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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

最高の人生

2013-12-28 12:46:00 | 
ヒックンが冬休みの宿題がたくさん持ってやってきました。宿題は年内に終わるような量ではありません。一年生からたいへんです。

今日は主人が映画に連れて行っています。
ヒックンは2日間ひとりで泊まって、30日にはヒックンのパパママもきて、一緒に年を越します。
ブログ書きの時間はほとんどありません。
今年一年も守られたことを感謝します。今年のわたしの一字「覆」から詩を書きました。
    
キリストに覆われたなら

キリストを着て
キリストに包まれ
キリストに覆われたなら
何もいらない

キリストに癒され
キリストに繕われ
キリストと共に歩めれば
最高の人生


着るというのは信じるという意味です。
みなさまも来年、最高の一年をおくることができますようにお祈りします

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。「怒」というテーマで書いたわたしのエッセイを掲載されています。ぜひごらんください。


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イブの夜、寂しい思いをしている人に

2013-12-24 22:10:49 | 

クリスマスイブの夜、寂しい思いをしている人、病に苦しんでいる人のために書きました。
           
    
  クリスマスイブに


もし あなたがひとりぼっちだと感じ
さみしさと むなしさで 心がひりひり痛んでいても
心の傷がいやされて 喜びで満たされる日が来るでしょう

なぜなら 奇跡はすでに起きていて
神の子が地上に降りてきてくださったからです

もし あなたが病室でクリスマスイブを過ごし
自分の不運を嘆いていたとしても
消えることのない光を見て 希望に満ちた日が来るでしょう

なぜなら あなたのために神さまが
いとしいひとり子を与えてくださったからです


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輝いた子どもたち

2013-12-23 12:19:34 | CS(子供伝道)
昨日はクリスマス礼拝、そして教会学校小学科のクリスマス会でした。
低学年は、先月初めから準備し、練習してきた「でんでんむしのよろこび」の劇をしました。「でんでんむしのよろこび」は、新美南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」をアレンジしてわたしが書いた作品です。わたしのHP童話の部屋に掲載しています。

その童話をもとに、40人の子どもたちが最低ひとことずつセリフを言うようにして脚本を書きました。
30分以上かかる劇になってしまったので、まとまるかどうか心配でした。教会学校のクリスマス会でこれほどの大掛かりな劇をするのは前例のないことです。降誕劇ではなく、オリジナル作品の劇なので、参考書のようなものは何もありません。小道具ひとつ作るのも試行錯誤でした。

写真は、子どもたちが背中につけたでんでんむしのカラです。右側に見える赤いものは紙皿を絵具で塗ったもの。紙皿を背中にくっつけ、ひもで縛って背負います。厚紙でできたドラム型のカラは、紙皿に垂直に両面テープでつけてあります。このカラに紙袋でできた暗い色のカラをかぶせ、劇の中でジョイジョイさんが取ってくれることになっています。
一週間に一度の教会学校です。せっかく練習しても一週間たつと忘れてしまったり、欠席する子がいたり……。

劇としてまとまらなくても、子どもたちがイエス様誕生を祝う気持ちをもって参加すること。物語の内容を理解して、イエス様の十字架を想いながら演じること。ひとりも欠けることなく参加できることをひたすら祈りつつ備えてきました。

大道具小道具作りも大変で、日曜の午後、教師たちは暗くなるまで厚紙を切ったり貼ったりしていました。
打ち合わせも日曜だけでは時間が足りなくて、平日にメールのやりとりを頻繁にして思いをひとつにしました。
 
3週目ぐらいになると、最初は乗り気でなかった子どもたちに変化が表れました。4週目にはカラを背負い、頭には目玉(ぼんぼり)のついたはちまきをつけ、大道具を使って練習を始めると、バラバラだった子どもたちがまとまってきました。
「練習なんかいやだよ」「でんでんむしになるのはいやだ」と言っていた子どもたちが、喜々として練習するようになってきたのです。

でんでんむしになる子どもたちには、各々好きな名前を考えさせました。
「おしゃべりさん」「おえかきさん」「あつがりさん」「よわむしさん」「がしゃがしゃくん」「おこりんぼう」「げんきさん」「やだやだくん」「びっくりさん」など考えて、名前にあう動作をしながら自己紹介します。

主人公は、ぼんやりくん。ダブルキャストで場面ごとに交代したので8人のぼんやりくんがいます。礼拝の時間、おしゃべりばかりしていていつも怒られているAくんが、長いセリフを覚えて言ったのには驚きました。
ジョイジョイさんは、19歳の大学生の青年が熱演してくれました。

本番は、たくさんの父母たちが見に来ていたので、子どもたちは緊張していました。セリフをとばしたり、出番を間違えたりしましたが、ちゃんとセリフが言えました。

何よりも嬉しかったのは、練習の間「ぼくはやらないよ」と言って一度もやらなかったBくんが、でんでんむしのカラを背負って舞台に上がったことです。セリフは言いませんでしたが、嬉しそうにしていました。

