生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

キャンプの恵み

2015-07-30 11:32:45 | CS(子供伝道)
24日、25日は教会学校低学年キャンプでした。母のことで忙しく、今回は準備の段階からすべて他の先生にお任せしてしまいました。当日は泊まることはできませんでしたが、両日とも奉仕できました。
孫のヒックン(3年生)も参加できてよかったです。ヒックンは去年も参加しました。今年はわたしと一緒の参加がおそらく最後なので、特別な思いを抱いていました。最後というのは、来年もわたしは低学年の教師をさせていただくつもりですが、ヒックンは4年生になり、高学年キャンプに行くことになるからです。

ヒックンはふだんの日曜日は教会学校に通っていないので、教会学校は一年ぶりでした。
ヒックンは初めて会った人とすぐ友達になれるという賜物が与えられているので何の心配もありません。同じグループの先生や子どもたちとすぐ仲良くなって、なじんでいました。
でも、少し不安なこともあるのか、集会のとき、ヒックンの方を見るといつも目があっていました。

猛暑の中、青年の家に行って外を走り回ってゲームをし、体育館では王様じゃんけんゲームや巨大すごろくをしました。楽しくて、気が付くとわたしも走り回っていました。いつもは身体を動かすゲームをするとき、身体が弱いので木陰で見ていることが多かったのに、今回は体調のことも気にせずに子どもたちと一緒になって体を動かし、汗をかきました。(それでも大丈夫でした)

すごろくは、ペテロの歩みをたどるものになっていました。ブルーシートを使って水の上を歩き、イエス様に助けてもらう体験をしたり、先生の足を洗ったり……聖書のお話しを思い出しながらすすんでいきました。

クーラーのきいた涼しい部屋でお弁当を食べて、またすごろくの続きをし、帰るときに雨がぽつぽつ降り出しました。
全員が教会バスに乗ったとたん大雨になり、見晴らしのいい景色の中、何度も稲妻が光るのをみて、子どもたちはキャーキャーと声を上げていました。
教会に着いたら、小雨になっていました。夕飯のカレーを食べているうちにすっかり雨が上がり、キャンプファイヤーができて本当に良かったです。

次の日はまたグループごとの対戦で、水鉄砲や水風船を使ってのゲームをして、大いに盛り上がりました。
お昼の流しそうめんは、滑り台の上から流したので、つかまえるのに必死でした。そうめんだけでなく、ミニトマトやカップゼリー、ようかんまで流れて来たのでびっりしました。

「キャンプがあと10日続いたらいいのに」と言った子どもがいました。
こんなに楽しくて貴重な経験をした子どもたちを神様は祝福してくださっているのだなあと思いました。


母はホームの生活に慣れてきましたが、足がむくんで、歩くのが困難になりました。部屋の中は伝い歩きでようやく歩けるのですが、外へ行くときは車椅子です。
入院前までは車いすも杖も手押し車もいやだと言っていたのですが、今は受け入れています。

妹が実家に置いてきた神棚のことを話すと、母は「神棚は人間が作ったものだから、いらない」と言いました。聖書をほんの少ししか読んでいなくても、母にはこのことがわかっているのだと思うと、嬉しくなりました。
聖書には、「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。(使徒の働き17:24)」と書かれています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

備えられていた良いこと

2015-07-23 12:19:33 | CS(子供伝道)
この前の日曜日、教会学校でお話をしました。今、旧約聖書アブラハムのお話を続けてしています。先日はアブラハムの息子イサクの結婚のお話でした。
聖書のお話の後に母のことを語らせていただきました。紹介させていただきます。


アブラハムのお話しを続けて聴いていましたね。イサクが生まれたのは、アブラハムが何歳の時だったでしょう・・・・100歳のときですね。
それからイサクは成長し、大人になりました。イサクが40歳のとき、アブラハムは140歳ですね。
アブラハムはイサクにお嫁さんをみつけなければと思いました。今住んでいるカナンという土地いる人は、神様を知らない人たちばかりです。それで、アブラハムの親戚たちが住む場所でイサクのお嫁さんを探すことにしました。
アブラハムは信頼できる召使に「わたしの故郷へ行ってイサクにふさわしいお嫁さんを探して連れて来てくれないか」と言いました。

神様はアブラハムに『あなたとあなたの子孫にこの地を与える』と約束してくださいました。この地とはカナンのことです。イサクがカナンを離れて別の場所に住むようなことになってはいけないので、お嫁さんがこちらに来てもらうようにしなければならないとアブラハムは召使に言いました。

