生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

扉を開けたら

2018-11-05 16:18:46 | 家族
3日は娘一家と義母の入所しているホームへ行ってきました。

娘たちは神奈川県から車で、夫と私は土浦から電車で向かい、ホームのある千葉で待ち合わせしました。どちらからも3時間近くかかります。電車が遅れないように、車が渋滞に巻き込まれないようにと祈りながら出発しました。

「大渋滞に巻き込まれた」と途中で娘からメールがありました。お昼までには着けないかもしれないと思っていると、「浦安過ぎたら、すいてきた。もうすぐ着く」とメール。「ああ、よかった」

ソークンと久しぶりに会いました。パパに抱かれてちょっと恥ずかしそうです。笑いかけるとぎこちない笑顔をみせました。「誰だろう?と」思っているのでしょうね。1歳3か月になりますが、大きくて2歳ぐらいに見えます。
歩き始めたばかりで、何か見つけると突進していくので、転んでばかりです。目が離せません。

義母の部屋を訪れると、義母は大喜びです。みかんをいただいて、ソークンはにっこりしました。ひいおばあちゃんに抱かれてしばらくの間じっとしていました。

同じホームの方が何人もソークンを見に来ました。こんな小さな赤ちゃんを連れて訪れる人は少ないようです。ソークンは一躍人気者になりました。
ファミレスでお昼を食べてから、義母が住んでいた家に寄りました。引っ越してからちょうど1年です。主人が時々行って片づけをしていたので、きれいなままです。

ソークンは、扉を開け閉めすることに興味を持ち、取っ手をつかんで扉が開くとニッコリ笑って入り、扉を閉め、ひとまわりしてまた扉を開けてニッコリ。飽きずに何回も繰り返しています。

「写真撮るからおばあちゃんにだっこしてもらって」と言っても聞き入れません。
「扉開けたとき、大人がひとりずつ顔を出せば、いい写真が撮れるかも」と娘が言って、皆で交代でソークンと一緒に扉を開けて顔を出しました。大人がソークンに遊びを教えてもらったのです。

扉を開けるときのソークンの嬉しそうな顔。扉の向こうに何があるのか期待して、開けたときの喜び。それは、希望に満ちた顔でした。大きくなっても希望を持ち続けてね。ソークン!!

電気もガスも水道もそのままにしているので、「来年のお正月は家じゃなくて、ここに皆が集まってお祝いしたい」と義母が言いました。義母はホームのことを「家」と言ったので、「あれっ?」と思いました。

入所するとき、いやがっていたのです。でも、一年たってホームを我が家と思えるようになったのだなあと、嬉しくなりました。一年で2回ころびましたが、骨は異常なしでした。これからも守られますように。



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笑い飛ばして

2018-10-11 16:29:36 | 家族
土曜日は土浦市花火大会が予定されていました。台風25号が縦断するということでしたが、24号に比べて離れた場所を通るので、風は24号ほどではないという天気予報でした。
それでも開催されるかどうか不安でした。日曜日に延期になると、花火の打ち上げ場にもなっている教会への出入りが難しくなってしまうからです。

当日、予定通り花火大会が開催されることを知りました。
息子一家が来てバルコニーから花火を眺めました。花火がいつもより西に上がるので、打ち上げ場所が移動したのかと思って見ていました。(風で流されていたようです)花火を満喫していると、三分の一ほど打ち上げられた後、止まってしまいました。

同時中継しているテレビは「強風のため中断しています」というばかりで、一向に再開されません。

「花火が観客席に飛んできて、怪我人が出たんだって」ヒックンが言いました。
「どうしてそんなことわかるの」ママが驚いて尋ねると、「ツイッター見たからだよ」と言ってママのスマホを見せてくれました。ママでさえツイッターの見方を知らないのに小6でできてしまうとは……。

それにしても何ということでしょう……花火が飛んできたなんて……。やはり、風が強かったのですね。けが人(軽症で、救急搬送された人はいなかったようです)が出たのなら、もう花火は中止になるだろうと思っていたら、まもなく中止が知らされました。外で見ている人たちには伝わったのでしょうか……。皆、スマホがあるからツイッターで知るのでしょうね。
花火が中止になったので、ヒックンはパパとママと一緒にトランプを始めました。学校の先生にトランプの大富豪を教えてもらって、最近トランプにはまっているそうです。

「今日は楽しかった。花火も十分見れたし、中止になったおかげで、家族でトランプができたから」ヒックンが言いました。
パパとママはなかなか仕事の休みが合わなくて、家族一緒に過ごす時間が少なかったので、貴重なひとときだったのですね。

ヒックンとナルクンは三連休ずっとこちらにいました。月曜日、ヒックンはおじいちゃんと一緒に公衆電話のあるところまで行って、電話をかける練習をしました。先に受話器を取ることがまだできていなかったので、よかったです。

そのあと、桜川の土手で待ち合わせをしていました。わたしはナルクンを連れて出かけたのですが、外に出たとたん、雨が降ってきました。「雨だからお散歩はやめようね」と言うと「いやだー」とナルクンが納得しません。

仕方がないので傘をさして出かけました。ナルクンと手をつないで歩きながら、いろんなことを話しました。ナルクンの話のほとんどが、お兄ちゃんのことでした。「お兄ちゃんにたたかれて痛かった。意地悪されてくやしかった」など、たくさんの不満がたまっているようです。

