生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

時間をかけてゆっくりと

2017-10-27 16:18:56 | 家族
91歳の義母が、老人ホームに入ることになりました。6年前に義父が召されてから一人暮らしをしていました。荷物整理のお手伝いをしようと一昨日千葉の実家へ行ってきました。片道3時間近くかかるので、朝8時20分に家を出ました。予定では11時に着くはずだったのですが、電車が遅れて着いたのは12時過ぎでした。
寒い中、ホームで立っていたので風邪ひきそうでしたが、なんとか元気で戻ってきました。

わたしの母がホームに入所するときのことを思い出しました。引っ越しの日までに家を処分することになり、妹と私が実家に泊まり込んで整理しました。ほとんどが捨てるものでした。
そのとき、母は精神的に不安定になり、いる物といらない物の区別がつかなくなってしまいました。いつも使っている眼鏡や父や祖母の遺影もいらないと言い出したのです。認知症になったのでは? と思いましたが、様子がおかしかったのはそのときだけでした。

今になって思うと、60年も住んでいた家にあるもののほとんどを処分してしまうことが精神的に辛かったのではないでしょうか。「私の人生、何だったんだろう?」と思ったのかもしれません。そんな母の気持ちも考えないで妹と私は必死に片付けをしてしまいました。

義母の場合はしばらくの間は家をそのままにしておいて大丈夫なので、余裕があります。
ホームは今住んでいる家から車で30分ほどのところです。
義母は、「ホームに入所してから足りない物があれば取りに行けばいいし、一日家にいて夕方に戻ってもいいし……」笑顔をみせてくれます。

それでも、本心はホームには入らず、ずっと家に住んでいたいようです。残った荷物をどうするかという話をすると、話をそらしてしまいます。

夫は、「しばらく家をこのままにしておこう。片づけも時間をかけてゆっくりとしたらいい」と言いました。
理性ではわかっていても、心がついていかないことがあります。長年住んだ家を処分すること、ホームに入所することは義母にとって大きな変化です。喪失感や不安があることでしょう。少しでも気持ちに寄り添うことができれば……と願っています。

影響を受けて、わたしも家の中の整理をし始めました。
でも、なかなか捨てられないので困っています。教会学校で作った紙芝居やフランネルのフィギアなどは、孫たちにお話ししてあげられるので捨てられません。
今日は家電製品の保証書で期限切れのものを捨てました。わざわざ5年間保証というのに入ったのに故障なく7年、8年と過ぎているものがたくさんありました。

思い出の品やいただいた手紙などはまだまだ捨てられません。ひとつひとつ思い出に浸っているのでなかなかはかどりませんが……。
子どもの作文が出てきました。

娘は4年生の時の作文です。
「幼稚園の時、お母さんに毎お弁当を作ってもらったことを感謝しています。お父さんに机や鉛筆を買ってもらったことに感謝しています。大きくなったらフラワーデザイナーになりたいです。お金を稼いだら、半分はお父さんと母さんの家に置いて親孝行しようと思います」

そんなことを書いてくれていたなんて……。すっかり忘れていました。これはとっておきましょう。娘に見せてやらなくては。


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予定外のこと

2017-10-24 17:12:28 | 教会
一昨日は台風で大変な思いをしました。朝、8時に家を出るときはそれほどでもなかったので、傘をさして教会まで歩いていきました。帰りはお昼の12時過ぎでした。たいしたことないと思ったのですが、20分間で傘は5か所骨折。髪の毛も服も持っていたバッグもびしょ濡れでした。せめてバッグにはビニールをかぶせておけばよかったと反省しています。ひどい風雨が往きでなくてよかった。無事帰り着いてよかった! 守ってくださった神様に感謝です。

予定外の事故や病気で、なすべきことができなくなったことがありますか?