フィナーレに「ジョイ」という歌をうたったのですが、ひとりひとりの顔は輝いていました。



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今年の一字

2013-12-19 19:57:10 | 聖書から
今年を漢字一字であらわすと、わたしは「覆」です。

児童文学者協会の支部長になり、苦手な司会をすることになって、あたふた。言わなくていいことを言い、言わなければならないことを失念しました。その他の場面でも失敗が多かったです。夜、失敗を思い返しては、胃が痛んでいました。

そのうち神様が覆ってくださっているから大丈夫という思いに至り、平安を得られて、ぐっすり眠れました。覆われなければどうなっていたことか……。

「おおう」という言葉を聖書を読んで見つけた翌日、に礼拝メッセ―ジで「覆う」が出てきた(11/26のブログに書いています)ときは、まさに私に与えられた言葉だと思いました。
「聖霊があなたがたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」(ルカ1:35)

調べてみると、聖書には「おおう」という言葉が実にたくさん使われています。(聖書検索をすると「おおう」は旧、新約聖書全体で52節に含まれていました。(「おおわれて」、「おおって」などの言葉をくわえると、その倍ぐらいになります)

口語訳聖書には「神の霊が水のおもてを覆っていた(創世記1:2)」と書かれています。

世界が造られる前は、混沌としていました。闇が大いなる水の上にあり、その水の上をおおっていたのが神の霊だというのです。
もし、神の霊がなかったら、永遠に闇の世界が続き、生命の誕生もなかったのです。

ホセア書に書かれている「おおう」は、罪赦されるという意味で用いられています。
ホセアの妻、ゴメルは不誠実で、夫のある身なのに姦淫の罪を犯しました。ホセアは彼女を赦し、家に迎え入れるのです。

「また、彼女の裸をおおうためのわたしの羊毛と麻とをはぎ取ろう。(ホセア2:9)」
神様は不誠実を誠実でおおう方です。

「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。」(箴言17:9)
「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」 (Ⅰペテロ4:8)


おおうは、守るという意味でも用いられています。
「主はあなたを守る方。主はあなたの右の手をおおう陰。」(詩編121:5)

「見よ。神はご自分の光をその上にまき散らし、また、海の底をおおう。」(ヨブ36:30)

「主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。」(イザヤ40:22)


神様は、地上に住むわたしたちをおおってくださるのですね。

ヨナ書に書かれているのは、文字通りおおいかぶせるという意味ですが、ヨナの不機嫌を直そうとして、とうごまでおおってくださる神様の優しさを感じます。

「神である主は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。」(ヨナ4:6)

パウロが書いた言葉を紹介します。
「しかし、主は、「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(Ⅱコリント12:9)
わたしもキリストにおおわれています。

昨日Nさん宅に伺って聖書輪読会をしました。民数記を読んでいるのですが、このとき、も「おおう」に出会いました。

「幕屋をたてた日、雲があかしの天幕である幕屋をおおった。それは、夕方には幕屋の上にあって火のようなものになり、朝まであった。(民数記9:15)」

エジプトを出たイスラエルの民が、昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて約束の地をめざし旅をしました。
導いた雲は、子ども聖書物語にあるような縦に細長い雲を思い浮かべていましたが、幕屋全体をおおうほど幅広いものだったのかもしれませんね。見てみたかった!

先日のデンマークカクタスの写真、満開になったので差し替えました。


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そのときが近づいているのかも

2013-12-16 21:18:56 | 日記
デンマークカクタスが花開いてきました。
去年満開の時に買ってきました。花が散ってから芽をつんで手入れをし、寒くなってからは家の中に入れ、窓辺に置いて毎日話しかけていました。1日11時間以上光に当てるとよくないと聞いたので、夜は箱をかぶせて光を防ぐようにしていたら、たくさんの蕾をつけてくれました。
いつも花を枯らしてばかりいるわたしにしては上出来です。


先週、84歳の母が泊まりに来ました。母は年に一度12月に来て一泊します。わたしが年賀状をパソコンで作るので、図柄を選ぶために来るのです。

一人暮らしなのだから、1週間ぐらい泊まって行ってもいいのに、1泊以上したことがありません。朝8時半ごろ三鷹から中央線快速に乗り、ずっと立っていたと言うので驚きました。

とても混んでいて優先席の方に行くこともできなかったそうです。総武線各駅に乗れば座れたのに……。お土産にと重いのに大きなリンゴ2個も入れたリュックを背負ってきました。

