生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

母を偲んで(その1)

2016-09-30 21:02:18 | 家族
明日は母の召天記念日(命日)です。母が天に召される一年ほど前からのできごとを思い出して綴っていきたいと思います。写真は母の葬儀で妹が生けた花です。

母はいつも元気で、寝込んだことがほとんどなかったのですが、2014年の夏ごろから食欲がないと言い、近所の病院で見てもらっていました。逆流性食道炎と言われていましたが、なかなか良くなりませんでした。

全く食べられなくなったとき、別の病院で胃カメラをとってもらうと、すぐに大きい病院へ行きなさいと言われました。
翌日新宿の病院へ行くと、胃癌だということで入院することになりました。

癌はかなりすすんでいて、胃の出口が癌によってふさがれている状態でした。末期だそうです。癌を切除することはできませんが、胃と腸を結ぶバイパス手術をすれば、食べられるようになると言われました。

医師に余命を尋ねると、半年から一年といわれました。このことを母に告げるかどうか迷いました。もし、何かやりたいことがあるのなら伝えた方がいいけれど、伝えたらホームには入らないと言うでしょうし、意欲をなくしてしまうかもしれません。

妹と相談して、医師による説明を受けるとき、余命のことは伏せてもらうことにしました。
母は病状説明を聞いてよく理解しました。けれども、手術を受ければ3年ぐらいは元気でいられると思ったようです。

術後の快復は早く、退院後は旅行に出かけたり、麻雀ができるほど元気になりました。
それでも一人暮らしは不安なので、土浦のわたしの家の近くにあるサービス付高齢者住宅に入所する決心をしました。

60年も住んでいた家を処分することになり、昨年(2014年)の11月ごろから実家に帰るたびに少しずつ後片付けをしていましたが、荷物が多くてそれはそれは大変でした。

引っ越し日を5月4日に決めましたが、引っ越しの準備で母はかなり疲れたようです。
引っ越す一週間ぐらい前に熱を出し、熱は上がったり下がったりしていました。病院へ連れて行こうとしましたが、東京の病院には行かない。引っ越してから土浦の病院なら行くと言ってききません。
引っ越しの日も熱がありましたが、妹の車に乗って無事土浦に到着しました。

ホームに入所した翌日、39℃の高熱を出し緊急入院となりました。
熱は癌によるものではなく、肝膿瘍という病気でした。肝臓に膿がたまっているというので、ドレーンというチューブを刺して、膿をぬいてもらったのですが、なかなか熱が下がりませんでした。

そのようなとき、母は「イエス様を信じる」と言ったのです。その翌日、タイミングよく牧師先生が見舞いに来られ、3日後の日曜日の午後、出張聖餐式するため病院に出向くので、洗礼を授けましょうと言ってくださいました。
2015年5月10日に母は病床洗礼を受けました。(その日は熱も下がり、体調がよかったのです)。

母の熱の原因は、十二指腸の一部に穴が開いていて食べ物が漏れていることによるとわかりました。体力がないので外科手術はできません。でも、経鼻栄養補給をしながら10日間ほど絶飲絶食すれば治る可能性があるけれどどうしますか?と聞かれました。

このときわたしはまた迷いました。母は遺言に、胃ろうなどの延命治療をしないでほしいと書いていたからです。
経鼻栄養補給とは鼻からチューブで栄養を入れることです。入れるとき、人によっては苦痛を伴うそうで、延命治療になるのではないかと思いました。

そのとき再びタイミングよく牧師先生がお見舞いに来てくださり、医師の説明を一緒に聞いてくださいました。「この場合は、治る可能性があるのだから延命治療ではない。」とはっきり言ってくださって、治療を受けることになりました。

18日間経鼻栄養をとりました。途中で気分が悪くなったり、下痢が続いたり……管が外れて入れなおしたり。決して楽な道ではありませんでしたが、おかげで穴がふさがったのです。

管が外れ、食事ができたとき、心から感謝しました。母も口から食べられる幸いをしみじみ感じたようです。口から食べられるようになるとみるみる元気になり、その10日後には退院でき、ホームに戻れたのです。

後になって医師から「あのときは命が危なかったのです。助かる見込みは少なかったんですよ」と言われ、驚きました。本当に守られたのです。
                         つづく



