生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

死にたいと思っているあなたへ

2015-08-31 12:05:03 | その他
明日は9月1日です。1年で18歳までの子どもの自殺がいちばん多い日なのだそうです。42年間で131人もの子どもが9月1日に自殺していると知り、心痛めています。

学校から解放された夏休みが終わるとき、学校に行きたくないという気持ちを持つ子どもは多いことでしょう。(わたしもそうでした)とくに学校でいやなことがあったり、いじめられていたりすると、夏休みにのびのび過ごせた分、学校に行きたくないという思いが強くなります。

わたしは小学5年生のとき、いやなあだ名をつけられてつらい思いをしていました。
体育の時間、走り幅跳びをしていました。運動が苦手なわたしは、少しでも遠くへ飛べるように必死に走りました。
走っているとき笑い声がして「ガニウマ」という声が聞こえました。

その後、わたしは「ガニウマ」と呼ばれるようになりました。
それがいやで、学級会のとき「ガニウマって言わないでください」と言うと、「へーっ、お前ガニウマって言われてるのか」と男子たちが笑い出し、もっとひんぱんに言われるようになりました。
そのときわたしは、ガニウマと言った人たちを決して赦さないと思いました。
 
家に帰って泣きながら母親に話すと、「庭に出てちょっと走ってみてごらん」と言われました。
体育の時間に走ったように走ると、母は笑い出しました。

「これじゃあガニウマって言われてもしかたないわね」と言われました。ガニマタで馬みたいに走っていたかららしいです。
歩いたり走ったりするとき、ガニマタにならないように気をつけなさいと言われ、わたしはそれから実行したのです。でも、いちどついたあだ名は消えず、小学校を卒業するころまで言われ続けていました。

ところがこれには後日談があります。中学一年で転校したのですが、転校先でのはじめての体育の授業で校庭をぐるりと一周するように言われました。ひとまわりして、「〇〇さんは、いちばん歩き方がきれいです。」と先生がわたしを誉め、模範となるようにひとりで歩くように言われました。わたしは「なぜ?」と耳を疑いました。

わたしは生まれて初めて、歩き方でほめられたのです。ガニウマと呼ばれなければ、ほめられることもなかったでしょう。 
小学生の時は、ガニウマと呼ばれてからかわれるたびに、心傷つき、からかった男子を恨んでいました。
でも、今になるとガニウマとは、よくつけたものだ。その名前も忘れてしまった男子はすばらしい才能があると、ほめたくなります。からかわれたことをすっかり赦せています。

中学2年生のときは、友だちがひとりもいなくて、トイレにこもって昼休みの時間を過ごすほど、つらい日々を過ごしました。
学校へいきたくなくて、病気のふりをし、ずる休みもしました。そのころ(40年以上前)はずる休みはすごく悪いこと。学校には行かなくてはならないものという考えが強かったので、無理して学校へ通っていましたが、きっかけがあれば死んでしまいたいといつも思っていました。
あのとき、無理して学校へ行く必要はなかったのだなと思います。

このブログを読んでいる人たちの中で死にたいと思っている人がいたら、どんなにつらいことがあっても、それがずっと続くわけではないこと、無理して学校へいく必要のないことを覚えてください。

あなたのからだは、あなたのことを愛し、大切に思ってくださっている方によって造られたものであることを知ってください。

自分なんか、いてもいなくてもいいんだ……と自分が価値のない者のように思わないでください。あなたは、かけがえのない人だからです。
あなたには、あなたを必要としている人がいるのです。何もできなくても、あなたがいるだけでうれしいと言ってくれる方がいるのです。
だから、死なないでください。

以前書いた「死なないでください」の詩があります。ここをクリックしてお読みください。



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重荷をおろして

2015-08-24 20:25:36 | 教会
昨日は教会のお祭りでした。お祭りといえば神社の境内での夜店を思い浮かべますが、わたしの通っている土浦めぐみ教会では、8月末の日曜日、夕方より毎年お祭りを行っています。

教会の大人たちが子どもたちのために、焼きそば、フランクフルト、チヂミ、海苔巻、かき氷、たこ焼きなどを準備します。教会学校では、ダーツや輪投げ、ヨーヨー釣り、ペットボトルボーリングなどを用意します。

わたしは、ヒックンを連れて行きました。今年はママの都合が悪かったので、ヒックンと教会まで歩いて行きました。ちょっと寄り道していたら遅れそうになったので、土手を走って行きました。3年生のヒックンは、足が速く、とても追いつけませんでした。

息切れしながら、教会の庭に向かいました。そこにはやぐらが組まれていました。
お祭りは、野外での礼拝から始まります。灰色の雲が出ていて、天気が心配でしたが、大人も子どもも大きな声で賛美し、踊るうちに、雲も退散していきました。

「聖書にも神様を喜んで踊った人がいます。それはダビデです。」と、A先生が(Ⅱサムエル記6:14-22)からお話をしてくださいました。
命を狙われ、大変なところを通らされてきたダビデは、ようやく神様の箱をダビデの町に運び入れることができ、喜び勇んで踊ったのです。
それを見ていた奥さんのミカルはダビデをさげすみましたが、ダビデは「わたしは主の前で喜び踊るのだ」と言って踊り続けました。

お話の後、みんなでめぐみ音頭を踊りました。盆踊りではなく、天地を造られた神様をほえたたえる踊りです。
めぐみ音頭は、めぐみ教会オリジナルソングです。歌詞を紹介します。

めぐみ音頭

さあさ寄ってらっしゃい そこのお父さん
仕事仕事で お疲れさん
肩にかかった 大きな荷物
イエスの足元に どんとおろしゃ
あなたもわたしも 晴れ晴れと あなたもわたしも晴れ晴れと
ハア~ ハレルヤめぐみ音頭

