生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

2017年の暗唱聖句大会

2017-02-27 16:02:31 | CS(子供伝道)
昨日は暗唱聖句大会でした。
子どもたちにみ言葉(聖書の言葉)を覚えることの大切さを知ってほしくて毎年行われています。

今年も工夫を凝らしたゲームを考えましたので紹介します。

暗唱聖句大会の一か月前に、覚える聖句を書いた冊子を作って子どもたちにあらかじめ配っています。子どもたちは家や教会でそれを覚えます。
暗唱聖句大会当日は1~3年生約30人の子どもが参加し、10:30~12:30までの2時間で行いました。
(時を同じくして高学年30人も別の場所で行っています。)


最初に子どもたちを4つのグループに分け、話し合ってリーダーを決めます。
次にルールを説明します。
ゲーム1
上の句下の句ゲーム
学年ごと3か所で円になって座ります。
ひとつの聖句を半分に切り、前半部は教師が持ち、後半部を書いたカードをカルタのように並べます。読み手は聖書箇所をまず読んでから、前半部分を読み、少し間をおいて後半を読みます。百人一首の要領で……。お手付きにわざと間違えた言葉を入れているカードも含めました。

20の聖句を完璧に覚えている子が数人いて、聖書箇所を読んだだけで取っていました。レベルが高いです。

ゲーム2
早押し虫食いクイズ
パワーポイントに聖句を出します。一部をーーーーとしてそれが何か言える子は、早押しチャイム押します。一番に押した子のランプが光るので、その子どもが答えられたら10ポイントもらえます。間違ったら、次の順番の子どもが早押しチャイムを押します。
正解数はグループの得点になります。

ゲーム3
みことば並べ替えクイズ
聖句をバラバラに切ったカードを教会の庭や空き部屋の壁に貼り付けておきます。(貼り付けるのは、はがしてもやぶれない養生テープが最適)中にダミーが含まれています。
聖句を取りにいく子と、並べる子を分けたりしてグループごとに作戦会議をしてから、開始します。
3種類のみ言葉を早く正しく並べられたチームに得点がたくさん入ります。
しっかり話し合って分担しているチーム。全員で同じ場所へ取りに行くチーム。みんな一生懸命考えてやっていました。


集計して表彰し、少しだけ差をつけたお菓子を賞品として配りました。一位のチームの子も最下位のチームの子も満足した顔をしていました。
これを機会に子どもたちが聖句をどんどん覚えるようになってほしいと願っています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。




苦境に立たされた時

2017-02-21 17:06:36 | 教会
友人から突然右手が動かなくなって困っていると電話がありました。わたしも肩が突然のように痛みましたが、動かないほどではありません。なんとか家事はできます。全く動かなければ、どれだけ不自由なことでしょう。「努力して直すから大丈夫」と友人は言いましたが、心配です。

苦難は突然やってきます。
あなたは苦境に立たされたとき、どうしますか?

先日の礼拝では『苦難の時も』という題のメッセージを聞きました。

パウロは牢に入れられ、数えきれないほど鞭打たれ、何度も死に直面したと手紙に書いています。

そのような苦難のとき、ピリピの教会の人はパウロのために祈り、支援しました。ピリピの教会の人たちはチームメイトとなってパウロを支え、パウロはそれで苦境を乗り越えられたのです。ピリピの教会の人とパウロがよい関係を築いていたからなのですね。


苦境というと、わたしは病気になったことを思いだしますが、大病をすると、自分の弱さと限界をいやというほど知らされます。自分はもう少しできる者だと思っていたのに、自分の努力ではどうしようもなく、ただ無力であることに気づかされます。

でも、『苦境がその人を本物にする』『神が苦境を恵みに変えてくださる』と聞いて、希望が与えられました。

「あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。(ピリピ1:7)」

と聖書に書かれています。私とはパウロのことで、あなたがたとは、ピリピの教会の人たちのことです。
苦境の中にいっしょにいてくれる仲間がいることは幸いなことです。苦境の中にいる友をどのようにして支えられるか思いめぐらしています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

よい正しい道

2017-02-14 16:16:46 | 聖書から
教会学校で行う暗唱聖句大会の日が迫ってきました。
大会の約1か月前に聖句の書いた冊子を配り、子どもたちに覚えるようにすすめまています。暗唱聖句大会の日は、冊子に書かれた聖句を用いてゲームをします。小学生が70人ぐらいいるので、高学年、低学年分かれて行います。