召使は十頭のラクダを連れ、たくさんの贈り物を持って旅に出ました。アブラハムの故郷ナホルの町に着くまでは何日もかかりました。
夕暮れ時、ようやくナホルの町に着きました。召使はイサクにふさわしいお嫁さんを連れて帰れるのか心配になってきました。
召使は井戸のそばに腰を下ろして天の神様に祈りました。

「神様、わたしはいま、水のところにいます。これからこの町の娘たちが水を汲みに来るでしょう。わたしが娘さんに『どうかあなたの水瓶を傾けてわたしに水を飲ませてください』と言ったとき、娘さんが『わたしはあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘がイサクのために神様が用意してくれたお嫁さんだと知ることができますように。

すると、召使いが祈りの言葉を言い終わらないうちに、水瓶を肩に乗せてひとりの娘が井戸にやってきました。
召使は声をかけました。「水を少し飲ませてくださいませんか」娘は「どぞお飲みください」と、快く水を分けてくれました。さらに「らくだにも水を汲んであげましょう」と言って何度も井戸の水ををくんでくれました。
召使は、この娘さんがイサクさんのお嫁さんとして神様が用意してくださった人かもしれないと思って、ドキドキしながら尋ねました。

「あなたは、どちらの娘さんですか?」
「ナホルの妻、ミルカの子、ベトエルの娘です」
娘さんは、なんと、アブラハムの親戚だったのです。
この人こそイサク様のお嫁さんになる娘さんだとはっきりとわかって、召使は金の腕輪を娘さんに差し出しました。娘さんの名はリベカといいました。

リベカは召使に自分の家に泊まってくださいと言いました。ラクダの餌もありますからといいました。
召使は、ひざまずいて神様に礼拝を捧げ、感謝のお祈りをささげました。
召使はリベカの家に行ってリベカの家族の人たちにどのようにしてリベカと出会ったか話をしました。そして、リベカをアブラハムの息子、イサクのお嫁さんとしてカナンに連れて行きたいと言いました。

家族の人もリベカも、神様が導いてくださったことを感謝し、喜んで承知しました。
リベカは、行ったことのない土地でまだ会っていない人と結婚することになりましたが、何の心配もありませんでした。神様が結婚するようにしてくださったと思ったからです。
カナンの町に入ると、イサクがリベカを迎えに出てきました。そして、イサクとリベカは結婚しました。

神様は、祈りを聞いてくださるお方です。召使はまず祈っていますね。そしてリベカさんに出会った後でも祈っていることが大切なことです。
召使が祈り終わらないうちにリベカが井戸のところに来ていたことって、すごいですね。召使がカナンの町の入らないうちにリベカは水汲みをしようと井戸に向かっていたのですから、神様がすべてを導いてくださったことがわかりますね。
神様は、神様を信じる人を導き、よいことを備えてくださいます。

わたしのお母さんのことを話します。
お母さんは85歳です。東京でお父さんと2人で暮らしていましたが、お父さんは8年前にイエス様を信じて天国に行きました。それからお母さんは一人で暮らしていました。

わたしは、お母さんもイエス様を信じることができるようにとずっと祈っていました。
お母さんの家に行くたびに、聖書の話をしましたが、お母さんはあまり聞いてくれず、「私は信じない」と言っていました。
そのお母さんが去年の秋、胃がんになりました。手術して退院してから元気になりましたが、またいつ悪くなるかわからないので、私の家の近くにある老人ホームに入ることになりました。引っ越しの準備をしていると、お母さんの具合が悪くなって熱が上がったり下がったりするようになりました。

なんとか5月4日に引っ越ししましたが、ホームに着いたら40度の熱が出てしまいました。
救急で病院へ連れて行くと、最初熱の原因がわかりませんでした。

3人の先生が何時間もかかって調べてくれました。その中のリーダーの先生が肝膿瘍といって肝臓にうみのたまる珍しい病気だと気が付いて、お腹に穴をあけて悪い物を出す手術をしてくれました。

もし、その手術を受けなければ死んでいたでしょう。手術はうまくいって、入院しました。お母さんは入院してすぐ、洗礼を受けたいと言い出して、5日目に洗礼を受けました。

後から聞くと、秋に病気になってから少しずつイエス様を信じるようになっていたのです。
病気はつらく、苦しいことでしたが、神様はお母さんがイエス様を信じるように導いてくださっていたのです。わたしの祈りはきかれました。
神様は、神様を信じる人を導き、よいことを備えてくださっています。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。



雲に包まれて

2015-07-18 20:47:39 | 聖書から
昨日は母を連れて茨城の東京医大まで行ってきました。抗癌剤(飲み薬)の副作用で涙腺が詰まり、4月に西新宿の東京医大で涙腺に金属の管を入れる施術を受けました。2か月後に抜くことになっていたのですが、引っ越しと入院のため、眼科に行くことができませんでした。

