生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

旅日記(その5)

2016-05-26 16:03:10 | 日記
いよいよ旅の最終日になりましたが、実はこれからが旅のクライマックスです。
新潟では咲花温泉街の中にあるホテルに泊まりました。窓から阿賀野川が見えました。


翌朝14日に咲花駅からSLに乗りました。

SLは「ばんえつ物語」という名前です。「物語」とつくのが気に入りました。なぜこのような名前になったかと思って調べると、次のように書かれていました。

磐越西線を走るSLということから「ばんえつ」を、豊かな森と水に育まれた自然と人が触れ合うことで生まれる「物語」と組み合わせて「SLばんえつ物語」号と命名されました
始発は新潟駅です。

自然と人が触れ合うと、物語が生まれる……。確かにそうですね。SLに乗ったひとりひとりにそれぞれの物語があり、人生があります。
辛く悲しい中を通らされてきた人、まだ悲しみの中にいて、悲しみを忘れようと汽車に乗った人、汽車の旅を心から喜んでいる人……。


「ばんえつ物語号」が誕生したのは、昭和21年夏だそうです。
「貴婦人」と称されるこの蒸気機関車は、戦争の傷跡が残る国土を力強く走り抜け、昭和44年秋新津第一小学校にその身を横たえました。
「磐越西線SL定期運行推進協議会」が「SL C57-180号機」を再びこの美しい山河に走らせ、時代を超えた遺産としてよみがえらせたいと考えたそうです。

そして平成11年4月29日、SL「ばんえつ物語号」として貴婦人は力強く復活したと聞きました。そういえば、以前乗った山口号も「貴婦人」という名前だったような……。

わたしは、半年前に天国へ行った母のことを想っていました。ホテルに泊まると、ここに母を連れて来たかったと思い、美味しいご馳走を食べると、母にも食べさせたかった、美しい景色を見ると、母にも見せたかったと思うのです。
でも、引退した汽車が長い年月ののち、人々を乗せて走るようになったことを聞くと、勇気がわいてきます。主人もわたしも引退したようなものですが、ばんえつ物語号に「まだまだ」と言われているような気がしました。


終点まで3時間近く乗りました。各駅停車です。5分以上停車するときは、汽車から降りてあたりの景色をながめたり、写真を撮ったりしました。


途中で給水したり、オイルをつけたりする様子をみることができました。
車窓からSLに向かい手を振る人がたくさんいたことになぜか胸が篤くなりました。


車内でお弁当を買って食べました。雪だるま弁当です。とてもおいしかったです。

とうとう終点近くになりました。どこへ着いたと思われますか?
なんと福島県の会津でした。


会津駅からバスに乗り鶴ヶ城に向かいました。鶴ヶ城の最上階までいくことができて、大満足でした。その日のうちに土浦へ帰ることができて感謝しました。

2泊3日という短い期間に実にたくさんの場所へいくことができました。3日間とも快晴だったこと、体調も整えられたことが、何よりでした。
娘が嫁ぎ、二人暮らしになってから初めての旅行でした。
旅日記、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

おわり


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旅日記(その4)

2016-05-24 16:12:49 | 日記
真夏のように暑くなりました。今日は結婚記念日。35周年です。

旅日記の続きです。

佐渡の宿でゆっくり温泉につかり、翌日はまたホイルジェットに乗って新潟に戻りました。
新潟では「福島潟」を訪れました。福島潟に行きたいと言ったのはわたしです。主人に「新潟で半日過ごすから、好きな観光地を選んで」と言われ、旅行情報誌を見て選びました。ほんとうは、星峠の棚田がよかったのですが、距離がありすぎてやめました。

JR新潟駅から白新線に乗り、約20分で豊栄駅につきます。駅からはタクシーで5分ほどでした。

福島潟は、新潟砂丘により阿賀野川などの河川の流れがさえぎられ、さらに砂丘列の内陸側に徐々に土砂が堆積しできた湖だそうです。
一帯が大きな湿地帯になっていて、昔のままの自然がのこされています。

新潟県なのに福島とは? 名前の由来については、昔、お福さんという庄屋の娘が、かなわぬ恋の末に潟に身を投げたことから、お福さんの潟と呼ぶようになり、そこから福島潟になったという説があると聞きました。
「21世紀に残したい日本の自然100選」に指定されているそうです。



