生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

前に進めないとき

2016-10-31 16:47:30 | CS(子供伝道)
先日は前に進めてよかったことを書きましたが、今日は前進できなかったことを書きます。

わたしは、教会学校で子どもの賛美の伴奏をしていますが、今年4月に引退しました。
主人がいちにちリビングにいて、ピアノはリビングにあるので練習がほとんどできなくなってしまったからです。

でも、奏楽者が減ってしまい、どうしてもと頼まれて9月からまた奏楽することになりました。
今まで弾いたことのある曲はなんとか弾けるのですが、新しい曲はうんと練習しないと弾けません。

どうしても弾けなかったら、その曲だけMさんが弾いてくれるというので引き受けたのでした。

リズムが難しい曲は、たくさん練習すれば弾けるようになるとは限りません。#や♭がたくさんついていても平気ですが、リズムが難しい曲は苦労します。もっとも、難しいと思うのはわたしだけらしいのですが……。

「キラキラ」という曲のリズムは、わたしにとって難解でした。教会でいちど聞いてもらうと、間違っていると言われました。でも、数えながらゆっくり弾くと弾けるのです。弾くのは次の週なので、それまで練習して日曜日の朝、聞いてもらい間違っていたら、そのときだけ代わってもらおうと思いました。

先週は主人が出かける機会が多かったので、一日1~2時間練習でき、ピアノを弾いてないときも頭の中で1,2,3. 1,2,3、1,2と数えながら歌っていました。

そして、必死に祈りました。「どうか正しいリズムで弾けますように。子どもたちが歌いやすいように弾けますように」と。
家に娘がいたときは、娘に教えてもらえたのですが、娘のいない今は、間違っているのか正しいのかさえわかりません。弾いているとだんだん自信がなくなってきます。

「神様。どうかこの曲を弾く力を与えてください。でも、もし弾けなかったら手放す勇気を与えてください」と祈りました。

できないと認めることはつらいことです。交代するのは自分自身に負けたようでみじめです。
でも、何が何でも頑張るというのは神様に喜ばれることでしょうか。

リズムが間違っていたら、ショックを受けないように。そのことを素直に認め、その曲はMさんにまかせて、ほかの3曲を心を込めて弾くことができるように願いました。

そして、昨日の朝、聞いてもらうと、やはりまだリズムが違っていました。それでその曲のときだけ交代してもらって、わたしはパワーポイント操作をしました。

「会えたんだ、イエス様に。愛されて、赦された」という歌に合わせて踊っている子どもたちの姿を見たとき、何ともいえないさわやかさに包まれ、平安と喜びが湧き上がってくるのを感じました。



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とにかく前に進む

2016-10-27 15:55:46 | 聖書から
昨日から聖書輪読会を再開しました。
聖書輪読会は、20年ぐらい前、2人の方によって始まりました。わたしは誘われて2回目から参加しました。一年ぐらいして当初の2人は仕事を始めて参加できなくなり、その後は次々仲間が与えられ、これまで続いてきました。

最初輪読会は、毎週の水曜礼拝の前にしていました。そのあと月に一度になり、水曜礼拝の後、お弁当を食べてから始めるようになりました。
輪読会では聖書を一節ずつ交代に読んでいきます。一章読んだら感想など言い合い、次の章にすすみます。これまで新約聖書を2回読み、旧約聖書に入って民数記まで進みました。週一回で、一回5章ずつ読んでいくので、なかなか進みませんが……。

一昨年は、わたしの母が胃癌だとわかって、看病のため実家に通うことになったので中断しました。病気が見つかってから母は、約一年後に召されましたが、輪読会を再開する気力がなくなってさらに一年たちました。

友の働きかけがあって、再開することになりました。メンバーが減ったので2~3人集まればいいと思っていたら、なんと7人も集まりました。感激です!
台湾の方と韓国の方たちが加わってくださったのです。日本人は3人でした。

台湾、韓国の方は「読むが遅いので、迷惑かけてしまうかも……」と遠慮がちに言っておられましたが、遅いことは大いに歓迎。それだけみ言葉をじっくり味わえるのです。
彼女らの熱心さにこちらが励まされました。わたしがつかえて、台湾の方に正される場面もありました。

