生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

生きている言葉

2018-03-08 16:22:06 | 家族
今日は朝から冷たい雨が降っています。明日がピークで、明後日も雨が続くそうです。明日は出かける用事があるので、久々に長靴とレインコートを用意しました。

この前の土曜、日曜、ヒックンとナルクンが来ました。

昼寝をさせようと布団を敷いていたら、「そんなに大きな声を出さなくても聞こえます。」と、ナルクンが言いました。特別大きな声を出しているわけではなかったので「何のこと?」と尋ねると、「小さな声で言ってちょうだい」と言われ、内緒話のように話すと、満足げな顔をしていました。

保育園で昼寝のととき、先生に言われた言葉をそのまま言ったんじゃないかなと思いました。こんなふうに注意されているのね。

ナルクンは元気が良くて、かなり離れたところにいても、どこにいるかわかってしまうほど常に大声を出しています。(家に遊びに来るときは、車が着いたとたん、駐車場から声が聞こえてきます。)迷子にならなくていいかもしれません。

カルタで遊んでいると「手が痛い、絆創膏貼って」と言いに来ました。赤くもなっていないので「どうしたの?」と尋ねると、「ゆこちゃんの手が痛い」と答えました。
1か月前にナルクンと遊んでいたとき、私の手が急に腫れて痛くなったことを覚えていたのです。

3歳児の記憶力ってすごいですね。次々新しい言葉を覚えて、間違って覚えても更新していき、少ない語彙の中から選んで一生懸命話しています。
先日は「やばい、やばいよ」と言っていました。きっとお兄ちゃんが言っていたのですね。

言葉の力は大きいです。

聖書の言葉は、神様の言葉ですから、力があります。
イエス様は悪魔に誘惑を受けたとき、すべて旧約聖書の言葉を用いて答えられました。

40日の断食のあと、空腹を覚えられたイエス様に向かって、悪魔は石がパンになるように命じなさいと誘惑します。でも、イエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつの言葉による」と書いてあると答えられました。それは、旧約聖書の申命記8:3に書かれている言葉の引用です。

わたしは心が神の言葉で満たされたくて、毎日のデボーション(聖書を読み、祈る時間)で心に留まった聖書の言葉を単語カードに書いて覚えるようにしています。


「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4:12)」



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だいきらいってことは、だいすきってこと

2018-02-02 16:24:08 | 家族
インターネットに不具合があって、あたふたしていたらいつの間にか2月になっています。早いですね。

孫のナルクンは3歳10か月になります。反抗期真っ盛りです。
ママが泊りの仕事があるので2週間に一度はお兄ちゃんのヒックンとふたりで我が家に泊りに来ます。

車中で「今日は保育園楽しかった?」「お友達と何して遊んだの?」と尋ねると「うんこ。うんこ」と言います。「大変、うんこ出るの? 近くにコンビニあるかしら」わたしが言うと、10歳のヒックンが「ただおもしろくて『うんこ』って言ってるだけだよ」
と言うので、ほっとしました。

ヒックンによると、『うんこ』っていうと大人が「えーっ!」という反応するからおもしろくて言うのだそうです。
それから、「おじいちゃん、だいきらい。パパもママもヒックンとゆこちゃん(わたしのこと)もだいきらい」と言うので、「それじゃあ、だいすきな人はいる?」
と、尋ねると、

「だいすきな人は、ゆこちゃんとおじいちゃん。パパとママとヒックンも」
「だいきらいってことは、だいすきってことだね。」
「うん」
ナルクンはにっこりしました。

わが屋はマンションの2階ですが、家に着いたとたんナルクンが床でとびはねるので、「下の家の人がびっくりするから、やめてね」と言うと、さらに強くドンドンとびはねます。本気でしかるとやめたのですが、大声で泣きだしました。

「ほおっておいて。ナルはわざと大きな声を出しているんだよ」と、ヒックンの言葉に助けられました。
おやつを食べてほっと一息ついていると、

ナルクンがディズニーのピノキオのカルタを持ってきて遊んでと言いました。以前、ヒックンが遊んでいたものです。ナルクンはまだ字が読めないのにどうやってカルタ遊びをするのでしょう?

絵札はカラフルでとてもいい絵なので、紙芝居のようにして絵札を見せながらお話ししました。

それから字ではなく、どんな絵が描いてあるか説明して絵札を探させると、ナルクンはすぐに見つけて大喜びです。

カルタで遊び終わってから突然「ぼく、いい子になる」と言ったので、驚きました。自分が悪い子だと思っているのでしょうか?

ピノキオが嘘をつくと鼻が伸び、悪いことをするとロバになってしまうことを聞いてそんなことを言ったのかもしれません。
しばらくは、おとなしくしていました。10分後にはいつものナルクンにもどっていましたが……。

また、ナルクンはお兄ちゃんが大好きなのですが、ライバル意識も強く、ちょっとからかわれただけで本気で向かっていきます。7歳も年が離れているので、どうやってもお兄ちゃんには勝てませんが。
お兄ちゃんから「もう、遊んであげないよ」「赤ちゃんみたい」と言われるのがいちばんいやで大泣きします。

元気いっぱいなナルクンですが、ときどきママが恋しくなるらしく、ママに言われた言葉を自分に言い聞かせるように言っています。

「ママはお仕事なの。お仕事忙しいの。おりこうにして待っててね」

昼寝させようとすると、ナルクンがたずねました。
「ママ、いつ来るの? 明日?」
「明後日よ」
「明後日っていつ?」
「明日の次の日」
「ねんねして起きたら、明後日になってる?」
「まだだけど、昼寝した方が早く明後日になるよ」
「じゃあ、ねんねんころする」
と言って口をチュクチュクしながら寝てしまいました。

ピノキオは、旧約聖書のヨナ書をもとにして書かれたお話です。
ヨナは神様の言葉を人々に伝える預言者でした。ヨナは神様からニネベに行って、このままではニネベが滅びてしまうので悔い改めるように人々に伝えなさいと言われました。(ニネベの人たちは神の教えに背いていました)ところが、ヨナは行きたくないのでニネベとは反対方向へ行く船に乗ってしまいました。

