生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

役に立たなくていい、そばにいるだけで・・・・・・

2011-11-30 12:53:42 | お茶の水聖書学院

これから母が泊まりがけできます。
パソコンでの年賀状作りをするのが第一の目的ですが、ゆっくりしたよいときが過ごせたらなあと思っています。

OBI(お茶の水聖書学院)で牧会臨床学のカウンセリングについて学んでいます。カウンセリングで最も大切な傾聴について学び始めているとき、27日の礼拝メッセージでも聴くことの大切さについて教えられました。

人の話を黙って聞くことはとても難しいことだと実感しています。
ともすれば、人の話を聞きながら、次に自分が言うことを考えていたり、話を聞いてお説教してしまったり……。
わたしはかつて言葉で失敗しました。友人の訴えを聞いて、なんとか役に立ちたいと思い、悩みを解決に導くアドヴァイスをすることばかり考えていました。それで、正論を言って友人の心を深く傷つけてしまったのです。

まるでヨブの友人のようでした。ヨブの友人は最初ヨブの哀れな姿を見て、言葉を失い7日間そばにいたのですから、ヨブの友人の方がましです。(ヨブの友人はそのあと話し始め、ヨブはそれに答えているうちに悩みが深くなります)

ヘンリー・J・M・ノーウエンの「コンパッション」には
『わたしたちが、慰めや安らぎを感じるのは、往々にしてお互いにとって「役に立たず」、控えめで、つつましくそこにいることなのだということを忘れています。』
と書かれています。

役に立とう、何とか教えよう、導こうと思う気持ちが相手の傷をかえって深くしてしまいます。役に立たなくていいんです。共にいて、共に悲しむことだけでいいのだと苦い経験の後で気づかされました。



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「生まれてこなければよかった」と言われ……

2011-11-28 20:10:48 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

26日はクリスチャン・ペンクラブのクリスマス会でした。新しい方や久しぶりに来られた方もおられて、30名近く集まり、皆でクリスマスをお祝いしました。
今年は外部講師のH先生を迎えしてお話しを聴きました。

H先生は子どものころ、両親から虐待を受けていたそうです。「生まれてこなければよかったのに」と言われたと聞いて、どれだけ辛い思いをなさったかと胸が痛みました。

小学生のとき、引っ越し先の近所に牧師の家があり、その子どもたちと仲良くなったことがきっかけで教会学校へ行くようになったそうです。

また、お父様のすすめでミッションスクールに通うようになられます。
ミッションスクールの入学式のとき、自分が神様から愛されている存在だと気づかされ、『生きていていいんだ』と思ったそうです。

<(註)どんな人でも生まれてこなければよかった人間などいません。たとえ両親が望んでいなかったとしても、あなたの存在は、かけがえのない尊い存在です。たとえ両親がその人を愛さなくても、あなたを造られた神様が愛し、あなたを必要としてくださっています。>

「母の胎にいるときからご存じの神様が、教会へ行くことを備えて下さった」と言われました。
「神が私の人生を計画してくださっている。だから、私は虐待される子どもとして育つことが必要だった」と言われるのを聞いて、はっと心打たれました。

それでも、両親から虐待を受けて育ったことは、大変なことで大きな痛手になっていたのでしょう。
「このように育つべく育ったのは主の恵みだと気づいたのは、50歳のときだった」と言われました。
それまでの間、どれだけ苦しんでこられたことでしょう……。

「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。(ヨハネ21:6)」
という聖書の言葉から、舟の右側とは文書伝道だと気づかされ、JCPに導かれ、また神学校にも入学されたそうです。

教会の牧師になられ、出版社を立ち上げ、たくさんの仕事に追われるようになり、忙しくしていたとき、重い病気になってしまいました。病院に緊急搬送され、3か月の入院を余儀なくされました。生死をさまよっていたとき、神様からの召命は何だったか思い返され、文書伝道に立ち返られたそうです。

