生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

願い

2018-11-14 16:49:22 | 
    

願い

素直になりたい
いつも素直に神様のことを喜んでいたい

まっすぐでいたい
いつもまっすぐにイエス様を見つめていたい

自分を捨てたい
いつも神様の栄光のためにと思っていたい

それがわたしの願いです

わたしは昔からどこかひねくれていて、なかなか素直になれませんでした。
まっすぐの道をわざと曲がって歩いていました
自分を捨てられず、いつも「自分が、自分が」と言っていました。

素直になりたいのですが、どうしたら素直になれるのかわかりませんでした。
でも、神様に願ったら少し素直になった気がします。願い続ければもっと素直になれるかもしれません。


聖書の言葉
「主に信頼して善を行え。
地に住み、誠実を養え。
主をおのれの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
(詩篇37:3-4)」



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私は私らしく

2018-09-27 16:35:04 | 
前回、家庭集会で読んだ水野源三さんの詩の紹介させていただきましたが、レジュメにもうひとつ書かれていたのでそれも紹介いたします。

「生きる」 水野源三

神様の大きな御手の中で

かたつむりは かたつむりらしく歩み
蛍草は蛍草らしく咲き
雨蛙は雨蛙らしく鳴き

神様の大きな御手の中で
私は 私らしく 生きる


生を受けたものは、使命を持っています。この世界の生き物は、目的をもって神様によって造られたからです。

その目的がわからずに背伸びしたり、どうせ自分には才能がないからと卑屈になったり、人と比べて落ち込んだりします。

その人らしく生きるのがいちばんですが、自分らしく生きるとは、どういうことでしょう。

かたつむりが、かたつむりらしくなく歩んだらどうなるでしょう。そもそもかたつむりらしくとは、どういう意味でしょうか。逆立ちしても素早く歩けるとは思いません。かたつむりらしくは、『ゆっくりと』ということでしょう。

蛍草は小さな花です。ひまわりやバラのような派手さはなく、人に気づかれることなく庭の片隅にひっそりと咲いているというイメージの花を引用したのは、源三さんが、蛍草をご自分に重ね合わせたのかもしれません。

「雨蛙は雨蛙らしく鳴き」と、ここで聴覚に訴えるものを持ってきたのは、源三さんらしく思います。源三さんは声も出すことができなかったのですから、じっと蛙の声に耳を傾けていたのでしょう。

私は私らしく生きるとは、どういうことでしょう。体を動かすことができず、まばたきでしか意思を伝えられないのに「私らしく生きる」と書いて、自分の境遇を受け入れています。そこには不満や怒り、嘆きがありません。平安があるだけです。
そのような心境になれたのは何故でしょう? 一行上に「神様の大きな御手の中で」という一文がありますが、そこに秘密が隠されている気がします。

「すべてのことは、神様の御手の中にあるので、何が起きても動揺することはありません。神様が最善をなしてくださるので、ありのままで従っていくだけです。自分のできないことを嘆くのではなく、今与えられているものを用いて精いっぱい生きることが私らしく生きるということです」
源三さんはこのように思ってこの詩を書いたのではないかと想像しました。

最後にわたしの好きな賛美曲「このままの姿で」の歌詞を紹介します。
   
   このままの姿で 

ちいさな野の花でも
主の愛をうけて かがやく
あふれる主の恵みは
いついつまでも
バラはバラのように
すみれはすみれのように
わたしもこのままのすがたで
ついてゆきます

空をとぶ鳥たちは
主の愛をうたいつづける
あふれる感謝 よろこびは
いついつまでも
わしはわしのように
すずめはすずめのように
わたしも主のほめうたを
うたいつづける
   詩、曲ノア




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マナが初めて降った日

2018-06-21 15:25:45 | 
先週家庭集会で、旧約聖書の学びをしました。旧約聖書の出エジプト記には、イスラエルがエジプトを脱出して40年間荒野の旅をしたことが書かれています。

飢饉によりエジプトに移住していたイスラエル人は、エジプトで過酷な奴隷生活をおくっていました。あまりにも辛くてうめき声を上げたら、神様はその声を聞かれ、モーセをリーダーとしてエジプトを脱出させ、約束の地に導かれました。

エジプトの王パロは、働き手であるイスラエルの民を行かせないようにしましたが、10の災いが起きたとき、やっと出ていくことを許しました。ところが追いかけてきてイスラエルの民は海とエジプトの大軍にはさまれ絶体絶命になりました。
そのとき、海がふたつに割れるという奇跡が起きました。

