生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ひとつひとつの出来事が…

2017-09-22 16:54:25 | 乳癌
昨年から右肩が痛くて日常生活に支障をきたすようになりました。ふつうの肩凝りとはちょっと違うようなので整形外科に行くと、五十肩といわれました。(六十肩ではありません)5か月間リハビリに通いましたが、少ししかよくなりません。

6月末に娘が出産のため実家に戻ってきたので、完全には治っていなかったのですが、リハビリを終わりにしました。医師が腕を持ち、後ろに回しました。かなり痛かったのですが、「痛くありません」と嘘をついて無理やり終わりにしたのです。
 
家で肩こり体操を一生懸命したせいかどうかわかりませんが、その後、肩はどんどんよくなってきました。その代り腰痛、めまい、膝痛など、次々に起こりました。骨量を測ってもらうと、骨粗鬆症と言われました。しかも5段階に分けると、下から2番目に悪いと聞いて驚きました。8年前外科で測定したときは、「骨量は若い人並です」と言われたのに……。

薬を処方され飲み始めましたが、数値はよくならず横ばい状態です。長い期間飲まなくては効果が出ないそうです。
これまでよく骨折しなかったと思いました。また、五十肩になって整形外科に行ったから骨粗鬆症であることがわかって、治療を始められたので助かったのです。骨粗鬆症は症状が現れないので、治療を受けないまま最後の段階までいってしまったら、治る可能性が低いのだそうです。
ひとつひとつの出来事が、主のみ手の中にあって守られていると感じます。

なぜ骨粗鬆症になったのか……と考えていたら、8年前、乳がんの再発転移を抑える薬フェマーラを飲み始めたことを思いだしました。フェマーラを飲む前に同意書にサインをしたのです。この薬を飲むと関節痛が出たり、骨粗鬆症になったりすることがあると説明を受けました。

そのときは骨量が多かったので骨粗鬆症にはならないだろうと勝手に思っていました。むしろ関節痛になったら、ピアノが弾けなくなるかもしれない。PCのキーボードを打てなくなるかもしれないと恐れました。当時、教会学校で奏楽をしていましたので、友人にも祈っていただきました。

5年間フェマーラを飲みました。果たして関節痛は起きませんでした。けれども、いつごろからかわかりませんが、骨粗鬆症になりました。
でも、いまのところ乳がんの再発転移はありません。

膝痛でまた整形外科に通うことになりました。歩き過ぎと言われました。歩くときは8千歩から1万歩ぐらい歩いていると言ったら、多すぎると言われました。一日5千歩でいいのだそうです。健康のために一日一万歩と厚生労働省が大々的に掲げていましたが、いったいなんだったのでしょうか? 整形外科医からみると、一万歩も歩くとかえって健康によくないのだそうです。

 適度なウォーキング、適度な運動とはどれくらいでしょう? 年齢や体力によって人それぞれ違うので、自分にあったものを考えないといけないですね。


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不安でたまらないとき

2016-04-16 16:07:01 | 乳癌
熊本で激しい地震がありました。本当に心痛みます。
数年前、熊本に旅行へ行ったときのことを思い出しました。阿蘇山を案内してくださった親切なタクシーの運転手さんはご無事でしょうか。
時間がなくて見学ができなかった熊本城。外側からだけ見ただけでしたが、あの美しい城の一部が崩れかかっています。
家族や友人を失って失意の中にいる人たちが慰められますように。避難している人たちの
健康が守られ、必要な物が必要な人に届けられますようにお祈りします。

先日NHKの「あさいち」で、乳がんの再発、転移についての放送がありました。
乳がんのがん細胞は、進行が遅いので、10年たっても再発転移することがあると言っていましたが、それは最近わかったことではないと思います。
そのことは、わたしが乳がんになったころから知っていました。
もう12年も前のことです。

5年目、10年目が無事に過ぎたとき、「もう安心ね」と色々な方からいわれましたが、本当は、20年たっても安心できないのです。
「いつまで検査を受けなければなりませんか?」
と医師に聞くと、「乳がんは、きりがない」と言われました。
再発転移しても手術で切除すれば安心というものではありません。
医学が発達し、がんのメカニズムが解明してきたのに、まだがんを完治させることができないなんて……。

ときどき恐ろしくなります。不安でたまらなくなります。自分の体の中で起こっていることがわからないのです。わかっても、どうすることもできないのです。
そんなとき、祈ります。祈るしかありません。

細胞のひとつひとつを造ってくださった神様、わたしの髪の毛の数さえ知っておられる神様を思っていると、これまで生かしてくださった神様に感謝の気持ちでいっぱいになります。
神様がいちばんよいことをしてくださるのですから、再発転移したとしても、怖がることはないのです。
一羽の雀でさえ神様の赦しがなければ地に落ちることがないのです。ひとりひとりの人間のいのちもすべて神様の御手の中にあります。

聖書の言葉
「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。(マタイ10:29)
父というのは、天地万物を造られた神様のことです。




