生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

春をさがしに(その4)

2008-02-29 13:37:30 | 童話

6春がきたぞ

 しばらくして、白い雪の中にピンク色のものがみえました。むちゅうで雪をはらいのけると、ダチョウのたまごのようなものがでてきました。
「あった、春風のたまごだ」
 たくやはコツコツとからをたたきました。

「春風さん、起きて。出てきてよ」
たくやが呼んでもたまごはぴくりとも動きません。
「凍っているんだ。あたためなくちゃ」

たくやは、たまごをごしごしこすりました。

 目をさませ、目をさませ、春風。
 生まれろよ、生まれろよ、春風。
 みんなが、待ってるよ、春風。
 母さんも、待っていたんだ春風。

 いっしょうけんめいこすっていると、ねむくなってだんだん頭がぼおっとしてきました。たくやは、たまごにおおいかぶさるようにたおれ、眠ってしまいました。

 しばらくして目をさますと、とてもあたたかです。そばにバレリーナのいしょうを着た女の子が立っていました。
「わたしは春風のメイ。助けてくれてありがとう」
 メイはスカートを広げておじぎをしました。
 
 雪はすっかりとけて、緑やうすべに色のたまごが土の上にころがっています。たまごはわれずにからのすきまにあいた小さい穴からけむりをだして、そのけむりが女の子のすがたになりました。
「春よ、春よ、春ですよ」
春風たちは歌いながら、たくやの体を持ち上げてとび、つくば山をおりていきました。

 つむじが追いかけてきて、
「春だぞー、少し遅れたけど、春がきたぞー」
と大声でどなりながら追い越していきました。

 その日、町の人たちはびっくりしました。だって、嵐が起こったかと思うと急にあたたかくなって、桜がいっぺんにさいたのですから。

「たくや、ぼくは北の国へいくよ。またこんどの冬にあおうね」
遠くでリムの声がしました。

 それからまもなく、たくやのお母さんがすっかりよくなって退院してきました。たくやは、お母さんに抱きついていいました。
「お母さん、すごいでしょう。ぼく、春風のたまごを発見したんだよ」

            おわり


12年ぐらい前に書いた作品です。今回教会で子供たちにパネルシアターとしてお話するのに書き直しました。


追記
童話を書き始めたころ、動物国シリーズで短編をいくつか書いた後、風シリーズで風の童話を5つ書きました。

テーマは聖書の2つのみ言葉からきています。

あなたの目は胎児の私を見られ、(詩編139-16)

胎内にいるときからになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。 (イザヤ46:3-4)


胎児であったときから見て下さっている神さまの存在を伝えたくて書きましたが、北風リムのセリフではなく、ストーリーの中でそのことが伝えられるように書けたらよかったのにと思っています。
感想を聞かせて下さると嬉しいです。

春をさがしに(その3)

2008-02-28 12:16:10 | 童話

4冬将軍ガル

 北へ向かってすすんでいくと冷たい風がウオーン、ウオーンとうなりながらぶつかってきました。たくやの歯はガチガチ鳴っています。
 むこうに灰色の大きな風がどっかり浮かんでいます。
「冬将軍のガルだ。つむじ、やっつけてしまえ」
 リムがいうと、つむじはもどってきてしまいました。
「ガルは苦手だ。おれ、帰る」
「つむじの弱虫、帰れ、帰れ」
 たくやがどなりつけると、つむじはゆうかんにガルの前にすすみでました。

「やい、ガル。春風のたまごをどこにやった」
「へっ、へっ、へっ、春風たまごは凍らせて、つくば山の雪の中に埋めてやったわい」
「なんだと?春風を返せ」
 つむじはグルグル回りはじめました。ガルをまきこんでゴウゴウ音をたてて回ります。
「ワツ、ワッ、止めてくれ、目が回る」
「春風を返すまで止まらないぞ」
「返すものか、お前も凍らせてやる!」
 ガルは大きな口を開けて、白いいきをはくと、つむじはちじんでカカチカチに凍ってしまいました。


5春風のたまごさがし

「逃げるんだ! ぼくらも息をはきかけられたら凍ってしまう」
 リムはたくやを引っぱって下にいき、雪の積もったつくば山の上におろしました。
「たくや、春風のたまごを掘り出すんだ。春風が全部出てくれば、ガルはいなくなるから」

「でも、つむじが……」
「だいじょうぶ、つむじの氷もとけるよ。さあ、早く掘るんだ。ぼくは手伝えないけど、おうえんするよ」

 雪が横からふってきて、たくやのほおをはりのようにつきさします。たくやはむちゅうで雪をかきわけました。しもやけの手はジンジンと痛く、ひびわれて血がにじんできました。

「スコップをもってくればよかった。無理だよ、リム。こんなに広いところ、ぼくひとりでさがすなんて……」
たくやはべそをかきました。
「あきらめないで、きっとさがし出せる。きみは、恐竜の化石さがしが得意なんだろう」

