生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ヤベツの祈り

2006-11-30 11:53:44 | 過去の記事より
2年前にHPで書いた日記を掲載します。

数年前、「ヤベツの祈り」(ブルース・ウィルキンソン著*いのちのことば社)という本を読み、わたしもヤベツの祈りをするようになりました。
ヤベツというのは旧約聖書に出てくる目立たない人物です。ヤベツの母は「悲しみのうちにこの子を産んだ」といっています。
難産だったのか未熟児で生まれたのかわかりませんが、ヤベツが恵まれない人生のスタートをきったことは確かです。
そのヤベツが祈ったとき、神さまはその祈りをかなえられたそうです。

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわっていった。
「私を大いに祝福し、私の地境を広げて下さいますように。御手が私と共にあり、わざわいから遠ざけてわたしが苦しむことのないようにしてくださいますように」
そこで神は彼の願ったことをかなえられた。(Ⅰ歴代史4:9-10)


神さまは、求める者に豊かに与えたいと思っておられるのですが、わたしたちは常識を働かせて限界を自分で決め、求めずにあきらめてしまうことが多いのではないのでしょうか。
わたしは、どう考えても不可能だと思えることについても大胆に祈り求めました。
すると生活の中でこれは神さまが働いたに違いない思えることがいくつも起きてきています。本の出版、HPの開設もそのひとつです。


そしていま、父のうえに起こったこと、また父の死後に起きたことを付け加えます。教会へ納骨することまでは、祈り求めてさえいなかったことでした。神さまは祈り求めること以上のことをして下さるお方なのですね。
これからもヤベツの祈りをしていきたいと思います。
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ようやくクリスマス

2006-11-29 17:44:33 | 日記

ようやくクリスマスの飾り付けをしました。毎年11月の家庭集会前にクリスマスの飾り付けをするのですが、今年はすっかりおそくなってしまいました。結婚式の時に息子からもらったミッキーマウスのぬいぐるみもサンタさんに衣替え。(11.5の写真のぬいぐるみです)


昨夜は息子夫婦が来て、夕食を共にしました。結婚式後夫婦揃って家に来るのは初めてです。お嫁さんのT子さんに息子の赤ちゃんの頃のアルバムを見せて、楽しいひとときを過ごしました。家族がひとり増えたことが大きな喜びです。


日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)からあかし新書27篇「生かされている喜び」が出版されました。あかし新書の出版は2年ぶりです。約35人のJCPの会員がキリストをあかしするために書いた尊い作品が掲載されています。わたしは夏に一度校正のお手伝いをさせていただきましたが、それは大変な作業です。何度も校正を重ねてようやく出来上がった本です。


わたしの作品は「生かされている喜び」と「志に生きる」のテーマで書いたエッセイ2篇(各1200字作品)と「風の種」(4000字作品)という短編を載せてもらっています。

「風の種」を書いたのは半年以上前ですが、最近社会問題になっているいじめによる自殺の問題を取り上げています。テーマは「存在」です。
ブックマークにあるクリスチャン・ペンクラブのHPに詳しい本の紹介を載せましたので是非ごらんください。書店では売っていませんが、JCPから申し込み購入することができます。
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驚くほどのめぐみ(その4)

2006-11-28 12:41:59 | 家族

11月21日。実家でS先生により分骨式が行われました。手袋と箸を母が用意していましたが、先生はそれを使わず、素手で骨をひとつずついとおしむように移して下さいました。母はそれを見て感動していたようです。

骨を見ると悲しみがどっと押し寄せてきて、また涙があふれました。聖書の黙示録21章1節から6節を読んでいただき、お祈りの後、讃美歌298番を3人で歌いました。聖書は父が召される直前にわたしが読み聞かせていた箇所です。
教会での納骨式は年が明けてからです。最初母は「納骨式には行かないから、あんたひとりでやってちょうだい」と言っていましたが、S先生が帰られた後、「納骨式に行かなくちゃね」と言ってくれました。