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10年目の検査

2013-10-03 17:35:20 | 乳癌
昨日、病院へ行ってきました。1週間前、乳癌の術後検査を受け、その結果を聞きに行ったのです。

主治医が転任され、別の先生に診てもらうことになりました。3人目の医師です。

昨年の6月に検査を受けて以来の外科です。年に1度の検査でよくなったので、本当は今年の6月に受けなくてはならなかったのですが、延ばして秋に検査を受け、それで最終にしようと勝手に決めていました。

今年の12月で術後10年になるのです。

「あっという間でしょう」と人から言われますが、わたしとしては、ようやくという気持ちです。とにかくこれで結果が良ければ、もう検査は受けなくていいのだと、思っていました。

診察室に入って最初に先生が口を開くまでの時間(1分弱だと思います)がとほうもなく長く感じらます。そのときの緊張は何年たっても変わりません。

「異常なしですね」と言われてほっと胸をなでおろしました。

「それでは一年後にまた来てください」と言われたので、「12月で10年になるのですけれど……」と言うと、「胃癌などは5年たてばほとんど再発はありませんが、あなたの場合は10年たっても再発転移の可能性があるので、まだまだ検査を受けないとだめです」と言われました。

「いつまでですか?」と尋ねると、答えは「きりがない」でした。
つまり、わたしの乳癌のタイプは何年たっても再発転移することがあり、完治はないというのです。

10年目の検査の後に再発した方の話を聞いていますし、20年は気をつけないといけないことも知っていたのですが、「きりがない」と聞いてがっかりしました。

喘息も完治はないと言われていて3か月に1度内科に通っていますが、乳癌からも卒業できないと知って気が重くなりました。そのうえ、通院している病院がもうすぐ自転車では行けない遠方に移転してしまうのです。

完治しないということは、いつも死を意識しながら生きざるを得ないということです。それは神様の配剤だと思いました。
いま、置かれた場所は不安定で、決して心地よい場所とはいえません。だからこそ、神さまをしっかり見つめて生きるようになれる場所です。

もう再発転移することはないと言われたら、安心しきって神様から目をそらしてしまうかもしれません。

まず、いま異常がなかったことを感謝します。先のことはわかりません。先のことは神様にお任せして、心配しないことにします。
限られた時間を生かされていることを意識しながら使命を果たしていければと思っています。



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共に生きる

2012-06-25 16:59:29 | 乳癌
先週の金曜日に乳がん術後の検査結果が出ました。術後8年半たっています。
前回から電話で結果を教えていただけることになったので、とても助かります。異常がなければ病院へ行かなくてもよいのです。

今回エコー検査を受けたとき、いつもより念入りに調べられました。とても長い時間に感じられました。集団検診のエコー検査で乳がんとわかったときも長い時間調べられ、ひとり2分ぐらいで終わるところをわたしだけ10分近くかかっていたことを思い出しました。
そんなことを思うと、恐ろしくて電話をかける手が震えました。コール音を聞いていると胃が痛くなってきます。

「貧血はありますが、エコー検査、腫瘍マーカーには異常ありません」という医師の言葉を聞いた時、ほっとして体の力が抜けました。貧血は鉄剤を処方されているので心配ありません。神様によって与えられているいのちを抱きしめるような思いで感謝しました。



土曜日は教会のティータイムでした。ティータイムとは、手作りのお菓子をいただいてお茶を飲みながら音楽に耳を傾けたり、お話しを聞く集会です。
お話しの一部を紹介させていただきます。


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心配ごとがなくなることが幸せと思う人が多いです。でも、問題がなくなることが幸せをもたらすのではなく、悩みがある中で絶望しない力が与えられることが大切です。

大野勝彦さんは、44歳まで元気に農業の仕事をしていました。ところが、事故で両腕をなくしてしまいました。トラクターを洗っているとき、誤って回っているシャフトに両腕が巻き込まれ、両腕が引きちぎられてしまったそうです。義手で絵画や書の創作活動を始め、その作品が多くの人たちに励ましを与えています。
大野さんは「自分は何の役にもたたない。人の世話になるしかない。だったら、せめて機嫌よくしていよう」と言ったそうです。

星野富弘さんは中学校の教師でしたが、クラブ活動の指導中、頸髄を損傷して首から下の自由を失ってしまいます。口に筆をくわえて詩画をかき、それが多くの人に生きる力を与えています

この人たちに共通していることは、自分に寄り添ってくれる人を発見できて、その人に感謝する思いを与えられ、それによって生きる力が与えられていることです。

旧約聖書出エジプト記3:7には、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている」と書かれています。

神様は、エジプトの地で奴隷として苦しめられていたイスラエル人の①悩みを見、②叫びを聞き③痛みを知っていました。イスラエル人は430年もの間苦しめられましたが、その間神は共にいて下さいました。そして、神はイスラエル人を救い出し、よい地を与えると言って下さるのですが、その地を得るためには困難があると言っています。

