生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「デイヴィッド・コパフィールド」を読んで

2013-05-31 16:19:58 | 読書
ネット読書会カラマの会の今年の課題本はチャールズ・ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」(石塚裕子訳 岩波文庫)です。昨年はドストエフスキーの「白痴」と「悪霊」だったので、気が重かったのですが、今年の本は大いに楽しんで読めました。

先日SLの旅に同行させ、牛久駅あたりで読み終えたので、感動が冷めないうちに少しだけ感想を書かせていただきます。
「デイヴィッド・コパフィールド」はモームが世界の10大小説の1つに選び,ディケンズ自身も「自分の作品中最も好きなもの」と語っている作品です。チャールズ・ディケンズはクリスマスキャロルも書いています。

岩波文庫で5冊もあるので最初は読み切れるかしらと思いました。ところが、ストーリーがおもしろくてどんどん読み進めてしまいます。しかも、主人公は少年。だんだん成長していくのですが、成人しても子どもの心を持ち続けているようなデイヴィッドです。デイヴィッドと共に笑ったり、涙を流したり、はらはらしながら読みました。
読書会のお仲間で1か月弱で読了してしまった方もおられます。

わたしは、途中でほかの本を読んだり、読み返したりしてブレーキをかけながらゆっくり読みました。読み終えたら寂しくなると思ったからです。(実際、読み終えた今、寂しいです)

「デイヴィッド・コパフィールド」とはこの小説の主人公の名で、チャールズ・ディケンズ自身の自伝的小説と言われています。でも略歴を見るとかなり違っています。精神的自伝小説と言った方がいいでしょう。
「ぼくは」という一人称で書かれています。たくさんの登場人物が出てきて、複雑に絡み合ったストーリーなのにデイヴィッドの視点からだけで書けるのですから、すごい筆力だと思います。

一人称なのに内面を鬱々と書くのではなく、読者があきる前にはっとさせられるような出来事が起こり、この先どうなるのだろうという期待を持たせ、そして期待を裏切らない結末に向かってストーリーが展開されていくのです。エンターテイメント的な要素が強いですが、わたしはすっかりこの小説に魅せられてしまいました。

小説はデイヴィッドが生まれるときのことから始まっています。生まれてくる子が女の子だったら援助するつもりで叔母さんがやってきますが、男の子だったのでがっかりして帰ってしまいます。(冷たい叔母さんだと思いましたが、あとからデイヴィッドを助けてくれ、愛情深い婦人だということがわかります)

デイヴィッドが生まれたときはすでに父親は亡くなっており、若い母親と乳母ペゴティーに育てられます。やがて母親が再婚し、継父とその姉からひどい仕打ちを受けます。寄宿舎のある学校に入れられ、先生から虐待を受けます。
また、デイヴィッドの母親は赤ん坊を生んで間もなく死んでしまうという悲劇的なストーリーです。でも、ちっともじめじめしていなくて、乳母のペゴティーがデイヴィッドを抱きしめるたびに背中のボタンがはじけ飛ぶようすが描かれていたり、ペゴティーの兄一家のユーモラスな言動に思わず微笑んでしまう場面があります。

さまざまな人たちが登場してきて、その個性的な人たちが生き生きと描かれています。
人物の描写が細かく、挿絵がついた文庫ですが、挿絵を見なくてもその人の顔かたち、体形が想像できます。
小説の最後の方で、物語に出て来た主な登場人物のほとんどが再登場していることに感心しました。デイヴィッドをとりあげた医師まで登場させています。

その後、あの人はどうなったのかな? と思っていた人のことが最後まできっちり書かれています。
ユライア・ヒープは相変わらず悪いままでした。結婚が決まっていたのにほかの男と駆け落ちしてしまったエミリーの心情については書かれていませんが、ミスター・ペゴティーにハムのお墓から一束の草と土を持ってきてほしいと頼んだというところでエミリーの思いが伝わってきました。