「でも、化石は出てこなかったよ」
「春風のたまごならみつけられる。春風が出てきたら、お母さんの病気もよくなるから」
 リムはたくやのまわりをとびまわってはげましました。

「お母さんのこと、どうして知っているの?」
「冬の間、きみのことずっとみていたんだ。でも、冬だけじゃなくて、お母さんのおなかにいたときからきみのことをずっとみて、守って下さっているお方がいるんだよ」
「えっ、それはだれ?」
「神さまだよ。神さまはぼくたち風や人間を造って下さったんだからね」
リムは体をテントのように広げて、たくやに雪がかからないようにおおいました。
たくやは、両手にはあっと息をふきかけて、もういちど雪をかきわけました。体のしんが凍りつきそうです。
 
 たくやは、お母さんのおなかにいたときから見守って下さっている神さまのことを考えていました。
(神さまは、いまもぼくのことみてくださっているんだ)
「神さま、春風のたまごをみつけられるようにして下さい」
 たくやは、祈りながら雪をかきわけました。


              つづく

春をさがしに(その2)

2008-02-27 13:32:37 | 童話

3風の国

いくつものの雲の中を通りぬけると、上の方に三角のピラミッドのような形をした真っ白い雲が浮かんでいました。
「変わった形の雲だなあ」
「あの中に風の国があるんだよ」
リムは三角の雲の下の方にぽっかりとあいているトンネルの中にたくやを連れていきました。トンネルを通りぬけると、雲のじゅうたんの上に色とりどりの大きなたまごがいくつも並んでいました。
「まだ春風のたまごがひとつぐらい残っているかもしれないからさがしてみよう」
リムはとびまわりながら春風を呼びました。
「おーい、春風やーい」
「春風、いたら返事をしてくれよ」
たくやも呼びました。

するとグオーンと音がして黄緑色のたまごがグラグラゆれて、中からうずをまいた緑の風が出てきました。
「だれだ、おれさまを起こしたのは!」
「つむじ。起こしてごめんなさい。まだ寝ていて下さい」
リムがぺこぺこ頭を下げました。
「まだ寝ていろだって、起こしておいて何をいうか!」
「やっかいな風を起こしちゃったな。つむじは春風といっても、春の嵐なんだ。あまのじゃくなんだよ」
リムがたくやにささやきました。

「嵐でもふいてくれればうれしいよ」
たくやがいうと、つむじはニヤッと笑って、
「じゃあ、たまごの中にもどろうかな、おっと、いい忘れてたが、春風のたまごはガルがぬすんでいったよ」
「えっ、ガルが?」
リムは口を大きく開けました。
「ガルって?」
「冬将軍なんだ。たまごをぬすむなんて、ひどいよ。春風のたまごがみつからないと、ずっと春にならないんだよ」
「ええっ、そんなあ」
たくやは、お母さんの病気がずっとなおらないといわれたようようで涙が出そうになりました。

「リム、ガルのところにいって、春風のたまごをとりもどそうよ」
「うん。でも、ガルは強いんだ……。口から白い息をはいて、息がかかったものはみんな凍っちゃうんだよ」
リムはブルブルふるえています。

「ハハハ、おれさまならガルをやっつけられるぜ」
つむじがぐるっと一回転しました。
「じゃあつむじ、いっしょにいってくれよ」
リムがいうと、
「いやだね」
つむじはフンとそっぽを向きました。

たくやは、つむじには反対のことをいえばいいのだと気づきました。
「じゃあ、リムとぼくでガルをやっつけるから、つむじはこなくていいよ」
「オレ、いく。ガルをやっつけてやる!」
つむじは、ぐるぐるまわりながらすごい勢いで風の国を出ていきました。たくやとリムは、あわてて後を追いました。

               つづく

春をさがしに(その1)

2008-02-26 13:29:18 | 童話

この間は春の嵐でした。明日は冬の嵐になるそうです。春の嵐と冬将軍が戦っているようですね。春風の童話を4回に分けて掲載します。


春をさがしに

1恐竜の化石さがし

もう3月も終わりだというのに毎日冷たい北風がふいています。
公園の桜のつぼみはまだかたく、細い枝が寒さにふるえているようです。
こんど小学生になるたくやは、スコップで公園のすみをほりかえしていました。たくやの夢は恐竜の化石をみつけることです。
 
たくやが一生懸命掘っていると友達のてつやがやってきました。
「また、どろんこあそびかい」
「ちがうよ、恐竜の化石をさがしているんだ」
「こんなところにあるわけないだろう。」
「あるさ。ティラノザウルスの骨がうまっているかもしれないじゃないか」
「ふーん。もしみつかったらすごいね」
「てつやもいっしょに掘らないか?」
「ぼくは、これからお母さんとディズニーランドにいくんだ。じゃあな」
てつやは走っていってしまいました。

