生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

がん患者としての心境(その5)

2010-04-28 16:50:26 | 乳癌

今日は大雨の中、歩いて水曜礼拝にいってきました。昨日は教会で家庭集会懇談会があり、その疲れが残っていて、朝は体調がよくありませんでした。お休みしようかと迷ったのですが、少し横になると元気回復したので、行くことにしました。健康は神様からのギフトですから、体力があるのなら行かなくては・・・と思いました。

そして、すばらしい恵みをいただいたのですが、今日のことは後日書くことにします。
今日は、がん患者の精神的ケアーについて書かせていただきます。


術後ちょっとした体調の変化に敏感になりました。乳癌は、転移するとしたら、骨、肝臓、肺、脳が多いのだそうです。わたしの通う病院では肝臓と肺は定期的に検査しますが、脳のMRI検査はしません。

頭痛がすると、いつも同じ場所が痛いような気がして、脳転移ではないかと心配になります。疲れがなかなかとれなかったり、体がだるかったりすると、肝臓転移を疑います。

周囲の人に言うと、「ちょっと具合が悪いだけで転移だなんて・・・」と笑います。
わたしも癌になる前は、癌の手術をした人が再発転移を気にしているのをみて、何て心配性なんだろうと思いました。

でも、癌になった人のほとんどが、多少なりとも再発転移を恐れるのではないでしょうか。初期で90%再発転移しないと言われても、可能性がいくらかでもあればやはり気になります。

とにかく心配し始めると、考えはどんどん悪い方に向かってしまいます。そして、落ち込み、自分ではどうしようもなくなってしまうのです。


病院の待合室で周りの人に「どこが悪いのですか?」と尋ねて歩いている人がいました。わたしも尋ねられてあいまいな返事をすると、「この場所で待っているということは、あなたも癌なんでしょう」と詰め寄られ、いやだなあと思いながら「はい。乳癌です」と返事をしました。

するとその人は「わたしもです。明後日手術なんです」といって泣き出してしまいました。不安でたまらない様子をみて、一瞬でも不快に思ったことを恥じました。
「きっと大丈夫ですよ。わたしも手術を受けたけれど元気になりましたから」と言いました。

病院内でカウンセリングが受けられるといいのにと思いました。(実際カウンセリングを行っている病院があります)心配なこと、不安な気持ちすべてを聞いてくれるところがあれば、どれだけ落ち着くことでしょう。

診察の時間が限られているので、医師とはゆっくり話す時間がありませんからね。
精神的ケアーは必要です。

心の持ちかたが癌という病気にどのような影響をもたらすかわかりません。心はデーター化することができませんからね。でも、心と体は切り離して考えられません。精神的なものが病気と関連していることは確かです。


わたしの通う病院ではカウンセリングは受けられませんが、わたしは聖書の神様によってカウンセリングを受けています。

イエス・キリストは最高のカウンセラーです。

聖書の言葉

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(Ⅱコリント1:4)

          つづく

心打たれたこと

2010-04-26 12:33:19 | 日記

一昨日は御茶ノ水クリスチャンセンターで行われたJCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)の童話エッセイの会に出席しました。2時間の学びでしたが、密度の濃い祝された時間でした。


去年JCPで『わたしと聖書の人々』というテーマで「パウロのように」という証し文を書きました。「わたしのめぐみはあなたに十分である」という聖書の言葉を通して、病を受け入れたわたしの体験を書いた文章です。
病床にあった方がわたしの拙文を読まれ、平安が与えられて天に召されたことを聞いて心が震えました。

そして昨日、教会でI姉(しまい)から聞いた言葉に驚きました。I姉のお父様が、余命わずかと言われてから救いを受け入れたそうです。それは2008年に、月刊誌『百万人の福音』に掲載されたわたしの文章「心のフィルムに」を読んだおかげで父親にキリストを伝えることができたからだと言ってくださいました。

「神様があらかじめ備えてくださった文章だった」と言われ、神様のして下さる不思議に圧倒されています。

(「パウロのように」と「心のフィルムに」は、
HP「生かされて・・・土筆文香」のエッセイの部屋に掲載しています)


