生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

クリスマスの意味

2019-12-24 18:14:42 | 家族
今夜はクリスマスイブ。世界中でクリスマスが祝われていますが、クリスマスの本当の意味を知らない人が多いのではないでしょうか?

Christmas(クリスマス)とは、キリストを礼拝する、キリストの誕生を祝うという意味です。
キリストの誕生日がいつなのか正確にはわかっていません。
けれどもプロテスタントやローマカトリックでは、ほとんどの人が12月25日をその日として伝統的に祝っています。
冬至のころ、エジプト、ペルシャ、ヨーロッパでは、太陽崇拝の祭りが行われました。この祭りが変じてクリスマスの起源となりました。それは、世の光として来られたキリストの誕生された日としてふさわしいと思われたからです。

緑、赤、白、金銀などは、クリスマスカラーと呼ばれていますが、これらにも意味があります。
緑は永遠の命、赤はキリストが十字架で流された血、金銀はキリストの王としての高貴さ、白は雪と天使、キリストの聖(きよ)さを表します。
(「家族で祝うクリスマス」内田みずえ著 いのちのことば社より引用)

一昨日から5歳のナルクンが来ていましたが、サンタさんが来るからと言って急いで家に帰って行きました。
明日は息子一家とともにクリスマスをお祝いします。



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幸い

2019-10-28 16:18:23 | 家族
ご無沙汰しています。
腰を痛めてしまったので、少しの時間しかPC作業ができません。

土曜日は土浦全国花火競技会でした。全国の花火師さんが集まって競う花火大会です。昨年は開始後30分ぐらいしたとき、事故が起きてそのまま中断してしまいました。

今年こそは事故が起きないようにと思っていたのですが、不発の花火が落下して怪我人が出て、3回も中断してしまいました。予定していた3分の2しか打ち上げられなかったそうです。幸い怪我をした人たちは軽傷だったと聞いて、ほっとしました。でも、火花がとんできたのですから怖かったでしょうね。

我が家は花火が中断しているときでも、終わった後でも家の中で花火が打ち上げられているような騒がしさでした。
長男一家が来ていたからです。5歳のナルクンは「ドカーン、ヒュルヒュル」と言いながら家の中を走り回っていました。自分が花火になったつもりでいるようです。
安全な部屋の中で花火を見ることができるとは、幸いです。

「幸い」と書いて、聖書の言葉を思い出しました。
山上の垂訓と言われているイエス様の言葉で、新約聖書マタイの福音書5:3—12
に書かれています。

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」



ブログを読んでくださった方へ

今、苦難の中にある人は幸いです。なぜなら喜び踊るようになるから。


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心からありがとう

2019-09-17 17:28:15 | 家族
暑さがもどってきました。照り付ける日差しは強いですが、風はひんやりした秋風です。

明日は、台風15号で被害にあった義母のホームにお見舞いに行ってきます。
義母の入居しているホームは千葉県にあります。千葉で大規模停電のニュースが入った時、とても驚きました。

電気と水道が止まり、屋上にあるお風呂のボイラーが台風で壊れてしまったそうです。
三度の食事はなんとか食べられたけれど、エレベーターが使えないので、職員の方が部屋に運んだと義母が言っていました。幸い2階建てなのでよかったです。
それでも大変だったでしょうね。職員の方々だけでなく、所長さん自らトイレの水運びをして流してくださったと聞いて、頭が下がる思いでした。

エアコンが使えなかったのは2日間でしたが、熱帯夜だったので、90歳を過ぎている義母が熱中症にならないか心配しました。

「電気が復旧するまで家に泊まりに来て」と言ったのですが、「みんなでがんばるからここにいる」との返事でした。

ホームに入居して2年近くになりますが、いい人間関係を築いているようです。

今回ほど義母が老人ホームに入居していてよかったと思ったことはありません。
一人暮らしを続けていたら、無理やりにでも家に連れてこなければならなかったでしょう。

茨城は東日本大震災でも電気は1日半で復旧したのに、地震ではなく台風でこんな被害が出るなんて思いもよらないことでした。千葉県内ではまだ電気も水道も止まっているところがあるというので、一刻も早く復旧するようにお祈りしています。