讃美歌298番の歌詞を紹介します。


やすかれ わがこころよ。主イエスはともにいます。
いたみも苦しみをも おおしく忍び耐えよ。
主イエスのともにませば、たええぬ悩みはなし。

やすかれ わがこころよ。なみかぜ猛るときも、
父なるあまつかみの みむねにゆだねまつれ
み手もてみちびきたもう のぞみの岸はちかし。

やすかれ わがこころよ。月日のうつろいなき
み国はやがてきたらん。うれいは永久(とわ)に消えて
かがやくみ顔あおぐ いのちのさちをぞ受けん。


この歌詞のように、わたしの心はやすらかです。どんなに大きな悲しみ、苦しみの波がやってきても、イエスさまがいっしょなら、耐ええられない悩みはありません。天国に行けば、うれいは永久に消え、イエスさまの懐に抱かれます。いまごろ、父はイエスさまのもとでニコニコ笑っていることでしょう。
母の心にもやすけさがありますように。
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驚くほどのめぐみ(その3)

2006-11-27 13:19:59 | 家族

母が混乱するのはもっともなことです。でも最後には、
「あんたがどうしてもと言うなら、考えてもいいけど……Y子(妹)は何と言うかしら?」
と言いました。
Y子に電話すると、意外にも喜んで、薦めてくれました。わたしは知らなかったのですが、Y子は父の葬儀の前に川崎のお寺の墓に分骨して入れてほしいと母に頼んだそうです。秋田は遠いので、お墓参りにいけないから、関東にお墓があればいいと思ったようです。たいそうなお金がかかるという理由で母に反対され、その話はなくなったのです。わたしが土浦めぐみ教会に納骨することが可能だというと、妹はぜひそうしてほしいと言いました。


何人かの友人に相談すると、賛成してくれました。でも、決めるのはわたしです。それから2日間、祈りました。
あまりにも突然のことで、しかも母はあまり喜んでないので、果たして教会に納骨することが神さまのみこころなのかわからなかくなってしまいました。

祈りながら、わたしの一時的な感情(寂しいから遺骨を近くに置いておきたいという気持ち)だけで分骨しようとしているのか。目的は何なのか考えました。
父の遺骨が教会にあるという事実が、母や妹を教会に結びつける。母や妹にキリストを伝えたいということが納骨の目的だということをはっきり確認できました。

それでもこのように祈りました。
『もし、分骨が神さまのみこころならば、できるように。みこころにかなっていなければ、神さまがストップしてください』


17日夜、再び母に電話すると、
「分骨用の壺はどこに売っているのかしら?」
と、母は分骨する心づもりをしています。驚いて尋ねると、わたしが電話する10分ほど前に妹から電話があり、分骨を薦められたそうです。
それからすぐS先生にメールを出すと、「早いほうがいいでしょう。善は急げです。」と言われ、21日に実家にきてくださることになったのです。


なんというタイミングの良さでしょう!実家にまだお骨があるときに祈祷会で「納骨の神学」の学びをしたことといい、主の御手が大きく働いてくださったことを目の当たりにして震えるほど感動し、無事に済むまではブログに書けませんでした。

           つづく
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驚くほどのめぐみ(その2)

2006-11-26 20:12:53 | 家族

今日は朝8時半からのⅠ礼拝に出席。10時よりCS奏楽奉仕をし、分級ではクリスマス会のペープサートのセリフ録音。11時半から(Ⅲ礼拝の間)教師達でペープサートの制作。昼食後、1時半からCS教師会。3時半からクリスマス会で行う教師によるスライド劇の練習。家に帰ったのは5時。すっかり暗くなっていました。とても疲れているはずですが、気持ちが高ぶっているせいか、不思議なほど元気です。

分骨することになったいきさつを書くのでしたね。


15日に祈祷会に行きました。11月は祈祷会で「死と葬儀」というテーマで学びがあり、15日はちょうど「納骨の神学」についてでした。父の葬儀から間もない時期にこのような学びをするのは正直つらく、お休みしようと思いました。でも、体調が良く、特別な用事がないときは必ず祈祷会に出席するようにしているので、出かけました。その日、祈祷会に行ったことが、大きな喜びに変わったのです。


