生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ごぶさたしていました

2008-11-30 21:52:11 | 日記

ようやくパソコンがもどってきました。買ってまだ半年しかたっていないのに、また頻繁にフリーズするようになりました。購入店に電話すると、メーカーに送って調べてみましょうと19日に引き取りに来てくれました。その折、いつ、どのようなときにフリーズしたのか詳しく書いたメモを渡しました。

ところが調べた結果、異常なしとのことでした。それでも10日もかかって、そのままの状態でもどってきました。
フリーズの原因がわからず問題は解決していないので、すっきりしませんが、PCのない期間に色々なことを考えさせられました。

また、後日書きますね。とにかく、ブログ再開できたこと、感謝です。今日は報告まで。

パソコン騒動

2008-11-19 21:43:53 | 日記
ついこの間、親しくしていただいている希望の風さんのパソコンが壊れたことを知り、お気の毒に・・・と思っていたら、わたしのパソコンも明日修理に出すことになりました。

わたしのPCは今年の4月に買ったばかりです。6月ごろからよくフリーズを起こすようになりました。ネットの接続不具合かもしれないと思い、テクニカルサポートセンターに何度も電話し、指示通り設定を変えたり、いろいろためしてみましたが、原因はわからずじまいでした。

その後、数か月間は安定していたので安心していたら、最近また頻繁にフリーズが起こるようになりました。これはパソコン本体の問題だと思い、購入店に電話しました。

保証期間内なので新しいものと変えてもらいたいくらいですが、もうこの機種は古く、製造されていないとのこと。4月の時点では最新の機種だったのに……。

とにかく直って、データーが消えなければいいのですが……。バックアップをとっている間にもフリーズしてうまくいきません。明日までになんとかバックアップをとらなければ……。

というわけで、ブログがしばらく更新できませんが、よろしくお願いします。お祈りください。

コメント受付停止します。


いじめにあわない方法?

2008-11-18 11:59:27 | 日記

『どこの職場でもいじめはあると聞きます。いじめにあわないようにするには、どうしたらいいですか?』

以前職場でいじめにあって、社会に出ていくことに恐怖を感じている方から質問のお便りをいただきました。その返事の一部を紹介させていただきます。


職場で働くことに対して恐れを抱いているのですね。以前働いた時、いじめられたと書いていましたが、そのときのことが思い出されるのでしょう。
心の傷がまだ癒されてないのですね。わかりますよ。わたしもたまに昔いじめられたつらいことを思い出すと、心がズキズキ痛みます。
たしかにどんな職場でもイジメはあるようですね。いじめのない職場に勤めたいと願っても、中に入ってみないと人間関係はわかりませんよね。
 
職場でいじめられない方法……というかマニュアル的なものはありませんが、わたしの経験から言うと、まず、余計なことは言わない。なるたけ人の話にあわせるけれど、誰かの悪口を言っているときは、同調しない。人が嫌がる仕事をすすんでする。……などでしょうか。

そのようにしていてもあなただけ集中していじめられ、解決法がみつからないときは、職場をやめて別の職場を探すほうがよいでしょう。この場合は自分が悪いのではないので自分を責めないことです。そして、いじめた人を恨まないことです。その人は、おそらく心に傷を持っている寂しい人なのだと思います。  

いじめる人は、とげのついた棒をふりまわしているようなものです。人を傷つけ、それで自分自身も傷ついているのです。

また、ひどいことを言われたときは、言ったその人が、かたよった見方をしているだけで、事実ではないと思うことが大切です。

たとえば、「あんた、アホやね」と言われた場合、本当にアホなのではく、その人がそう感じただけなのです。たとえアホなところがあったとしてもそれがすべてではなく、賢い部分もあるのです。

「あんたは、だめな人間や」と言われても、その通りだと思わないでください。本当にだめな人間などいないからです。誰もあなたの全人格を否定することはできません。
たとえ、ひどい罵声をあびたとしても、あなたの人格が損なわれることはないのです。