「ああ、ディズニーランドか、いいなあ」
春休みなのにたくやはどこへも連れていってもらえません。お母さんが病気で去年からずっと入院しているのです。春になってあたたかくなればなおるとお医者さんがいっているのですが、今年はいつまでも北風がふいていて、春がおそいのです。

2北風リム

 北風がヒューっと音をたててふいてきました。
「やい北風!」
たくやは北風にむかってさけびました。
「いつまでふいているんだ。いいかげんにふくのをやめて春風と交代しろ」
そのとき、北風がぴたっとやんで耳元で声がしました。
「ぼくも春風と交代したいんだよー」

みると人の形をした黄色いすきとおったものがフワッとうかんでいました。
「きみは、だれだ?」
「ぼくは、北風」
「北風? きみは風なの?」
「そうだよ。リムっていうんだ。よろしく。」

北風はぺこりと頭を下げました。
「風の国で大変なことが起こっているんだ。春風のたまごがゆくえふめいになったんだよ」
「春風のたまご?そんなものがあるの?」
「あれ、知らないの? 風はたまごから生まれるんだよ。春風のたまごがなくなっちゃったから、なかなか春にならないんだ。たくやくん、ぼくといっしょにさがしてくれるかい?」
「春風のたまごがみつかれば春になるの?」
「そうだよ。さあ、ぼくにつかまって。」
リムが黄色い手をにゅうっとのばしたので、たくやはその手をつかみました。気がつくと、たくやは空を飛んでいました。
「すごい、鳥になったみたいだ。」
リムはたくやの手をとって、高く上がっていきました。

                  つづく

暗唱聖句大会

2008-02-24 17:31:07 | CS(子供伝道)

今日は教会学校で暗唱聖句大会が行われました。暗唱聖句大会は毎年2月の第4週に行われますが、色々と工夫を凝らしています。例年は約60名の小学生を学年で縦割りにし、4~5グループに分けてチーム対抗戦で行っていましたが、今年は学年別の分級で行うことになりました。もちろん、低学年には少しハンディをつけて。

あらかじめ課題として出されている20の聖句を用います。聖句を百人一首のように上の句と下の句に分けて書かれたカードを配り、2枚を合わせる速さを競うゲームや、パワーポイントを使っての○×クイズなどで大いに盛り上がりました。

「忙しくて覚える暇なんかないよー」(小学生は、低学年でもおけいこごとや宿題があって忙しいのです)と言っていた子供たちも、けっこう覚えてきていました。前もって分級対抗と知らせていたからでしょうか、例年より覚えてきた子供が多かったように思います。

子供たちが覚えた聖句は一生の宝となるでしょう。いざというときは聖書を開くことができません。たとえば手術台に乗っているとき、危機的状況に陥ったとき、身近な人の死にショックを受けたとき、人から責められて弱り果てたとき、心に蓄えられた聖書の言葉が救いになります。

人からひどいしうちにあって腹を立て、仕返しを考えていたとき、「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦して下さったように、互いに赦しあいなさい。(エペソ4:32)」を思い出したら、仕返しなんかできませんね。
忙しいときに人の世話を頼まれてつぶやきかけたとき、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ3:23)」を思い出したら、喜んでできるでしょう。

先週木曜日に教会の姉妹の葬儀がありましたが、金曜日には教会に通っておられる方の高校2年の息子さんが交通事故で亡くなり昨日教会で納棺式が行われたそうです。
このようなときに慰められる聖書の言葉が今日の20の聖句の中にありました。

わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)

昨日久々にHP「生かされて…土筆文香」の詩のページを更新しました。1ページに4つの詩を掲載していますが、最後の詩はブログに出してないものです。


予期せぬ苦難が訪れたとき

2008-02-22 13:23:01 | 聖書から

T姉の葬儀に参列して思ったことは、人の命は神さまに握られていることと、人は一瞬先のことさえ予測できないということでした。突然の死は、今日我が身に起こることかもしれませんし、誰にでも可能性はあるのです。

まだまだ続くと思っていた人生に突然終止符が打たれたとき、周囲の人はとまどい、驚き恐れます。病気で余命を宣告されていたり、高齢の方が召された場合と悲しみは同じでも、ショックの度合いが違います。

でも、キリストを信じている者は、地上での生涯を終えたのち、天国で永遠に住まうことができるのです。ですから、クリスチャンの死には天国での再会の希望があります。
T姉がいま天国で安らいでおられることは確かなのです。

身近な人が突然召されたとき、人間はみな死ぬのだという当たり前のことを知らされます。どんなに立派な人生の計画をたてていても、死によって計画は中断してしまいます。予期せぬ出来事や、病気で変更せざるを得ないこともしばしばあるでしょう。
人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。(箴言19:21)
のみ言葉を思います。

