生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ほんの少しおすそ分け

2010-11-29 20:55:18 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

一昨日、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のクリスマス会で御茶ノ水へ出かけました。
12月は教会のクリスマスで忙しいので、JCPでは例年11月末にクリスマス会が行われます。

理事長、池田勇人先生のメッセージに慰めと励ましを与えられました。

ガリラヤ湖から死海に向かってヨルダン川の水が流れこんでいます。死海とガリラヤ湖はよく比較されます。

ガリラヤ湖は恵みを受けてそれを流すので、すばらしい働きをするクリスチャンにたとえられます。一方死海は、そこから流れ出る川がないので、受けるだけで何もできない者のようにたとえられます。

「ところが、実は死海は豊かな恵みを受けているのです」と聞いて嬉しくなりました。
病気の人が死海を訪れその水で治療したり、美容のために訪れる人もいます。
死海の水は塩分濃度が高く、酸素をふんだんに含むので体にいいそうです。死海の塩や泥でパックする人も多いそうです。

「受けるだけで何もできない。と思い込んでいる人がいますが、何もできなくても、ほかの人が、その人のまわりに流れている空気が何か違うと感じたりするのです。」
「この時にできることは、与えられている恵みをほんの少しおすそ分けすることです。」


「伝道」なんて、おおげさに考えないで、恵みのおすそ分けをすればいいんですね。
おすそ分けは小さなことですが、ひとりひとりが神さまからいただいた恵みをおすそ分けしていったら、まわりの人の心に次々と光がさしてくるかもしれませんね。
わたしのブログも恵みをおすそ分けする気持ちで書いています。

クリスマス会では素晴らしい演奏と賛美にも心打たれました。
また、出来上がったばかりの本を執筆者が朗読してあっという間に終わりの時間になりました。満たされた楽しい時間を感謝しました。


「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。(ヨハネ1:16)」


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ものわかりのいい人にならなくていいんだよ

2010-11-26 22:17:05 | 聖書から
昨日のタイトルは「月」の一字でしたが、今日は長いタイトルをつけました。
先週の水曜礼拝のメッセージを聞いて感じたことを書きます。


聖書に出てくる女性の中で行動力のある女性といえば、第一に思い浮かぶのがシュネムの女です。
預言者エリシャがシュネムの町を通りかかった時、ある裕福な婦人がエリシャをひきとめてごちそうし、屋上にエリシャの部屋を設けて使うようにすすめました。
エリシャはその親切にこたえて、子どもがいなかった彼女に子どもを与えると約束します。
女は約束通りみごもって男の子を生みます。男の子が大きくなって父親と畑に出かけたとき、頭痛におそわれ、しもべに連れられて家に帰ります。男の子は母親のひざの上で死んでしまいます。

さて、それから彼女のとった行動には驚かされます。
彼女は夫に、急いでエリシャのところに行くので雌ロバ一頭と若者をくださいと言います。なぜか夫に息子の死を告げません。
彼女はロバに乗ってわき目もふらずエリシャの所へいきます。エリシャの弟子、ゲハジが子どもは無事かと尋ねても「無事です」と答えるだけです。

彼女はエリシャのところへいって、訴えます。
『せっかく与えられた子がこのまま死んでしまうなんて納得がいきません。なんとかしてください』という気持ちだったのでしょう。

エリシャはゲハジに先に子どもの所へ行かせ、子どもを生き返らせようとします。しかし、子どもは生き返りません。

エリシャが主に祈り、子どもと体を重ねると、子どもは生き返りました。
彼女はエリシャの足元にひれ伏し、子を抱いて喜びました。


以上が旧約聖書Ⅱ列王記4章8-37に書かれているあらましです。

シュネムの女は、子どもが突然死んでしまったとき、受け入れられませんでした。それでエリシャに直談判に行くのです。そして、子どもを助けて下さいと必死に祈るのです。
牧師先生は、シュネムの女のしたことを肯定されました。

たとい愛する人が突然死んでも「神さまはすべてのことを働かせて益としてくださると聖書に書いてありますから・・・」と言って、すんなり受け入れられる人は少ないでしょう。
むしろ、「なぜ死んだのですか。なぜこんなことが起こるのですか。助けて下さい!」と
神さまにくらいつきたい思いになる人の方が多いのはないでしょうか。