『①悩みを見、②叫びを聞き③痛みを知る』この3つが共に生きること、寄り添うことです。寄り添う生き方の反対は、問題解決することで必死になることです。

神は問題解決を目的に存在するのではありません。もし、そのために存在するなら、問題のない人には神は不必要です。

問題解決こそが大事だと思っていると、自分が解決できないことには無関心になります。

問題解決に目を奪われていると、ほんとうは解決していないのに解決した気になってしまいます。

本当に問題解決したいという者の姿勢は、悩みを見、叫びを聞き、痛みを知る姿勢になってきます。

人を通して神の愛を受けることができるので私は生きるのです。
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「悩む人に寄り添って共に生きる者とならせてください」と祈りました。



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心傷つけられた患者

2012-02-03 16:48:40 | 乳癌
一年以上も抗癌剤治療を続けて頑張っておられる方が「段々と強い薬になって、病院では打つ手なし……となる……」と医師から言われたと聞き、ショックを受けています。

患者を励ますことも医師の仕事だと思いますが、このような否定的な表現をされたら、がっくりと落ち込んでしまうのではないでしょうか。
医学的に治療が難しい病気でも、生きる意欲に満ち、病と闘っていく気力があれば、免疫細胞の働きが活発になって癒されることもあるのに……。

何よりも、癒し主であるイエス様が癒して下さることでしょう。
聖書には次のように書かれています。

「主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。(哀歌3:31-33)」


患者の意欲をなくし、心を傷つけるような言葉を語る医師の無神経さにガッカリします。
医師は癌患者の気持ちを知らないのです。多くの癌患者と接しているのに……。自分が癌にならないとわからないのだと思います。

「串刺しの心と書いて、患者です」という川柳がありますが、まさに心を串刺しにされた気持ちでしょう。

わたしも乳がんの手術を受けたとき、医師の言動にショックを受けました。術後、手術をしてくれた医師に「傷が痛むので化膿しているかみて下さい。」と言うと、「術後はだれでも痛むのです」と言って目をそむけられ、見てもらえませんでした。

「再発転移が心配です」と言うと、「心配しても仕方ない。再発する時はするのだから」と冷たい返事。
術後は元気な時よりナーバスになっているので、ぐさりと心を突き刺されました。


人の言葉や行為に傷つくと、いつまでも忘れないのですが、逆に自分が傷つけたときは、そのことをすぐ忘れてしまいます。

石井錦一さんの書かれた詩と文章が心に留まりました。

痛みを共にする心を

 神さま
 人の心の弱さをいま深く感じています
 友の語る言葉に
 かくされた刺をみることがあります
 愛する人のひと言が
 もう何も語ることのできないほどに
 傷つきいたむことがあります
 私自身の言葉もそうです
 何気なく冗談に語った言葉が
 どんなに深く友の心を傷つけたことか
 愛しているから、親しいから
 許されていると思って語った言葉が
 冷たく、きびしい言葉として
 愛する人の心に消えることのない
 傷となっていつまでも残っています
 自分も人も、暴力をふるい
 大声をあげてわめいていることよりも
 小さな言葉や、ひとつの行為に
 人の心は、もっと深く傷ついているのを
 知っておののいています
 人の心の傷つく痛みよりも
 はるかに多く、自分の心の傷つく
 痛みの大きさを感じている自分を悲しく
 いま、みつめています
 人の心の傷を
 友の苦しみの深さを
 だれよりも深く、真実にうけとめて
 共に苦しみ、傷つき、痛む心を
 私にあたえてください


この地上での苦しみは多い。とくに子どもや、親、兄弟を亡くした者の苦しみは大きい。また、病んでいる人々の苦しみも、虐げられている人々の苦しみも大きい。悲惨な現状を目の前にして、この世には神などいるのかとおもわれることも体験することがある。

われわれは、この苦しむ人々の隣人となり、苦しむ人々と共に生き、互いに支えあう世の中が出来るよう祈りつつ生きなければいけないと思う。
現実には、安きに流されやすい我々である。また、不完全な我々である。しかし、それぞれの場で、最善を尽くすよう祈りつつ努力していかなければいけないと思う。

石井錦一 : 著 : 「祈れない日のために」 : 日本基督教団出版局



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乳がんの手術後8年たって

2011-12-08 19:43:11 | 乳癌
今日は手術記念日です。
乳がんの手術を受けたのは、8年前の今日でした。

そのときは、がんに対する知識が乏しかったので、手術さえ成功すればそれで終わりだと思っていました。
でも、がんは、死亡原因の第一位になっているだけあって、手術して治療が終わりというわけにはいかない病気でした。

放射線治療を受け、副作用のある強い薬を何年も飲みました。いちばんつらいと言われる点滴の抗がん剤投与は受けなくていいと言われたので、わたしの場合はまだ楽な方だったと思います。

(術後治療の判断は医師によって違うようで、後に担当医が変わったとき、受けるべきだったのに……と言われました)

