生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

あきらめないで(その1)

2011-06-30 16:59:39 | CS(子供伝道)
2011年も半分が過ぎました。
来週の月曜日から2泊3日で行われるお茶の水聖書学院のサマースクーリングで軽井沢に行く予定です。
去年はスクーリング当日の朝より熱が出て参加できませんでした。

泊まりがけで出かける予定をしていて当日具合が悪くなったことは初めてでした。
微熱だったので、下がれば2日目からでも参加しようと思っていたのに、それもできませんでした。熱はそれから2週間も続いたのです。
急に暑くなる6月末から7月はじめにかけていつも体調がよくありません。この2.3日も体調が悪かったのですが、腰痛のおかげでゆっくり休め、腰痛も体調も快復してきました。
今度こそは参加できるようにと祈りつつ……。

日曜日に教会学校(小学科低学年)でペープサート(紙人形劇)を使ってお話をさせていただきました。「成長」(いのちのことば社)テキストの6/19のメッセージ「神に求める」を参考にしています。
2回に分けて紹介します。


イエス様はこんなたとえ話をなさいました。
ま夜中、シモンさんの家に旅人が訪ねてきました。イスラエルの人は旅人にごちそうしたり、よくしてあげるという習慣がありました。

「どうぞ中に入って下さい。お疲れでしょう、ゆっくり休んで下さい。いま、食事のしたくをしますね」
シモンさんは旅人に夕食をごちそうしようと思いました。ところが台所には一切れのパンもありません。

シモンさんは近所の家に走って行きました。そのころはコンビニもなかったのです。夜だし、知り合いにパンを貸してくれるように頼むしかありませんでした。

トントントン
「パンを3つ貸してくれないか。旅人が訪ねて来たんだが、家に食べ物が何もないんだよ」
シモンさんは戸をたたいて言いました。

家の中から声が聞こえました。
「かんべんしてくれよ。何時だと思っているんだ? いい夢みているところなんだから、起きたくないよ」
けれども、シモンさんはあきらめません。

トントントン
「戸締りもしたし、家族みんな寝ているんだ。子どもたちが起きてしまうじゃないか。明日にしてくれよ」
トントントン
「申し訳ないけれど、頼むよ。パンを貸してくれ」
トントントン トントントン 
答えはありません。

でも、シモンさんはどうしても旅人にごちそうしたかったので、あきらめずにたたき続けました。
しばらくして、戸が開きました。

「やれやれ、仕方ないなあ」とその人は起き上がってパンを貸してくれたのです。
シモンさんは、大喜びでパンを受け取ると、旅人に食べさせてあげました。

イエス様はこのたとえ話で「あきらめないで熱心に祈りなさい」と教えてくれました。
暗唱聖句を読みましょう


求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)


「求めなさい」「捜しなさい」「たたきなさい」というのはどれも神様にお願いすることを表す言葉で、「求め続けなさい」「捜し続けなさい」「たたき続けなさい」という意味です。
たとえ話に出てきたシモンさんは、おなかをすかせている旅人のためにどうしてもパンが必要でした。それで、断られても戸をたたき続け、パンを貸してくれるように頼みました。

本当に必要なこと、大切なことのためにはあきらめずに熱心に祈り続けなさいとイエス様はおっしゃった のです。
         

   つづく(次回はわたし自身のあかしも入れています)




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母のこと

2011-06-27 19:53:55 | 日記

金曜日は都内の実家に行って泊まり、土曜日は、お茶の水で行われた日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の童話エッセイの会へ参加しました。

実家では草取りと掃除を手伝い、夕食は母と一緒に作りました。
母はわたしより元気です。朝、夜明けとともに目が覚めると言って、わたしが泊まった日も5時前に起きて草取りを始めていました。

母は週に3回も体操教室に通い、ひとりなのにお惣菜はほとんど買わず、毎食ちゃんと作っているのですから、たいしたものです。(わたしが一人暮らしになったら、ほとんど料理はしないでしょう)
2、3か月に一度友人たちと旅行をし、1か月に一度は自宅に友人を招いて麻雀をしているのですから、81歳とはとても思えません。

でも、わたしは母の寝室が二階にあることを心配しています。もし夜中に階段で足を踏み外したりしたら……。階下に寝るよう薦めるのですが、母は素直に言うことを聞く人ではありません。

2年前、「2・3年後には土浦の老人ホームに入る」と言っていたのに、「当分入らないことにした」と言い出したので、元気なうちは仕方ないのかな・・・と思いました。

母になかなか信仰の話ができませんが、JCPに提出する作品を毎回読んでもらっています。今回の作品は原稿用紙52枚の童話で長かったのですが、喜んで読んでくれました。感想は「よく、こんな話思いつくね」の一言だけでしたが……。

