生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

グリーン・ジョイフル(その1)

2009-05-29 11:54:59 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

先日茨城県潮来で日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の研修会が行われました。研修会の名前は緑の季節にちなんでグリーン・ジョイフルです。

JCPは創立57年になります。初代理事長は赤毛のアンを翻訳された村岡花子さんです。
わたしが入会したのは50周年のときですから、20年、30年学んでこられた方々に比べるとヒヨコのようなものです。
前理事長の満江 巌(みつえ いわお)先生にお目にかかったことがありませんが、満江先生に教えられたことをH姉が紹介してくださいました。


あかしの文章を書くためには、聖書を熟読し、聖書の人物に注目することが必要です。文章作法を学ぶことより、まず信仰が大事で、まさに「文は信なり」です。

一字一句に祈りをこめ、全力で集中して書くことが大切です。そして、多くの信仰者の文章を読むこと。忍耐してたゆまず書いてほしいです。


文章上達法では、M姉がレクチャーしてくださいました。

道具である『言葉』を手入れし、点検し、みがくこと。書いた後で、間違った意味で使ってないか点検することも必要。

書く前と書いた後の始末が大切。
書く前に設計図を描く。文章のプラン、構成を考える。
家にたとえると、土台(テーマ)を作り、間取り、枠組みを考える。部屋数は話題数。
一軒の家を4つに分け起承転結にしたり、3つに分けて序論、本論、結論にするなど。

設計図がないと思いつきで書いてしまう。頭に浮かんだものをどんどん書いていくとひとりよがりの文章になる。読み返すと綻びがみえてくる。
書いた後は読んで下さる方への配慮として後始末をする。

推敲作業
自分の書いたものを少し離れてながめる。段落は整っているか。(1段落は3-5行にする。)一字下げしているか。漢字が多くて紙面が黒くなっていないか、風のとおる空間があるか、雑草(不要な文、言葉)が処理されているか・・・など。


わたしは、かつてM姉がどんどん書けるときはストップして、別のことをしてからまた書くと言っておられたのを聞いて「何故かなあ?」と思っていました。

すらすら書けるときなど、めったにないことです。そんなチャンスをのがしてなるものかと思っていました。そして、そういうときは3時間ぐらい(それ以上は集中力が続きません)続けて書いていました。


『頭に浮かんだものをどんどん書いていくとひとりよがりの文章になる。』
と聞いて「なるほど」とうなずきました。
確かに次々書けているときは楽しく、自分では素晴らしい文章を書いていると思いあがっていますが・・・後で読み返すと問題があることが多かったのです。

逆にふさわしい言葉や文章が出てこなくて、書いては消し、消しては書いている箇所は、最終的にはよい文章になっていることがあります。

「うーん……」
文章とは苦しみながら生み出していくものなのですね。

「推敲しているときが一番楽しい時でしょう」と児童文学の仲間から言われたことがありますが、確かにそうだと思いました。

生み出すときは出産時のように苦しみで、推敲しているときは子育ての時のような楽しみがあり、完成して人手に渡ったら子ども(作品)が親(作者)の意志を越えて独り歩きしていくのです。

親の思いをこめて育て上げた子どもの中にキリストが形作られていますように。そして、読者がそれに気づいてくださいますように祈りつつ…今日も書いていきます。

               つづく
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JCP研修会

2009-05-27 21:19:23 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

25日26日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の一泊研修会で潮来に行ってきました。

潮来市は、わたしが住む土浦市と同じ茨城県ですが、霞ヶ浦の向こう岸です。車なら1時間ぐらいで行けるのですが、電車だと千葉県を通って行くので2時間半もかかってしまいます。しかも、鹿島線は一時間に1本なので乗り遅れると大変です。

 我孫子から成田線に乗るのは、主人の実家に行くときと同じなので慣れています。鹿島線は初めて乗りました。車中からは、のどかな田園風景を眺めることができました。

 潮来では、ちょうどあやめ祭りが開催されていました。




集合時間よりずいぶん早く着いてしまったので、前川あやめ園で菖蒲や睡蓮の花を眺めながらゆっくりとホテルに向かいました


 
研修会は密度の濃いものでした。開会礼拝から始まって、文章作法についての話を聞きました。(わたしも10分間話をさせていただきました)