人間に対する深い愛情をもって書かれた「デイヴィッド・コパフィールド」。デイヴィッドはいつまでもわたしの心の中に生き続けるでしょう。

みなさんにぜひ読んでいただきたい小説です。まだ読まれていない方はぜひお読みください。中学生から読めます。


わたしのHP「生かされて・・・土筆文香」久々に更新しました。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

SLの旅で癒されて

2013-05-27 20:51:27 | 日記
先週SL好きの主人と静岡県大井川までいってきました。土浦駅を7:00に出て、新金谷から11:45発の大井川鉄道に乗りました。

これまで、九州のSL人吉号と山口県のやまぐち号に乗りましたが、どちらも土日しか運行していなくて、土曜日に乗ってその日のうちに帰るという強行軍でした。(日曜日は教会へ行きたいので)

でも、大井川鉄道は毎日運行しているので、自由に曜日が選べたことが幸いでした。
急に行くことが決まったので、ネットでSLの切符を予約してから宿を予約しましたが、空いてよかったです。
わたしは特に鉄道好きというわけではなく、温泉に泊まれてゆっくりできたらいいという気持ちでしたが、主人はカメラを手に熱心に写真を撮っていました。

山口のSLは椅子の布を張り替え、大正風客車、昭和風客車など客車によって装いが異なっていておしゃれな感じがしましたが、大井川のSLは、かつて走っていたときそのままのような飾らない客車でした。
なぜか昔にタイムスリップしたような気持になってほっとしました。
カタンカタンと走る音を聞いていると『ゆっくりでいいんだよ。飾らなくていいんだよ。何もできなくてもいいんだよ』と言われているようです。色々な失敗や心の痛み、疲れ、それらが主によって癒されていく気がしました。



1時間20分ほどのSLの旅はあっという間でした。車窓から見える景色に感激しました。緑がこんなにもきれいだと思ったのは初めてです。緑といっても濃い緑や淡い緑、黄緑…何十種類もの緑が重なり合っているのです。

沿線にはお茶畑がみえました。



SLの終着駅、千頭(せんず)から南アルプスあぷとラインに乗りました。
南アルプスあぷとラインは、大井川の上流部奥大井の渓谷を、ゆっくりと走る鉄道です。井川線区間は、水力発電所建設の資材運搬用トロッコとして建設されたそうです。



勾配があるので一部区間では国内唯一のアプト式機関車を使い、「鉄道日本一の急勾配」を登り降りしているそうです。
乗っていると勾配があることにほとんど気づかないのですが、前の車両と後ろでは90㎝も高低差があると聞いてびっくりしました。

長島ダムを見学してもどってきました。

千頭から寸又峡(すまたきょう)温泉行のバスに乗りました。バスはカーブの多い山道を走ります。道幅が狭く、一車線です。ほかの車とすれ違う時、谷底へ落ちるのではないかとはらはらしました。




寸又峡は、ほっとできる温泉町でした。3時半に宿に着いたので、荷物を置いてハイキングに出かけました。夢のつり橋まで行こうと思ったのですが、一時間半もかかり、また、かなりの健脚でないと行けないことがわかり、途中で引き返しました。

2日目は金谷駅近くのお茶の博物館を見学して帰途につきました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


竜巻の恐怖の中で

2013-05-24 21:02:46 | 日記
23日の朝日新聞に米オクラホマ州の小学校で、竜巻の恐怖を歌で耐えたという記事が載っていました。何をうたったかは書かれていませんでしたが、数日前TVで「Jesus loves me」と歌ったというインタビューが流れました。
おそらく賛美歌「主われを愛す」だと思います。

もちろん、この歌だけでなく何曲も歌ったのでしょうが、死ぬかもしれないという恐怖のまっ最中、危機的状況の中でJesus loves meとうたったことを知って心打たれました。

神様が愛しておられるなら、どうしてこのような災害を起こすの? どうして助かった人と亡くなった人がいるの? という思いを抱く人もいるかもしれません。
でも、どんなときでも神様はわたしたちを愛してくださっていると信じられるなら、恐怖の中でも冷静を保っていられますね。

「主われを愛す」の英語の歌詞はすばらしいです。

Jesus loves me! This I know,
For the Bible tells me so.
Little ones to Him belong;
They are weak, but He is strong.
Chorus:
Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
The Bible tells me so.