日曜日の礼拝メッセージでは、ピリピ人への手紙2:25~30からメッセージがありました。
聖書ではパウロの弟子エパフロデトがエルサレムに義援金を届ける使命を受けていたのに旅の途中で死ぬほどの病気にかかってしまったことが書かれています。のちに病気は癒されて、ピリピに無事戻ることができましたが、病気になったときのエパフロデトの心情はどうだったのだろう……
と想像すると胸が張り裂けそうになります。

わたしにもそのような経験があるからです。(今日の記事はメッセージから脱線しています)

わたしは小児喘息でした。高校生のころいったんは治ったのですが、出産後10年ぶりぐらいに喘息の発作が起きてしまいました。そのときは大きな発作にならなかったのですが、それから毎年秋になると発作が起きるようになり、年々重くなっていきました。
第2子が生まれた時は、ひどい発作に襲われて、生後10日の赤ん坊は実家に預け、入院生活を余儀なくされました。3歳4か月の長男は夫の実家に預けていましたが、「こんなはずじゃなかった」と、点滴を受けながら泣いてばかりいました。

娘が9月20日に生まれたので、10月はじめには息子を連れてきてもらって、10月中には自宅に帰ろうと計画を立てていました。でも、それができなくなったのです。
一番つらかったのは、息子に会えないことでした。わたしも息子も会える日を指折り数えて待っており、あと一週間で会えるというときに入院してしまったのです。

息子はやさしいおばあちゃんに面倒を見てもらっていましたが、夕方になると寂しくなって泣きべそをかいている。おばあちゃんがおんぶして、通りまで出て、車が走るのを見て気を紛らわしていると聞いて胸が張り裂けそうでした。

治療を受けているのに発作は治まらず、苦しくてなりませんでした。聖書も読めず、祈ろうとしても言葉が出ず、出口のないトンネルの中にいるようでした。

入院して10日たったときにステロイドを投与してもらい、ようやく発作が治まってきて退院となりました。自宅にもどったのは予定より1か月も後でした。

喘息は完治したわけではなかったので、子育て中も発作が起きました。2人に留守番させて救急外来に這うようにして行ったり、娘を病院のベッドの傍らに置いて、点滴を受けたりしました。よく死ななかった。(大げさに書いているのではありません。病院の玄関前で倒れて死んでいる喘息患者が朝になってみつかることがあると病院関係者が言っていました)よく2人の子を育てられたと、今振り返ると不思議な気がします。

あのような苦しみは何のためだったのでしょう?
その後喘息は、予防薬を使うようになって治ってきましたが、それから数年後に乳がんが見つかったのです。
がんの治療は不思議に辛いとは思いませんでした。布団に仰向けに横になれる、じゅうぶん息が吸えて吐ける。喘息よりずっと楽ではありませんか。

30年も苦しんだ喘息でしたが、もしかして忍耐が養われるためだったのかもしれません。
自分の努力ではどうすることもできない病。病を憎むのではなく、感謝できたらいいですね。

聖書の言葉
「それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。
(ローマ人への手紙5:3-5)」



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ブログ開設12年

2017-10-21 15:42:06 | 日記
ブログ開設してから12年になりました。

こんなに続くとは思っていませんでした。乳がんになったことがきっかけで、2004年にHP「生かされて・・・土筆文香」http://www5f.biglobe.ne.jp/~tukushi/を立ち上げました。携帯で見たいのでブログを立ち上げて欲しいと言う友人の要望で、翌年の10月にブログを開設しました。

もともと書くことが好きでした。でも、乳がんになるまでは、自分のことを公にするなんてとんでもないと思っていました。

でも、自分と同じようにがんになって、不安を抱いている人が多いことを知りました。
わたしは、もちろん不安はあるのですが、心の底の方には「だいじょうぶ」という安心感があり、平安が与えられています。

「だいじょうぶ」と言えるのは、何となくそう思えるというようなあやふやなことではありません。ちゃんとした根拠があるのです。

根拠は聖書に示されています。

わたしのブログを読んでいる人で、がんでなくても将来のことなどで不安を感じていらっしゃる人がおられると思います。その方たちが「恐れるな。わたしはあなたと共にいる」
と、神様が言っておられることに気づいてほしいと思い、ネットで公表しました。

これまでにたくさんの方からコメントやメールをいただきました。何日も更新していなくても、毎日見てくださる
方々もおられ、感謝しています。多くの人に支えられていると感じます。

バッハの言葉『ただ神の栄光のために』を想っています。更新頻度は少ないのですが、書き続けます。これからもよろしくお願いいたします。


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何かできる

2017-10-16 16:07:18 | 教会
急に寒くなりました。風邪をひかないように厚着をしたら、汗をかいて冷えてしまいました。気温変動が大きいと、調節が難しいですね。