まもなく嵐になり、ヨナの乗った船は沈みそうになりました。ヨナは、自分が神様の言いつけに逆らったからこんな嵐になったのだと言い、海に放り投げてくれと船員に頼みます。ヨナが放り投げられたとたん、嵐はおさまりました。

ヨナがおぼれそうになったとき、神様は大きな魚を用意して、ヨナを呑み込ませ、あとから陸地へ吐き出させてくれました。
ヨナは魚のおなかの中で悔い改めのお祈りをしています。そして、陸地に上がってから、ニネベに行って、神様からの言葉を伝えました。
 
ピノキオも、おじいさんの言いつけに逆らって悪いことをしましたが、クジラのおなかの中でおじいさんと出会い、あやまりました。そして、最後は人間の子どもになったという結末です。


この次はヨナの話をナルクンにしてあげようかな。


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新年早々失敗・・・・・・

2018-01-04 11:45:56 | 家族
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年29日から娘一家が、30日から息子一家が泊りがけで来て、1月2日には義母のところに行ってきました。
昨日は疲れて、いちにち寝ていました。今日の午後からまたヒックンがきます。

31日が日曜日だったので、日曜礼拝の翌日に元旦礼拝が行われました。何とかどちらも行きたいと思いましたが、難しいことでした。
家族全員で教会へ行くということがないので、時間的に難しいのです。

1日は、皆ゆっくり起きてきてお正月のあいさつをし、おせち料理とお雑煮を食べるというのが恒例になっています。

31日は娘が「お母さん、教会へ行くんでしょ。朝ご飯の用意はわたしがするから行ってきて」と言ってくれました。
31日の昼過ぎに娘たちは婿の実家に行ってしまったので、1日はどうなるかわからない状況です。あきらめるしかないかな。と思ったとき『なぜ元旦礼拝に行けるように祈らないのか』という心の中に語りかける声を感じ、はっとして祈りました。

すると10時ごろ皆起きてきて、皆が食べ終わって片付けが済んだのは11時でした。2回目の元旦礼拝は11時半からなので、なんとか間に合いそうです。

行く前にナルクンにかばんの中に新しいノートがあるのを見つかってしまいました。ナルクンが『ぼくお勉強するから、ちょうだい』とノートを指さして言いました。最近、お兄ちゃんが勉強するのを見て、ノートに絵を描くのをお勉強と言っているのです。

『ナルクンのノートはこっちね』と、別のノートを渡し、はっと時計を見ると11:19分。教会へは自転車で15分ぐらいかかります。

急いで出かけましたが、なんと、新年早々遅刻してしまいました。
普段は、8時半から始まる第一礼拝に出ているのですが、ほとんど遅刻したことがありません。それなのに元旦に遅刻とは……。こっそり礼拝堂に入りましたが、ほかに遅れてきた人がいなかったので、おそらく目立ったことでしょう。

「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み(ピリピ3:13)」
元旦礼拝で語られた聖書の言葉に『遅刻したことを悔やんでばかりいないで、一歩を踏み出しなさい』と言われたような気がしました。
31日も1日も礼拝に出られたことを感謝します。


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喜びに呑まれた悲しみ

2017-12-05 20:28:00 | 家族
2日の土曜日は、教会で父母の記念会を行っていただきました。身内の者9名+子ども3名と友人と教会スタッフの先生方だけの小さな会です。娘一家は前日から来て泊り、妹一家は当日から来て泊り、息子一家は仕事の合間を縫って来てくれました。

2年前に母が召されたので、「お母さんの3回忌がしたい」という妹から要望がありました。遺骨はふたりとも分骨して秋田のお墓と土浦めぐみ教会の納骨室に収めています。
秋田まで行くこともないので、教会で執り行っていただくことにしました。

父は11年目の記念会となりました。
妹に母との思い出、姪に祖父との思い出を語ってもらいました。わたしはパワーポイントで映像をうつしながら、主に父の生涯について、そして父と母がどのように信仰を持つに至ったかを以前書いた「心のフィルムに」というエッセイから話しました。

こんなに緊張したことはありませんでした。身内の前で話すのは照れくさいという思いもあって、ちゃんと語れたかどうか記憶にないほどです。
そして、肝心なことをいくつか抜かしてしまいました。

わたしの話の後で牧師先生が説教をしてくださったのですが、わたしが抜かしてしまった箇所のほとんどを語ってくださいました。前もって牧師先生に原稿を見せていた訳ではなかったのに……。驚きました。神様が欠けをすべて補ってくださったのです。

お墓には、『亡くなった方を思い起こす』という意味があるそうです。納骨堂のある会堂で故人の思い出を語り、思い起こすことができるとは、なんと幸いなことでしょう。寂しさが心にあったのですが、父と母は天を見上げながら天の御国に行ったという確信が与えられました。

ふたりとも、神様が用意してくださった『憩いの水のほとり』で安らいでいることでしょう。父母に再会できるという希望に、悲しみが喜びに呑み込まれてしまいました。

記念会で語られた聖書の言葉

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」
                              ヨハネ14:1~2


翌日の日曜には妹と姪が礼拝に出席できてうれしかったです。

父のことを詳しく書いたエッセイはわたしのHP「生かされて・・・土筆文香」のエッセイの部屋「心のフィルムに」に掲載しています。ここをクリックしてごらんください。


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決して滅びないもの

2017-11-24 20:36:12 | 家族
昨日は91歳の義母の引っ越しでした。老人ホームに入居するのです。ホームの場所は自宅から車で30分のところです。3人の子どもの家からは、それぞれ2時間以上(わが家からは3時間以上)かかる場所です。

90歳近くになってから、一人暮らしが不安になったようなので、わたしたちはホームを捜し、見学に行ったり、体験入居してもらったりしました。でも、義母は気に入らないようで、入居するとはなかなか言いませんでした。
ようやく決めた理由はわかりませんが、慣れ親しんだ自宅から近いこと。ホームから歩いて10分のところにお墓があることがいちばんの理由かもしれません。