 文章上達法を学び、それぞれが「私と聖書の人物」というテーマで書いてきたあかし文章をグループに分かれて合評しました。

 声楽家のT姉に歌唱指導をしていただいて、心から喜びをもって賛美し、JCPの仲間と語らい、すばらしい2日間でした。

帰りは高速バスで東京まで出て、上野から常磐線で帰ってきました。

内容は、次回紹介させていただきます。
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そしてわたしについて来なさい

2009-05-24 17:18:48 | 教会

昨日は教会で結婚式がありました。
新婦の母教会の牧師をされていたK先生ご夫妻も出席されると聞いて娘と一緒に喜んで出かけて行きました。K先生はわたしが土浦に来る前に通っていた、かつての久喜教会の牧師で親子共ども大変お世話になった先生です。

K先生の奥さまは、お風邪のため来られなかったことが残念でしたが、K先生と久し振りにお目にかかることができて嬉しく思いました。K先生は久喜にいたときは3歳だった娘が22歳になっているので驚いておられました。

そして、今日はK先生がメッセージをして下さいました。


聖書箇所はマルコ8:31-38です。
イエス様は弟子たちに
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マルコ8:34)」と言われました。

『自分の十字架を負う』とは、自分自身の楽しみを脇に置いておく(put aside)ことだそうです。
「自分の中にイエス様以外に第一とするものを持っていてはいけない。」と聞いてドキッとしました。

わたしは、童話や小説を書いているときが、最も幸せを感じる時間なのです。この創作活動がイエス様より優先的なことになっていないだろうか?と考えました。

わたしは、自由な時間が与えられた日は、まず最初に聖書の学びをすることにしています。OBI通信の学びですが、2時間もかかることがあり、その後でCS準備や手紙書きなどしていると、創作の時間が全くなくなってしまうこともしばしばです。でも、これでいいのだと思いました。

「神様を第一にすると用いられていく」とK先生が言われました。そのことを信じます。


十字架を背負うというのは、困難なことが起きてもそれを受け入れていくという意味ではなく、自分の意志で困難なことを選びっとっていくことなのだそうです。
エリザベスサンダースホームを設立した澤田美喜さんの話を聞きました。
終戦後、澤田さんがご主人の郷里の鳥取に向かう車中での出来事です。澤田さんの膝の上に網棚から荷物が落ちてきました。荷物をひも解くと、赤ん坊の死体が入っていたそうです。それを見たとき、『死んでいく子の母親になってやれないか』という声が聞こえ、なすべき使命として混血孤児のための養育施設を設立したのです。

自分の意志で困難なことを選びとっていく。これが十字架を担うということです。

「そしてわたしについてきなさい。」
とイエス様が言われました。

ペテロはイエス様から十字架のことを聞いたとき、イエス様の前に立ちふさがってイエス様をいさめました。そのときペテロは「下がれ。サタン。」としかられてしまいました。
でも、後にペテロはイエス様が十字架にかかって下さったことの本当の意味を知るのです。

ペテロの書いた手紙に次のような文章があります。
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえにあなたがたは、いやされたのです。(Ⅰペテロ2:24)」

あなたがたの罪をではなく、『私たちの罪を』と書いているのは、イエス様が十字架にかかったのは、自らの罪のためであったとペテロが気づいたからです。


十字架は私たちが罪を離れ、義に生きるためだということを改めて教えていただき、深く感謝しました。何を選び取るのか、祈って主に求めていきたいです。



いよいよ明日からクリスチャン・ペンクラブの一泊研修会が始まります。しおりや名札の用意も出来ました。「私の文章作法」についての発表文も書けました。

一昨日から風邪をひき、のどが痛かったのですが、ほとんどよくなってきていることを感謝します。明日からの2日間が守られるように祈りつつ……行ってきます。
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にもかかわらず・・・

2009-05-22 22:33:00 | 教会

20日から教会でクリスチャン成長のための学び、「めぐみの階段」が始まりました。弟子訓練のようなものです。

毎週水曜の午前中に行われ、8週間が1ブロックで1年間続きます。休まないことが原則で、毎週宿題のレポートがあります。

受講しなくても日々やることが多くて大変なのに、OBIの勉強と並行してできるのだろうか・・・と少し迷ったのですが、申し込みました。

受講者はちょうど10名でした。講師は主任牧師です。内容は難しくはなく、分かち合いがあるので喜びです。宿題のレポートはじっくり取り組まないとできませんでした。内容については他言禁止なので、ブログでも紹介しません。