実際はお兄ちゃんがそんなに意地悪をするわけではありません。ちょっとからかっただけで、ナルクンがひどいことをされたと感じてしまうようです。

ヒックンはヒックンで、「ナルクンが泣くと、いつもぼくがしかられる」と、ストレスをためているようです。

ナルクンの話を聞いて、「つらいね。そんなことされたら怒りたくなるでしょう」と言うと「ううん。笑いたくなる」と答えたので驚きました。
「それじゃ、笑おっか」「うん、笑おう。ハハハハハ」「イヒヒヒヒ」「ゲラゲラゲラ」「わっはっはっはー」笑いながら土手を歩いていきました。
いやなことを笑いとばすエネルギーってすごいですね。

聖書の言葉

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。(Ⅰテサロニケ15:16)」
 
日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。


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やるならやる、やらないならやらない

2018-10-01 16:23:50 | 家族
台風24号が日本列島を縦断しました。今までにないほど強い風でした。昼間はたいしたことなかったので教会に行けました。

夜中に停電があり、4時間ぐらい水も止まっていました。東日本大震災を思い出しました。

今日は母の命日です。母が天に召されたのは3年前でした。

東日本大震災の時は、都内で一人暮らしをしていましたが、とても元気でした。

震災後、計画停電をすると言ってたのに中止になったとき、母が街頭でテレビ局のインタビューを受けました。83歳の時です。
「計画停電と聞いて何をしましたか?」と聞かれ、「朝5時に起きてご飯を炊き、おにぎりを作りました。」と答えたそうです。
「東京電力に何か言いたいことはありますか?」と聞かれ、「計画停電はやるならやる。やらないならやらないとはっきりしてください!」と大きな声できっぱりと言ったそうです。

母はテレビに出るかもしれないということを誰にも言いませんでした。ところが、姪が家で何気なくテレビを見ていたら、母(姪にとっては祖母)が出てきてそのように答えたので、とても驚いたそうです。

その日のうちに同じインタビューが3回も放送されたようで、遠くに住んでいる友人から電話がかかってきたと母が言っていました。見たかったです。

昨日は母の料理ノートを見て、里芋と大根と豚バラ肉の煮物を作りました。母は計量スプーンを使わない人だったのでレシピは大雑把に書かれています。砂糖少々とかひたひたの水。味を見て足りなければ醤油を足すなど……。なので母の味を再現することができません。昨日はかなり近づいた味になったと思いますが、母が食べたら、「まだまだ」と言いそうです。

母は料理が好きで、和食、洋食、中華どれも得意でした。もっと手伝って母の料理をマスターすればよかったと反省しています。

母は食べることが好きで、胃がんの末期でも意欲がありました。わたしが食べさせにホームへ行くと、少しずつですが、お粥、豆腐料理、白身魚など食べてから、「茶わん蒸しはないの?」と尋ねました。

施設の人が茶わん蒸しは食べられますねと言ったので、今日茶わん蒸しが出るのかと思ったようです。

「あとでプリン食べるの。3時のおやつで半分しか食べられなかったから、残りを冷蔵庫に入れてあるの」
と、嬉しそうに言っていましたが、食べることはありませんでした。その夜の10時前に天国に召されたからです。87歳でした。



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那須旅行

2018-08-02 17:05:34 | 家族
8月に入っても異常な暑さが続いています。

先月25日、26日に息子一家と栃木県那須に旅行へ行ってきました。ちょうど24日から少し涼しくなったところだったので、いいタイミングだったようです。

泊まったホテルでは、子ども向けのイベントをたくさんやっていました。パティシエ体験でケーキ作りをしました。



6年生のヒックン作。



4歳のナルクン&ママ作。

みんなで切り分けて食べました、とても甘かったです。



1泊2日で水鉄砲遊びや、宝探しナイトハイクなどにも参加しました。
プールと温泉に2回ずつ入り、ハードスケジュールでしたが、孫たちは大喜びでした。

ヒックンは小学校最後の夏休みです。ナルクンと一緒にこのようなイベントに参加することもなくなってしまうでしょう。そう思うと、少しさみしい気がしました。

2日目の午後、サファリパークに行きました。
自分たちの車で入りました。



ロバに囲まれて動けなくなることがあると聞いて、静かに通り抜けようとしたら、集まってきました。無事通り抜けられてほっとしました。


ライオンは暑さのせいか寝ていました。



車の中をのぞくラマ。

ナルクンは疲れたのか、数日後に熱を出しました。一日で下がって元気なったのでよかったです。

「お家に帰りたくない。ゆこちゃんち(我が家のこと)にいたい」と泣きながら帰っていきました。またすぐ、来るのだけどね。



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お弁当箱食べた?

2018-05-05 20:45:01 | 家族
連休は、息子一家と娘一家が来て、大賑わいでした。
「天気が良いからどこかへ出かけたいね」と、わたしが言うと娘は、「どこも混んでいるし、行くと疲れるでしょ」と、わたしの身体を気遣って言いました。

そういえば、具合悪かったんだ……。病気になったことをもう忘れていました。

「近くでいいからお弁当持って出かけたいなあ」と言うと、「すぐそこの桜川の土手でいいじゃないか」と夫が言って、歩いて5分の桜川に行くことにしました。

なぜ外でお弁当が食べたいかというと、それにはわけがあるのです。
先月4歳のナルクンが、「今日、保育園でピクニックに行ったの。それでお弁当箱食べたの」と何度も言ったからです。
「お弁当箱じゃなくて、お弁当でしょ」と言っても、「お弁当箱食べたの」と言います。
「じゃあ、今度はお弁当を食べようね」と約束していたのです。