よく、「みんな言ってる」と言う人がいますね。もし、「あんたのこと変な人だとみんな言ってる」と誰かが言ったとしても、それは本当だと思わないでください。『みんな』というのは、職場の人全員という意味ではないでしょう。自分に同意を示す人がひとりでもいれば、『みんな』と言うのです。

あなたは、神様から造られた尊い人です。神様はあなたを目的を持って造られ、大切に思っておられます。たとい友達が離れて行っても、イエス様はいつもあなたと一緒におられます。


わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
(イザヤ書43:4)
わたしは、決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(へブル13:5)

と聖書に書かれているようにあなたは尊くて愛されている存在であること覚えていてください。このことがはっきりしていれば、誰に何を言われても動揺することがありません。いじめられても落ち込みません。



と偉そうなことを書きましたが、以前わたしは人からちょっと責められただけで落ち込み、食事ものどに通らなくなってしまったことがありました。わたしの悪かった部分を指摘されただけのですが、わたしは全人格を否定されたように受け止め、鬱状態になってしまったのです。

ヘンリ・ナーウェンの本「いま、ここに生きる」(あめんどう)を読んでを読んで立ち直ったのですが、あのままなら心の病気になっていたでしょう。

わたしはアイデンティティーが確立してなかったのです。「自分は何者か」がわかっていなかったのです。

いじめられても、人に何を言われても、自分は神様から愛されている尊い存在なのだということを覚えていればだいじょうぶです。



以前にも似たようなことを書いたと思って調べてみたら、2007年12月22日に書いています。(左のバックナンバーの欄から2007年12月をクリックし、カレンダーが出たら22日をクリックしてみてください)

ヘンリ・ナーウェンの本の内容の一部も紹介していますので、こちらの方もお読みください。

日帰りバスツアーの旅(その3)富弘美術館

2008-11-15 09:15:02 | 日記

美術館を出たところに銀色の豆の形をしたモニュメントがありました。


「土の中の豆」という題で次のように書かれていました。


豆の上の棒は地表面を表しています。
・忍耐して待ち失望してはならない。
・時がくくると芽を出し、葉、更に花を咲かせ
多くの実を結ぶことができる。
・苦しみの中に必ず希望の光、新しい命が芽生える。
といったことを象徴させたものです。


そして、聖書の言葉が綴られていました。


わたしはあなたのみおしえを喜んでいます。
苦しみに会ったことは わたしにとって幸せでした。(詩篇119:70.71)



富弘さんが首から下が麻痺してしまったことを知ったとき、どんなにショックを受けたことでしょう。そして癒されることを切に願ったことでしょう。ても、その願いはかなえられませんでした。

その富弘さんが「苦しみに会ったことが幸せだ」と思っておられるのです。もし、事故に遭わなければ、キリストに出会わなかったかもしれません。口に筆をくわえて絵を描くこともなかったでしょう。このようなかたちで用いてくださる神様の業(わざ)を思うと、本当に不思議ですね。富弘さんは、不自由な身体になっても生きていることを喜んでおられます。そのことが次の詩にあらわれていますね。
下記の詩は詩画集「花よりも小さく」に掲載されているものです。


生きているから

痛みを感じるのは
生きているから
悩みがあるのは
生きているから
傷つくのは
生きているから
私は今
かなり生きているぞ

私のいのち

ありがとう
私のいのち
こんなに生きられるなんて
思わなかったよ
今、二十一世紀
春!