聖書の言葉

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書14:27



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北海道旅行 稚内~札幌、函館 その6

2019-07-11 16:28:19 | 家族
帰りは飛行機ではなく、新幹線です。
新函館北斗駅から新幹線に乗って青函トンネルを通りました。トンネルを通るとき、ドキドキしましたが、特別アナウンスもなかったので、海中を通り抜けているという実感はありませんでした。約20分で通過し、約4時間で上野駅に着きました。

今回の旅は、すべて順調で、天候にも恵まれて最高でした。体調も整えられ、具合が悪かったことを忘れるほどでした。娘と孫の世話をして役目を果たしたので、慰労の意味があって、夫がこの旅行をプレゼントしてくれたのかもしれません。何よりも神様からのプレゼントでした。

結婚して38年たちますが、夫は寡黙なので、なかなかコミュニケーションがとれず、会話が成立しませんでした。結婚当初、あまりにもしゃべらないので「どうしてしゃべらないの? 結婚前はもう少ししゃべっていたのに」と尋ねたことがありました。

「会社でたくさん話しているから、せめて家では話したくない。疲れるんだ」と言いました。(仕事は営業ではありません)「うん」「いや」「べつに」しか言わなかったので、わたしは寂しくてたまりませんでした。

夫から返事があってもなくてもひとりでしゃべることにしました。そうでなければ家の中が暗くなるのです。そのおかげで、わたしも無口だったのですが、おしゃべりになりました。

夫は流氷に囲まれているようで、近づくと氷の壁にぶつかってしまいます。冷たい人だと思いました。でも、そうではなかったのです。

夫は変わりました。定年退職して少しずつしゃべるようになり、孫が生まれてもっとしゃべるようになりました。夫が孫をお風呂に入れているとき洗面所にいたら、夫の声が聞こえてきました。1歳半の子に絶え間なく話しかけていました。

夫の周りにある流氷は溶けだしてきています。もうすぐすべて溶けるでしょう。



書き忘れていましたが、宗谷岬で流氷館に入りました。マイナス10℃の部屋に流氷と動物の剥製が展示されていました。流氷をさわると、少し溶けていたのを思い出しました。



                  おわり


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。



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北海道旅行 稚内~札幌、函館 その5

2019-07-10 16:33:07 | 家族
五稜郭で乗ったタクシーの運転手さんが親切で、おいしいお寿司屋さんの紹介と函館山往復案内をしてくださるというので、すべてお任せしました。

道路は混んでいるだろうなと思ったら、タクシーとバスだけが通れる道があって、すいすい登っていきました。



函館の夜景は古くから世界三大夜景のひとつとされ、日本夜景遺産の自然夜景遺産にも登録されているそうです。津軽海峡と箱館港に挟まれ、扇形のように市街地が広がった地形が特徴的です。
 
夜景がいちばんきれいに見える場所を教えていただきました。カメラを夜景モードに切り替えられなかったので、日が落ちてからの写真はよく撮れませんでした。

函館のホテルに泊まって、翌日はいよいよ帰路に着きます。





旅の最終日(6/27)は、午前中に赤レンガ倉庫、運河を見学しました。
                 つづく


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北海道旅行 稚内~札幌、函館 その4

2019-07-08 16:05:51 | 家族
札幌まではJRで行きました。
札幌のホテルに荷物を置いて、札幌市内を見学しました。普段のわたしだったら、このあたりでへたばっているのですが・・・不思議に元気で、札幌の町を歩いてみたくて外に出ました。





赤レンガ庁舎と時計台です。

時計台に着いたときは午後6時だったので、中には入れませんでした。(残念)