昨日のことも書きたいのですが、昨日から腰を痛めてしまって長い間パソコンの前に座っていられないので今日はこのへんで......。



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コミュニケーションの難しさ

2011-06-23 21:32:40 | 日記
急に暑くなりました。昨日、今日は洗濯日和なのですが、「晴れでも雨でも同じ」と、ため息をついています。放射能が気になり、震災以来、洗濯物やふとんは外に干していないからです。マンションで洗濯物を外に干している家は半数ぐらいでしょうか……。

食べ物はいちおう産地を確かめて買いますが、県内産の野菜も食べています。水道水も飲んでいます。孫が来るときだけ、ミネラルウオーターを買って調理にも使っています。

教会学校教師会で夏期学校の行き先を話し合いましたが、今年は難しいです。川遊びはダメ。海もダメ。公園でお弁当を食べるのもダメ……。茨城県ですから、原発の影響を考えずにはいられません。


水曜礼拝ではコミュニケーションをとることがいかに難しいか教えられました。
語る側と受け取る側にズレがあること。伝わらないことを前提に語ること。
夫婦間でもそれは常々感じています。

以心伝心という言葉がありますが、わたしたちには当てはまりません。
伝わっていると思い込んでいただけで、実は伝わっていなかったことがたくさんあるのです。同じ言葉で言い表しても、イメージするものが全然違うことがあります。

また、言葉に対する感じ方の違いがあります。
主人はものすごく無口で、どうしても必要な時以外口を開きません。必要なことも単語で、できるだけ短く言うので、こちらには伝わってきません。

主人が歩く先にわたしがいると「邪魔」と一言。わたしはその言葉に傷つきます。そんなに深い意味はないと思うのですが、わたしの存在そのものが邪魔なのだと思えて悲しくなるのです。
「どいて」と言い換えるだけでどんなに違うことか……。
一方主人にしてみれば、わたしが「邪魔」と言われるたびに傷ついていたなんて、全く気づいていません。

あるとき、「邪魔って言われると、存在を邪魔にされたようで傷ついている」と、はっきり言いました。そうしたらもう「邪魔」とは言わなくなりました。

食事の味付けにしても感想を言わないので、おいしいのかどうかわかりません。
お酒を飲む人は塩辛い味付けが好みだと思い込んでいた私は、煮物は甘さを控えて作っていました。
ところが義母の味付けは、ものすごく甘いのです(甘さは売っている惣菜の倍ぐらい)。あるとき、義母から蕗の煮付けをもらってきました。夕食時に主人が「この味付けがうまい」と初めて感想を言いました。
甘い味付けが好きだったなんて……結婚して30年近くたってからわかるなんて……。

娘はそんなちぐはぐなわたしたちを見て、
「お父さんは言葉が少なすぎる。お母さんはよくしゃべるくせに肝心なことを聞かないし、言わない」と言いました。全くその通りです。


正しいコミュニケーションをするために大切なことは、人間の論理性と感性(感情・情感)を認識すること
なのだそうです。

考え方も感性も相手と自分は違うのだということを意識しながら伝えなければ・・・と思いました。



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挫折したときのこと

2011-06-21 13:29:01 | 教会

日曜日のメッセージはパウロ伝の続きでした。


天からの光に打たれ、イエス様の声を聞いたとき、パウロは回心しました。ガラテヤ1:17には、その後パウロはアラビヤに行ったと書かれています。

パウロは人に会わないためにアラビヤに行ったのです。今までクリスチャンを迫害していたことが何だったのだろうと自分を顧みるためにアラビアに退いたのです。

使徒22:10にはパウロが光に打たれた後、「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか」と言ったと書かれています。

挫折感を味わったパウロはアラビヤで「主よ。わたしはどうしたらよいのでしょうか」と祈ったのではないでしょうか。
「私たちの人生で挫折感を味わった時、アラビヤに退くのがよい」と牧師先生が言われました。



わたしの人生を振り返ると、挫折の連続でした。

わたしは保育科の短大を卒業して学校法人の幼稚園に勤めました。幼稚園の先生になりたいという夢がとうとうかなったのですから、期待に胸を膨らませて出勤しました。園ではその年、わたしを含め3人の教師が採用されました。

ところが、3月に初めて園を訪れた日、先輩から思いもよらないことを聞き、バラ色の夢がたちまち色を失ってしまいました。

「悪いこと言わないから4月になる前にやめなさい。こんなひどい職場はないよ。クラス担任になってからやめるのは難しいから、今がチャンスよ」
3人の先輩が口をそろえて言ったのです。

それを聞いたわたしたちは動揺しました。
学校の部活の顧問の先生から紹介していただいて面接試験を受け、合格した幼稚園なのにどうして勤める前にやめなくてはならないのでしょう。