乳がんの手術を終えて家に帰って来たとき、チューリップの花の絵に添えられている「私のいのち」の詩を読んでボロボロと涙をこぼしたことを思い出しました。

義父母へのプレゼント用に「花よりも小さく」を買い求め、美術館をあとにして、バスツアーの旅は帰路につきました。
         
おわり

日帰りバスツアーの旅(その2)

2008-11-13 13:22:40 | 日記

神戸(ごうど)駅から富弘美術館まではすぐでした。ここではたっぷり時間があったのでゆっくり見ることができました。駐車場には観光バスが何台もとまって、大勢の人が訪れていました。上の写真は、美術館の裏側から撮った写真です。

前回訪れたときから建て替えられていて、作品がとても見やすくなっていました。星野富弘さんのことはご存知の方が多いと思いますが、ご存じない方のために簡単に紹介させていただきます。


星野富弘さんは大学を卒業後、中学校の教諭になりますが、クラブ活動の指導中に頸椎を損傷して、首から下が麻痺して動かなくなってします。病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を描き始め、その後洗礼を受けてクリスチャンになります。

写真は、美術館入口横

口にくわえた筆でていねいに描かれた原画をみて、胸が熱くなりました。この一枚の絵を描くのにどれだけ大変な思いをされたのでしょう。それより、事故にあってから、絵を描くまでに至る苦しみを思うと、涙があふれそうになります。
また添えられている詩が心を打ちます。さりげない言葉が心にしみ入ります。

一緒に行った友人の一人は、富弘美術館に行き、絵に感動してクリスチャンになったのです。
ガクアジサイの絵に惹かれじっと見ていると、美術館にいた人が、「星野富弘さんはキリスト信仰をもって描かれたのですよ」と教えて下さり、聖書を読み、教会へ行くようになったとか。神様が富弘さんの絵を通して友人の心に働きかけて下さったのでしょう。

写真は、美術館裏の草木湖

絵を見ている人たちが「この人は何だかの信仰を持ってるって言ってたっぺ」「何の信仰だっぺか?」と話していました。(だっぺというのは茨城弁です)
『それはキリスト教ですよ!』と教えてあげたい気持ちでした。

でも、順路の最後の方に聖書の言葉が書かれていたので、きっと気づいてくれたでしょう。

美術館内では、立ち止まって富弘さんの言葉を書き写している人の姿がありました。わたしも書き写してきました。富弘さんの本にも書かれている言葉かもしれません。

2つの文章を紹介します


たったいちどしかない自分の人生ですから
社会がどうあろうと、人が何と言おうと
そんなにひるむことなく
大切な自分の人生を志を持って進んでいけたらいい


いのちというのは自分だけのものじゃなくて 
だれかのために使えてこそほんとうのいのちではないかと思いました

            つづく

日帰りバスツアーの旅(その1)

2008-11-12 16:17:16 | 日記

昨日、友人と群馬県の渡良瀬渓谷と富弘美術館にバスツアーで行ってきました。
朝、7時20分に土浦駅を出発して、帰ったのは午後9時。強行軍でしたが、楽しい旅になりました。さすがに疲れてのども痛くなってきたので、今日は祈祷会お休みしました。

富弘美術館へ行くのは2回目です。9年前に当時めぐみ教会の女性伝道師だったM先生に車で連れて行ってもらったのが最初です。M先生は翌年の春に愛知県の教会へ転任しましたが、関東を離れる前に富弘美術館を訪れたいと思われたのでしょう。

土浦から富弘美術館へ行くには片道3時間半もかかります。ひとりが運転して一日で往復するのはとても大変だったと思うのですが、M先生はなぜか運転のできないわたしを誘ってくれました。そのときも秋でしたが、まだ紅葉は始まっていませんでした。

今回は、紅葉がきれいでした。少し時期が早かったのか、渓谷のもみじは色鮮やかというわけではありませんでしたが、富弘美術館のもみじは真っ赤に色づいていました。

桐生に着く前に事故の影響による渋滞にまきこまれ、大幅に遅れてしまいました。桐生でうどんと蕎麦の食べ放題の昼食でしたが、30分しか時間がなくて味わう余裕もなく急いで黙々といただきました。

渡良瀬渓谷ぞいの遊歩道散策も時間が短縮されてしまったので、急ぎ足で歩かなければなりませんでした。はねつき橋を渡って沢に降りていきました。ひんやりと澄んだ空気に心が洗われるような気がしました。

