生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

もうひとりのひねくれ者(その2)

2007-10-31 17:37:25 | 教会

昨日は約3週間ぶりに息子一家が来ました。毎週息子の休みの火曜日に来るのですが、今月はわたしが忙しくて招くことができませんでした。久しぶりに来て、ヒックンは不思議そうに家の中をきょろきょろ眺めていました。
先週一緒に主人の実家に行ったので、ヒックンはわたしの顔を見たとき、すぐ笑顔をみせてくれました。でも、主人が帰宅すると知らない人に会ったようなこわばった顔をしています。はっきりと顔の認識ができるようになったのですね。
でも、泣かずにお風呂に入れてもらいました。お風呂から上がって抱かれると、声を立てて笑っていました。よかったね、おじいちゃん。


よきサマリヤ人の話は、先日HPに子供の劇として脚本を掲載しました。聖書をもとにして作りましたが、聖書には書かれてない町の人を登場させたり、レビ人やサマリヤ人を2人ずつにしたり、変化させています。

聖書に書かれている内容を紹介します。


旅人(ユダヤ人)が、エリコの町へ行く途中強盗に襲われ、半殺しにされ道ばたに倒れていました。そこへ、祭司が通りかかりましたが、彼を見ると道の反対側を通り過ぎて行ってしまいました。次に通りかかったレビ人も同様に道の反対側を通り過ぎて行ってしまいました。
次にサマリヤ人が通りかかりました。サマリヤ人は、旅人が敵対する国の人であるにもかかわらず、近寄って傷の手当をし、宿屋に連れていき宿屋の主人にお金を渡して介抱を頼みました。
イエスさまは律法専門家に尋ねます。
「この3人の中でだれが強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか」


祭司とは、神に仕える人で、同朋が困っていたらまっさきに救いの手を差しのべなければならない人です。
レビ人とは、エルサレムの神殿で門番と聖歌隊を兼ねているような役職の人で、祭司と同様に神に仕える人です。
 サマリヤ人とは、パレスチナのサマリヤ地方に住む人々のことです。その昔この地方は外国によって占領され、ユダヤ人はそのときに移住してきた外国人と結婚させられました。その混血の子孫がサマリヤ人なのです。排他的で選民思想の強いユダヤ人は、サマリヤ人を「混血児」として忌み嫌い、軽蔑してつき合いませんでした。



イエスさまが、「だれが隣人ですか?」ではなく、「だれが隣人になったと思いますか?」と聞いているのは、隣人になることが大切だと律法専門家に教えているのです。

イエスさまは、律法を守り通すことができると思っている律法専門家に、それができない者であると気づいてほしいと願ってこのたとえ話をされたのです。
律法専門家は同胞のユダヤ人しか隣人だと思っていませんでした。同じユダヤ人でも罪深い女と呼ばれる人や、外国人、サマリヤ人を隣人の範囲に入れてなかったのです。イエスさまは、その過ちに自分で気づいてほしいと願われたのです。

三浦綾子の小説「塩狩峠」はこのところをテーマに書かれています。



              つづく

もうひとりのひねくれ者(その1)

2007-10-29 13:50:21 | 教会

昨日の礼拝では、H・H先生によって『ひねくれ者シリーズ』第2回目のメッセージが語られました。先週はパリサイ人シモンでしたが、次週もひねくれ者の話をしますと言われたので、だれの話なのだろう? ザアカイかな、それともサウル王? と聖書の人物を色々思い浮かべながら心待ちにしていました。

ひねくれ者とは、名の記されていない律法専門家でした。聖書にはルカ10章25-37に書かれています。


律法専門家がイエスさまに質問をしたのは、村々に派遣されていた70人のイエスさまの弟子(12弟子とは別)が帰ってきて、イエスさまがその弟子たちに話をしているときでした。
「先生。何をしたら永遠の命を自分のものとして受け取ることができるでしょうか。」と律法専門家が尋ねます。イエスをためそうとして言ったと聖書に書かれています。

律法専門家は70人の弟子のひとりか、取り巻きのひとりだったと考えられます。
彼は、片方ではイエスさまに従い、片方ではイエスさまをためそうとしているというひねくれた面がありました。
彼は律法については専門家だけによく知っていました。


律法とは神さまの基準のことですが、広い意味では、旧約聖書全体を指す言葉です。狭い意味ではモーセ五書(旧約の最初の5つの書)に書かれている教えを指す言葉です。


その中で特に大事なことは、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。(申命記6:5)あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。(レビ記19:18)の2つです。当時のパリサイ人や律法専門家はこの2つが書かれている羊皮紙を小さな箱に入れ、ひもをつけて額にまきつけていたそうです。(山伏のように)