教会に納骨すると、記念会をすることもできるので、家族や親戚への伝道になる。クリスチャンでない人の遺骨も納められる。分骨することもできる。と聞いて、父の遺骨をこのピスガ(めぐみ教会の納骨堂)に納めることができたら、どんなにいいだろうという気持ちになりました。


父が召される前までは、自分自身のことも含め『骨には魂はないのだから、どこに納骨されてもかまわない』という考えでした。でも、いざ亡くなってしまうと遺骨を近くに置いておきたいという気持ちが沸いてきました。父の体でのこっているのは骨だけだと思うとなおさらです。遠い秋田のお墓にすべてを埋めてしまったら、寂しさは募るばかりでしょう。実家に遺骨のある今なら間に合うかもしれないと思い、祈祷会のあと早速S先生にお話しました。


「埋葬許可書と分骨用の壺があれば、分骨をしにご実家に行きましょう」と言ってくださいました。もちろん、母と妹の同意が必要です。
その晩、母に電話をすると、
「お父さん、洗礼を受けたわけでもないのにどうして教会に納骨するの? もう、わずらわしいことはやりたくない」
と言われました。あまりにも唐突だったので少し混乱してしまったようです。

                       つづく
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驚くほどのめぐみ(その1)

2006-11-25 21:34:58 | 家族

21日から実家に泊まっていました。今日は御茶ノ水クリスチャンセンターで行われたクリスチャン・ペンクラブのクリスマス会に出席し、土浦に戻ってきました。
クリスマス会ではトロンボーンとピアノの素晴らしい演奏を聞き、降誕の聖書朗読にイエスさま誕生の喜びが沸き上がってきました。


21日にすごいことがありました。その1週間前には予想すらしなかったことが現実となりました。牧師先生が実家に来てくださり、父の遺骨を教会の納骨堂に納めるために分骨してくださったのです。


わたしの通う土浦めぐみ教会には、ピスガという納骨堂付きチャペルがあります。父が洗礼を受けて召されたのなら(キリスト教では亡くなることを(天に)召されると表現します)お葬式は教会で行い、遺骨はピスガに納めることを考えたでしょう。


わたしは、父がキリストを信じて天に召されたと確信していますが、洗礼を受ける間もなかったので、母や妹は確信を持っていません。
秋田のお寺にお墓があり、そこに納骨することが決まっていました。(来月9日に皆で秋田県に行く予定です)
ところがです……。


分骨することになったいきさつは、次回書きます。
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父の遺してくれた物(その4)

2006-11-21 06:47:43 | 家族
今日これからまた実家にいきます。妹が仕事でフランスに行っているので、訪れる人も少なく、寂しさを感じている母と共に時を過ごそうと思っています。


父は「永遠のことば」を読み始めたころ(2年半前)から少しずつ変わってきました。母や妹やわたしに「ありがとう」とよく言いました。それまでは決して口にしなかった言葉です。


今年の4月、癌がかなりすすんでいて、肺にも転移していることがわかったとき、医師の薦めでホスピスを捜しました。父には吉祥寺に買い物に行くと嘘をついて、母と妹と3人でホスピスを見学にいったのです。わたしたちが家に戻ると、留守番をしていた父の機嫌は悪く、
「ぼくが具合が悪いのに、お前達は呑気に買い物か」
と怒鳴ったので、わたしたちはあわてて父の機嫌をとり、
「具合どう? 大丈夫?」
と声をかけると、
「もう、いいんだ、ほっといてくれ」
と怒って2階に上がって寝てしまいました。
こんなふうにすねたのは、1回きりでした。



その後、ホスピスに入院したとき、春に見学して予約を入れておいたから入れたのだと説明すると、「そうだったのか……。ありがとう」と涙を流して言いました。
父は末期癌で余命がわずかだと知っていても平安でいられたのですが、その秘密が三浦綾子さんの言葉に隠されている気がします。