先輩の忠告は聞き流して、新学期3人はそれぞれ30余名の子どもたちの担任となりました。
わたしは4歳児を受け持ちました。当時3年保育は少なく、ほとんど4歳で初めて入園する子どもたちでした。

お母さんと離れるのがいやだと午前中いっぱい泣いている子。保育室から出ていってすべり台で遊んでしまう子……。気に入らないことがあると、足ふきマットを体に巻きつけて泣き叫ぶ子。自分の思い通りにならないと、友達にかみつく子……。

一日入園で子どものようすを伺い、偏らないようにクラス分けしたようですが、なぜかわたしが担当したそら組に大変手のかかる子どもが集中してしまって、毎日冷や汗をかいていました。

運動会の練習が始まってもまったく言うことを聞かない子どもたちでした。
「まっすぐ並べないのはそら組さんだけですよ」
と主任の先生に言われ焦りますが、わたしの力ではどうすることもできません。

短大のときいい教師になろうと思って、熱心に勉強しました。折り紙の折り方をたくさん覚えたり、野の花の名前を覚えるため牧野富太郎の本を写したり……

でもそのようなことが何も役に立たなかったのです。
毎日ハプニングが起こり、どう対応したらいいのかわからず、オロオロするばかりでした。学校では教えてもらえなかったことばかりです。

また、職場の人間関係に苦しみ、園のやり方に疑問を感じました。最初に先輩たちの言っていた意味を実感しました。子どもたちに隠れて何度涙を流したことでしょう。

やめようと何度も思いつつ、子どもたちが可愛くて思いとどまりました。(子どもたちとの楽しい思い出はたくさんあります)

3年たったとき、挫折感を味わいながら退職しました。後から聞くと、その園に努められた人なら、どこの幼稚園でも勤められると言われたほど大変なところだったようです。

短大の先生はそのことを知っていたはずなのになぜわたしをその園に紹介したのでしょう……。
今となってはわかりませんが、そこに神様の御手が働いていたのだと思います。

挫折して、自分の無力さを感じていたからこそ素直に神様を求める気持ちになったのです。勤めて2年後に教会へ通い始めたのですから、神様の導きとしか思えません。

聖書の言葉

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)





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「愛」と「恐れ」

2011-06-18 12:03:42 | 聖書から
昨日はOさん宅での家庭集会でした。
創世記4章 カインの殺人のところからの学びでした。


最初の人間、アダムとエバの長男が弟を殺してしまうとは・・・人類初の殺人事件です。
なぜこのようなことになったのでしょう。

兄のカインは畑を耕す人になり、弟のアベルは羊飼いになりました。
ふたりは、それぞれ神様にささげものを持ってきました。神様はささげものを要求していないのに、ふたりとも自主的にささげものを持ってきました。その態度はどちらも間違っていませんでした。
カインは地の産物をささげ、アベルは最上の羊をささげました。

ところが、神様はアベルとそのささげものには目を留められ、カインとそのささげものには目を留められませんでした。それはなぜでしょう?という質問がありました。


それはどうしてなのか……わたしもずっと疑問に思っていたことでした。
神様は兄より弟が好きだったから……神様は野菜より肉が好きだったから……? それは違いますね。


聖書には「カインは地の作物から主へのささげものを持ってきたが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上の物を持ってきた。(創世記4:4)」と書かれています。
神様はささげた物だけでなく、ささげる者の心をご覧になります。

カインの気持ちはどうだったでしょう。

神様は善悪の知識の木の実を食べて罪を犯してしまったアダムに言います。
「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは一生、苦しんで食を得なければならない。(創世記3:17)」

畑を耕して作物を作るのには苦労が伴い、努力が必要です。カインは自分の努力の結晶である作物をささげました。

一方アベルは羊のいのちある初子をささげました。ささげるとき羊を裂いたので、血が流されました。
ヘブル9:22には「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」と書かれています。

「アベルは、罪の性質を持つ自分に気づき、このままの状態では神に受け入れられないことを知っていたのではないでしょうか。だから、羊の初子のいのちをささげ、血を流すことによって神に受け入れていただけると思ったのです。」とK先生が言われました。

カインはひどく怒りました。なぜ怒ったのでしょう……。カインは一生懸命努力して作物を作りました。自分は正しいと思っていました。神さまのためにという気持ちでささげました。
自分はよいことをしたから、神様は必ず受け入れて下さると思っていました。でも、報われませんでした。それで怒ったのです。

正しくなければ受け入れられないと思っているとき、恐れがあります。カインには恐れがありました。

行動をするとき、何に根ざしているかが大切です。アベルは「愛」に根ざして行動しましたが、カインは「恐れ」に根ざして行動しました。神様は「恐れ」に根ざして行動するとき、それを受け入れては下さいません。