昨日の礼拝ではピリピ人への手紙2:19-24の箇所からメッセージがありました。

テモテはルステラ出身で、父親はギリシア人。母親はユダヤ人でした。ギリシア語の教育を受け、祖母ロイス、母ユニケによってヘブル語の聖書を教えられました。それでテモテはパウロと同じようにギリシア語とヘブル語を話すことができました。パウロはテモテを高く評価しました。

聖書には「テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。(ピリピ2:20)」と書かれています。

パウロはテモテを息子のように愛し、テモテはパウロを父のように信頼しました。テモテはパウロの期待に応えてパウロに忠実に仕えました。パウロが軟禁状態になったときは何度も訪れ、パウロを励ましました。

パウロは、死を覚悟しながら伝道していましたが、たとえ自分が殉教の死を遂げても、テモテにその働きを託せるので安心していたのではないかと思います。

実際テモテは、キリストをアジアからヨーロッパに伝えるための重要な働きをすることになりました。それはこの100年を変えるような働きだったそうです。

テモテがそのような働きができたのは、祖母や母によって幼いころから聖書に親しんでいたこと、祖母や母がテモテを捧げたことによるのです。

イエス・キリストが十字架につけられたとき、同じように十字架につけられた2人のうちのひとりが、はりつけにされた状態でイエス・キリストを信じ、救われました。でも、何もできないで召されてしまいました。

「わたしたちは何かできます。わたしたちはテモテです」という言葉に励まされました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。わたしのエッセーが掲載されています。
ここをクリックしてごらんください。



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苦難の意味(その2)

2017-10-10 16:58:25 | 教会
昨日の続きです。

弟子たちが生まれつきの盲人を見て、その原因をイエス様に尋ねたとき、イエス様は
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」と言われました。

このイエス様の言葉に3つの愛が示されていると牧師先生が言われました。

1イエス様の盲人に対する眼差し
イエス様が盲人に向けられた眼差しは愛に満ちていました。弟子たちの眼差しとは根本的に違っていました。
弟子たちの眼差しには愛が感じられません。
障がい者を、pity(ピティー)『憐み』の眼差しでみるのではなく、Sympathy(シンパシー)
『共感』をもって、同じ立場に立つことが大切です。

2苦難は罪の罰ではない。
旧約聖書のエレミヤ31:29には「『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない」と書かれています。先祖や親の咎の報いを受けることはないとはっきり書かれています。

イエス様も、罪のせいで盲目になったのではないと言われました。
「神のわざがこの人に現れるため」と言われました。「わざ」を「愛」と訳すことが出来ると教えていただきました。

つまり、「神の愛がこの人に現れるため、この人は盲人になった」というのです。神様のご計画にあって盲人になったということです。

3イエス様はさまざまな苦難を与えるが、のがれる道も備えてくださる。
 
一冊の本が紹介されました。
「お父さんの失明は私が治してあげる」西田朋美著

西田朋美さんのお父さんは、ペーチェット病で途中失明しました。

落ち込んでいる息子に向かって母親が「目が見えないことは大事な体験だと思いなさい。それを活かして仕事をしなさい」と言ったそうです。

その言葉に励まされて盲学校の先生になり、結婚して2人の父親になりました。その娘がお父さんの目を治したい一心で眼科医になったことが書かれている本です。

失明と聞けば、大変なことだと思いますが、失明が大事な体験だと言い、それを活かして仕事をすることを勧めたお母さんは素晴らしいと思いました。そして娘さんが子どもの頃言った言葉通り眼科医になってペーチェット病の研究をするようになったことは、神のわざが現れることにほかなりません。西田朋美さんは、アメリカ留学中に三浦綾子の「泉への招待」という本を読み、クリスチャンになったそうです。

ヨハネ9:1-3について三浦綾子さんは「泉への招待」に次のような文章を書いておられます。

『これは単に、ここに登場している一人の盲人に言われた言葉ではないと、私は思う。
この言葉のあとに、イエスはこの盲人の目をなおしていられる。
なおしたことは、むろん神の栄光を現したことになるではあろうが、
では癒されなかった苦難はどうなのか、という疑問を持つ人がいるかも知れない。
私は癒されようと癒されまいと、解決出来ようと出来まいと、 苦難に喘ぐ者の傍には、神がまさしくそこに立っておられると思う。』


苦難を希望に変えるメッセージに力づけられました。
                 
                   おわり


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苦難の意味(その1)