ホームで必要な家具は、ほとんどネットで購入しました。わたしが購入手続きをしたのですが、とても時間がかかりました。

日時指定ができるものが少なかったからです。しかも日時指定ができるかどうかは購入手続きに進んでからでないとわかりません。やっとサイズも色もちょうどのものを見つけてカゴに入れたのに、日にち指定が出来ないことがわかり、カゴの中を削除することの繰り返しです。

自宅に送ってもらうのならいいのですが、ホームに直接送る場合は、日時をそろえたほうがいいと思い、23日の午前中着でなんとか必要な5点を送ってもらいました。同じ店のものを送りたかったのですが、それができず、すべて別の店からでした。それでも間違いなくちゃんと指定通り届いたので感謝しました。
押し入れや部屋のサイズは夫がしっかり測っていたので、ぴったりおさまりました。

午前中は土砂降りだった雨も午後になるとぴたっとやみました。家から運ぶ荷物は義弟の車に積み、4往復もしてくれて、すべて運び入れることが出来ました。その間、わたしはお義母さんとお茶を飲んでおしゃべりしていました。

朝から悲しげな表情をしていた義母ですが、新しい部屋で新品の高座椅子にすわると、ほっとしたようでやっと笑顔を見せてくれました。

義母が「時間がたっぷりあるから絵を描こうかな」と言ったので、「出来上がったら見せてくださいね」と言うと、「でも、どうせ捨てるのよね。今まで作ったものもみんなゴミになるんだから」と悲しそうに言いました。かつては木目込み人形を作っていて、家にたくさん飾っていたのですが、ホームに持ってきたのはひとつだけでした。

わたしも断舎離をしていると、今までやってきたことがすべて無になるような気がして空しくなりました。
「作品がなくなってしまっても、作品を見た人の心に残りますよね。それで元気づけられたりするのです。何よりも作った本人が我が子のように忘れないのだから、これからも描いたり作ったりしてください」と言いました。

本当は「決して滅びることのないものがある」と言いたかったです。
聖書には「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは、決して滅びることがありません。(マルコ13:31)」とはっきり書かれています。

造られたものはやがて滅びます。こんなに空しいことはありません。でも、神様の言葉は決して滅びることがありません。神を信じる者も滅びることがないのです。


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時間をかけてゆっくりと

2017-10-27 16:18:56 | 家族
91歳の義母が、老人ホームに入ることになりました。6年前に義父が召されてから一人暮らしをしていました。荷物整理のお手伝いをしようと一昨日千葉の実家へ行ってきました。片道3時間近くかかるので、朝8時20分に家を出ました。予定では11時に着くはずだったのですが、電車が遅れて着いたのは12時過ぎでした。
寒い中、ホームで立っていたので風邪ひきそうでしたが、なんとか元気で戻ってきました。

わたしの母がホームに入所するときのことを思い出しました。引っ越しの日までに家を処分することになり、妹と私が実家に泊まり込んで整理しました。ほとんどが捨てるものでした。
そのとき、母は精神的に不安定になり、いる物といらない物の区別がつかなくなってしまいました。いつも使っている眼鏡や父や祖母の遺影もいらないと言い出したのです。認知症になったのでは? と思いましたが、様子がおかしかったのはそのときだけでした。

今になって思うと、60年も住んでいた家にあるもののほとんどを処分してしまうことが精神的に辛かったのではないでしょうか。「私の人生、何だったんだろう?」と思ったのかもしれません。そんな母の気持ちも考えないで妹と私は必死に片付けをしてしまいました。

義母の場合はしばらくの間は家をそのままにしておいて大丈夫なので、余裕があります。
ホームは今住んでいる家から車で30分ほどのところです。
義母は、「ホームに入所してから足りない物があれば取りに行けばいいし、一日家にいて夕方に戻ってもいいし……」笑顔をみせてくれます。

それでも、本心はホームには入らず、ずっと家に住んでいたいようです。残った荷物をどうするかという話をすると、話をそらしてしまいます。

夫は、「しばらく家をこのままにしておこう。片づけも時間をかけてゆっくりとしたらいい」と言いました。
理性ではわかっていても、心がついていかないことがあります。長年住んだ家を処分すること、ホームに入所することは義母にとって大きな変化です。喪失感や不安があることでしょう。少しでも気持ちに寄り添うことができれば……と願っています。

影響を受けて、わたしも家の中の整理をし始めました。
でも、なかなか捨てられないので困っています。教会学校で作った紙芝居やフランネルのフィギアなどは、孫たちにお話ししてあげられるので捨てられません。
今日は家電製品の保証書で期限切れのものを捨てました。わざわざ5年間保証というのに入ったのに故障なく7年、8年と過ぎているものがたくさんありました。

思い出の品やいただいた手紙などはまだまだ捨てられません。ひとつひとつ思い出に浸っているのでなかなかはかどりませんが……。
子どもの作文が出てきました。

娘は4年生の時の作文です。
「幼稚園の時、お母さんに毎お弁当を作ってもらったことを感謝しています。お父さんに机や鉛筆を買ってもらったことに感謝しています。大きくなったらフラワーデザイナーになりたいです。お金を稼いだら、半分はお父さんと母さんの家に置いて親孝行しようと思います」

そんなことを書いてくれていたなんて……。すっかり忘れていました。これはとっておきましょう。娘に見せてやらなくては。


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母を偲んで(その3)

2016-10-03 16:21:26 | 家族
一昨日は土浦の花火大会でした。お天気が危ぶまれましたが、雨は降りませんでした。数年前、打ち上げた花火が雨雲や煙に遮られ、ほとんど見ることができなかった花火大会のことを思い出し、今年もそうなるのではないかと案じていましたが、今年はとてもよく見えました。70万人もの人花火見物に出かけたそうです。事故がなくてよかったです。

我が家は、マンションの2階ですが、打ち上げ場から近いのでよく見えます。息子一家を招いて一緒に見物しました。
ナルクンがどんな反応を示すか楽しみにしていました。喜んでいたのは最初の5分だけで、
「遊んで、遊んで」と手を引っ張られてしまいました。それでもわたしは、相手をしながら花火を見ていました。ヒックンはDSで写真を撮っていました。