「神様はできないことをせよとはおっしゃいません。神様はなすべきことを示しますが、それと同時に賜物も与えて下さいます。
神様が見られるのは、結果の出来不出来ではありません。全力で打ち込んだかどうかです。」

という言葉に力づけられました。

わたしも神様から文書伝道をするようにと示されています。それなのに才能がないからダメなんだと自信がなくなったり、このまま文書伝道を志していっていいのだろうか……と迷うことがあります。結果を気にするからいけないのだと気づきました。

「神の賜物と召命とは変わることがありません(ローマ11:29)」のみ言葉をかみしめて、迷わず進んでいきたいです。

第2部は、JCPの音楽家たちによる演奏と賛美。クリスマスの喜びあふれる賛美に晴れやかな気持ちになりました。



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子どもたちのデイサービス訪問

2011-11-24 20:37:42 | CS(子供伝道)
昨日は教会学校の子どもたち(1、2年生)11名と一緒に教会のデイサービスを訪問しました。
今年の教会学校クリスマスは、福祉というテーマで取り組んでいます。例年ならクリスマス会に向けて、劇や歌、工作などのグループに分かれて練習するのですが、今年はそれがありません。

低学年で3グループ、高学年で3グループに分かれて手話、キングスガーデン訪問、デイサービス訪問、奥多摩自然の家(福島第一バプテスト教会の方々が避難しているところ)訪問、韓国デバン教会との交流、聾教会訪問を行うため準備をしてきました。

わたしはデイサービス訪問の担当です。
めぐみ教会では月曜から金曜日に喜楽希楽サービスというデイサービスが行われており、毎日10名前後の高齢者の方が通所しておられます。

子どもたちが高齢者と一緒にできることは何だろうと考えました。まず、手遊びをしてみてはどうかという案が出ました。喜楽希楽サービスの方々は「みかんの花咲く丘」が好きで、よく歌っておられると聞いたので、子どもたちにも教え、練習しました。

手遊び後はクリスマスの工作をすることにしました。
前もって子どもたちがツリーとリースを貼り絵で作り、当日は高齢者の方々と一緒に色紙で飾りを作るのです。


いよいよ当日、少し緊張した面持ちの子どもたちが訪れると、おじいちゃん、おばあちゃんたちは歓迎の拍手をしてくださいました。

まず、自己紹介をして、みかんの花咲く丘の手遊びをしました。子どもの小さな手が高齢者の方の手に触れると、お互い笑みがあふれてきました。歌に合わせて手を動かすことは高齢者にとって大変なことのようでした。ゆっくり、ゆっくり・・・・・・。

子どもたちは歌にではなく、おじいちゃんおばあちゃんの手の動きに合わせます。「可愛いおてて」と言って思わず子どもの手を握るおばあちゃんもいらっしゃいました。


工作は、おじいちゃんおばあちゃんの方が得意のようでした。きれいに折ったり、線の通り切るのは上手です。線を書いておじいちゃんに切ってもらっている子どももいました。子どもたちは型にとらわれず色んなものを考えて作りました。折り紙で大好きな電車を作ってリースに貼っている子どももいました。おじいちゃん、おばあちゃんは独創性のある作品に目を丸くしていました。

80代、90代の方がほとんどですので、小学生の孫がいる方は少なく、孫がいても成人していたり、遠方だったりで、ふだんは小さな子どもと触れあう機会が少ないようでした。
子どもたちと接する高齢者の方々の目はキラキラ輝いていました。子どもたちも嬉しそうでした。

1時間半ほどの交流を終えて、最後に記念撮影をしました。
共同作業で作ったクリスマスツリーとリースは喜楽希楽サービスでしばらく飾って下さるそうです。

子どもたちはこの交流を通して何を感じたでしょうか……。
このことをきっかけにこれからもよい交流ができますように。


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いつまでも、どんなときも

2011-11-21 17:06:51 | 教会
元気なときは元気であることが当たり前と思って生活していますが、体のどこかがほんの少し悪いだけで気になり、早く治って欲しいとそればかり願います。長い間治らないと気持ちまで落ち込んで来ます。