輪読会を始めるとき、牧師先生から言われた注意をお話しさせていただきました。

『聖書は、矛盾している記述があり理解に苦しむ箇所があります。聖書に書かれている一か所だけを取り上げて、勝手に解釈してしまうと危険があるので、教職者がいないときは、質問をしないこと。聖書を読んだ感想を言い、受けた恵みを分かち合うように』
ちょうど午前中に水曜礼拝で聞いたことと関連していました。水曜礼拝ではアナロジー(類似)という言葉が用いられていました。
聖書を読んでいて意味がわからなかったり、矛盾を感じたとき、類似する内容の別の聖書箇所を読むと、理解できることがある。聖書に真理の言葉を見いだすようにと言われたのです。

最後に読んだのが旧約聖書民数記の30章だったので、31章から始めました。1時間あまりで6章読み、民数記をクリアしてしまいました。

2年間もブランクがあって再開できるとは、すごいことだと思います。
一年休むと、もうやめてしまってもいいかな……。と思ってしまうからです。
友人のプッシュがなければ、始められなかったでしょう。み心にかなったことだとわかっていても億劫になっていたわたしです。続けることもエネルギーが必要ですね。

いつまで続けられるかわかりませんが、とにかく前に進めて感謝です。神様から続ける力をいただけるよう祈っています。



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広い門と狭い門

2016-10-22 15:48:32 | 聖書から
広い門と狭い門があったら、どちらに入りますか? 
広い門は楽に入れます。荷物を持って入ることもできます。

一方、狭い門に入るには、苦難や辛いことがあります。また、手ぶらでなければ入れません。
広い門には大勢の人が入り、狭い門にはわずかな人しか入っていません。

広い門の先には滅びへの道があり、いきつくところは死です。一方狭い門は救いへの道であり、狭い門を入った人は永遠のいのちをいただけます。
広い門、狭い門を入っていくとどうなるのか、入ってみないとわからないことです。

昨日は教会での家庭集会でした。教えられたことや気づかされたことを書いてみます。
青森県にある不老不死温泉は人気があって、大勢の人が訪れているそうです。
その温泉に入ったら不老不死になると本気で信じている人はいないと思いますが、「不老不死」また、「永遠のいのち」は人類の究極の望みですね。


人間は潜在的に永遠に生きたいと思っているのだそうです。それには理由があります。死からの恐怖です。この恐怖は人に刻まれているので、死にたいと思っている人でも死は怖いのです。
2000年前、ひとりの青年が、イエス様に永遠のいのちを得るための質問をしました。
イエス様は「努力して狭い門から入りなさい」と言われました。
神の国への門は狭いのです。なぜでしょう……。

大勢の人が楽な道を選びます。いろいろなものを背負って広い門に入っていきます。
狭い門には何かを携えて入ることができません。必要のないものは捨てて、自己を捨てて入るのです。
優先順位のいちばん上に自分を置くのではなく、神様を置くことが大切です。

狭い門から入るために「努力→努めること」が必要だとイエス様が言っておられますが、努めるとはどういうことなのでしょう……。

狭い門に入るために強い意志を持って信じ続けることです。そのために祈ることです。
狭い門はまだ開いています。狭い門に続いている道には苦しみもあります。でも、通ったとき、むなしい気持ちになりません。神様から報いを受けます。

イエス様を信じると永遠のいのちがいただけること。それはすばらしい贈り物です。受けるために狭い門に入ることが人生でいちばん大切なことです。このことを愛する人たちに伝えないではいられません。

人に伝えるとき、知恵と力と機会が与えられるように祈ることが大切です。伝えても、なかなか受け入れてもらえないとき、自分が悪いと責めてはいけません。その人が受け入れるかどうか、救われるかどうかは神様の領域であって、わたしたちの責任ではないからです。
「祈るとき『みこころなら』という言葉を忘れないように」と牧師先生が言われました。



いま、大事だと思ってしがみついているものがあっても、死ぬときにはすべては不要になります。本当に大切なものは何でしょう。永遠のいのちという本当に大切なものを得た人は、どんなに苦しいことがあっても平安があります。

聖書の言葉
「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイ7:13-14)」



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ブログ11周年

2016-10-20 16:13:13 | その他


ブログ開設してからちょうど11年たちました。昨年が10周年でした。昨年の10月は母が召された月で、ブログを書くこともままならず、10年たったことに後から気づいたのでした。