寝たきりの、何も自分の言葉でものの言えない人も、思っていることの心の中はすばらしいですね。(一方)口に出して言えるわたしたちが「ありがとう」という言葉を出さずに生きております。わたしたちはこの口で何かを言う義務があると思います。

でもわたしは、病気というのはマイナスばかりじゃない、いや長い病気であっても病気は病気なりにプラスの生活があるんじゃないかと思います。病気で失ったものはいったい何だろう、と考えたら健康だけだったんですね。健康は確かに失われたかもしれないけれども、その代わりに得たものは真実の友でした。
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父の遺してくれた物(その3)

2006-11-20 13:41:09 | 家族

父は
「人が話しているときには、どんなに自分の意見が言いたくても割り込んでしゃべってはいけない」
とよく言っていました。わたしはそのことを守りたいと思っていますが、つい割り込みをしてしまうこともあります。でも考えてみたら失礼なことですよね。人の話を中断させて会話の流れを自分の方にもっていくのですから。

児童文学の会の合評会(フリートーク)では、このことを忠実に守ると一度も発言しないまま終わることが多いです。最後になって「何も発言しなかった文香さんどうぞ」と言われたときには、言おうとしていたことをすっかり忘れているなんていうこともありましたが……。

三浦綾子の「永遠の言葉」は1生命をめぐって、2さまざまな愛のかたち、3人生について、4病との共生、5神と信仰の5つに分かれています。その中で父は1から(26文中)7。2から(33文中)13。3から(41文中)12。 4から(21文中)8。を選んで書き写しています。

最後の5からはひとつもなかったので、書き写した時点では(2005年4月)神さまを受け入れていなかったのだろうなと思いました。
でも、よく読んでみると、5以外の言葉でも、どれもが聖書信仰に基づいていて、神さまの存在をぬきにしては考えられない言葉です。3の中には「神様は」で始まる文章があり、それも書き写されていました。



神様は、人間というものをおつくりになった。金がないというだけぐらいのことで、不幸になるようなものをおつくりにならなかったということですね。人間というものは、金がないということだけでは不幸にならない存在だと、わたしは思います。

病気になって初めて、ほんとうの人の姿が見えてくる。これは得がたい体験です。

人間は絶望的な状態であっても、一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていくんですね。治すのは何か別なもの、(医療の)諸技術も大事でしょうけど、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かわれを忘れさせるということが、すごく大事なのではないでしょうか。
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父の遺してくれた物(その2)

2006-11-19 16:22:16 | 家族
テンプレート、クリスマスバージョンにしました。


三浦綾子の「永遠の言葉」(主婦の友社 発行)という本は2001年に出版されました。1999年秋に亡くなられた三浦綾子さんの講演、対談の中から選び出された言葉が書かれています。いままで活字になっていなかった講演記録の中の言葉も含まれています。
今日も父が書き写していたものの中から紹介します。


わたしが死ぬ時は結局、周囲のすべての人々に対して「いろいろありがとう」ということと「許してくださいね」ということと、この二つの言葉しかないような気がします。ほかにもさがせばいろいろあるけれど、この二つの言葉だけは素直に、本心から言って死にたいですね。でも実際になると「なんじゃ、おまえ」とか(笑)、何を言い出すかわかりませんけれど。

わたしたちは、なぜ生きねばならないか……という問いを発しがちですが、生きるとか死ぬとかという人生の一大事の「なぜ」は、だれにもわからないものですね。それよりもわたしたちは、だれも「生きる」のではなく「生かされている」と考えると、おのずから生き方も変わってくると思うんです。

あまりにも親が子どもに期待しすぎるということがあるから、むずかしいですね。子どもも親に多くの物を期待している。しかも生みの親にとって、わが子はおのれ自身でもある。でも、子供にとっては親はおのれ自身ではないですよね。親がいくら子をほめても、力を認めても、それが子どもにとってわずらわしいことだってありますよね。
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父の遺してくれた物(その1)

2006-11-18 14:02:07 | 家族

父がワープロで書き写していた三浦綾子の「永遠の言葉」からの引用文を紹介します。
他にもまだたくさんありますが、1ページ目にまずこの3つの文章が書かれています。これらを選んで書いた父の心に思いを馳せながら写します。