イスラエル人は守られて海の道を渡り、何もない荒野での生活が始まりました。
たちまち水がないことで文句を言い、食べ物がなくなったと嘆きました。

男だけで60万人(女子どもを入れたら100万人を超えていただろうと言われています)を引き連れて荒野を旅するなど、不可能に近いのではないでしょうか。

でも、旅は40年にもなり、その間守られています。水がないと騒いだときは、モーセが杖で岩を打つと、そこから水が流れでて、腹が減ったといえば、天からマナが降り、肉が食べたいといえば、ウズラの大軍が落ちてきました。

このマナというものの正体は何だったのでしょう?

露が乾いたあとに残る薄い鱗もしくは霜のような外見であり、コエンドロの実のように白く、蜜を入れたせんべいのように甘いとされています。

毎日マナを一日分を集めて食べるように言われました。それ以上取っておくと腐ってしまいます。週に一度の安息日は、マナは降らないので、安息日の前の日だけは、2日分集めていました。

約束の地カナンに着くまで毎日降り続けたというマナ。人々はそのような恵みに預かっていたのにエジプトにはたくさんの食べ物があったと、文句を言い始めます。


マナとはどんなものだったのか・・・・・・今もあれば食べてみたいです。初めてマナを食べたとき、人々は感動したのではないでしょうか。モーセの孫(ひ孫)が最初に食べたときどんなふうに感じたか詩にしてみました。
         
     マナが初めて降った日

マナが初めて降った日、外に出て目を見開いた
白い砂のようなものが宿営の周り一面に積もっている
「これは何だろう?」
そっと手ですくってみる
「うまいぞ、食べてごらん」
おじいさんに言われて、白くなった指先を口に入れる
甘く、とろけるようなおいしさがのどに落ちていく

焼けばせんべいのようにパリパリ
煮込めばもちのようにしっとり
夢中で集めた
「集めすぎるな。マナは安息日を除いて毎日降る
明日も、明後日も」
おじいさんが言ったとおりになった。

40年近くたって、まだマナは降っていた
ああ、またマナか……。と、つぶやいているわたしがいた。
わたしたちが飢えてしまわないように、与え続けられた食物
それにもう飽きたといった
マナが初めて降った日
ああ、あのときのわたしの心はどこへいったの
あのときのわたしにもどしてください




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今、死にたいと思っている人へ

2017-08-30 15:39:12 | 
18歳以下の子どもの自殺者は、年間300人もいるそうです。
そして9月1日前後に自殺する人が多いのだそうです。
自殺のニュースを見るとわたしは胸が引き裂かれたように痛みます。
わたしも中学生の時、死にたいとずっと思っていたからです。

自殺の原因はひとつではないでしょう。いじめや大人に対する不信感、生きる目的や意味が分からなくて自殺する人もいるでしょう。こんなつらい思いをしてまで、どうして生きなくてはならないのですか? と疑問を抱いている人がいることでしょう。

自分のいのちなのだから自分で自由にしたってかまわないでしょうと思っているかもしれません。でも、死ぬのはちょっと待ってください。
あなたに命を与えた方がいるのです。お母さんのおなかの中にいたときのこと、生まれたときのことを覚えている人はいないと思いますが、胎児のあなたをじっと見て、骨組みを作り、内臓を作り、組み立ててくださった方がいるのです。それは神様です。

聖書には
「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。(詩編139:13)」と書かれています。
偶然生まれたように思う人が多いことでしょう。でも、神様は、あなたという人間をデザインして、個性を持たせ、母親の胎の中で育み、生まれさせてくださったのです。目的を持って、造ってくださったのです。
だから、ひとりひとり顔も性格も違うのです。

人は個性があって当然なのですが、悲しいことに自分と違う性格の人を受け入れられない人がいて、その人がいじめをするのです。
人格を否定するようなひどい言葉を使ったり、暴力を振るったり、大切にしている物を壊したり……。
もし、クラスのみんなから「おまえなんか、いない方がいい」と存在を否定されても、世界中の人がそう思っているわけではありません。
「みんな言ってる」と言われても、みんなとは誰でしょう?
いないほうがいい人間なんていません。この世界に必要だからあなたが生まれたのです。あなたは、なくてはならない存在なのです。
何もできなくてもいい。あなたの存在そのものが尊いのです。だから、死なないでください。