とにかく計画的に時間を使わないと、創作の時間がなくなってしまいます。なんとか時間をやりくりしていきたいと思います。


前回書いたキル・ヒョンジュ先生のメッセージで、神の愛とはどのようなものか教えていただいたので、書き記します。

1)すべてを与えて下さった愛

「神は、実に、そのひとり子をおあたえになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)」


2)にもかかわらずの愛(条件付きではない愛)
「しかしわたしたちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)」

3)終わりなき愛
「世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残ることなく示された。(ヨハネ13:1)」
いちど愛したものを最後まで責任をもって愛して下さる。

4)なにをも妨げることができない愛
  困難な時こそ神の愛が見えてくる。



神様の愛は何と大きく、何と深いのでしょう。とくに『にもかかわらずの愛』に感動しました。神様に反抗し、従わなかったにもかかわらず、わたしのことを愛して下さった神様に心から感謝します。
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キリストの愛に取り囲まれて

2009-05-19 17:10:51 | 教会

一昨日の日曜日は韓国大方(デバン)教会のキル・ヒョンジュ先生が「人生の原動力」という題でメッセージをしてくださいました。
メッセージの一部の紹介と、感じたことを書かせていただきます。


「この世のすべての人は何かに駆り立てられて生きています」

・物質をもとめて生きる人々・・・物質は一時的な幸せを与えますが、人間の価値は所有の多少とは関係がありません。
・人からの賞賛を求めて生きる人々・・・他人が自分をどう見ているか気にして不安を感じています。
・楽しみに駆り立てられて生きる人々・・・日の下には何一つ新しいことがないと気づき、空しさを感じます。
・恨みに駆り立てられて生きる人々・・・つらい過去を思い出し、反復します。怒りを抱き、他人や自分を痛めつけます。
・恐れに駆り立てられて生きている人々・・・景気悪化でくびにならないか恐れる人たち。豚インフルエンザを恐れる人たち。恐れは、わたしたち自身を葬る道具です。
・罪意識に駆り立てられて生きる人々

「今は、キリスト・イエスにあるものが罪に定められることは決してありません。(ローマ8:1)」
神様のいのちの御霊により、罪から解放されたことを思って生きるべきです。

キリスト者は天の喜びを追求しながら生きていますが、多くの人が間違った思いで生きています。

パウロは「キリストの愛がわたしたちを取り囲んでいるからです(Ⅱコリント5:14)」と書いています。パウロの人生の原動力はキリストの愛です。

『キリストが時にかなって、わたしをわしづかみにして導いてくださっている。』というパウロ。パウロが様々な迫害、病、困難、苦しみにあっても人生を放棄せず、信仰を持って生き続けることができたのは、キリストの愛が原動力だったからです。


わたしはときとして罪意識に駆り立てられたり、恐れに駆り立てられたりすることがあります。でも、イエス様がわたしのためにしてくださったことを思うとき、はっとして立ち返るのです。

先日、喘息の持病を持つ人が豚インフルエンザにかかると危険だと聞いて恐怖を感じていたとき、ダニエル書を読んでいました。


「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。(ダニエル10:19)」
の一節を読んで涙があふれました。神さまは、なんと時にかなったみ言葉を与えてくださるのでしょう。

『神に愛されている人』とは自分のことだと感じました。キリストの愛がわたしを取り囲んでいるではありませんか!
その感動を、その喜びを原動力にして書き続けていきたいです。



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証しとは

2009-05-16 10:24:40 | 教会

証(あか)しというと、クリスチャンでない方は何だろう? と思われることでしょう。神様からいただいた恵みを人に伝えることを証しといいます。

証しは大きく分けて2つあります。ひとつは、なぜキリストを信じたかという救いの証し。もうひとつは、日常生活の中で神様を信じているからこそ体験する感動の証しです。


この間の礼拝では証しをすることの勧めがありました。わたしの教会では、救いの証しは洗礼を受ける時に文章に書き、後日礼拝の中で皆の前で読みますので、洗礼を受けた人は、皆救いの証しをしています。