Jesus loves me! This I know,
As He loved so long ago,
Taking children on His knee,
Saying, “Let them come to Me.”
Chorus

Jesus loves me when I'm good,
When I do the things I should,
Jesus loves me when I'm bad,
Though it makes Him very sad.
Chorus

Jesus loves me still today,
Walking with me on my way,
Wanting as a friend to give
Light and love to all who live.

Chorus

Jesus loves me! He who died
Heaven’s gate to open wide;
He will wash away my sin,
Let His little child come in.
Chorus

Jesus loves me! Loves me still
Tho' I'm very weak and ill;
That I might from sin be free
Bled and died upon the tree.
Chorus

Jesus loves me! He will stay
Close beside me all the way;
Thou hast bled and died for me,
I will henceforth live for Thee.
Chorus


歌詞の大意

イエス様が私を愛していることを私は知っています。
なぜなら聖書がそのように教えているからです。
主のものである私たちは弱いです。
しかし、主は強くおられます。

コーラス

そうです、イエス様は私を愛しています。×3
聖書はそのように教えてくれます。
イエス様が私を愛していることを私は知っています。
イエス様が遠い昔に愛した時のように愛してくれています。
今でも子供である私たちをひざの上にのせ
「人々を私のもとに来させよ」とおっしゃいます。

コーラス

私がするべき善い行いに励むとき
イエス様は喜んで愛を注いでくださいます。
私が悪い行いをするときにも
イエス様悲しみながらも愛を注いでくださいます。

コーラス

イエス様は今も私を愛してくださいます。
私の歩む道を共に歩いてくださり、
生けるものすべてに愛と光を与える友達でありたいと願われています。

コーラス

イエス様は私を愛しています。
イエス様は死んで天国の扉を大きく開いてくださいました。
私の罪を洗い清め、子供である私たちを天国に導きます。

コーラス

イエス様は今でも私を愛しています。
私は弱くて病んでいるけれども、
そんな私を罪から解放するために
十字架の上で血を流し、死んでくださいました。
コーラス

イエス様は私を愛しています。
これからもあらゆる時に私のそばにおられます。
あなたは私のために血を流し、死んでくださいました。
だから、これから私はあなたのために生きます
(ウィキペディアより)


弱い人、自分のことをどうしようもない者だと思っている人、苦しんでいる人、危機的状況にある人……
嘆かないでください、絶望しないでください。だいじょうぶです。イエス様があなたを愛しておられますから。(あなたとはイエス様を信じていない人も含まれます)

危機(クライシス)機は機会(チャンス)の機。危機が訪れた時は同時に良い機会が訪れています。(OBI同窓会で聞いた言葉)


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

ほめられた人

2013-05-21 16:34:18 | 聖書から

忙しい先週が駆け足で通り過ぎていきました。
土曜日の子ども家庭集会では、お話しし始めようとしたときに地震があって、震度3ぐらいだったらしいのですが、動揺しました。子どもたちは落ち着いて机の下にもぐったりしていました。

地震がお話の途中でなくてよかったです。もし途中だったら頭の中が真っ白になってしまっていたでしょう。20分間という長いお話でしたが、一年生の子どもも静かに聞いてくれました。終わったとき、みんな足がしびれたと言っていました。


先日の家庭集会の学びを紹介します
聖書にはイエス様にほめられた人が何人か出てきます。ルカの福音書7章1-10に出てくる百人隊長は、イエス様に絶賛されています。
この百人隊長は、当時イスラエルを支配していたローマ側の人です。百人隊長は、自分のしもべが病気で死にかけていたとき、イエス様に助けに来てほしいとユダヤ人の長老を通して伝えました。

百人隊長は人格者であり、ユダヤ人に尊敬されていたようです。ユダヤ人のために会堂(礼拝する場所)を建てました。長老たちは、イエス様に百人隊長の願いをきいてやってほしいと頼みました。