花火大会で人が集まってくると、ざわめきが聞こえてきます。いつもは誰も通らない農道に人がたくさん歩いているのが見えます。屋台も軒を並べています。花火が始まると、スマホで画像を送る人たちがたくさんいるせいか、しばらくの間メールは送受信できません。

今、誰かが倒れたり、大けがをして救急車を呼んでも一時間ぐらいかかってしまいそうです。陸の孤島になったようで、恐怖を感じます。
出かけるにしても出先から帰るにしても、この時間帯は交通規制がかかっています。
一昨日、御茶ノ水でJCPの例会があったのですが、残念ながら行けませんでした。


花火を見ながら去年の花火大会を思い出しました。母が召されたのが10月1日で、花火大会はその2日後の10月3日でした。母のいたホームの部屋は8階で、我が家のマンションよりよく見えるし、ホームの部屋から見るのは最初で最後になるだろうと思って、息子一家や妹の家族といっしょにホームで花火見物をしました。

あのとき、どんな気持ちで準備していたのか……そのときの自分の気持ちがどうしても思い出せません。
花火の日に母が亡くなっているということは考えられなかったので、母に花火を見てもらうつもりで準備をしたのでした。

わたしは父親もがんで亡くしています。父は膀胱がんでした。同じく末期の状態でみつかったのですが、父と母の最期の容態は異なっていました。
父は、末期がんの痛みが出たので、モルヒネを使っており、最後の2日間は意識がありませんでした。意識のない父に向かって必死に聖書を読みましたが、意識が戻らないまま召されました。
母は、先日書いたように、痛みもなく召されました。同じ末期がんでも人によって違うのです。

「母は、あと3年は生きる。Mちゃん(わたしの娘)の結婚式に出る。」と言っていたのに、その願いはかなえられませんでした。
でも、東京の病院での手術が守られたことや、具合が悪い中でも土浦に来れたこと、最期まで看取ってくれるホームに入所できたこと、土浦の病院に入院しているとき、危機的状態にあったのに元気になれたこと……など考えると、奇跡の連続で、神様がずっと導いてくださったのだと気づかされます。

土浦へ引っ越す前、熱が出ていたのですが、そのときもし東京の病院へ連れて行っていたら、再入院となったことでしょう。
土浦の病院に入院したからこそ、洗礼を受けられたのだと思っています。
元気でホームで過ごせたのは2か月半ぐらいでしたが、かけがえのない時間でした。

わたし自身は、ほとんど毎日、病院へ、ホームへと通いましたが、不思議に具合悪くなりませんでした。(家では必要最低限の家事だけしてひたすら横になっていましたが)

病院は今年の3月に遠くへ移転してしまいました。移転前だったので自転車で通えたのです。
妹は週末になると必死な思いで2時間かけて都内から母のもとへ車で通っていました。振り返って、あんな体力がどこにあったかと思うと言っていました。

妹は、母が召された日は海外出張で日本にいませんでしたが、どんなことがあっても、仕事半ばで帰ってきてはいけないと母に言われていたので、死に目には会えないと覚悟しての出張でした。

人間が色々なことを計画し、こうあってほしいと願い、これから先のことを考えますが、自分ではどうすることもできないことがあります。いつ、どのようにして死ぬのかなど、自分のことでも想像がつきません。でも、すべてのことは神様の手によってタイミングよく行われるのです。だから、くよくよしたり、心配する必要はないのです。

聖書には
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(伝道者の書3:11)」と書かれています。
アーメン(その通りです)

昨日と一昨日、2日続けて母の夢を見ました。召されてから初めての母の夢でした。白い毛皮のコートに身を包み、病院の椅子に座っていました。「どうしてそんなにおしゃれしているの?」と聞くと「今日退院するんだからいい恰好していなくちゃね」と笑いました。

                         おわり



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母を偲んで(その2)

2016-10-01 11:21:00 | 家族
今日は土浦の花火大会です。これから息子一家がきます。今、雨はあがっているようです。花火の間は雨が降らないようにと願っています。

昨日の文章で、母が病床洗礼を受けたと書きましたが、唐突のように思えたかもしれません。

母の信仰はどのようなものだったのでしょうか。

以前母は「神様なんかいない。いたとしても頼らない」と言っていたのですが、病気になったころから「イエス様に祈っているの」とよく言うようになりました。

東京の病院で手術を受けた時は、人前では苦しいとか痛いとか言いませんでしたが、「イエス様、助けて、痛いよう」と書かれたメモが残されていました。

「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある助け。それゆえ、わたしは恐れない。(詩編46:1-2)」という聖書の言葉を暗記していました。

わたしは、母が東京で入院していたときも土浦で入院していたときも、ホームで暮らしているときも毎日聖句とそれにまつわる文章を書いて母に渡していました。入院中は本を読む体力はありませんでしたが、わたしが書いたものは読んでくれました。

母は、頭はしっかりしており、手術直後に一時的にせん妄状態になるかもしれませんと先生に言われると、「わたしはなりません」と自信たっぷりに言いました。
はたして、術後初めて発した言葉は、「預けていた携帯、返して」でした。

母はキリストを信じたことによって、病の恐れから解放され、安らぎと平安が与えられたようでした。

退院後は昼食だけですが、ホームのキッチンで自分で料理していました。
娘が毎日11時ごろホームに行って、一緒に料理をして食べるという生活がしばらく続きました。娘は結婚が決まって、午後3時からのパートに出かけていただけなのでそれが可能でした。娘は母に料理を教えてもらって、いい花嫁修業になりました。

わたしは夕飯どきに毎日通い、食事を共にしました。
8月~9月始めまで体調がよかったので、妹の車で茨城県内の五浦と袋田の滝、2回も旅行に連れて行けました。

ところが9月末ごろから末期癌の症状が出てきました。足がむくみ、体のあちこちに水がたまってきて、寝返りさえできなくなってしまいました。
自分の部屋にはいられず、ケアー室といって介護士さんの目の届く部屋のベッドで過ごしました。