このあたりの地名は、みどり市大間々(おおまま)町です。大間々という名前を見て母のことを思いました。

母はわたしの長男が生まれたとき、おばあちゃんと呼ばせずに「オーママ」と呼ばせたいと言って、長男が一歳にならないうちから、自分の鼻の頭をさして「オーママよ、オーママ」と言って聞かせていました。息子は、鼻のことをオーママだと思ってしまって、「顔にあるものは?」と聞くと「お口、お目め、オーママ」と答えていました。
ヒックンに鼻をユコチャンだと思われないようにしなければ……。

散策のあと、大間々駅から渡良瀬鉄道に乗りました。電車は2両しかなく、満員で、景色のよい右側の席に座ることができませんでした。立っている人も大勢いました。わたしは疲れていたので、左側の席にどっかり腰をおろしてしまったため、車中から渓谷の景色を眺めることができませんでした。

下車駅は神戸という駅です。こうべではなくごうどと読みます。駅名といい、阪急電車のような色といい、関西を思い出しました。

つづく

寒いのに暑い

2008-11-10 13:54:48 | 日記

寒くなってきました。冷え性のわたしは寒いのが苦手です。薄着してちょっと背中がぞくぞくすると、たちまち風邪をひいてしまうので、何枚も重ね着します。わたしが寒がりなのは、たぶん子どものとき厚着をさせられたせいです。

2歳の時、肺炎で死の淵をただよいました。熱がなかったので、病院へ連れて行くのが遅くなったそうです。無熱性肺炎で、病院へ連れて行くといきなり「今夜が峠です」と言われたそうです。そのことを聞いた母はどれだけショックだったでしょう……。でも、わたしは生きました。いや、生かされました。
その後、わたしが風邪をひくと母は心配でならなかったと言いました。コホンと咳するたびに一枚ずつ服を重ね着し、足が冷たいからと靴下をはいて寝たため、今でも厚着しなければすぐ風邪をひき、靴下を履かなければ眠れません。冬はアンカをふたつ使っています。

寒ければしっかり寒さ対策をすればいいのですが、最近は困ったことが起きています。
薬(ノルバテックス)の副作用プラス更年期で寒い日でもホットフラッシュが頻繁に起きます。寒いからと一枚羽織ると、暑くなって汗びっしょりになります。一日で何回も脱いだり着たりしています。今日は暖かい日なのか寒い日なのかわからなくなってきます。
外出先で汗をかくと、着がえができないので、汗が冷えて風邪をひくこともあります。

夜になると足先が氷のように冷たいのに、熱があるように顔がほてり、寝汗をかくので夜中にパジャマを着替えなければならないこともあります。

それでも、これしきのことは、具合が悪いうちには入りません。よく眠れるのです。(何回もトイレに起きたり、汗をかいて目が覚めますが、すぐに眠れます)
体のどこかが痛くても、息が苦しくても、深刻な悩み事があっても眠れないのですから、眠れることが感謝です。


今日、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHPhttp://jcp.daa.jp/更新しました。モンゴメリのクリスマスの詩とクリスマスのエッセイをアップしました。エッセイの最後はわたしが書いた作品です。ご覧ください。



子どもたちに伝えたいこと

2008-11-09 17:39:50 | 教会

教会のすぐ東に大きな建物の建設が始まりました。イオンができるのです。(写真、教会の向こうのグレーの建物)畑の中にあって自然に恵まれた静かな環境の教会だったのに、騒々しくなりそうです。

今まで近くにスーパーがなかったので、「便利になる」と喜んでいる人。周辺の道路が混んで礼拝に行くのに大変になるのでは?と心配する人とさまざまです。

わたしは、 バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」を思い浮かべています。田舎にあったちいさいおうちのまわりにビルが建って、まわりがすっかり都会になってしまいます。ちいさいおうちは田舎に引っ越ししてまた静かに過ごすというお話です。

でも、めぐみ教会は移転しません。近くに大型スーパーができるということは、大勢の人が教会の近くにやってくるということです。その中で教会に足を向ける人がひとりでも起こされればいいなあと願っています。