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幼児が言葉を覚えるとき

2016-09-28 15:56:18 | 家族
孫のナルクンは2歳6か月になります。
やっと話が通じるようになってきました。1歳過ぎてからナルクンは常におしゃべりしていましたが、何を言っているかママにもわかりません。してほしいこと、したいことを一生懸命伝えようとするのですが、伝わりません。
一日に何回泣いたことでしょう。

ママとコンビニに行って、好きなアイスを選び、買ってもらいました。すぐに食べようとしたので、ママが「おじいちゃんの家に行ってからね」と言って取り上げると、床にひっくり返って泣いたそうです。あとでおじいちゃんの家で食べられるということが理解できなかったのですね。

お兄ちゃんのヒックンは、ナルクンにいいことも悪いことも教えてくれます。お兄ちゃんが常に話しかけているので、ヒックンが同じ年頃のときに比べると、ナルクンの方が言葉が早い気がします。

最近2語文を話すようになりました。お茶 飲む。ごはん 食べたい。アンパンマン、デビーデー(DVD)ちけて(つけて)。絵本 読んで……などです。

急に話せるようになったので驚いていたら、絵本を読んだとき、もっと驚くことがありました。
お気に入りの絵本「ノンたん もぐ もぐ もぐ」(キヨノ・サチコ作)の本は1歳のころから読んで聞かせていましたが、ページをめくる前に本に書かれている文章をほとんど間違えなく言ったのです。

「はらぺこあおむし」(エリック・カール)の絵本では、青虫がいろいろなものを食べて食べ物に穴が開いているページが好きで、指を突っ込んで「おいしい、おいしい」と言っています。

お兄ちゃんはナルクンが可愛いあまり、よくちょっかいを出します。
ナルクンの口癖は「お兄ちゃん、やめてよー」です。お兄ちゃんが何もしてないときでもときどき言います。そう言うと、お兄ちゃんがしかられることを知っているようです。

家に帰るとき帽子をかぶせると、玄関にある姿見の前で帽子のつばを引っ張って、「かわいいね。かわいいね」と言っているのを聞いて笑ってしまいました。
くまの耳がついた帽子をかぶると、いつも誰かが「かわいいね」と言っていたので、帽子をかぶる動作が「かわいいね」という言葉だと認識してしまったようです。

ナルクンは月に2回ぐらいの割合で我が家に来ていますが、言葉の数がどんどん増えていくことを見せてもらってびっくりの連続です。
子どもは1日5〜7語もの早さで語彙を身につけ、5歳になる頃には5,000〜10,000語も習得するそうです。

言葉は、人と人とのコミュニケーションよって習得します。親が忙しくて子どもをかまってあげられないのでテレビやDVDを見せて言葉を覚えさせようとしていた人がいました。その子どもは3歳過ぎても言葉が出てこなかったそうです。その後、母親とコミュニケーションをとるようになって、言葉が出てきました。

先日常磐線に乗ったら、向かいの席に4歳ぐらいの男の子と母親が座っていました。男の子は、お母さんに一生懸命話しかけるのですが、母親はスマホの画面を見ていて、子どもと目を合わせないし、話を聞こうともしません。

「ちょっと待っててね」と言ってお菓子を与え、駅に着くまでの40分近くスマホに夢中になっていました。男の子はおとなしくお菓子を食べていましたが、寂しそうな顔をしていました。

お母さんとゆっくり話す機会、言葉を増やす機会も失ってしまったのですね。

子どもにとって、スマホのなかった時代のほうがよかったのでは……と思いました。


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この真理

2016-09-22 16:25:39 | 教会
わたしは、高校生のころ、「真理」とか「真実」という言葉にあこがれていました。
人間関係に傷ついていたので、まことに真実な人はいないのだろうかと探し求めていました。
やさしく気遣ってくれる友人に心を許して、秘密にしていたことを話すと、次の日にはそのことがクラス中に広まっていたり、ひとりが席を外すと、その人の悪口を言って喜んでいる人たちを見て、真実な人はいないのか……と絶望していました。

先日「真理」についてのメッセージを聞きました。

キルケゴールは真理について次のように語っています。
『私にとって真理であるような真理を発見することが必要なのだ。私がそのために生き、そのために死ねるような真理である。』

聖書には「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ8:31)」と書かれています。イエス様の語られた言葉です。