イエスさまは律法専門家に「律法には何と書いてありますか?」と尋ねます。律法専門家が大事な2つの教えを答えると、イエスさまは「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば命を得ます」と言われました。


神は、実に、そのひとりごをお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命をもつためである。(ヨハネ3:16)

とあるように、行いではなくイエス・キリストを信じることで、永遠の命をいただくことができます。

イエスさまがあえて律法に書かれていることを尋ねたのは、律法専門家が、律法を守ることによって永遠の命が与えられるという間違った考えを持っているからです。彼は、律法を忠実に守っているつもりなのです。
そんな彼に正解を教えても反発するだけだと思い、イエスさまは律法専門家に合わせて話しています。

さらに律法専門家が「では、私の隣人とは、だれのことですか」と尋ねると、イエスさまはよきサマリヤ人のたとえ話をされます。

               つづく

台風にもめげず

2007-10-28 17:06:06 | 日記

昨日は台風にもめげず、御茶ノ水に出かけました。クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の児童文学とエッセイの会に参加するためです。今月は、実家の用事で2回、JCPの集まりで3回上京しました。1か月に5回も東京にいくのは、珍しいことです。5回とも体調が整えられ、守られたことを感謝します。

8人の参加者が与えられ、作品の合評をしました。一つのテーマ「橋」でそれぞれが作品を書いたのですが、いろいろな意味の「橋」をみせて戴き、とても勉強になりました。


昨日はJCPが終わってから、もうひとつ用事がありました。はこぶねクラブクリスマス会で行うパネルシアターの絵を娘に頼んでいました。来月から練習を始めるので、わたしが御茶ノ水に行くとき、待ち合わせて受け取ろうと前から約束していました。

台風が夕方関東に接近してくることは知っていましたが、娘もいろいろ予定があり、その日をのがすと11月半ばになってしまいます。

都内なら電車が一本止まっても地下鉄など利用すればなんとかなります。でも、土浦へ向かう常磐線が途中で止まってしまうと困ります。最初から止まっていればTXで帰るという手段もありますが、終点のつくば駅から30分近くバスに乗らなければ帰れません。


娘と会ったのはJCPの学びが終わった午後3時です。娘は今日に間に合うように徹夜で絵を描いていたので、夕べから何も食べてないと言います。まず、食事をとレストランに入りました。

写真は娘が食後に頼んだショコラです。あまりきれいな模様にふたりしてカメラをかまえました。窓の外を見ると、雨風が段々強くなってきます。一抹の不安を抱きながらも、『きっと大丈夫神さまが備えてくださった日だから』と思って、わたしは紅茶をすすりながらおしゃべりを楽しみました。

4時過ぎに娘と別れ、上野から常磐線に乗ると、10分遅れただけで無事土浦に着きました。
前日に土曜日のおかずを作って用意していたので、いつもより早い夕飯になりました。

金八先生が教えてくれなかったこと

2007-10-26 14:06:43 | 日記

金八先生の新しいシリーズが始まりました。このシリーズは欠かさず録画して見ています。(昨日放送分は、まだ見ていませんが……)

ご主人が中学校教諭をしている友人は、金八先生が嫌いだと言います。現実は、ドラマのように解決しない。実際、教師は金八先生のようなことができない。だから見ていると腹が立つと言いました。

確かに、金八先生のように24時間体制で生徒とかかわっていたら身がもたないでしょう。金八先生の姿にあこがれる生徒や親たちは、現実の教師の姿にがっかりするでしょう。


でも、わたしはドラマとして見ているので、金八先生を現実の教師と比較したりはしません。時代を反映して中学生に起きている問題を取り上げているところが興味深いのです。

親に愛されず、存在価値がわからなくなってさまよう子供。親の価値観に押さえつけられ、自分を見失っている子供。何でも内申書を良くするために行動してしまう子供。インターネット、ケイタイの普及で心が蝕まれている子供。そして、自分の子さえよけければ……と考える親たちの問題。
今月11日に放送された中で
茨木のりこの詩を金八先生が紹介していました。心打たれる詩なので紹介します。


「ぎらりと光るダイヤのような日」

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後仕末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生れたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや費沢品になってしまう
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々 の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

<本当に生きた日> は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ



この詩を紹介した後、「人は生きていく意味がわからなければ、生きていけない。」と金八先生が言っていましたが、その通りだと思います。でも、肝心の生きていく意味については何も語りませんでした。ひとりひとり違うから、自分で見つけなさいということなのでしょう。

でも、それを見つけられずに悶々として、命を断ってしまう子供がいることを考えると、その正解を教えたいという思いにかりたてられます。



生きていく意味とは何でしょう……。

わたしは、毎日が<本当に生きた日>で、毎日が<ぎらりと光る日>です。何故だかわりますか? 
神さまが、わたしのことを目的を持って造ってくださったと知ったからなのです。神さまの目的は、まずわたしが存在することです。わたしだけでなくあなたもそうなのです。