ブログを始めたきっかけは、乳がんになってHPを立ち上げたのですが、そのHPを携帯で見たいので、ブログを立ち上げてほしいという友人の願いからでした。

こんなに続くとは思っていませんでした。実際、やめようと思ったことも何度かありました。
落ち込んで、何も書けない時期もありました。そんなときに限って、励まされるような出来事が起きました。ブログから2回テレビ出演させてもらいました。わたしのブログを読んだことがきっかけで洗礼を受けた方もおられます。

思わぬ人が読んでいてくださっていることがわかり、驚いたこともあります。
昨年「袋田の滝」に母と旅行に行ったことを書いたら、旧友から電話があり、「袋田の滝の展望台は主人が作ったのよ」と知らせてくださいました。

お会いしたことがない方から、コメントやメールをたくさんいただきました。
乳がんの告知を受け、ショックだったけど、このブログに行きついてよかったと嬉しいメールをいただいたこともありました。

先日は、同じ教会のSさんが遠方の教会に行ったとき、わたしのブログをいつも読んでいるといわれるひとりの方から土筆文香さんに渡してほしいとメールアドレスの書かれたカードを預かり、その方とコンタクトをとらせていただくことができました。ブログを書くのが少し億劫になっていた時期でしたが、力が与えられました。

わたしがブログを始めたときとほぼ同時期に始められた2人の友の存在も大きいです。
この友人たちとは、お互いに祈りあっています。祈りによる支えがあるからこそ続けられているのです。

近頃は以前に比べブログ更新の頻度が下がっていますが、それは創作の時間を多くとっているからです。
また、高脂血症になったことや、ひどい肩こりで日常生活に支障が出るようになったのでパソコンに向かう時間を減らしてウオーキングを再開しました。

ブログgooではリアルタイム解析という機能があって、そのページを開いた数時間前から開いたときまでのアクセス数を見ることができます。
更新した途端8~10人の方が見てくださるので、嬉しいような恐ろしいような気持ちです。

ネットの世界はどのようになっているのかわかりません。でも、大勢の方がブログを読んでくださっていることを知らされるとき、感謝とともに書いたことへの責任も感じます。

文章は、何度も推敲して仕上げるエッセーや小説、童話とは違って、そのとき思ったこと、感じたことを書いたものが多く、あまり推敲もせずに載せてしまうので、まとまりのない内容になっています。ただただ祈りながら書いています。

なぜ書くのか? それは、作曲家のバッハが、いつも楽譜にSoli  Deo  Gloriaとサインをしていたそうですが、その意味は『ただ神の栄光のために』です。
わたしも、その気持ちでこれからも可能な限り書いていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

写真は15日に孫たちと行った霞ヶ浦湖畔の水郷公園です。


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苦しみからの解放

2016-10-13 15:47:26 | CS(子供伝道)
子ども家庭集会では、「讃美歌を作った人」のお話をシリーズでしてきました。そのひとつを紹介します。

ジョン・ウエスレーとチャールズ・ウエスレー兄弟は、イギリスのエプワースで生まれました。
ふたりはオックスフォード大学に入学して「ホーリークラブ」という会を作りました。この会では、聖書研究、礼拝、祈り会を行い、貧しい人たちへの奉仕と伝道をしました。
また、ホーリークラブは厳しい決まりを守ることを大切にしていました。

ジョンとチャールズ兄弟は、アメリカインディアンにイエス様を伝えようと、船でアメリカに向かいました。そのとき、弟のチャールズは苦しみの中にいました。努力しても自分の罪がなくならず、生きる意味がわからないと悩んでいたのです。

罪というのは、努力してゆるされるものなのでしょうか? そうではありません。
イエス様を信じるだけで罪がゆるされるのですが、チャールズはそのことがわかっていなかったのです。

そんなとき、アメリカから帰る船の中でモラヴィア兄弟団と出会いました。その人たちはウエスレー兄弟と同じクリスチャンなのですが、明るく喜びに満ちていました。なぜ、彼らはあのように活き活きとしているのだろう……と、ジョンとチャールズは不思議に思いました。

