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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

心のすき間が埋められて(その3)

2005-12-12 11:48:18 | エッセイ


わたしにとって中学2年の1年間は、10年にも感じられるつらい時期でした。劣等感に押しつぶされそうになってもいました。自分の存在価値がわからず、生まれてきたことをのろい、自分をいじめる人、馬鹿にする人たちを恨み、自分自身を憎みました。

「人はなんのために生きるのか」その答えを知りたくて、色々な人に質問しますが、明快な答えを得ることができませんでした。もし、私が臆病でなければ、自殺していたと思います。毎日死にたいと思っていたのですから。

 高校に入ると友達も与えられ、喘息も漢方薬でだんだん治ってきました。劣等感も克服したと自分では思っていたのですが、優越感に変わっただけにすぎず、とても高慢になっていました。
 子どもが好きだったので、幼稚園の先生をめざして保育科の短大を受験しました。ミッションスクールとは知らずに受験し、補欠の十番でぎりぎり合格したのです。短大にいる間は、キリスト教を嫌い、礼拝の時間はよくさぼっていました。
 短大のときは、勉強も部活もがむしゃらに頑張りました。努力こそ尊いことだと思っていました。そのため、いい成績で卒業しましたが、幼稚園に勤めると、学校で学んだことのほとんどが役に立たないことに気づきました。学校の成績が良くても子どもたちの前では何にもならないのです。自分の無力さに愕然としました。 
 また、人間関係でつまずきました。教会付属ではない私立幼稚園に勤めたのですが、教師がお互いに張り合い、人間関係がぎすぎすしていました。
 園からの帰りに毎日、同僚と喫茶店で愚痴や悪口をいっていました。
 
 そのころ、わたしは母親に反発していました。わたしは決断力が乏しく、何でもてきぱきとやることができません。母はそんなわたしを黙って見ていることができず、指図し、わたしの代わりに決めてしまうことがよくありました。それがとても嫌でした。
 母は仕事のこと、友人関係のことなど根ほり葉ほり聞いてきます。細かいことを詮索されるのもいやで、なるたけ会話の時間を持たないようにしようとしていました。
 
 同僚と別れた後もあちこち寄り道して帰ることが多くなりました。寄り道といっても、街で遊ぶこともできず、ほとんどは本屋で立ち読みをして時間をつぶしました。
 その後、ひとりで食堂に入って夕食を食べました。家では母が夕飯を用意して待っているのに、家で食べたくなかったのです。外で食べながら急にみじめになって、何で自分はこんなことをしているんだろうと思いました。
 
 幼稚園で子どもたちに読み聞かせをする童話の本を探していたとき、三浦綾子「あさっての風」という文庫本が目にとまりました。壺井栄の童話で「あしたの風」というのがあって、その童話がとても好きでした。「あさっての風」も童話だと勘違いして買いました。三浦綾子という作家のことは、その頃は知りませんでした。

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