「神さまの恵みに満足することは大切です。でも、ものわかりのいい人にならなくていいのです。ときには必死に祈り求めることが大切なのです」と牧師先生が言われました。

子どもを生き返らせるとき、ゲハジは型通りのことをしただけですぐあきらめてしまいました。でも、エリシャは必死で祈り、自分のいのちを男の子に与えるような気持ちで生き返らせました。

わたしがもし、癌があちこちに転移して余命を告げられたら、すんなりと受け入れられないと思います。泣き叫んで、そして祈るでしょう。でも、それでいいのだと教えていただいてほっとしました。



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2010-11-25 17:09:28 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
先日、日本クリスチャン・ペンクラブで出版した本「花鳥風月」を紹介しました。

本に掲載されている文章の中から、わたしの書いた「月」をテーマにしたエッセイを紹介させていただきます。


           祭りの夜

              
「会長のせいで山車が壊れた!」わたしは町内の人達に取り囲まれ、責められていた。
育成会長がお祭りの実行委員になると知っていたら、会長を引き受けなかった。神社の神様を山車に乗せるのだと聞いて、山車をひくのは他の本部役員に任せ、わたしは公民館で掃除やまかないの手伝いをすることにした。
 
真夏の3日間、朝7時から夜11時までの奉仕はきつかった。真っ青な顔をして働いていると「帰って少し休んだら」と声をかけられた。その言葉に甘えて家に帰った。
その僅かな間に山車が壊れたと連絡が入った。「会長はなぜ公民館にいなかったのか?」と責められた。山車は直って事なきを得たが、それからは針の筵の上にいるようだった。 

最終日の夜は満月だった。「よくやってくれた。意地悪して悪かった」と町内の人が言った。涙でぼやけた月の明かりが嬉しかった。

『昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは月と太陽とを備えられました』



クリスチャンはお祭りに参加してはいけないという決まりがあるわけではありません。
山車やお神輿も宗教的意味を感じなければ、かついでも曳いてもいいのかもしれません。
同じクリスチャンでも、ひとりひとり考えが異なります。キリスト教でも教派、教会によって異なります。

当時わたしが住んでいた町内の山車は、神事を行ってから曳くもので、宗教的要素が強かったのです。わたしはキリストを信じる者としてどうしたらいいのだろうかと悩み、必死に祈りました。
祈った末の決断は、山車は曳かないけれど、育成会役員として下働きのお手伝いはさせていただくことでした。(お手伝いも拒否することはできたのですが・・・)

この文章を読まれた方から「町内の人に対する恨みや怒りはなかったのか?」と質問されました。
そんな気持ちは全くと言っていいほどなかったです。(もちろん、今もです)

キリスト者でない方にとって、わたしが山車を曳かない理由がわからないのは当然です。
育成会長の責任を果たせない者として腹ただしく思われたでしょう。山車が壊れたことをわたしのせいにしたい気持ちは十分わかります。

もし、わたしがクリスチャンではなく、町内の人の立場だったら、真っ先に育成会長をののしっていたかもしれません。

わたしにとって過酷で、夜のように暗い3日間でしたが、夜空を照らす月があるように神さまは暗いときでも共にいて守ってくださり、光となってくださいました。



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ありがとうパウロ先生

2010-11-22 20:45:09 | 教会
昨日、CS教師会が終わったのが5時過ぎでした。外はすでに暗く、手探りで自転車の鍵を差し、真っ暗な道を用心しながら帰ってきました。
疲れましたが、主人が洗濯物をとりこみ、お風呂掃除もしていてくれたので助かりました。

以前主人は、わたしが教会に行って帰りが遅くなると不機嫌になっていましたが、最近は慣れたのか、それともあきらめたのか、協力的なのでありがたく思っています。

夕食は久しぶりのお鍋。寒くなると忙しい日はお鍋と決めています。前日から野菜を切って用意していたのでよかったです。


昨日の礼拝メッセージは使徒の働き13章からでした。
先月トルコ旅行に行かれたときの映像を見ながらパウロの足跡をたどってメッセージが語られました。

キリスト教はユダヤ教の一分派と思われていたようですが、世界中に広まっていきました。
パレスチナを超えてキリストを伝える人物が必要だったのですが、それがパウロ先生でした。(牧師先生が使徒パウロをパウロ先生と呼んでいるのでわたしもそのように書かせていただきます)