体調が悪くて一日ごろごろしている日さえも、わたしが存在していることに意味があると神さまは言ってくださっています。神さまを知っていれば、何にもしない日でさえも<ぎらりと光るダイヤの日>になるのです。

何をしたか、何ができるかではなく、あなたの存在そのものが高価で尊いのです。
あなたもダイヤの日を過ごすことができますように。


夢の対面

2007-10-24 16:57:11 | 日記

今月でブログ3年目に入ります。開設したのが2005年10/20でした。毎日ではありませんが、ほぼ2日に1回書いています。よく続いたものだと自分ながら感心します。

ひとえに読者の皆様のおかげです。記事を書いてない日でも、たくさんの方がアクセスしてくださっていることを知ると、書かずにはいられなくなります。昨日はブログを書かなかったのに90人もの方がアクセスしてくださっています。多くの方に祈られていることも感謝しています。コメントにも大いに力づけられています。

つらくて何度かやめようと思った時もありましたが、JCP仲間でわたしと同様ブログ開設をしたお2人(希望の風さんと優子さん)に励まされて危機を脱しました。先日は3人、“夢の対面”を果たし、深夜まで語り合ったのでした。


もうひとつ“夢の対面”がありました。
昨日は息子の運転で千葉県四街道市の主人の実家まで行ってきました。義父母に曾孫を見せるためです。
結婚して以来26年、毎週日曜の夜に義母に電話するのが習慣になっていますが、ヒックンが生まれてから、義母は毎回のように「ぼうやは元気?」と聞いてきます。

息子一家と一緒に住んでいるわけではありませんが、近くなので毎週のように我が家にやってくるので、ヒックンの成長のようすを義母に伝えていました。
89歳の義父と80歳の義母は、土浦まで来ることができません。電車だと乗り換えが2回あって3時間以上かかるのです。

電話で話すたび、曾孫に会いたいという思いを抱いていることが伝わってきて、いつか息子一家と義父母の家に行きたいと思っていました。


そして秋晴れの昨日、それが実現したのです。途中休憩しながら2時間ほどのドライブで到着しました。義父も義母も大喜びです。義母は嬉しさのあまり、腰が痛いのも忘れて、立ったまま9㎏近くあるヒックンを抱こうとしました。あわててわたしがヒックンのおしりを持ち上げ、義母に腰掛けて抱くようにと言いました。
 義父も不自由な手でヒックンを抱き、感激しているようでした。
 
もうすぐ7か月になるヒックンは人見知りもせず、ニコニコと笑顔をふりまいてくれました。
赤ん坊の笑顔は大きな喜びをもたらしますね。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんを元気づけたヒックン。偉かったね。帰りの車中ではぐっすり眠っていました。
ありがとう、ヒックン。快く出かけてくれたヒックンのパパとママにも感謝!!

もうひとりのひいおばあちゃん(わたしの母)は元気なので、1週間くらい土浦に泊まりに来てもらって、その間にヒックンを連れてきてもらおうと思っています。母の予定がたてこんでいるため、それは12月になりそうです。そのころ、人見知りの時期かもしれませんが……。


安心して行きなさい

2007-10-22 16:53:58 | 教会

昨日の礼拝は、H・H先生がルカ7:36-50からメッセージをして下さいました。
7月の家庭集会で同じ聖書箇所から学びました。このブログで7/25.26に「多く赦された者は多く愛するの?」という題で書いています。重複することもありますが、今回新しく教えられたことも多かったので書かせていただきます。


パリサイ人シモンがイエスさまを家に招いたとき、罪深い女の人が香油の入った石膏のつぼを持って家の中に入ってきました。(罪深い女とは遊女を示すそうです)彼女は涙でイエスさまの足をぬらし、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして香油を塗りました。
シモンは醒めた目でこのできごとを見ていました。

この聖書の箇所から4つのことが教えられます。


・イエスさまは、この罪深い女に向かって「あなたの罪は赦されています」と言われました。それは、ご自身が罪を赦す権威を持っていることを示されたのです。罪を赦す権威を持つ者は神さましかいません。つまりイエスさまご自身が神であることを示されたのです。

・女性の信仰は、理想的な信仰者の姿です。遊女だったその女がパリサイ人の家に勝手に入ったら、袋叩きにされる恐れがありました。にもかかわらず、彼女は身の危険もかえりみず、必死の思いで家に入り、イエスさまのもとに行きました。女の人はイエスさまに全幅の信頼をおいていたのです。