聖書には「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」と書かれています。わたしとは、神様、あなたとは、これを読んでいるあなたです。

最後に以前書いてブログにも掲載したことのある詩を紹介します。

死なないでください

死なないで下さい
あなたが生まれた時
小さくてたよりない
その体を
そっと包むように抱いてくれた人がいるから


死なないで下さい
あなたがお母さんの
おなかにいる時から
あなたを知り
かたち造ってくれた
お方がいるから


死なないで下さい
すべての道が閉ざされて
何の希望も持てなくても
じっと見ている
お方がいるから


死なないで下さい
心の傷をすべて
涙の数をすべて、
知っていて下さる
お方がいるから


死なないで下さい
いとしいひとり子の命を
あなたのために
ささげてくれた
お方がいるから



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偶然ではなく必然

2017-07-26 20:50:39 | 




   何をしても

くしゃみしたら 「かわいいね」と言われ、
おっぱいを飲んだら 「おりこうさん」と言われ
ゲップをしたら 「えらいね」と言われ
あんあん泣いたら 抱っこしてもらえる
何をしてもしかられない
生後一週間の赤ちゃん


大きくなったら、こんな時期があったことを教えてあげたいです。
以下の文は、以前ブログに書いたことです。

あなたが生まれてきたときのことを想像してみましょう。
精子と卵子が結合して受精卵になる確率は、40億分の1なのだそうです。同じ両親でも別の精子によって受精したら、生まれる子はあなたではなく、別の人間です。
 
でも、本当は目に見えないお方が背後にいて、あなたという人間をお母さんのおなかの中で形造ってくださると考えたら、偶然ではなくて必然になります。

そもそも宇宙ができたこと、生命の住める星、地球ができたこと、そこにあらゆる種類の植物が生え、動物が育ち、人間が生きていること。こんなすごいことが偶然に起きるでしょうか……。偶然というより奇跡といえるしょう。

それは、神様の業(わざ)なのです。そして神様はあなたが使命を持って生きるように造られ、はぐくみ、愛してくださっているのです。



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老いの重荷は神の賜物

2014-09-09 21:01:52 | 
高齢者顕彰礼拝で読まれた詩を紹介します。

「最上のわざ」 作者:ヘルマン・ホイヴェルス

この世の最上のわざは何か

楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順におのれの十字架をになう

若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見てねたまず
人のために働くよりも
謙遜に人の世話になり
弱ってもはや人の為に役にたたずとも
親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物
古びた心で最後の磨きをかける
真のふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを
すこしずつはずしていくのは
まことにえらい仕事
こうして何も出来なくなれば
それを謙遜に承諾するのだ

神は最後に一番良い仕事を
残してくださる
それは祈りだ
手は何も出来ないけれど
最後まで合掌できる
愛の恵みを求めるために
すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声を聞くだろう
来よ わが友よ 汝を見捨てじと



詩を読んで、年老いて何もできなくなったとき、それを受け入れることが大切なのだなあと思いました。
人のために何かできることは嬉しいことですが、何もできなくなる日が来るのです。それを嘆くのではなく、受け止め、親切で柔和でいられたらいいですね。
「老いの重荷は神の賜物」として受け取ることができれば、平安な気持ちで過ごせるでしょう。
そして、神さまが最後に残してくださった手で、天国に行くそのときまで祈ることができるとは、何と幸いなことでしょう。



日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。
わたしの「救いの証」掲載しています。ここをクリックしてごらんください。(9/10記)


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渡辺和子さんの紹介された詩

2014-07-19 21:12:15 | 
渡辺和子さんが紹介してくださった詩を掲載します


「ほほえみ」
もしあなたが
誰かに期待した
ほほえみが得られなかったなら
不愉快になる代わりに
あなたの方から
ほほえみかけて ごらんなさい
ほほえみを忘れた人ほど
それを必要とする人は いないのだから


「冬がきたら」
冬がきたら
冬のことだけを思おう
冬を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
冬のたましいにふれ
冬のいのちにふれよう
冬がきたら
冬だけが持つ
深さときびしさと
静けさとを知ろう

坂村真民「冬が来たら」より


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その指先から

2014-04-22 16:45:34 | 
一昨日はイースターでした。イースターとは、救い主イエス・キリストの復活を祝う日です。

イエス様の復活を信じない人が多いです。証拠がないと言います。でも、復活しなかった証拠もないのです。わたしは信じます。確かにイエス様は復活されました。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)」