パウロ先生はユダヤ人の会堂でキリストのことを語りました。聴衆はふたつに分かれました。多くの人が信じましたが、ユダヤ人はののしりました。
パウロ先生は「異邦人に向かう」と宣言し、異邦人の町でキリストを伝えました。
巨大なギリシャ文化の中で、いまだかつて誰も聴いたことがなかったキリストのことをパウロ先生は臆することなく語ります。

多くの困難にあってもパウロ先生は情熱を失わず語り続けました。
「それゆえキリスト教は世界宗教となった」と聞いて感謝しました。

ありがとう、パウロ先生。パウロ先生のおかげでパレスチナからはるか離れた日本にまでイエスさまのことが伝えられました。そしてわたしはイエスさまを信じて救われました。


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花鳥風月

2010-11-20 21:31:29 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)関東ブロックで作品集を出版しました。
本の題名は「花鳥風月」です。花・鳥・風・月を題材にして書かれた20数名のあかし文章(400字)と詩、童話・小説が掲載されています。
わたしの作品は、400字のあかし文章4作品と童話「色をなくしたインコ」です。

今回、編集委員の一人に加えていただいて、手書きの原稿をワープロ化したり、校正を行ったので、出来上がった本を手にしたとき、我が子を抱くようないとおしい気持ちになりました。
今年の3月から隔月のJCP例会で400字原稿を書いて持って行きました。 
(原稿用紙1枚だから楽勝!)と最初は思っていたのですが、1枚で書き上げるのは大変でした。

今までエッセイは、3枚ぐらいの文章を書いていました。1枚は慣れていません。
短く書くつもりでも、2枚~3枚になってしまいます。書いた後、言葉を削りながら、ああでもない、こうでもないと何度も書き直します。

せっかくいいと思って書いた言葉を消すとき、痛みを伴うことがあります。でも、あとから読み直すと、削ってよかったと思うのです。
推敲をくり返すうちに余分なものが削がれ、本当に大切な言葉だけが残されていく作業がだんだん楽しくなってきます。

人生においても試練が訪れて身を削られる思いをすることがありますが、そのことによって大切なことが見えてきたりします。
剪定と同じですね。

「花鳥風月」は210ページ A5サイズ 定価1000円プラス税です。
問い合わせはJCPのHP、メールフォームからお願いします。


教会学校ではクリスマス会のための準備が始まっています。今日も人形劇の打ち合わせのため教会に出かけました。

明日から来月12日までの日曜、教師たちは朝8時半からの第Ⅰ礼拝に出て、10時半から12時半まで子どもたちと人形劇の練習をします。
明日午後は、教会の大掃除のあと教師会なので終わるのは5時近くになるでしょう。
かなりのハードスケジュールです。必要な体力が与えられるよにと祈りつつ……。


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幼子のように

2010-11-18 17:20:24 | 教会
先日、窓から見える夕焼けの空があまりきれいだったので、ヒックンに「見てごらん、きれいだよ」と言って窓の外を見せると、「わー、きれい! 色が混ざってる」と言いました。

青空にほうきで掃いたあとのような筋雲が白とピンク色に染まっていたのです。
神さまは空のキャンバスに毎日素晴らしい絵を描いて見せてくださっています。

夕焼けは、これからいくらでも見られるけれど、再び同じ夕焼けを見ることはないでしょう。
3才のヒックンと見た美しい夕焼けを心に焼き付けておきましょう。


先日の礼拝は幼児祝福式でした。
メッセージの一部を紹介します。


マタイの福音書18章には、弟子たちがイエス様に「天の御国では誰が一番偉いのでしょう?」と尋ねています。

イエス様は小さい子どもを彼らの真ん中に立たせ、「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。だから、この子どものように、自分を低くする者が天の御国で一番偉い人です」(マタイ18:3.4)と答えます。