・イエスさまはパリサイ人シモンにたとえを話されましたが、それはシモンに自分の姿に気づいてほしいと願ったからです。シモンは品行方正に生きていましたが、神さまの前には罪深い者でした。シモンの目の前で遊女の信仰を賞賛されたのも、そのことに気づいて欲しいと思ったからなのです。

・シモンはイエスさまと親しくなりたいと思って自分の家に招いたのですが、一方では批判的でした。信頼しながら片方ではひねくれていました。でもイエスさまは、そんなひねくれもののシモンのことを「あなたの判断はあたっています」と言い、受け入れています。今のシモンの状況に合わせて導いておられます。
最後にイエスさまは、「安心して行きなさい」と言われましたが、これは女の人にだけでなく、シモンにもあなたにも語って下さっているのです。


純粋な信仰を持った女の人と、ちょっとひねくれているシモン。対照的なふたりです。H・H先生は自分はシモンのようだとおっしゃっていましたが、どちらかといえばわたしもシモンのようなひねくれ者です。でも、イエスさまはそんなひねくれ者のわたしを愛して下さり、「安心して行きなさい」と言って下さっているのですね。そのことがとっても嬉しいです。


*わたしのホームページ 
「生かされて…土筆文香」に「よきサマリヤ人」の脚本(小学生向け)を掲載しました。是非ご覧下さい。














JCP55周年記念会(その3)

2007-10-20 16:42:13 | 日記

JCP55周年記念会で2回の講演がありました。1日目は大田正紀先生による「祈りとしての文芸 山本周五郎と聖書」2日目は黒川知文先生の「ドストエフスキーの信仰と文学」でした。
素晴らしい内容でしたが、世話役だったので、落ち着いて聴くことができなかたため要約は書けません。
リンク先の希望の風さんとメメントドミニの優子さんのブログに詳しく書かれていますのでご覧下さい。


わたしが感じたことを少し書かせていただきます。
「祈りとしての文芸 山本周五郎と聖書」

わたしはこれまで、山本周五郎がクリスチャンであることを知りませんでした。著作をほとんど読んでないのにタイトルだけは知っていて、山本周五郎を身近に感じていました。それは結婚前、神戸に住んでいたころ、家の本棚に山本周五郎の単行本がずらりと並んでいたからでしょう。母が山本周五郎の大ファンで、ほとんどの作品を読んでいました。
当時のわたしはあまり歴史小説に興味がなかったので、題名だけ眺めていました。


周五郎は子供の頃、父親に連れられて日本メソジスト横浜教会の教会学校に通っていたそうです。成人してからは教会生活を送ってはいなかったそうですが、聖書をよく読み、熱心に祈っていたそうです。
「さぶ」は「愛は罪をおおう」というテーマで、周五郎は本当の人間の愛を書こうとしたそうです。エデンの東の作者スタインベックの『はつかねずみと人間』をもとにして書かれたと聴いて驚きました。

わたしは「さぶ」だけは読みました。読んだのは確か高校生のころです。(でも、内容は覚えていません)中学生の時には学校で、「赤ひげ診療譚」の映画を観て、その感想文を書いたことを覚えています。
人間の中に潜む心の渇きを書いている「おごそかな渇き」(絶筆となった作品)、赦すということをテーマに書かれている「ちくしょう谷」をぜひ読んでみたいと思いました。

「ドストエフスキーの信仰と文学」

ドストエフスキーは、去年「カラマーゾフの兄弟」の読書ツアーに参加したこともあって、わたしの最も興味ある作家です。
生い立ちを聞くと、波瀾万丈といった生涯を送っています。16歳のとき母が亡くなり、18歳のとき父が殺されます。28歳のとき当時の政治集団ペトラシェーフスキー事件に連座したという理由で他の19人と共に逮捕され、8か月の取り調べの後、死刑を宣告されます。ドストエフスキーは2列目にいて、数分後には確実に殺されるというとき、馬伝令が到着し、皇帝陛下による恩赦が下って死刑を免れます。その後、4年間シベリアに流刑されました。その間は聖書しか読めなかったそうです。


これらの体験に重ね、癇癪の発作を起こしたり、恋愛遍歴、賭博に熱中、長女と次男の死などの体験が作品に投影されています。
ドストエフスキーの信仰は、2度目の妻アンナにより強められ教会に復帰したそうです。ドストエフスキーの行っていた教会は、ロシア正教会でプロテスタントともカトリックとも違いますが基本的には同じ教えだそうです。
森有正はドストエフスキーについて「かれの如く信仰と不信仰との激しい内的闘争を体験した人は稀であろうが、それは一に彼の内心の深い自己矛盾にその根源の存するものである」と書いています。