わたしたちが命のことを考えるときに、ただ健康でありさえすればいいというあり方、ただ生きていればいいという動物的な考え方もありますけれども、この命をどのようにいきてゆくかという生き方もあるんです。そして、このほうが人間として非常に大事なことだと思うんです。

人間というものは、ほんとうに一人では生きることができないものです。お互いに支え合って人という字ができているわけです。人間という字は「人」の「間」と書きます。人の間にいなくては人間は生きられないのに、自分がいかにも一人で大きくなったように思ってしまう、そういうところがあります。わたしも情けない人間ですけど、感謝するということが人間はほんとうに少ないと思います。

世の中には、ほんとうに不幸続きの人がいます。いろんな人に対して、わたしたちが心から人間の生命をいとおしむならば、尊いと思うならば、それは素晴らしいことだと思います。人間の尊厳死が問題とされている世の中ならばなおさらのこと、わたしたちはどうして人間を尊厳の対象として見ないのでしょう。



父は信念を持っている人でした。実家に帰ると、わたしや子供達に人生訓を教え諭すように話してくれました。また、健康こそが大切なことだといい、健康には特に気をつけていました。脳溢血に絶対にならないための薬の作り方を教えて貰うと、わざわざ山形から蕗の葉を送ってもらってそれを煎じて薬を作り、主人やわたしにも飲ませてくれました。



それがどのくらいの効果があったかわかりません。父は脳溢血にはなりませんでしたが、その後大動脈瘤の手術を受け、癌になって召されたのでした。
2年前、大動脈瘤で入院してから、父の信念がぐらついてきたのではないかと思います。お見舞いに行ったとき「永遠の言葉」を渡すと熱心に読んでいました。
そして「とても感動した」といって涙ぐんでいました。書き写していたほどですから、父にかなりの影響を与えた本だといえるでしょう。

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家庭集会

2006-11-17 17:45:10 | 日記

今日は我が家での家庭集会でした。I 先生と5人の方が来て下さいました。
「罪」とは大小や程度の問題ではなく、方向性の問題であると教えていただきました。
間違った方向に向かうことが過ちである。神さまに背を向けることが罪なのだと聞いて、わたしは今まで何度も誤った方向に歩んでしまったなあと思いました。でも、過ちに気づいて軌道修正すればやり直せるのです。


1929年、ローズボウルというアメリカンフットボールの大会で、カリフォルニア大学のロイ・リーゲルという選手が誤って味方チームのゴールに突進してしまったそうです。     
そのエピソードを聞いて、小学3年生の体育の時間でのクラス対抗リレーを思い出しました。極度に緊張していたわたしは、バトンを渡された途端、顔の向いている方向に(つまり逆方向に)走りだしてしまったのです。
笛の音で間違えに気づいてあわてて向きを変えましたが、最下位になってしまいました。あやまったのですが、そのことでクラスのみんなに責められ、先生にまで「何で反対に走ったの?」と咎められ、そのことがトラウマになっています。


でも、ロイ・リーゲルの監督は、彼が意気消沈していると、「いいよ。次頑張りなさい」と赦してくれたそうです。ロイ・リーゲルは力を得て後半戦活躍し、カリフォルニア大学は優勝したのだそうです。


神さまは、失敗に気づいて落ち込んでいる人に「いいよ。赦すよ」と言って下さるお方です。そして赦すために尊いキリストの血が流されたのです。
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イエスさまといっしょ

2006-11-16 13:50:31 | 日記

明日家庭集会なので久々に気合いを入れて掃除をしました。このところさぼっていたのであちこち汚れており、昼過ぎまでかかってもまだ綺麗になりません。疲れたのでこのへんで妥協することにしました。夕方からは、明日の昼食の準備です。


2週間ほど前から主人と2人暮らしになったのですが、まだ慣れていません。つい3人分の食事を作って、余ってしまいます。2年前、娘が1人暮らしを始めたときもそうでした。しばらくは4人分作っていました。
2人だとなんと張り合いのないことでしょう。でも、今回は家庭集会で8人分の食事を作るので張り切っています。