さあさ寄ってらっしゃい そこのお母さん
炊事育児でごくろうさん
肩にかかった 家計の重荷
イエスの足元に どんとおろしゃ
あなたもわたしも晴れ晴れと あなたもわたしも晴れ晴れと
ハア~ ハレルヤめぐみ音頭

さあさ寄ってらっしゃい そこのお兄さん
バイト 勉強で お疲れさん
肩にかかった 未来の日本
イエスの足元に どんとおろしゃ
あなたもわたしも晴れ晴れと あなたもわたしも晴れ晴れと
ハア~ ハレルヤめぐみ音頭



音源は土浦めぐみ教会のHPにあります。

重荷を「イエスの足元に どんとおろしゃ」という歌詞がいいですね。
人は誰でも何かしらの重荷を抱えています。ときどきその重さに耐えられなくなって、押しつぶされそうになることがあります。がんばって持ち続ける必要はありません。降ろせばいいのです。安心してその足元に降ろせる方を知っているわたしたちは、なんと幸いなのだろうと思いました。

母は落ち着いてホームで暮らしています。土曜日は妹と一緒に我が家に来て、夕飯を共にしてお風呂に入ってもらいました。
先日、病院へCT検査結果を聞きに行きました。肝膿瘍は治っていると言われてほっとしました。

母は、入院していたとき、聴力が急に衰えて、集音器をつけないと会話ができないほどになってしまいました。三鷹に住んでいたとき購入した補聴器は小さくて扱いにくく、つけていると眼鏡もマスクもかけられないからいらないと言ってほとんど使いません。それで仕方なく集音器を買ったのでした。
驚いたことに10日ぐらい前からよく聞こえるようになって、集音器をつけなくても会話ができるようになりました。聴力は回復するのですね。



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誕生日

2015-08-15 17:13:21 | 日記
8月7日は母の86歳の誕生日でした。
妹の運転でつくばに母の好物のピザを食べに行って、我が家でケーキを食べました。バースデーケーキはあらかじめ予約していました。ケーキのスポンジと生クリームがあまり好きではないので、シフォンケーキにチョコレートとフルーツで飾りつけしていただきました。母は美味しいと言ってよろこんでくれました。

ケーキを食べた後、それぞれが用意したささやかなプレゼントを渡しました。姪はキーホルダー、娘はマグカップ、妹と私は買い物バッグです。
これまでは、母の誕生日は特別なことをしていませんでした。妹と私はお盆には実家に行っていたため、母の誕生日に集まることもなかったのです。なので、母のためにバースデーケーキを頼んだのは初めてです。

ケーキを食べながら、母の思い出話を聞きました。
母はこれまで死ぬかもしれないと思ったことが何度かあったそうです。4~5歳の時、姉を追って走って行き、どぶに頭から落ちてしまったそうです。お姉さんは驚いてスカートをひっぱって引き上げようとしますが、上がりません。幸い頭は水につかっていなかったので息はできましたが、ミミズが髪の毛にからまって揺れていたのを覚えていると言います。お姉さんは、友だちに母親を呼んでくるように伝えますが、その友達が、すごくのんびりしていて、お母さんが助けに来るまで随分時間がかかったそうです。それでも、お姉さんと友達のおかげで命拾いしました。

2度目は戦争のときです。今年、戦後70年になるので、母は終戦の年は16歳だったのです。
女学校にいるとき軍事工場で働いていていました。工場へ向かうとき、すぐそばに爆弾が落ちて、もうだめだと思ったそうです。でも、それは不発弾でした。もしそれが爆発したら命はなかったでしょう。

空襲で家も焼けてしまったそうで、大変なところを通ってきたのだなあと思いました。
もし、戦争で命を落としていたら、妹やわたしは生まれなかったわけです。

今年の5月に入院したときは、生死が危うかったことを後から知らされましたが、それが3回目か、もっと危機的状況があったのかわかりません。
いずれにしても神様が、母の人生を守り、ここまで導いてくださったことを思い、祈りを捧げました。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。


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こんな日がくるとは・・・・・・

2015-08-06 12:15:15 | 日記
8月2日の日曜日、第一礼拝に出てから母を連れて北茨城の五浦へ旅行にいってきました。
妹の運転で、娘と姪も同行して女ばかり5人の旅です。

車椅子の旅行は初めてなので、緊張しました。ホテルにはあらかじめ電話で部屋がバリアフリーであることと、ベッドがあることを確かめていました。
母は少しなら歩けるのですが、足の力が弱いので、立ち上がったり、寝た姿勢からひとりで起き上がることができません。
部屋には椅子があり、ベッドもあったので困ったことはありませんでした。お風呂には手すりがなかったのですが、妹や私と一緒に入ったので大丈夫でした。


ホテルからは五浦海岸の六角堂が見えました。上部中央より左にある朱塗りの建物が六角堂。


六角堂は、明治時代に岡倉天心が思索の場所として自ら設計したものだそうです。
2011年の東日本大震災で津波により消失しましたが、翌年再建されました。

3日にひとりで見学に行こうとしたのですが、休館だったので入れませんでした。

母は食事を楽しみ、温泉につかって嬉しそうでした。


二日目は大洗水族館に行きました。






水族館は、さすが車いすを優先してくれたので随分助かりました。イルカショーもいい席で見ることができました。

こんな日がくるなんて、一か月半前には考えられないことでした。病院のベッドで何本もの管をつけて、絶飲絶食だったのですから。34キロまで体重が落ちていました。
退院後、食欲が回復して今は44キロになりました。

温泉効果か足の腫れがだいぶおさまってきました。

このような旅行をさせていただいて、主に感謝します。



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