現在は薬から解放され、年に一度、検査を受けるだけでよくなっています。

乳がんの場合、20年再発転移がなければ完治といえないそうですから、8年経ってこれでもう安心とは言えません。

でも、以前より精神的に楽になったことは確かです。

いのちを与えて下さった神様にいっさいおまかせしていますが、やはり検査で異常が出たら動揺するでしょう。

でも、正直なところ、乳がんという病気を与えられて心から感謝しています。人の痛みやいのちの尊さを理解できず、自分本位で愛に欠けていたわたしです。もし、乳がんにならなければ人の心を思いやる者になれなかったでしょう。

がんになって、肉体的、また精神的つらさも味わってようやく人間になれたのです。

神様は不必要なものを与えはしません。わたしには乳がんが必要だったから、神様が与えて下さったのだなあと思って感謝しています。

河野進さんの詩を紹介します

    病まなければ

 病まなければ、捧げ得ない祈りがある
 病まなければ信じ得ない奇跡がある
 病まなければ、聴き得ない御言がある
 病まなければ近づき得ない聖所がある
 病まなければ、仰ぎ得ない聖顔がある
 おお 病まなければ私は
人間でさえもあり得なかった



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がんの短歌

2011-08-11 17:14:44 | 乳癌
乳がんの治療で飲んでいた薬の影響(今は飲んでいないのですが)といえる症状が出て、昨日から体調不良でした。珍しく気持ちまで落ち込み、水曜礼拝も休んで寝ていました。今日も一歩も外へ出たくなく、……誕生日なのに憂鬱……とつぶやいていました。

PCを開くと、友人から嬉しいメールとメッセージが届いていました。紹介させていただきます。


お誕生日をさらに重ねることができためぐみを、主に感謝いたします。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119:71)」
という心境を土台に、前向きで、やさしさとユーモアに満ちた作品を書き続けておられること、感謝です。
ごんたくんは、今や、文香さんにとどまらず、世界中で、主の素晴らしさをあらわす働きをするように、替えられていくと思います。


別の友人からは「幸せで愉快な1日!」を願う言葉がありました。

ユーモア、愉快 ……
なぜ今のわたしの状況とはかけ離れた言葉が贈られたのだろう……今のわたしに必要だからかな? と、思い巡らしました。

ごんたくんというのは、ブログにも書き、「生かされて・・・土筆文香」の病気のこと→癌患者としての心境3にも掲載していますが、わたしが勝手につけた癌の別名です。

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がんという言葉は、どうしても暗いイメージがあるので、別の言葉に置き換えてみました。
親の言うことをきかず、いたずらばかりする子どもを《ごんた》というのをご存知でしょうか? 方言かどうかわかりませんが、関西ではその言葉をよく耳にしました。

がんを《ごんた》に置き換えると・・・大腸がん、胃がん、肺がん、子宮がん、乳がんは……大腸ごんた、胃ごんた、肺ごんた、子宮ごんた、乳ごんたになります。

医師に「あなたは、胃ごんたです」と言われたら、「なーんだ、胃にごんたの細胞ができただけか」と深刻にならないですみますね。

「わたし、乳ごんたなんです」と言ったら、「ニュー(新しい)ごんたになったなんて、カッコイイ!」ってうらやましがられたりして・・・。


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それで今日は短歌を作ってみました。短歌はいままでほとんど書いたことがないので、短歌と呼べるものかどうかわかりませんが……。


がんのこと ごんたくんって 呼んでみて
いとしくなるよ わたしのごんた


神様が つくられたから いいごんた
わるいごんたは ひとつもないよ


乳ごんた 大腸ごんた 皮膚ごんた
名づけてみれば かわいくなるよ


へんちくりんな短歌を作ったら、愉快な一日になりました。

JCPのHP更新しました。ぜひご覧ください。



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手術記念日

2010-12-08 20:58:18 | 乳癌

月曜日に母が来て泊まりました。毎年12月になると、パソコンで年賀状を作ってほしいといってやってきます。気に入った年賀状の図柄がみつかったので、母は喜んでいました。
ゆっくりしていってと言ったのに、年賀状が印刷できると一泊しただけで帰って行きました。食前の祈りに心を合わせてくれたことがうれしかったです。


今日は手術記念日です。
7年前の今日、乳がんの手術を受けました。8年目に入った心境を書きます。
もう7年経ったという気持ちと、やっと7年という気持ちが同居しています。
ふつう、癌は術後5年たてば再発転移の心配はなく、安心と言われます。薬や検査も5年で終わる人が多いようです。

でも、乳がんは10年は再発転移のリスクがあるので気をつけて下さいといわれます。同じ乳がんでも初期の方や、リンパ転移のない方、65歳以上で乳がんになった方のリスクは小さいようです。

わたしは、リスクが大きいので10年は薬を飲んだ方がよいと言われ、現在3か月に一度通院し、アロマシンを飲んでいます。エコーやマンモの検査は1年半に一度ぐらいになりました。