日常生活の中での証しは、いつでもどこでもできます。周囲の人にキリストを伝える絶好の機会になりますが、心が神様の方に向いていないとできません。

そのような証しができるようになるには、聖書を真剣に読み、聖書の言葉を心に蓄えることだと牧師先生が言われました。

そして、聖書を読む時に次の5つの点について考えながら読むように教えていただきました。


1)神について何か教えているか。
2)イエス・キリストについて何か教えているか。
3)教会について何か教えているか。
4)わたしの人生の中で見習うべきよいモデルはないだろうか。
5)見習ってはいけない悪い例があるだろうか。

聖書のどの箇所であっても、この5つのことを念頭において読めば教えられることがあるそうです。

日常生活の小さな出来事の中で聖書に書いてあることを適用して感動し、それを文章に書いたり、語れるようになりたいなあと思いました。
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遅い成長だけど……

2009-05-15 12:48:23 | 日記

一昨日は児童文学者協会茨城支部の例会に出かけました。今回は合評作品として提出していた人が、わたしひとりだったので2時間近くもかけてじっくりと9人の方の意見を聞かせていただきました。
去年の合宿で講評していただいた作品を4か月かけて書き直したファンタジー小説です。説明的なところが何か所もあったので、それを臨在感のあるものとして書き直すように   
言われていました。

また、娘にも読んでもらい、53か所の書き直す箇所を指摘されました。元の作品より40枚ほど長くなって原稿用紙240枚になりました。9人の方には印刷してあらかじめ送っていたのですが、読む方も大変だったと思います。
ざっと読むだけで2時間ぐらいかかるのに、じっくり読んでくださってアドバイスしていただき、感謝でした。

この会では、ほとんど褒められることはないのですが、「努力賞をあげます」と言われました。別の方からは、「一壁越えましたね。それは、常に作品を再構築する努力があったからでしょう。また、筆力も冴え出したと感じます」と書いていただいて、ちょっとびっくりしました。いつ壁を越えたのでしょう?

でも、ところどころ問題があり、その問題については、わたし自身もうすうす気づいていたことだったので、全体的に書き直さなければならなくなりました。
少し時間をおいて、また書き直しに挑戦します。完成は何年先になるかわかりませんが……。

娘に合評で言われたことを伝えると、「9人もの人からとっても大切なこと、適切なこと言ってもらって、お母さん幸せね」と言われました。その通りです。

「それにしても、今までだっていくつもの作品をずっと合評してもらってたんでしょう?それなのにちっとも成長していなかったのは何故? 10年間、何やってたの?」
と鋭いことを言われ、しばらく答えられませんでした。

ホントにわたしは何をやっていたんでしょう……。 
「それでも、10年間成長しなかった人が、50歳過ぎて少し成長したのだから、たいしたもんでしょう?」と言うと、
「聞こえてなかった耳が少し聞こえるようになったのね。これだけみなさんが合評してくれたんだから、ちゃんと書き直しなさいよ」
と言われました。どちらが母親だかわからない母娘の会話です。


でも、わたしは思うのです。何の成長もないように思われた10年でしたが、その日々があったからこそ、ここまで来ることができたのだと。そして、年だからもう遅いなどということはなく、死ぬまで成長し続けられるということ。

肉体は日々衰えていきますが、心が新しくされているので、あきらめてはいけないということです。


聖書の言葉
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(Ⅱコリント 4:16)
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感謝の日々

2009-05-12 21:27:15 | 日記

上の写真は先日の母の日に嫁からプレゼントされた花束です。
日曜日の夕方、わざわざ届けに来てくれました。

石鹸セットもプレゼントされて嬉しくてたまりません。主人と娘に「わたし専用だから、使わないでね」と釘を刺し、ひとりで香りを楽しんでいます。


今日は2人の友人と出かけました。車で筑波山のふもとまで連れて行っていただきました。土浦の中心街から少し離れると、田園風景が広がっています。少し曇っていたので、山はけむっていましたが、新緑が目に沁みるようでした。
囲炉裏のある築100年の民家を改造して作られたレストランで食事をしました。


桜川上流の土手にヤギを飼っている場所がありました。土手にすわってピクニック気分でおしゃべりしました。


「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。(詩篇 133:1)」
のみことばを思いながら……。


先月のように体調が悪かったら、出かけることすらできなかったでしょう。このような時が与えられたことを心から主に感謝しました。


日本クリスチャンペンクラブ(JCP)のHP更新しました。ブックマークにあります。ぜひご覧ください。

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GWの恵み

2009-05-09 11:09:04 | 日記

ゴールデンウイークは充実した日々を過ごしました。前半と後半2回息子一家が泊まりに来て、中間の5/2には主人の実家へ行ってきました。

最近のヒックンは「これは?」と、物の名前を尋ねるのが口癖になっています。次々「これは? これは? これは?」と尋ねられ、答えが間に合いません。そのうち「どうして?」と尋ねるようになるでしょう。