結婚式の写真のCDロムが送られてきたので、さっそく数枚パソコンで印刷しました。2人を囲んで母たち家族での写真を見て微笑んだあと、(あれ、どうしてお父さん写ってないの?)
と思ってはっとして、こんどはどっと涙が……。
父は結婚式にどんなに出たかったことか……出られなくてもまだホスピスにいれば、写真を見てもらえたのに……。
このところ、泣いたり笑ったりです。


昨日、久々に聖書輪読会に出ました。聖書輪読会では、数人で聖書を1節ずつ交代で読み、1章読み終えたら感想を自由に言い合い、祈ります。祈祷会前の30分間なのでたいてい1章しか読めません。メンバーは3.4人で入れ替わりましたが、5年くらい続いています。

週に1回ですが、お休みすることも多いので、4年くらいかかって新約聖書を一度通読し、今2回目です。1回目は聖書を逆順に読んでいき、2回目は書かれた年代順に読んでいます。今回新約が終わったら旧約聖書を読みたいのですが、いつになることやら……。
昨日はⅡテモテの手紙1章でした。パウロが書いた最後の手紙だそうで、獄中で書かれています。この手紙が書かれてから何年後かわかりませんが、パウロは殉教しています。パウロはじぶんの死が近いことをわかっていたのだと思いますが、なんと力強いことを書いているのでしょう。


神が私たちに与えて下さったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(Ⅱテモテ1:7)




すぐ臆病になってしまうわたしは、このみ言葉でどれだけ勇気を与えられてきたことか…。


「迫害を受け、どんなに悲惨な殺され方をしても、死ぬときもイエスさまがいっしょだとパウロは知っていたからこのような力強いことが書けたのね」
と友がいいました。


「イエスさまだけは死ぬとき、たったひとりだったけれど、ほかの人たちはだれでも、死ぬときにイエスさまが共にいてくださるのよね」

という友の言葉に深く感動しました。

「お父さんもイエスさまと一緒だったのね。だから、つらくはなかったのよね!」
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もしあなたが 自分の命を絶ったなら

2006-11-14 18:36:32 | 

いじめによる自殺が相次いでいます。

子育てをしたり、教壇に立っている30代、40代前半はデジタル世代と言えると思う。(略)学校での物差しが画一的になり、0か100か二者択一の価値観が教育現場に広がった世代だ。親や教員の共感性が育っていないから、心の教育ができない……。

というようなことが今日のA新聞に書かれていました。
さらに
デジタル世代が育てている今の子供達もいじめにあったとき0か100かの解決を求め、自殺という手段を選んでしまうのではないか。教育の効率化の中で失われた無駄や余裕などの中に大切な部分があったのではないか。
とありました。
確かに子供は追いつめられています。つらくて学校を休みたくても休めない状況にあることも自殺を増加させる原因になっています。

育てる者にも問題があり、子供の方にも問題があります。いじめをなくすことにやっきとなっても自殺はなくなりません。自分の命であっても命の所有者ではない。それを自由にしてはいけないのだということをどのように知らせればいいのでしょうか……。久々に詩を書きました。




      もし あなたが

もし あなたが 
自分の命を絶ったなら
お母さんは 泣いて 泣いて
涙が枯れ果てても
泣き続けるでしょう

もし あなたが 
人生を強制終了させたなら
お父さんは 嘆いて 嘆いて
肋骨が折れるほど
我が胸をたたき続けるでしょう

なぜ気づかなかったんだろう
育て方が間違っていたのだと
お父さん、お母さんは
自分を責め続け
一生心から笑うことがないでしょう

もし あなたが死んでしまったら
あなたの友人やクラスメート
あなたが知らない人たちも
少なくとも1000人の人が心に深い傷を受けるでしょう

もし あなたが 親も友もなく
ひとりぼっちだったとしても
あなたを造られた方が
苦しんで 苦しんで
涙が大海となって地をおおうほど
泣き続けるでしょう



もしあなたが リセットボタンを押すつもりで命を絶ったとしても、生まれ変わったり、生き返ったりはしないことを覚えておいてください。命はたったひとつきりです。どんなに生きたいと願っても生きられない命もあります。
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世界がもし百人の村だったら