また、イエス様がピラトに語られた言葉は、「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属するものはみな、わたしの声に聞き従います。(ヨハネ18:37)」です。
イエス様のこの言葉を聞いた後、ピラトは「真理とは何ですか」と質問しています。
ピラトは一方で真理を追い求め、一方では自分の政治生命のことを思って民衆の言葉に従い、イエス様を十字架につけてしまいます。その後のピラトについては聖書には書かれていませんが、自殺したと言われているそうです。

Ⅱヨハネの1~2節には、「私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけではなく、真理を知っている人々がみな、そうです。このことは、私たちのうちに宿る真理によることです。そして、真理はいつまでも私たちともにあります。」

真理には定冠詞(the)がついているそうです。『この』という特定の真理を示しています。
『この』とは、神の子イエスを意味します。

イエス様ご自身が「わたしは道、真理、いのちです」と語っています。
真理の道を歩むとは、イエス様を信じて信仰の歩みをするということです。


高校生のころから求めていた真理はイエス様だったのです。その方は、わたしのことを決して見捨てず、決して裏切らず、真実の限りを尽くしてくださるお方です。

「どんな生活をしていても、どこにいようともかまいません。主イエスの道を歩んでいるなら……」と牧師先生が言われました。


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秋田、青森の旅(その4)

2016-09-17 20:52:27 | 日記
妹とわたしは、この旅行中「お母さんが一緒だったらよかったのにね」と言いながら、母の面影を追っていました。母は旅行好きで、年に6回は友人と麻雀旅行へ行っていました。そのほかに妹家族と年に数回旅行をし、父が存命のときは、父と旅行していました。

そして旅の記念にと必ず服かアクセサリーを買ってくるのでした。
歯ブラシとタオルは自分のものを持っていくので、ホテルや旅館からもらったタオルと歯ブラシがたんすの引き出しに山のように入っていました。

リゾート白神では、津軽三味線の生演奏があり、津軽弁で昔話が語られました。


ウエスパ椿山の駅を降りると、ヨーロッパ風の建物がみえてきました。ここが2日目の宿泊地です。
ちょうど日の入り前に着いたので、温泉で夕日を眺めることができました。

うっすらとしたひとひらの雲に日の光が当たって、輝いていました。誰かが雲の上に立っていて、手を振っているような気がしました。あそこにイエス様とお母さんが並んで立っていると想像しました。いつか再会できるにしても、今は会えないのだと思うと寂しさがこみあげてきました。
すると、シャボン玉のような丸いものがふわふわとこちらに飛んできました。母から、「姉妹で仲よくね」とメッセージが届けられたような気がしました。

翌朝は早起きして、ウエスパ椿山で申し込んでいたトレッキングに参加しました。申し込んだ人はわたしたち3人だけでした。8時30分に出発して椿山の車で登山入口キョロロまで送ってもらいました。


そこからは、ガイドのおじさんが案内してくれました。わたしたちにあわせて、ゆっくり歩いてくださったのですが、ふたりは遅れがちになりながら、ガイドさんと姪の後を必死についていきました。
 

途中でガイドさんに花の名前を教えてもらったり、聴診器を木に当ててみたりしました。樹液の流れる音が聞こえるかと期待していたのですが、全く聞こえませんでした。よく、聞こえるといわれていますが、聞こえないものだそうです。


十二湖という名称は広大なブナの森に点在する33の湖沼が、「大崩(標高694m)から見ると湖沼数が12に見える」ということに由来するそうです。


青池は、神秘的な色をしていました。水は透き通っていて、魚が泳いでいるのが見えました。




一時間半ほど歩いて休憩所で沢の水飲み、抹茶をいただいて、ほっとしました。翌日からふくらはぎが筋肉痛になりましたが……。


帰りはリゾートしらかみでお弁当を食べました。

今回の旅行は、母の遺言に従って行くことになったのです。それは、妹とお墓のある秋田に行くことでした。
まず先にお墓参りしてからと思ったのですが、よくばって奥入瀬と十和田湖、白神山地、十二湖に行くために計画を立てたので、お墓参りはいちばん最後になってしまいました。

秋田で無事にお墓参りを済ませ、帰りの新幹線に乗りました。
「この旅は、お母さんからのわたしたちへの最高のプレゼントだったんだね」と、妹と話しました。神様と母に感謝!