昨日は礼拝でギデオン協会の方の証しを聞きました。ギデオン協会は、世界188国においてホテル、旅館、病院、刑務所、学校等に聖書を無料で配布している団体です。

コロンビアで聖書を配布したときのこと、一人の少女が聖書を受け取り、家に持って帰りました。父親は聖書を見つけると、「こんなもの、読んではいけない!」と怒って少女から取り上げてしまったそうです。

少女の父親は炭鉱の坑夫でした。あるとき、鉱山で爆発事故が起こり、少女の父親を含め、大勢の坑夫が閉じ込められてしまいました。
救出はできず、全員亡くなってしまったのですが、父親の遺体を調べると、胸ポケットに聖書があったそうです。聖書には「読むべきである」と少女への遺言が書かれていました。

ギデオンの聖書には
「キリストを救い主として受け入ることをここに告白します」と書いた箇所にサインをするページがあるのですが、そのページには父親の名の他、何人も坑夫のサインが書かれていたそうです。

推測されることは、少女の父親が閉じ込められて絶望的な状態の中にあったとき、ヘルメットの懐中電灯で聖書を読み、イエス・キリストを信じたのです。

イエス様が人類の罪を赦していただくためにわたしたちの身代わりとなって十字架にかかって死んでくださったこと。そしてわたしたちの初穂としてよみがえられたこと。イエス・キリストを信じるだけで罪赦され、天国に行けること。肉体の死で終わりではないことを知り、救いを受け入れたのです。

そして、ほかの坑夫たちに聖書を読んで聞かせたのでしょう。彼らも救いを受け入れました。
まず始めに父親がサインをし、次々サインをして召されていったのです。

彼らの肉体は死んでしまいましたが、永遠の命をいただくことができました。一冊の聖書が、大勢の人の魂を救ったという感動的なエピソードに心打たれました。


「主の御名(みな)を呼び求める者はだれでも救われる」のです。(ローマ10:13)

豆腐入りケーキレシピ

2010-04-23 11:32:13 | 日記
がん患者としての心境、今日はブレイクです。簡単でヘルシーなケーキのレシピを紹介します。
実家の母のところへ行くので、お土産にケーキを焼きました。

ずいぶん前に友人に簡単なチーズケーキの作り方を教えもらいました。作ろうとしたらクリームチーズの分量が足りないことがわかって、足りない分を豆腐で補って作ったら、とてもおいしくできました。しかも低カロリーです。
最近は豆腐入りチーズケーキが我が家の定番となっています。
作り方は簡単です。


豆腐入りチーズケーキ
材料(ケーキの型1本分)
生クリーム(わたしは低脂肪のものを使っています)200CC
全卵2個 グラニュー糖1/2カップ 薄力粉大さじ3
クリームチーズ と 水切りした絹ごし豆腐 あわせて250グラム
(こってりチーズ味が好きな方はクリームチーズを多めに。あっさり味が好きな方は半々で。豆腐を入れなくてもOK)

作り方
材料すべてをミキサーで混ぜ、型に入れ170度のオーブンで45~50分焼きます。焼きたてもおいしいし、冷やしてもおいしいです。
豆腐が入っているのであまり日持ちはしません。冷蔵庫に入れ3~4日で食べるようにしています。
上の写真がチーズケーキです。

もうひとつ低カロリーケーキ紹介します。
豆腐パウンドケーキ




材料(ケーキの型1本分)
薄力粉150グラム 絹ごし豆腐(水気切って)150グラム 砂糖70グラム サラダ油40cc 卵2個 ベーキングパウダー 小さじ2 
ドライフルーツ1/2カップ(ドライフルーツは前日からワインまたはブランデーにつけておく)