29日と4日はパパとママが出かけたので半日預かりました。近くに公園がないので主人と3人で桜川の河川敷に行きました。我が家から歩いて6.7分ですが、石を拾ったり、あちこち寄り道しながら行くので30分ぐらいかかります。途中で必ず「抱っこ」と言います。

わたしが立って抱き上げることができないのを知っているのか、わたしには決して言わず、主人に言います。抱かれるとにっこりして「お兄ちゃん、ガンバレ」と声をかけています。
ヒックンは『おじいちゃん』と言っているつもりらしいのですが、『お兄ちゃん』になってしまうのです。

「若返って嬉しいでしょう」とわたしが言うと「よその人に聞かれたら、そう言わせているみたいで恥ずかしいよ」と主人は困ったような顔をしています。


桜川河川敷でボール遊びをしました。
タンポポの綿毛をふうっと吹こうとしたのですがなかなかうまくいきません。

お散歩をすると昼寝もすんなりしてくれます。音楽をかけながらわたしと一緒に横になり、「ネンネンコロ」といいながら抱きついてきて1分もしないうちに眠ってしまいました。


5/5子供の日は、主人とパパ、ママ、ヒックンの4人で霞ヶ浦ふれあいランドに行ってきました。霞ヶ浦ふれあいランドは、水をテーマにした科学テーマパークです。道路はすいていたのですが、ふれあいランドは大勢の家族連れで賑わっていました。高さ60mの虹の塔の展望台にのぼりました。霞ヶ浦が一望のもとに見えました。

上の写真は、虹の塔から霞ヶ浦大橋を写したものです。
ヒックンに「見てごらん」と言うと、景色を見ずに窓に張り付いている虫をみて、「虫、こわーい」と言いました。

虹の塔を降りてお弁当を食べようとすると雨が降ってきました。予報では雨は3時から降るはずだったのに…。
屋根のあるところを探して急いで食べ、テーマパークの建物へ入りました。

さまざまな実験装置やコンピューターでの潜水艦シュミレーションなどありましたが、ベビーコーナーを見つけるとヒックンはそこに入って行き、滑り台やおもちゃで遊んで大喜びです。どこにでもある場所なので、もっと別な物を見せようとしたのですが、2歳児には少し早かったようです。着ぐるみのトラさんが来て、最初は怖がっていたのですが、風船をもらって大喜び。わざわざ戻って行ってトラさんに握手をしてもらっていました。

ヒックンを見ていると、小さいころの息子と重なります。子育ての大変なところは省略され、楽しい部分だけを再体験させてもらっているようで大きな喜びとなっています。


このゴールデンウークにもうひとつ嬉しかったことがあります。娘が教会の青年会の2泊3日のキャンプに参加したことでした。
娘が高校生までは松原湖や教会のお泊り会に参加していましたが、高校卒業してからは、青年会の集まりにほとんど参加していませんでした。今回は友人の熱心なさそいもあって、参加すると言ったので、大喜びで送り出しました。
県内の数教会の青年たち、合わせて70名もの参加があったと聞いて驚きました。キャンプの講師は『親分はイエス様』の鈴木啓之先生でした。イエス様の愛を熱く語って下さったことでしょう。
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シロヤマブキ(あと書き)

2009-05-07 13:07:15 | 童話
一昔前までは犯罪といえば必ず動機がありました。怨恨によるものが多かったので、被害者の人間関係を調べれば犯人が浮かび上がってきたことでしょう。

でも、最近の犯罪は動機が不確かです。土浦市殺傷事件の犯人は「自殺したいけれどできないから、誰かを殺して死刑になればいいと思った」言いました。つまり、殺す相手は「誰でもよかった」のです。秋葉原の事件と類似しています。
不可解としか思えないような事件が起きるのは何故なのでしょうか……。

犯人は、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と言って自らの罪を認めることさえしていないようです。


人の命は神様から与えられたもので、何よりも尊いものであること。自分の力で生きているのではなく、生きることをゆるされているから今、生かされているのだということ。生かされているのには、意味があり、ひとりひとり使命があるということ。
どんなに生きたいと望んでも明日まで生きられない命があるということ。

