生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

偶然ではなく必然

2017-07-26 20:50:39 | 




   何をしても

くしゃみしたら 「かわいいね」と言われ、
おっぱいを飲んだら 「おりこうさん」と言われ
ゲップをしたら 「えらいね」と言われ
あんあん泣いたら 抱っこしてもらえる
何をしてもしかられない
生後一週間の赤ちゃん


大きくなったら、こんな時期があったことを教えてあげたいです。
以下の文は、以前ブログに書いたことです。

あなたが生まれてきたときのことを想像してみましょう。
精子と卵子が結合して受精卵になる確率は、40億分の1なのだそうです。同じ両親でも別の精子によって受精したら、生まれる子はあなたではなく、別の人間です。
 
でも、本当は目に見えないお方が背後にいて、あなたという人間をお母さんのおなかの中で形造ってくださると考えたら、偶然ではなくて必然になります。

そもそも宇宙ができたこと、生命の住める星、地球ができたこと、そこにあらゆる種類の植物が生え、動物が育ち、人間が生きていること。こんなすごいことが偶然に起きるでしょうか……。偶然というより奇跡といえるしょう。

それは、神様の業(わざ)なのです。そして神様はあなたが使命を持って生きるように造られ、はぐくみ、愛してくださっているのです。



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自己肯定できることの幸い

2017-07-21 16:25:02 | 教会
娘の出産のためにお祈りしてくださった方々、ありがとうございました。
赤ん坊はとても元気で、よく泣き、たくさんおっぱいを飲んでいます。早ければ明後日には母子ともに退院です。

この前の日曜日は教会付属幼稚園の30周年記念礼拝でした。
土浦に越してきたとき、娘は4歳だったので2年間教会付属幼稚園に通わせました。そのことが娘の人生にとって、どんなに大きなことだったかと、改めて感じているところです。

ロバート・フルガムは「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」という題名の本を書いています。
子どもが幼稚園で学ぶことについて紹介していただきました。

幼稚園には自分以外の子どもがいて、みんな違っているということ。同じところは、一緒に遊ぶと笑い、誰でも傷つくことです。

幼稚園にはルールがあります。言うことをきかないとしかられます。気が進まないこともさせられます。でも、ルールを守らない子どもがいると、悲しくなります。
みんなが楽しく過ごせるようにルールがあることがわかりました。

生きていることは、おいしい。楽しい。おもしろいと思いました。

先生はいつも心配してくれます。呼べばすぐ来てくれ、泣くと抱いてくれます。先生は頼りになります。
その先生も、誰かに頼っています。何かあるたびに一生懸命祈っています。
そして先生は一冊の本をとても大事にしています。その本からお話をしてくれます。(本とは、聖書のこと)
神さまは、「君は愛されている。君は君らしく生きるんだよ」と言ってくださいます。
 
「子どもが主人公」の保育 木下勝世著 の本には次のような内容が記されています。
幼児教育の役割は、子どもの中に人格の基盤を形成することです。
基盤とは、人の一生を支える物です、

人生の基盤は、「自分は自分でいい」「仲間はすばらしい」と思えることです。
『存在を肯定されなければ、人は生きていけません』


わたしは、この『自己肯定』ができていなかったのです。子どものころだけでなく、大人になってからも、自分は人間として何か欠けている、自分は欠陥人間なのだと思っていました。

神様が世界を創造するとき、ひとつひとつ「よかった」と言っているのですから、わたしが造られたときも神様は「非常によかった」と言われたはずです。
そのことに気づいたとき、ようやく自分を受け入れることができ、弱さや欠点があっても自己肯定できるようになりました。

自分の存在を認められて、他者の存在を肯定できるのだと思います。自分と違っている人のこともすばらしいと思えるのは、自分が他者から愛され、受け入れられていることを実感することが必要です。

でも、神様を知らない多くの人は、人間関係が相対的なので、確かな自己肯定感が得られません。自己肯定を確かにするためには、人間を超えた絶対的なものを信じることです。

極限状態になっても自己肯定できる人は幸いです。


自己肯定できていれば、事故や病気や年をとって自分の意志通りに体が動かなくなったときにも「君は宝物のように大切だ」と言ってくださる神様によって平安を得られるでしょう。


