生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

恐れないで・・・

2014-10-24 21:03:21 | エッセイ

母は少しずつ快復し、一緒に散歩をしています。

土浦と三鷹の二重生活は、思ったより大変です。

実家では、訪れる人の対応にも追われ、土浦に戻ってくると、しなければならないことが山積になっています。
疲れたので昼間休もうと横になると、工事の音で眠れません。マンションは修繕工事をしているのです。耳にキリで差し込まれるような音がして、とび起きてしまいます。

この生活が永遠に続くように思えます。出口のないトンネルの中を歩いているようです。
でも、出口のないトンネルはないのです。行き詰ったら視点を変えてみようと思いました。

大変なのは、限られたこの時期だけ。このことがきっとよいことに変えられるでしょう。神様はどのような計画を立てておられるのか楽しみです。……すべてを期待します。
日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)でエッセイを書いたので、紹介します。
                 
            
              絶望と不安の中で   
                               土筆文香

なぜこんなことになったのだろう……。

私は点滴を受けながら、病院のベッドでずっと泣いていました。

十日前に二人目の子どもを無事出産したのですが、退院後喘息の発作が起きてどんどん悪化していきました。食事もとれなくなったので病院へ行くと、すぐ入院と言われました。いのちの危険があったのです。
                 

元気なら、翌日は主人の実家に預けている三歳の長男と会えるはずでした。生まれたばかりの長女は両親に預けたままです。子どもたちに会いたくて胸が張り裂けそうでした。

大発作は治まったものの発作がいつまでも続きました。このまま治らないのではと不安になり、涙が止まらなくなりました。
すがるような気持で聖書を読むと、み言葉が心にとびこんできました。

「恐れないで、ただ信じていなさい(マルコ5:36)」

初めて聖書の言葉が自分に向けて語られていると感じて『不信仰な私を赦して下さい。たとえ喘息が癒されなくても神様がよくしてくださると信じます。』と、心から祈りました。

不思議に翌日発作が治まり、数日後退院して子どもたちを抱きしめることができました。

読み返すと、今の私に一番必要なみことばでした。


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人目を気にして

2014-10-15 20:58:24 | CS(子供伝道)
かつてわたしは人の目を気にしてばかりいました。人の評価で自分の価値が変わるわけではないのに……。誰かから悪口を言われるのではないかといつもビクビクしていました。

教会に通いはじめたときは、教会へ行っていることを誰にも言えませんでした。クリスチャンになってからも、親しい友人には言えても近所の人には言えませんでした。人の目を気にして言えない自分が情けなかったです。
そんな臆病な人が聖書にも出てきます。それはニコデモという人です。

教会学校でニコデモの話をするために聖書を何度も読んでいると、気づいたことがありました。
ニコデモのように気の弱い者にも真実に向き合って真理を知らせ、導いてくださったイエス様の愛の配慮に気づいたのです。
12日に教会学校で話したメッセージを紹介しますね。いのちのことば社の「成長」というテキストを参考にしています。

教会へ行っていることを学校の友達や先生に話していますか? 
クラスで教会学校に行っている子どもがひとりだけだったりすると、教会のことやイエス様のことを話せないことがありますね。

わたしは大人になってから教会へ行ったのですが、最初は教会へ行っていることを友達に話せませんでした。
 
人々から先生と呼ばれている人が、イエス様のところへ行くとき、人に見られないように夜になってからこっそりやってきた人のお話をします。
その人の名前はニコデモと言います。ユダヤ人指導者のひとりで、パリサイ人と呼ばれるグループの人でした。

パリサイ人は、聖書をたくさん勉強して、律法という神様の教えをきちっと守ることを大切にしている人たちでした。律法を守れば救われると思っていたのです、

ニコデモも、神様に喜ばれる人になりたいと思って、一生懸命決まりを守ろうとしていました。
でも、全部守りきれないことで悩んでいました。また、心に穴が開いているような気がしていました。

そんなとき、ニコデモはイエス様のうわさを聞きました。イエス様が神様のことをお話したり、病人を癒したり、奇跡を行っていることを聞いて、どうしてもイエス様の話を聞きたいと思ってやってきたのです。

どうして夜にやってきたのでしょう。パリサイの仲間や友達に知られたくなかったからです。仲間たちはイエス様を救い主とは思っていませんし、イエス様の教えを聞こうともしません。

ニコデモはイエス様のうわさを聞いて、もしかしたらこのお方が救い主ではないかと思ったようです。でも、人には知られたくなくてこっそり夜訪れたのです。

ニコデモはイエス様に言いました。
「先生、あなたは神様のもとから来られたお方です。あなたが素晴らしい働きをされているのは、神様が一緒におられるからだと思います。」

ニコデモは、ユダヤ人から尊敬され、先生と呼ばれている指導者でしたが、イエス様のことを先生と呼んで、お話を聞こうとしました。
神様のことを求める真剣な気持ちを持っていたのです。
イエス様は人の目を気にして弱いところのあるニコデモを受け入れて、一生懸命答えてくれました。

イエス様はまず、「まことに、まことに、あなたに告げます。」と言われました。
「まことに」とは、本当にという意味です。イエス様は大切なことを話すとき、2回繰り返します。なので、とても大切なことを告げますよと言っているのです。
そのあとで「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。(ヨハネ3:3)」と言われました。

ニコデモは、新しく生まれなければ神の国に入れないと聞いてびっくりしました。
「わたしのように年を取った者が、新しく生まれることができるのですか?
赤ちゃんにもどって、お母さんのお腹の中に入って生まれてくるということですか?」と聞きました。

イエス様はにっこりしておっしゃいました。
「いいえ。もう一度お母さんのお腹から生まれることではありません。新しく生まれるというのは、神様から新しいいのちをいただいて、神様の子どもになるということですよ」