今日は幼児祝福礼拝でした。
今を生きる若者にアンケートをとったら、自分が愛されていると思っていない人が大勢いることがわかったそうです。どうせ自分なんか…と思い、自分が大切だと思っていない人が多いそうです。

かつてのわたしもそうでしたが、自分が神様から造られた尊い存在だということを知らないと、自分を大切にしなくなります。自分を大切にしない人は、ほかの人を大切にすることができません。

最近大麻事件が連続して起きていますが、どうせ、自分なんかどうなってもいいんだと思って自堕落になっていく人が増えてきている証拠のようで心が痛みます。


礼拝では子どもに関して聖書が教える3つの視点を教えていただきました。

1)子どもは創造者からゆだねられた命です。
 
自分の産んだ子どもは自分のものだと言って、親が子どもを自分の意のままにしようとするケースがありますが、子どもは親の所有物ではありませんね。神様によってひとつの命が造られ、その命が家族にゆだねられたと思うと、わたしは子どもが尊い宝物のように感じます。

日本中の子どもたちに「あなたは、神様により造られたかけがえのない命なのだよ」と教えたいです。


2)子どもを育てることがわたしたちの素晴らしい特権です。


子どもが、子どもでいる期間は短く、限られています。子どもと共に過ごす時間は素晴らしい時間です。

わたしはふたりの子どもの子育てが終わりましたが、教会学校の子供たちがいます。孫がいます。自分の子どもを育てているときは余裕がなく、イライラして感情でしかってしまったり、子育てから早く解放されたいと思ったこともありましたが、今は子どもたちと過ごす時間が貴重な時間となっています。


3)富は神様からゆだねられています。


「世界がもし百人の村だったら」の詩が紹介されました。(以前もこのブログで紹介しましたが再度紹介します)


世界がもし百人の村だったらその村には・・・

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
 8人のアフリカ人がいます

52人が女性です
48人が男性です

6人が全世界の富の59%を所有し、
その6人ともがアメリカ国籍
80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません

50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人はいま、生まれようとしています

1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・
あなたは世界の75%の人達より裕福で恵まれています。


もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・
あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちの一人です。


「わたしたちは、世界でほんのひとにぎりの裕福な10人の中のひとりに入っている。そのことを子どもたちに伝えなければならない」と牧師先生が言われました。

ハイジに教えられたこと(その2)

2008-11-07 12:45:39 | 読書

タイトルを「ハイジ」から「ハイジに教えられたこと」に変更しました。
ハイジを読んで、彼女は小さなカウンセラーだと思いました。

ハイジはアルムの山に帰りたい気持ちを抑えていため、心の病にかかってしまいます。
夜中に徘徊するハイジを目撃した医者は、ハイジをすぐにスイスに帰すようにゼーマン氏にすすめます。

スイスに戻ったハイジはすっかり元気になります。
フランクフルトで字を覚えたので、ペーターの盲目のおばあさんに聖書や賛美歌を読んで聞かせ、おばあさんに喜びをもたらします。娘を亡くして失意のどん底にいた医者にも聖書を読んで聞かせ、希望を与えます。
ハイジがおばあさんに読んだ『お日さまの歌』を紹介します。