今年は暗唱聖句大会委員になったので、み言葉を選ぶことから始まって、冊子作りをし、当日のゲームの準備をしてきました。
今年は、なるたけ覚える聖句の意味が子どもたちにわかるようにと工夫しました。昨年からテキストに従って小学科礼拝でお話ししてきた旧約聖書のサムエル記から聖句を選びました。新約では、イエス様の受難と十字架、よみがえりの箇所の聖句を選びました。

それプラス主の祈り、チャレンジ聖句(以前このブログで紹介した詩編139:1-18)と5曲のこひつじソング(聖句を歌にしたもの)です。
子どもたちに負けないようにとわたしも覚えました。チャレンジ聖句は10日ほど前に全部覚えられ、友人に聞いてもらって合格をいただきました。

次は20の聖句です。家事をしながら、お風呂でも一生懸命覚えています。聖書箇所も覚えるのですから大変です。
20の聖句の中でわたしがいちばん心にとまったのは、次の聖句です。

「私はあなたがたによい正しい道を教えよう。ただ主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。
(Ⅰサムエル12:23-24)」


この言葉は、預言者サムエルがイスラエルの民に言った言葉です。そのころイスラエルには王がありませんでした。神を王としていたので、人間による王は必要なかったのですが、民は戦(いくさ)のときなど、実際に指揮をとる王が欲しいと願い、王を求めました。それでサウルが最初の王としてたてられます。

イスラエルの民が王求めたとき、民はそれが罪であったと示され、恐れます。
そのような民に対してサムエルが言ったのが、この言葉です。

神様は、よい正しい道を教えてくださるというのです。『正しい』の前に『よい』がついているのはなぜでしょう。『正しい』だけでも『よい』だけでもいいのに同じような言葉を繰り返したのは、強調しているのだと思います。『最善の道であって、これ以外に道はない。』という意味も含まれているでしょう。

ただ主を恐れ、心を尽くし……

恐れるというのは、怖がるという意味ではなく畏敬の思いを持つということです。
心を尽くすというのは、イエス様が言われた言葉「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。(マルコ12:30)」の中にもあり、旧約聖書の何か所にも書かれています。

最後の一節、「主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。」を読んだとき、なぜ「偉大な」ことなのだろう、なぜ「見分けなさい」なのだろうと、思いめぐらしました。

サムエル記はモーセの時代から450年たっています。でも、出エジプトの奇跡を子孫に確実に伝えていったので、当時のイスラエルの民は、神様がしてくださった大きなことといえば、出エジプトの奇跡を思うでしょう。それはただ大きいのでなく、偉大なのです。

これまでのわたしの生涯で神様がしてくださったことを思い起こしてみると、なんと、偉大なことがたくさんあったのです。
何度も死の危機に陥り、精神的危機にも陥ったわたしですが、神様によって助けられました。思い起こしてみると、感謝の思いに溢れます。神様のしてくださった、たくさんの偉大なことを見分けて自分史を書こうと思っています。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

はいはい わかりまちた

2017-02-08 16:39:53 | 日記
昨日は冷たい風の中、病院のはしごをしました。
月に一度の内科の診察が終わってから、整形外科へ行ってリハビリをし、図書館と郵便局に寄って帰ってきました。

それぞれの場所に行くのに自転車で10分ずつぐらいかかります。風が強くて、向かい風のときは押して歩かなければなりませんでした。
肩はだいぶよくなってきました。痛みはまだありますが、夜はよく眠れるようになりました。


日曜日の午後は4年生のヒックンがママと一緒にサッカーの試合に行くというので、弟のナルクンを預かりました。
ナルクンは来月3歳になります。

よくおしゃべりするようになりました。何を言っているかわからないこともありますが、8割ぐらいは、わかります。

自分のことをぼく、わたし、おれ、と言っています。「ぼく」「おれ」はお兄ちゃんのマネ。「わたし」は、保育園の女の子のマネです。

エリック・カールの「はらぺこあおむし」の本が大好きで、家に来るたびに「読んで」と持ってきます。
「あおむしくん、おなか痛いから、葉っぱ食べたんだよ」と文章で言えるようになりました。あおむしがさなぎになったときの絵を見て、「お芋だ!」と言ったのには大笑いしました。確かに色も形も、お芋そっくり!