当時のイスラエルでは、子どもは軽んじられていて、軽くあしらわれていました。
けれども、イエス様は子どもを大切にし、ひとりの人格を持った者として扱われました。

子どもには①素直。②大人にたよる。という特性があります。
イエス様が『子どものように』と言われたのは、①と②のようになってほしいと望まれたからです。
素直に神さまの声に聞き従い、神に信頼して神が助けてくれることを疑わず信じるようにという意味をこめてイエス様は言われたのです。

子どものように謙遜になりたいと思いました。

聖歌656番を讃美しました。わたしの大好きな聖歌です。歌詞を紹介します。

わたしのように

わたしのように ちいさな子でも
まごころこめて 主をたたえれば
主のみこころに かなうでしょうか
感謝します 感謝します 感謝します 神さま

ことりのこえや きれいなもみじ
やさいくだもの うみでとるもの
ふたおやきょうだい ともだちなどを
感謝します 感謝します 感謝します 神さま

なにものよりも つみやあやまち
おゆるしになる イエス・キリストを
くださいました 父なる神に
感謝します 感謝します 感謝します 神さま



*久々にわたしのHPを更新しました。以前このブログにも書きましたが、4編の詩を掲載しました。


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花のリース(その3)

2010-11-17 21:21:11 | CS(子供伝道)
愛することは赦すことです。
以前教会で「赦すことは忘れること」と聞きました。
でも、もし誰かに取り返しのつかないひどいことをされたり、また愛する人を殺されたら、その事実を忘れるなんて不可能だと思います。

最近気付いたのですが、忘れるというのは、出来事を忘れるのではなく、にくしみの気持ちを忘れることではないでしょうか。
にくしみの気持ちを忘れることは、自分の力ではできませんが、祈り続けていると神さまが忘れさせて下さいます。

わたしは、嫌いな人がいました。ひどいことをされたので、そのことをいつまでも思っていました。
嫌ってはいけないとわかっていても、その人と会うといやだなあと思うのです。
どうしようもないので祈りました。十字架のイエス様を想いながら祈りました。その人を赦し、愛せるようにして下さいと。そうしたら、その人のためにもイエス様が十字架にかかって死んでくださったことに気づきました。
祈っていたら、いつの間にかにくしみが氷のように溶け、愛せるようになっていました。

イエス様はカロル将軍のような人ためにも死んでくださいました。イエスさまは、カロル将軍のことも愛してくださっているのです。

女の子はそのことに気づきました。カロル将軍はイエス様に愛されていることを知らないのだと思いました。自分に逆らう人を牢屋に入れ、殺しますが、それは恐怖にとりつかれているからではないでしょうか。不安でたまらないからかもしれません。本当は自分を大切にし、愛してくれる人を求めているのでしょう。

さて、女の子はなぜ花のリースを贈り続けたのでしょう。
リースは○です。丸は終わりがない。いつまでも続く・・・つまり永遠を意味します。
花を贈るという行為は、愛するということにつながります。
花のリースとは、永遠の愛・・・つまり神さまの愛を意味します。

カロル将軍に神さまの愛を知ってもらいたくて、女の子は贈り続けたのだと思います。
それに気付いたカロル将軍は号泣しました。嬉しかったのです。女の子の愛に触れ、神さまの愛に気づき、すっかり変えられました。
恐ろしいカロル将軍が優しいカロルさんになりました。

名前も知られないこの小さな女の子のしたことは、世界を変えるようなすごいことでした。
この先、カロル将軍に殺されるかもしれなかった人の命を救いました。街の人達を幸せにしました。

女の子はリースを届ける時、またカロル将軍と話すとき、怖くなかったのでしょうか?
もしかしたらカロル将軍が女の子のことを怒って殺してしまうかもしれなかったのに・・・・。
恐れはなかったのでしょうか?