作り方
1)薄力粉、ベーキングパウダーはふるっておく。
2)卵は卵白と卵黄に分け、卵白は塩ひとつまみ入れてハンドミキサーで固く泡立てる。
3)ボールにサラダ油と砂糖を入れて泡だて器で混ぜる、卵黄を入れさらに混ぜる。
4)3)に豆腐を入れ、つぶしてなめらかになるまで混ぜる。
5)1)を加え、木じゃくしでざっくり混ぜる。
6)ドライフルーツと泡立てた卵白入れ、卵白の泡をつぶさないように混ぜる。
7)型に流し込み、空気を抜いて(型を20センチぐらい持ち上げ、中味が出ないように気をつけて数回下に落とす)180度のオーブンで45分焼く。


*ドライフルーツの代わりに、ジャムや紅茶の葉、ココアの粉など入れてもおいしいです。(入れるものによって砂糖の量を調節する)

*卵白を泡立てるのが手間な場合は卵黄卵白にわけず、全卵を混ぜてもできます。卵白を泡立てた方がふんわりとしたケーキになります。

*チーズケーキもそうですが、焼き上がる10分前ぐらいにオーブンをのぞいて焼き色がついていたら、表面にアルミホイルをかぶせるとこげません。

*焼き時間はオーブンによって多少違います。中まで焼けたかどうか確かめるには、竹串をさして何もついていなければOKです。


よかったらおためしください。このレシピで作られた方は感想をくださいね。
これから実家に出かけます。


がん患者としての心境(その4)

2010-04-20 13:17:28 | 乳癌

18日は、朝9時に家を出て、CS(教会学校)での奏楽奉仕から始まって、分級を担当し、礼拝を受けてから5分で昼食をとり、賛美練習。
その後、CS父母懇談会。教師会。教師研修会と続き・・・17時~18時夕食をとって19時半まで研修。ハードスケジュールでした。

実り多い、恵みあふれる一日でしたが、わたしにとって体力的にかなりきつかったです。でも、神様は必要な体力も与えて下さって、翌日の午前中休んだだけで体調を整えて下さいました。

一昨日の我が家の夕食はお弁当にしましたが、教会の用事で夕食がお弁当になっても「おいしいお弁当だったよ」とニコニコして言ってくれる主人に感謝です。(以前は、こんなときは機嫌を悪くしていましたので・・・)


がん患者としての心境。今日は内視鏡検査について書きます。

胃カメラを飲んだのは今までに2回あります。1回目は10年以上前、何週間も胃の痛みが続いたので検査を受けることになりました。初めてだったので恐ろしかったのですが、モニターを見ながら入れていただき、リラックスしたほうが苦痛が少ないと言われたせいかそれほどつらくありませんでした。結果は多発性ポリープでした。

2回目が乳癌で入院した時、手術前に胃の検査を受けました。11時に検査の予定だったのですが、緊急手術が入ったため待たされ、呼ばれたのは午後4時でした。朝から飲まず食わずでいたので胃液がたくさん出てきてしまい、そのことでしかられました。何でしかられるのかわからず、モニターも見せてもらえず無理やりという感じだったので、涙がポロポロ出てきました。
今は鼻からもっと楽に検査する方法があるそうですね。


内視鏡検査の時は、医師や看護師からのちょっとした励ましや慰めの言葉があるとずいぶん違います。
友人は、胃カメラを入れるとき、看護師に手を握ってもらったことが嬉しかったと言っていました。手を握られるとかえって力が入ってしまう場合は、肩や背中などちょっと触れてもらえると安心ですね。

医師や看護師は毎日のことで慣れているでしょうが、患者としては体の中に異物を入れられることが恐ろしいのです。何回目であっても・・・。

わたしはまだ大腸の内視鏡検査を受けたことがありませんが、友人の話を聞きました。
大腸の検査を受けた友人は、待っている間にどのような検査か説明のDVDを見たことが不安を少なくしたと言っていました。看護師と緊張がほぐれるような会話をし、「ガス出していいんだよ」と言ってもらえたので、楽に検査が受けられたそうです。


ちょっとした思いやり、患者への愛が、病む人にとってどれだけ大きな励ましとなることでしょう。

聖書の言葉

「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。(Ⅰヨハネ4:7)」


              つづく (*書き忘れていましたが、まだ続きます)