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いのちの誕生

2017-07-19 15:39:22 | 日記
昨日、娘に赤ちゃんが与えられました。男の子です。3312グラムでした。

午前中検診に行き、まだ陣痛がきていないことを確かめて、家に帰ってきたのですが……。昼過ぎからおなかが痛いと言い始めました。それほど強い痛みではないので、陣痛かどうかわからないと言います。

ちょうど娘婿が一週間会社の休みをとって、泊りがけで来ていたところだったので、娘婿の運転する車に娘とわたしが乗って病院へ向かいました。着いたのは午後1時でした。

診察を受けると陣痛であることがわかり、ほっとしました。3時ごろになって5分おきに陣痛が来るようになりました。
「夕方か夜には生まれますよ」と看護師さんに言われ、驚きました。初産なので8時間以上かかると覚悟していたからです。

3時半には分娩室に入りました。娘婿は、立ち会うと言って白衣を着て待合室に行きました。後から駆けつけた主人とわたしは部屋で待機しました。
1時間半後、元気な産声が聞こえました。無事生まれたのです。陣痛が起きてから4時間たっていました。

胎児の重さが3200グラムになったと言われてから一週間たちました。なかなか生まれず、大きくなりすぎて大変なことになるのではないかと心配でした。
私自身のお産を思い起こすと、難産で1人目は17時間。2人目は48時間かかっています。

娘のお産は母親のお産の状態と似ると聞いていたので、そうなったら待つ方も耐えられなくなりそうです。

色々な不安がありましたが、一昨日の朝与えられた聖書の言葉に励まされ続けていました。

「わがたましいよ。なぜお前は絶望しているのか。なぜ御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い。私の神を。(詩編42:11)」

この御言葉は詩編43:5と全く同じでした。一昨日詩編42編を読み、昨日詩編43篇を読んで気づいたことでした。

神様は、心乱している私に「心乱さず、神を待ち望め」と繰り返し働きかけてくださったのです。
いのちを与えるのも、いのちを奪うのも、神様です。神を待ち望んで、どんなときでも神様をほめたたえられるようになりたいです。
すべてのことを働かせ、新しい命を与えてくださった神様に感謝します。


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わたしはオルガン

2017-07-13 11:07:17 | 教会
連日の猛暑で夏バテしています。先日から揚げで熱中症(?)になってから、体調がすぐれませんでした。いまだに時々めまいがするので、めまいがしたときは、しばらく休んでいなければなりません。幸いこの間ほどのひどいめまいではないので、30分も休めば元気になります。

おそらく、暑さに慣れてないので、体がついていかないのでしょう。(加齢のせいだとは認めたくないのですが……)
これから赤ちゃんが我が家に来るのですから、わたしがふらふらしていては困りますね。

娘のおなかの赤ちゃんは順調に育っています。もう3200グラムになっているそうです。
いまは、出産前に出産時の体重がわかるのですね。(誤差はあるでしょうけれど)生まれて来るのを待つばかりです。


昨日は体調が良かったので水曜礼拝に行ってきました。
モーセの十戒の学びでした。十戒とは、神様がイスラエルの民に与えた10の戒(いまし)めのことです。

こう書くと、自分はイスラエル人ではないし、自分には関係のないものだと思う人も居るかもしれません。

でも神様は、十戒を授けるときに「あなたの神、主である」とご自身を示されました。「あなたの神」の「あなたは」単数で書かれているそうです。つまり、人間ひとりひとりに対して与えてくださったものなのです。

『十戒は神様の愛のあらわれ』と牧師先生が言われました。
人が幸せに生きられるように神様が与えてくださったものだったのです。

十戒の1~4は人が神に対して守る戒めで、5~10は人が人に対して守るべき戒めです。

十戒のひとつめは「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(出エジプト20:3)」です。
他の神々とは、人が神よりも信頼したり、神より優先させるものを持つことだと聞いて、はっとしました。

わたしは、小説や童話を書くとき、熱心に調べ物をしたり、遠くまで出かけて行ったり、何時間もパソコンのキーボードをたたいて夢中になります。もちろん、それが悪いわけではありませんが、神様を第一に考えないで、自分の興味のあることに熱中するのは、ほかの神々を作っているのと同じです。

新約聖書のローマ人への手紙6:13には、「また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神に捧げなさい」と書かれています。