年賀状は気に入った図柄があったので、すぐに決まってあっという間に印刷できてしまいました。

久しぶりにゆっくり話しました。信仰の話はなかなかできないでいましたが、日曜日に教会学校で紙芝居を読むことになっていたので、「練習するから聞いて」と言って、母の前で読みました。

わたしが書いたクリスマス童話です。紙芝居の後、クリスマスの本当の意味を母に伝えられました。イエス様が神様のひとり子で、わたしたちの罪を赦すためにきてくださったことを話しました。母は頷きながら聞いていました。

翌日は一緒に買い物をし、レストランにいって昼食を共にしました。帰るとき、電車の中で読む本を貸してほしいというので、5冊の本を並べて選んでもらいました。

選んだのは三浦綾子のエッセイ「遺された言葉」でした。
今まで三浦綾子の本を何冊も貸したのですが、心に響いたようすはありませんでした。
でも、「遺された言葉」を少し読んで「これいいね」と言ったのです。

信じるのに時があるのかもしれません。そのときが近づいているのかもしれないと思って、母の救いのために祈りました。



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暗闇から光

2013-12-10 16:36:15 | 教会
8日からアドベント2週目に入りました。
11月30日に一番近い日曜日から、クリスマス前の期間を「アドベント(待降節)」といいます。「アドベント」とは「到来」という意味で、救い主(イエス・キリスト)の到来を心待ちにする時期です。

今年は教会学校クリスマスの準備に忙しく、怒涛のような日曜日を過ごしていたので、静かにクリスマスを待ち望むという気持ちになれませんでした。
来週の日曜にリハーサル、再来週が本番ですが、準備はひと段落しました。


礼拝メッセージでは、クリスマスのイメージについて語られました。
同じ出来事に直面しても、その人の抱くイメージによって全く違った行動をする場合があります。
救い主誕生を知ったときのヘロデと東方の博士たちの反応は正反対でした。

ヘロデは救い主が生まれたと聞いて恐れ、戸惑いました。博士たちに「幼子を拝むから」と言っておきながら、拝まず、殺そうとしました。ヘロデの心はキリストから(霊的距離において)遠く離れていました。

一方、博士たちは救い主誕生を確信していたので、喜びにあふれ、救い主のところへ行って拝みました。
大切なことは、救い主を待ち望む心なのですね。

もともと人間は、神様のかたち(イメージ)として創られました。でも、罪を犯したため、ゆがめられて正しい神のイメージを持つことができなくなりました。

神様は、ご自分の正しいイメージとしてイエス様を地上におくってくださいました。
神の正しいイメージとして、キリストが生まれてくださったのです。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ2:6-7)」

「クリスマスの贈り物は、失われた神のかたちの回復です」と牧師先生が言われました。


わたしのクリスマスのイメージは、夜→暗闇→光→救い主誕生→希望 です。
キラキラしたイルミネーションや飾りやケーキはありません。悲しみ、苦しみに覆われている暗闇の中、ひとりぼっちでうめいている自分がいます。

苦しみが頂点に達したとき、思いもかけぬところから光がやってきます。その光は、イエス・キリストの光、希望の光です。
苦しみがなくなるわけではありません。でも、ちっとも悲しくないのです。ひとりぼっちじゃなくなったから。一緒に苦しんでくださるお方が来られたから。

静かにクリスマスを待ち望みます。

乳癌手術を受けてから、まる10年たちました。



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子ども家庭集会クリスマス

2013-12-08 16:59:19 | 日記
昨日は子ども家庭集会クリスマス会でした。Mちゃんの家に8人の子どもたちが集まりました。

クリスチャン・ペンクラブで上演したクリスマス創作童話「マロンとフロンの水くみ」を朗読劇にして演じました。JCPのHPを開いてトップページの「作品」をクリックすると童話を読むことができます。

ペンクラブではひとり一役で行いましたが、人手不足のためI先生とわたしがひとり3役ずつこなしました。今年は特別AさんがすてきなBGMをつけてくださったので、お話が子どもたちの心に染み入ったことでしょう。

それにしても、今週の月曜日は風邪のため全く声が出なかったので土曜日に朗読劇ができるか不安でした。神様は少しずつ癒してくださって、当日はベストコンディションでできました。心から感謝!