                      おわり


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秋田、青森の旅(その3)

2016-09-14 16:24:49 | 日記
レンタカーを返すと、弘前駅から奥羽本線・五能線を走るリゾートしらかみに乗って日本海沿いをすすみました。


リゾートしらかみは、橅(ぶな)、青池、くまげらの3種類があり、乗ったのは一番新しい(2016年に作られた)橅でした。

日本海の美しい景色を見ながら一年前を思い出していました。
母と最後の旅行に行ったのは、ちょうど一年前でした。近場で温泉があって、景色のいいところ。ホテルはバリアフリーであることを条件に探し、茨城県の袋田の滝に行きました。

母は歩くのが困難になっていて、ずっと車椅子でしたが、楽しそうでした。
食事もおいしいと言ってよく食べ、温泉につかり、売店で服を買ったりして買い物を楽しんでいました。その日から一か月もたたないうちに天国へ行ってしまうとは、誰も思いませんでした。

旅行から帰ってきてから、具合が日ごとに悪くなっていきました。足のむくみが太ももまできて、ひとりで車椅子に乗ることも、ベッドの上り下りもできなくなったため、8階の部屋にはいられなくなり、1階の介護士の目の届く部屋に移りました。
それでも、最後まで意識があり、頭もしっかりしていました。末期がんの痛みが出なかったことがすごいねと、妹と話しました。母が召されたときは、妹は仕事で海外に行っていたのでした。

トンボがとんでいると、「あれはお母さんの生まれ変わりだ」と妹が言い、蝶がとんでいると、「オーママ(母の呼び名)がいる」と姪が言います。
わたしが「人は動物や昆虫に生まれ変わったりしないの」とちょっとむきになって言うと、「蝶をオーママと思ってもいいでしょ!」と姪に言われてしまいました。

この間の日曜日に名古屋から来られたH先生は、神社仏閣の多い商店街の中にある教会の牧師ですが、「柔軟に」ということをモットーとされています。
商店街で「金の大玉祝祷祭」が開催されるとき、祈祷をしてほしいと頼まれて、引き受けたというのを聞いて驚きました。金の玉を拝むのではなく、そこに集まる人、通る人たちに神様の祝福があるようにと祈られたそうです。
宗教観、価値観の違う人たちに対して、拒否するのではなく、また妥協するのでもなく、
人が作ったものに対して祈るのではないことを、地元の人たちに説明しながら、キリスト教の祈りをするとは、なんと大胆な、そして柔軟な対応なのだろうと思いました。

妹も姪も、蝶やトンボが人の生まれ変わりだと心から信じているわけではないでしょう。でも、そうだったらいいのに。そうだったらオーママがそばにいてくれるから寂しくないのにと思いたいのでしょう。その気持ちを受け入れ、認めてあげたらよかったなと反省しているところです。




千畳敷です。千畳敷駅で列車は15分ぐらい停車しました。その間に、降りて海岸まで行くことができました。



太宰治の小説「津軽」の碑が建っていました。


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秋田、青森の旅(その2)

2016-09-12 17:02:56 | 日記
十和田湖遊覧、16時発の最後の便に乗りました。最初はゆったりした気分で景色を眺めていたのですが、途中から黒雲が出てきて雷鳴が聞こえ、雨が降り出してきました。波も出て、船が揺れます。


ひどい揺れではありませんが、2000年前にガリラヤ湖で嵐に会った人たちに思いを馳せました。漁師だった人たちが、船が沈むかもしれないと恐れるのですから、どれほどひどい嵐だったことでしょう。そのようなときにイエス様は船で眠っておられました。イエス様が一緒なのに恐怖で大あわてしていた弟子たちの姿は自分のようで笑えません。今回の旅行は台風が心配だったので、天気予報を一日に何度も見て、ネットでも見て心配していたのですから。

「黙れ、静まれ。」とイエス様が言われると、ぴたっと嵐がやんだのは、信じがたいことです。でも、天と地、風も波も雷,
台風も造られ、支配しておられる方のお言葉ならあり得ると思いました。風と波が「ごめんなさい」と頭を下げていることでしょう。