「愛には恐れがありません。全たき愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。(Ⅰヨハネ4:18 )」


律法を守ることに必死だったサウロにも恐れがありました。でも、サウロはキリストに出会った後、キリストの素晴らしさのゆえにいっさいのものを損と思うようになりました。


キリストを信じる前、わたしも自分が正しいという信念を持っていましたが、心の奥底にはもし間違っていたらどうしようという恐れがありました。


神様は、正しくなければ受け入れられないという思いを締め出して下さる。最も正しくない時にも神様は愛し、受け入れて下さるのです。

正しくなかったわたしを、キリストのゆえに神様は受け入れ、愛して下さいました。過ちを犯し、不完全で、愛に欠けているわたしを受け入れて下さいました。そのことの喜びを新たにしました。



家庭集会の帰りに病院へ寄りました。先週の検査の結果を聞く日だったからです。
「まったく問題ありません。何もなければ1年後の検査まで来なくていいです」と言われました!!  心から感謝しました。



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たとい山々が移り、丘が動いても

2011-06-15 17:03:02 | 聖書から
水曜礼拝では奨励学講座を学んでいます。

奨励とは、日常生活の体験と聖書からメッセージを合わせてその霊的感動を語ること。日常の生活に感動して、その感動に相応しい聖句の解説を加えたい。

と教えていただきました。

教会から帰ってデイリーブレッド(デボーションの本)を開くと「私たちが聖書を読んだり暗唱したりして心に蓄えた真理を聖霊が用いて、必要なときにみ言葉(聖書の言葉)示してくれる」と書かれていて、今日学んだこととの一致に驚きました。

日常生活の中で感動することは多々ありますが、み言葉と結び付けて考える前に忘れてしまうことが多く、結びついても何かに書き記しておかなければ、やはり忘れてしまうのです。


最近の経験ではこんなことがあります。
大震災の後、余震が起きると恐ろしくてならなかったのですが、教会学校の暗唱聖句大会で覚えたみ言葉に助けられました。

「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。(イザヤ54:10)」


地震が起こるたびにこのみ言葉を思い出しました。
地震でどんな被害に遭っても神様がわたしを愛している事実は変わらない。神さまの約束が無効になることがないのだと思ったら、恐れは取り除かれて平安が与えられました。

デイリーブレッドには
「聖書を読むことで、私たちの心はみことばの宝庫となり、そこで御霊は働かれます。」と書かれていました。



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なくてはならない人

2011-06-14 16:59:55 | 教会
エアコンから水漏れがして、電気屋さんに来てもらいました。
土曜日にヒックンが来たのですが、部屋の中を駆け回って汗びっしょりになったので久しぶりにエアコンをつけました。

するとエアコンから水が落ちて来ました。いち早く気づいたのはヒックンでした。あわてて止めて雑巾でふきました。気づかないでいると階下に漏れて大変なことになるところでした。(我が家はマンションの2階です)

「よく気づいたね。教えてくれてありがとう」
おじいちゃんに言われ、得意げな顔のヒックン。どこから水が出てきたのか調べるため、おじいちゃんが踏み台に乗って点検したのを見ていたのでしょう。
「ぼくが調べてみる」とヒックンも踏み台を持ってきて上りました。上るまでは背が届くと思っていたようです。届かなかったのであきらめましたが……。

電気屋さんによると排水ホースが詰まっているだけでなく、本体の中のプラスチックがひび割れしているそうで、部品交換が必要とのことでした。費用はかかりますが、新しいのを買うよりいいと思って頼みました。修理は来週になりますが、本格的な暑さが来る前に気づいてよかったです。


12日の礼拝はペンテコステ礼拝でした。ペンテコステ礼拝は、キリストの復活から50日後、使徒たちに聖霊が降りてきた日を記念して行われます。「教会の誕生日」とされる日です。
「あなたの御前には」という特別賛美がすばらしかったです。

メッセージは使徒の働き11章22-26より、パウロ伝の続きでした。先週はアナニヤがパウロにとってなくてはならない人であったことが語られましたが、今週はもう一人のなくてはならない人、バルナバについてです。
メッセージの一部を紹介します


回心したパウロがエルサレムに行ったとき、クリスチャンたちはパウロを恐れました。パウロがついこの間までクリスチャンを迫害していたからです。

バルナバはパウロを引き受けて、エルサレム教会の人々に彼を受け入れるように説得しました。
その後、パウロはふるさとのタルソに帰って、3年の間そこにいたそうです。その3年間に何をしていたかは聖書に書かれていないのでわかりません。

バルナバは、パウロを捜しにタルソへ行って、シリアのアンテオケに連れて来ました。
バルナバはパウロこそ、アンテオケで働くのにふさわしい人だと見抜いたのです。バルナバは人を活(い)かしました。