これらのことを犯人に伝えたいです。


シロヤマブキの主人公は被害者の家族です。ひとつの悲惨な事件が家庭を崩壊させる例はめずらしくありません。浩一が生きる気力をなくした理由は理解いただけると思います。
なぜ浩一はナイフを持って出かけ、人を刺そうとしたのでしょうか。

息子が高校生の時、友人から借りてきたと言って、敵を刺していくテレビゲームをしているのを見ました。刺すと血が噴き出し血みどろになってバッタリ倒れます。あまりにもリアルなのでぞっとしました。「こんな残酷なゲーム、すぐにやめなさい!」としかると、「お母さん、ゾンビを刺しているんだよ。人間じゃないよ」と息子が言い、小学生の娘も喜んで画面をみていました。ゾンビといっても人間の姿をしているのです。

あまりにも気持ち悪くて、やめさせました。2度とそのゲームをしないことを息子に誓わせました。
刺し殺すということをゲームの中で何時間もしていると、現実にも刺したくなってしまうことはあり得ると思います。なぜそのようなゲームが作られるのか、なぜ子どもたちが簡単に手に入れられるのか? 大きな問題です。


この物語のもうひとりの主人公ユリエについては、心理描写をしていません。犯人や被害者の家族のためにも祈れる人がいるのだろうか?と思われる方があるでしょう。

ユリエは目の前で親友を殺され、3年間もPTSDで苦しんでいます。歩けるようになったものの、一生杖をつかなければならない障がい者となりました。そのような者が犯人を赦せるのでしょうか……。ユリエは最初から赦したわけではありませんでした。最初は憎しみと闘っていました。

なぜ赦せたか……そのヒントはシロヤマブキにあります。以前ブログにも書きましたが、シロヤマブキは花びらが4枚で十字架を連想させます。

イエスキリストは、十字架の上で十字架につけた人たちに向かって祈られました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)


自分の罪をキリストに赦していただいたのだから、自分に対して罪を犯した人を赦したいと願ったとき、『犯人のために祈る』という奇跡が起こるのです。そして奇跡をみたひとりの少年が悔い改めに導かれました。

 

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子どもたちにメディアワクチンを

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シロヤマブキ(その4)

2009-05-05 17:46:14 | 童話


「あらっ、あの子、とうとう階段のぼれたわ」
母親がこれまで緊張していた顔をほころばせ、目を閉じて胸の前で手を組んだ。

「やったわね、すごい! いってみましょう」
「まだだめなの。自動券売機のところまでいけたらケイタイを鳴らすことになっていて、それまでは来ちゃダメっていわれているから……」
母親はポケットからケイタイを取り出してじっとみつめた。

浩一は、ユリエが気になって階段を一気に駆け上がった。
ユリエは、券売機の手前で四つん這いになってハアハアと苦しそうに息をしていた。

「大丈夫ですか?」
駅員が駆け寄ってきて、ユリエに声をかけた。
「だ、大丈夫です。もう少しなので……」
ユリエの顔は真っ青で、額からは汗がにじみ出ていた。

ユリエは手を組んで目を閉じている。唇が動いているので、浩一は何といっているのか知りたくてユリエに近づき、耳を傾けた。

「神様、あそこの券売機までいけるように力をください」
ユリエは、か細い声で祈っていた。
祈り終えると、ユリエは杖をとって立ち上がり、一歩一歩進んでいった。

ようやくたどり着いて、ケイタイを取り出したあと、ほっとしたのかその場に座りこんでしまった。

間もなく母親ともうひとりの女の人が駆けつけた。
「よくやったね、ユリエ」
「おめでとう、ユリエちゃん」
3人で抱き合う姿がみえた。

ユリエは手を組むと、今度は、はっきりとした力強い声で祈りはじめた。

「神様、ここまでひとりでこれたこと、ありがとうございます。つらい事件でしたが、もう2度とあのような事件が起こりませんように。犯人が悔い改めて更正できますように。そして、ヒサヨの家族を守ってください」

(ヒサヨの家族って……オレたちのこと?)
浩一は祈りの言葉を聞いて、胸をつかれた。
(神に感謝し、犯人のためにも祈っている……。なぜそんなことができるんだろう……)