聖書には
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。(Ⅰヨハネ4:18)」と書かれています。心から愛していたので恐れがなかったのですね。

この女の子のように愛を実践する者になりたいと思いました。

                     おわり

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花のリース(その2)

2010-11-15 17:01:31 | 
絵本「ちいさなリース」を読んで色々なことを考えさせられました。
ほんとうのことはわかりませんが、女の子の気持ちを想像して「花のリース」という詩を書きました。曲がついて歌になりました。昨日、この歌を子どもたちとうたいました。


花のリース

こんなこと できないんだと 思ったの
あなたの敵を 愛しなさい
それだけど 父さん母さん 言っていた 
あなたの敵を 愛しなさい
*リース、リース、花のリース、あなたの心にとどけたい

イエスさまは 十字架の上で祈ってた
いたみをこらえ 祈ってた
お父さま かれらをおゆるし くださいと
十字架につけた 人のために  (*くり返し)

祈ったの イエスさま見つめて 心から
敵を愛せるようにしてと
そうしたら わたしの心 変えられて
愛せるように なったのよ (*くり返し)



女の子の両親はクリスチャンだったのでしょう。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」という聖書の言葉から「あなたの敵を愛しなさい」と女の子に教えていました。

それでも、敵を愛することは簡単にできることではありません。
愛する家族を殺されて、その殺した人を愛することができるのでしょうか……。

両親を殺されたとき、女の子はひどく悲しんだでしょう。腹も立てたでしょう。殺したカロル将軍を憎んだでしょう。カロル将軍を赦し愛するなんて、とてもできないと思ったでしょう。

女の子はイエス様のことを考えました。
イエス様は十字架につけられたとき「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:34)」と十字架につけた人のために祈っています。

女の子は自分もイエス様のようにカロル将軍を赦せるように、カロル将軍を愛せるように、カロル将軍のために祈れるようになりたいと思いました。
でも、なかなかできません。女の子は祈りました。

愛せるようにしてくださいと祈った時、カロル将軍を嫌い、うらんでいた心が変えられていきました。憎しみがとかされて愛せるようになりました。
自分の力ではなく神さまが愛の心を下さったのです。

つづく


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花のリース(その1)

2010-11-14 16:26:23 | CS(子供伝道)

主人のリフレッシュ休暇は最終日になりました。先週は日光旅行の後、お土産を届けに千葉と東京、両方の実家に行き、帰ってきた翌日からふたたび息子一家が泊まりに来て……。
めまぐるしい日々を過ごしています。今、ヒックンが昼寝をしているのでやっと一息ついたところです。

先週CS低学年の礼拝でお話をしましたが、今日は高学年礼拝でのメッセージを依頼されてお話しさせていただきました。

高学年の子どもたちはクリスマス会に向けて人形劇の練習をしています。
「ちいさなリース」さかもとふぁみ作  (フォレストブックス)という絵本をもとにした作品を演じます。

物語の粗筋を紹介します。

「カロル」という名の恐ろしい将軍は、罪のない人を次々と牢屋になげこみ、殺していました。
町の人達は将軍を恐れていました。

ある日、将軍の家の門に小さな花のリースがおいてありました。将軍はそれを見つけて、足で踏んずけましたが、翌日もその翌日も小さなリースが家の門の前に置いてあります。

その贈り主は、小さな女の子でした。その女の子の両親は、将軍によって牢屋に入れられ、死んでしまったそうです。けれども女の子は、お父さんとお母さんが「あなたの敵を愛しなさい」と言っていたのを思い出してカロル将軍に花のリースを贈っていたのでした。

このことを知った将軍は、大きな声をあげて、泣きました。将軍は罪を悔い改め優しい人間になったので、その国は平和になりました。


これは、ルーマニアで実際にあった話をもとにした絵本です。感動的な物語で絵も素晴らしいです。現在絶版になっていることが残念です。

5年前には教師達でスライド劇をしました。(2005年12月21日のブログに書いています)
そのとき、わたしが台本を書きました。台本を書くため何度も絵本を読み、主人公の女の子の気持ちを想像し、カロル将軍の気持ちを考えました。

そこには深いメッセージがこめられていることに気づきました。

                  つづく

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リフレッシュ休暇(その2)

2010-11-10 16:14:04 | 日記
主人がリフレッシュ休暇をいただいたので8日、9日は主人と娘の3人で日光へ小旅行してきました。

8日はバスで華厳の滝と中禅寺湖を見に行きました。いろは坂を登るのに休日では渋滞で3~5時間かかると聞いていたのですが、平日だったので50分で行けました。

中禅寺湖の方は紅葉の盛りが過ぎていましたが、バスから眺める紅葉の美しさに言葉が出ませんでした。赤と黄色、黄緑、そして青空の色の組み合わせが絶妙です。神さまはなんと素晴らしい色をくださったのでしょう。