術後しばらくして主治医から「傷の方は順調に回復していますが、リンパに4つの転移がみとめられました」と言われました。リンパ転移とはどういうことなのか、そのときわたしは全くわかっていませんでした。

担当の看護師さんに主治医に言われたことをそのまま伝えました。看護師さんは『リンパ転移』という言葉を聞いたとたん、急に顔をくもらせました。その顔をみて、リンパ転移とは、ただならぬことなんだと思いました。

退院してからネットで調べると、3つ以上リンパ転移のある人の10年生存確率は4パーセントと書いてあり、強い衝撃を受けました。その数字は確かなものではなかったのですが……(現在は20年生存確率65~70%と出ているサイトがありました)
死の淵に立たされた心境でした。(当時の心境はわたしのHP「病気のこと」に書いています。)

幸い、今は健康が支えられており、乳がんになる前より体力があるような気がします。
再発転移の恐怖を感じてはいませんが、意識の下にはあるようです。

疲れたときなど、手術を受ける夢をよく見ます。この間は、ロス・アンジェルスの病院でで手術を受けることになり、ひとりで渡米した夢を見ました。英会話もできないのにどうして外国の病院へ行ったのでしょうか……?

乳がんで亡くなった方の話を聞くと身につまされて辛いです。死に対する恐怖はありませんが、癌が進行して苦しむことに対する恐怖はゼロとはいえません。

でも今は、不安で眠れないということはありません。眠りにつこうとするとき、平安が泉のように湧き上がってきます。聖書の詩編に次のような詩があります。


平安のうちに私は身を横たえ、
すぐ、眠りにつきます。
主よ。あなただけが、
私を安らかに住まわせてくださいます。
(詩篇4:8)


この詩編の作者と同じような気持ちになるのです。
信じる者の幸い。主にあるものの平安。どんな状態になってもだいじょうぶと言って下さるお方に委ねられる幸いをかみしめています。


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がん患者としての心境(その10)

2010-05-29 16:24:39 | 乳癌

たくさんの方が拍手ボタンを押してくださって、感激しています。押してくださる人は多くても2~3人かなあと思っていたので嬉しいです。書く励みになりました。

がん患者としての心境をつれづれなるままに書いてきて、今日で10回目になりました。今回で一応終わりにしたいと思います。
一応と書いたのは、また思いついたことがあれば書くかもしれませんし、質問などがありましたらお答するかたちで書きたいと思います。ぜひ、質問や感想をコメント欄に書いてください。


「がんになって失ったものは健康だけだった」と言ったのは作家の三浦綾子さんです。
ほんとうにそう思います。わたしは付け加えて「失ったものより、得たものの方がはるかに大きかった。」と言います。

わたしが得たものとは・・・
死の後ろ姿を見て、(今すぐ死ななくても)必ず死が訪れることを自覚し、限られた時間を生きていることを確認しました。
がんにならなくても、人はみな死にます。当たり前のことですが……。でも、死ぬのはまだずっと先のことと思っていたので実感がなかったのです。
がんになって死を身近に感じたとき、生きていることの価値を知らされました。

生きているということは当たり前ではなく、特別な条件が整えられてこそ可能なのですね。どんなにたくさんのお金や権力を持っていても、生きられる条件のすべてを自分で整えることはできないのです。

つまり生きるとは、自分の力で生きるのではなく、生かされてはじめて可能になるのです。
限りある『生かされている時間』がとほうもなく尊いものだと気付かされました。

これまでどうでもよいことに夢中になり、どれだけ無駄に時間を費やしてきたことでしょう……。
たとえば、もしあと半年しか生きられなかったら、何をすべきなのでしょう?

いままで夢中でやってきたことは必要なことだったのでしょうか? 本当にしなければならないことは何なのでしょう?
そんなことを考えるようになりました。

それががんになってわたしが得たものです。

今わたしは神さまから平安をいただいています。その平安はどんなことが起きても取り去られない平安です。がんになる前はこのような平安を感じませんでした。

わたしはがんになってよかったと心から思います。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119:71)」

という聖書の言葉そのものがわたしの心境です。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。お読み下さった方々のうえにも平安がありますように。



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                おわり

がん患者としての心境(その9)

2010-05-27 12:28:59 | 乳癌

『がん患者としての心境』を書くと、アクセス数が多くなります。それだけ関心を示して下さる方がおられるのだと思うと身が引き締まります。

一昨日は199人もの方が訪問してくださいました。アクセス数は522。昨日は記事を書いてないのに訪問者150人。アクセス数は1435だったので、驚いています。

ブログは一方的に発信しているので、読まれた方はどのように受け止めておられるのだろうか・・・と、気になることがあります。
拍手ボタンをつけましたので、応援していただける方はボタンをクリックしてくださいね。
ひとことメッセージ(非公開)を送ることもできます。