予期せぬ災難にあうと、神さま、どうしてですか? と神さまを恨みたくなることがあります。けれども、答えはすぐにはわかりません。


詩編37:5には
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる。
と書かれています。
ゆだねよという言葉は、ガラール(ころがす)というヘブル語が使われているそうです。道を主にころがしていきなさいという意味になります。「道路はころがせませんが、あなたの道をころがすことはできます」とOBIで教えていただきました。
37:7には
主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。
とあります。
耐え忍んでというのは、原語では『苦しむ』という意味の再帰動詞が使われているそうです。お産の苦しみのときに使われている言葉というので、かなりの苦痛を表しますね。つまり、「まな板の鯉のように主の前で黙って苦しみなさい」といっているのです。


それは非情なことのように思われますが、苦しみに耐えて待つ期間が必要だと神さまがおっしゃっているのですね。それは、患難が忍耐を生み出し忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 (ローマ5:4)とあるようにその期間に、練られた品性が生み出されることを示しているのだと思います。

アブラハムは子孫が与えられる約束を聞いてから、イサクが生まれるまで25年も待たなくてはなりませんでした。モーセはエジプトを出てからカナンの地に導くまで40年耐えました。ダビデはサムエルに油注がれてから、王となるまで長い間逃亡生活をしなければなりませんでした。

苦しみの意味やその答えは、長い忍耐の後にわかるものなのでしょう。
予期せぬ苦難が訪れたとき、黙って苦しむことができますようにと祈りました。神さまは耐えられないような苦しみにはあわせないと約束して下さっているのですから。

悲しみの彼方に

2008-02-21 17:21:59 | 日記

マンションの我が家は、冬場は結露がひどいので、踏み台に乗って結露ふきをすることから家事が始まります。昨日台所の窓をふいていたら足を滑らせて落ち、流し台に体の側面をぶつけてしまいました。痛くてしばらくうずまっていましたが、動けるのでたいしたことないと思い、いつも通りに家事を済ませ、教会の掃除の奉仕に出かけました。帰ってきたら打ったところがズキズキ痛み始めました。

怪我で病院へ行くことはめったにないわたしですが、肋骨にひびが入っていたらどうしようと思い、午後から整形外科へ行きました。診察の結果、骨は異常なしで心から感謝しました。湿布薬をもらって帰ってきました。ほっとしましたが、じっとしていても鈍痛があり、右手で荷物が持てない(左ではもともと重い物が持てない)ので不自由です。でも、捻挫でなくてよかった。自転車には乗れるのです。


今日はお葬式に出かけました。 
16日に教会の敬愛するT姉(クリスチャンの仲間を兄弟姉妹と呼んでいます)が突然召されたとの連絡を受け、ショックを受けていました。  

お元気な方でした。ついこの間の日曜に出会ったとき「体調はいかが?」と優しく声をかけて下さいました。いつも出会うとわたしの体調を気遣って下さいました。亡くなる当日も出かけ、運転をし、家事をされていたのです。お風呂でくも膜下出血で倒れ、そのまま意識回復せずに亡くなられたのです。63歳の若さでした。

なぜ神さまは突然こんなに早くT姉を天国に連れていってしまったのでしょう。理不尽な思いを抱いたのはわたしだけではありませんでした。牧師先生も何度も神さまに問いかけたのだそうです。

T姉は教会付属幼稚園の教諭をされ、義父母の介護をし、教会婦人会ではリーダーとして人に仕えておられました。思い出すのはT姉の笑顔ばかりです。T姉が怒ったり、嫌な顔をしたのを見たことがありませんでした。

数年前のこと、訪問隊といって、2.3人で高齢者や病気の方のところを訪れる奉仕でご一緒させていただいたとき、T姉は病人のお見舞いとは別に小さな植木を持ってきておられました。それを何と一緒に奉仕したわたしともう一人の方に「ご苦労様」といってプレゼントして下さったのです。なんという優しい心遣いなんでしょう!

祈祷会でご一緒だったとき、わたしが辛いことを打ち明けると、「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。(詩編84:6)」の聖書箇所を示して祈って下さいました。
そんなことを思い出すと涙が溢れてきました。

T姉が60歳の時、「これまでの人生は密度の濃い日々でした。いいことと、悪いことが6対4ならベストな人生だと聞きましたが、わたしはベストな人生をおくっています」というようなあかしを書かれていたそうです。4割の悪いこと、苦しいことがあっても、それを平静な心で受け入れておられたのですね。T姉は人生に対して感謝以外何のつぶやきもなかったのですから、すごいと思いました。


イエスさまは天国で彼女を抱き「よくやった良い忠実なしもべ」と言っておられます。永遠の安らぎに迎え入れられたのです。地上の離別の悲しみの彼方に希望があります
と言われた牧師先生の言葉に慰められました。