金色の太陽は よろこび さいわいにみち かがやきながら
わたしたちにもたらす さわやかな心なごむひかりを
 
うちひしがれて地にあった わたしの頭(かしら) 手足
けれども いまは立ち上がり 面(おも)あげて
はれやかにほがらかに 天をあおぐ
 
わたしの眼はあおぎみる ほまれある神のみわざを
み力の強さ 大きさを 告げ知らせるために
神のなされたもうた もろもろのみわざを
 
神のみわざは しめす ただしきものの行く手を
はかないこの世をあとに いつの日か
心やすらかに おもむくべきところを
 
すべてはうつろう ただ神だけは ゆるぎなくおわします
みことば み声 みこころは とわのいしずえにもとづく
 
みすくい みめぐみは かけることなく
たえがたい この胸の痛みをいやし
あらゆるなやみから まもりたもう
 
十字架も 苦しみも いつかはおわる
さかまく波も あらしも すぎさって
待ちのぞんだ太陽が照りかがやく
 
あふれるよろこびと きよらかな静けさは
天の園生(そのう)でこそ もたらされるであろう
あこがれのその地へ 心はいそぐ


聖書を読むだけでなく、優しい心でひとりひとりの心を癒していきます。おじいさんも、クララも癒されていきます。ハイジは心の病にかかるほどのつらい経験をしましたが、そのことがあったからこそ、癒しをもたらすことができるのだと思いました。

罪を犯したペーターに対しては、母親のように諭します。
また、「何か欲しいものはないか?」と聞かれたとき、ハイジはフランクフルトで使っていた3つ重なった枕のあるベッドと答えます。ペーターのおばあさんにあげたいと思う心からでした。

自分のためには何一つ望ます、相手の幸せを願うハイジ。
ハイジからは主の愛が川のように流れ出ているような気がしました。


おわり

ハイジに教えられたこと(その1)

2008-11-05 17:40:25 | 読書

昨日はクリスチャン・ペンクラブ童話とエッセイの会、『小さな集い』で御茶ノ水クリスチャンセンターへ出かけました。「虹」というテーマで童話やエッセイを書き、合評会をしました。原稿は前もって参加メンバーに送っておきます。昨日は、7人集まったのですが、余裕があったのでたっぷり時間がとれました。

この『小さな集い』は始まって3年くらいになります。は今まで「机」「雨」「海」「鍵」「クリスマス」「壁」などのテーマで短編童話やエッセイを書いてきています。

もちろんクリスチャン・ペンクラブですから、信仰の証し文学です。

クリスチャンでテーマも同じなら皆同じ様な作品になるのでは?と思いきや、出来上がった物は、それぞれの個性が生かされて全く違う作品になっています。
みなさんの作品を読ませていただけるのは大きな喜びです。

実は、わたしはテーマを決めて書くということが苦手です。
でも、決まりがあったからこそ生まれる作品もあるわけで、今回は自分でも珍しい作品が生まれたとびっくりしています。主人公は動物のチーター。時代は紀元前3000年から2500年ごろです。
提出した作品はもういちど推敲して後日掲載させていただきます。


昨日往復の車中で「ハイジ」(ヨハンナ・スピリ作 矢川澄子訳 福音館書店)を読みました。子どもむけの大判の本で電車で広げるには少しためらいがあったのですが、図書館での返却期限が迫っていましたので、堂々(?)と広げて読みました。

「ハイジ」は、テレビアニメで人気がでたので、そのストーリーは多くの人が知っているでしょう。わたしも「アルプスの少女ハイジ」のアニメが大好きで毎週見ていました。

アニメでは、キリスト教信仰の部分をカットしていますが、原作を読むと、作者が信仰を伝えたくて書いたのだということがよくわかります。

フランクフルトに連れていかれたハイジは、アルムの山が恋しくて元気がなくなっていきます。クララのおばあさまから、お祈りをするように言われ、ハイジは山に帰れるように毎日祈ります。ところがその願いがかなえられないので、ハイジは祈ることをやめてしまうのです。

そんなハイジにおばあさんは言います。

「何でも自分の願いどおりになると思ったら大まちがいよ。いいこと、神様はわたしたちみんなのお父さまで、何がわたしたちのためになるか、ちゃんとごぞんじなのよ。お願いしったって、それがわたしたちのためにならないことなら、かなえてはくださらないの。でも、だからといってすぐに逃げ出したり、神様にあいそづかししたりせずに、心からお祈りすることをつづけていれば、きっといいこともさずけてくださるのよ。……」