ちょうどお昼の12時ごろ、おにぎりを持って出かけました。大人5人、子ども3人で河川敷まで下りていきました。そこには誰もいませんでした。

娘の子どもマークンは、生後10か月になりました。丸々と太ってよく笑います。全く人見知りをしないので、みんなに可愛がられています。

お弁当箱じゃなくて、お弁当を食べてから、ヒックンとナルクンは、パパとビーチボールで遊び、マークンはシートの上で腹ばいになって遊びました。






緑が目に染みるほどきれいでした。


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生きている言葉

2018-03-08 16:22:06 | 家族
今日は朝から冷たい雨が降っています。明日がピークで、明後日も雨が続くそうです。明日は出かける用事があるので、久々に長靴とレインコートを用意しました。

この前の土曜、日曜、ヒックンとナルクンが来ました。

昼寝をさせようと布団を敷いていたら、「そんなに大きな声を出さなくても聞こえます。」と、ナルクンが言いました。特別大きな声を出しているわけではなかったので「何のこと?」と尋ねると、「小さな声で言ってちょうだい」と言われ、内緒話のように話すと、満足げな顔をしていました。

保育園で昼寝のととき、先生に言われた言葉をそのまま言ったんじゃないかなと思いました。こんなふうに注意されているのね。

ナルクンは元気が良くて、かなり離れたところにいても、どこにいるかわかってしまうほど常に大声を出しています。(家に遊びに来るときは、車が着いたとたん、駐車場から声が聞こえてきます。)迷子にならなくていいかもしれません。

カルタで遊んでいると「手が痛い、絆創膏貼って」と言いに来ました。赤くもなっていないので「どうしたの?」と尋ねると、「ゆこちゃんの手が痛い」と答えました。
1か月前にナルクンと遊んでいたとき、私の手が急に腫れて痛くなったことを覚えていたのです。

3歳児の記憶力ってすごいですね。次々新しい言葉を覚えて、間違って覚えても更新していき、少ない語彙の中から選んで一生懸命話しています。
先日は「やばい、やばいよ」と言っていました。きっとお兄ちゃんが言っていたのですね。

言葉の力は大きいです。

聖書の言葉は、神様の言葉ですから、力があります。
イエス様は悪魔に誘惑を受けたとき、すべて旧約聖書の言葉を用いて答えられました。

40日の断食のあと、空腹を覚えられたイエス様に向かって、悪魔は石がパンになるように命じなさいと誘惑します。でも、イエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉による」と書いてあると答えられました。それは、旧約聖書の申命記8:3に書かれている言葉の引用です。

わたしは心が神の言葉で満たされたくて、毎日のデボーション(聖書を読み、祈る時間)で心に留まった聖書の言葉を単語カードに書いて覚えるようにしています。


「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4:12)」



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だいきらいってことは、だいすきってこと

2018-02-02 16:24:08 | 家族
インターネットに不具合があって、あたふたしていたらいつの間にか2月になっています。早いですね。

孫のナルクンは3歳10か月になります。反抗期真っ盛りです。
ママが泊りの仕事があるので2週間に一度はお兄ちゃんのヒックンとふたりで我が家に泊りに来ます。

車中で「今日は保育園楽しかった?」「お友達と何して遊んだの?」と尋ねると「うんこ。うんこ」と言います。「大変、うんこ出るの? 近くにコンビニあるかしら」わたしが言うと、10歳のヒックンが「ただおもしろくて『うんこ』って言ってるだけだよ」
と言うので、ほっとしました。

ヒックンによると、『うんこ』っていうと大人が「えーっ!」という反応するからおもしろくて言うのだそうです。
それから、「おじいちゃん、だいきらい。パパもママもヒックンとゆこちゃん(わたしのこと)もだいきらい」と言うので、「それじゃあ、だいすきな人はいる?」
と、尋ねると、

「だいすきな人は、ゆこちゃんとおじいちゃん。パパとママとヒックンも」
「だいきらいってことは、だいすきってことだね。」
「うん」
ナルクンはにっこりしました。

わが屋はマンションの2階ですが、家に着いたとたんナルクンが床でとびはねるので、「下の家の人がびっくりするから、やめてね」と言うと、さらに強くドンドンとびはねます。本気でしかるとやめたのですが、大声で泣きだしました。

「ほおっておいて。ナルはわざと大きな声を出しているんだよ」と、ヒックンの言葉に助けられました。
おやつを食べてほっと一息ついていると、

ナルクンがディズニーのピノキオのカルタを持ってきて遊んでと言いました。以前、ヒックンが遊んでいたものです。ナルクンはまだ字が読めないのにどうやってカルタ遊びをするのでしょう?

絵札はカラフルでとてもいい絵なので、紙芝居のようにして絵札を見せながらお話ししました。

それから字ではなく、どんな絵が描いてあるか説明して絵札を探させると、ナルクンはすぐに見つけて大喜びです。

カルタで遊び終わってから突然「ぼく、いい子になる」と言ったので、驚きました。自分が悪い子だと思っているのでしょうか?