点滴の抗がん剤治療は受けていませんでした。点滴治療しても、死期は同じぐらいだと言われたので副作用の辛い点滴は受けないことに決めました。東京の病院にいたとき、抗がん作用のあるTS-1という飲み薬を飲みましたが、目に副作用が出たのでやめました。(眼球が傷ついて、失明するかもしれないということでした)

ケアー室が落ち着かないので、もう一度、自分の部屋に戻りたいと母がいったとき、介護士さんの計らいで部屋に連れて行っていただきました。数時間でしたが願いがかなえられて、母は嬉しそうでした。それからは自分の部屋に行きたいと言わなくなりました。

その数日後が最後の日でした。その夜も食事をしました。その日の夕食は、わたしが食べさせました。自分で食べる力もなくなっていたので。おかゆと豆腐とおからを3口ずつ食べて「おいしい」と言っていました。
 
夜7時ごろ「また明日ね」と言って家に帰りました。
9時45分にホームから電話があり駆け付けたときは、息をしていませんでした。
眠っているようで穏やかな顔でした。苦しみも痛みもなかったようで、ナースコールを押さずに亡くなっていました。(具合が悪い時はすぐナースコールを押していました)

身体がむくんで重く、つらかったと思いますが、今は神様に新しい身体をいただいて、天国で走り回っていることでしょう。
            

つづく


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母を偲んで(その1)

2016-09-30 21:02:18 | 家族
明日は母の召天記念日(命日)です。母が天に召される一年ほど前からのできごとを思い出して綴っていきたいと思います。写真は母の葬儀で妹が生けた花です。

母はいつも元気で、寝込んだことがほとんどなかったのですが、2014年の夏ごろから食欲がないと言い、近所の病院で見てもらっていました。逆流性食道炎と言われていましたが、なかなか良くなりませんでした。

全く食べられなくなったとき、別の病院で胃カメラをとってもらうと、すぐに大きい病院へ行きなさいと言われました。
翌日新宿の病院へ行くと、胃癌だということで入院することになりました。

癌はかなりすすんでいて、胃の出口が癌によってふさがれている状態でした。末期だそうです。癌を切除することはできませんが、胃と腸を結ぶバイパス手術をすれば、食べられるようになると言われました。

医師に余命を尋ねると、半年から一年といわれました。このことを母に告げるかどうか迷いました。もし、何かやりたいことがあるのなら伝えた方がいいけれど、伝えたらホームには入らないと言うでしょうし、意欲をなくしてしまうかもしれません。

妹と相談して、医師による説明を受けるとき、余命のことは伏せてもらうことにしました。
母は病状説明を聞いてよく理解しました。けれども、手術を受ければ3年ぐらいは元気でいられると思ったようです。

術後の快復は早く、退院後は旅行に出かけたり、麻雀ができるほど元気になりました。
それでも一人暮らしは不安なので、土浦のわたしの家の近くにあるサービス付高齢者住宅に入所する決心をしました。

60年も住んでいた家を処分することになり、昨年(2014年)の11月ごろから実家に帰るたびに少しずつ後片付けをしていましたが、荷物が多くてそれはそれは大変でした。

引っ越し日を5月4日に決めましたが、引っ越しの準備で母はかなり疲れたようです。
引っ越す一週間ぐらい前に熱を出し、熱は上がったり下がったりしていました。病院へ連れて行こうとしましたが、東京の病院には行かない。引っ越してから土浦の病院なら行くと言ってききません。
引っ越しの日も熱がありましたが、妹の車に乗って無事土浦に到着しました。

ホームに入所した翌日、39℃の高熱を出し緊急入院となりました。
熱は癌によるものではなく、肝膿瘍という病気でした。肝臓に膿がたまっているというので、ドレーンというチューブを刺して、膿をぬいてもらったのですが、なかなか熱が下がりませんでした。

そのようなとき、母は「イエス様を信じる」と言ったのです。その翌日、タイミングよく牧師先生が見舞いに来られ、3日後の日曜日の午後、出張聖餐式するため病院に出向くので、洗礼を授けましょうと言ってくださいました。
2015年5月10日に母は病床洗礼を受けました。(その日は熱も下がり、体調がよかったのです)。

母の熱の原因は、十二指腸の一部に穴が開いていて食べ物が漏れていることによるとわかりました。体力がないので外科手術はできません。でも、経鼻栄養補給をしながら10日間ほど絶飲絶食すれば治る可能性があるけれどどうしますか?と聞かれました。

このときわたしはまた迷いました。母は遺言に、胃ろうなどの延命治療をしないでほしいと書いていたからです。
経鼻栄養補給とは鼻からチューブで栄養を入れることです。入れるとき、人によっては苦痛を伴うそうで、延命治療になるのではないかと思いました。

そのとき再びタイミングよく牧師先生がお見舞いに来てくださり、医師の説明を一緒に聞いてくださいました。「この場合は、治る可能性があるのだから延命治療ではない。」とはっきり言ってくださって、治療を受けることになりました。

18日間経鼻栄養をとりました。途中で気分が悪くなったり、下痢が続いたり……管が外れて入れなおしたり。決して楽な道ではありませんでしたが、おかげで穴がふさがったのです。

管が外れ、食事ができたとき、心から感謝しました。母も口から食べられる幸いをしみじみ感じたようです。口から食べられるようになるとみるみる元気になり、その10日後には退院でき、ホームに戻れたのです。

後になって医師から「あのときは命が危なかったのです。助かる見込みは少なかったんですよ」と言われ、驚きました。本当に守られたのです。
                         つづく



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幼児が言葉を覚えるとき

2016-09-28 15:56:18 | 家族
孫のナルクンは2歳6か月になります。
やっと話が通じるようになってきました。1歳過ぎてからナルクンは常におしゃべりしていましたが、何を言っているかママにもわかりません。してほしいこと、したいことを一生懸命伝えようとするのですが、伝わりません。
一日に何回泣いたことでしょう。