翌日は函館です。札幌から函館へはJR特急で4時間弱です。函館に着いてまず向かったのは五稜郭タワーです。



五稜郭は、日本でも珍しい星型要塞(稜堡式城郭)で、土方歳三ら新選組の最期の地でもあります。

五稜郭は、江戸幕府により安政4年(1857年)に、蝦夷地を管理して外国から防御するために7年かけて作られました。日本でも珍しい星型要塞(稜堡式城郭)です。



星型要塞とは、15世紀のイタリアで始まり、ヨーロッパ各地に広まった築城方式で、代表的な建築家の名からヴォーバン様式とも呼ばれています。

なぜ五稜郭が星の形をしているかというと、堀で囲んだ星型の先端に、砲台を設置できるようになっていて、本拠地である箱館奉行所を敵から守れるようにするためだそうです。

実は、五稜郭は戦場ではなくて、あくまで本拠地であり屯所なので、土方歳三を始めとした新選組が実際に戦ったのは、その先の海岸線にある「弁天台場」や「一本木関門」だそうです。


五稜郭奉行所(五稜郭公園内)


五稜郭からホテルに向かう時、またハプニング(というより、わたしの失敗)がありました。タクシーに乗ろうとしたら、わたしの荷物がひとつないのです。小さなバッグならうっかり忘れたと言えるでしょう。けれどもないのは、大きなキャリーケースでした。タワーに上る前にコインロッカーに入れ、荷物を全部出したつもりでした。あせって戻ると、ロッカーに残っていました。海外旅行だったら100%盗まれていたでしょう。


                     つづく


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北海道旅行 稚内~札幌、函館 その3

2019-07-06 14:33:45 | 家族
灯台は紅白の縞模様でした。灯台は船を港へ安全に導くため、大きな役割を果たしていましたが、GPSで位置情報がわかるので、灯台はどんどん廃止されているのだそうです。(一年で150基以上)
仕方のないことですが、せめて建物だけでも残してほしいと思いました。

翌日稚内から新千歳空港へ向かいました。プロペラ機は初めて乗りました。



飛行機に乗るとき、ちょっとしたハプニングがありました。搭乗手続きを済ませて椅子にすわっていると、案内放送がありました。夫がいません。最終案内になっても戻ってきません。夫には時々黙ってふらりとどこかへ行って戻ってくるという癖がありましたが、飛行機に乗り遅れたら大変です。

「ああ、どうしたんだろう。どこへ行ってしまったのかしら?」
あせっているので、夫の携帯に電話しようという発想がありません。もっとも電話してすぐ出てくれるのは5回に一度ぐらいです。

わたしは焦って探し回りましたが姿が見えません。CAに告げると、「スマホか携帯で連絡つきませんか」と尋ねられ、携帯を持っていることに初めて気づきました。あわてて電話しようとしたとき、ゆっくりとした足取りで夫が戻ってきました。

「あっ! お父さん。どこ行ってたのよ。最終案内も終わっているのに」
「売店を探していたんだ。そんなに急がなくても大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないわ、早く早く」と夫をせかして搭乗口へと走りました。

夫はのんびりしていて、わたしはせっかちです。待ち合わせ場所に行くのにわたしは少しでも早めに着くことを心がけていますが、夫は時間ぎりぎりに出ます。
(結局忘れ物をして遅くなるのはわたしですが……)

夫は無口でわたしはおしゃべり。夫は几帳面でわたしはずぼら。その他あらゆる点で違っていて、ふたりの性格で共通点は少ないです。共通する趣味もありません。



1時間弱で新千歳空港に無事着きました。つづく


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北海道旅行 稚内~札幌、函館 その2

2019-07-03 16:15:12 | 家族



遠い昔、社会科で間宮林蔵のことを学びました。樺太探検をして、確か間宮海峡を発見した人だったような……。



間宮林蔵の碑
 
文化5年4月13日、幕府から命を受けた間宮林蔵(当時29歳)は、松前奉行支配調役・松田伝十郎とともに、第1次樺太探検に出発しました。

このとき、林蔵は郷里から持ってきた墓石を海岸に建てました。死を覚悟で出かけたのですね。

同年7月13日、第2次樺太探検のため、アイヌの船に乗って単身で出発し、トンナイ(旧真岡付近)で冬を越し、翌年5月に樺太を北上、樺太北端のナニオーまで踏査して樺太が島であることを確認しました。