ピノキオが嘘をつくと鼻が伸び、悪いことをするとロバになってしまうことを聞いてそんなことを言ったのかもしれません。
しばらくは、おとなしくしていました。10分後にはいつものナルクンにもどっていましたが……。

また、ナルクンはお兄ちゃんが大好きなのですが、ライバル意識も強く、ちょっとからかわれただけで本気で向かっていきます。7歳も年が離れているので、どうやってもお兄ちゃんには勝てませんが。
お兄ちゃんから「もう、遊んであげないよ」「赤ちゃんみたい」と言われるのがいちばんいやで大泣きします。

元気いっぱいなナルクンですが、ときどきママが恋しくなるらしく、ママに言われた言葉を自分に言い聞かせるように言っています。

「ママはお仕事なの。お仕事忙しいの。おりこうにして待っててね」

昼寝させようとすると、ナルクンがたずねました。
「ママ、いつ来るの? 明日?」
「明後日よ」
「明後日っていつ?」
「明日の次の日」
「ねんねして起きたら、明後日になってる?」
「まだだけど、昼寝した方が早く明後日になるよ」
「じゃあ、ねんねんころする」
と言って口をチュクチュクしながら寝てしまいました。

ピノキオは、旧約聖書のヨナ書をもとにして書かれたお話です。
ヨナは神様の言葉を人々に伝える預言者でした。ヨナは神様からニネベに行って、このままではニネベが滅びてしまうので悔い改めるように人々に伝えなさいと言われました。(ニネベの人たちは神の教えに背いていました)ところが、ヨナは行きたくないのでニネベとは反対方向へ行く船に乗ってしまいました。

まもなく嵐になり、ヨナの乗った船は沈みそうになりました。ヨナは、自分が神様の言いつけに逆らったからこんな嵐になったのだと言い、海に放り投げてくれと船員に頼みます。ヨナが放り投げられたとたん、嵐はおさまりました。

ヨナがおぼれそうになったとき、神様は大きな魚を用意して、ヨナを呑み込ませ、あとから陸地へ吐き出させてくれました。
ヨナは魚のおなかの中で悔い改めのお祈りをしています。そして、陸地に上がってから、ニネベに行って、神様からの言葉を伝えました。
 
ピノキオも、おじいさんの言いつけに逆らって悪いことをしましたが、クジラのおなかの中でおじいさんと出会い、あやまりました。そして、最後は人間の子どもになったという結末です。


この次はヨナの話をナルクンにしてあげようかな。


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新年早々失敗・・・・・・

2018-01-04 11:45:56 | 家族
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年29日から娘一家が、30日から息子一家が泊りがけで来て、1月2日には義母のところに行ってきました。
昨日は疲れて、いちにち寝ていました。今日の午後からまたヒックンがきます。

31日が日曜日だったので、日曜礼拝の翌日に元旦礼拝が行われました。何とかどちらも行きたいと思いましたが、難しいことでした。
家族全員で教会へ行くということがないので、時間的に難しいのです。

1日は、皆ゆっくり起きてきてお正月のあいさつをし、おせち料理とお雑煮を食べるというのが恒例になっています。

31日は娘が「お母さん、教会へ行くんでしょ。朝ご飯の用意はわたしがするから行ってきて」と言ってくれました。
31日の昼過ぎに娘たちは婿の実家に行ってしまったので、1日はどうなるかわからない状況です。あきらめるしかないかな。と思ったとき『なぜ元旦礼拝に行けるように祈らないのか』という心の中に語りかける声を感じ、はっとして祈りました。

すると10時ごろ皆起きてきて、皆が食べ終わって片付けが済んだのは11時でした。2回目の元旦礼拝は11時半からなので、なんとか間に合いそうです。

行く前にナルクンにかばんの中に新しいノートがあるのを見つかってしまいました。ナルクンが『ぼくお勉強するから、ちょうだい』とノートを指さして言いました。最近、お兄ちゃんが勉強するのを見て、ノートに絵を描くのをお勉強と言っているのです。

『ナルクンのノートはこっちね』と、別のノートを渡し、はっと時計を見ると11:19分。教会へは自転車で15分ぐらいかかります。

急いで出かけましたが、なんと、新年早々遅刻してしまいました。
普段は、8時半から始まる第一礼拝に出ているのですが、ほとんど遅刻したことがありません。それなのに元旦に遅刻とは……。こっそり礼拝堂に入りましたが、ほかに遅れてきた人がいなかったので、おそらく目立ったことでしょう。

「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み(ピリピ3:13)」
元旦礼拝で語られた聖書の言葉に『遅刻したことを悔やんでばかりいないで、一歩を踏み出しなさい』と言われたような気がしました。
31日も1日も礼拝に出られたことを感謝します。


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喜びに呑まれた悲しみ

2017-12-05 20:28:00 | 家族
2日の土曜日は、教会で父母の記念会を行っていただきました。身内の者9名+子ども3名と友人と教会スタッフの先生方だけの小さな会です。娘一家は前日から来て泊り、妹一家は当日から来て泊り、息子一家は仕事の合間を縫って来てくれました。

2年前に母が召されたので、「お母さんの3回忌がしたい」という妹から要望がありました。遺骨はふたりとも分骨して秋田のお墓と土浦めぐみ教会の納骨室に収めています。
秋田まで行くこともないので、教会で執り行っていただくことにしました。

父は11年目の記念会となりました。
妹に母との思い出、姪に祖父との思い出を語ってもらいました。わたしはパワーポイントで映像をうつしながら、主に父の生涯について、そして父と母がどのように信仰を持つに至ったかを以前書いた「心のフィルムに」というエッセイから話しました。

こんなに緊張したことはありませんでした。身内の前で話すのは照れくさいという思いもあって、ちゃんと語れたかどうか記憶にないほどです。
そして、肝心なことをいくつか抜かしてしまいました。

わたしの話の後で牧師先生が説教をしてくださったのですが、わたしが抜かしてしまった箇所のほとんどを語ってくださいました。前もって牧師先生に原稿を見せていた訳ではなかったのに……。驚きました。神様が欠けをすべて補ってくださったのです。

お墓には、『亡くなった方を思い起こす』という意味があるそうです。納骨堂のある会堂で故人の思い出を語り、思い起こすことができるとは、なんと幸いなことでしょう。寂しさが心にあったのですが、父と母は天を見上げながら天の御国に行ったという確信が与えられました。