2017-10-09 17:43:23 | 教会
一昨日は土浦市の花火競技大会でした。土浦では全国の花火師さんが集まって、毎年10月に競技大会が行われます。今年は前日から朝にかけて雨が降ったものの、夕方からいい天気になって、70万人もの人が集まってきたそうです。わたしの住むマンションからよく見えるので、わたしは孫たちとベランダに出て観ました。

色の名前を全部覚えて得意になっている3歳のナルクンが大声でカラフルな花火を見て「青」「赤」「黄色」と大声で叫んでいました。途中で飽きておもちゃで遊んでいましたが……。


日曜日は、教会でA先生からメッセージを聞きました。メッセージの一部の紹介と考えたことを書かせていただきます。

障がいのある人を見ると、なぜ障がいがあるのだろう、本人の心がけが悪かったのか、両親が悪いことをしたのか……と思う人がいます。

2000年前にもそのように思った人がいました。それはイエス様の弟子たちでした。(弟子たちばかりではなく、大勢の人がそのように思っていたことでしょう)

生まれつき盲目の人を見て、弟子たちはイエス様に質問しました。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか(ヨハネ9:2)」
イエス様は「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。(ヨハネ9:3)」と答えました。


弟子たちの発言は、因果応報の思想に根ざしています。 つまり、苦難がその人にとっては罰だと考えるのです。 罰だと思うと、苦しみは二重の苦しみとなります。
ところがイエス様ははっきり否定されました。

この記事が聖書に書かれていることによって、どれだけの人が慰めを受けたことでしょう。

わたしは2歳のときから喘息とう持病を持ち、苦しんできました。大きくなるにつれ、どうしてわたしだけがそんな病気持ちになったのか、神様からの罰なのか……と精神的にも苦しみました。
この聖書の言葉を読んだとき、どれだけ救われたことでしょう。


                つづく


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さようなら、Iさん

2017-10-03 20:25:29 | 教会
教会学校で一緒に奉仕していたIさんが召されました。今日は教会でお葬儀がありました。

今年の3月まで同じ分級で奉仕しており、そのときはとてもお元気でした。6月に胆管細胞癌がみつかって入院し、療養生活を続けていましたが、9月28日に召されました。73歳の生涯でした。
お葬儀で思い出を語らせていただきましたので、紹介させていただきます。

Iさんと初めて出会ったのは、10年ぐらい前のことです。場所は教会学校の部屋の入口でした。小学生のご家族の方かと思っていましたが、そうではなく見学していたのでした。Iさんはめぐみ教会に移って来られてから、毎週教会学校を見学されていました。

一年経って、教会学校教師として奉仕されるようになりました。教会学校は礼拝が終わると各学年に分かれて少人数で分級をします。分級の担当を10年間で4回ほどご一緒させていただきました。

Iさんにたくさんのことを教えられました。礼拝でのお話しのとき、分級での聖書の学びをするときは、じっくり
聖書を読み、時間をかけて準備されていました。
誕生会のときは、手作りのカードを丁寧に作っておられました。

遠方からバスを乗り継いで教会に通うのは大変だったと思います。教会学校の行事等で第一礼拝に出る必要があるときは、早朝に家を出て、8時半からの第一礼拝に間に合うように来られていました。
 
7年前にIさんがお茶の水聖書学院(OBI)の卒業生だとわかりました。わたしは、通信で学んだので同席することはありませんでしたが、OBI20周年記念でご一緒しました。お母様の介護のことで、とても大変な時期に聖書学院に通っておられたことをお聞きし、つらい境遇の中にあって、必死に神様を求めて生きてこられたのだなあと思いました。

あるとき、いつまで教会学校奉仕を続けるかという話になりました。わたしは、「体がきつくなってきたから、あと1,2年かな……」と言うと、Iさんは「わたしは体力がなくなったらヘルパーとして奉仕し、もっと年をとって歩けなくなっても教会学校に参加し続けたい」
と、言われたのを聞いて、子どもたちと教会学校を心から愛しているのだなあと胸が篤くなりました。

その話をしてから一年もたっていないのに、天に駆け上がっていってしまいました…………。

Iさん、天国でお会いできる日を楽しみにしていますよ。
  

「Iさんは神様から愛され、神様を愛した人でした」と牧師先生が言われました。

聖書の言葉
しかし、私たちは、私たちを愛してくださる方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8:37)

写真画像追加しました。


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