エミー・カー・マイケルの「むだではなかった」という詩をみつけ、次回はこれをブログに書こうと思っていました。
昨日の礼拝の説教題が「主にあって無駄はない」だったのでびっくりしました。
聖書には次のように書かれています。
「ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が主にあってむだでないことを知っているのですから。(Ⅰコリント15:58)」
婦人宣教師のエミー・カー・マイケルが「むだではなかった」という詩を書いたのは、おそらく聖書のこの箇所からでしょう。
なぜわたしがこの詩を心に留めたかというと、童話や小説を書いているとき「もしかして無駄なことをしているのではないか?」という疑念がしばしば沸き上がってくるからです。
どんなに努力しても、どんなにたくさん書いても、実際に子どもたちに読まれることはほとんどないと思うと、このまま書き続けていていいのだろうか?という思いにとらわれます。
作品集が出たばかりなのですが……たった150冊作っただけです。
知りあいの方に差しあげても、果たして読んでいただけるかどうか……かえって迷惑かもしれないという思いも出てきて……。
「神さまにやれと言われたことをやりなさい。主にあって労苦は無駄ではありません。わたしたちの祈りと努力はみ手の中にあって、何一つ無駄にはなりません」
と牧師先生が言われました。
神さまに童話を書きなさいと言われたかどうか? 書くことがみ心にかなっているかどうか?…… それは、これまでに何度も問いかけてきたことです。
そして、神様の答えは「書き続けなさい」でした。あるとき、はっきり示されたのです。
それなのに「無駄だ。無駄だ」と内なる声が聞こえてきて、それと闘いながら書いています。
しかし、「堅く立って、動かされることなく」と神様は言っておられます。
書くことは決して無駄ではないと信じて書き続けたいです。
エミー・カー・マイケルの詩を紹介します。
むだではなかった
人目につかない土の上で
苦しみ流した汗はむだではなかった
さまざまの望みも失せたかに見え
ひそかに涙に泣きぬれて
気落ちしたあなたの心は言った
「すべてはむだであった」と
しかし 主は答えて言われるのだ
「むだではない
どんな大きなことでもよい 信じなさい
信じたことが実現に至るのだ」
あなたの労苦はちりに帰したのか
苦しみは あのさびのようになり
鋭いやいばの上に住みついて
あなたの切れ味を鈍らせたのか
あなたの報いは ちりとさびなのか
そんな考えを捨てなさい
そして主を信じなさい
あなたのたましいが悩みにあるとき
主のご忠実さを思いみなさい