写真は、(露出不足で暗いのですが)天国への道を表した花祭壇。左には3つの山をデザインした花祭壇がありました。

ご遺族の方々のうえに神さまからの慰めがありますようにお祈りします。

理解されるよりも

2008-02-19 12:47:00 | エッセイ

わたしはかつて、自分のことを理解してくれる人を求めていました。感受性が強く、傷つきやすい自分の心を理解し、慰めてくれる人を求めていました。

心の中をすべて打ち明けてわかり合えるような友を求めていたのですが、すべてを打ち明けたのに理解されずに失望したことがありました。また、逆に打ち明けられてもその人の苦しみを理解できずに、的はずれな言葉を言ってかえって相手の傷を深めてしまったこともありました。

何十年と一緒に暮らしている夫婦でも理解しあうことは難しいものです。むしろ相手のことを誤解していることが多いのではないでしょうか。

わたしは、結婚26年になりますが、最近主人について初めて知ったことがありました。主人は毎晩ビールを飲むので、酒の肴としておかずを作っていました。甘い物は合わないというので、煮物や魚の煮付けなど甘さを控えていました。主人は無口なので美味しいともまずいともいいません。ところが、先日実家に行って義母の作ったぜんざいを「うまい。ちょうどいい甘さだ」といいました。

それは、缶詰の小豆の倍くらいの甘さでした。そういえば、前にやはり義母の作った甘辛く煮付けた蕗の煮物も「美味しい」といっていました。蕗の煮物にはかなり砂糖が入っていました。主人は甘党だったのです。辛党だと思っていたのに……。
これからは、主人のおかずに砂糖を追加しましょう。糖尿病にならない程度にですが……。

ひとこと、「甘みが足りない」と言ってくれれば味付けを変えたのに、26年も気づかないでいたなんて……。このようなことすら理解できていないのですから、心の中のことはなおさらです。お互いに気づいてないことが多いと思います。

親はどうでしょうか。赤ちゃんの時から知って、愛情を注いでくれたのですから、すべてわかってくれるはずなのに意外と理解を得られないものです。

わたしは親に理解されないで辛い少女時代を過ごしました。なので、せめて自分の子供のことは理解できるように努力しよう。傷つけるような言葉は言うまいと思っていました。けれども、娘に言われました。「お母さんの言葉で傷ついた。お母さんはちっともわかってない」と。

心の思いのすべてを誰かにわかってもらったらどんなに嬉しいでしょうか。でも、話せば話すほど相手に通じてないことがわかり、がっかりすることがあります。

シスターの渡辺和子さんは著書の中に「間違われた時、裏切られた時に、相手を許す余地を何パーセントか作っておくことが大切です。」と書いておられます。
相手が誤解しても仕方ないことだと感じるくらいの距離を置くことが、人間関係を円滑にする秘訣なのでしょう。

相手に理解されたくて、すべてをさらけ出したとしても、相手は自分と同じ人間ではありませんから、100%理解できないのです。それは淋しいことですが、人間はみな生まれながらにして本質的な淋しさを持っているのだと思います。心の空洞ですね。


それなら、誰か理解してくれる方はいるのでしょうか? 心の空洞を埋めてくれる方はいるのでしょうか? います。それはイエス・キリストです。イエスさまは完全に理解して下さいます。理解してくれるだけではなく、助けを与えて下さいます。

わたしは心の問題をすべてイエスさまのところに持っていきます。
「イエスさま、どうしたらいいのですか? 助けて下さい!」と泣きながら祈ることもあります。
祈ると必ず解決の道が示されます。それは、いつもすぐにというわけではなく、何日も悶々とすることもありますが、必ず助けが与えられるのです。

問題をイエスさまのところへ持っていけずに苦しんでいる人たちに対しては、どうすればいいのでしょう……。
「苦しみの大部分は、理解する愛の不足によるものです。」とマザーテレサが言っています。
人は、完全ではなくても愛によって苦しんでいる人の苦しみを理解することができます。
だからわたしは祈ります。主よ、どうかわたしに友の苦しみを理解できる愛を与えて下さい。

去年8月3日に紹介した聖フランチェスコの「平和の祈り」を思い浮かべています。ぜひここをクリックしてご覧下さい。

クリスチャンはお酒を飲まないの?

2008-02-17 22:04:07 | 聖書から

昨日はクリスチャンペンクラブでお茶の水に行き、今日は教会でした。午後からはN姉宅に招かれてご馳走をいただいてからCS教師会が行われ、密度の濃い2日間でした。


クリスチャンはお酒を飲まないのですか? という質問がありましたのでお答えします。
わたしの答えは、普遍的ではありません。教会によっても、また個人としてもそれぞれ考え方が違うので、個人的意見だと思って下さい。

クリスチャンというと、お酒はダメと思っている人は多いですね。お酒がやめられないからといって、洗礼をためらっておられる方もいます。
でも、そんな必要はありません。キリスト者は自由なのです。聖書にはお酒を飲んではいけないとは書かれてません。ただ、お酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです(エペソ5:18)と書かれています。