お話の後、ケーキ作りをしました。これまでは大きなケーキ台に数人の子どもたちがデコレーションしていました。


今年は、子どもたちの希望でひとりずつカップケーキにデコレーションすることにしました。ひとつは自分のために作って、もう一つは友達のために作りました。

デコペン、生クリーム、チョコレート、グミなどでデコレーションしました。すてきなデザインのケーキばかり。食べるのがもったいない~



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言葉で傷つけ、傷ついたとき

2013-12-06 20:30:17 | エッセイ
ようやく声がもとにもどり、元気快復してきました。
昨日は家庭集会のクリスマス会が教会で行われ、すばらしいオルガン演奏を聴いてきました。
今日は朝からカップケーキ作りです。30個焼きました。明日の子ども家庭集会クリスマス会で子どもたちがデコレーションをするのです。どんなふうにデコレーションされるのか楽しみです。
クリスチャン・ペンクラブのニュースレタークリスマス号に掲載されたクリスマスエッセイを紹介します。

神の作品


「あなたの言葉でひどく傷ついた!」
怒りを込めた友人の声が受話器から流れてきたとき、一瞬頭が真っ白になりました。
 
どのような言葉が彼女を傷つけたのかわかりませんでしたが、すぐあやまりました。あやまっても彼女の怒りはおさまりませんでした。
わたしはショックでほとんど食事がとれないほどに落ち込んでしまいました。 

どんな言葉であっても、わたしの口から出た言葉が人を傷つけてしまったのです。わたしは加害者です。これからも口を開けば誰かを傷つけてしまうかもしれません。家から出ず、誰とも話さない方がいいのでは……とまで思い詰めてしまいました。

それでも数日後、日曜日を迎えたのでわたしは重い心で教会へ行きました。その日の午後は、クリスマス会で教会学校の教師たちが演じるペープサートの指導をすることになっていました。

初めてわたしの書いた童話が教会で用いられ、嬉しくて練習も楽しみにしていたのですが、こんな精神状態でできるのだろうか……と案じ、必死に祈りながら指導をしました。
自分がどのように振る舞ったかわかりませんが、落ち込んでいることを誰にも悟られることなくできたのは、神様が力を与えてくださったからです。

その後、彼女が傷ついたのは、わたしの言葉を誤解して受け止めたからだということがわかりました。彼女とは和解しましたが、傷心のままクリスマスを迎えました。
今から考えると、なぜあんなに落ち込んでしまったのだろうと思います。わたしに責められるところがあったとしても、人格を否定されたわけではなかったのです。

わたしの中にアイデンティティーが確立されていなかったので、責められたとき、全人格を否定されたように思い、過剰に反応してしまったのです。
クリスマス会のペープサートは大成功でした。弱くて力がなくて、自分は誰の役にも立たないと思っていたロバのロム。それは自分自身がモデルでした。ロムは赤ちゃんイエス様に出会って力が与えられ、後にイエス様を抱いたマリヤを乗せて歩くようになるというストーリーです。
クリスマス会の本番、赤ちゃんイエス様がロムに語りかけるシーンで、イエス様がわたしにも語りかけてくださいました。

「もう、落ち込まなくていい。あなたはわたしが造った価値ある作品なのだよ」
 ああ、イエス様はこのことを知らせるために生まれてきてくださったのですね。
そのときから、このことを今を生きる子どもたちに伝えたいと切に願うようになりました。

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2―10)



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悲しむ者の幸い

2013-12-03 20:32:47 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
30日土曜日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のクリスマス会でした。11月なのにクリスマス会です。 12月はそれぞれの教会で行われるクリスマス会の準備などで忙しいので、ペンクラブのクリスマス会は一足早いのです。

ピアノ、ヴァイオリン、オカリナの演奏、朗読劇があり、すてきなクリスマスでした。

わたしは朗読劇の準備をさせていただきました。といっても配役を決め、台本を渡しただけです。練習する時間はありません。各自家で練習してもらって、当日の朝一回合わせただけです。今年はBGMと素晴らしい絵(紙芝居)が加わりました。

わたしは場面に合わせて絵を出す役をしました。タイミングを間違えずに絵を出すことに集中していたため、朗読劇が客観的にどうだったのかわかりませんでしたが、「よかった」という声が多く聞こえてきました。

「悲しみを越えて」というメッセージを聞いて心打たれました。

今年の3月に理事長のI先生が召されて、JCPのメンバーは悲しみに覆われました。
主よ、なぜですかと問いかけたくなります。問いかけてもどうにもならないのですが……。

I先生がいらっしゃらなくて、不安の中で例会が開かれました。
その中で神様は祝福してくださいました。主は最善をもって色々なことを導いてくださることを体験しました。

イエス様は「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイ5:4)」と言われました。

イザヤ53:3にはイエス様のことを「悲しみの人」と書いてあります。

イエス様が悲しみの人であるからこそ、悲しむ者と共に歩んでくださるのですね。そして、ほんとうの慰めを与えてくださるのです。
イエス様こそが慰め主なのだと伺って、悲しむ者の幸いをかみしめました。

初めて参加された方が4人もおられて、本当にうれしい一日でした。

怒涛のような日曜日が過ぎると、風邪がぶり返して昨日は声がまったく出ませんでした。クリスマス会の練習で子どもたち相手に大声を張り上げたからです。今日はだいぶ快復してきましたが、まだかすれ声です。

教会学校のクリスマス会は、悲しみが喜びにかえられるというテーマで劇をします。


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