わたしの場合、咳だけが症状だったのですが、夜眠れなくなってくると、苦痛でたまらなくなります。以前よく起こしていた呼吸困難を伴う喘息の発作に比べれば全然たいしたことないのですが……。

薬を飲んでもぴったり治まらないだろうと覚悟していたら、先週の金曜日あたりからどんどん良くなって、昨日から全く咳が出ていません。癒されたことを感謝し、元気で活動できる限られた時間を大切に使わなければと思いました。


昨日の礼拝はI先生によるメッセージでした。
最初に「ラブ・ユー・フォーエバー」ロバート マンチ (著), 乃木 りか (翻訳)
という絵本を紹介して下さいました。子どもの絵本というよりお母さんのための絵本という感じです。


お母さんは生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこして歌います。
アイ・ラブ・ユー いつまでも アイ・ラブ・ユー どんなときも わたしが生きているかぎり あなたはずっとわたしのあかちゃん

赤ちゃんはやがて2歳になり、9歳になり、ティーンエイジャーになります。たとえ子どもが悪い事をしても、夜になるとお母さんはぐっすり眠った子どもを抱っこしながらこの歌をうたいます。やがてお母さんが年を取ったとき、息子がお母さんの家にいくと、お母さんは歌を途中までしかうたえなくなっていました。そのとき、息子はお母さんにうたいます。アイ・ラブ・ユー……



心にジーンと響きました。

I先生のメッセージの一部を紹介させていただきます。

*******************************************
すべての人は親から生まれます。子どもは親の手で育てられますが、親の願った通りには成長してくれません。

親はわが子を愛するがゆえに期待し、心配します。心配しすぎ、あまやかしてダメにすることがあります。

詩篇37:5には「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる」と書かれています。
子どものことを神様にゆだねる。つまりおまかせすることが大切です。

何か足りないから幸せになれないのではなく、ゆだねられないから悩みが深くなるのです。

不平不満は思い通りにならないところから出てきます。

神様の前で必要なことは「捨てる」ことです。とはいえ、なかなか手放せないものです。我が子に対する過剰な期待や心配がやめられないのです。

だからこそ、キリストが来て下さいました。
「キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ2:6-7)」

*******************************************


神様の子どもであるイエス様は、栄光に満ちた神様のお姿です。わたしたち人間がこのままの状態だと罪のために滅びてしまうので、わたしたちを救うために神様の姿、栄光、プライド、ご自分のあり方を捨て、仕える者の姿になって、最も貧しいところ(家畜小屋)で生まれて下さいました。わたしたちを愛するがゆえにです。

イエス様がそこまでしてくださったのだから、わたしもしっかり握りしめているものを捨てて主におまかせしようと思いました。




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「もうダメだ!」と言わないで

2011-11-18 19:45:54 | 聖書から
九州旅行から帰って来てから体調が思わしくありません。咳が出始め、その咳が10日も続くので病院へ行くと、咳喘息といわれました。

咳だけで他に症状がないので普段通りにしていましたが、ひどくなる一方で、咳き込んで眠れなくなりました。

別の病院に行って、「大事な用事があって出かけるので早く治してほしいのですが……」と言うと、「そんなすぐには治りませんよ。とくに喘息の人は、喉が敏感なので普通の人より長引きます」と言われました。

今日はレストランの個室を貸し切って家庭集会20周年記念会を行うことになっおり、また明日は東京まで行く用事があるので、咳が治まるように必死に祈りました。

そうしたら昨夜はぐっすり眠れ、朝起きると喉の奥の炎症がおさまっているような感じがしました。
今日は、家庭集会に行くことができました。家庭集会は森の中に建つ山小屋という感じのレストランで行われました。

家庭集会ではヤコブのことを学びました。

ヤコブは長子の権利を奪うため父親をだました人です。狡猾な人というイメージがありました。でも、神様は双子の兄エサウを選ばずにヤコブを選ばれました。
それはヤコブが偉かったからではありません。なぜなら、母親のおなかの中にいたときから神様はヤコブを選んでおられたからです。