ふたりとも、神様が用意してくださった『憩いの水のほとり』で安らいでいることでしょう。父母に再会できるという希望に、悲しみが喜びに呑み込まれてしまいました。

記念会で語られた聖書の言葉

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」
                              ヨハネ14:1~2


翌日の日曜には妹と姪が礼拝に出席できてうれしかったです。

父のことを詳しく書いたエッセイはわたしのHP「生かされて・・・土筆文香」のエッセイの部屋「心のフィルムに」に掲載しています。ここをクリックしてごらんください。


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決して滅びないもの

2017-11-24 20:36:12 | 家族
昨日は91歳の義母の引っ越しでした。老人ホームに入居するのです。ホームの場所は自宅から車で30分のところです。3人の子どもの家からは、それぞれ2時間以上(わが家からは3時間以上)かかる場所です。

90歳近くになってから、一人暮らしが不安になったようなので、わたしたちはホームを捜し、見学に行ったり、体験入居してもらったりしました。でも、義母は気に入らないようで、入居するとはなかなか言いませんでした。
ようやく決めた理由はわかりませんが、慣れ親しんだ自宅から近いこと。ホームから歩いて10分のところにお墓があることがいちばんの理由かもしれません。

ホームで必要な家具は、ほとんどネットで購入しました。わたしが購入手続きをしたのですが、とても時間がかかりました。

日時指定ができるものが少なかったからです。しかも日時指定ができるかどうかは購入手続きに進んでからでないとわかりません。やっとサイズも色もちょうどのものを見つけてカゴに入れたのに、日にち指定が出来ないことがわかり、カゴの中を削除することの繰り返しです。

自宅に送ってもらうのならいいのですが、ホームに直接送る場合は、日時をそろえたほうがいいと思い、23日の午前中着でなんとか必要な5点を送ってもらいました。同じ店のものを送りたかったのですが、それができず、すべて別の店からでした。それでも間違いなくちゃんと指定通り届いたので感謝しました。
押し入れや部屋のサイズは夫がしっかり測っていたので、ぴったりおさまりました。

午前中は土砂降りだった雨も午後になるとぴたっとやみました。家から運ぶ荷物は義弟の車に積み、4往復もしてくれて、すべて運び入れることが出来ました。その間、わたしはお義母さんとお茶を飲んでおしゃべりしていました。

朝から悲しげな表情をしていた義母ですが、新しい部屋で新品の高座椅子にすわると、ほっとしたようでやっと笑顔を見せてくれました。

義母が「時間がたっぷりあるから絵を描こうかな」と言ったので、「出来上がったら見せてくださいね」と言うと、「でも、どうせ捨てるのよね。今まで作ったものもみんなゴミになるんだから」と悲しそうに言いました。かつては木目込み人形を作っていて、家にたくさん飾っていたのですが、ホームに持ってきたのはひとつだけでした。

わたしも断舎離をしていると、今までやってきたことがすべて無になるような気がして空しくなりました。
「作品がなくなってしまっても、作品を見た人の心に残りますよね。それで元気づけられたりするのです。何よりも作った本人が我が子のように忘れないのだから、これからも描いたり作ったりしてください」と言いました。

本当は「決して滅びることのないものがある」と言いたかったです。
聖書には「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは、決して滅びることがありません。(マルコ13:31)」とはっきり書かれています。

造られたものはやがて滅びます。こんなに空しいことはありません。でも、神様の言葉は決して滅びることがありません。神を信じる者も滅びることがないのです。


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時間をかけてゆっくりと

2017-10-27 16:18:56 | 家族
91歳の義母が、老人ホームに入ることになりました。6年前に義父が召されてから一人暮らしをしていました。荷物整理のお手伝いをしようと一昨日千葉の実家へ行ってきました。片道3時間近くかかるので、朝8時20分に家を出ました。予定では11時に着くはずだったのですが、電車が遅れて着いたのは12時過ぎでした。
寒い中、ホームで立っていたので風邪ひきそうでしたが、なんとか元気で戻ってきました。

わたしの母がホームに入所するときのことを思い出しました。引っ越しの日までに家を処分することになり、妹と私が実家に泊まり込んで整理しました。ほとんどが捨てるものでした。
そのとき、母は精神的に不安定になり、いる物といらない物の区別がつかなくなってしまいました。いつも使っている眼鏡や父や祖母の遺影もいらないと言い出したのです。認知症になったのでは? と思いましたが、様子がおかしかったのはそのときだけでした。

今になって思うと、60年も住んでいた家にあるもののほとんどを処分してしまうことが精神的に辛かったのではないでしょうか。「私の人生、何だったんだろう?」と思ったのかもしれません。そんな母の気持ちも考えないで妹と私は必死に片付けをしてしまいました。

義母の場合はしばらくの間は家をそのままにしておいて大丈夫なので、余裕があります。
ホームは今住んでいる家から車で30分ほどのところです。
義母は、「ホームに入所してから足りない物があれば取りに行けばいいし、一日家にいて夕方に戻ってもいいし……」笑顔をみせてくれます。

それでも、本心はホームには入らず、ずっと家に住んでいたいようです。残った荷物をどうするかという話をすると、話をそらしてしまいます。

夫は、「しばらく家をこのままにしておこう。片づけも時間をかけてゆっくりとしたらいい」と言いました。
理性ではわかっていても、心がついていかないことがあります。長年住んだ家を処分すること、ホームに入所することは義母にとって大きな変化です。喪失感や不安があることでしょう。少しでも気持ちに寄り添うことができれば……と願っています。