Ⅰコリントの8~10章では、偶像に捧げられた肉の取り扱いについて語られています。どんな食べ物でも食べてもよいが、もし人のつまずきになるなら、食べてはならないとあります。

お酒の場合も同様に、泥酔するほどでなければ、お酒を飲むこと自体は罪ではありません。でも、もしお酒を飲んでいることで人がつまずいてしまうのなら、飲むのをひかえなさいということになります。

わたしは、アルコールにアレルギーがあるためお酒が飲めませんので、お酒が好きな人の気持ちを充分理解することができませんが、毎日晩酌をしている主人(ノンクリスチャンです)は、「お酒に酔って気分が良くなり、心が満たされたようになる。でも、それは一時的で、酔いが醒めるともとにもどってしまう」と言っていました。

イエスキリストを信じると、聖霊に満たされて喜びが沸き上がってきます。
お酒好きだった人が、「クリスチャンになって、魂が満たされたのでお酒を飲む必要がなくなった。飲みたくなくなった」というあかしをされていました。タバコも同様で、「クリスチャンになってからタバコを吸いたいと思わなくなった。自然に禁煙できた。」というあかしを聞きました。

Ⅰコリント10:31には
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

と書かれています。

わたしは、何かをするとき「神さまの栄光を現わすものとなりますように」と短く祈ってから始めます。神さまのみ心を悲しませるようなことはしたくないなあと願いつつ。

思い煩わないで

2008-02-15 18:17:32 | 聖書から

今日は我が家での家庭集会で9名の方が来て下さいました。感謝!


ルカの福音書12:22-31から学びました。
その聖書箇所には、イエスさまが弟子達に向かって語られたことが書かれています。同じような内容で、マタイの福音書6:25-34にも書かれています。

「だからわたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。」

の言葉から始まって、空の鳥は種まきも刈り入れもしないのに神さまから養われていること。そして人間は鳥よりはるかにすぐれたものであるということ。
ゆりの花は紡ぎもせず、織りもしないのに神さまが装ってくれること。だから食べ物や着物のことを心配するのをやめるように言われ、

「何はともあれ、あなたがたは神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」

と締めくくられています。


果たして、人間は鳥よりすぐれているのでしょうか? 環境を破壊し、戦争をする人間は、動物よりすぐれているのでしょうか? 
動物より人間がはるかにすぐれている理由があります。神さまが人間を造られたとき、神さまに似た姿として造られました。知性、感情、意志が与えられました。
そして神さまは人間に「すべての生き物を支配せよ」といわれました。(創世記1章に書かれています)
ですから、人間は他の動植物よりすぐれているのです。

食べ物や着物のことで心配してはいけないというのはどうでしょう? 貧しい国では、生きていくために命がけで食べ物を確保しなければなりません。心配しなければ、飢えて死んでしまうではありませんか。

心配という言葉には2つの意味があります。

辞書には1)心を配って世話をすること。
    2)心にかけて思い煩うこと。また不安に思うこと。気がかり。うれえ。
と書かれています。

食べ物、着物のことに心を配ることは悪いことではなく、むしろ必要ですが2)の意味で思い煩ってしまうことがいけないことなのだと思いました。
ルカ12:29では「気をもむことをやめなさい」と書かれています。

小さな事で思い煩うことがよくあるわたしです。『もし、~だったらどうしよう……。』と、ありもしないことを想像して、くよくよすることがあるのです。

神の国を求めることとは、神のみこころに従って生きることを求めることです。いちばん大切なことは何かを教えられました。

政治に無関心だったことの反省

2008-02-13 17:41:57 | 社会

先日は建国記念日でしたが、今月教会の祈祷会では憲法について学んでいます。

ブログで社会のカテゴリーを作りましたが、ほとんど記事を書いてないのは、2つの理由からです。ひとつは、社会問題に対して自分の考えを書いてネット上に公開することが怖いということ。もうひとつは、わたし自身政治経済に関心が持てず、国会中継もほとんど見ていなかったからです。
さすがに餃子事件については「食」という生活に密着した問題なので、ニュースや新聞に関心を示しましたが、憲法の問題は難しいからわからないというのが本音でした。

ところが、先週いきなり、「憲法についてどう考えているか?」という質問をされて、座っている順番に答えなければならなくなりました。わたしは、2番目でした。「パスもありです」と言われたので、考えが頭の中でまとまらなかったのでパスしました。
パスする人がほかにもいるだろうと思っていたら、15、6名の中でパスしたの
は、わたしひとりでした。

何も意見が言えない自分にがっかりしてしまいました。大いに反省して、この1週間意識して新聞を読み、国会中継を見ました。

憲法9条を改正しようとする動きがあることは、以前から薄々知っていました。でも、改正されたらどうなるのか、何が変わるのかなど詳しく知りませんでした。

今日の祈祷会ではNHKスペシャル『日本国憲法がどのようにしてできたか』のDVDを興味深く見ました。憲法について学んだのは高校のとき以来です。知らなかったこともたくさんありました。目が開かれた思いです。