ヤコブがエサウより優れていたわけではなく、また何か良い事をしたからではなかったのです。
神様はヤコブを選んだのち、ほおっておっくのではなく、干渉しながら育てて下さいました。神様は自分勝手に生きようとするヤコブに干渉し、神の御心通りに連れて行こうとされます。

創世記47:9 には晩年のヤコブの告白が書かれています。
永遠の命に生きることが最も大切だとわかったというヤコブには、以前の狡猾で自己中心なすがたはありません。130歳になったときにはすっかり変えられていたのです。


ヤコブのような人が聖書に書かれていることは、欠点の多いわたしにとって慰めになります。聖書に出てくる人物が品行方正な人ばかりなら、自分とかけ離れていると思ってしまいますが、アブラハムも、ダビデもペテロもその失敗が書かれていて、失敗しても神様によって立ち返っています。

レジメには次のように書かれていました。


「自分の失敗や足りなさが自分の運命を変更することはできないという事実を知ることほど、うきうきするものはありません。」

「私たちは毎日倒れます。しかし、いつももう一度起こして下さる神の御手があるので、もはや挫折はあり得ません。」

「私たちが自分の人生をあきらめても、神があきらめない限り、私たちには自分の人生をあきらめる権利がないのです。」

「イエスを信じるということは、これ以上ご自分に頼って生きないという意味です。傲慢になれないと同時に挫折する権利も奪われた者たちです。」

「『私はもうだめだ』」とどうして言えるでしょうか! 神が不快に思われます。」



わたしは何度も失敗し、挫折を繰り返してきましたが、挫折があり得ないと聞いてはっとしました。確かに神様はわたしを選び、導いて下さっています。だから失敗しても神様が引き戻して下さいます。

どんな人であっても「もうダメだ」なんていうことを言うことはできないのだと思いました。



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条件付きの愛は哀しい

2011-11-15 16:50:47 | CS(子供伝道)
主人は孫のヒックンに「いい子だったら今度おもちゃ買ってあげる。いい子かな? 悪い子かな?」としきりに言っています。
そういうふうに言わないでと言っているのに……。

いい子だったら……と条件をつけると、いい子のヒックンは好きだけど、悪い子のヒックンは嫌いという意味になりかねません。
いい子になってほしくて言っているのはわかります。でも、子どもはするつもりがなくても、つい悪い事をしてしまうことがあります。(子どもだけでなく大人もそうですね)

そして悪い事をしたとき、しまった!と思って反省するのです。
そんなとき、頭ごなしに叱られたり、悪い子とレッテルを貼られたりしたら、反省の気持ちが薄れてしまいます。
さらに悪い子は受け入れてもらえない、愛されないと思うと、突き放されたような気持ちになります。

わたしは子どものころ悪いことをした時、母に叱られているうちは安心していました。
でも、「もういい。わかったから」とそっぽを向かれると不安になりました。「何がわかったの?と聞くと、「あんたは悪い子だってことがわかったの」

そう言われると、もう愛してもらえないのだと思い、母の背中に泣いてしがみついたのを覚えています。

悪いことをしてしまったら、その行為に対して叱っても、悪いことをした子どもの存在を否定してはいけないのです。

今の世の中は良い結果を出すこと、努力して勝ち抜くことを賞賛し、体が弱いため頑張りたくても頑張れない人、頑張っても良い結果を出せない人をバカにする社会です。
目に見える成果、結果だけを重視し、経過やそのときの子どもの心を無視する先生や親。
「いい子だったら○○してあげる」「成績が上がったらご褒美を上げる」と条件付きで子どもを可愛がる親。

成績が悪くても、悪い事をしてしまっても、存在そのものが尊いのだという聖書的な考えで子どもに接すれば、もっと伸びて行くのになあと思います。

先週の水曜礼拝では夜回り先生こと、水谷修一さんの書いたものを紹介して下さいました。
その中に
「純粋でまっすぐな子どもほど病んでいき、優しさがある子ほど、優しさゆえに傷つけられている。みんな大人の都合で汚されている」
と書かれていました。