影響を受けて、わたしも家の中の整理をし始めました。
でも、なかなか捨てられないので困っています。教会学校で作った紙芝居やフランネルのフィギアなどは、孫たちにお話ししてあげられるので捨てられません。
今日は家電製品の保証書で期限切れのものを捨てました。わざわざ5年間保証というのに入ったのに故障なく7年、8年と過ぎているものがたくさんありました。

思い出の品やいただいた手紙などはまだまだ捨てられません。ひとつひとつ思い出に浸っているのでなかなかはかどりませんが……。
子どもの作文が出てきました。

娘は4年生の時の作文です。
「幼稚園の時、お母さんに毎お弁当を作ってもらったことを感謝しています。お父さんに机や鉛筆を買ってもらったことに感謝しています。大きくなったらフラワーデザイナーになりたいです。お金を稼いだら、半分はお父さんと母さんの家に置いて親孝行しようと思います」

そんなことを書いてくれていたなんて……。すっかり忘れていました。これはとっておきましょう。娘に見せてやらなくては。


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母を偲んで(その3)

2016-10-03 16:21:26 | 家族
一昨日は土浦の花火大会でした。お天気が危ぶまれましたが、雨は降りませんでした。数年前、打ち上げた花火が雨雲や煙に遮られ、ほとんど見ることができなかった花火大会のことを思い出し、今年もそうなるのではないかと案じていましたが、今年はとてもよく見えました。70万人もの人花火見物に出かけたそうです。事故がなくてよかったです。

我が家は、マンションの2階ですが、打ち上げ場から近いのでよく見えます。息子一家を招いて一緒に見物しました。
ナルクンがどんな反応を示すか楽しみにしていました。喜んでいたのは最初の5分だけで、
「遊んで、遊んで」と手を引っ張られてしまいました。それでもわたしは、相手をしながら花火を見ていました。ヒックンはDSで写真を撮っていました。


花火大会で人が集まってくると、ざわめきが聞こえてきます。いつもは誰も通らない農道に人がたくさん歩いているのが見えます。屋台も軒を並べています。花火が始まると、スマホで画像を送る人たちがたくさんいるせいか、しばらくの間メールは送受信できません。

今、誰かが倒れたり、大けがをして救急車を呼んでも一時間ぐらいかかってしまいそうです。陸の孤島になったようで、恐怖を感じます。
出かけるにしても出先から帰るにしても、この時間帯は交通規制がかかっています。
一昨日、御茶ノ水でJCPの例会があったのですが、残念ながら行けませんでした。


花火を見ながら去年の花火大会を思い出しました。母が召されたのが10月1日で、花火大会はその2日後の10月3日でした。母のいたホームの部屋は8階で、我が家のマンションよりよく見えるし、ホームの部屋から見るのは最初で最後になるだろうと思って、息子一家や妹の家族といっしょにホームで花火見物をしました。

あのとき、どんな気持ちで準備していたのか……そのときの自分の気持ちがどうしても思い出せません。
花火の日に母が亡くなっているということは考えられなかったので、母に花火を見てもらうつもりで準備をしたのでした。

わたしは父親もがんで亡くしています。父は膀胱がんでした。同じく末期の状態でみつかったのですが、父と母の最期の容態は異なっていました。
父は、末期がんの痛みが出たので、モルヒネを使っており、最後の2日間は意識がありませんでした。意識のない父に向かって必死に聖書を読みましたが、意識が戻らないまま召されました。
母は、先日書いたように、痛みもなく召されました。同じ末期がんでも人によって違うのです。

「母は、あと3年は生きる。Mちゃん(わたしの娘)の結婚式に出る。」と言っていたのに、その願いはかなえられませんでした。
でも、東京の病院での手術が守られたことや、具合が悪い中でも土浦に来れたこと、最期まで看取ってくれるホームに入所できたこと、土浦の病院に入院しているとき、危機的状態にあったのに元気になれたこと……など考えると、奇跡の連続で、神様がずっと導いてくださったのだと気づかされます。

土浦へ引っ越す前、熱が出ていたのですが、そのときもし東京の病院へ連れて行っていたら、再入院となったことでしょう。
土浦の病院に入院したからこそ、洗礼を受けられたのだと思っています。
元気でホームで過ごせたのは2か月半ぐらいでしたが、かけがえのない時間でした。

わたし自身は、ほとんど毎日、病院へ、ホームへと通いましたが、不思議に具合悪くなりませんでした。(家では必要最低限の家事だけしてひたすら横になっていましたが)

病院は今年の3月に遠くへ移転してしまいました。移転前だったので自転車で通えたのです。
妹は週末になると必死な思いで2時間かけて都内から母のもとへ車で通っていました。振り返って、あんな体力がどこにあったかと思うと言っていました。

妹は、母が召された日は海外出張で日本にいませんでしたが、どんなことがあっても、仕事半ばで帰ってきてはいけないと母に言われていたので、死に目には会えないと覚悟しての出張でした。

人間が色々なことを計画し、こうあってほしいと願い、これから先のことを考えますが、自分ではどうすることもできないことがあります。いつ、どのようにして死ぬのかなど、自分のことでも想像がつきません。でも、すべてのことは神様の手によってタイミングよく行われるのです。だから、くよくよしたり、心配する必要はないのです。

聖書には
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(伝道者の書3:11)」と書かれています。
アーメン(その通りです)

昨日と一昨日、2日続けて母の夢を見ました。召されてから初めての母の夢でした。白い毛皮のコートに身を包み、病院の椅子に座っていました。「どうしてそんなにおしゃれしているの?」と聞くと「今日退院するんだからいい恰好していなくちゃね」と笑いました。

                         おわり



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母を偲んで(その2)