ふたりは、モラヴィア兄弟団の指導者のひとり、ペーター・ベーラーと話す機会が与えられました。
ベーラーは悩んでいるチャールズ、そしてジョンに語りかけました。

「イエスを信じなさい。そうすればあなたは救われます。主イエスを心から信じなさい。そうすれば、不可能なことはありません」「信じるだけで救われるのです」「ありのままの姿でイエスさまのところへいけばいいのです」というベーラーの言葉にふたりは心打たれました。

イギリスに帰ってからジョンはモラヴィア兄弟団の集会で「救われるためにキリストだけを信頼すればいいのだ。わたしの罪はすでに取り去られた」と感じたそうです。
その3日前に弟のチャールズもルターが書いていた書物を読んで「キリストが死なれたのは、この自分のためだ」と気づいていました。


ふたりはいままで神をおそれて罪に苦しんでいましたが、その苦しみから解放され、「神を喜び、楽しむ」人間に変えられました。
その後、ジョンは毎週集会で説教をしました。

チャールズは、集会のたびに新しい讃美歌を作って、礼拝の中で賛美しました。
チャールズの心の中に救いの喜びと平安が湧き上がってきたので、神を賛美する言葉があふれてきたのです。
チャールズは生涯で9000もの讃美歌を書いたそうです。


このお話をしてから、わたしにも解放感が訪れ、賛美したくなりました。
讃美歌、聖歌のコピーを台所に置いて、歌詞を覚えながら口ずさんでいます。

上の写真は、昨日教会の帰り道で写しました。貴重な青空です。遠くに筑波山がみえます。この土手で散歩中のマナ愛児園の子どもたちと出会いました。


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病気にならず、元気でいなさい

2016-10-10 16:13:46 | 教会
昨日の礼拝では、12年間長血を患った女性のことが語られました。

長血とはどのような病気なのか具体的にはわかりませんが、婦人病と思われます。出血が12年も続いていて、痛みを伴っているのですから、どんなにつらかったことでしょう。それ以上に、長血を患っている女は『汚れた女』と言われ、社会から疎外されていました。そのことが大きな悲しみとなっていたでしょう。

なんとか直りたいと思ってあちこちの医者にかかりますが、薬を飲んでもかえって悪くなる一方でした。たくさんの医者代で持ち物を使い果たしてしまい、絶望のどん底にいたことでしょう。

そのようなとき、女の人はイエス様が自分の住んでいる町にやってくるといううわさを聞いて、この方なら癒してくださるに違いないと思います。
聖書には「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。(マルコ5:28)」と書かれています。

女の人は、これまで直接イエス様に会ったわけではないのにどうしてそう思えたのでしょう……。
人々がイエス様について語る言葉を聞いていたからでしょう。これまでたくさんの人がイエス様によって癒されています。

けれども、女の人は堂々とイエス様に近づくことができません。まわりから汚れた者としてみられているからです。それで群衆に紛れこんで、こっそり後ろからイエス様の着物にさわりました。すると、すぐ癒されたことがわかりました。

イエス様は自分のうちから力が外に出て行ったのに気付いて、誰が着物にさわったのか群衆に尋ねます。
それはイエス様が、癒された人が誰だかわからなくて尋ねたのではなく、女の人に申し出てほしいという思いから尋ねたのでしょう。

礼拝では、この場面のイエス様の言葉を「わたしが探している人は、まわりにいた人で偶然さわった人ではない。わたしを頼り、信頼し、きっと直るという信仰を持ってさわった人だ。それは誰か」と紹介されました。

女の人は、恐れおののき、真実を余すところなく打ち明けました。
イエス様は言われます。

「娘さん、あなたの人生はこれからです。あなたはすがりついてきました。それでいいのです。癒されました。安心しなさい。病気にならず、元気でいなさい。あなたの信仰があなたを直したのです」

イエス様の女の人への語りかけが心に響きました。イエス様は女の人のしたことを肯定し、ほめてくださっています。

わたしもイエス様に喘息と婦人病とガンを癒していただきました。
その中でいちばん苦しかったのは喘息です。どのように苦しいのか書き表すことはできませんが、喘息の発作による呼吸困難はガンが再発するより辛いことです。
癒されて何年もたつとその感激がうすれてきますが、イエス様の着物にすがりつくような思いで近づいていったことを思い出し、感謝で涙があふれました。

