生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

スナフキンの言葉

2016-08-30 16:15:58 | 日記
学生時代の友人から嬉しいメールが届きました。秋に11人で旅行をしようというのです。
友人たちは、神戸の保育科の短大で同じ人形劇部(ろっち)のメンバーでした。

さるかに合戦やいやいやえん、鬼のあかべえ、ムーミンなどを脚本化し、棒人形を操ってあちこちの幼稚園や施設で公演しました。

このメンバーとは、わたしが関東に引っ越し、関西から離れてしまったこともあって5~6年に一回ぐらいしか会えません。(関西組では年に数回会っているようです)前回会ったのは2010年なので、今年会えたら6年ぶりです。

メールのやり取りをする中で、(10人とやりとりしているので)名乗ってないメールが来ると、誰だろう? と思ってしまいます。
でも、おもしろいことに、アドレスをみると特徴的なのでたいていわかります。

Moomin-mamaというアドレスは、あの子に違いないと思いました。彼女はムーミンママの役をやっていたのです。

ムーミンの親友で孤独を愛する旅人スナフキンの言葉を紹介します。


人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね。

眠っているときは、休んでいるときだ。春、また元気を取り戻すために。

長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ。

みんなに騒がられて、偉くなったように思ってはいけないよ。

たとえ作品が壊れてしまったとしても、作ったときの感動は消えることはないんだ。

いざ泣こうとすると、泣けないことってあるだろ?


作者トーベ・ヤンソンの人生観が出ていますね。


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世界平和をもたらすのは

2016-08-25 16:28:15 | 教会
水曜礼拝ではコイノニアについてふたりの神学生が語ってくださいました。
前にも書きましたが、コイノニアとは韓国の大方(デバン)教会と土浦めぐみ教会との交流のことで、各年齢層の方が訪れたり、迎えたりします。今年は大方教会から中高生、教会学校教師、スタッフと合わせて50人以上の方が土浦めぐみ教会に来られました。キャンプが行われ、日韓の中高生たちが参加しました。

めぐみ教会の中高生たちは、韓国の人たちが来日する3か月前から、韓国語を勉強して備えていたそうです。
「あなたが学ぶひとことの韓国語が世界平和をもたらす」と聞いて一生懸命学んだようです。

キャンプでは、言葉が通じない部分があっても、互いのために神に祈り、手をつなぎ、聖書のメッセージを聞き、賛美したそうで、空港で別れるときは、涙を流しながら抱き合っている映像をみて、もらい泣きしてしまいました。

このようなコイノニアの交わりも来年で20年になります。これだけ続けられていることが驚きです。
最初のころはその関係がぎくしゃくしていたそうです。日韓の過去の歴史を思うと、当然ですが……。

コイノニア宣言文には『両国の不幸な歴史を心にとめつつ……豊かな交わりを』と書かれています。不幸な歴史を「乗り越えつつ」ではなく、「心にとめつつ」とあえて書かれているのは、乗り越えて忘れてしまうことのないようにという意味なのだそうです。
両国の不幸な歴史を思うとき、和解できること自体奇跡のような気がします。

「海を越えてきた、隣にいる君が、同じ神様を賛美している。同じ神様を」

と、中高生たちは賛美しました。

マザーテレサは「私たちは、この世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです」と言いました。

最初から大きなことをしようとしても、なかなかできません。世界平和をと言っても、自分には何もできないと思ってしまいます。
でも、隣にいる人にたったひとことでいいから声をかける。何かしてもらったらありがとうと言う、困っている人がいたら「大丈夫ですか?」と声をかける。など、小さいことから始めると、それが和解につながり、平和につながります。

 聖書の言葉
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解の言葉を私たちにゆだねられたのです。Ⅱコリント5:19」

「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。(Ⅰヨハネ4:21)」

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと。これがわたしの戒めです。(ヨハネ15:12)」


*聖書(新改訳聖書)で、ひらかなで「わたし」と書かれているのは、神(キリスト)のことを指し、漢字で「私」と書かれているのは、人間のこと(聖書記者)を指しますが、それだけにとどまりません。
「私」は、聖書を読んでいる人、つまり自分自身を指しているのです。それに気づくとき、はっとさせられます。