しもべとは百人隊長の配下にあった兵士の一人かそれとも百人隊長に仕えていた奴隷かわかりませんが、百人隊長はしもべを大切に思い、何とか助かってほしいと思っていたのです。

イエス様は百人隊長の家に向かいます。すると、百人隊長は友人を遣わして「主よ、わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません」と伝えます。

百人隊長はイエス様のことを「主よ」と言いました。ローマ皇帝に仕える身で、皇帝崇拝の行われていたローマで、皇帝以外の人を主と呼んでいることが知れたら大変なことになるのに、危険をも顧みずそう呼んだのです。

そして「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます」と言いました。

来てくださいと頼んでおきながら、わざわざおいでくださいませんようにと言うのは矛盾しているようですが、イエス様が百人隊長の願いを聞いて出向いてくださったことに感激して、それだけでじゅうぶんだと思い、また、イエス様を自分の家に入れる資格のない者だと思ってそう言ったのでしょう。

イエス様は「このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません」と言って百人隊長をほめました。

もちろん、しもべは癒されました。

百人隊長はイエス様がどんなお方なのか知っていたのですね。イエス様はことばだけで病を癒すことができると信じていたのですね。
わたしだったら、イエス様を無理にでも自分の家に連れてきて「癒してください」と頼み込んだかもしれません。
ことばだけでいやされると信じた百人隊長の信仰はすごい、わたしもそのような信仰を持ちたいと思いました。


イエス様が十字架で息を引き取られたとき、そこに居合わせていた百人隊長が「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言っていますが、この百人隊長と同一人物だったのではないかという人がいるそうです。そんな気がしてきました。

同じ光景を見て、犯罪人が十字架刑で息を引き取ったとしか思わなかった人、悲しみにくれた人、罪のない正しい人が十字架につけられたと確信した人……人々はさまざまな思いを抱いてイエス様の十字架を目撃したのですね。

現在もイエス・キリストを歴史上の人物のひとりととらえている人、キリスト教の教祖としてとらえている人、自分には関係のない人だと思っている人……とさまざまです。

でも、イエスを「主よ」と呼ぶ人たちは幸いです。イエス様を主と見上げて従う人生は祝福あふれ、輝いています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


名前をいただいて

2013-05-17 21:04:59 | エッセイ
今週は大忙しです。
月曜日はOBIの同窓会があったので都内へ出かけ、三鷹の実家に寄って泊まり、火曜日に帰ってきました。水曜日は児童文学者協会茨城支部の例会。今年度から支部長をさせていただくことになり、慣れない司会をして緊張しました。合評では6作品もの提出があり、すごく勉強になりました。

木曜日は、金曜にある我が家での家庭集会の準備で、大掃除と料理の下ごしらえと買い物で一日バタバタしていました。
家庭集会は8人の方が来てくださいました。家庭集会のメンバーのひとりが手塩にかけて育てた薔薇を持ってきてくださいました。(上の写真)

そして明日土曜日は子ども家庭集会の奉仕で出かけます。原稿用紙20枚ほどの創作童話を暗記してお話しするのですが、まだ全部覚えていません(^_^;)

わたしの体力、能力の限界を超えたことをしていますが、朝にはその日のことを祈り、夕には感謝と翌日のことを祈り、その次のことは考えないようにして、ひとつひとつのこと成し遂げる力を与えてくださいと祈っています。

先の先を考えると、あれこれ思い煩ったり、不安になってしまいますが、ひとつ先の事だけ考えて一歩一歩すすんでいけばいいのなあと思います。

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHPにニュースレター28号をアップしました。理事長池田勇人先生の追悼号です。その中に掲載されているわたしの400字エッセイを紹介します。以前、ブログに池田先生を偲んで書いたものと重複する部分もありますが……。

                
名前をいただいて


十年前、JCPに入会したばかりのころです。乳がんの手術を受けることを池田先生に話すと、手を取って祈って下さいました。
まだ死にたくないと言うと、「わたしはいつ死が訪れてもいいように死の備えをしているのです」と言われました。そして星野富弘さんの詩「いのちが一番大切だと思っていたころ……」を書いた色紙を送って下さいました。

