ったことになってしまった時には神だのみしていました。
 それでも自分の生き方としては真面目に何事も一生懸命やればどうにか道はみつかるというものでした。傲慢にも自分がどうにかできるというものでした。
 ところが、そんなある日に息子が突然家から出なくなりました。なにが起きたのか家族中で心配しました。心配が度をすぎて家の中は混乱しました。
 主人も私も親がどうにかしなければと必死でした。そして焦りました。世の中の基準に合わせようと。でもどうにもなりません。どうにかしようと思えば思うほど

 息子が苦しみました。親が心配すればするほど「自分のせいで親を苦しめている」と自分を責めていたようです。私は自分自身が辛くて悲しかったので早くどうにかしたかったのです。一番辛く苦しいのは息子のはずなのに、全くの自己中心的でした。私のせいで大切な青春の時期を奪ってしまったと自分の罪の深さに悩みました。

 メンタルクリニック、親の会、カウンセリングとよいと思われることはなんでもしました。それでも好転しないので私は食べることも眠ることも出来ずに落ち込んでいました。こんなに泣いても涙は枯れることがないと知りました。


 Oさんの息子さんとわたしの息子は同じ年です。息子さんは、高校のとき不登校になり、そのまま家から出られなくなってしまったそうです。Oさんが教会に初めて来られたのは、息子さんが不登校になって3年くらいたった時期です。
 
 そのとき、わたしは礼拝堂でOさんの隣の席に座っていました。「新しい方だからよろしく」と案内の係りの人から言われました。第一印象は、やさしそうな人だなあ。でも、心に悩みをかかえておられるようだなあと思いました。

 わたしは推薦されて教会のフォローアップ(新来者に声をかけたり、わからないことを教えたりする)係になっていましたが、自分では向いていないと思っていました。実は、とてもシャイで、初対面の人と話すのは苦手なのです。(えーっ、うそでしょう!と思った人もいるでしょうね。ホントです)

 礼拝の後、ドキドキしながらOさんに声をかけ、自己紹介をし、お名前を聞いたとき、なぜかわかりませんが、親しくさせていただきたいと思ったのです。(旧約聖書にでてくるダビデとヨナタンのように)

 住所を聞くと割合近くだったので、家庭集会におさそいしました。でも、そのときは7月の家庭集会が終わったばかりでした。8月は夏休みで集会がないので、9月までずいぶん長いなあと思いました。

 それで、「この次礼拝に出るときもこのあたりの席に座って下さい。わたしも近くに座るようにします」と言いました。1回の礼拝に100人以上の方が出席するので、同じ時間の礼拝に出ていても顔をあわせないことがあるからです。
                                  つづく

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