2016-10-01 11:21:00 | 家族
今日は土浦の花火大会です。これから息子一家がきます。今、雨はあがっているようです。花火の間は雨が降らないようにと願っています。

昨日の文章で、母が病床洗礼を受けたと書きましたが、唐突のように思えたかもしれません。

母の信仰はどのようなものだったのでしょうか。

以前母は「神様なんかいない。いたとしても頼らない」と言っていたのですが、病気になったころから「イエス様に祈っているの」とよく言うようになりました。

東京の病院で手術を受けた時は、人前では苦しいとか痛いとか言いませんでしたが、「イエス様、助けて、痛いよう」と書かれたメモが残されていました。

「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある助け。それゆえ、わたしは恐れない。(詩編46:1-2)」という聖書の言葉を暗記していました。

わたしは、母が東京で入院していたときも土浦で入院していたときも、ホームで暮らしているときも毎日聖句とそれにまつわる文章を書いて母に渡していました。入院中は本を読む体力はありませんでしたが、わたしが書いたものは読んでくれました。

母は、頭はしっかりしており、手術直後に一時的にせん妄状態になるかもしれませんと先生に言われると、「わたしはなりません」と自信たっぷりに言いました。
はたして、術後初めて発した言葉は、「預けていた携帯、返して」でした。

母はキリストを信じたことによって、病の恐れから解放され、安らぎと平安が与えられたようでした。

退院後は昼食だけですが、ホームのキッチンで自分で料理していました。
娘が毎日11時ごろホームに行って、一緒に料理をして食べるという生活がしばらく続きました。娘は結婚が決まって、午後3時からのパートに出かけていただけなのでそれが可能でした。娘は母に料理を教えてもらって、いい花嫁修業になりました。

わたしは夕飯どきに毎日通い、食事を共にしました。
8月~9月始めまで体調がよかったので、妹の車で茨城県内の五浦と袋田の滝、2回も旅行に連れて行けました。

ところが9月末ごろから末期癌の症状が出てきました。足がむくみ、体のあちこちに水がたまってきて、寝返りさえできなくなってしまいました。
自分の部屋にはいられず、ケアー室といって介護士さんの目の届く部屋のベッドで過ごしました。

点滴の抗がん剤治療は受けていませんでした。点滴治療しても、死期は同じぐらいだと言われたので副作用の辛い点滴は受けないことに決めました。東京の病院にいたとき、抗がん作用のあるTS-1という飲み薬を飲みましたが、目に副作用が出たのでやめました。(眼球が傷ついて、失明するかもしれないということでした)

ケアー室が落ち着かないので、もう一度、自分の部屋に戻りたいと母がいったとき、介護士さんの計らいで部屋に連れて行っていただきました。数時間でしたが願いがかなえられて、母は嬉しそうでした。それからは自分の部屋に行きたいと言わなくなりました。

その数日後が最後の日でした。その夜も食事をしました。その日の夕食は、わたしが食べさせました。自分で食べる力もなくなっていたので。おかゆと豆腐とおからを3口ずつ食べて「おいしい」と言っていました。
 
夜7時ごろ「また明日ね」と言って家に帰りました。
9時45分にホームから電話があり駆け付けたときは、息をしていませんでした。
眠っているようで穏やかな顔でした。苦しみも痛みもなかったようで、ナースコールを押さずに亡くなっていました。(具合が悪い時はすぐナースコールを押していました)

身体がむくんで重く、つらかったと思いますが、今は神様に新しい身体をいただいて、天国で走り回っていることでしょう。
            

つづく


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母を偲んで(その1)

2016-09-30 21:02:18 | 家族
明日は母の召天記念日(命日)です。母が天に召される一年ほど前からのできごとを思い出して綴っていきたいと思います。写真は母の葬儀で妹が生けた花です。

母はいつも元気で、寝込んだことがほとんどなかったのですが、2014年の夏ごろから食欲がないと言い、近所の病院で見てもらっていました。逆流性食道炎と言われていましたが、なかなか良くなりませんでした。

全く食べられなくなったとき、別の病院で胃カメラをとってもらうと、すぐに大きい病院へ行きなさいと言われました。
翌日新宿の病院へ行くと、胃癌だということで入院することになりました。

癌はかなりすすんでいて、胃の出口が癌によってふさがれている状態でした。末期だそうです。癌を切除することはできませんが、胃と腸を結ぶバイパス手術をすれば、食べられるようになると言われました。

医師に余命を尋ねると、半年から一年といわれました。このことを母に告げるかどうか迷いました。もし、何かやりたいことがあるのなら伝えた方がいいけれど、伝えたらホームには入らないと言うでしょうし、意欲をなくしてしまうかもしれません。

妹と相談して、医師による説明を受けるとき、余命のことは伏せてもらうことにしました。
母は病状説明を聞いてよく理解しました。けれども、手術を受ければ3年ぐらいは元気でいられると思ったようです。

術後の快復は早く、退院後は旅行に出かけたり、麻雀ができるほど元気になりました。
それでも一人暮らしは不安なので、土浦のわたしの家の近くにあるサービス付高齢者住宅に入所する決心をしました。

60年も住んでいた家を処分することになり、昨年(2014年)の11月ごろから実家に帰るたびに少しずつ後片付けをしていましたが、荷物が多くてそれはそれは大変でした。

引っ越し日を5月4日に決めましたが、引っ越しの準備で母はかなり疲れたようです。
引っ越す一週間ぐらい前に熱を出し、熱は上がったり下がったりしていました。病院へ連れて行こうとしましたが、東京の病院には行かない。引っ越してから土浦の病院なら行くと言ってききません。
引っ越しの日も熱がありましたが、妹の車に乗って無事土浦に到着しました。