術後落ち込んだとき、この言葉で助けられたのでした。これは、後に先生ご自身が病の床で力を得た詩であるとお証しておられます。

また、先生のおかげで「リピート・シンドローム」が出版されました。リストカットやドラッグを取り上げているので、本名で出さない方がよいと言われ、厚かましくも先生にペンネームをつけてくださいとお願いしました。先生はいくつかの候補を挙げて下さいました。その中から土筆文香を選ばせていただきました。土筆文香の名に恥じない文章を書いていかなくてはと思っています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

誰も知らない私の悩み

2013-05-12 20:05:42 | あかしの紹介

上の写真は、母の日のプレゼントとして息子夫婦から送られてきたものです。


昨日は教会でゴスペルシンガーのKiKiさんを迎えてのティータイムがありました。ティータイムは、教会で年に一度行われる婦人のための集会です。


手作りお菓子と紅茶を飲みながらの集会です。あいにくの雨でしたが満席で、120人以上の人たちが集まりました。

KiKiさんは北海道に住んでおられます。土浦めぐみ教会に来られたのは3回目です。最初は2009年教会コンサートで、2010年にはティータイムに来てくださいました。KiKiさんに関することは以前のブログに書いています。

KiKiさんに了解を得ましたので、証しの一部を紹介させていただきます。


ゴスペルに惹かれて27歳のとき渡米され、『誰も知らない私の悩み』という曲を聞いて心打たれました。
それは、私のことを誰も知ってくれないと嘆く歌ではなく、「Nobody knows but Jesus」、つまり、主イエスはちゃんとわかっていてくださる、悲しみ、苦しみをイエスは知ってくださっているという救いと希望のメッセージが込められた歌でした。
当時歌詞の意味はわかりませんでしたが、このときゴスペルと出会ったのです。

その後、ゴスペルを知るためには神を知る必要があると思い教会へ行きました。最初は、違和感を抱いていたのですが、隣に座った人がいきなり「あなたのために祈ります」と言って祈りはじめました。

その後、お母さんが乳がんになったとき、その人の祈りを思い出しました。
そして、神の存在を信じたいと思うようになり、洗礼を受けました。水をくぐったことにより、少しずつ変わっていきました。それまでは弱い面を人に見せることができなかったのですが、心の鎧がはがれました。

ゴスペルを歌うようになり、これからというとき、乳癌の宣告を受けました。トリプルネガティブ乳癌で予後の悪い癌でした。再発、再々発もしました。でも、抗癌剤治療を受けずにゴスペルを歌うことに決めました。


と言って、賛美されました。人々にいやし、希望、力を与えたいという思いを込め、いのちをかけて賛美するその姿に涙があふれました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


早生まれは得?

2013-05-09 15:36:54 | 日記
連休の最終日に息子一家とフラワーパークに行ってきました。
フラワーパークはツツジやダリア、藤が真っ盛り。そして温室には薔薇が咲き誇っていました。

ヒックンは花畑の間を滑り降りるスライダーに乗って大喜びです。お弁当を食べてから展望台とフィールドアスレチックのある丘へ登ってみました。


かなり急な坂道です。ヒックンはパパとママがいるので甘えて「抱っこ、抱っこ」を繰り返しています。なんとか励まし上まで歩いていくと、5階建てくらいの高さの展望台がありました。
「疲れたと」言いながら、パパと展望台のいちばん上まで登って行きました。


フィールドアスレチックで、はじめてターザンロープができたので、夢中で何度も何度もやっていました。

この4月から1年生になったヒックン。3月31日生まれなので、ちょっぴり心配でした。

小学校の先生を長年されていた人に話すと、「生まれ月なんか、関係ないよ。教師は、この子は何月生まれだからと考えたりしない。むしろ、生まれてから早い時期に小学校に行き、いろんな経験をするのだから得をしている。早期に能力が開発されていいんだよ。心配するのは、両親とおじいちゃんおばあちゃんだけだよ」とのこと。
その言葉を聞いて嬉しくなりました。