がんの原因はストレスだとも言われています。ストレスが体に悪いことがわかっていても、ストレスをためないようにするのは難しいですね。
落ち込んだり、気持ちが暗い方に向いているとよくないともいわれますが、自分で明るい方に気持ちを切り替えることは、やはり難しいですね。

わたしは、がん細胞にビビくんと名前を付けて童話を書きました。(生かされて・・・土筆文香のHP児童文学の部屋にあります)ビビくんは、免疫細胞をやっつけ、仲間をどんどん増やします。さらにリンパの流れに乗って体中に増えていこうとするのですが、そこで本体に出会います。本体に愛されていることを知り、受け入れられて正常細胞に変化するというストーリーです。

乳がん手術後、どうしても体の中でがん細胞が増えていくイメージを抱いてしまい恐ろしくてならなかったのですが、この童話を書いてから、がん細胞が正常細胞に変化するイメージを抱くことができました。
がん細胞は、もともとは正常細胞だったので、正常細胞にもどることも可能ではないかと考えたのです。

聖書には、神様が人を造ったことが書かれています。神様は、細胞のひとつひとつを造られたのです。ということは、がん細胞も神さまが造られたのです。
ですから、がん細胞を毛嫌いしないで受け入れたいです。がん細胞を抱きしめるほどにいとおしみたいです。

笑うことは、免疫力を高めるといわれていますね。
ちょっとおもしろいことを考えてみました。

がんという言葉は、どうしても暗いイメージがあるので、別の言葉に置き換えてみました。
親の言うことをきかず、いたずらばかりする子どもを《ごんた》というのをご存知でしょうか? 方言かどうかわかりませんが、関西ではその言葉をよく耳にしました。

がんを《ごんた》に置き換えると・・・大腸がん、胃がん、肺がん、子宮がん、乳がんは……大腸ごんた、胃ごんた、肺ごんた、子宮ごんた、乳ごんたになります。

医師に「あなたは、胃ごんたです」と言われたら、「なーんだ、胃にごんたの細胞ができただけか」と深刻にならないですみますね。

「わたし、乳ごんたなんです」と言ったら、「ニュー(新しい)ごんたになったなんて、カッコイイ!」ってうらやましがられたりして・・・。

・・・笑っていただけましたか?


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つづく

がん患者としての心境(その8)

2010-05-25 17:24:01 | 乳癌

がん患者としての心境、そろそろ最終回にしたいのですが、書きたいことが次々出てきます。

今日は病院へ行ってきました。再発の有無を調べる胸部エコーとマンモグラフィーの撮影をしてもらいました。
前回までは、肝臓転移の有無を調べるため腹部エコーも受けていましたが、今回から腹部エコーは受けなくてよくなりました。
それでも術後6年にもなるのにまだ薬を飲み、定期的検査を受けているのは、よほど再発転移の可能性が大きかったということでしょう。
《大きかった》と過去形で書きましたが、わたしの中では再発転移を恐れることは過去形になっています。

それなら、検査結果を聞くときは、さぞかし落ち着いているのでしょうねと言われると困ってしまいます。やはり、不安でドキドキすると思います。胃が痛むほどの緊張はなくなりましたが……。結果を聞きに行く日でなくても、体調に異変があると不安になります。
心は騒ぎます。

でも、嵐のとき波はさわいでも、深い海の底は静かなように、わたしの心の深いところには静けさがあり《平安》があります。
親鳥の翼の下にいるひな鳥のように、守られ包まれているからです。

クリスチャンの友にがん患者との接し方について尋ねられたので、わたしだったらこうしてほしいという願いを書きました。


            がん患者からのお願い

がんを告知されて落ち込み、泣いているときは一緒に泣いてください。
それだけでいいんです。
聖書の言葉は語らずに悲しみの嵐がおさまるまでそっとしておいてください。

再発転移を恐れてオロオロいるときは、
「心配だよね」と言って一緒に心配してください。
心配することは不信仰だなんて思わないでください。

手術や治療の不安を抱いているときは、祈ってください。
どんなときでも主が共にいて下さることを確信させてください。

死への恐怖があるときは、天国について語ってください。
天国について書かれている聖書の箇所を読んで、希望を思い起こさせてください。


「また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:3-4)」
つづく


がん患者としての心境(その7)

2010-05-11 19:44:32 | 乳癌
ここ数日PCでの作業が続いていました。やっと一段落してホッとしています。
22日に持って行くJCPのエッセイがまだ書けていないので気になりつつ、ブログを書いています。

がん患者としての心境についての続きを書きます。


がんを克服したということがよく言われますが、わたしは疑問に思います。がんを自分の力で克服できる人がいるのでしょうか? 術後の治療のつらい副作用に耐えて元気になった人を克服したというのでしょうけれど、治療を受けても効果のない場合や、体力がなくて治療が受けられない場合もありますから、がんは自分の力で克服できるものではないと思います。

どんなに生きたいと願って、気力があっても生きられない場合があります。すべては、いのちを握っておられる神様におまかせするしかありません。
わたしは、リンパ転移について調べたとき、自分は5年以内に死んでしまうのだと思いました。