ビュー福島潟です。らせん状になっていて、最上階に展望台がありました。



ビュー福島潟展望台から見た福島潟。

ビュー福島潟でお昼を食べてから福島潟を歩きました。
ひっきりなしに鳴く鳥の声が聞こえ、のどかでした。菜の花は終わり、菖蒲はこれから、というところでした。



福島潟の萱葺き屋根の休憩所です。無料で自由に出入りできます。

主人は「何もないところでつまらなかった」と言いました。「何もないところがよかったと思うよ」とわたし。
何事にも価値観や感じ方が異なるわたしたちです。主人は無口なので、何を考えているのかわからない部分もありますが、35年もたつとお互いに影響を及ぼしあっているような気がします。

そんな主人にどうしてわたしが信仰を持つようになったかを話しました。実は、この旅で信仰の話をたくさんするつもりでしたが、それだけしか話せませんでした。

昔は聞く耳を持たなかった主人でしたが、ちゃんと聞いてくれたことが嬉しかったです。
旅が終わってもまだ時間はあるのですから、あらゆる機会をとらえてあかししていこうと思ったのです。

                      つづく



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旅日記(その3)

2016-05-20 20:08:10 | 日記
上の写真は、マチュピチュ? それともラピュタの天空の城?

正解は佐渡金山浮遊選鉱場跡です。高いところから見下ろすスポットは、知る人が少ないそうで、貴重な写真が撮れました。
この巨大施設は、かつては金の選鉱・精錬をしていた施設です。

1938年に、国を挙げての金の大増産が始まると、この北沢地区に月間7万トンの鉱石処理が可能な「東洋一の浮遊選鉱場」が当時最先端の西洋技術を導入されて作られたそうです。



この写真は、反対方向から写したものです。
第二次世界大戦中に完成しましたが、佐渡の金の採掘量が減り、その数年後には主要生産物が金から銅に切り替わったため、1952年に閉鎖されました。
それかから長い年月の間に苔むし、ツタが絡み、緑に覆われ、古代遺跡のようになりました。
今は栄えている場所もいずれはこのようになるときがくるのだなと思いました。

聖書の言葉「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ:40-8)を思い出しました。


山を真っ二つに切った割った採掘跡「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」江戸時代に金を求めて人力で掘られた採掘跡です。1日に7センチしか掘れなかったそうです。これだけ掘るのに何日かかったのでしょう……。



江戸時代の金の採掘のようすが再現されている金山史跡を見学しました。
炭鉱夫のように日の光が差さないところで働かされた人たちの苦しみが伝わってくるようでした。
      
                          つづく



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旅日記(その2)

2016-05-18 21:33:28 | 日記

尖閣湾へ連れて行っていただきました。

尖閣湾とは、姫津から北狄まで約3㎞の海岸に広がる5つの小湾の総称。ノルウェーの「ハルダンゲル・フィヨルド」の峡尖美に似ていることから、尖閣湾と名付けられたそうです。30m級の尖塔状の断崖が連なっています。


海に白い泡のようなものが浮いていました。波の花というものだそうです。砕けた波が泡となって舞飛び、その泡が再び海岸の岩や枯木の枝に舞い降りて海岸一帯を覆い、花が咲いたようにみえます。
こんなにたくさん見えるのは珍しいとタクシーの運転手さんが言っておられました。

日本海は波が荒いので、このような現象が起こるのですね。
岩も荒波と風に削られて痛みを伴って美しく刻みつけられます。創造主である神様の芸術作品です。
わたちたちも荒波に傷つけられたり、冷たい風に吹かれたりして苦しむことがありますが、それがいつか波の花のように、あるいは彫刻を施された岩のように美しいものとして残るのではないでしょうか。


尖閣揚島遊園には、船底にガラスがはめ込まれたグラスボートが遊覧していました。少し波が高く、ボートは大きく揺れています。
わたしは乗り物酔いしやすいので、どうしようかと迷いましたが、思い切って乗りました。
船からの景色は素晴らしいものでした。船底のガラスを見ると、魚が泳いでいるのが見えました。気分は悪くなりませんでしたが、大きく揺れるので座席にしがみついていました。
                           つづく




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旅日記(その1)