「神様の子どもになる?」

「人にはみんな罪があるので、自分の力で神様に喜ばれる人にはなれません。けれども、神様のおくってくださった救い主を信じることによって、すべての罪が赦され、生まれ変わらせて神様の子どもとしてくださるのです。そのためにわたしは十字架にかかります。」

イエス様の話を聞いて、ニコデモはすぐにイエス様が救い主だと信じたわけではありませんでした。でも、ニコデモはイエス様の教えを心に留めて考え続けました。そして、しばらくしてからイエス様を信じたのです。

それは、イエス様が十字架に架けられたとき、ニコデモは勇気をもって駆けつけてイエス様をお墓に入れるのを手伝いました。
ニコデモのしたことは、人々に『イエス様を信じています』と示すことでした。でも、このときニコデモは人からどういうふうに思われようと、そんなこと気にしなくなっていました。ニコデモはイエス様を信じることによって、変えられたのですね。




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今、生きていること

2014-10-14 21:10:21 | 教会
台風が駆け抜けていきました。
母は16日に退院できそうです。

12日の礼拝はパウロの最期について語られました。
囚人としてローマに着いたパウロは、家を与えられて伝道することを許されました。その時のパウロは61歳前後だったそうです。

聖書には「こうして、パウロは満2年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。(使徒28:30)」書かれていますが、その後パウロがどうなったのか書かれていません。
何故書かれなかったのか、色々な説があるそうです。伝説ではネロの迫害にあって殉教したそうです。

あえてルカはパウロの最期を書かなかったのかもしれません。
生きているとき何をしたかが大切で、最期は重要ではないからです。
わたしたちの最期はどのようなものでしょうか。病、災害、老衰、自死、事故などのいずれかでしょう……。

「どう生きたかに比べれば、どのように死んだかは重要ではありません」
と聞いて、その通りだなあと思いました。たいていの場合、自分の最期を自分の意志では決められないですから。

大切なことは、今、生きていること。限りある人生の中で、今何をすべきかを神様に問いかけながら歩んでいきたいです。



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勇気を出しなさい

2014-10-10 16:36:22 | 日記
皆様、お祈りありがとうございました。
母はずいぶん元気になりました。食べ物も重湯から始まって、三分粥、五分粥、柔らかく炊いたご飯を食べられるようにまでなりました。

一昨日食事指導を受けてきましたが、基本的に食べてはいけない物はないそうです。ただ、繊維の多いものは刻むこと。また、何でもやわらかく煮込んで少しずつ食べることが必要だそうです。食べる量は30%にとどめるようにと言われて驚きました。おいしいとついたくさん食べてしまいますが、セーブしながら食べないといけないのですね。来週あたり退院できそうです。

5日の礼拝メッセージを聞いて大きな慰めをいただきました

新約聖書の使徒の働きにパウロが伝道旅行で様々な危険の中を通ってきたことが詳細に書かれています。書いたのはルカです。
なぜ詳細に書いたかというと、ルカが神の背後の力を伝えたかったからだそうです。

パウロには何度もいのちの危険がありました。でも、そのときどきに時にかなったふさわしい助けがあって、守られたのです。
「神様の守りとは、事故や悲しみを一切経験しないということではなく、その中で神様の善意を信じるとき、神の配慮を見ることができる」と牧師先生が言われました。

パウロはローマに行くことを望み、患難の中を通りぬけてついにローマに到着しました。でも、囚人という立場でした。
願ったことはかなえられましたが、願ったかたちではありませんでした。

わたしも、こうありたいと願います。願いはかなえられても、思い描いたかたちではなかったということがしばしばあります。

気落ちしているとき、パウロは仲間によって励まされています。
「パウロは彼らに会って、神に感謝し勇気づけられた。(使徒28:15)」

わたしも、今回の母の入院でたくさんの方々に励まされています。

神様もパウロを励まします。
「勇気を出しなさい。あなたはエルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。(使徒23:11)」

パウロに大きな使命があるようにわたしにも使命があるのだと思います。
まずは母にキリストを伝えるという使命が。



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いのちの糧

2014-10-04 17:07:48 | 日記
30日に母の手術は無事に終わりました。多くの方々に祈っていただいて心から感謝します。実家ではPCがあってもネットに繋げないので、コメントをいただいてもなかなかお返事ができないでいます。

母は順調に快復しています。まだ傷が痛むので起き上がるのに苦労していますが、だんだんと痛みは和らいでくることでしょう。

術後5日目でやっと水が飲め、6日目から重湯になります。入院の2~3日前から何も食べられなかったので3週間も絶食状態です。点滴でいのちをつないでいるのです。
手術前ですが、母は、おなかがすいたと言って食べたいものを手帳に書いていました。
食べることは、生きることですね。

食事ができることは当たり前のように思っていましたが、食べたくても食べられないことがあるのです。食べることが楽しみでもあるのに、それが奪われている母が気の毒でなりません。
でも、きっとまた食べられるようになるでしょう。そのために手術したのですから。

術夜、母に渡したメモには次のように書きました。
『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。(マタイ4-4)』
「パン(食事)は生きるために必要で大切なものだけど、神様の言葉も生きるために必要で大切なものだよ。今は食物は食べられないけど、神様の言葉を毎日食べて(読んで)ね。」と言って、聖句が書かれているカード、『み言葉のパン』を渡しました。

手術の前の日に母が言いました。
「ほとんどイエス様を信じたけど、すぐクリスチャンにはならない。苦しい時の神頼みみたいになってしまうから」と言いました。
嬉しいです。神様が確実に母の心に働きかけてくださっているのです。

当分の間、東京と土浦の二重生活になるでしょう。わたしの体調は不思議なほど守られています。



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