ハイジはおばあさんの言葉に素直に従って、再び祈り続けます。

後に山に帰ってから、クララがハイジの山小屋にやってきたとき、ハイジはクララにこんなセリフを言っています。


「神様って、あたしたちがいくらお祈りをしてもそれよりずっといいことをごぞんじのときは、決して聞き届けてくださらないけれど、でも、やっぱりそれはいいことなのね」


ハイジは、フランクフルトで家に帰らせて下さいと祈ったとき、それがすぐにかなえられていたらクララがここにくることはなかったのだということを思っています。
それに対してクララは、それならお祈りする必要がないのでは?と疑問を抱きます。

ハイジは「どんなことでも神様にお祈りしなければだめなのよ。だって、何もかも神様のおかげだということをわたしたちが忘れずにいるってことを神様にわっかっていただかなければ……」と答えます。

ハイジに教えられました。

聖書の言葉

神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
    
        つづく

王子の涙

2008-11-03 09:54:22 | CS(子供伝道)

昨日はヒックンママの運転でヒックンと3人で教会へ行きました。ヒックンが1・2歳クラスに出るのは5~6回目ですが、大人の礼拝のとき母子室に行ったのは初めてです。

わたしも一緒に三階の母子室に行きました。姪が2歳くらいのころ母子室で礼拝をささげたことがありましたが、それは10年以上前のことです。久しぶりに母子室に入って、乳幼児連れの方が多いのにびっくりしました。

母子室はガラス張りになっていて礼拝堂を上から見下ろす感じです。音声はよく聞こえ、泣き声やこちらからの声は聞こえないので気兼ねなく礼拝を守ることができます。

昨日は召天者記念礼拝でスクリーンに父の写真も映し出されましたが、泣きたいような思いにはならず、「お父さん、あなたのひ孫がここにいますよ」と語りかけました。

ヒックンはおもちゃで遊んでいましたが、途中で退屈してママに抱かれて外をながめていました。(眠くなってきて、ママじゃないとダメでした)
メッセージは集中して聴けませんでしたが、ヒックンママ、ヒックンと一緒に母子室に行けたことが嬉しくて心から感謝しました。


題名に「涙」が続いたのでもうひとつ「涙」のタイトルで書かせていただいています。
教会学校では先月26日からクリスマス会に向けて準備がスタートしています。例年は学年ごとの分級で何をやりたいか子供たちと話し合い、合奏や劇などを練習し、クリスマス会に備えていました。

今年は、学年の枠を取り払って、合奏、合唱、劇、ドラマ、マジック、紙芝居の中から子供たちが各々やりたいことを選んでグループに分かれることになりました。
わたしは紙芝居指導のリーダーなので、お話選びから始まりました。色々悩んだ末、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」をすることにしました。

子供のころ読んだことがありましたが、うろおぼえでした。日本語に翻訳されているものが何種類もありましたので、図書館で借りてきて読み比べ、低学年にもわかる言葉で書き直してみました。
(オスカー・ワイルドは100年以上前に亡くなっていますから、著作権の問題は発生しません。死後50年に満たない方の作品を利用するときは、著作権があるので許可が必要です)


「幸福の王子」を読んで初めて気づいたこと、発見したことがありました。


・ツバメが南の国に帰るのが遅れたわけは、一本の葦に恋をしていたからだったこと。

・王子の心臓は鉛ででいきていたが、焼かれてもとけなかったこと。

・王子はサファイヤの目を悲しんでいる人にふたつともあげてしまい、目が見えなくなってしまったこと。

・南の国に帰ることばかり考えていたツバメは、王子がふたつめの目をも差し出したときから、王子のそばにいようと決心したこと。

・王子は、目がなくなってもツバメの話を聞いて涙を流したこと。

・ツバメにはためらいや葛藤があったけれど、王子にはそれがなかったこと。


王子の姿がイエス・キリストに重なり、ジーンときました。
悲しんでいる人がいれば、自分の身を犠牲にしてまでも助けたいと思う王子。そんな王子に心打たれ、寒さのため死ぬこともいとわなくなったツバメ。

