初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。(ヨハネ1:1-3)
*「ことば」「この方」はイエス・キリストのことです。
先週の祈祷会でこの聖書の箇所を読んで感動して涙が溢れました。そのときは、なぜ感動したのか自分でもよくわかりませんでした。
イエスは、神のことばです。イエスは世界が造られる前からおられたということになります。父なる神とともにイエスがおられたのです。そして、今も後(地球が滅びた後も)もおられます。つまり、永遠なる存在です。
永遠ということを思うとき、わたしの胸は熱くなるのです。わたしが長い間さすらいの旅人のように何かを求めてさまよっていましたが、その答えが「永遠」という言葉の中にあったのです。イエス・キリストを仰ぐとき、永遠の命がいただける。このことを信じたとき、心の空しさは消えてゆきました。
わたしが20代前半のころ、「銀河鉄道999」のアニメ映画が上映されました。映画館は一杯で、立ち見で見たことを覚えています。確か主人公の鉄郎は永遠の命を求めて旅をするのですよね。機械の体に変えて永遠に生きようとする人々。あこがれのメーテルも機械の体でした。しかし、永遠に生きられることになっても、メーテルはどこか淋しそうで、空しさをかかえている感じでした。イエスさまの下さる永遠の命は、それとは違って喜びに満ちたものです。
何のために生きるのか? その答えがわからなくて空しさを感じていた日々……。「人は自分の生きる意味を知って生きるために造られたのです。そして、これは神につながることによって、初めて可能になります」と教えていただきました。わたしは、自分の生きる意味を神さまによって見いだせた感動で胸がいっぱいです。