わたしも信仰と不信仰の間で闘い、大いなる自己矛盾を感じて苦しむことがあります。
この自己矛盾はローマ人への手紙7章に書かれているパウロの苦悩(わたしは自分でしたい善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています。ローマ7:19)と共通するような気がします。

「罪と罰」のエピローグに「しかし、そこにはもう新しい物語が始まっている……」と書かれています。苦しむ人間を描いた後の余白、神の恩寵にゆだねる余白として書かれている『新しい物語』という言葉に希望を見いだしました。
                  おわり



JCP55周年記念会(その2)

2007-10-18 17:31:22 | 日記
今日は父の命日です。1年前のことが鮮やかによみがえってきます。胸がしめつけられるようなせつない思いと、天国へ行ったのだからよかったのだという気持ちの入り混ざった複雑な心境です。
葬儀までの3日間、母があまりにも泣くので心配しましたが、現在母はとても元気で、生き生きと一人暮らしをエンジョイしています。

「この一年長かった?早かった?」と聞かれましたが、早かったような気がします。葬儀の2週間後に息子の結婚式があったので、とにかく悲しみに浸っている暇がなかったのです。


10月15日、16日にわたって開かれた日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)55周年記念会で学んだことを一部ですが紹介させていただきます。

ちなみにこのブログとリンクしている希望の風さんとメメントドミニの優子さんも
JCP55周年記念会について書いておられます。3人3様に書いていますので、ご覧になるとその様子がもっとよくおわかりになると思います。

開会礼拝では【愛すること、赦すこと―平和を求めて】のテーマから理事長の池田先生がメッセージして下さいました。


わたしたちが生きる日本の社会と世界の状況は、人間同士の愛による連帯と赦しの倫理を喪失し、平和と人間の尊厳が侵される危機的状況に陥っています。日本の社会にも憎しみと憎悪による殺傷事件が続発しています。このような状況に対してキリスト者であるわたしたちはいかに考え、身を律していけばよいのでしょう。身近な生活と命に関わる問題として平和問題を考え、発言し、証していきましょう。
傷ついている世界、自分探しの日本の中でわたしたちができることは、過去の歴史を直視することです。戦争責任を告白するのは勇気のいることですが、「わたしは間違えました」と告白することが平和の一歩となります。


アッシジのフランチェスコの祈りを紹介されました。
レジメにアッシジのフランチェスコの祈りが文語体で書かれていましたので紹介します。


ああ われをして おんみの平和の道具とならしめたまえ
われをして 憎しみのあるところに 愛をもたらしめたまえ
争いある所に 許しを
分裂ある所に 一致を
疑いある所に 信仰を
誤りある所に 真理を
絶望ある所に 希望を
悲しみある所に 喜びを
闇ある所に 光をもたらしめ給え
 ああ 主よ われをして
慰めらるるを 求めずして
慰むるを求めじめ
理解さるることよりも 理解することを
愛さるることよりも 愛することを求めしめたまえ
そは われらは自ら与えるが故に受け
許すが故に許され
おのが身を捨てて 死するが故に 
永遠の生命を得るものなればなり
 



キリストが十字架上で
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです(ルカ23:34)」
と言われましたが、なぜ『わたしが赦します』と言わず、『赦して下さい』と願ったのでしょう。
それは、キリストが中保者となってくださったからです。キリストが贖罪の業として、罪と神の両手を握ってくださいました。わたしたちの書くあかし文章の一文、一行がこの世の人と神を結ぶ道筋となりますように。


*中保者とは、神と人とを仲介する存在です。

JCP55周年記念会(その1)

2007-10-16 17:56:19 | 日記


昨日、今日の2日間にわたって御茶ノ水でJCP55周年記念会が行われました。総勢50名もの方が全国各地から集まってこられ、神さまから祝された集会になりました。

2回の講演は素晴らしく、JCPでなければ聞けないような貴重なものでした。

いちばん感動的だったのは、このブログともリンクしているメメントドミニの優子さんとお会いできたことです。優子さんは関西の方なので、なかなかお会いできません。2年前琵琶湖のJCP夏期学校でお会いして以来です。しかもそのときは、あいさつを交わしただけでした。

その後、優子さんがブログを立ち上げ、ブログを通して親しくなりました。メールで励まし合い、祈り合ってきたので、今回が2回目の出会いとは思えないほどでした。
同じブログ仲間の希望の風さんと3人で、夕べは夜遅くまで話し込んでしまいました。

メールやコメントのやりとりもいいけれど、会って、顔をあわせ、膝をつきあわせて語り合うことにまさるものはありません。

関東の方でも久しぶりにお目にかかった方や、初めての方などたくさんの方々とお話しすることができて嬉しかったです。

毎日わたしのブログを読んで下さっている方がおられ、印刷をして読み返しているとお聞きして気恥ずかしくなりました。アップしてから数時間後、書き直すことがありますので(間違えに気づいて、真っ青になることもしばしばです)1日たってから印刷して下さいね。よろしくお願いします。