礼拝メッセージを聞いていたら、なぜかわかりませんがイエス様の指先がイメージされました。

その指先から

その指先が形造り
その指先から生まれ
その指先で守られ
その指先に愛(め)でられ
その指先に導かれてここまで歩いてきた

右へ左へ動く指先
右へ動くとき、日は照り輝き
左へ動くとき、嵐がやってくる
犬が飼い主のようすを伺って片時も目を離さないように
いつでもじっと見つめていたい

指先から落ちる雫
ドロップのように甘い雫
吐き出してしまいそうな苦い雫
どんな雫でも一粒もこぼさずに喜んで受けたい
主の指先からこぼれるものはすべてよいものだから




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心傷ついたとき

2014-01-31 17:03:21 | 
かつてわたしは、自分のことを傷つきやすく感受性の強い人だと思っていました。色々なことで傷つき、ボロボロになって可愛そうと自己憐憫の思いを抱きながら生きてきました。

ところが、あるとき傷つくことは悪いことではないと気づかされました。
また、わたしだけがたくさん傷ついていたのではなく、ほかの人もわたしの言葉で傷ついていたことも知ったのです。

「こころの散歩道」堀 肇著 いのちのことば社
の本の中にある一文を紹介します。

「傷つけられ心に痛みを覚えるということは、確かにつらいことではありましが、必ずしもすべてがマイナスばかりではなく、視点を変えてみれば、プラスとも必要とも考えられる面もあるように思えます。」

「人から傷つけられて心が痛むという感覚も一種の安全装置とも言えます。もし痛みを感じる心がなければ、人が何で傷つくかわからないということにもなるわけです」


傷つくことは悪いことではないと伝えたくて詩を書きました。


               心傷ついたとき


心傷ついたとき
静かに痛みを味わおう
傷つくという感受性があることを喜ぼう
傷つくことは悪いことではない

人の心を傷つけてしまったとき
素直にあやまろう
許してもらえなくても 
自分を攻め続けるのはやめよう

同じ言葉でも
相手の心の状態、心の傷跡
ときや場所、場合によって
受け止められ方が違うのだから

乏しい想像力だから
どんな言葉が相手を傷つけ、どんな言葉が喜ばれるのか予想できない
もし自分だったら……と考えて言葉を発しても
喜ばれるとは限らない

相手をどんなに大切に思っていても
相手が喜び、励まされることを願っていても
かえって傷つけてしまうことがある
相手と自分の感性は違う

どんなに深い傷を負っても負わせても 
絶望的になることはない
すべてを知っていてくださるお方がいるから
心の傷を癒してくださるお方がいるから


わたしのHP「生かされて…土筆文香」詩のページ更新しました。ご覧ください。



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最高の人生

2013-12-28 12:46:00 | 
ヒックンが冬休みの宿題がたくさん持ってやってきました。宿題は年内に終わるような量ではありません。一年生からたいへんです。

今日は主人が映画に連れて行っています。
ヒックンは2日間ひとりで泊まって、30日にはヒックンのパパママもきて、一緒に年を越します。
ブログ書きの時間はほとんどありません。
今年一年も守られたことを感謝します。今年のわたしの一字「覆」から詩を書きました。
    
キリストに覆われたなら

キリストを着て
キリストに包まれ
キリストに覆われたなら
何もいらない

キリストに癒され
キリストに繕われ
キリストと共に歩めれば
最高の人生


着るというのは信じるという意味です。
みなさまも来年、最高の一年をおくることができますようにお祈りします

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。「怒」というテーマで書いたわたしのエッセイを掲載されています。ぜひごらんください。


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イブの夜、寂しい思いをしている人に

2013-12-24 22:10:49 | 

クリスマスイブの夜、寂しい思いをしている人、病に苦しんでいる人のために書きました。
           
    
  クリスマスイブに


もし あなたがひとりぼっちだと感じ
さみしさと むなしさで 心がひりひり痛んでいても
心の傷がいやされて 喜びで満たされる日が来るでしょう

なぜなら 奇跡はすでに起きていて
神の子が地上に降りてきてくださったからです

もし あなたが病室でクリスマスイブを過ごし
自分の不運を嘆いていたとしても
消えることのない光を見て 希望に満ちた日が来るでしょう

なぜなら あなたのために神さまが
いとしいひとり子を与えてくださったからです


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ネット依存症の詩

2013-10-23 20:59:46 | 
先週の金曜日は、お茶の水で行われた日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の詩歌の会へいってきました。