日光へは小学生のときの遠足で行き、新婚のころ主人と行った覚えがあります。それ以来ですから、華厳の滝を見るのは約30年ぶりです。昔と変わらない勢いで流れ落ちていました。

翌日訪れた東照宮では、有名な三猿の彫刻を見ました。馬小屋に猿の彫刻があるのは、古くから『猿は馬の病気を治す』といわれてきたからだそうです。
印象に残ったのは次の5つです。わたし流の勝手な解釈を加えてみました。


母子の猿
 「母猿が子猿の将来に思いをはせる。子は信頼して、顔をのぞきこむ」と書かれています。

子猿の将来を心配し、幸せを願っている母猿の姿は、人間と同じですね。子どもが母親を信頼して顔をのぞきこむ姿が愛らしいです。


見猿・言わ猿・聞か猿

「子供のうちは悪いことを『見ざる・言わざる・聞かざる』がよい」と書かれています。
『見ざる・言わざる・聞かざる』が子どもに対して言われていたとは知りませんでした。

確かにそうですが、現代の情報社会においては「見ざる・聞かざる」というわけにはいきません。

子どもは大人が想像する以上にテレビやインターネットの影響を大きく受けています。また、子どもは大人が話す言葉もしっかり聞いています。
大人は子どもに悪い言葉を言わないようにしつけますが、大人が悪口を言っていたら、だめですね。

 
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。(エペソ4:29)」
という聖書の言葉があります。
悪い言葉を言わざるようにしたいと思いました。


座っている猿

猿が一匹だけなのは、この彫刻だけです。
「まだ座っているが、飛躍を期す。(じっくり腰を落ち着けてこれからの人生を考える)」と書かれています。
飛躍を望むなら、事を始める前にまずひとりになって座って腰を落ち着ける・・・ひとりで神さまと向き合って祈ることの大切さを思いました。


上を見上げる猿

「青雲の志を抱いて天を仰ぐ」(若いうちは可能性が多い。望みを大きく持って上を見る)」と書かれています。

若いうちだけでなく、老年になっても可能性は多いとわたしは思います。上を見るとは、天におられる神さまを見上げるという意味に解釈しました。


下を見る猿

「人生の崖っぷちにおいても励ましてくれる仲間がいる。(崖っぷちに立たされた猿。しっかりと足元を見る)」
と書かれています。

励ましてくれる仲間がいるとは何と心強いことでしょう。たとえ仲間がいなくても、神様が共にいて助けて下さいます。しっかりと足元を見ることは大切ですね。



日光山輪王寺、日光二荒山神社などの社寺を巡り、最後に田母澤御用邸を見学して帰途に着きました。2日ともよい天気で、ジャケットを着て歩くと少し汗ばむぐらいの陽気でした。2日間守られたことを感謝しました。
                 
                 おわり

*JCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)のHP更新しました。ごらんください。

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心はうちに燃え

2010-11-07 20:16:47 | CS(子供伝道)
ヒックンと4日間共にして、そのうち2日は6人分の夕食を作り、朝はパパとママにお弁当も作りました。主人は息子一家にもっと泊まって欲しいようでしたが、わたしの体力が限界にきたので土曜日に帰ってもらいました。

帰った後は疲れを感じなかったのですが、さすがに今日は体が重いです。それでも心はうちに燃えています。

それは、今日CS(教会学校)でお話をすることになっていたからです。
そのために2週間前から準備してきました。ヒックンが来ている間はできないので、来る前に原稿と視覚教材を作り、頭の中で反復していました。
そうしたら聖書のメッセージが迫ってきて、わたしを力づけてくれました。


教会学校でのお話しは、Ⅱサムエル7章、Ⅰ歴代22章、29章です。

ダビデが王になったとき、神殿を建てたい思いました。ところが神さまはそれをストップされました。神さまは、神殿はダビデの息子ソロモンが建てるように預言者ナタンを通して告げられました。

神さまの言葉を聞いたダビデは、感謝の祈りを捧げています。
神殿を建ててはならないと言われたことに対して一言も文句を言っていません。

羊飼いだった自分をここまで導いてくれたこと。神さまがいつも共にいて祝福を与えて下さったことを感謝しているのです。
そして、自分ができることは神殿建設に必要な物を準備することだと思い、ダビデは自分が所有していた財産の多くを捧げます。