*上の写真は教会で土曜日に行われた結婚式の受付に飾られていたものです。


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祝福の虹

2016-08-21 18:25:56 | CS(子供伝道)
19日、20日は、ヒックンが教会学校の高学年キャンプに参加しました。

ヒックンは小学2年生からキャンプに参加しています。わたしは教師として低学年キャンプに毎年参加しているので、2年続けてヒックンと一緒に参加しました。

子どもたちが小学生の時は、子どもと共に参加していました。それから20年近くたって、まさか孫と一緒に参加することになるとは夢にも思いませんでした。

今年、わたしは高学年キャンプには参加しないので、「今年はヒックンひとりでキャンプに行くんだよ」と言うと、「ゆこちゃん(わたしのこと)がいなくても平気だよ」と答えていました。

ところが、前の日になって、「ゆこちゃんは、キャンプにいかないの?」「キャンプで何するの?」「泊るところはどんなところ?」
と不安そうに聞きます。

低学年キャンプでは教会に泊まったのですが、高学年キャンプは少年自然の家に泊ります。教会学校には年に数えるほどしか連れて行けないので、親しい友達もいません。
不安になるのは当たり前です。

「詳しいプログラムは知らないけれど、楽しいことがたくさんあるよ」 
と言ってお祈りしたら、夜はよく眠れたようです。

翌日、大きな荷物を持って出かけました。主人はヒックンに頼まれて、教会の隣にあるイオンまで車で送ってくれました。(教会駐車場へは入りたくないので……)

2日間、台風の影響で雨が降ったりやんだりしていました。
後から聞くと、野外での活動のときは晴れ、室内での活動のときは雨が降っていたそうで、『神様って、すごーい!』と思いました。もちろん、キャンプファイヤーもできたのです。

ピザを生地から作って焼いて食べたり、オリエンテーリングをしたり、聖書の箇所を読んで、スキット(寸劇)をしたそうです。ヒックンがダビデになってゴリアテを倒す役をやり、セリフも覚えてしっかり言えたそうです。ヒックンがダビデ役をやりたいと言って、じゃんけんで勝ち取った役だと後から高学年の先生に聞きました。
 
お迎えはヒックンママの車で行きました。キャンプを祝福するかのように虹が出ていました。


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二度と戦いのことを習わないでください

2016-08-16 16:36:59 | 日記
終戦記念日から一日たってしまいましたが、「戦争の作り方」のユーチューブを見ました。
戦争の作り方の絵本は知っていましたが、動画になって公開されていることは知りませんでした。 まさに今、戦争ができるよにしようとする動きがあります。しっかりと目を見開き、考えていないと71年前に起こったことが再来します。 いえ、今戦争が起きたら、核戦争になってしまうので、地球が破滅するでしょう 旧約聖書のミカ書4:3には「彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」と書かれています。 この逆ことが起こらないように祈ります。 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村 ↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

おもちゃ王国へ行ってきました

2016-08-12 15:56:12 | 日記
息子一家と軽井沢おもちゃ王国に行ってきました。軽井沢といっても、群馬県嬬恋村にある子ども向けのアミューズメント施設です。

おもちゃ王国のすぐ近くにあるホテルに泊まりました。
涼しさを期待していましたが、日の当たるところはけっこう暑かったです。でも、日中に外で遊べるのですから、都心よりはずっと気温が低いと思います。


年の離れた兄弟、9歳のヒックンと2歳半のナルクン。ふたりとも楽しめるところと考えて場所を選びました。

主人とわたしはナルクンのおもりで、ヒックンはパパとママと一緒に行動しました。
ナルクンは、アンパンマンが大好きで、アンパンマンの部屋で大満足。ヒックンはフィールドアスレチックやニジマスつかみをして楽しみました。
 
ナルクンは、熱中しているときはおとなしいのですが、それが10分ももたなくて、すぐどこかへ行こうとします。

「さあ、いくよ」
と言って走り出してしまうのです。くつをぬいで入ったところにいても、はだしのまま外に出ようとします。

そして足が速く、主人もわたしも必死に走ってやっと追いつくという具合で、この3日間、どれだけ走ったことでしょう。手をつないで歩こうとすると、その手を振り払ってしまいます。仕方なく抱っこするといやがってあばれます。