このまま抜かなくても大丈夫と言われましたが、母としては抜かないと気が済まないようなので、茨城の東京医大へ紹介状を持って行ったのです。
わたしは運転ができないので、タクシーで往復しました。病院では車いすを借りて押して行ったのですが、母の具合が悪くならないか内心ハラハラしていました。

待たされないように朝早く出て、8時に着きました。初診だったので診察券を作るのに時間がかかりました。眼科では視力検査などを受け、ようやく診察となりました。
抜くのはあっと言う間でした。座った状態で、わずか数秒で抜けました。

母は晴れ晴れとした顔をしていました。長い間ほったらかしにしていた宿題を片付けられたという気持ちのようでした。
薬局と帰りのタクシーで待たされ、ホームに戻ったのは昼近くになっていましたが、母が元気だったので主に感謝しました。

一昨日は3か月ぶりの家庭集会でした。メンバーがそれぞれの理由で家庭を開放するのが難しくなっているので、教会の和室で行いました。
学びを通して教えられたことを書きます。

山上の変貌といって、イエス様が3人の弟子たちを連れて山に登ったとき、光り輝くという不思議なことが起きました。それだけでなく、モーセとエリヤが現れてイエス様と話をしたのです。モーセもエリヤも旧約時代の代表的預言者です。

なぜ、弟子たちがモーセとエリヤだとわかったのか、それはわかりませんが、ペテロは感激して、「ここに3つの幕屋を建てます」と言いました。

この発言について、聖書記者(ルカ)は「ペテロは何を言うべきかを知らなかったのである。」と書いています。

ペテロが幕屋を建てると言ったのは、モーセとエリヤとイエスさまがそこに住んでほしいと願ってのことです。でも、3人が話し合っていたのは、これからイエス様が人類の救いのために十字架に架かることについてでした。

つまり、ペテロの発言は的外れだったのです。イエス様が山に留まってしまったら、人類は救われないのです。

でも、ペテロに悪意はありません。ただ、感激して口にしたのです。

そんなペテロに対して神様のお取り扱いは何と優しいのでしょう。
神様は雷や火の中に存在を顕してくださることが多いのですが、このときは、ペテロたちを雲に包んでくれました。雲の中で恐怖を感じていると、「これはわたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい(ルカ9:35)」と、神様の声がしました。(彼とはイエス様のことです)

ペテロの失敗をとがめるのではなく、雲に包んでくださった神様。

わたしも的外れなことをよく言います。失敗ばかりしています。

数々の失敗を思い出しては、悲しい気持ちになっていたわたしの心が、優しい雲に包まれて癒されていくのを感じました。 



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


うるわしき朝も

2015-07-12 15:37:56 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
重い荷物を持ってホームと家を何往復もしていたら腰を痛め、疲れがピークに達しました。いくら近いといっても、歩いて8分かかります。自転車で往復するつもりでいたのですが、雨が続いたのでそういうわけにもいきません。4往復もすると1時間も歩くことになります。
家事は2倍になり、歩いて10分かかるスーパーに行って、自分の家の食材と母に頼まれたものを買って帰るとへとへとになっています。

わたしが倒れては大変と、主人と娘が協力してくれました。今は、ホームに泊まるのはやめて、訪れるのは一日一回にしています。

介護付き高齢者住宅なので、夜中のみ守りもしてくれます。

母は少しずつ生活に慣れてきました。まだ、食事は部屋に運んでもらっていますが、来週からは下の食堂で食べようかしらと言っています。

昨日は妹が車で母を我が家に連れてきてくれました。母が来るのは随分久しぶりです。前回は、ホームに入居申し込みに来た日だったので4月のはじめでした。

そのときは、元気でどんどん歩き、家具屋さんでソファーを頼み、ホームセンターでカーテンなど色々なものを買っていました。

それからたった3か月しかたっていないのに、我が家まではとうてい歩いて来れず、車椅子で来ました。2か月の入院ですっかり足が弱ってしまったのです。我が家のベッドが低いので泊まってもらうことができず、せめてお風呂に入ってもらうことにしました。我が家の浴槽は浅いのに足が上がらなくて、ひとりでは浴槽に入れませんでした。姪と娘が力を合わせて入れてくれました。

ホームや病院ではシャワーだけだったので、(ホームには介護風呂があるのですが、利用したくないと言っています)浴槽に入ったのも3か月ぶりです。母は満足しきった様子でした。