学校でのヒックンのようすを聞くと、はりきっているそうです。国語の教科書の詩をいち早く暗唱して、みんなの前で発表したこと。先生の話をよく聞いていること、毎日ちゃんと宿題をやっていると先生からほめられたこと。

いつもにこにこしていて、素直なので上級生に可愛がられていることをママから聞いて、心配することはなかったと思いました。
2、3か月前まで「さしすせそ」が言えず「たちつてと」になっていたのに、それもパパの特訓のおかげ言えるようになっているのです。

「新しいお友だちできた?」
と聞くと、女の子の名前ばかり教えてくれます。
友だちになった女の子のほっぺにチューをしてしまい、ママが女の子のお母さんに謝ったと聞いて苦笑いしました。
保育園ではゆるされていたことが、学校ではだめだということが理解できるでしょうか……。

「学校、楽しいよ」
というヒックンの笑顔に安心しました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


試練の学校(その5)

2013-05-07 15:49:36 | エッセイ
「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。

今回は最終回です。今年の12月で乳がんの手術を受けてから10年になります。いま、わたしは生きています。いえ、生かされています。


(五)病気になったことの意味

以前わたしは誰からも愛されていないとひがんでいました。両親から愛され大切に育てられたのに、愛されていることがわからず、逆らってばかりいました。
夫からも愛されているという実感がなく、不満を抱いていました。
愛されている実感がないと、誰も愛することができないのかもしれません。わたしは夫も子どもたちも友人も本当の意味で愛することができませんでした。

いつも自分本位で、相手が自分の思い通りになって欲しいと思っているだけでした。相手の立場に立って、深く共感し、思いやりを示すことができない者でした。
何より、自分自身を愛することができませんでした。こんなわたしなんか……と自己卑下していました。

でも、喘息と乳がんという病気を通して神様がどれだけわたしのことを愛して下さっているのか気づかされました。
坂道で星を見上げて泣いたとき、その小さな声を聞いていた方がおられました。わたしを造り、いつくしんで下さる神様は、わたしの苦しむ姿をじっとご覧になっておられたのです。神様はそのあとすぐ喘息を一時的に治して下さいました。

再び喘息が出たときは、教会を離れていた時期でした。神様はわたしを教会に引き戻そうと病を下さったのだと思います。
乳がんになる前、わたしの最大の関心事は神様のことではなくて、健康のこと、子育てのことでした。日常生活に追われ、毎日忙しく過ごしており、神様の前に静かにすわることが少なかったのです。

乳がんになって、死んでしまうかもしれないと思ったとき、頭のてっぺんから足先に電気が走ったようにビリビリ緊張感が走りました。
天国に持って行くことができないものばかりに夢中になって、大切なことを第一にしていなかったことに気づきました。

神様から与えられている時間は限られているのに今まで何をしていたのでしょう……。

聖書には「神の国とその義をまず第一に求めなさい」と書かれています。
死と隣り合わせになって、癌でなくても人間は誰でもみな死ぬという当たり前のことを悟りました。
死ぬかもしれなかった病が与えられて、いま、生かされている現実を考えると、真剣に神様の義を求めて生きなくてはと思いました。

わたしは、話すより文章を書くほうが得意なので、あかし文章を書くことが使命だと示されていました。でも、書いてばかりいると枯渇してしまいます。

まず第一に神様と真剣に向き合って祈ろう。祈るといっても自分の願いや希望を言うのではなく、黙って神様のみこころを求めよう。それから聖書の勉強をしようと決心して、通信で聖書の学びを始めました。

(六)完治について
わたしの喘息は、完治することはないそうです。何年も発作がなくても予防の吸入は生涯続けなくてはなりません。
また、乳がんは、術後十年以上経って再発転移する人がいるそうです。術後二十年再発転移がなくてようやく完治したと言えるそうです。ほかの癌より長い期間注意していなければなりません。

現在、乳がんの手術を受けて八年経ちましたが、まだ安心できる状況ではないのです。でも、そのような緊張がわたしには必要なのです。
完治するかどうか、それは大きな問題ではありません。大切なことは、心がどこへ向いているかです。

