生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

クリスマス祝会

2005-12-17 17:37:56 | CS(子供伝道)

今日は教会学校のクリスマス祝会でした。いつも教会学校は日曜日の朝ですが、今日は特別です。もちろん明日の日曜日も教会学校があります。クリスマス会では、それぞれの学年で劇や歌や合奏などを発表しました。わたしは、小学2年生の先生をやらせてもらっています。2年生は12人で「よきサマリヤ人」の劇をしました。

「よきサマリヤ人」というのはイエス様のしてくださったたとえ話で聖書のルカの福音書(10:30-37)に書かれています。強盗に襲われた旅人が道に倒れていると、祭司が通りかかります。聖書の教えは全部守っているという祭司ですが、旅人を見ると道の反対側を通り過ぎていきます。

次に祭司につかえるレビ人が通りかかります。彼も旅人を見ると道の反対側を通り過ぎていきます。

そこへユダヤ人である旅人とは敵の国の人、サマリヤ人が通りかかります。彼は、旅人を介抱し、宿屋に連れていって一晩面倒を見、宿屋の人にお金を渡して翌日エリコの町にでかけていきます。

「さて、この三人の中でだれが強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか」。とイエスさまは問われます。隣人(となりびと)になるとは、自分と同じように相手を愛し、大切にすることを意味します。

練習のときはふざけたり、セリフがなかなか覚えられなかったりしたのですが、本番になると子供たちは瞳を輝かせて立派に演じました。


クリスマスに寄せて(その3)

2005-12-17 17:00:51 | エッセイ

「すべての人は罪を犯したので(ローマ3:23)」

と聖書に書かれています。罪というと犯罪を思い浮かべるでしょうが、法に触れなくても、嘘をついたり、人をうらやんだり、ねたんだり、憎んだりすることを罪といいます。本来罪というのは「的はずれ」という意味なのだそうですが、神さまのみ心からはずれていること、つまり神さまが喜ばれないことを言ったりしたり思ったりすることを示します。

「悪口を言うくらいかまわないでしょう。」「だってみんな言っているもの。」「つぶやくぐらいいいでしょ。」「あの人嫌いと心の中で思うくらいかまわないでしょ。」と思われる方もいるかもしれませんが、それは明らかに神さまの喜ばれないことです。

神さまは清いお方なので、罪を見過ごすことはできません。その罪には罰が与えられます。
「罪から来る報酬は死です(ローマ6:23)」
というように、死によって償われなければならないものです。

イエス様は神さまですから、罪がありません。罪のないイエスさまだけが、わたしたちの身代わりになることが可能です。イエスさまは何の罪もないのに、わたしたちのために十字架にかかって死んで下さいました。十字架の死によって、わたしたちの罪が赦されました。どんな罪があっても、イエスさまを見上げるだけで罪が赦され、肉体は滅びても魂は永遠に生きられるようになりました。まさに、わたしたちの罪を赦すためにイエス様は生まれ、十字架にかかって下さったのです。


「神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じ様な形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ8:3)」


そのことを思うと、心は感謝と喜びでいっぱいになります。


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