家庭集会

2010-04-17 21:12:45 | 聖書から

今朝はみぞれが降りました。4月半ばなのに・・・・・・。
冬将軍が春風をこおらせて雪山に埋めてしまったのかもしれません。
男の子が雪山に埋まった春風を堀り出す童話を書きました。春風がたくさん出てきたので、明日からきっとどんどん暖かくなるでしょう。


昨日はOさん宅で家庭集会でした。

マタイ14:22-33 から学びました。
聖書に書かれている内容はおよそ次のようなことです。


5つのパンと2匹の魚の奇跡の後のこと、イエス様は弟子たちに強いて舟に乗るように言われ、ご自身は山でひとりで祈っておられました。

一方、弟子たちは向かい風にあって舟を漕ぎあぐねていました。夜中の三時ごろ、イエス様が湖の上を歩いて弟子たちの舟に近づいてこられました。

弟子たちは恐怖のあまり「幽霊だ」とおびえます。イエス様は「恐れることはない」と言うと、弟子の一人ペテロは「主よ。もしあなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と言います。

ペテロは水の上を歩きだしますが、風をみてこわくなり、沈みかけてしまいます。イエス様はペテロの手をとって助け、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」と言われました。



イエス様の立場から心情を考える人と、ペテロの立場から考える人に分かれて、それぞれ思い巡らせました。
弟子たちだけで舟に乗りなさいと言われた時の弟子の心境はどうだったか? イエス様のお考えはどうだったか?など・・・想像して語り合いました。
弟子たちは不満を抱きながら舟をこいでいた。イエス様はこれから起こること、すべてを御存じであえて舟を出させた・・・など、色々な意見が出ておもしろかったです。

最後にわたしたち自身への適応として牧師先生が語ってくださいました。


イエス様はあえてわたしたちだけで送り出されることがある。イエス様は目的をもって送り出されるが、わたしたちにはその理由がわからない場合がある。
助けが簡単に得られない状況、自分の居場所さえわからない状況に置かれることがある。

また、クリスチャンには両面があることを教えていただきました。

・自らの弱さがわかって全面的に神により頼む。
・神様がからっぽの自分に力を与えて下さるから、主にあってどんなことでもできると確信し、前向きに取り組む。



わたしは、小説を書いているとこのふたつが交互にやってきます。無力さに打ちひしがれてもう書けないと思います。

しばらくして、「私は、私を強くしてくださる方によってどんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)」のみことばを思い出し、わたしには能力はないけれど、神様の力によって書けるのだと思い、再び書き始める。の繰り返しです。

それでいいのだと思って安心しました。

明日はCS教師研修会で夜8時まで教会です。


がん患者としての心境(その3)

2010-04-15 12:51:54 | 乳癌

3歳の孫、ヒックンが11日に熱を出して、昨日まで預かりました。熱は上がったり下がったりで、咳もひどかったのですが、昨日になってようやく平熱になりました。
小さい子どもは熱に強いのでしょうか・・・38度出ていても横にならず歩き回って遊んでいました。機嫌がよかったのでそれほど心配しませんでしたが・・・。今日はわたしが疲れて、ぼおっとしています。


12日にわたしのHPのほうからメールをいただきました。
乳癌と診断されてから乳癌関係のサイトをめぐり、わたしのHPにたどりついたそうです。明日入院して明後日手術と書かれていましたので、一生懸命お祈りしました。もう手術が無事終わったことでしょう。術後の回復のために祈ります。

「その後の放射線治療等、とても参考になります」と書かれていたので、このブログも読んで下さったのでしょう。嬉しく思いました。


術後の不安といえば、がんの場合は手術の傷よりも再発転移の不安が大きいのではないでしょうか。
わたしは最初、手術してがんを切り取ってもらえばそれで終わりだと思っていました。
ところが、術後は、放射線治療に加えて化学療法があり、それに伴う副作用、定期的な検査・・・長い道のりです。
やっと5年クリアーしましたが、わたしの場合はその後もまだ治療が続いています。

検査は、最初は3か月に一度でした。それが、半年に一度、年に一度になって、7年目の現在は転移に対する検査は受けなくてもよいと言われ、再発の検査だけになりました。
血液検査はこれからも定期的にしていきます。