パウロの働きでアンテオケで多くの人がクリスチャンになりました。
クリスチャンという言葉は、このとき生まれたそうです。


以前教会学校ではイエス様を信じている人を「キリストさん」と呼ぶようになったとお話ししました。

クリスチャンには①宣教の責任と②社会的責任の2つの使命があると聞いて、責任を果たしていけるように祈りました。


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「歌人たちの遺産」を読んで

2011-06-10 16:32:20 | 読書

今日は検査の日で朝から病院へ出かけました。主人が休みだったのですが、昼食を用意して出かける時間がありませんでした。帰りは1時過ぎになりそうなので、「冷蔵庫に焼そばがあるから作ってくれると嬉しいんだけど……」と言うと、「いいよ」との返事。
主人は4月に退職してから、掃除や植木の水やりなどの家事を手伝ってくれるようになりましたが、料理はしてくれたことがなかったのです。
野菜を洗って切るまではわたしがしましたが、あとは頼んで出かけました。
家に帰ると焼きそばができていたので、嬉しかったです。徐々に慣れてもらって、そのうち夕食を作ってもらいたいな……。

今月、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の理事長の池田勇人先生が「歌人(うたびと)たちの遺産」という本を出版されました。
ペンクラブHPで紹介文を書かせていただくことになったので、何度も読み返して書きました。読んでいるうちに先生の熱い思いが伝わってきました。

本にとりあげられている歌はほとんど知っている歌でしたが、その意味や作詞、作曲者については知らないことが多かったのです。たくさんの発見、驚き、感動がありました。
JCPのHPにも掲載しましたが、ここにも書き記します。


歌人(うたびと)たちの遺産
           池田勇人著
文芸社
B6版・並製・308ページ
定価1,470円 (本体 1,400円)


著者紹介
1949年茨城県出身 埼玉県在住
日本基督神学校(アジア神学大学院修士)卒業
霞ヶ関キリスト教会牧師
日本クリスチャン・ペンクラブ理事長

内容紹介

童謡の成り立ちや、唱歌の源流を探って、私たち日本人がいかに恵まれた時代に育ったのか、それらをまず確認しておくこと。その上で代表的な唱歌、童謡を取り上げて、味わっていただきたいと願っています。(まえがきより)


ふるさと、野菊、浜辺の歌、かなりや、故郷、赤蜻蛉、しゃぼん玉……など日本人ならだれでも知っている唱歌、童謡ひとつひとつを取り上げ、作られた背景、歌詞の深い意味、メロディーとリズム、作詞、作曲者について詳しく書かれています。

作詞、作曲者の中にクリスチャンが多いこと。洗礼は受けていなくてもキリスト教の影響を強く受けた人が多いことがわかります。
作曲者では、『荒城の月』の滝廉太郎、『紅葉』『故郷』の岡野貞一。
作詞者では、『野菊』の石森延男、『椰子の実』の島崎藤村、『赤蜻蛉』の三木露風、『たきび』の巽聖歌、『サッちゃん』の阪田寛夫などがクリスチャンです。

また、童謡や唱歌の中に隠された宝物を発見できます。
たとえば、『荒城の月』の歌詞の意味には聖書的な意味があり、日本人のためのすばらしい福音唱歌であることに気づかされます。

『荒城の月』の4章は「天上影は替らねど」で始まっています。それは栄枯盛衰が人の世にはあるけれど、天の姿は変わらないという意味です。3章には「替らぬ光誰がためぞ」とあり、永遠に変わらない光が天にあると告白しているのです。土井晩翠の愛妻がクリスチャンだったそうで、(愛妻の信仰が自然とにじみ出ていると思われます。)と書かれています。

そのほか、『かなりや』の歌詞がキリストの救いに繋がっていたり、『しゃぼん玉』のメロディーが『主われを愛す』とそっくりなことなど……。

童謡や唱歌が新鮮に感じられ、孫と一緒に歌ってみたくなりました。


お求めはアマゾン、楽天ブックスなどでご購入ください。


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日本クリスチャン・ペンクラブのHPもぜひご覧ください。ちょうどわたしのエッセイ「パウロのように」を掲載しました。『目からうろこ』がここにも出てきます。



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わたしの目からうろこ体験

2011-06-09 20:27:31 | 教会

先日アナニヤのことを書きました。新約聖書にはアナニヤという名の人が3人出てきます。使徒の働き5章に出てくるアナニヤは、妻のサッピラと共に自分の持ち物を売り、その代金の全てを捧げるふりをして一部を持ってきて使徒を欺いた人です。
もうひとりは大祭司です。そして、もうひとりのアナニヤは、ダマスコに住んでいたクリスチャンで、サウロを訪れたアナニヤです。アナニヤはサウロにとって、なくてはならない人になりました。

