昨日の水曜礼拝はT先生の4回目のメッセージでした。
一部を紹介させていただきます。
「受けるより与える方が幸いです」とイエス様が言われました。
でも、この世ではその逆の流れがあります。
震災の後の買占めに走る人々の姿、風評被害などがその例です。
マタイ14章15~21節には、5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人を満腹させたというイエス様の奇跡が書かれています。
イエス様は「受けるより与える方が幸いです」を弟子たちに実践させようとしました。
与えるものを十分持っているのなら問題ありませんが、そこには5つのパンと2匹の魚しかありませんでした。
そこには男だけで5千人いました。ということは女性と子ども合わせて1万5千人ぐらいの人がいたことになります。弟子たちはとても足りないと思いました。弟子たちの理性、常識は、イエス様のなさろうとしていることを阻むものとなりました。
弟子たちは、イエス様が人の心を満たすことはできても人の腹を満たすことはできないと思っていました。
ところが、イエス様は5つのパンと2匹の魚を配るように言われます。弟子たちは、主が命じられたので従うことにしました。
すると、パンと魚は配っても、配ってもなくなりません。それどころかパンきれの余りが12のかごにいっぱいになりました。12は完全数です。みんなが充分満たされたということです。
弟子たちは、信じることができないまま主に従うことを選んだのです。
これが弟子たちの信仰のターニングポイントです。
ペテロがイエス様に言われて網を降ろす場面もそうですが、信じることができなくても主が言われたからやってみる。このことが大切です。そうすると奇跡が起こります。
受けることにおいては、わたしたちは神さまから無尽蔵の恵みが与えられています。
与えることは、分かち合うことです。
試行錯誤の中から失敗を恐れずに分かち合うことです。
分かち合うと3つのことが起こります。
①必ずその行いが主の宣教のみ御業の中で用いられて行きます。
②必ずその人が恵まれ、その人の信仰がワンステップ上がります。
③個人的信仰から互いを必要とする信仰へ移行していきます。
学ぶ、信じる、分かち合う、の3つのことにより信仰が新しい段階に入ります。
「受けるより与える方が幸いです」を実行するには、わずかなものしか持っていないことを気にしていてはいけないのだと思いました。
わたしは、礼拝や聖書の学びの中で受けた恵みをブログに書くことによって、読んで下さるみなさまと分かち合えたらいいなあと思っています。
これでいいのかなあ……伝わったかなあ……と悩みながら、試行錯誤しながら……。
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「受けるより与える方が幸いです」とイエス様が言われました。
でも、この世ではその逆の流れがあります。
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イエス様は「受けるより与える方が幸いです」を弟子たちに実践させようとしました。
与えるものを十分持っているのなら問題ありませんが、そこには5つのパンと2匹の魚しかありませんでした。
そこには男だけで5千人いました。ということは女性と子ども合わせて1万5千人ぐらいの人がいたことになります。弟子たちはとても足りないと思いました。弟子たちの理性、常識は、イエス様のなさろうとしていることを阻むものとなりました。
弟子たちは、イエス様が人の心を満たすことはできても人の腹を満たすことはできないと思っていました。
ところが、イエス様は5つのパンと2匹の魚を配るように言われます。弟子たちは、主が命じられたので従うことにしました。
すると、パンと魚は配っても、配ってもなくなりません。それどころかパンきれの余りが12のかごにいっぱいになりました。12は完全数です。みんなが充分満たされたということです。
弟子たちは、信じることができないまま主に従うことを選んだのです。
これが弟子たちの信仰のターニングポイントです。
ペテロがイエス様に言われて網を降ろす場面もそうですが、信じることができなくても主が言われたからやってみる。このことが大切です。そうすると奇跡が起こります。
受けることにおいては、わたしたちは神さまから無尽蔵の恵みが与えられています。
与えることは、分かち合うことです。
試行錯誤の中から失敗を恐れずに分かち合うことです。
分かち合うと3つのことが起こります。
①必ずその行いが主の宣教のみ御業の中で用いられて行きます。
②必ずその人が恵まれ、その人の信仰がワンステップ上がります。
③個人的信仰から互いを必要とする信仰へ移行していきます。
学ぶ、信じる、分かち合う、の3つのことにより信仰が新しい段階に入ります。
「受けるより与える方が幸いです」を実行するには、わずかなものしか持っていないことを気にしていてはいけないのだと思いました。
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