「病気にならず、元気でいなさい」と主は、わたしにも語りかけてくださいます。



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母を偲んで(その3)

2016-10-03 16:21:26 | 家族
一昨日は土浦の花火大会でした。お天気が危ぶまれましたが、雨は降りませんでした。数年前、打ち上げた花火が雨雲や煙に遮られ、ほとんど見ることができなかった花火大会のことを思い出し、今年もそうなるのではないかと案じていましたが、今年はとてもよく見えました。70万人もの人花火見物に出かけたそうです。事故がなくてよかったです。

我が家は、マンションの2階ですが、打ち上げ場から近いのでよく見えます。息子一家を招いて一緒に見物しました。
ナルクンがどんな反応を示すか楽しみにしていました。喜んでいたのは最初の5分だけで、
「遊んで、遊んで」と手を引っ張られてしまいました。それでもわたしは、相手をしながら花火を見ていました。ヒックンはDSで写真を撮っていました。


花火大会で人が集まってくると、ざわめきが聞こえてきます。いつもは誰も通らない農道に人がたくさん歩いているのが見えます。屋台も軒を並べています。花火が始まると、スマホで画像を送る人たちがたくさんいるせいか、しばらくの間メールは送受信できません。

今、誰かが倒れたり、大けがをして救急車を呼んでも一時間ぐらいかかってしまいそうです。陸の孤島になったようで、恐怖を感じます。
出かけるにしても出先から帰るにしても、この時間帯は交通規制がかかっています。
一昨日、御茶ノ水でJCPの例会があったのですが、残念ながら行けませんでした。


花火を見ながら去年の花火大会を思い出しました。母が召されたのが10月1日で、花火大会はその2日後の10月3日でした。母のいたホームの部屋は8階で、我が家のマンションよりよく見えるし、ホームの部屋から見るのは最初で最後になるだろうと思って、息子一家や妹の家族といっしょにホームで花火見物をしました。

あのとき、どんな気持ちで準備していたのか……そのときの自分の気持ちがどうしても思い出せません。
花火の日に母が亡くなっているということは考えられなかったので、母に花火を見てもらうつもりで準備をしたのでした。

わたしは父親もがんで亡くしています。父は膀胱がんでした。同じく末期の状態でみつかったのですが、父と母の最期の容態は異なっていました。
父は、末期がんの痛みが出たので、モルヒネを使っており、最後の2日間は意識がありませんでした。意識のない父に向かって必死に聖書を読みましたが、意識が戻らないまま召されました。
母は、先日書いたように、痛みもなく召されました。同じ末期がんでも人によって違うのです。

「母は、あと3年は生きる。Mちゃん(わたしの娘)の結婚式に出る。」と言っていたのに、その願いはかなえられませんでした。
でも、東京の病院での手術が守られたことや、具合が悪い中でも土浦に来れたこと、最期まで看取ってくれるホームに入所できたこと、土浦の病院に入院しているとき、危機的状態にあったのに元気になれたこと……など考えると、奇跡の連続で、神様がずっと導いてくださったのだと気づかされます。

土浦へ引っ越す前、熱が出ていたのですが、そのときもし東京の病院へ連れて行っていたら、再入院となったことでしょう。
土浦の病院に入院したからこそ、洗礼を受けられたのだと思っています。
元気でホームで過ごせたのは2か月半ぐらいでしたが、かけがえのない時間でした。

わたし自身は、ほとんど毎日、病院へ、ホームへと通いましたが、不思議に具合悪くなりませんでした。(家では必要最低限の家事だけしてひたすら横になっていましたが)

病院は今年の3月に遠くへ移転してしまいました。移転前だったので自転車で通えたのです。
妹は週末になると必死な思いで2時間かけて都内から母のもとへ車で通っていました。振り返って、あんな体力がどこにあったかと思うと言っていました。

妹は、母が召された日は海外出張で日本にいませんでしたが、どんなことがあっても、仕事半ばで帰ってきてはいけないと母に言われていたので、死に目には会えないと覚悟しての出張でした。