ママとコンビニに行って、好きなアイスを選び、買ってもらいました。すぐに食べようとしたので、ママが「おじいちゃんの家に行ってからね」と言って取り上げると、床にひっくり返って泣いたそうです。あとでおじいちゃんの家で食べられるということが理解できなかったのですね。

お兄ちゃんのヒックンは、ナルクンにいいことも悪いことも教えてくれます。お兄ちゃんが常に話しかけているので、ヒックンが同じ年頃のときに比べると、ナルクンの方が言葉が早い気がします。

最近2語文を話すようになりました。お茶 飲む。ごはん 食べたい。アンパンマン、デビーデー(DVD)ちけて(つけて)。絵本 読んで……などです。

急に話せるようになったので驚いていたら、絵本を読んだとき、もっと驚くことがありました。
お気に入りの絵本「ノンたん もぐ もぐ もぐ」(キヨノ・サチコ作)の本は1歳のころから読んで聞かせていましたが、ページをめくる前に本に書かれている文章をほとんど間違えなく言ったのです。

「はらぺこあおむし」(エリック・カール)の絵本では、青虫がいろいろなものを食べて食べ物に穴が開いているページが好きで、指を突っ込んで「おいしい、おいしい」と言っています。

お兄ちゃんはナルクンが可愛いあまり、よくちょっかいを出します。
ナルクンの口癖は「お兄ちゃん、やめてよー」です。お兄ちゃんが何もしてないときでもときどき言います。そう言うと、お兄ちゃんがしかられることを知っているようです。

家に帰るとき帽子をかぶせると、玄関にある姿見の前で帽子のつばを引っ張って、「かわいいね。かわいいね」と言っているのを聞いて笑ってしまいました。
くまの耳がついた帽子をかぶると、いつも誰かが「かわいいね」と言っていたので、帽子をかぶる動作が「かわいいね」という言葉だと認識してしまったようです。

ナルクンは月に2回ぐらいの割合で我が家に来ていますが、言葉の数がどんどん増えていくことを見せてもらってびっくりの連続です。
子どもは1日5〜7語もの早さで語彙を身につけ、5歳になる頃には5,000〜10,000語も習得するそうです。

言葉は、人と人とのコミュニケーションよって習得します。親が忙しくて子どもをかまってあげられないのでテレビやDVDを見せて言葉を覚えさせようとしていた人がいました。その子どもは3歳過ぎても言葉が出てこなかったそうです。その後、母親とコミュニケーションをとるようになって、言葉が出てきました。

先日常磐線に乗ったら、向かいの席に4歳ぐらいの男の子と母親が座っていました。男の子は、お母さんに一生懸命話しかけるのですが、母親はスマホの画面を見ていて、子どもと目を合わせないし、話を聞こうともしません。

「ちょっと待っててね」と言ってお菓子を与え、駅に着くまでの40分近くスマホに夢中になっていました。男の子はおとなしくお菓子を食べていましたが、寂しそうな顔をしていました。

お母さんとゆっくり話す機会、言葉を増やす機会も失ってしまったのですね。

子どもにとって、スマホのなかった時代のほうがよかったのでは……と思いました。


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娘への手紙

2015-11-25 16:28:51 | 家族
21日に娘が結婚式を挙げました。お天気にも恵まれ、祝福された式、披露会でした。
娘あてに書いた手紙を紹介します。

********************

親愛なるMちゃんへ
Mちゃん、結婚おめでとう。Mちゃんが、「結婚したい人がいる」と言ったとき、心から嬉しく思いました。そして、人を見る目があるMちゃんが選んだ人だから、相手の方は、きっと優しい人だろうなあと思いました。本当にそうでしたね。

Mちゃんが生まれた時、わたしは喘息で入院してしまい、どうなることかと思いましたが、ミルクをよく飲み、よく眠り、すくすく育ちましたね。
わたしが退院してからは、お兄ちゃんがやきもちをやくので、なかなか落ち着いて相手ができませんでした。でも、お兄ちゃんがいないとき、Mちゃんをぎゅっと抱きしめて「なんて可愛いんでしょう。こんな可愛い子いないよ」と何度も言ってたの覚えてる?(覚えているわけないよね)

Mちゃんは、2歳前ぐらいから自分の意志をはっきり示すようになって、意志にそぐわないときはギャーギャーといつまでも泣いていましたね。ずいぶん長い反抗期で、わたしはへとへとでした。

でも、自分の考えを持ち、意志をはっきり示すことは、大人になってプラスに働いているので嬉しく思っています。あの時期はMちゃんの人格形成に必要だったのかもしれませんね。
また、気が強く、幼稚園ではOちゃんと引っかきあいをしたり、近所ではKちゃんとはたきあいをしてハラハラさせられましたが、今になると笑い話だね。

気が強くなったのは、100%お兄ちゃんのおかげだと思っていたけれど、オーママ(祖母)からきているのかもしれないと、最近思っています。

Mちゃんが高校を卒業して一人暮らしを始めたときは、心配でたまりませんでした。携帯が2日間もつながらなかったり、学校へ来てないと先生から電話があったり……。犯罪に巻き込まれたのかと思って、いのちの縮む思いがしました。
「心配のし過ぎだよ」と言う声が聞こえてくるようですが……。この気持ちは親にならないとわからないでしょうね。

「東京で一人暮らしを始めたら、もうずっと戻ってこないかもね」と色々な人から言われ、寂しい気持ちでいっぱいでした。でも、卒業して戻ってきたときは本当に嬉しかったです。ちょうどお兄ちゃんが結婚して家を出たので、タイミングよかったよね。
それから8年……。一緒に暮らせて楽しかった。旅行も一緒に行けたしね。

この8年の生活があったから、今回嫁いで行ってしまうことを寂しく思いません。(少しは寂しいけどね)
短気でせっかちな性格のわたしなので、Mちゃんをいらいらさせることがあったけど、Mちゃんのおかげで「待つ」ということを学びました。そのほかにもたくさん教えられました。ありがとね。