コメント再開しました。

強められた家族の絆

2007-10-14 14:51:54 | エッセイ

今日の礼拝メッセージから、終(つい)の棲家(すみか)は天国であること。いろいろ考えて人生計画をたてても、その通りにいかないことが多い。でも、主のみこころが成っていくということを教えられました。

これから出かけます。実家に1泊してからJCP55周年記念会へ出席します。数日間コメントを受けつけない設定にしています。再開しましたらまたよろしくお願いします。

2004年春(乳癌手術の数ヶ月後)にJCPで書いたエッセイを掲載します。JCP関東ブロックの冊子「わたしの家族」に掲載された作品です。


強められた家族の絆
 


わたしの家族は一家四人同じ家に住んでいるのですが、数か月前までばらばらでした。
 主人は仕事が忙しく、帰宅は毎日11時近くです。休みの日は疲れてソファーで一日中寝ています。家のことはいっさいしません。
 大学生の息子は、毎日アルバイトに精を出し、帰宅はやはり深夜。
 高校生の娘は、自分のことでめいっぱいで、夕方帰宅するとすぐ自分の部屋に入ってパソコンに向かっていました。
 
一家4人がそろって食事することもめったになく、娘とわたし、息子とわたしの会話はあっても、父親と息子、父親と娘、そして夫婦の会話が極端に少なくなっていました。
 
ところが、昨年の12月に一大事が起こりました。わたしが乳ガンで3週間入院することになったのです。料理のことや洗濯機の使い方を娘に教え、主人にはごみの日を知らせ、息子には学校帰りに病院に寄るようにと頼み、あわただしく入院しました。
 
 いままで料理などほとんどしなかった娘が毎朝弁当を作り、学校帰りに買い物をして夕飯を作っていることを知ったとき、胸が熱くなりました。息子は車で毎日のように病院に寄ってくれ、洗濯物を持って帰ったり、必要なものを持ってきたりしました。

 そして主人は毎朝早起きして、風呂掃除、水やり等をしてから出勤し、帰りも極力早く帰ってきていたそうです。

 休日には主人と娘が、わたしの好物を持って見舞いに来てくれました。土、日は主人と娘がふたりで食事を作り、片付けも交代でやっていたそうです。
わたしの入院がきっかけとなって、ばらばらだった家族がひとつになった気がします。

 神様は、家族の絆を強めるために試練を与えてくださったのだと感謝しています。
いつの日か、家族全員が主を信じることができるようにと願っています。



現在、娘は東京でひとり暮らし、息子は結婚して独立。夫婦2人きりの生活です。娘が一人暮らしを始めた当初は寂しかったのですが、今は寂しさを感じないほど充実した毎日を送っています。

わたしを遣わしてください

2007-10-13 17:48:58 | CS(子供伝道)

今日は子供集会「はこぶねクラブ」でした。新聞紙ちぎりゲームが楽しかったです。リンゴの皮むきのように、1枚の新聞紙を手で長く切って、長さを競うゲームです。けっこう大人もはまっていました。毎回2種類のゲームを用意していきますが、考えるのが大変です。
「ボーイスカウト集団ゲームのヒント」のサイトからいつもアイデアをいただいています。


最近、わたしの心の中にいつも流れている曲があります。それはリラの「用いて下さい」です。歌詞を紹介します。


この世界の痛みと叫び 
すべて知っておられる 
主の声を聞いた
だれをつかわそう だれがわたしの
ためにゆくのだろう
いつかもっと素晴らしい人に
なれたそのときならと 
思っていたけれど
何もいらない そのままでいい
主がともにいるから
いまあなたの前に進む
わたしはとても小さいけれども
あなたの愛と力によってわたしを用いて下さい


今月は教会学校(小学科)でこの歌を賛美しています。(1か月かかってやっとピアノで弾けるようになりました)
これは旧約聖書イザヤ書6:8私は「だれを遣わそう。だれが、われわれのためにいくだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください」のみことばから作られた歌です。

わたしは、この歌をうたうと体が熱くなります。痛みと叫びに満ちているこの世界をごらんになって、神さまは心を痛め、苦しみあえいでいる人にキリストを伝える人を求めておられるのです。


ここにわたしがおります。わたしはとても小さいのですが、文章を書くことによって伝える者として下さい。
と祈っています。


写真は桜川土手に咲く彼岸花。この真っ赤な花のように燃えています。

目前に迫ったJCP55周年記念会

2007-10-11 20:35:29 | 日記

今月15日、16日に日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の55周年記念会が御茶ノ水クリスチャンセンター(OCCビル)で行われます。わたしは実行委員のメンバーのひとりです。