JCPは奇数月に例会があり、偶数月は童話エッセイの会と詩歌の会の小グル―プがあります。いつもは童話エッセイの会へ出ているのですが、今回は童話エッセイがお休みだったので、初めて詩歌の会に参加させていただきました。

詩をみていただくのは初めてで、少し緊張しました。
今回は「隣の扉を開けてみよう・未知の扉を開いてみよう」というテーマの自由詩だったので、ネット依存症の若者の気持ちを詩にあらわしてみました。

詩の出来不出来は別として、「自分の気持ちを詩に書くのではなく、ほかの人の気持ちを詩にあらわすのは新鮮です」と言われて公開することにしました。
ネット依存症のことは以前ブログにも書いています。また今朝、NHKのあさイチで取り上げられていました。

スマホの中から  

もう やめたい
でも やめられない
ネットを切ったら ひとりぼっち
悪口書かれるかもしれない
だから切れない どうしても

もう つかれた
ゆっくり やすみたい
何をしているんだろう
何の意味があるんだろう
別のことをしたいのに

アホ ボケ シネ
簡単に書いてくる
自分だって書くけれど
ほんとは傷ついている
なんのために生きているの

外に出たい
こんなところにいたくない
閉じ込められたスマホの中
もがいていたら扉をみつけた
もう少し、あと少しで扉が開く

扉を開けたら
どっと押し寄せてきた現実
映し出された醜い自分の姿
思わず目をそむけて
扉の陰にすわりこむ

こちらにおいで
そのままのあなたでいいから
扉の向こうから差し出された手
夢中でしがみついたら
光の中に躍り出ていた





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きらい、きらい、だいきらい

2013-09-07 12:31:44 | 
自分を好きになれない人へのメッセージを詩に書きました。



きらい、きらい、だいきらい

きらい、きらい、だいきらい
自分を無視したあの子も
話を聞かない先生も
だい、だい、だい、だい、だいきらい
いちばんきらいなのは自分
外見もいや、ひねくれた性格もいや
どうして生まれてきたのかな

好きよ、好きよ、大好きよ
あなたの髪の毛一本も
そしてあなたの性格も
だい、だい、だい、だい、大好きよ
そのままのあなた
生まれてくれてありがとう 
生きててくれてありがとう



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眠れない夜は

2013-07-08 17:13:25 | 
梅雨明けとともに猛暑。体にこたえる暑さです。こんなとき、自転車がパンクしてしまいました。近くのホームセンターに持っていくと、そこではもう修理をしてないというので、歩いて25分のイオンに自転車を押しながら行ってきました。熱中症予防に塩飴をなめ、水分補給しながら行ったのですが、あまりの暑さに頭はクラクラ、着いたときは足がガクガクしていました。

昨日、一昨日と暑さで睡眠不足です。
眠れない夜に書いた詩です。


眠れない夜

眠れない夜
心配事がどんどんふくらんでいく
起こるはずのないことが次々起こる想像をして
ますます深みにはまっていく
これじゃいけない
考え過ぎちゃいけない
早く寝よう
明日の体力がなくなってしまう

このまま朝になったらどうしよう
寝ようと思えば思うほど
目が冴え、まとまりのない思いが頭の中をかけめぐる

「だれか助けて」
無意識に手を組んで叫んでいた
「心配しなくていい
必要な眠りは後に必ず満たされるから、だいじょうぶ」
語りかける声を聞いてほっとする
いつの間にか夢の世界に入っていた


世界中に眠れなくて苦しんでいる人は、どれだけたくさんいることでしょう
眠れない夜は、その人たちのために祈ることにしました。時間はたっぷりあるのですから。



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ぼくは誰なの

2013-06-28 20:55:55 | 

アイデンティティーをテーマとした童話を書いています。主人公の気持ちで詩を書きました。



             ぼくは誰なの
ぼくは誰なの
町中にあふれている大勢の人
ぼくは、その中のひとり
ぼくがいなくなっても世界が変わるわけじゃない

ぼくは誰なの
空気よめないヤツ
間の悪いヤツ
仲間からは、そんなふうに言われてる

ぼくは誰なの
役に立たないヤツ
いないほうがいいヤツ
消えられるものなら消えてしまいたい

ぼくは誰なの
君は君だよ
誰が何と言おうとも
君がいなくちゃ困るんだ

君は君だよ
世界でたったひとりの
大切な、大切な、君だよ



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