人間が色々なことを計画し、こうあってほしいと願い、これから先のことを考えますが、自分ではどうすることもできないことがあります。いつ、どのようにして死ぬのかなど、自分のことでも想像がつきません。でも、すべてのことは神様の手によってタイミングよく行われるのです。だから、くよくよしたり、心配する必要はないのです。

聖書には
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(伝道者の書3:11)」と書かれています。
アーメン(その通りです)

昨日と一昨日、2日続けて母の夢を見ました。召されてから初めての母の夢でした。白い毛皮のコートに身を包み、病院の椅子に座っていました。「どうしてそんなにおしゃれしているの?」と聞くと「今日退院するんだからいい恰好していなくちゃね」と笑いました。

                         おわり



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母を偲んで(その2)

2016-10-01 11:21:00 | 家族
今日は土浦の花火大会です。これから息子一家がきます。今、雨はあがっているようです。花火の間は雨が降らないようにと願っています。

昨日の文章で、母が病床洗礼を受けたと書きましたが、唐突のように思えたかもしれません。

母の信仰はどのようなものだったのでしょうか。

以前母は「神様なんかいない。いたとしても頼らない」と言っていたのですが、病気になったころから「イエス様に祈っているの」とよく言うようになりました。

東京の病院で手術を受けた時は、人前では苦しいとか痛いとか言いませんでしたが、「イエス様、助けて、痛いよう」と書かれたメモが残されていました。

「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある助け。それゆえ、わたしは恐れない。(詩編46:1-2)」という聖書の言葉を暗記していました。

わたしは、母が東京で入院していたときも土浦で入院していたときも、ホームで暮らしているときも毎日聖句とそれにまつわる文章を書いて母に渡していました。入院中は本を読む体力はありませんでしたが、わたしが書いたものは読んでくれました。

母は、頭はしっかりしており、手術直後に一時的にせん妄状態になるかもしれませんと先生に言われると、「わたしはなりません」と自信たっぷりに言いました。
はたして、術後初めて発した言葉は、「預けていた携帯、返して」でした。

母はキリストを信じたことによって、病の恐れから解放され、安らぎと平安が与えられたようでした。

退院後は昼食だけですが、ホームのキッチンで自分で料理していました。
娘が毎日11時ごろホームに行って、一緒に料理をして食べるという生活がしばらく続きました。娘は結婚が決まって、午後3時からのパートに出かけていただけなのでそれが可能でした。娘は母に料理を教えてもらって、いい花嫁修業になりました。

わたしは夕飯どきに毎日通い、食事を共にしました。
8月~9月始めまで体調がよかったので、妹の車で茨城県内の五浦と袋田の滝、2回も旅行に連れて行けました。

ところが9月末ごろから末期癌の症状が出てきました。足がむくみ、体のあちこちに水がたまってきて、寝返りさえできなくなってしまいました。
自分の部屋にはいられず、ケアー室といって介護士さんの目の届く部屋のベッドで過ごしました。

点滴の抗がん剤治療は受けていませんでした。点滴治療しても、死期は同じぐらいだと言われたので副作用の辛い点滴は受けないことに決めました。東京の病院にいたとき、抗がん作用のあるTS-1という飲み薬を飲みましたが、目に副作用が出たのでやめました。(眼球が傷ついて、失明するかもしれないということでした)

ケアー室が落ち着かないので、もう一度、自分の部屋に戻りたいと母がいったとき、介護士さんの計らいで部屋に連れて行っていただきました。数時間でしたが願いがかなえられて、母は嬉しそうでした。それからは自分の部屋に行きたいと言わなくなりました。

その数日後が最後の日でした。その夜も食事をしました。その日の夕食は、わたしが食べさせました。自分で食べる力もなくなっていたので。おかゆと豆腐とおからを3口ずつ食べて「おいしい」と言っていました。
 
夜7時ごろ「また明日ね」と言って家に帰りました。
9時45分にホームから電話があり駆け付けたときは、息をしていませんでした。
眠っているようで穏やかな顔でした。苦しみも痛みもなかったようで、ナースコールを押さずに亡くなっていました。(具合が悪い時はすぐナースコールを押していました)

身体がむくんで重く、つらかったと思いますが、今は神様に新しい身体をいただいて、天国で走り回っていることでしょう。
            

つづく


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