5月から毎月準備会が行われ、今日は最終準備会で御茶ノ水に行ってきました。往復5時間近くかかるので、御茶ノ水に行くときは実家に1泊することが多いのですが、今日は実家に立ち寄らず日帰りで行ってきました。

忙しいのですが、このように準備に携われることが嬉しくてたまりません。
わたしが初めてJCPの集会に行ったのは5年前の50周年記念会の時でした。人見知りの性格なので、初めてのところに入っていくのが苦手で、とても緊張していたことを覚えています。
初めのころは、なかなかなじめないでいたのに、いまはJCPの方々が家族のように感じられます。

JCPのホームページの管理人もさせてもらっています。
55周年のことはJCPのHPトップに載せていますので是非ご覧下さい。エッセイは昨日更新しました。

写真はOCCビル玄関です。ビルが密接しているところなので、初めて来られる方は気づかずに通り過ぎてしまうことがあります。マクドナルドの手前です。


運命?

2007-10-09 17:38:01 | 乳癌

8日に実家近くのお寺で行われた父の一周忌の法要に出かけ、1泊して帰ってきました。14名の親戚の方々が集まり、昼食を共にしながら久しぶりに従妹たちとゆっくり話ができました。


お経のあと、お坊さんが短く法話をして下さいました。
運命というものがあるということ、何かをなして功績を残しても、人はみな死んでしまうから残念だということ、しかし故人の築いた人間関係は残るという3つのことが語られました。
聞いていた人達は、皆うなずいて納得しているようすでした。

でも、この3つのことが真理だとしたら、人生とは、なんて空しいものなのでしょう。
人間、生まれながらにして運命が決まっていたら、意志や願いがあってもなくても、たどる道は同じということになります。
また、人それぞれの運命が偶然、あるいは星の動きや生年月日で決まるとしたら、どうしようもないという思いにとらわれます。
たとえば、癌を宣告されたとして、それが運命だと思ったとします。運命だから仕方ないとあきらめの心境になるのでしょうが、それはネガティブな受け止め方です。


わたしは、人生で起こるあらゆるできごとは、天地を造られた神さまがしてくださっていると考えているので、運命という考え方はしません。
癌になりましたが、それは神さまのなさる最善なのだとポジティブに受け止めています。神さまは、わたしに癌を与えることによって、栄光を表そうとされているのだと思うのです。

神さまは、わたしのことをとても愛して下さっていますから、悪いようにするはずがないのです。運命だったら、いくらこちらが訴えてもどうしようもないのですが、神さまは訴えを聴いて下さる方ですから、祈りによって訴えることができます。
そして、人格を持っておられる神さまがその訴えに応答して下さいます。祈りがすべてかなえられるわけではありませんが、聴いて下さるお方がいることが嬉しく、そのお方にすべてをお任せすれば間違えはないのです。

聖書には「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」と書かれています。

お坊さんの語られた何かをなして功績を残しても、人はみな死んでしまうから残念であるというのはもっともなことです。しかし、キリストを信じる者には永遠の命が与えられるのですから、クリスチャンは「残念」という思いを抱く必要がありません。

故人の築いた人間関係は残るというのはその通りです。でも永遠に残るわけではありません。何十年もたって、故人を知る人がみな召されてしまうときがくるからです。

聖書にはいつまでも残るものは信仰と希望と愛です。と書かれています。永遠に残るものをみつめて歩んでいきたいです。

キリストの愛に迫られて

2007-10-07 16:47:03 | 教会

昨日無事に花火大会が終わったことを感謝します。怪我や事故のないようにと朝から何度も祈りました。息子たちは子供を置いて出かけていきましたが、主人とわたしは1歩も外に出ませんでした。(家に居ながら花火見物ができる特権をこの時ばかりは大いに感謝!)

解説を聞くためにケーブルテレビをつけていたら、6か月のヒックンがテレビをじっと見ていました。テレビより本物を見せた方がいいと思い、抱いてベランダから見せると、手足をバタバタさせて大喜び。ドーンと腹に響くような音もこわがりません。あまり長い時間見せてはいけないと思い、15分ぐらいで部屋に入ったのですが、夕べは興奮してなかなか寝なかったそうです。生まれて初めてみた花火をヒックンはどう感じたのでしょう。


今日は礼拝で聖餐式がありました。聖餐式とは、イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言ったことを記念して、パンとぶどう液を会衆に分けるキリスト教の儀式です。キリストの十字架を思ってパンとぶどう液を戴きます。