夜の街でうろついている子どもたちは不良でどうしようもない人間だというレッテルを貼る大人が多い中で、水谷先生は夜の街の子どもたちと接してこられました。彼らは好き好んで夜の街にいるのではなく、居場所がないから出かけて行くのです。本当は寂しくて愛に飢えているのです。

そんな子どもたちに伝えたい。「きみを造った神様は『わたしの目には、あなたは高価で尊い(イザヤ43:4)』と言っておられるよ。きみは愛されるために生まれたんだよ」と。



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熊本・鹿児島の旅(その3)

2011-11-12 20:58:16 | 日記
鹿児島のホテルは桜島の見える部屋でした。桜島は雲がかかっていて、上の方はよく見えませんでした。


朝から観光バス(半日コース)で仙巌園(せんがんえん)に行きました。仙巌園は、磯庭園とも呼ばれます。江戸時代初期に島津光久(19代当主)が築庭し、中国龍虎山の仙巌にちなんで「仙巌園」と名付けられたそうです。




ちょうど菊祭りをやっていました。五重塔や篤姫の菊人形がありました。


桜島(築山/遠景)と錦江湾(池/中景)を借景に取り入れて風景を楽しめるように造られたという庭園は、素晴らしかったです。生垣が波の形になっているのには感心しました。


鶴灯篭と呼ばれる鶴が羽を伸ばしたような形の灯籠がありました。


仙巌園の次はフェリーで桜島へ向かいました。観光バスごと船に乗れるので便利です。たった15分で桜島に着きました。

桜島岳の4合目にある湯之平展望所に連れて行ってもらいました。海抜373メートルあるそうです。
小雨が降ってきて、眺めはいまひとつでしたが、バスガイドさんの「鹿児島では雨はお客さんを歓迎する意味がありますので、歓迎されているのですよ」という言葉に嬉しくなりました。

『せっかく行ったのに雨で残念と』思うところ、『わたしたちは歓迎されているんだ』と雨を喜ぶ気持ちにさせてもらえました。

このところ火山活動が活発になっているそうです。道路の端の方には火山灰が積もっていました。
水のない川、野尻川を見ました。噴火時には溶岩の通路に、大雨の時には雨水の通路になるように作られているそうです。


桜島を一周してフェリーが着いたところは、水族館前でした。帰りの飛行機の時間まで3時間以上あったので、水族館を見学して時間調整してから空港に向かいました。

帰りの飛行機でふと、今回の旅行は30年前に行った新婚旅行よりよかったと思いました。
お見合いしてから半年後に結婚したわたしたちです。新婚旅行のころは、お互いのことを少ししかわからず、心も通じていませんでした。

30年経って、お互いの欠点や長所がわかって、心から安心できる関係になっています。
クリスチャンとノンクリスチャンの夫婦です。考え方も生き方も異なりますが、お互いに違いを認め合っています。

鹿児島空港のレストランで、イエス様を信じて本当によかったこと、主人と結婚して本当によかったことを伝えました。
いつか主人もイエス様を信じる日がくることを信じて……。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

                       おわり


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熊本・鹿児島の旅(その2)

2011-11-10 12:51:48 | 日記
いままで何度か旅行をしましたが、夫婦だけで行く旅行は少なかったです。息子が結婚する前は家族4人で毎年旅行に出かけ、息子が結婚してからは息子家族と共に行ったり、娘と3人で行ったり……。

結婚して一年目に息子が生まれたので、夫婦2人の旅は新婚旅行以来かもしれません。

今回の旅では信仰のあかしをしようと思っていました。どうして教会に行くようになったか、どうしてイエス様を信じたか、イエス様を信じてどう変わったかを話そうと思ったのです。

30年も一緒に暮らしてそのような話をまだしていないなんて不思議に思う方もいるでしょう。主人はキリスト教の話をすると嫌がり、機嫌が悪くなってしまうからでした。また、わたしの書いたものもHPもブログも全く関心なく、読みません。本も読んでないと思います。