2016-05-17 15:09:05 | 日記
主人と12日から2泊3日でSLの旅に行ってきました。新潟、佐渡、咲花から会津へと短期間で長距離移動しました。

今回は、風邪がぬけきらず、体調があまり良くなかったので気が進まなかったのですが、
佐渡へ行ったら、風邪も治りすっかり元気になりました。

天気は絶好調でしたが、最初からつまずきました。余裕を見て早めに常磐線に乗ったのですが、もうすぐ上野というところで、電気系統の故障があって、電車が止まってしまったのです。品川乗り入れの電車が上野までになった影響で、「電車が込み入っているのでお待ちください」というアナウンスが繰り返し流れ、なかなか動きません。

新幹線の時間が迫ってきます。いつも落ち着いている主人もあせっています。予定の新幹線に乗れないと、予約していた佐渡行の船、ジェットホイルに乗り遅れ、佐渡で14時から頼んでいる観光タクシーもキャンセルしなければならないからです。
わたしは、きっと大丈夫という気がしていたので、祈りながら待っていました。
15分ぐらいして、やっと電車が動き出しました。

ようやく上野駅です。走れば間に合うかもしれないと言って、ふたりで必死に走りました。わたしはキャリーカートを引いていたので、エスカレーターを走り降りることはできませんでした。

それでも、ホームに着いたときちょうど新幹線が入ってきて、なんとか間に合ったのでした。


ジェットホイルはほとんど揺れず、快適でした。時速80キロで走り約1時間で佐渡に着きました。

佐渡に上陸すると、観光タクシーの運転手さんが待ってくれていました。
時間の都合でトキの森公園と金山の2か所を案内していただくことになっていたのですが、「今日は、めったにない、いい天気だから、尖閣湾の方へ行ってみませんか?と運転手さんが言ってくれました。「トキの森公園と金山の見学時間を少し短くすれば、代金そのままで珍しい景色も見せてあげましょう」と言われ、喜んで申し出を受け取りました。


トキの森公園ではトキの親鳥と雛を見ることができました。野生のトキのつがいから、40年ぶりにひなが誕生したそうです。
残念ながらトキの雛の写真が撮れませんでした。フラッシュをたかないでくださいと言われ、カメラで発光禁止の設定がわからなかったからです。カメラを落として壊し、新しいのを買ったばかりだったので使い方がいまひとつわからなくて……残念でした。



この写真はトキの森公園入口の看板です。


いちばん上の写真は、TVの『ナニコレ珍百景』で取り上げられたことで有名になった景色です。岩と岩の間にくさび型の大きな石が挟まっています。その昔「佐渡弁慶」と呼ばれる力持ちが鬼との力比べの際に投げたといわれている岩だそうです。
                          つづく



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「あさっての風」に出会って

2016-05-11 16:22:58 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)では、年に2回ニュースレター「文は信なり」を発行しています。毎回テーマを決め、会員がそのテーマに沿って証し文章を書きます。

今回、34号が発行されました。テーマは読書。「心に残る一冊」です。
JCPのHPからも読めますが、PDFなので開けないという方がいらっしゃるので、わたしの作品を掲載させていただきます。

(3月15日のブログに書いた文章は、以下の文章を書くための準備をしていたときのものです。)



      「あさっての風」に出会って          土筆文香


三浦綾子のエッセー集「あさっての風」に出会ったのは21歳のときだった。この本を読んだことがきっかけでキリストを信じるようになった。

そのころ、わたしは幼稚園に勤めていた。子どもに押し付けるような保育のあり方に疑問を抱き、大きなストレスを抱えていた。

また、家庭では母との関係がよくなかった。母と顔を合わせる時間を短くするため、駅前で夕飯を食べて帰ったりした。それでいて寂しく、何でこんなところでひとりで食事しているのだろうと涙を流していた。

そんなとき立ち寄った本屋でみつけたのが「あさっての風」だった。坪井栄の童話「あしたの風」を思い出し、これも童話だと勘違いして買い求めた。子どもたちにお話をしようと思ったのだ。

童話ではなかったが、読んでいくうちに心が文章にぴったりと寄り添ってきた。作者の三浦綾子はクリスチャンらしいけれど、信仰を押し付けたりしないところが気に入った。

三浦綾子は戦前教師をされていたので、子どもの教育について関心をもっておられた。本の中には「教師にとって必要なものは権威以上のものである。権威以上のもの、それは愛である。愛こそが、相手の胸を打ち、人を育てる。(略)愛を学ぼうとするとき、必ず人間の愛の限界に突きあたるのではないだろうか」と記されており、はっとさせられた。人を愛すると言って、結局愛しているのは自分自身であることに気づかされたのだ。