戦争の痛みを体験したばかりの61年前、GHQと極東委員会の2つの機関の間の緊張関係の中で日本国憲法が作られました。国民は平和を切に望んでいました。戦争を永久に放棄することを望んで作られた9条でした。
それを変えてしまったら、また戦争の道へ進んでしまうのではないでしょうか。これは、餃子事件より怖いかもしれません。

西川重則氏とみなみななみさんの「これから戦争なんてないよね?」(いのちのことば社)(憲法改正問題について漫画でわかりやすく解説されている本です)の中に書かれていた言葉に共感しました。


知らなくちゃいけないのに知らない。関心を持たずにいたらまずいことなのになぜか元気に無関心でいられる自分に愕然。今わたしたちは、けっこうこわいがけっぷちを歩いているかもしれないのに全然気づいていないみたい。



平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

主人の実家へ

2008-02-12 12:16:48 | 日記

昨日は千葉県Y市にある主人の実家へ行ってきました。電車で行くと往復6時間かかります。(2回の乗り換えがあり、乗り継ぎに時間がかかります)車でも5時間くらいでしょうか。主人は遠距離を運転するのが嫌いなので、実家へ行くときはいつも電車です。

義父89歳、義母81歳のふたりで暮らしています。義父が脳梗塞になったのが、長男がおなかにいたときですから、義母は25年も介護をしています。
4年前、義母が筋炎になって入院したときは、今後ふたりで暮らすのは無理かと案じていました。けれどもその後、義母が元気になったので、ふたりでなんとか暮らしています。
とはいえ、筋炎が治ったわけではありません。それじゃなくても80過ぎの身には介護は大変だろうなあと思います。義父は寝たきりではありませんし、食事も自分でいただけますが、足が弱っているので歩くのが大変です。

たまに日曜日に主人ひとりで行って電球をかえたり、ペンキ塗りをしてきたりします。わたしが行くと、義母が気を使って掃除や料理をするのでかえって疲れてしまうと思い、毎回は行きません。

今回は、娘も行くというので、夕飯のおかずを作って持っていきました。義母はぜんざいとお赤飯を作って待っていてくれました。
義母はいつもあたたかく迎えてくれます。義母とおしゃべりしていると楽しくて、時間の経つのを忘れます。わたしが乳癌になってからは、特別体を気遣ってくれ、わたしが義母のことを想う気持ちの何倍もの愛を下さいます。わたしは何て幸せな嫁なんでしょう!
息子の嫁に接するとき、義母のようにできたらいいなあと思っています。

義父は、娘がプレゼントしたチョコレートをとても喜んでいました。

庭に福寿草が咲いていました。

打ちのめされたとき

2008-02-10 17:27:37 | 乳癌

前にも書きましたが、わたしはかつて健康になることを目標にして生きていました。生まれつき体が弱く、喘息という持病があったので、体力をつけよう、喘息を完治させようと努力していました。食べ物に気をつけ、週2回スイミング教室に通い、毎日体操をし、サプリメントを摂り……。体にいいということを何でも積極的にやっていたので、まさか自分が癌になるとは思いませんでした。

4年前、乳癌になってショックでした。こんなに努力してきたのに健康になるどころか癌になってしまったのです。喘息も完治しないのです。自分で自分の体を管理することができなかったこと。癌になっていたのに検診を受けるまで全く気づかないでいたことがショックでした。
そのショックによって、わたしの人生が大きく変わりました。


クリスチャンを迫害していたパウロ(サウロ)が、ダマスコへ向かうときキリストに出会い、打ちのめされる体験をして180度変えられたこと(使徒の働き9:1-19)が今日の礼拝で語られました。

「打ちのめされたときが、本当の自分を知るとき、全能の神を知るときである。」
と牧師先生が言われました。
「命の創造者である全能の神を信じるとき、打ちのめされた経験が幸いになる。自分の無力に気づき、弱さを自覚したときは、神さまが招いているときである」と聞いてその通りだと思いました。


神さまは、わたしに真の生きる目的を知らせるために乳癌にしてくださったのだと深く感謝しました。

主が先立って下さる

2008-02-09 17:29:02 | 聖書から

聖書を読んでいると、何度読んだ箇所でも読むたびに新しい発見、感動があります。目覚めたばかりで行う朝のデボーション(聖書を読み、祈る)では、まだ頭がぼーっとしている時に読むので、はっとすることがあっても、それを忘れてしまうことが多いです。
でも、今朝デボーションを始めようとしたら、昨日の感動を思い出して、どうしても書き留めなければならないという気持ちになりました。