最近になって、日常会話に少しずつ信仰の話を織り交ぜて話すようにはしていました。
旅行中はチャンスだと思ったのですが……観光タクシー内では話せず、汽車の中では観光案内アナウンスが入り、食事のときは食べるのに夢中で……ホテルの部屋ではテレビがついていて……ようやく少しだけ話せたのは、帰りの鹿児島空港で夕食をいただいているときでした。
それでは、旅の続きを……


阿蘇山をめぐって熊本駅近くのホテルに宿泊し、2日目はいよいよSLの旅です。

SLの発車まで一時間ほどあったので、熊本城を見に行ってきました。中に入る時間がなかったことが残念でした。


SL人吉がやってくると鉄道にそれほど関心がないわたしでもわくわくしました。主人はカメラを手に盛んにシャッターを押しています。


黒々とした蒸気が出ているのを間近でみると、タイムスリップしたような気持ちになりました。人吉市のSL展示館に展示されていたものを修復して走らせているそうです。


汽車の中は落ち着いた雰囲気で、ビッフェや図書コーナーもありました。汽車は球磨(くま)川沿いを走りました。

途中の駅は昔のままの趣がありました。
お弁当を食べながら、熊本から人吉まで2時間半の旅を楽しみました。

人吉駅で乗り換えに少し時間あったので、駅前のからくり時計をみて楽しみました。




今度は「いさぶろう号」で人吉駅から吉松駅へ向かいました。「いさぶろう号」は、明治42年開通当時の通信大臣・山県伊三郎の名前をとってつけられています。スイッチバックしてジグザグに走るのを体験しました。

次に「はやとの風」に乗ったのですが、風邪薬を飲んでいたせいで眠りこけていました。
9時46分に熊本を出て、鹿児島に着いたのは16時30分でした。

                    つづく

*写真をクリックすると大きく見えます。
*日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひご覧ください。



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熊本・鹿児島の旅(その1)

2011-11-08 12:59:44 | 日記
結婚30周年の旅行の行き先を九州に決めたのはわたしの願いからでした。九州は主人の故郷ですが、わたしは行ったことがなく、以前から訪れたいと思っていました。
主人は九州へ行くことには賛成しましたが、故郷の福岡ではなく、熊本に行きたいと言いました。SL人吉に乗ってみたいと言うのです。

熊本から鹿児島までSLと列車の旅をすることにしました。
まずは羽田から熊本空港へ。アレルギー性鼻炎のせいで離着陸の時にひどい耳痛がするので飛行機はあまり好きではありませんが、2時間足らずで行けるところが魅力です。

お昼に熊本空港へ着いたので、まずは予約していた観光タクシーで阿蘇山を案内してもらいました。
天気はあいにくの小雨。でも、途中から雨が上がって明るくなってきました。初めて見る阿蘇の壮大な景色に息をのみました。


杉林の濃い緑と薄茶色のススキ野の部分があるのはなぜだろうと思っていたら、定期的に野焼きをしているからだそうです。

野焼きをすると、牛馬のえさとなるススキやネザサなどの芽吹きが促され、ダニが駆除され、森林化が抑えられるそうです。草原の美しさは野焼きによって保たれているのですね。


馬やあか牛が放牧されていました。

阿蘇山から煙がたくさん出ていました。火口へ行くロープウェイが止まっていて、残念ながら行くことができず、火山博物館に入りました。


(上の写真は草千里)

大昔の阿蘇は外輪山に切れ目が無く、その中には水がたまって広大なカルデラ湖になっていたそうです。
その部分に家が建ち、鉄道が走っているのですから不思議です。いつまた大噴火するかわからないそうです。でも、かなり正確に噴火予測できるので大丈夫とのことでした。
でも、今年の大震災のように想定外なこともあるかもしれません。自然の前には人間は無力であることを思い知らされていますから。この地に災害が起きないように祈りました。