「あさっての風」のあと、教育をテーマにした小説「積木の箱」を読み、自分の罪に気づいた。そして、苦しくなって教会を訪れたのだ。
そのころのわたしは、すごく高慢でいつも自分が正しいと思っていた。
社会の問題も、職場での問題もすべて人のせいにしていた。そんなわたしが自分の罪に気づいたことは、奇跡としかいいようがない。神様が本を通してわたしの心に触れてくださったのだ。あのとき三浦綾子の本に出会わなければ、わたしはどうなっていたのだろう……。 

三浦綾子が夫の光世氏と共に祈りながら書いたという本。神様は確かに祈りを聞いてくださった。わたしも今、祈りながら書いている。
(「あさっての風」は、現在単行本では発行されておらず、三浦綾子作品集17の中に収録されている)



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不安でたまらなくなるとき

2016-05-09 20:28:56 | 教会





追記あり(5/10)

昨日の母の日に息子夫婦からはフラワーアレンジメント。娘夫婦からはお菓子が送られてきました。

礼拝では、創世記28章10-22からメッセージが語られました。

ヤコブは、父イサクを騙して長子の権利を兄エサウから奪いました。そのため、家にいることができなくなり、叔父ラバンの家へ向かう旅に出ます。
これまで、家族と共に暮らしていたヤコブです。不安と孤独を感じたことでしょう。石を枕に眠ったとき、天から梯子がかけられて、み使いたちが上り下りしている夢を見ました。気が付くとかたわらに神様が立っておられます。ヤコブは神との出会いを経験するのです。


このできごとは、わたしたちにもあてはまります。

「荒野にいるような先の見えない道を歩んでいても神様は共にいてくださり、祝福を与えてくださる」と牧師先生が言われました。

わたしもときどき不安でたまらなくなることがあります。順調なときに、ふと、この先悪いことが起こるのではないか……と、心配になります。
ひとりぼっちで誰も助けてはくれないと思うことがあります。
祈っても状況がすぐに変わらないときは、神様はどうして何もしてくださらないの? とつぶやくことがあります。

そんなときは、
「天からの梯子が届かないところはない」
「神様が、かかわることができない領域はない」

ことを覚えようと思いました。

神様は、生活のあらゆる場面、どのようなところにもおられるのです。

「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。(創世記28:15)」


追記

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。



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連休

2016-05-07 11:21:43 | 日記
久しぶりにブログを書きます。
連休は千客万来。まず、29日に妹。1日は長男一家。3日から長女夫妻が来てくれました。

今回は招くだけではありませんでした。主人と長女の新居に初めて行ったのです。11月に結婚した長女の家に3月から行こうとしていたのですが、なかなか都合が合わず、5月3日にやっと実現しました。

長男の子、ヒックンも行きたいと言って、前々日から家に泊まっていました。2時間半の電車の旅です。乗り物好きなヒックンも途中で退屈したようですが、娘婿のYお兄ちゃんに遊んでもらえることが楽しみでたまらなかったようです。

着いたらもうお昼になっていたので、回転寿司屋さんへ。混んでいたのですが、席を予約していたので待たされずにすんでよかったです。ヒックンは回転寿司屋さんへよく行くようで、慣れていて、おじいちゃんより取り方が上手でした。

長女の家は2LDKのマンションです。まわりは公園が多く、駅からも近く買い物も便利で住みやすそうでした。婿殿が3~4日出張するとき、こちらに帰っておいでとさそっても来なかった訳がわかりました。

ヒックンはテレビゲームのポケモン対戦で遊んでもらって大喜びでした。帰りは車に乗せてもらって皆で土浦へ向かいました。首都高の渋滞を覚悟していたのですが、渋滞はなく、予定通り2時間で到着しました。

4日はヒックンママがナルクンを連れてきて大賑わい。
皆が帰った後、ダウンしてしまいました。(そういえば、お正月のあともダウンしたのでした)

病院からの薬を飲み、ひたすら横になっていたら治ってきました。

今日これから子ども家庭集会の奉仕で出かけます。昨日は行けるかどうかちょっと心配でしたが、ぎりぎりのところで癒していただきました。



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