昨日読んだのは、創世記24章です。年老いたアブラハムがイサクのお嫁さんをさがして連れてくるようにしもべにたのみます。
アブラハムは、神さまの示して下さった約束の地、カナンに住んでいましたが、息子をカナン人と結婚させるべきではないと思っていました。
親族の住むところに行って、そこからめとらなければならないとしもべに言います。当時カナンは不毛の地で、親族が住んでいたアラム・ナハライムというところは豊穣の地でした。

しもべは「はい」と言うことができませんでした。イサクのお嫁さんにふさわしい女性がみつかったとしても、豊かな土地からこのような貧しい土地に嫁いできてくれるか心配でした。「もしかして、その女の人が、私についてこの国へ来ようとしない場合、お子を、あなたの出身地へ連れ戻さなりませんか。(5節)」と、しもべはアブラハムに尋ねます。

アブラハムは、
「私の息子をあそこに連れ帰らないように気をつけなさい。私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える。』と約束して仰せられた天の神、主は、御使い(みつかい)をあなたの前に遣わされる。……(7節)」と答えます。

主は、御使い(みつかい)をあなたの前に遣わされる。と言い切ったアブラハム。なんという確信でしょう。しもべには不安がありましたが、アブラハムには『もし、みつからなかったら……。もし、その人がこちらに嫁いでくれなかったら』という思い煩いがいっさいありません。

かつてアブラハムは神さまから一人息子のイサクを全焼のいけにえとして捧げるように言われました。(それはイサクが成人する前です。イサクは40歳で結婚していますから、そのときから25年前くらいでしょうか)
そのときはもちろん葛藤があったでしょうが、途中で逃げたりせず、信仰によって
イサクを捧げようとしました。イサクが殺される直前に神さまがストップされ、イサクの代わりに雄羊を備えてくれました。「主の山の上には備えがある。(創世記22:14)」のみ言葉には今まで何度も励まされてきました。
それと同じ信仰だと思います。

はたして、しもべがアブラハムの出身地へいくと、リベカという女性がすでに備えられていました。しもべは難なくリベカをカナンの地へ連れてくることができました。

榎本保郎の「旧約聖書1日1章」には次のように書いてあります。

信仰とは、この神にたよって踏み出すことである。それはただ主の助けによって始められることである。そこに気づかず、恐れたり、煩悶したりすることは愚かである。いつでも主は信じる者の前にみ使いをつかわして、その歩みを助けたもうのである。



臆病なわたしは、恐れと思い煩いで、なかなか最初の一歩が踏み出せないことがあります。『一歩踏み出すとき、主が先だって下さる。だから大丈夫』と大いに励まされました。

今日は午後2時から「はこぶねクラブ」です。創作童話のパネルシアターをします。天気予報では3時から雪が降り始めるといっています。どうか、雪になりませんように。



追記

今日の「はこぶねクラブ」は、新一年生を招待する手紙を配っていました。その手紙を見て来てくれる子供がいるのか心配。天気のことも心配。パネルシアターのお話は15分くらいの童話を暗記して話すのですが、緊張して途中で忘れてしまうのではないかと心配し、自信もなかったのです。でもアブラハムの信仰に励まされて、よく祈ってから出かけました。

すると雪は降らず、4名の新一年生と、いつも参加してくれる子供、計8名の子供が集まってきました。パネルシアターも落ち着いてできました。お話の一文を語ると、次の一文が頭に浮かび、主が助けて下さったことを感じました。まさに主が先立って下さることを体験したのです。感謝!!



クリスチャン・ペンクラブのHPを更新しました。ぜひご覧下さい。



ゆるしなさいと言われても

2008-02-07 17:19:06 | 
写真は不忍池の水鳥です。


昨日、聖書輪読会でマタイの福音書18章を読みました。その中でペテロがイエスさまに「主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか」と尋ねています。それに対してイエスさまは、「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います」と答えています。

7度の70倍赦しなさいというのは、490回赦して、491回目は赦さなくていいという意味ではありません。7は完全数、10は満数なので、無限に赦しなさいという意味です。そんなことができるのでしょうか。

クリスチャン・ペンクラブでは、「愛すること 赦すこと―平和を求めて―」のテーマでエッセイを書くことになっています。けっこう難しいテーマなので、四苦八苦して書きましたが、今日は詩を書いてみました。



     ゆるしなさいと言われても

ゆるせない
ゆるせない
ぜったいに ゆるせない
あのときのあの人の言葉
あの人の行動
ぜったいにゆるせない

ゆるしなさい
ゆるしなさい
7の70倍ゆるしなさい
と言われても、ゆるせるわけがない
憎しみをつかんで
きつくにぎりしめていた

ゆるしてください
ゆるしてください
正論を唱えて、人を裁いていたわたし
愛のない言葉が
友を深く傷つけていたことを知り
そう叫んで泣いた

ゆるされている
ゆるされている
そんな声が聞こえたとき
握りしめていた憎しみと
ゆるせない心が 粉々にくだけて
ポロポロと手からこぼれ落ちていった

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