放射線治療と同じように、エコー検査も怖かったです。モニターに映し出された画面を患者から見ることができません。(見ても素人にはわからないのでしょうけれど・・・)転移がんがたくさん映っているのではないかと不安になり、「大丈夫でしょうか?」と看護師さんに尋ねたくなります。

検査する看護師は、そのときには答えてはいけないことになっているらしいです。横目で看護師の顔色をみて、穏やかな顔をしていれば安心します。


そして、一週間後、検査結果を聞きに行きます。順番を待っている時間の緊張と不安はたとえようもありません。(予約していても2~3時間待たされます)
わたしは、本を読んで気を紛らしていますが、本の内容が全然頭に入ってこないときもありました。

そんなときは暗唱している聖書の言葉を思い出します。そうすると不安が遠のいていきます。

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14:27)」


わたしというのはイエス・キリストのことです。平和の神であるイエス様が平安を与えるとおっしゃってくださるのですから、どんな結果が出ても心を騒がしたり、恐れたりする必要はないのだと思ってほっとします。

名前が呼ばれると、緊張は頂点に達します。医師の表情とレントゲンの映像を交互に見ながら、判決を待つ被告人のようにじっと医師の言葉を待ちます。

「異状なしです」と言われたときの安堵感。「ハレルヤ、神様、ありがとうざいます!」と心の中で叫びます。

亡き父の愛読書だった「永遠の言葉(三浦綾子著)」には次のような文章が書かれていました。


「人間は絶望的な状態であっても一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていくんですね。
治すのは何か別のもの、(医療の)諸技術も大事でしょうし、薬も大事でしょうけど、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かわれを忘れさせるということがすごく大事なのではないでしょうか。」

               
つづく


*写真は、我が家のベランダでやっと咲いたチューリップ。花が開いてヒックンが大喜びしました。

祝福あれ

2010-04-12 21:57:50 | 教会

ヒックンが熱を出して今朝から預かっています。昨日からこちらに来ていたのですが、41、2℃まで熱が上がり、さすがにぐったりしていました。

今日は少し熱が下がったのでママは仕事に出かけ、わたしが面倒をみています。
先週、やるべきことは早目にと思ってJCPに提出する童話を書き(推敲はまだですが)、
CSメッセージの準備もしていたので余裕を持って預かることができて感謝です。
明日も預かることになりそうです。

今日は「ガン患者としての心境」はお休みして昨日の礼拝メッセージから心に残ったことを書かせていただきます。



昨日は創立記念礼拝で聖餐式もありました。
聖餐式とは、イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言ったことを記念して、パンとぶどう液を会衆に分けるキリスト教の儀式です。キリストの十字架を思ってパンとぶどう液を戴きます。



「イエスはパンを取り祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。」
と聖書に書かれています。
この中に1パンを取る、2祝福する、3裂く、4与える という4つの行為があります。その中の祝福について語られました。

詩編103編にはすばらしい祝福の言葉が書かれています



主は、あなたのすべての咎を赦し
あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴からあがない、
あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さはわしのように新しくなる。


神様は、わたしたちを祝福して下さっていますが、そのことがわからない人が多いようです。


わたしもわかりませんでした。

子どもの時から良いところでなく、悪いところを指摘されることが多い
と聞いたとき、わたし自身もそうであったこと。(もしかして同じぐらいだったのかもしれませんが、ほめられたことより、けなされたことの方が印象に残っています)

また、わたしが親として子どもたちに誉めることより否定する言葉をより多く言っていたような気がします。


人間は、祝福されているというより、のろわれている感覚をたやすく感じてしまうのだそうです。
神様の祝福は満ちあふれているのに・・・。

わたしたちは祝福の言葉を必要としています。だから祝福の言葉を与えるべきだと牧師先生が言われました。そして礼拝に出ている人たちを半分に分けて、祝福を相手に送るという意味でGod Bless Youを歌いあいました。