2006-11-13 13:19:08 | 社会

昨日の幼児祝福礼拝で世界がもし百人の村だったらという詩が紹介されました。5.6年前ネット上を駆けめぐった詩なのでご存じの方も多いと思いますが紹介します。


世界には63億人の人がいますが、もしそれを100人の村に縮めると、どうなるでしょう。その村には…
57人のアジア人21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人8人のアフリカ人がいます

52人が女性で48人が男性です

30人が子供で70人が大人で
7人がお年寄りです
6人が全世界の富の59%を所有し、
その6人ともがアメリカ国籍の人です。

80人は標準以下の居住環境に住み、
70人は文字が読めません。
50人は栄養失調に苦しみ、
1人が瀕死の状態にあり、
1人は今生まれようとしています

48人は逮捕されたり、拷問を受けるような危険の中にあり、
自由に語り、安全に礼拝したり出来ない状態にあります。
もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、
家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら‥
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8人のうちの一人です。
もしあなたが車を持っているならば、
世界の中で最も裕福な7人のうちの一人です。
100人のうち1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け、
そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています。


心が痛みます。どう考えても自分は最も裕福な上位8人のうちの一人になります。
ほんの一握りの人がすべてを持っており、大部分の人は何も持っていないという現実。
安住していていいのでしょうか。わたしにできることはないのでしょうか……。


ほとんどが裕福な者となるこの日本では、隠されたところで恐ろしいことが起こっています。親からの虐待におびえている子供。陰湿ないじめを受けて死を願っている子供……。昨日も中学生が自殺しました。

「あなたの一生は神の前に大きな意義がある。神さまがあなたに期待しておられる」

とメッセージがありましたが、死を願っている者達にこのことを伝えたいです。そして、祈ります。


神さま、子供達をどうか、どうか助けて下さい。命が絶たれないように、自ら命を絶たないように。
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楽しい読み聞かせ

2006-11-12 17:37:27 | 日記

ブックマークにある「優子の部屋」の優子さんはJCP(日本クリスチャンペンクラブ)の仲間であり、大切な友人です。といっても彼女は関西に住んでいるので、昨年JCP夏期学校で1度お会いしただけです。そのときは挨拶を交わしただけで、ゆっくりお話する時間がありませんでした。M姉と3人、同時期にブログを始めたのでブログやメールを通して親しくさせていただき、旧知の間柄のような気がしています。
11日の「優子の部屋」にわたしのメールが紹介されていますのでぜひご覧になってください。


先日、読み聞かせについて書きましたが、おもしろいエピソードを思い出しました。
息子は「機関車トーマス」の絵本が大好きで、何度も何度も読まされました。汽車に顔がついているのですが、トーマスの笑っている顔を見ると「あーはははは」と声を上げて笑い、泣き顔を見ると「エーン、エーン」と泣き声を上げていました。
本物の機関車を見せる前にこの絵本を与えたので、3歳の時はじめて上野の博物館前にある機関車を見ると、「あっ、お顔がない!」とびっくりしていました。

ピーターラビットの本を読むと、「マクレガーさん、こわーい」と震えていました。ピーターラビットになりきっているのでした。


息子の年齢にあわせて本を選んでいたので、息子より3年7か月遅く生まれた娘はいつもレベルの高い本を読み聞かされていました。長編小説でも挿し絵があるのでけっこう理解していたようでした。ナルニアを読んだのは、娘が小2の時でしたが「のうなしあんよ」ごっこをしたり、泥足にがえもんの話し方をまねたりして楽しんでいました。

なぜか息子は本好きにならなかったのですが、娘は1000ページもある京極夏彦の本を3日で読むほどの本好きになりました。また辞書が好きで、解らない言葉があると気になって眠れないそうで、まめに調べているので語彙はわたしより豊富。完敗です。

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