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。わたしのエッセーも掲載しましたのでここをクリックしてください。

HPのどこに作品があるかわからないと言われた方がいましたので、↓に貼りつけます。


         うるわしき朝も

わたしは生まれてから18歳になるまでキリスト教に触れたことがないと思っていた。ところが、4歳から触れていたのだ。幼稚園で初めて覚えた歌が讃美歌だった。

うるわしき朝も/しずかなる夜も/食べ物着物を/くださる神様/(教会福音讃美歌500)。朝礼で毎日うたっていたその曲が讃美歌だと知ったのは、ずっと後になってからだ。幼稚園でお祈りした覚えも聖書の話を聞いた覚えもない。キリスト教の幼稚園ではなかったはずなのになぜ讃美歌をうたっていたのだろう……。

後に、園長先生のお母さまがクリスチャンだったことがわかった。お婆ちゃん先生と呼ばれていた小柄な着物姿の先生だ。姿勢を正し、大きな口を開けてきれいな声でうたっておられた。
うるわしき朝って、どんな朝なんだろう。食べ物や着るものをくださる神様って、どんな方なんだろうと、子ども心に思っていた。

『生れてからずっと食べ物、着物を与え続けてくださる神様がおられる』素直にそう思えたのは、この歌が心にしみ込んでいたからではないだろうか。天国でお婆ちゃん先生に会ったら、ありがとうと言いたい。

                                  


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


 

母が退院しました

2015-07-04 17:18:48 | 日記
ご無沙汰しています。先月30日、約2か月ぶりに母は退院しました。
一時は命が危なかったのです。危機を脱してからも高熱を出したり、激しい腹痛があったりで大変でした。消化器に穴が開いていることを知らされたときは、ショックでした。もう二度と口から食べることができないかもしれないのです。「生きていたくない」と母は言いました。
点滴だけで栄養を入れるのは限界があるそうです。鼻からチューブで栄養を摂ると、回復が早く、消化器に空いた穴がふさがるかもしれないのですが、どうしますか?と医師が問いました。
「ふさがるかもしれない……」ということは、「ふさがらないかもしれない」ということなんだ……。そう思うと、居てもたってもいられない気持ちになりました。


そのとき、聖書の詩編103篇の言葉を読みました。「父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる(詩103:13)」  
デボーションの本には下記のように書かれていました。

あなたが人生の旅の途上で、不安だったり焦っていたりするとき、もう一度、神の愛の物語に耳を傾けましょう。神はそれをお望みです。あなたの天の父はいつも近くにいて、みことばであなたを励まそうとしておられるからです。

(父なる神様は、この小さき者の祈りをすでに聞いてくださっている。母の苦しみを見、願いをきいて下さる。きっと良くしてくださる。たとえ穴がふさがらなくても最善を成してくださる。)そう思うと安らぎが与えられました。

鼻からの経管栄養を摂ることを受け入れましたが、それは簡単ではありませんでした。チューブを入れる処置はかなり苦しかったと母は言いましたが、医師は「平気そうでしたよ」と言いました。がまんしていたようです。

栄養をゆっくり入れないとあとで苦しくなるので、2時間半かかって点滴のようにして入れてもらいました。その間はベッドに座っていなければなりません、それが一日3回。よく耐えたと思います。

一週間の後、鼻の管が抜け、口から食べることになりました。これでまた炎症を起こしたらまた逆戻りです。
母がゼリー状の食事をとるのを、わたしは恐る恐る見ていました。翌日、になっても痛みが起きないのでよかったと思った矢先、37.5℃の発熱。平熱が35℃ぐらいなので心配しました。でも半日で熱が下がって、ほっとしました。3日たっても異常がなく、血液検査の結果も良好だったので、退院の許可が下りました。

長い長い2か月でした。その間、誰も見舞わない日は一日もなく、ほとんど娘が午前中、わたしが午後に見舞っていました。
土日は妹と姪が都内から3時間かけて来てくれました。

退院できる日が来るのだろうかと思ったときもありましたが、神様が祈りをきいてくださいました。
ひとつひとつの出来事の背後に神様がおられたことをはっきりと感じました。ひとつひとつが奇跡の連続でした。何より、入院中に母が救いを受け入れ、洗礼を受けたことが奇跡――神の為される業でした。

お祈りしてくださった方々、ありがとうございました。心から感謝いたします。

今、母はホームで穏やかに過ごしています。生活に慣れるまで妹と娘、わたしが交代で泊まりこんでいます。今日はこれからお弁当をとって、ホームで退院祝いをします。母はもう普通食が食べられるのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

拍手ボタンです

web拍手