イスラエルの一族の長たちもダビデにならって捧げ、十分なものが備えられました。
ダビデはこのときも感謝の祈りを捧げています。

そして、ソロモンには『神さまの律法を守るように、そうすれば神さまは祝福して下さる』と語り、ソロモンが神さまに従うことができるように、神殿を建てることができるように祈っています。

よいことを行おうと決心したのに神さまがそれをストップされることがあります。
なぜ? と思ったり、どうしてさせてくれないのかと文句を言ったりせず、神さまのみ心に従うことの大切さを教えられました。

また、息子ソロモンに、神さまから目を離さないように、律法を守るようにと伝えています。それは、人としていちばん大切なことです。

神殿建設のためにせいいっぱい捧げたダビデの行為にも教えられました。
ダビデの信仰を見習いたいです。

神殿はソロモンによって建てられました。でも、建てたのは神さまです。

「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。(詩篇127:1)」


今日は召天者記念礼拝でした。
召された教会員やその家族の写真がスクリーンに映し出されました。父の写真が映されたときは、やはり涙があふれました。


「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(ヨハネ14:1、2)」


『地上の別離は悲しいですが、天の希望があります。人は地上の歩みを終えると、神の民に加えられ、人類の歴史の一部となります』というメッセージに慰められました。



*リフレッシュ休暇(その2)は後日書く予定です。


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リフレッシュ休暇(その1)

2010-11-06 16:49:12 | 日記
主人がリフレッシュ休暇なので、4日は3歳7か月になる孫のヒックンを連れて上野動物園に行ってきました。ヒックンは電車に乗るのは2回目です。夏に北海道旅行に行ったとき、土浦駅から羽田まで電車で行きました。
土浦駅の駅ビルを見て「あ、ここ知ってる。北海道でしょ」と言ったので大笑いしました。ヒックンの中では土浦駅も北海道のようです。

前回のように電車で興奮しすぎるということはありませんでした。特別快速に乗ったので、上野まで1時間ほどでしたが、駅に着くたび「動物園は、まだ?」と聞いていました。新しい車の絵本を持って行ったので、なんとか退屈せずに過しました。

ようやく上野駅に着いて改札を出ると、ハトがいるのでヒックンは大喜びです。つかまえたいと言って追いかけて走りまわっています。

そういえば息子が小さいころ、動物園へ行く前にハトに興味を示し、動物園に着いたころ、疲れてしまったことを思い出しました。

以前はもっとたくさんのハトがいたはずなのに、数が減っているように思います。そのかわりたくさんのカラスが我が物顔に飛び回っていました。

動物園に着くと、案の定「抱っこ」とおじいちゃんにまとわりつきます。
「歩けるでしょ」と言うと、
「足がかゆいから歩けない」と言います。
「足がかゆい?」
ズボンをめくってみますが、赤くもなっていません。
そういえば……半月ほど前、つくばエキスポセンターに行った時、帰りに足を蚊にさされて泣きだし、おじいちゃんに抱っこされたことがありました。(あのときは暑くて半そで半ズボンでした)

「本当に足がかゆいの? それとも、かゆくないけど抱っこされたいからかゆいって言ってるの?」
と尋ねると、
「かゆくないけど、抱っこされたいから言ってるの」
とヒックン。
その正直さに思わず微笑んでしまいます。

ずうっと抱っこでは大変なので、ベビーカーを借りることにしました。
少々窮屈で足が飛び出しています。途中からは自分で押して歩いていました。

ヒックンはサルを見てもゾウを見てもあまり興味を示さず、「早く次に行こう」とせかします。
「何を見たいの?」と聞くと
「ドラえもん」
「……」

動物園入り口の横に小さな遊園地があって、ドラえもんの乗り物があったのを見ていたのです。動物よりも遊園地の乗り物に興味があるようです。



ハクビシン(写真)だけは興味を示して見ていました。
お弁当を食べてからふれあいランドにいくと、ヤギがこわくて大騒ぎ。最後に遊園地へ行って満足して帰ってきました。

昨日は水郷公園に連れて行って、ローラー滑り台やぶらんこで遊び、ドングリを拾って帰ってきました。

こちらの都合で保育園を2日間も休ませてしまって・・・よかったのかな?と思っていると、「いい経験させてもらってよかったよ」と息子が言ったのでほっとしました。

ヒックンは、「楽しかったね。今度はデズニーランドに行こうね」と言って家に帰って行きました。
            つづく

(上の写真は水郷公園です。)