ほかの訳では、器は『楽器』と書かれているそうです。楽器の価値は奏でる人によって決まります。


わたしが楽器なら、オルガンでしょうか。パイプオルガンではなく、古い足踏みオルガンです。

古い足踏みオルガンでも神様に奏でていただくとき、すばらしい音色が出るでしょう。神様に奏でていただくということは神様におまかせし、導いていただくことです。


神様がご自身を「あなたの神」とあらわされたことは、神様がわたしたちひとりひとりを愛して止まないということをしっかり心に留めたいです。



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新しく本が出版されました

2017-07-05 20:39:08 | 日本クリスチャン・ペンクラブ


日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)から『山川草木』という本が出版されました。4字熟語を題材にしたあかし集です。2010年にスタートして、これまで『花鳥風月』、『喜怒哀楽』、『春夏秋冬』が出版されました。これに続く、並列四字熟語シリーズの第4弾目です。

山川草木に加えて『信仰』、『希望』、『愛』をテーマにした作品も掲載しています。
作品は、御茶ノ水で隔月に行われる例会の中で合評を繰り返してきました。字数制限があるのでなかなか難しく、何度も何度も推敲して持っていき、また書き直すという作業は大変でしたが、楽しい時間でした。他の方の作品を読ませていただけるのも恵みです。

JCPで書く文章は、ふつうのエッセイではなく、あかし文章です。あかし文章とは神様がしてくださったことをあかしする文章のことで、自分が何かをしたというのではありません。

わたしのがどのようにして作品を書いていったのかを紹介させていただきます。

テーマが決まっているので、まず何を書こうかと思いめぐらします。
最初の「山」について思いめぐらしていたら、祖母の言葉を思い出しました。

「山はどこから登っても頂上に行けるのだから、どんな宗教を信じても最後は同じ所へ行くんだよ」
けれども、そうではありませんでした。永遠の命に至る山はひとつなのです。その山のふもとにたどり着けなくて苦しんでいた自分の姿が見えてきました。ああ、このことを書こうと思いました。

次に「川」について思い巡らしていると、なぜか関西にいたころ友人と保津川下りをしたことを思いだしました。
書いている時は、末期がんの母の容態が日々変わっていくので、急流下りをしているように感じました。どんなに怖いと感じても、イエス様が船に一緒に乗ってくださっているのだから、大丈夫と思えたことを書くことにしました。

「草」はいちばん難しかったです。母の看病で忙しく、原稿が書けず、心身ともに疲れを感じていました。必死な思いで聖書を読むと、

「あなたは、春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の青草をすべての人にくださる。(ゼカリヤ10:1)」
のみ言葉が目に飛び込んできました。
求めることを忘れていたことに気づき、「主よ、わたしに雨と青草をください」と祈り求めました。祈って間もなく原稿が書けたのでした。

「木」はちょうど子ども家庭集会のクリスマス会に「三本の木」という絵本を紙芝居にして演じようと準備していたので、三本目の木に心動かされたことを書きました。

お求めの方は、日本クリスチャン・ペンクラブHPからお申し込みください。
土浦めぐみ教会の書店グレイスにも置かせていただきました。



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スクランブル交差点で

2017-07-02 15:49:30 | 教会
昨日、教会でHくん、Mちゃんの結婚式が行われました。お二人とも小学科の教師です。小学科で数年間一緒に奉仕したお仲間です。

結婚式では、牧師先生が誓約文を読み、二人が応えるというかたちがふつうです。でも今回は、誓約文を二人で考え、それを暗唱して互いに誓い合っていました。
二人ともしっかり神様の方を向いて歩いていることがよくわかりました。

牧師先生のメッセージでは、『スクランブル交差点で出会ったような二人』だと言われました。二人はスクランブル交差点にいて、お互い神様を見上げ、み心を求めて真剣に歩んでいました。
大勢の人がいる中で二人は出会いました。それが神様の導きだと受け止め、結婚することになりました。

Mちゃんは、自分の欠点も弱いところも含めて存在そのものを愛し、受け入れてくれるHくんを通して神様の愛を知ったと話していました。

二人ともとびきりの笑顔を見せてくれました。

二人が選んだ聖書の言葉は、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(伝道者の書3:11)」です。

若いお二人に祝福あれ!!




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