男の子は電車か車に興味を持つと思っていたら、ナルクンはどちらにも興味を示さず、大工さんセットのネジ回しや、お絵かき、CDをかけて歌ったり踊ったりすることが好きです。車のおもちゃはお兄ちゃんのがたくさんあるのですが、ちっともそれで遊びません。

昼寝をさせようとしたとき、大声でさわいだので、「静かにしなさい!」としかると

「はいはい、わかりまちた」(さしすせそが、たちつてとになっています)
と言ったので、びっくりしました。

誰のマネでしょう。ヒックンはそのようには言いません。保育園の女の子かな? もしかしたらテレビかもしれません。そう言いながら、さわぐのをやめません。言葉の意味はわかっているのかどうか……でも、その言葉を使うタイミングはあっていますね。

とうとう昼寝はしませんでした。保育園では毎日昼寝していますが、ここでは意地でも寝ないと思っているようです。折り紙でお財布を作って紙のお金を入れると、大喜びして、しばらくお店屋さんごっこして遊んでいました。
夕方になって数回「ママは?」と言っただけで泣きません。 

夕飯のとき、急に眠気が襲ってきたようで「ねむい、ねむい」と言いながら大泣き。横にして背中をトントンするとすぐ眠りました。限界だったのですね。その直後にママとお兄ちゃんが帰ってきましたが、気づかず眠っていました。

娘に新しいいのちが授かりました。夏に生まれる予定です。ナルクンのいとこになります。そのうちナルクンと遊ぶようになるでしょう。そのときは、ナルクンよろしくね。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてご覧ください。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

苦難はなぜあるのでしょう

2017-02-02 20:56:24 | その他
肩こりがひどくて、寝ていても痛くて目が覚めるようになったので、整形外科に行ってきました。3か月前ぐらいまでは左肩が痛かったのです。肩回し体操をしていたらよくなってきました。ところが今度は右肩が痛くなって、肩を回すことすらできません。利き腕が右なので、日常生活も不自由するようになりました。

病院では、レントゲンを撮ってもらいましたが、予想通り「五十肩」と言われました。
原因はよくわかってないようです。

電気を当て、マッサージを受け、腕を延ばすような運動をしたら、ずいぶん楽になりました。しばらくリハビリに通わないといけません。年をとるということは、痛みや苦痛との戦いがだんだん増えてくるということなのかもしれません。

昨日教会で「天国からの奇跡」のDVDを観ました。
色々なことを考えさせられました。

テキサス州に両親と姉妹たちとともに暮らしている少女アナは、消火器疾患の持病がありました。病院を転々としますが、原因がわからず、苦しんでいます。食べたものが消化できないので、朝はサプリメントを飲み、そのほかは経管栄養で補っています。管を入れたり抜いたりが大変で、楽しいはずの食事が苦痛になっています。
痛みもだんだんひどくなり、腹がふくれてきました。遠く離れたボストンの大病院に子どもの病気専門の名医がいると聞いて、母親がアナを連れて行きます。

予約しても一か月以上待たされるので、母親は予約しないで行くのです。
普通だったら追い返されるところ、受付の人の配慮によって翌日看てもらうことになりました。レストランで知り合った黒人の女性に水族館に連れて行ってもらったりします。

暗くなりがちなドラマですが、周囲の人たちのやさしさ、ユーモアに思わず吹き出してしまう場面もありました。小児科医の明るさ、牧師のユーモアあふれる説教が暗闇の中の光のようでした。

ボストンの病院で診察を受けましたが、難病で治らないことを告げられ、母親は打ちのめされます。神様に一生懸命祈っているのにどうして治らないのか、神様はいつまで沈黙しておられるのか、母親は悩みます。

母親の気持ちはよくわかります。気の遠くなるほど長い間祈っているのに事態は悪化するばかり。そんなとき、信じて待つことができるでしょうか?
教会へ行くと、「お子さんがそんなひどい病気になったのは、あなたかご主人が罪人だからじゃないの?」と教会の人に言われ、母親は傷ついて教会へ行くのをやめてしまいます。この場面を観たとき驚きました。

聖書には生まれつきの盲人を見て弟子たちがイエス様に尋ねる場面があります。
「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。

イエス様は答えます。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」
病気になったり、悪いことが起きたりするのは、その人か家族の誰かが悪いことをしたせいだと思う人が今でもたくさんいますが、決してそうではないのです。

それでは、苦難はなぜあるのでしょう。

DVDの内容を最後まで書くと、ネタバレになるので、この辺にしておきますが、
結論としてアナは治ります。アナが病気になったことは、神のわざが現れるためだったと納得のいく、感動的な結末でした。ぜひDVDをご覧ください。

これは実話をもとに作られた映画で、2015年に公開されたそうです。最後の方で実在のアナたちがでてきます。
アナに起きた奇跡を信じるか信じないか。神様の存在、天国があるということを信じるか信じないか。見る人ひとりひとりに問いかけられているようです。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

拍手ボタンです

web拍手