船が着いたときは、雨も雷もやんでいました。


十和田湖近くのホテルに泊まりました。秋田杉を用いて70年以上も前に建てられたそうです。

玄関は吹き抜けになっていて、上は図書室でした。


フロントには「クマが出ました。散策する方は鈴をお持ちください」と書かれており、鈴が置かれていました。
ホテルの方に尋ねると、小熊の写真を見せてくれました。


翌日は車で弘前まで行き、日本キリスト教団弘前教会の建物を見てきました。(外観は一番上の写真)
平成5年に県重宝に指定されたそうです。
明治8年に創設され、構造は、ノートルダム寺院にも似た双塔ゴシック様式の重厚な木造2階建ての重厚な建物です。


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秋田、青森の旅(その1)

2016-09-10 17:47:39 | 日記
5日~7日に妹と姪の3人で秋田、青森へ行ってきました。
台風と熱帯低気圧の間を駆け抜けたような旅でした。雨に降られたのは少しだけで、傘をさすほどではありませんでした。

東北新幹線で八戸に行き、車を借りて奥入瀬(おいらせ)へ向かいました。奥入瀬は3年前に息子夫婦と一緒に行きましたが、妹と姪は初めてだというので足を延ばしました。






雨が多かったので、水があふれんばかりに勢いよく流れていました。

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。
わたしの作品も掲載しています。
ここをクリックしてご覧ください。



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いま、死にたいと思っているあなたへ

2016-09-02 17:05:26 | 社会
毎年、夏休みの終わるころ、自殺する中高生がいます。今年、青森では中学1年生の男子と中学2年生の女子がいのちを絶ってしまいました。
いじめにあっていたといいます。いじめは、あってはならないことです。でも、いじめがなくなるようにと努力してもなかなかいじめはなくなりません。

いじめられて、唯一の解決が死ぬことと思ってしまわないように切に願います。自殺は解決にはならないからです。

中2の女子はスマホに遺書を残していました。
遺書の最後の方に家族あてに「みんなに迷惑かけるし、悲しむ人も居ないかもしれないぐらい生きる価値本当にないし……」と書かれていましたが、これは大きな勘違いです。

一人の人の自殺は最低6人の人の人生に大きな影響を与えると言われています。親や友人、親戚のいない人でも、周囲の人が激しいショックを受けます。直接いじめた人でなくとも、自分のせいだと責め続ける人もいます。その与えたショックは自殺した人の想像を超えることでしょう。

周囲で悲しむ人がひとりもいなかったとしても、新聞やニュースで彼女の死を知った見知らぬ人が悲しみます。

生きる価値がないと書いていますが、生きる価値のない人間はひとりもいません。

わたしは、中学生のころ、ずっと死にたいと思っていました。自分のお墓の絵を描いて墓の周りでバンザイをして喜んでいる人たちを描きました。自分が死んだら周りの人は「いい気味だ」と言って笑うだろうと思ったのです。

その絵を祖母に見つかって、ひどくしかられました。「あんたが死んで喜ぶ人なんかいるわけない」と言って涙を流したおばあちゃんの姿をみて、死ぬことをやめたのです。

今から考えると不思議なことに、両親が悲しむということを全く考えていませんでした。
親不孝なわたしでした。

あなたが生まれてきたときのことを考えてみましょう。
精子と卵子が結合して受精卵になる確率は、40億分の1なのだそうです。同じ両親でも別の精子によって受精したら、生まれる子はあなたではなく、別の人間だということです。

あるサイトには、「人の誕生は、すべてが偶然です」と書かれていました。多くの人が偶然と思うでしょう。

でも、本当は目に見えないお方が背後にいて、あなたという人間をお母さんのおなかの中で形造ってくださると考えたら、偶然ではなくて必然になります。

そもそも宇宙ができたこと、生命の住める星、地球ができたこと、そこにあらゆる種類の植物が生え、動物が育ち、人間が生きていること。こんなすごいことが偶然に起きるでしょうか……。偶然というより奇跡といえるしょう。

それは、神様の業(わざ)なのです。そして神様はあなたが使命を持って生きるように造られ、はぐくみ、愛してくださっているのです。
もし、あなたが死んだとき、悲しむ人がひとりもいなかったとしても、造られた方は悲しみます。こんなに悲しいことはありませんから。

だから、死にたいと思っている人、死なないでください。


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