わたしは母親としては失格点だったけど、わたしをはるかに超えていい娘に育ってくれてよかったです。育ててくださったのはイエス様ですね。
これからは、Yくんと仲良く生きていってください。

結婚すると、結婚前には知らなかった面をみることになります。こんなはずじゃなかったのに……と思うこともあるでしょう。また、育った環境が違うので、お互いに感性や習慣、考え方などが違うことに気づくでしょう。でも、違っているのは当たり前のことです。よく話し合って違いを認め合えるといいね。

何よりもいちばんに神様がYくんと出会わせ、伴侶としてくださったことを心に留めてください。
喧嘩しても、本気で喧嘩してはだめですよ。Mちゃんが以前「相手が悪くても、自分にも悪いところがあると思う。お互い様だと思う」というようなことを言っていたけれど、それは素晴らしい発想です。このことを忘れないでね。

それから、三浦綾子さんの本に「不機嫌は罪です」書いてあったけど、不機嫌にしていると周りの人が嫌な気持ちになるので、気を付けてくださいね。
あっ、お説教めいたことは書かないつもりだったのに……説教臭くなってごめんなさい。
とにかく、イエス様を見上げて新しい家庭を築いていってください。  母より


*************************

娘も手紙を書いていて、披露会で読んでくれました。「わたしは育てにくい子だったと思います」と書かれていました。小学4年の時骨折して、母に松葉杖ごと自転車に乗せて病院へ通ってくれたことを感謝しているというのを聞いて、そんなこともあったなあ……となつかしく思い出しました。

娘の晴れ姿を母に見てもらいたかった……。でも、主人の母が結婚式に参列してくれたので、嬉しかったです。




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我が家のクリスマス

2009-12-24 13:05:23 | 家族

昨日はヒックンとママを招いて我が家でクリスマスを祝いました。
一羽分の鶏をスーパーで予約して買い求めました。中にフランスパンとセロリーの葉、ローズマリーを詰めてオーブンで焼きました。直径25センチの皿からはみでそうなぐらい大きかったので、焼くのに1時間以上かかりました。
メニューはこの他にパイキッシュとサラダ、サーモンのカルパッチョとパンプキンスープです。ケーキまでは焼けなかったので、チョコレートケーキを買ってきました。

ヒックンパパは仕事がどうしても抜けられなくて、来ることができませんでした。夕食のお土産を持って行ってもらいました。


ヒックンは車のおもちゃが大好きです。
「バスがねんねしちゃったの。トラックがジャンプして公園に行くところなんだ」と車を擬人化して遊んでいます。

最近はよくしゃべるようになって、ずいぶん長い文章を言えるようになりました。
「お洋服ぬらしちゃったから、新しい服に着替えたの。おばあちゃんから買ってもらった服だよ。かっこいい服、ありがとう」

ひいおばあちゃん(主人の母)からヒックンにクリスマスプレゼントとしてトレーナーをいただきました。そのお礼の電話をかけたときにしゃべった言葉です。
ひいおばあちゃんは、感激していました。

まだ言えない言葉もあります。ブロッコリーはコロッコリー。お魚はオカタナ。ままごとはマガゴトになってしまいます。

また、都合が悪いことを言われると、目を閉じて寝たふりをするようになりました。
悪いことをしてしかられると、「聞こえないよ」と言ったりします。
そんなとき、主人は全くしからないので、
わたしはびしっとしからなければと思います。でも、一緒に暮らしているわけではないので、あんまりきつくはしかれません。

思案していた時、いいことを教えられました。これもOBI(お茶の水聖書学院)のDVDからですが・・・。


言いつけをやぶって庭に出て遊び、ひざをすりむいてしまった3歳の孫に対してとったおじいちゃんの態度が紹介されました。

まず抱きしめて愛していることを伝えます。そして抱きかかえたままお尻をたたいて、「お前のことを愛しているよ。おまえがやってはいけないことをしたので、しかるんだよ」と言い、そのあとで、傷の手当をしたそうです。

聖書に「この方(イエス・キリスト)は恵みとまことに満ちておられた」(ヨハネ1:14)と書かれています。恵みとまこと。この順序が大切なのだそうです。

まず神様は恵みを贈ってくださり、そのあとで真実を示して下さいます。神様からの恵みがなければ、わたしたちは神の真実(厳しさと裁き)に耐えることができません。でも、恵みによっておおわれた真実ならば、神のふところのうちにあって受け入れることができるのですね。

このお孫さんは、おじいちゃんからお尻をたたかれても、おじいちゃんを嫌いになったり怖がったりすることはなかったでしょう。

まず愛していることを伝える。愛しているから、悪いことをしたときにしかるのだと伝える。この原則は親子の間はもちろん、ほかの人間関係にもあてはめるといいですね。

恵みとまことを与えて下さるイエス様が地上に来て下さいました。まず、恵みを与え、包み込んで下さるイエスさまが生まれて下さいました。なんて嬉しいことでしょう。
このブログをお読みになっておられる方々の上にクリスマスの祝福があふれますように。


メリークリスマス!


もうひとつのブログカリスは、「生かされて」の過去の記事からの転載が多いのですが、今日は「クリスマスは何の日?」と題して書きましたのでよろしければ、そちらもご覧ください。
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実家の大掃除

2007-12-08 17:55:50 | 家族

さきほど実家から戻ってきました。
昨日は娘も来て、母、娘とわたしの親子三代で大掃除をしました。
洗剤を捜していたら、4年くらい前に父が買った洗剤が出てきました。粉状になっていて水で溶いて使う洗剤です。万能洗剤と書かれていました。きれい好きな父は、自分で買ってきて家の中のあちこちを掃除していたそうです。半分ほど減っていましたが、まだたっぷり残っています。


そういえば、思い出しました。3年前現在のマンションに引っ越したとき、父がこの洗剤を分けて持ってきたのでした。その1か月後に大動脈瘤の手術を受けているので、父がこのマンションに来たのはそのときが最初で最後でした。
父が召される半年くらい前からは、掃除もできなくなっていましたが、汚れているところは気になっていたようでした。わたしが実家に行ったとき、台所のレンジフードをふいたら、父がとても喜んだことを思い出しました。
今回もレンジフードを父の洗剤で磨きました。
「お父さん、きっと喜んでいるね。」
と母と話して、その後、父の思い出話に花が咲きました。