ヒックンが2、3歳のころは、ひとりでどこかへ行ってしまうことがなかったので、驚いています。活動的なナルクンに振り回されていました。

それでも、眠くなるとくちびるをとがらせ、チュッチュッとおっぱいを飲んでいるような口をして眠ってしまいます。

よく食べ、よくしゃべり(何と言っているのかヒックンに通訳してもらわないと、半分ぐらいしかわからないのですが)、よく寝ます。

わたしたちのためにレンタカーを借りてくれ、二人で交代して運転してくれた息子夫婦に感謝です。

そして、事故や病気や怪我から守ってくださった神様に感謝しました。

いちばん上の写真は、ダイヤブロックで作られた動物です。


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強くなるには

2016-08-07 19:59:14 | 教会
わたしの通っている土浦めぐみ教会は、コイノニアと称して、韓国の大方(デバン)教会と友好関係をもっています。
コイノニアでは、幅広い年齢層の方々との交わりがあります。今年は大勢の中高生たちが来日しました。朝の礼拝では、詩編138:1~8から大方教会の牧師先生がメッセージをしてくださいました。

一部を紹介させていただきます。

詩編138篇は、契約の箱がエルサレムに移り、ダビデが正式に王となった後、ダビデによって書かれたものです。

イスラエルは契約の箱をエルサレムに移してほっとした後も、カナンの地にいた部族によって攻撃を受けました。
神を喜び、神を中心として生きようとしても、苦難はやってきます。神にあつく信頼して仕えれば仕えるほど、攻撃を受けます。攻撃の前で強い魂を持つことが大切です。

3節には「私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました」と書かれています。
神様が魂を励まし、支え、力を入れてくれました。どんな状況でもゆるがない強い魂となることが大切です。

何がダビデを強くしたのでしょう。
1節には「私は心を尽くしてあなたに感謝します」と書かれています。
よくない状況の中でも感謝の材料を探して感謝し続けることが大切です。

神は、わたしたちの生活の近くにおられます。困難の中にいるとき、神はあなたを離さず、救ってくださいます。
魂が揺れ動くとき、目を開いて感謝することを探してください。

魂を強くするのは、みことばです。
神は、みことばをくださいました。わたしたちはみことばを聞きました。つかみました。だから、感謝するのです。
神の約束を思い出すと、揺るぐことはありません。

魂を強くするのは祈りです。
祈りは応えられます。神が祈る人に平安を与え、魂をかたくして立つことができるのです。

「私のたましいに力を与えて強くされました」と3節に書かれています。
力という言葉は、荒々しい、怖いという意味です、
神はわたしたちの魂を強めるために、ときには荒々しく接してくださいます。生き延びていく秘訣は、強い魂です。


わたしは子どものころから気が弱く、祖母に「蚤の心臓だね」と言われていました。
大人になって、クリスチャンになってからも気が弱いのは変わりません。

人が言った、たったひとつの言葉にさえ傷ついて、心が嵐のように揺れてしまうわたしです。
どんな状況でも揺るがない強い魂を持つようにと言われても……無理だと思って聞いていました。

自分の努力や鍛錬で強くするのならできません。
でも、魂を強くするのは、感謝とみことばと祈りによってなしえると教えていただいて希望の光を見ました。

一生懸命祈っていてもなかなか応えられず、次々と困難がやってくるときは、神様から強くされているときなのだなあと思います。

「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。(ヤコブ1:12)」

いつも感謝できるように、いつも祈れるように願いました。



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読書感想文を書くコツ

2016-08-05 16:37:14 | 読書
夏休みに入ると、本の感想文を書いているブログページの閲覧数が上がってきます。わたしの感想文は、かなり偏っており、参考になりませんから気を付けてくださいね。

コピペして、ほかの人の考えや感想をつぎはぎの文章で書くのはNGです。
自分の感じたこと、自分の考えを書いてくださいね。

夏休みになって、ヒックンママから読書感想文の宿題があるので、みてほしいと言われました。
課題図書の中ではヒックンが「さかさ町(F.エマーソン・アンドリュース作)」を選びました。課題図書は図書館で借りるのは難しいため、アマゾンで買いました。

感想文を書く本以外にも何冊か読むのが宿題になっています。図書館にヒックンを連れて行って選ばせればいいのですが、そのような時間もなさそうなので、わたしが今日行って選んできました。