わたしもこのブログを読んでくださっている人たちに言います。
「あなたは、神様に大切な者だと宣言されています。神様の祝福があなたのうえに満ちあふれれています。God bless you!!」



がん患者としての心境(その2)

2010-04-10 16:58:07 | 乳癌
「がん患者としての心境」というタイトルで書いていますが、
「がん患者のひとりとしてのわたしの心境」
の略です。一般的なことは書けません。わたし自身の心境です。


乳がん手術の後、薬が処方されました。がんを薬で治療することを化学療法と言うそうです。
わたしは、ホルモンレセプターが陽性だったので、ノルバデックスというホルモン薬とフルツロンという抗がん剤を処方されました。
ノルバデックスを飲むと子宮体がんにかかりやすくなるので、婦人科で子宮がん検診を半年に一度受けるように言われました。副作用としては、ほてりなど更年期症状が現れることがあると聞きましたが、フルツロンに関してはとくに説明がありませんでした。
確かにノルバデックスの副作用と思われる症状が現れましたが、子宮がんにはならず、ほっとしました。


手術から一年半ほどして、肺炎になりました。4月のはじめ、咳が出始めました。症状は軽いので、ただの風邪だと思っていました。娘の専門学校の入学式に出席するため、東京まで出向いたりしました。

咳が長引くので近所の病院で風邪薬をいただきました。洗髪するたびその翌日に微熱が出ていました。5月になって、いつもかかっている病院の内科に行くと、すぐにレントゲンを撮るようにいわれ、肺炎との診断を受けました。
内科の先生は、フルツロンの副作用で白血球値が低くなっているからだとおっしゃいました。

外科に行くと、「副作用ではない。あなたはもともと白血球値が低かったのだ」と言われました。フルツロンを飲む前の血液検査結果の紙をなくしてしまったので残念でしたが、確か5000ぐらいあったのです。それが2000ちょっとになっていました。


副作用を恐れて薬を飲まない患者さんがいるそうです。外科の医師はそれを恐れて副作用と認めなかったのかもしれません。
でも、あらかじめ注意してくだされば、咳が長引いたとき、無理をせずすぐに内科を受診していた思うのです。

がんが全身に広がっていくことを抑えるために処方された薬だと思うと、たとい副作用があったとしても飲みたいです。それは、命にかかわることだからです。
副作用があらわれたら、別の薬に変えるという方法や、副作用を抑える治療を受けることもできます。

フルツロンは3年で終わり、ノルバデックスのあと、フェマーラ。次にアロマシンを飲み、現在もアロマシンを飲んでいます。
更年期症状と関節痛の副作用は出ましたが、日常生活に支障をきたすほどひどいものではありませんでした。

がんじゃなくてもよく効く薬には副作用が伴います。副作用のあらわれ方は人によって違いますが、副作用を恐れることはないのです。

同じタイプのがんでも治療法が医師や病院によって違うことでしょう。実際、わたしは途中で主治医が代わり、治療法も違ったものとなりました。
この治療でいいのだろうか・・・?と疑問を感じた時期もありました。
でも、今は医師にすべておまかせしています。それは、神様が医師を通して最善の治療をなしてくださっていると信じることができたからです。
                
                  つづく


*ブックマークにある「日本クリスチャン・ペンクラブ」のHPと「生かされて・・・土筆文香」のHP更新しました。ぜひご覧ください。

がん患者としての心境(その1)

2010-04-07 20:35:54 | 乳癌

桜川の桜がほぼ満開になりました。

がんセンターの看護師である知人が、がん患者の術後の心境について論文を書くというので、少しでも参考になればと思って、がん患者としての思いを伝えます。

がん患者すべてが同じ気持ちであるとはいえません・・・これは、あくまでも乳がんを患ったわたし個人の心境です。


退院後、2週間ほどしてから放射線治療を受けるように言われました。50グレイ、25回の照射で、土日を除いて5週間毎日病院に通うのです。

まず、放射線をそんなに浴びて大丈夫なんだろうか? どんな副作用が出るのだろうか・・・と心配でした。

吐き気がして髪の毛が抜けてしまうのかと恐れていたら、それは点滴の抗がん剤治療の副作用であること。放射線にはそのような副作用がないと放射線科の医師が丁寧に説明してくださいました。丁寧に説明を受けることで精神的に落ち着いて治療が受けられます。