この時の探検地図が、後にシーボルトによって紹介され、樺太北部と大陸の間が「間宮海峡」と命名されたそうです。


ノシャップ岬にも行きました。
ノシャップとは、「岬のそば」「岬がアゴのように突き出たところ」というアイヌ語、「ノッ・シャム」が語源となっているそうです。

うっすらと利尻富士が見えます。海に浮かんだ富士山のようです。


ギリシアの建築物を思わせる防波堤です。太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびているそうです。

1日目は稚内のホテルに泊まりました。
                   つづく


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北海道旅行 稚内~札幌、函館 その1

2019-07-01 15:42:43 | 家族
6月24日9時に土浦の自宅を出て羽田空港へ向かいました。飛行機に乗るのは久しぶりです。前回は耳が痛くなり、苦痛でした。

今回はあらかじめ耳抜きのやり方を調べて練習していたので、痛みはそれほど苦になりませんでした。
羽田から稚内まで約2時間弱です。土浦では雨が降っていたのですが、稚内で降りると真っ青な空で、さわやかな空気に包まれていました。
旅行社を通して頼んでいた観光タクシーに乗って出発しました。



牧場が広がっていました。氷河期の地形をそのまま利用しているそうです。



牧場の向かい側に広がっている海は、2色に分かれていました。



鹿が車まで寄ってきました。

「日本最北端の地」の記念碑(このブログ記事のトップに画像掲載しています)

北極星の一稜をモチーフに、中央には北を示す「N」、台座の円形は「平和と協調」を表しているそうです。



大韓航空機墜落の慰霊の塔です。昭和58年9月1日未明、日本人28名を含む乗員乗客269名が犠牲になりました。この事件は印象深く残っています。ひとりひとり、みな明日があると思って生きていたのに、一瞬で失われてしまうとは……。
亡くなった方のご遺族のために祈りました。

前回の記事の写真、取り替えました。


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北海道旅行 前書き

2019-06-29 17:58:40 | 家族
6月24日~27日に夫と北海道旅行しました。行先は日本北端の宗谷岬と稚内、札幌と函館です。

夫が旅行社に行ってスケジュールをたててきたのは、一か月前でした。

ちょうど孫のソウクンが来ていて、一緒に旅行社に連れていきました。すぐあきてしまったので、旅行のことは夫に任せて、子供の遊び場のあるイオンの3階に連れて行きました。わたしはソウクンのベビーカーを押しながら、行けるのかなあ……と不安な気持ちでいっぱいでした。体調が悪かったからです。

宗谷岬と聞いても何の興味もわきませんでした。キャンセルするなら料金がかからないうちにねと消極的でした。
函館の夜景を見ようと言われると、夜はホテルでゆっくりしたいのに……と思いました。

ところが日にちが近づくにつれ、行きたいという思いが募り、体調が回復するように祈りました。
神様は祈りに応えてくださいました。

                つづく

写真取り替えました。(7月1日14時16分)

主の食卓

2019-05-29 15:56:27 | 家族
ご無沙汰しています。
娘一家が3か月もいて、へとへとに疲れてしまいました。朝食作り、3倍量に増えた洗濯。2倍以上の食材を買いに行き、昼寝させる都合で11時半には昼食。昼寝の間だけちょっと休憩して、洗濯物をたたみ、夕方4時からまたご飯の支度。

娘は生まれたばかりの赤ん坊の世話で、せいいっぱいです。ソークンは3か月の間2回熱を出し、主人と私が近所の小児科に連れて行きました。(たいしたことない風邪だったのでよかったです)