読書は大いに勧めますが、読書感想文が宿題というのは喜ばしくありません。読書は楽しむものであって、感想文を書くために読むと思うと、楽しみが半減してしまうのではないでしょうか。

わたしは小学生のとき、作文が苦手でした。作文の授業で何を書いたらよいか決めかねて、一字も書けないことがよくありました。
読書感想文も苦手で、いつも的外れなことを書いていました。
うんと感動した時は、言葉にはならないので感想文が書けなくなってしまいます。

読書感想文を宿題に出された子どもたちが気の毒でなりません。
読書が嫌いにならないように願っています。

高校生になって感想文の書き方のコツを覚えてからは、何度か賞をいただいたことがあります。

感想文の書き方のコツを簡単にお知らせしましょう。

まず、その本の内容を全く知らない人が読むことを想定して、かんたんに内容紹介(あらすじ)を書きます。
次に本の内容で心にとまったことや言葉(文章)を書きます。そして、どうして心にとまったか、登場人物の気持ちと自分自身の気持ちを重ねて、自分の言葉で表現します。

本の中には、作者がたったひとつの言葉を書きたいために原稿用紙1000枚の作品を書いたというものがあります。
それを見つけられたら最高の感想文になるでしょう。



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今年のキャンプ

2016-08-01 20:17:42 | CS(子供伝道)
29日から1泊2日で行われた低学年キャンプが無事終わりました。体力がもつか不安でした。キャンプは屋外でのプログラムが多く活動的です。しかも梅雨明け直後で気温はうなぎのぼりです。

でも、子どもたちが水遊びをして喜ぶ姿を思い浮かべると嬉しくなって、大きな荷物を自転車に積んで出かけました。

昨年と一昨年は孫のヒックンと一緒にキャンプに参加しました。ヒックンが4年生になり、高学年キャンプに参加するため、今年からは別々です。

30人近くの子どもたちが参加しました。
はじまりの会のあと、教会幼稚園バスで霞ヶ浦ふれあいランドへ向かいました。水の科学館を見学した後、お弁当を食べて、水鉄砲遊びをしました。4チームに分かれて、紙コップで作った的に水を当てて落としていくゲームです。

夢中でやっているうちに服がびしょぬれです。そんなこと気にしている子どもはいません。そのあと、人口の川で水遊び。これが前の日だったら寒くて風邪をひくところでした。

夜のカレーは、お母さんたちが教会に来て作ってくださいました。
夜のお楽しみはなんといってもキャンプファイヤー。大学生のお兄さんが「猛獣狩りに行こうよ」のゲームをリードしてくれました。ほんとうに猛獣がきて食べられてしまうと思って、わたしの手をにぎって離さない子どもがいました。

夜はシャワーをあびて、教会幼稚園の部屋で寝ました。友達と一緒に寝るのがうれしくてたまらないようです。朝は4時半から起きて騒いでいました。
わたしは一睡もできないかもしれないと覚悟していたのですが、5時間近く眠れたようで、感謝しました。

2日目のゲームはオリエンテーリングで、さまざまな工夫がこらされていました。

このキャンプのテーマは「主の祈り」でした。
2回の礼拝で「主の祈り」についてのお話をK先生から聞きました。

主の祈りは、わたしたちがどのように祈ったらよいかイエス様が教えてくださったお祈りです。最初に「天の父なる神様」呼びかけているのは、お父さんにお話しするように父なる神様に祈るということです。

難しい言葉、長い時間はいりません。神様に話したいと思った時にお話しすればいいのです。

わたしたちが神様を親しくお父さんと呼べるのは、イエス様が十字架にかかって死んでくださったおかげです。
なので、お祈りの最後には「イエス様のみ名によってお祈りします」と言います。
最後のアーメンとは、その通りです。本当のことです。という意味です。

主の祈りはマタイ6:9-13に書かれています。


主の祈り

天にいます私たちの父よ。
御名(みな)があがめられますように。
御国(みくに)が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄は、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。


K先生のお話を聞いて、「主の祈りを祈ると、心があったかくなってほっとする」「もっと心を込めて祈りたい」という子どもたちの声が聞こえ、ジーンときました。

終わりの会での賛美は、はじまりの会よりずっと力強く、ひたむきに歌う子たちの声を聞きながら、わたしもピアノで賛美しました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。わたしの作品も掲載されています。ぜひここをクリックしてごらんください。


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