王子がキリストでツバメはクリスチャンのあり方だと思いました。(作者のオスカー・ワイルドがそのつもりで書いたかどうかわかりませんが……。)

王子がいくら心優しくてもツバメがいなければ悲しんでいる人を助けることができませんでした。ツバメに与えられている使命はクリスチャンに与えられている使命です。
ツバメのようになれるでしょうか……。

「幸福の王子」を読んで、わたしたちのために命を捨てて下さったイエス・キリストを深く思いました。

イエス様も涙を流しておられます。マルタとマリヤの兄弟ラザロが死んでしまったとき、イエス様は涙を流されたのです。

「イエスは涙を流された。(ヨハネ11:35)」
は聖書の一節でいちばん短い文章です。

イエス様の涙はどんな色だったのでしょうか?


涙の預言者

2008-11-01 11:28:59 | 聖書から

エレミヤ書を学びました。
エレミヤは涙の預言者と言われています。

ソロモン王の次の代でイスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂します。北イスラエル王国がアッシリヤに滅ぼされてから、南ユダ王国も破滅の道をまっしぐらにすすみます。それは、人々が神様の律法に背いた結果でした。
のちに南ユダ王国はバビロンに滅ぼされ、王は殺され、人々は捕囚となって異国に連れて行かれるのですが、エレミヤはそのことを人々に告げるように神様から言われました。

人々は耳触りのよいことを聞けば喜び、語った人を優遇します。逆にいやなことを聞けば腹を立て、語った人をなじります。

それで、人の気をひくためににせ預言者が嘘を語ります。バビロン捕囚で連れて行かれても2年で解放されると言った預言者もいました。でも、エレミヤは神様から告げられたとおりのきびしいこと(捕囚が70年続くこと)を伝えます。すると人々は怒ってエレミヤを投獄したり、貯水槽に投げ込んだりします。エレミヤ書にはエレミヤの苦悩が書かれています。


主よ。あなたがわたしを惑わしたので、私はあなたに惑わされました。
あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。
私は一日中物笑いとなり、みなが私をあざけります。
私は、語るごとにわめき、「暴虐だ。暴行だ。」と叫ばなければなりません。
私への主のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。
私は「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、
主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。(20章7~9節)

エレミヤの思いを想像してみました。

神様、あなたからいただいた言葉をそのまま語っただけなのに人々にあざけられ、笑いものにされてしまいました。こんな理不尽なことがあるでしょうか。わたしの心はざっくりと裂けたように傷ついています。

わたしはこの国を愛しています。「暴虐だ。暴行だ」などと言いたくありません。もういやです。もう語りたくないです。

でも、語るまいと口をとじたら、あなたの言葉がわたしの骨の中で燃え盛る火のように熱くなりました。わたしは耐えられません。どうして黙っていることができましょう。

わたしは、あなたからの言葉をあますところなく語ります。でも、つらいです。神様、助けて下さい。


エレミヤは、70年の後に捕囚から解放されることも告げていますから、すべてが悪いことではなかったのですが、愛する同胞によいことを告げたかったはずです。でも、神様から託された言葉は厳しい言葉でした。葛藤し、苦しみもだえながらもそれを伝えたエレミヤはどんなに辛かったことでしょう。

でも、神様はエレミヤとともにおられ、守ってくださいました。捕囚として連れて行かれた民も守られました。もし、王国ユダがバビロンでなくアッシリヤに連れていかれたら、あちこちに散らされて民族そのものが消滅したかもしれなかったそうです。

当時の人にとって70年は、とほうもなく長く感じられたでしょう。でも、神様が言われたとおり70年ののちバビロンが滅ぼされて捕囚の民は解放され、エルサレムに帰れるのです。
だからこそ、イスラエル民族のダビデ王の子孫から救い主が生まれるという約束が遂行されたのですね。



今日はこれからまたヒックンが来て泊まります。今日はママと一緒です。明日は教会に一緒に行けるといいなあと思っています。








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