赤ん坊のズーチャンは、日ごとにほっぺがまるくなっていきます。

ソークンは食べることが大好きで、幸せそうな笑顔で食事をします。今、自分で食べる練習をしています。(半分以上こぼしてしまいますが……)
皆で食事しながら笑っていた時、『主の食卓』だと思いました。『主の食卓』とはイエス様が共にいてくださる食卓です。イエス様が食卓を囲んでいる場面が聖書に何箇所も出てきます。

そんなふうに感じた翌々日、教会へ行くと聖餐式が執り行われ、主の食卓についてのメッセージがありました。不思議な一致に驚きました。

娘一家は25日に帰っていきました。空になったベビーベッドを見るとさみしいですが、体力的には限界でした。足にしびれがあったので、昨日は神経内科で検査を受けました。特に異常はなかったので、ほっとしました。

日本クリスチャン・ペンクラブで新しく本が出版されました。21人が書いた自分史が掲載されています。本の題名は「百花繚乱」です。上の写真は本の画像です。
わたしはいつもペンネームで書いていましたが、今回は自分史なので本名で出しています。タイトルは「インマヌエルの神」です。



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近況報告

2019-03-06 16:57:12 | 家族
お久しぶりです。娘と孫が我が家に来て3週間になりました。毎日がせいいっぱいでパソコンを開いても、ブログを書く余裕がありませんでした。

1歳7か月の孫、ソークンは何にでも興味を持ち、引き出しを開けたり、ベランダに出ようとしたり、洗面所に入ってきたり……。うっかりしていると大怪我をしかねない状態なので、あちこちに養生テープを張り、台所の入り口にネットを張っています。

それでも、「それは危ないから返して」と言うと、たいていは素直に手放してくれます。でも、スマホとリモコン類は別で、取り上げると大泣きします。
おもちゃよりそのようなものが好きです。

最近のブームはスリッパを片足にはいて歩くことです。

わたしはインフルエンザが抜けたと思ったら、今度は微熱を伴う風邪にかかって咳がひどく、しばらく調子が悪かったです。
娘を世話するどころか逆に世話されていました。


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今年もよろしくお願いします

2019-01-08 16:50:11 | 家族
追記あり
遅ればせながら……
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いい致します。

年末年始にかけて息子一家と娘一家が泊りに来ました。

はりきっておせち料理を作り、孫たちと遊び、大忙しでした。買い物は、暮れには婿殿が、年明けは息子が車を出してくれたので助かりました。
31日は朝早くからいちども休まないで動いていたので、正月早々ダウンしてしまいました。少し休んだらよくなりましたが……。体力のないことはわかっていたのに、つい動きすぎてしまいました。

残念ながら元旦礼拝には行けませんでした。その日はお嫁さんと娘が夕飯の支度をしてくれました。

ナルクンが「ゆこちゃん、腰痛いの? これつけるとよくなるよ」と言って自分がお風呂上りにつけてもらっているクリームを持ってきてくれました。

娘に二人目の赤ちゃんが与えられました。里帰り出産のため、春にはこちらに帰ってきます。ソークンは1歳9か月でお兄ちゃんになります。お兄ちゃんになるという意味がわかるでしょうか?

追記

夫は里芋のポテトサラダを3週間毎日食べ続けたのに血圧が下がらなかったので、ついに病院へ行くことを決心しました。昨年の暮れに内科を受診し、血液検査を受けました。昨日その結果が出て、降圧剤が処方されました。これで安心というわけでもありませんが、まずはほっとしました。これから食事療法を始めようと思います。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました




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3週間たちました

2018-12-22 17:30:00 | 家族
里芋のポテトサラダを作って毎日食べ続けると、血圧が劇的に下がるというのを夫がテレビで見て、やってみようと言いました。
基礎検診で血圧が180もあったのです。それより、病院へ行った方がいいとすすめたのですが、頑として聞きません。

三週間食べ続けても血圧が下がらなければ病院へ行くと約束してもらって、始めました。このことは12月1日のブログに書きました。
作るのは30分以上かかり、一日分が里芋7個ときゅうり1本なので大変な量です。一日おきに二日分を作りましたが、途中で挫折しそうになりました。