今、わたしはとても充実した日々を過ごしています。
朝起きると、『神様、今日も生かしてくださってありがとうございます。神様から与えられた尊い一日が始まります。どうか、あなたから与えられている時間を大切に用い、あなたの栄光を現す生き方ができますように』と祈ります。
明日でいのちが終わっても悔いのないように生きようと思うのです。

もしわたしが喘息や乳がんにならなければ、どうでもいいことで頭を悩ませ、つぶやいてばかりいたでしょう。

試練の学校で、神様はわたしに喘息と乳がんという病気を与えて、いのちの尊さと、大切なことは何かを教えて下さいました。

愛に欠けていたこのわたしが愛することができるようにと下さった課題が痛みと呼吸困難と肉体的、精神的苦しみでした。この課題を心から感謝しています。

試練の学校では苦しみのあとには必ず、恵みとあわれみのプレゼントが用意されています。
試練の学校はまだ卒業にはなりません。地上で生かされている限り生徒です。

卒業のとき、先生のイエス様から「よくやった。よい忠実な生徒よ」と言われることを目指して学び続けていきたいです。


苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩編119:71)



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。



試練の学校(その4)

2013-05-04 15:54:29 | エッセイ
「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。
前回の続きです。


死んだら天国に行けると信じているので、死ぬことは少しも恐ろしくありません。でも、転移したときの苦しみがどれだけなんだろう……と想像したら恐ろしくなります。

それに、今死にたくないのです。わたしを必要としている家族がいるのに、それに人生が中途半端で終わるのもいやでした。
 中学生のころは死にたいと思っていたわたしですが、そのときは必死に生にしがみついていました。
(神様、このいのちを助けて下さい。まだ長女は高校生です。わたしが死んだら、夫や両親を悲しませることになります。どうかどうかもう少し、生かして下さい!)

わたしは泣きながら祈りました。祈っても平安は与えられず、すぐにでも癌が再発や転移するような気がして夜も眠れなくなってしまいました。

そんなとき、部屋の壁に貼ってあった星野富弘さんの詩が目にとまりました。

いのちが
一番大切だと思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより
大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった


事故で首から下を動かすことができない富弘さんが、いのちより大切なものがあると知ったとき、生きているのが嬉しくなったと言っておられます。いのちより大切なもの……それはイエス・キリストを信じる信仰だと思ったとき、はっとさせられました。

わたしはまだ死にたくないという自分の希望だけを神様に訴えていました。わたしのいのちは神様の手の中に握られているのに……。
自分が生きたいとどんなに望んでも、自分の意志ではたった一秒でも寿命を延ばすことができません。

これまでは自分の力で生きていると思っていましたが、そうではなくて、神様によって生かされていたのです。
『このいのちを神様にゆだねます。病気のこともいっさいおまかせします。』
そのように祈ったとき、ほっと楽になり、夜もよく眠れるようになりました。
 
(四)術後の苦しみ 

術後の治療は楽なものではありませんでした。でも、喘息の苦しみを経験しているわたしは、それほどつらいとは思いませんでした。

呼吸が楽にできるのなら、どんなことでも耐えられると思いました。点滴の抗がん剤治療は受けませんでしたが、一か月半の間、毎日放射線治療を受けに行きました。厳寒の時期、自転車で三十分かけて病院へ通う気力と体力が与えられていました。

術後数年して、腫瘍マーカー値が上がったことがありました。てっきり再発か転移だと思って、声を上げて泣きました。神さまにゆだねたつもりでも、気持ちが揺らぎます。弱いわたしです。幸い再発転移ではありませんでした。

また、検査結果を聞くために待合室にいると、緊張のせいで胃が痛くなってきます。名前が呼ばれ、診察室に入って画像をみつめながら医師の言葉を待つ間、この一瞬が何時間にも感じられます。心臓が飛び出すほどドキドキします。