*写真をクリックすると大きく見えます。
*前回の記事の写真を桜島の写真に変更しました。
 
                    つづく


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今日を後悔しないために

2011-11-06 17:19:10 | 日記
3日~5日まで主人と九州(熊本・鹿児島)旅行に行ってきました。主人が退職時に会社から旅行券をいただいたので、結婚30周年の祝いとして旅行する計画をたてました。

主人は6日を含めて3泊4日の旅にしようと言ったのですが、旅行中に旅先の教会で礼拝するのは難しいので、5日中に帰ることを希望しました。

礼拝を守らなくてはならないという律法的な気持ちではなく、日曜日は礼拝を守りたいという強い願いがあるためです。そのため少しハードスケジュールになり、昨夜帰宅したのは深夜12時近くでした。

月曜日から熱を出したヒックンを旅行の前日まで預かっていて、熱が下がらないヒックンをママに委ねて旅立つことになりました。
わたしは、ヒックンの風邪がうつったのか、旅行当日から喉が赤く、3日間風邪薬を飲んでいました。
そのため眠くて、眠くて、寝てばかりいました。風邪は少しずつ回復してきて、2日目は温泉に入れました。
ヒックンは4日から熱が下がってきたと連絡があり、ほっとしました。

体調が悪かったのにもかかわらず、すばらしい旅ができ、すべてのことが守られて元気で帰宅できたこと。今日、礼拝出席できたことを感謝しています。
旅行のことは後日書きますね。


今日の召天者記念礼拝で牧師先生が読んで下さった詩をインターネットでみつけましたので、全文を紹介させていただきます。
3.11で息子さんを突然失った母が書いた詩だそうです。

最後だとわかっていたなら

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


『Tomorrow Never Comes』
作 / ノーマ・コーネット・マレック
訳 / 佐川睦
出版社 / サンクチュアリ出版


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背中を押されて(その2)

2011-11-01 07:53:40 | 教会
メッセージの続きです。

*********************** 
出ていくことに加え、帰ることが必要です。小さい子どもは親にぴったりとくっついています。子どもは成長するにつれ、親を信頼することを学び、安心と信頼を得て出ていくようになります。帰るところがあるから出て行けるのです。

わたしたちも一週間の旅を終えて教会に帰ります。礼拝で心の翼をたたみ、心の羽を癒され、ふたたび羽ばたいていくのです。

出ていくために必要なことは、

①出ていくために受け取る。(4人の男が食物を口で味わい自分自身のものとしたように、神様が差出している物を受け取ることが大切です。)

②出ていくために知る。
(4人の男は同胞の叫びを聞いて人々の必要を知って出て行きました。関わりを持っている人の必要は何か知って出て行きます。)

③出ていくために帰る。
霊的なベースキャンプをもつことが必要です。(霊的なベースキャンプとは、満たされ、癒され魂をしずめる場所です。)


*****************************

わたしが関わっている人たちの話を聞いていると、不安と恐れを抱いている人が多いことに気づきます。イエス様をダイレクトに伝えようとすると、耳をふさいでしまいます。

わたしが幼少の時から求めていたものを探し、いまだに見つからないために魂の放浪の旅を続けている人が大勢います。
わたしは、その人たちに伝えなくてはならないと思います。

城壁の内側には敵に囲まれていると思い込んで絶望している人々がいて、城壁の外側には敵はすでにいなくなっていて、食べ物や宝のある場所になっていることを知っている人達がいます。そのことを城壁の内側の人たちに伝えることが、外側にいる人の使命ですね。

わたしは書いて伝えたいと思います。書くことも『出ていくこと』になると考えます。自分の辛かった過去を書くことは、身を引き裂かれるような思いがします。思い出したくもないことを思い出し、再度傷つくこともあるでしょう。
でも、真実なものに出会った喜びを思うと、その辛さは忘れられます。

わたしには霊的ベースキャンプがあります。礼拝の場もそうですし、デボーション(聖書を読み祈る)のときは神様と一対一になる静かで満たされた時間です。
霊的ベースキャンプで力を得て、書いていきたいです。
                       おわり



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