土浦めぐみ教会では年に4回聖餐式を行っていますが、今年は、聖餐式のたびにその意味がメッセージの中で語られています。
1月に行われた聖餐礼拝では聖餐式は領収書のようなものであると語られました。(1/7のブログに書いています)
4月の聖餐礼拝では聖餐式は契約書のようなものであると語られました。
7月の聖餐礼拝では、聖餐式は宣言文のようなものであると語られました。(7/2のブログに書いています)
そして、今回は、聖餐式は神と誓約するようなものであると語られました。
1~3回目までは『神がわたしたちにしてくださったこと』ですが、今回は『わたしが神になすべきこと』です。

日本には木や石に神が宿るといった汎神論的な宗教風土があるので、日本人は神が人と契約をする、あるいは人が神に忠誠を誓うということを理解しにくいのだそうです。


確かに、八百万(やおよろず)の神がいると祖母から聞いて、小学生のころは、あっちの神さま、こっちの神さまとたくさん拝めばご利益があると思っていました。神さまは願いをかなえてくれるもの、反面バチをあてるものと、とらえていました。
でも、聖書に示されている神さまは、人格を持っておられ、約束される方なのです。

神さまの約束とは、キリストがわたしたちのために十字架にかかって死んでくださったことにより、わたしたちはキリストを信じるだけで罪が赦され、永遠の命が与えられるということです。


約束を信じないことは、約束している神を信じないことで、真理を否定することです。


神さまがわたしたちになしてくださったことは、ものすごいことです。1~3回の聖餐式の意味を振り返ると、神さまの愛がこれでもか、これでもかと迫ってきます。こんなに素晴らしいことをしてくださった神さまに何をなしたらいいのだろうか……と思います。何をしてもお返しをすることはとうていできません。
でも、神さまは「お返しをしなさい」とは言っておられません。
「あなただけを神とします」と誓約すること、ただそれだけを望んでおられるのです。

キリストの愛に迫られて「神さま、私はあなたを捨てて、ほかの神々に仕えることはしません。主イエスが私の救い主だからです。」と書かれた誓約文に署名しました。


私と私の家とは主に仕える(ヨシュア記24:15)

読書ツアー

2007-10-05 13:16:04 | 読書

今、わたしは米国のカリフォルニア州北部、サリーナス盆地にいます。

ええっ!いつ出かけたの?
いえいえ、体は日本ですが、心がサリーナス盆地に出かけているのです。

サリーナス盆地とは「エデンの東」(ジョン・スタインベック作)の舞台です。
去年はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」読書ツアーに参加してロシアに行っていました。ツアーといっても実際に出かけるわけではありません。

10人ほどが参加して「カラマーゾフの兄弟」を読んでの感想をツアコンに添付ファイルで送り、まとめたものをまた送っていただいていました。おかげで、難解な本(米川正夫訳)を4か月で読破できました。
ツアコンのK姉に感謝です。



光文社文庫から亀山郁夫訳が出てから、『カラマーゾフの兄弟』が古典では異例のベストセラーになっていることを知り、嬉しくなりました。(亀山訳が出版される前にカラマの読書ツアーが始まっていたのですから、すごいですね)


9月18日付の朝日新聞には大江健三郎が「カラマーゾフの兄弟」について書いておられます。大江氏も米川氏訳を読んで「難しく行き悩んだ」そうです。そこで大江氏は若い人のために第4部10章「少年たち」から読むというプランを立てたそうです。「少年たち」は、わたしがいちばん興味深く読んだ所でした。


この読書ツアーの名がカラマの会と名付けられ、カラマの会エデンの東ツアーとなりました。今回は、ミクシーのコミュを使って8月に出発しました。(コミュは非公開で参加者だけしか見ることができません。)

出発の大部前から「エデンの東」を読むことが決まっていたので、本を買い求め、読んでいました。読むのが遅いわたしですが、読みやすいのと、次はどうなるのかハラハラして、4巻のうち一気に3巻まで読んでしまいました。

ツアーでは、1か月で1巻の感想を書くので、出発してから読み直しました。今まで同じ本を何度も読むということがなかったのですが、再読して新たに気づいたことがたくさんあるので驚いています。

最初はストーリーを追って読むせいか、細かいところまで頭に入っていません。2回目になるとストーリーがわかっているので、周りの景色を楽しむことができます。そして、思わぬ宝物をみつけたり、作者の意図に気づいたりするのです。
昨日も、美容院の待ち時間に読んでいて「なるほど、こういうことだったんだ!」と思わず声に出して言いそうになりました。

今はまだ感想が書けません。いつかこのブログでも紹介させていただきますね。


明日は土浦全国花火競技大会です。我が家から見えるので、息子一家が泊まりに来ます。ヒックン(生後6か月)は花火の音にびっくりするでしょうね。わたしは花火よりヒックンの顔を見ていた方が幸せです。

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