わたしにも何人かのアナニヤと呼べる人がいます。わたしの信仰を正しい道に導き、養い育ててくださったIさんについて書きます。


今まで何度か書いてきましたが、わたしは洗礼を受けたとき、救いの意味を充分理解していませんでした。イエス様を信じれば罪赦される。このことだけはわかっていて、罪赦されたいために神戸の教会で洗礼を受けました。
ところが、洗礼を受ければ新しく生まれ変わるのだから、罪を犯さない清い人になるのだと誤解していました。

でも、罪を犯さないどころか、ますます罪深くなっていくような気がして悩みました。洗礼を受けた後に犯した罪は赦されないのだと勘違いし、自分とキリストに失望して教会を離れてしまいました。

そんな悩みは、洗礼を受けた教会の誰かに打ち明ければよかったのですが、できませんでした。そのころのわたしは心に鎧をつけていたので、自分の内面を人に話すことができなかったのです。

その後結婚し、埼玉に移り、子どもが与えられてから、ますます苦しくなりました。洗礼を受けたクリスチャンなのに教会へも行ってない。将来子どもに問われたとき、クリスチャンであるともないとも言えない。子どもは、母親としての生き方を見るようになるのに、こんないい加減な生き方でいいのだろうか……と悩んだ末、近くの教会を訪れたのです。

そのとき、教会のIさんがわたしと親しくしてくださいました。子育ての先輩でもあったので、育児のアドバイスをいただいたり、家に招かれてごちそうになったり、一緒に教会の奉仕をしたりしました。

Iさんは、わたしが間違った信仰を持っていたことに気づかせて下さいました。
何のことだったか忘れましたが「偶然だとは思うけど、こんなことがあった」とわたしが言うと、
「偶然ということはないのよ。すべての出来事が神様のみ手の中にあるのだから」と言われました。

「聖書をぱっと開いたら、気持ちとぴったりする詩篇が出てきてうれしかった」
と言うと、
「聖書はそういう読み方をするのではなくて、できれば毎日一章ずつでも順に読んでいくといいよ」
と言われました。

そして、Iさんは折につけ「祈りましょう」と言って、道でもお店でも祈りはじめます。わたしは、まわりの人の目が気になって落ち着きませんでしたが、祈ることの大切さを教えられました。

デボーション(聖書を読み、祈る)ということを知ったのもIさんからだったと思います。
Iさんに教えられて聖書を読んでいくうちに洗礼を受けたあとに犯した罪もキリストの十字架によって赦していただいていることがわかったのです。

わたしは、律法は知っているけれど救いを知らなかったサウロのようだったなあと思います。サウロがアナニヤによって目からうろこをはがしてもらったように、わたしもIさんによってうろこがはがれたのでした。Iさんのおかげで今のわたしがあるのです。



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目からうろこ

2011-06-07 13:21:51 | 教会
先週の礼拝ではサウロの回心のメッセージを聞きました。(6/1のブログに書いています)

クリスチャンを迫害していたサウロ(パウロ)でしたが、ダマスコの途上光に打たれて倒れ、イエスの声が聞こえたとき180度変えられました。

でも、なぜサウロはそのとき劇的に変化したのでしょうか。
5日の礼拝メッセージの一部を紹介します。

サウロが劇的な変化をした根拠として2つのことが考えられます。

①サウロ自身が自分の中に葛藤をもっていたのではないでしょうか。
ローマ7:7-10に書かれているように、彼は律法を命がけで守ろうとしていたのですが、守りきれない自分に悩んでいました。

(律法とは神様がモーセを通して与えて下さった十戒のことで、「あなたの隣人の物を欲しがってはならない」という戒めがあります)

サウロは、『むさぼってはならない』と知っているのにむさぼっていたことを告白しています。

②サウロは良心の呵責を感じていたのではないでしょうか。
クリスチャンを迫害し、ステパノを石打ちにすることに加担しました。ステパノの姿をみて驚いていたかもしれません。クリスチャンたちの敬虔な姿、熱心さをみているのにその者達を捕え、死にまで追いやっていましたが、そんな権利が自分にあるのかと悩んでいたかもしれません。

使徒26-14にはサウロが光に当てられたとき、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ』とイエス様の声がしたと告白しています。

それは、サウロの中にとげがあったことを意味します。とげとは、『律法を完全に守れないお前にクリスチャンを迫害する資格があるのか』と心をチクリチクリと刺されるとげです。
光に打たれる前に葛藤や良心の呵責や自分の罪深さを感じていたから劇的回心が起こったのです。

目の見えなくなったサウロは、葛藤と苦悩の3日間を過ごし、そののちアナニヤの訪問を受けます。
アナニヤは、イエス様から「立って『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています(使徒9:11)」と言われます。