放射線の副作用は、皮膚が日焼けするように変色してくるけれど、もとにもどるから心配ないと聞きました。

それでも放射線室の中でひとりになると不安になります。ほんの短い時間なのですが・・・。わたしは主の祈りを祈っていました。

3週間目くらいになると、放射線を当てているところが、少し赤くなり、ひりひりしてきました。しばらくすると、こんがりと小麦色に色づいてきました。その後、日焼けしたのと同じように皮がむけてきれいになりました

放射線治療をすると副作用で体調が狂ってしまうことを恐れ、受けるのをためらっているという友人がいました。わたしは、自分の場合を話して、何の心配もいらないからぜひ受けるように勧めました。

点滴の抗がん剤治療は受けるように言われなかったので、それについては書けません。


わたしが不安になったのは、放射線治療が終わってからでした。
放射線を当てている間は少なくとも再発はしないだろうと思っていたのですが、終わった直後から再発転移が起きてくるかもしれないと考えて落ち着かなくなりました。

4つのリンパ転移があったからです。
リンパ転移についてインターネットで調べると、3個以上転移のある人は10年生存確率4%と書いてあるのを読んで、非常にショックを受けました。

インターネットで情報が簡単に手に入ることは、いい面と悪い面があります。4%という数字も確かなものではなかったのですが・・・当時の私は、その数字にとらわれてもうすぐ死んでしまうのだと思い込んでいました。

生存確率という言葉もよくないですね。もし、生存確率が80パーセントだったとしても、自分は20%に入るのではないかと思い、不安になったことでしょう。

自分の病状を正しく知ることはある程度必要ですが、知らなくてもよいことを知って、不安のあまり心の病にかかってしまうこともあると聞きます。

がん患者の中には眠れないからといって睡眠薬や精神安定剤を飲んでいる人が多いと知人が言っていました。

わたしも眠れなかったのですが、命をにぎっておられる神様にいっさいをゆだねることによって、眠れるようになりました。

                つづく


*詳しい治療内容と当時の心境を書いたものはHP「生かされて・・・土筆文香」の「病気のこと」に書いています。

すばらしい約束

2010-04-05 20:04:02 | 聖書から

土曜日に妹との姪が泊まりに来ました。3日がちょうど姪の誕生日だったので、3月31日生まれのヒックンと合同の誕生会をしました。ケーキはヒックンが大好きなカーズの絵柄で、2人の名前を書いてもらいました。ふたりの年はちょうど12歳離れています。去年も4月に我が家でふたりの誕生会をしました。8人分の御馳走を作って、お祝いしました。
ヒックンは、久しぶりに姪と会ったので恥ずかしそうにしていましたが、すぐに慣れて「Rちゃん、遊ぼう、遊ぼう」と言ってずっとくっついていました。


日曜日は教会へ行きました。わたしは第1礼拝に出て、第2礼拝の時間CS奉仕をし、妹と姪は第2礼拝に出ました。イースターの特別礼拝だったので、第2礼拝はティーンズ(中高生)と合同でした。
妹は久しぶりの教会でした。姪は我が家に泊まりに来るたびに教会に連れて行くので友達もいて、再会を喜んでいました。そして「また教会へ行きたいから、連休に泊まりに来ていい?」とわたしに言いました。わたしは大喜びで「もちろん!」と答えました。

妹は、「イースターって何?」と尋ねました。イースターはキリストの復活(よみがえり)を祝うものだと話し説明しましたが、なかなか理解してもらえませんでした。

イースターのメッセージの一部を紹介させていただきます。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(Ⅰコリント15:20)」
と聖書に書かれていますが、復活を信じられない人は多いです。
復活を実験して証明することはできませんが、パウロは地上の実例から類推しようとしています。

「しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。(Ⅰコリント15:38.39)」

自然界では、同じ命でありながら、全く違った形になってよみがえります。
(種やセミ、蝶などの昆虫など・・・)