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聖餐式(その2)

2010-11-03 09:03:20 | 教会
これから息子一家が泊まりに来ます。
主人がリフレッシュ休暇中なので、明日ヒックンを連れてどこかへ出かけようと計画しています。
昨日の続きを書きます。

イエス様はパンを弟子たちに与えました。
パンとはイエスさまのことです。イエス様は、ご自身のいのちを弟子たちに与えました。

聖書には
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ10:10)」と書かれています。
羊というのは、わたしたち人間のことです。わたしたちに永遠のいのちを与えるためイエス様は、パンとなり、ぶどう酒となってご自分のいのちをわたしたちに与えて下さいました。


「わたしたちも隣人にいのちを与えるべきです」
と牧師先生が言われるのを聞いてドキッとしました。

わたしは人にいのちを与えることができるのでしょうか・・・。
いのちを与えるとは、人のために犠牲を払うこと、仕えること、奉仕すること、捧げることも含まれていると思います。

わたしの中に潜在的にある思いは、損をしたくない、少しの犠牲も払いたくない。与えるより受けたい、仕えるより仕えてもらいたいという非常に傲慢で自己中心的なものです。

でも、イエス様はわたしのためにいのちを与えて下さり、モデルを示してくださいました。

「あなたは受けたのだから与えなさい」
神様からのメッセージが迫ってきました。

受ける資格のないようなわたしにイエスさまはいのちを与えて下さったのです。ですから、喜んで与える者になれるように祈りました。


聖餐式では
「主イエスはご自分をパンにして私に与えて下さいました。私もだれかのために一個のパンとなります。この決意をもってパンをいただきます」

と言ってパンをいただき、

「主イエスはご自分の血潮をぶどう酒にして私に与えて下さいました。私もだれかのためにぶどう酒となります。この決意をもってぶどう酒をいただきます」

と言ってぶどう液をいただきました。

だれかのために一個のパン、一杯のぶどう酒になれるようにと祈りつつ。

「受けるより与える方が幸いである。(使徒20:35)」

     おわり

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聖餐式(その1)

2010-11-02 13:23:46 | 教会
一昨日は聖餐礼拝でした。聖餐式は教会によって行われる回数が違いますが、土浦めぐみ教会では年に4回の聖餐式が行われます。今回は今年最後の聖餐式でした。

聖餐式ではキリストの十字架を思ってパンとぶどう液を戴きます。
聖餐式の意味については過去の記事に記していますので、ここをクリックしてごらんください。

聖餐式のとき、「クリスチャンでない人は聖餐を受けるのを遠慮してください」と言われます。
それだけだとクリスチャンでない人は疎外されたように思うかもしれません。

でも、めぐみ教会では聖餐式が行われるとき、
「この儀式は、まだクリスチャンでない方々への神さまからの目に見える招待状です。疎外するのではなく、一日も早く受け取ってほしいと願っているのです」と言われます。
配慮のいきとどいたはからいを嬉しく思っています。


「イエスはパンを取り祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。」
と聖書に書かれています。
この中に1パンを取る、2祝福する、3裂く、4与える という4つの行為があります。
今年は聖餐式のたびにこれらの行為からメッセージをいただきました。

1、神さまは、わたしたちを特別な計画のために取り上げて下さいました。わたしたちが無力なので取り上げて下さったのです。

2、神様は祝福を与えて下さいます。わたしたちは祝福の言葉を必要としています。だからお互いに祝福しあいましょう。

3、パンを裂かれたとは、イエスの体が裂かれたことを意味します。またわたしたちも心が裂かれるような苦しみ、悲しみを経験します。そして傷つきますが、イエス様のところへいったとき、裂かれ、傷ついた心は癒されます。

1~3は、これまでに聞いたメッセージを要約したものです。

今回は4の「与える」についてのメッセージ聞きましたが長くなりますので次回更新します。

                   つづく

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