アナニヤは、サウロが今までクリスチャンにどんなにひどい迫害をしてきたか知っていたので恐れました。
でも、イエス様からサウロが異邦人にイエスの名を運ぶという使命を持つ人であることを伝えられ、恐れを克服して『まっすぐ』という街路に行き、サウロに会いました。

アナニヤに手を置かれて、サウロの目からうろこのようなものが落ち、サウロは再び見えるようになります。(「目からうろこ」という言葉は、この聖書の記述からきてきるのです。)
サウロがパウロになった瞬間です。

アナニヤはサウロに十字架の意味やペンテコステで起こったことを話し、サウロはバプテスマを受けます。

「わたしたちは土浦のアナニヤです。『まっすぐ』という道に行ってごらんなさいと神様に言われているのです」
と牧師先生が言われました。


アナニヤがサウロを訪れるとき恐れたのは当然だと思います。でも、恐れを克服し、主の言葉に従って『まっすぐ』という道に出かけたことが素晴らしいと思いました。

アナニヤがいたから、パウロは伝道者として使命をまっとうすることができたのですね。



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悲しみを乗り越え

2011-06-03 15:55:30 | あかしの紹介
先日、日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会がお茶の水クリスチャンセンターで行われました。
JCPでは、「喜・怒・哀・楽」でエッセーを書いています。先日のテーマは「哀」でした。
Yさんが「哀」にちなんだあかしをしてくださいました。大震災で身近な方を亡くされて悲しんでおられる方にぜひ読んでいただきたいと思いました。Yさんの許可を得ましたので紹介させていただきます。


悲しみをのり越え


たいへん辛い悲しみを経験をしたことがあります。97年の10月5日、夜の11時ごろのことでした。長女から「結婚式の打ち合わせをしたいので先方のご両親に会ってほしい」という内容の電話がかかってきました。

家内などは大喜びをし、場所のことや料理のこと、そして着物のことなど、次から次へと話題を変えて話をし、終わったときは1時近くにもなっていました。

ところが、少し眠ったと思ったら、5時ごろになってまた電話がかかってきました。彼が交通事故にあって、意識不明の重態で広尾病院に運ばれたというのです。

事故があったのは昨夜の11時5分。家内と長女が結婚式のことについて楽しく話をしていた丁度その時だったというのです。仕事を終えて帰宅するべく、全日空ホテルの前の交差点をバイクで通過しようとしていた丁度そのとき、横合いから信号を無視してタクシーが突っ込んできたというのです。

 とるものもとりあえずわたしたちは病院に駆けつけました。しかし彼は意識を失ったまま一度も目覚めることなく、3日目の午後に息を引き取りました。

その間のことを少し、お話させていただきます。
集中治療室で少しの間面会を許された後、浜松から来られた彼のご両親に挨拶をし、そのまま、わたしたちは待合室にいましたのですが、知らせを聞いて30歳前後の若い人たちが続々と見舞いにきてくださり、午後の5時を過ぎたころには、集中治療室の前の廊下は若い人たちでいっぱいになってしまいました。

その殆どが、彼とわたしの長女の学生時代からの友人や職場の友人、そして、演劇活動を通しての友人たちでした。

彼は学生時代から演劇活動をしていたのですが、卒業後も仲間と小さな劇団を結成して活動を続け、私の長女も、学校は異なりますが、卒業後彼らの劇団に入って働きながら演劇活動をしていたのでした。

 話を戻しますが、次の日も、友人たちが続々と見舞いに来て下り、前日同様、集中治療室の前は若い人たちでいっぱいになってしまいました。そしてその日は、2、3人ずつでしたが、希望者全員に短い時間の面会が許され、多く若者たちが次々と集中治療室に入り、ある人たちは下を向いたまま無言で、またある人たちは体を震わせ、目を真っ赤にして帰ってきました。病院側の配慮によるお別れの時間だったのです。

3日目も希望者には面会が許されていましたのですが、午後に入ってそれが中断され、そして3時19分に息を引き取りました。

 警察による検死の関係でその日は地下室にある霊安室に安置されたのですが、夜の11時12時になっても帰ることなく、たくさんの若い人たちが残ってくださいました。

 そのようなことがあって、はじめは浜松で行う予定だった葬儀が、急遽東京で行うということに変更されました。一人でも多くの友人たちに見送ってもらった方が彼も喜ぶだろうとの、ご両親の配慮からでした。

そして、斎場は若い友人たちで埋めつくされました。在学中であればめずらしくはないのですが、彼の場合は卒業をして10年以上、わたしの長女も卒業をして七年、それにもかかわらず、150人前後もの若い人達が来てくださったのです。そしてその若い人たちみんなが、涙をもって見送ってくださったのです。