地上の体は天上の体に、血肉の体は御霊の体に、滅びるものは滅びないものに変えられます。

旧約聖書に書かれているヨブは、全ての財産と家族をなくし、自らも病に侵され、最大の悲観を体験します。極限の悲惨な中で神に語りかけると、神様は自然界のことをヨブに語ります。(ヨブ記38章を読む)

それを聞いたヨブは口に手を当て、悔い改めます。

「神さまは信じない者に対して怒っているのではありません。責めているのでもありません。自然界の神秘から信じなさいと招いているのです」
と牧師先生が言われました。


わたしには肉体のとげがあり、体の弱さに涙するときもある現実ですが、嘆くことはありません。やがて新しい復活の体をいただけるというすばらしい約束があるのですから、希望を抱いています。

わたしたちの初穂としてよみがえられたイエス様のことを思うと、わたしもやがて決して滅びることも朽ちることもない体が与えられるのだなあと喜びが湧き上がってきます。

この喜びを妹や姪とわかちあえる日がきますようにと祈りました。

傍観者

2010-04-02 11:32:43 | 乳癌

やっと暖かくなりました。
昨日は外科受診の日でした。いつも3時間以上待たされるのに1時間で呼ばれました。1週間前に受けた骨塩量の検査結果は、良好でした。(薬の副作用が出ていないこと、感謝)腹部注射はまだ打たなくてはなりませんが、転移の有無を調べる検査はもう受けなくてもよいと言われました。

再発を調べる胸部エコー(超音波)とマンモグラフィーは年に一度受けなくてはなりませんが、腹部エコーは受けなくてよいと言われ、嬉しくなりました。転移の可能性が低くなったからだと思います。乳癌手術から7年目になって、ようやくです。腹部注射は子宮筋腫が依然として大きいために受けていますが、それも早く終わりになってほしいです。


今日は受難日です。キリストが十字架にかかって死なれた金曜日で、明後日の日曜はキリストがよみがえられた日を記念するイースター(復活祭)です。

先日の水曜礼拝では、「聖書に十字架の痛みについて何も書かれてないのはなぜでしょう?」という質問がありました。

十字架刑は刑罰の中でも最も苦痛を伴うものです。ギロチンは残酷に見えますが、一瞬のうちに命が奪われるので、苦痛も一瞬です。でも、十字架は急所をはずして釘を打ち、時間をかけて死に至らしめる刑罰です。十字架につけられた人の大半は、あまりの苦痛に数時間で気が狂ってしまうそうです。

「聖書が十字架の痛みについて記述していないのは、わたしたちに痛みに対する同情ではなく、十字架の意味に目を向けてほしいと思ったからではないか」と牧師先生が言われました。

聖書には、十字架の痛みについてではなく、十字架に対する人々の態度が記述されています。ルカの福音書23章では、兵士たちがくじでイエスの着物を分けたこと、ののしる人たちのこと。同じく十字架につけられていた2人の犯罪人のことが書かれています。

イエス様に向かって「自分を救ってみろ」と言った人たちがいました。イエス様を救い主と認めているのに、「わたしを救ってください」と言っていません。傍観者として十字架のイエス様を見ています。

イエス様は、天地を創造された力あるお方です。ですから十字架につけた人たちを滅ぼしてしまうこともできました。また、十字架から降りて助かることもできました。でも、わたしたちを救うためにじっと苦しみに耐えておられました。


イエス様が十字架で苦しんでいた時、わたしの態度はどうだったのでしょう? 
わたしは救われてからも十字架のイエス様に対して傍観者でいた時があったことを思い出して心が痛んでいます。
常に自分のことを第一に考えて、イエス様が苦しむ姿を見ないようにしていた時がありました。
でも、イエス様はこんな不信仰なわたしのためにじっと苦しみに耐えてくださいました。
そして、わたしのために命を捨てて下さったのです。


「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません(ヨハネ45:13)」


*写真は我が家のベランダで咲いたクロッカス。チューリップはもう少しで咲きそうです。

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