わたしの役目は里芋を洗ってレンジで蒸す。きゅうりを輪切りにする。の二つだけでしたが、だんだんうんざりしてきました。夫は里芋の皮をむき、つぶしてきゅうりと混ぜ、調味料を入れることを黙々とやっていました。

そして今日まで一日も欠かすことなく食べ続けたのですが、その結果、変わりなしでした。
それでも、「よく続けられたね」と夫と自分自身を誉めました。里芋ポテトサラダはこれからも時々食べると言っています。病院は年内に予約がとれたのでまずは安心しまいた。

血圧が劇的に下がるようなことをテレビで言っていましたが、人によって効果は違うのだと思います。

テレビといえば、昨日NHKの「チコちゃんに叱られる」を何気なく聞いていたら、「クリスマスは何の日?」という声が聞こえてきました

クリスマスは、キリストの誕生日です。でも、日にちについては聖書の中には、はっきりと書かれていません。

キリストの誕生日はわからないのですが、12月25日は、キリストが誕生したことを祝う日です。
キリストの誕生を祝う主な候補日が12あり、その中から冬至である12月25日が選ばれました。その理由は、冬至は1年で1番日が短い日で、この日から徐々に日が長くなっていきます。

人類に光をもたらすキリストの誕生日なので、12月25日に決まりました」と言うのを聞いて「チコちゃん、その通り!!」と思わず拍手してしまいました。

テレビの話題が続いて、テレビばかり見ているように思われたかもしれませんが、夫は昼間ずっとテレビをつけっぱなしにしているのです。わたしは同じ部屋でPCで文章を書いています。以前は気が散って仕方なかったのですが、最近はほとんど気にならなくなりました。家事をしているときはBGMのように聞き流していますが……。

クリスマスの本当の意味について視聴率の高い番組で語られたことがうれしいです。

聖書の言葉
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。(ヨハネ1:4)」


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里芋ポテトサラダ作ってみました

2018-12-01 15:02:55 | 家族
夫が年に一度の健康診断を受けました。その結果が送られてきてびっくりしました。
悪玉コレステロール値が高いのはいつものことですが、血圧が180もあったのです。そのことをわたしに言いもしませんでした。

4年ぐらい前、145あったとき、病院へ行くと、「薬飲みますか?」と医師に聞かれて断ったそうです。
しばらく毎日血圧を測って用心していましたが、最近は血圧も測らず、「180あっても年齢がすすめば高くなるのだから心配ないよ」と言います。

冗談じゃありません。「すぐに病院へ行って降圧剤を処方してもらって」と言うと、「病院は混んでいるから……。」と行く気がないようです。
血圧は測るようになりましたが、150~160です。

そんなときにテレビTBS系『こんな私は何を食べればいいですか?』が11/26に放送されました。「里芋ポテトサラダ」を3週間毎日食べると、血圧が下がるというのです。

里芋は一日7個。きゅうり一本です。里芋もきゅうりもカリウムが多く、塩分を取り除いてくれるようです。
その量はどんぶり一杯です。量を聞いたとき、これは一週間続けるのも大変だと思いました。それでも、夫が食べるというので、「自分で作ってください」と言って材料を買ってきました。結局わたしも手伝うことになりました。
(作り方は、ここをクリックしてご覧ください。)

塩分が少ない割にはおいしいのですが、毎食ごとに食べたらあきるのでは?と思いました。(もちろん、一回で一日分食べてもOKです)
今日で4日目です。一回に2食分作って冷蔵庫に入れています。今日また里芋を買いに行ったら売り切れでした。作っている人がたくさんいるのでしょうか?

3週間たって血圧が下がったとしても、そのあとも食べ続けなければ血圧がまた上がってしまうとしたら、本当の解決にはなりません。4週間後にお正月を迎えるのですが、まだ里芋ポテトサラダを作り続けているでしょうか?



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