どうしても死にたくないと思っていたとき、苦しくてたまりませんでした。でも、いのちを神さまにゆだねたとき、心から安らぐことができました。
「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。(ピリピ1:21)」
と聖書に書かれていますが、そのような心境になったとき、恐れから解放されました。

なぜ「死ぬことも益」と思えるの?
と疑問に思われる方もおられるでしょう。ちょうど先日の礼拝メッセージで語られたことがその答えになると思います。メッセージの一部を紹介します。


最初のアダムは土から造られたので、人間の肉体は死んだら土に帰ります。
わたしたちの体は朽ちていきます。肉体は弱く、病と闘っている人は常に悩みがあります。
最後のアダム(イエス・キリスト)は、人をよみがえらせる者となりました。
キリストを信じる者には永遠の命が与えられる。朽ちない体に変えられる。という約束が与えられています。
ローマ8:18には、「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」
と書かれています。


子どものころから病に苦しんでいたわたしは、この体が別のものに変えられたらいいのに・・・と願いました。そんなことできるはずがないと思いましたが、将来朽ちない体、痛まない体、苦しくない体に変えられると約束されていることを知りました。なんと嬉しいことでしょう!

今、肉体的につらいことがあっても、新しい体をいただいたときには、この苦しみをすっかり忘れてしまうことでしょう。取るに足らない苦しみなのです。

もし、いま死が訪れたとしても、肉体の死であって、魂は死にません。新しい体をいただけるのですから「死ぬことも益」といえるのです。


つづく

*日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。




がん患者としての心境(その6)

2010-05-07 13:38:15 | 乳癌
「友人ががんになったんだけど、何て言葉をかけたらいいかわからなくて…」という相談を受けたことがあります。今日は、がん患者として言われたい言葉、傷ついた言葉について書きます。


「太ったね」「やせたね」と言われると不安になります。健康な時なら「やせたね」と言われたら嬉しいのですが、がんになってからは、やせるということは再発か転移しているのでは?と思ってしまうのです。
逆に「太ったね」と言われると、薬の副作用だと思います。副作用でこれからどんどん体重が増えていったらどうしよう・・・と不安になります。


『大丈夫』というのは、わたしの好きな言葉です。でも、何の根拠もなしに大丈夫と言われると、簡単に言わないでほしいと思ってしまいます。
「知り合いに乳がんの人が何人もいるけれど、みんな再発もせず元気よ。だからあなたも大丈夫」と言われると複雑な気持ちになります。
その人たちはどういう種類の乳がんで、ステージはいくつで、リンパ転移はあったの?と尋ねると、知らないと答えます。

乳がんといっても色々な種類があり、進行状態も違います。そのことを知らずに安易に大丈夫と言われても納得できないのです。
また、腫れものにさわるように接し、がんのことや死という言葉を避ける人もいますが、わたしはふつうにがんや死という言葉を使ってくれた方がいいです。
(自分ががんであることを受け入れられない人の場合は異なると思います)

がんは確かに死亡率の高い病気かもしれませんが、特別な病気ではないと考えています。当然、告知は当たり前と思っています。もし、がんということを隠して治療が始まったら、納得がいかないでしょう。がんだからこそ、しっかり治療を受けなくてはと思うのです。


三浦綾子さんの言葉を紹介します。


がんだと言われたときはほんとうにショックで泣いた人も、みんながんの現実に慣れてゆきます。落ち着いてゆきます。がんの告知のショックでどうにもならなくて、自殺したという人をわたしは知りません。「永遠のことば」三浦綾子(主婦の友社)より


わたしは、母を土浦の老人ホームに入ってもらいたいと考えていました。でも、わたしのがんが再発して母より早く死んでしまったら、母に寂しい想いをさせてしまう・・・と思ってためらっていました。

そのことを牧師先生に話すと、「もし早く死んだとしても、お母さんは教会の交わりの中で守られるから大丈夫」と答えて下さいました。

母より先に死んでしまう不安を否定せず、そういう可能性があっても大丈夫と言ってくださったので、心から安心しました。

                  つづく

がん患者としての心境(その5)

2010-04-28 16:50:26 | 乳癌

今日は大雨の中、歩いて水曜礼拝にいってきました。昨日は教会で家庭集会懇談会があり、その疲れが残っていて、朝は体調がよくありませんでした。お休みしようかと迷ったのですが、少し横になると元気回復したので、行くことにしました。健康は神様からのギフトですから、体力があるのなら行かなくては・・・と思いました。

そして、すばらしい恵みをいただいたのですが、今日のことは後日書くことにします。
今日は、がん患者の精神的ケアーについて書かせていただきます。


術後ちょっとした体調の変化に敏感になりました。乳癌は、転移するとしたら、骨、肝臓、肺、脳が多いのだそうです。わたしの通う病院では肝臓と肺は定期的に検査しますが、脳のMRI検査はしません。