その様子を見て、私は、35年という短い人生ではありましたが、彼は人の3倍も5倍ものすばらしい友人に恵まれ、そして、人の何倍もの充実した人生を生きたのではないのだろうか、いや、きっとそうだ、そうに違いないと思うようになりました。

挙式を目前にして、交通事故で死んでしまうだなんて、なんと不幸せなと思っていた彼が、そうではないのだ、彼は幸せだったのだと思えるようになってきたのです。

わたしは『神のなされることは皆その時にかなって美しい』という、伝道の書の言葉がすきです。何かあるたびにそのみ言葉を思い出し、また口ずさんだりしていました。しかし、彼が亡くなってからは、そのみ言葉を口にすることができなくなってしまいました。そのみ言葉に出会っても、『アーメン』ということができなくなってしまったのです。

しかし、病院で祈ってくださった若い人たちのことや、葬儀の時にいっしょに泣いてくださった、たくさんの若い人たちのことを思い出したり、また、悲しみに打ちひしがれていた長女が、たくさんの友人たちの支えによって立ち直っていくのを見たりしている内にだんだん心が癒され、そのみ言葉を受け止めることができるようになってきました。「アーメン」といえるようになってきました。

 今回の大震災で、身近な人を亡くされ、そして、そのことを受け容れることができずに悲しんでおられる方がたくさんたくさんおられます。が、一日も早く、その人たちの心が癒され、そして、『神のなされることは皆その時にかなって美しい』といえる日が来きますようにと祈らずにはいられません。



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パラダイムシフト

2011-06-01 16:22:49 | 教会
いつも童話を掲載すると、ぐっと訪問者数が減っていました。童話が苦手な方が多いのだろうと思って、しばらく童話掲載を控えていました。

「色をなくしたインコ」は申し訳ないと思いつつ連載しました。ところが、訪問者数はいつもと変わりなかったので嬉しかったです。


礼拝ではシリーズでパウロ伝のメッセージが語られています。
先日は使徒の働き8:1-4、9:1-9の聖書箇所からのメッセージでした。一部を紹介させていただきます。


イエス・キリストの復活の事実が伝えられると、多くのユダヤ人がキリストを信じました。
イエス・キリストが律法の完成者としてのメシヤであること、礼拝はエルサレム神殿だけでなく、世界中のどこからでも、だれもが礼拝できることが伝えられると、律法を忠実に守ってきた人たちは恐怖を感じました。今まで守ってきたことが台無しになると思ったのです。

ステパノはイエスが律法の完成者としてのメシヤであることをはっきりと宣言したので、石打ちの刑で殺されてしまいました。
青年サウロ(救われる前のパウロの名)は、ステパノが石打ちの刑にされるとき、石を投げる者の上着の番をしていました。
サウロはユダヤ教に人一倍熱心でした。

ステパノの殉教の後、クリスチャン迫害は激しくなりました。
律法を忠実に守っていたサウロにとって、クリスチャンが増えてくることは恐怖でした。
サウロはクリスチャンを根絶やしにしてやろうと意気揚々と出かけました。

ところが、ダマスコに向かっているとき、突然天から光がさし、サウロは地に倒れ視力を失ってしまいます。そんなサウロに「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」とイエス・キリストの声が聞こえます。

迫害を受けているのはイエスの弟子なのに「なぜわたしの弟子を迫害するのか」と言わずに「なぜわたしを迫害するのか」と言います。
「主よ。あなたはどなたですか」サウロが尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と声が聞こえました。

使徒9:9には「彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった」と書かれています。
それまでは自信に満ち溢れていたサウロでした。ところが、自分の無力を知らされて大きなショックを受けました。

3日間、サウロは祈って、葛藤し、悩んでいたのではないかと牧師先生が言われました。
サウロは復活のイエスに出会ったのですから、十字架のイエスこそ主であると悟りました。イエスの身代わりの死が有効だからこそ、イエスが復活したのです。
サウロは今までの自分が間違っていたことに気づき、根底から価値観が変化しました。パラダイムシフトが起こったのです。


わたしにもパラダイムシフトの経験があります。自分が正しいと思い込んでいたのですが、あるとき三浦綾子さんの本を読んで罪が示され、自分が間違っていたと気づいたのです。そのとき、すごい衝撃を受けました。そして、このままではいけない。どうしても教会へ行かなければならないと思って教会へ足を向けたのです。


先日3回に分けて連載した童話「色をなくしたインコ」も主人公のヨエルに起こったパラダイムシフトを書いています。
美しい自分の羽根の色を誇りに思い、他の鳥達を見下げていたヨエルです。色を失ったとき、それまでの自信が崩れてしまいました。

自分の無力さを感じるとき、イエス様にいちばん近いところにいるのかもしれません。




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