「異状なしですね」という医師の言葉を聞いてほっと胸をなでおろします。
検査は三か月に一度、半年に一度、年に一度とだんだん間隔が伸びてきます。検査結果を聞くたびに感謝の祈りを捧げました。 
薬の副作用で関節が痛んだり、抵抗力が落ちて肺炎になったりもしました。
 
でも、喘息の苦しさに比べれば全然たいしたことありません。神様は、乳がんになる前に喘息の苦しみを体験させて、忍耐力を養って下さったのではないでしょうか。

肺炎になって高熱でうなされているとき、幻を見ました。眠っているのか起きているのかわらない状況でしたが、目はしっかり開いていて、色々な映像が浮かんでは消えていました。そのとき、多くの人の祈る手が見えました。

(あっ、今わたしのために大勢の人が祈ってくれている!)
その次に、何とイエス様が祈っている姿が見えたのです。

(イエス様もわたしのために祈っていて下さる!)
そう思ったとき、胸がいっぱいになりました。神様と人から愛されていると実感しました。


                                          つづく



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

試練の学校(その3)

2013-05-01 16:58:13 | エッセイ
「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。
前回の続きです。


(3)乳がんになって
乳がんの宣告を受けたのは、その十三年後です。喘息でさんざん苦しんだので、自分は癌にはならないと思っていました。
喘息は治っても、相変わらず体が弱かったので健康には人一倍気をつけていました。スイミング教室に通い、食べ物に気をつけ、体に良いと思われることは積極的に取り入れていました。それなのになぜ癌になってしまったのだろうと納得がいきませんでした。
でも、すべてのことをご存じの神様が、わたしに与えて下さった病気ですから、受け入れようと思いました。喘息のときにはなかなか受け入れられなかったのに、今回はすんなり受け入れられました。
喘息で苦しんでいたときは、神様を怨んだりしましたが、乳がんになったときは神様が何らかの意図があってこの病気を下さったのだと思うようになっていました。
 

神様はわたしのためにひとり子のいのちをくださったほどわたしを愛して下さっているのです。そのような神様がいたずらにわたしを苦しめるはずがありません。

礼拝で牧師先生がいつもおっしゃっていることー神さまの善意を信じましょうーを心に留めて、教会の人たちに「試練の学校に行ってきます」と言って入院しました。

「試練の学校」というのは、入院している間のことを意味していました。このときは、入院中はつらい試練があるけれど、退院するときに卒業できると思っていたのです。実際は、退院してからの方が大変でしたが……。
乳がんの大きさは一・五センチでしたので初期だと言われました。初期の乳がんは九十%大丈夫と聞いていたので、それほど心配しませんでした。

とはいえ、生まれて初めて全身麻酔を受けるので緊張しました。アレルギー体質なので、もし麻酔があわなかったら、そのまま天国行きになるかもしれないという心配がありました。

夫と子どもたちに見守られ、教会の先生や友人たちに祈られて手術室に入りました。
手術は予定していた時間をずいぶんオーバーしてしまいましたが、無事麻酔から覚めました。

術後の回復も順調で、もうすぐ退院というときに「リンパ節に四つのリンパ転移がみとめられました」と主治医に言われました。
リンパ節は手術時に切除しています。リンパに癌があったとしても大丈夫だろうと、そのときは思っていました。
でも、担当の看護師に話すと、さっと顔色が変わりました。看護師は何も言いませんでしたが、リンパ転移があることは、悪い状態なのかもしれないという不安がよぎりました。

退院してさっそくインターネットで調べました。
すると、【リンパ転移がある人は、癌の大きさが二センチ以下でも、十年生存確率四%】と書かれているではありませんか。真っ青になりました。リンパ転移は、今後遠隔転移(乳がんの場合は、肺、脳、肝臓、骨に転移しやすいそうです)が起こるかどうかの目安になるというのです。

(えっ、四%? 死亡確率がではなくて、生存確率が? それじゃ、もうすぐわたし死んじゃうんだ)
そのとき見たネットの記事は今ではなくなっており、現在はわたしの乳がんでは、十年生存確率が約五十%になっています(サイトによって数字に差があります)

                                              
                                      つづく


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

拍手ボタンです

web拍手