頭痛がすると、いつも同じ場所が痛いような気がして、脳転移ではないかと心配になります。疲れがなかなかとれなかったり、体がだるかったりすると、肝臓転移を疑います。

周囲の人に言うと、「ちょっと具合が悪いだけで転移だなんて・・・」と笑います。
わたしも癌になる前は、癌の手術をした人が再発転移を気にしているのをみて、何て心配性なんだろうと思いました。

でも、癌になった人のほとんどが、多少なりとも再発転移を恐れるのではないでしょうか。初期で90%再発転移しないと言われても、可能性がいくらかでもあればやはり気になります。

とにかく心配し始めると、考えはどんどん悪い方に向かってしまいます。そして、落ち込み、自分ではどうしようもなくなってしまうのです。


病院の待合室で周りの人に「どこが悪いのですか?」と尋ねて歩いている人がいました。わたしも尋ねられてあいまいな返事をすると、「この場所で待っているということは、あなたも癌なんでしょう」と詰め寄られ、いやだなあと思いながら「はい。乳癌です」と返事をしました。

するとその人は「わたしもです。明後日手術なんです」といって泣き出してしまいました。不安でたまらない様子をみて、一瞬でも不快に思ったことを恥じました。
「きっと大丈夫ですよ。わたしも手術を受けたけれど元気になりましたから」と言いました。

病院内でカウンセリングが受けられるといいのにと思いました。(実際カウンセリングを行っている病院があります)心配なこと、不安な気持ちすべてを聞いてくれるところがあれば、どれだけ落ち着くことでしょう。

診察の時間が限られているので、医師とはゆっくり話す時間がありませんからね。
精神的ケアーは必要です。

心の持ちかたが癌という病気にどのような影響をもたらすかわかりません。心はデーター化することができませんからね。でも、心と体は切り離して考えられません。精神的なものが病気と関連していることは確かです。


わたしの通う病院ではカウンセリングは受けられませんが、わたしは聖書の神様によってカウンセリングを受けています。

イエス・キリストは最高のカウンセラーです。

聖書の言葉

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(Ⅱコリント1:4)

          つづく

がん患者としての心境(その4)

2010-04-20 13:17:28 | 乳癌

18日は、朝9時に家を出て、CS(教会学校)での奏楽奉仕から始まって、分級を担当し、礼拝を受けてから5分で昼食をとり、賛美練習。
その後、CS父母懇談会。教師会。教師研修会と続き・・・17時~18時夕食をとって19時半まで研修。ハードスケジュールでした。

実り多い、恵みあふれる一日でしたが、わたしにとって体力的にかなりきつかったです。でも、神様は必要な体力も与えて下さって、翌日の午前中休んだだけで体調を整えて下さいました。

一昨日の我が家の夕食はお弁当にしましたが、教会の用事で夕食がお弁当になっても「おいしいお弁当だったよ」とニコニコして言ってくれる主人に感謝です。(以前は、こんなときは機嫌を悪くしていましたので・・・)


がん患者としての心境。今日は内視鏡検査について書きます。

胃カメラを飲んだのは今までに2回あります。1回目は10年以上前、何週間も胃の痛みが続いたので検査を受けることになりました。初めてだったので恐ろしかったのですが、モニターを見ながら入れていただき、リラックスしたほうが苦痛が少ないと言われたせいかそれほどつらくありませんでした。結果は多発性ポリープでした。

2回目が乳癌で入院した時、手術前に胃の検査を受けました。11時に検査の予定だったのですが、緊急手術が入ったため待たされ、呼ばれたのは午後4時でした。朝から飲まず食わずでいたので胃液がたくさん出てきてしまい、そのことでしかられました。何でしかられるのかわからず、モニターも見せてもらえず無理やりという感じだったので、涙がポロポロ出てきました。
今は鼻からもっと楽に検査する方法があるそうですね。


内視鏡検査の時は、医師や看護師からのちょっとした励ましや慰めの言葉があるとずいぶん違います。
友人は、胃カメラを入れるとき、看護師に手を握ってもらったことが嬉しかったと言っていました。手を握られるとかえって力が入ってしまう場合は、肩や背中などちょっと触れてもらえると安心ですね。

医師や看護師は毎日のことで慣れているでしょうが、患者としては体の中に異物を入れられることが恐ろしいのです。何回目であっても・・・。

わたしはまだ大腸の内視鏡検査を受けたことがありませんが、友人の話を聞きました。
大腸の検査を受けた友人は、待っている間にどのような検査か説明のDVDを見たことが不安を少なくしたと言っていました。看護師と緊張がほぐれるような会話をし、「ガス出していいんだよ」と言ってもらえたので、楽に検査が受けられたそうです。


ちょっとした思いやり、患者への愛が、病む人にとってどれだけ大きな励ましとなることでしょう。

聖書の言葉

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。(Ⅰヨハネ4:7)」


              つづく (*書き忘れていましたが、まだ続きます)

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