ホームに入所した翌日、39℃の高熱を出し緊急入院となりました。
熱は癌によるものではなく、肝膿瘍という病気でした。肝臓に膿がたまっているというので、ドレーンというチューブを刺して、膿をぬいてもらったのですが、なかなか熱が下がりませんでした。

そのようなとき、母は「イエス様を信じる」と言ったのです。その翌日、タイミングよく牧師先生が見舞いに来られ、3日後の日曜日の午後、出張聖餐式するため病院に出向くので、洗礼を授けましょうと言ってくださいました。
2015年5月10日に母は病床洗礼を受けました。(その日は熱も下がり、体調がよかったのです)。

母の熱の原因は、十二指腸の一部に穴が開いていて食べ物が漏れていることによるとわかりました。体力がないので外科手術はできません。でも、経鼻栄養補給をしながら10日間ほど絶飲絶食すれば治る可能性があるけれどどうしますか?と聞かれました。

このときわたしはまた迷いました。母は遺言に、胃ろうなどの延命治療をしないでほしいと書いていたからです。
経鼻栄養補給とは鼻からチューブで栄養を入れることです。入れるとき、人によっては苦痛を伴うそうで、延命治療になるのではないかと思いました。

そのとき再びタイミングよく牧師先生がお見舞いに来てくださり、医師の説明を一緒に聞いてくださいました。「この場合は、治る可能性があるのだから延命治療ではない。」とはっきり言ってくださって、治療を受けることになりました。

18日間経鼻栄養をとりました。途中で気分が悪くなったり、下痢が続いたり……管が外れて入れなおしたり。決して楽な道ではありませんでしたが、おかげで穴がふさがったのです。

管が外れ、食事ができたとき、心から感謝しました。母も口から食べられる幸いをしみじみ感じたようです。口から食べられるようになるとみるみる元気になり、その10日後には退院でき、ホームに戻れたのです。

後になって医師から「あのときは命が危なかったのです。助かる見込みは少なかったんですよ」と言われ、驚きました。本当に守られたのです。
                         つづく



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幼児が言葉を覚えるとき

2016-09-28 15:56:18 | 家族
孫のナルクンは2歳6か月になります。
やっと話が通じるようになってきました。1歳過ぎてからナルクンは常におしゃべりしていましたが、何を言っているかママにもわかりません。してほしいこと、したいことを一生懸命伝えようとするのですが、伝わりません。
一日に何回泣いたことでしょう。

ママとコンビニに行って、好きなアイスを選び、買ってもらいました。すぐに食べようとしたので、ママが「おじいちゃんの家に行ってからね」と言って取り上げると、床にひっくり返って泣いたそうです。あとでおじいちゃんの家で食べられるということが理解できなかったのですね。

お兄ちゃんのヒックンは、ナルクンにいいことも悪いことも教えてくれます。お兄ちゃんが常に話しかけているので、ヒックンが同じ年頃のときに比べると、ナルクンの方が言葉が早い気がします。

最近2語文を話すようになりました。お茶 飲む。ごはん 食べたい。アンパンマン、デビーデー(DVD)ちけて(つけて)。絵本 読んで……などです。

急に話せるようになったので驚いていたら、絵本を読んだとき、もっと驚くことがありました。
お気に入りの絵本「ノンたん もぐ もぐ もぐ」(キヨノ・サチコ作)の本は1歳のころから読んで聞かせていましたが、ページをめくる前に本に書かれている文章をほとんど間違えなく言ったのです。

「はらぺこあおむし」(エリック・カール)の絵本では、青虫がいろいろなものを食べて食べ物に穴が開いているページが好きで、指を突っ込んで「おいしい、おいしい」と言っています。

お兄ちゃんはナルクンが可愛いあまり、よくちょっかいを出します。
ナルクンの口癖は「お兄ちゃん、やめてよー」です。お兄ちゃんが何もしてないときでもときどき言います。そう言うと、お兄ちゃんがしかられることを知っているようです。

家に帰るとき帽子をかぶせると、玄関にある姿見の前で帽子のつばを引っ張って、「かわいいね。かわいいね」と言っているのを聞いて笑ってしまいました。
くまの耳がついた帽子をかぶると、いつも誰かが「かわいいね」と言っていたので、帽子をかぶる動作が「かわいいね」という言葉だと認識してしまったようです。

ナルクンは月に2回ぐらいの割合で我が家に来ていますが、言葉の数がどんどん増えていくことを見せてもらってびっくりの連続です。
子どもは1日5〜7語もの早さで語彙を身につけ、5歳になる頃には5,000〜10,000語も習得するそうです。

言葉は、人と人とのコミュニケーションよって習得します。親が忙しくて子どもをかまってあげられないのでテレビやDVDを見せて言葉を覚えさせようとしていた人がいました。その子どもは3歳過ぎても言葉が出てこなかったそうです。その後、母親とコミュニケーションをとるようになって、言葉が出てきました。

先日常磐線に乗ったら、向かいの席に4歳ぐらいの男の子と母親が座っていました。男の子は、お母さんに一生懸命話しかけるのですが、母親はスマホの画面を見ていて、子どもと目を合わせないし、話を聞こうともしません。

「ちょっと待っててね」と言ってお菓子を与え、駅に着くまでの40分近くスマホに夢中になっていました。男の子はおとなしくお菓子を食べていましたが、寂しそうな顔をしていました。

お母さんとゆっくり話す機会、言葉を増やす機会も失ってしまったのですね。

子どもにとって、スマホのなかった時代のほうがよかったのでは……と思いました。


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