そして、はっと気づいたことは、母もわたしも父のことを話しても涙ぐんだりしなくなったということでした。もちろん、寂しさは感じます。もし、生きていれば曾孫を見てどれだけ喜んだだろう……などと考えると、胸がズキズキします。
でも、涙なしで父のことを語り合えるようになったのです。いつの間にそうなったのかわかりませんが……。


先月祈祷会でグリーフワークの学びをしました。愛する人を失ったとき、悲しみの対処法について、グリーフワークの10段階を教えていただきました。学びの通り10段階を経たわけではありませんが、母が父の死後1年余りで現実を受け入れられるようになっていることを感謝しました。
祈祷会のレジメに書かれていた文章の一部を紹介します。「すばらしい悲しみ」クレンジャー・E・ウェストバーグ著 地引網出版の「はじめに」より。


大切なものを失って嘆き悲しむのは、ごく自然なことです。時には失ったものがあまりにも大きくて、人生の土台が揺らぐほどのショックを受け、深い絶望の淵に投げ込まれてしまうこともあります。……私たちがもっと上手に悲しみに対処していくために、共に悲しみのプロセスについて学んでいきたいと思います。

確かに信仰はあらゆる悲しみに対して重要な役割を果たします。しかし、一部の人々が考えているような方法ではありません。彼らは強い信仰を持った人間は悲しまないし、そういったものは超越していると考えているようです……敬虔な信仰においては『真の信仰者は嘆き悲しまない』とは言いません。むしろ、悲しみには良い対処と悪い対処の両方があり、その人が人生で最も大切だと考えていることが悲しみ方にも表れてくると主張しているのです。

自らの喪失を正面から見つめ、その問題と前向きかつ誠実に取り組んで闘う人は、悲しみの体験を通してより強く深みを増した人間になり、他の悲しみにある人々をより効果的に助けられるようになることがわかってきました。

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驚くほどのめぐみ(その4)

2006-11-28 12:41:59 | 家族

11月21日。実家でS先生により分骨式が行われました。手袋と箸を母が用意していましたが、先生はそれを使わず、素手で骨をひとつずついとおしむように移して下さいました。母はそれを見て感動していたようです。

骨を見ると悲しみがどっと押し寄せてきて、また涙があふれました。聖書の黙示録21章1節から6節を読んでいただき、お祈りの後、讃美歌298番を3人で歌いました。聖書は父が召される直前にわたしが読み聞かせていた箇所です。
教会での納骨式は年が明けてからです。最初母は「納骨式には行かないから、あんたひとりでやってちょうだい」と言っていましたが、S先生が帰られた後、「納骨式に行かなくちゃね」と言ってくれました。

讃美歌298番の歌詞を紹介します。


やすかれ わがこころよ。主イエスはともにいます。
いたみも苦しみをも おおしく忍び耐えよ。
主イエスのともにませば、たええぬ悩みはなし。

やすかれ わがこころよ。なみかぜ猛るときも、
父なるあまつかみの みむねにゆだねまつれ
み手もてみちびきたもう のぞみの岸はちかし。

やすかれ わがこころよ。月日のうつろいなき
み国はやがてきたらん。うれいは永久(とわ)に消えて
かがやくみ顔あおぐ いのちのさちをぞ受けん。


この歌詞のように、わたしの心はやすらかです。どんなに大きな悲しみ、苦しみの波がやってきても、イエスさまがいっしょなら、耐ええられない悩みはありません。天国に行けば、うれいは永久に消え、イエスさまの懐に抱かれます。いまごろ、父はイエスさまのもとでニコニコ笑っていることでしょう。
母の心にもやすけさがありますように。
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驚くほどのめぐみ(その3)

2006-11-27 13:19:59 | 家族

母が混乱するのはもっともなことです。でも最後には、
「あんたがどうしてもと言うなら、考えてもいいけど……Y子(妹)は何と言うかしら?」
と言いました。
Y子に電話すると、意外にも喜んで、薦めてくれました。わたしは知らなかったのですが、Y子は父の葬儀の前に川崎のお寺の墓に分骨して入れてほしいと母に頼んだそうです。秋田は遠いので、お墓参りにいけないから、関東にお墓があればいいと思ったようです。たいそうなお金がかかるという理由で母に反対され、その話はなくなったのです。わたしが土浦めぐみ教会に納骨することが可能だというと、妹はぜひそうしてほしいと言いました。


何人かの友人に相談すると、賛成してくれました。でも、決めるのはわたしです。それから2日間、祈りました。
あまりにも突然のことで、しかも母はあまり喜んでないので、果たして教会に納骨することが神さまのみこころなのかわからなかくなってしまいました。

祈りながら、わたしの一時的な感情(寂しいから遺骨を近くに置いておきたいという気持ち)だけで分骨しようとしているのか。目的は何なのか考えました。
父の遺骨が教会にあるという事実が、母や妹を教会に結びつける。母や妹にキリストを伝えたいということが納骨の目的だということをはっきり確認できました。

それでもこのように祈りました。
『もし、分骨が神さまのみこころならば、できるように。みこころにかなっていなければ、神さまがストップしてください』


17日夜、再び母に電話すると、
「分骨用の壺はどこに売っているのかしら?」
と、母は分骨する心づもりをしています。驚いて尋ねると、わたしが電話する10分ほど前に妹から電話があり、分骨を薦められたそうです。
それからすぐS先生にメールを出すと、「早いほうがいいでしょう。善は急げです。」と言われ、21日に実家にきてくださることになったのです。


なんというタイミングの良さでしょう!実家にまだお骨があるときに祈祷会で「納骨の神学」の学びをしたことといい、主の御手が大きく働いてくださったことを目の当たりにして震えるほど感動し、無事に済むまではブログに書けませんでした。

           つづく
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