何気なくポケットに手をやると、かたくて冷たいものに触れた。誰かを刺し殺そうとしていたことを思い出した。

(オレと犯人との違いは、ほとんどないじゃないか……オレが人を刺さなかったのは、あの子が祈ってくれたから……それとも、シロヤマブキが咲いていたせいかもしれない)

浩一は急いで階段を下りると、すぐ横にある交番へ駆けこんだ。机の上にナイフを置くと、しぼり出すような声でいった。

「殺人未遂です。逮捕してください」
交番の机の上に生けられているシロヤマブキが小さく揺れていた。

                おわり
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シロヤマブキ(その3)

2009-05-04 17:00:14 | 童話


背後から中年のおばさんの甲高い声が聞こえてきた。
「ユリエちゃんは?」
「ひとりで上ってみるって、きかないから……」

ユリエという名前に聞き覚えがあったので振り返ると、浩一の母親と同じ年代の女の人がふたり、おしゃべりしていた。

ひとりは緊張した面もちで階段を見上げている。階段の中ほどに杖をつきながらようやくのぼっている少女がいた。
「まあ、ユリエちゃん、ひとりでのぼっている。偉いわー」
もうひとりの女の人が大きな声でいった。女の人たちは浩一の存在を気にもとめていない様子だ。

(この二人を刺してもいいんだ)
浩一はナイフの入ったポケットに手をつっこんだ。

「ユリエちゃん、殺傷事件のあと大変だったものね……」
殺傷事件と聞いて浩一ははっとした。ヒサヨが殺された事件のことを話しているようだ。

「命はとりとめたけど、腰を刺されて歩くことは無理だっていわれていたのに……。一生懸命リハビリして、歩けるようになったのよね」
「でも、心的外傷の方が大きかったみたいで、駅にいくと恐怖で立っていられないほどになってしまうの……」
「でも、それも克服しようと毎日駅に通っているんでしょう……。ほんとに、ユリエちゃんはがんばり屋ね」

死なずに大けがをした人が何人かいたと聞いていたけど、あの少女がそのひとりのようだ。

(どうしてあの子は助かって、ヒサヨは死んでしまったんだ……)
浩一は答えの出ない疑問をみえない誰かにぶつけていた。

「がんばり屋というわけでもないのよ……」
少女の母親が階段をチラチラみながら話している。
「あのとき一緒にいた友達のヒサヨちゃんが死んじゃったでしょ。自分だけ助かって申し訳ないって思っているみたい」

思いがけずヒサヨの名が出てきて、浩一はドキッとした。ユリエという名に聞き覚えがあると思ったのは、ヒサヨがよく口にしていた友人の名だったからだ。

浩一は二人の話にじっと耳を傾けた。
「ユリエちゃんのせいじゃないのにねぇ」
「そうなんだけど、先に刺された自分が、友達を守れなかったことがつらいって……。
刺されたとき、声も出なかったようだけど、あのとき大声を上げていたら、ヒサヨちゃんは助かったかもしれないって……」

少女の母親はバッグからハンカチを取り出して、ぎゅっとにぎりしめた。
「でも、そういうときって、声なんか出せないんじゃないかな」
「あまり突然で、その瞬間は刺されたことにも気づかなかったみたい……」
少女の母親はハンカチで目をぬぐった。

「あの事件から三年……。今日は、殺された人たちの命日よね」
命日と聞いて、浩一ははっとした。(今日が三年目だったのか……)
「ヒサヨちゃんの命日には改札のところまでひとりでいくんだって、それで頑張っているのよ」

                    つづく
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シロヤマブキ(その2)

2009-05-03 16:08:47 | 童話


ユリエは杖をつき、足を引きずりながらようやくA駅の階下までたどりついた。ユリエを見守るように母親がすぐ後ろにつきそっている。
ユリエは手すりにつかまって、一段ずつゆっくりと階段をのぼる。手すりをつかんだ手が汗ばむ。背中にも冷たい汗。心臓の音がドクンドックンと聞こえ、呼吸が速くなる。全身に震えがきて階段の途中でしゃがみこむ。左手に持っていた杖がカタカタと階段を落ちていった。

あのときのことが……いきなり腰を刺されたあのときのことが思い出され、体がかたまった。ユリエは母親に抱きとめられた。
「もっと、のぼる」
ユリエが真っ青な顔でいった。唇が震えている。
「無理しないで。今日はここまでにしておこう。すごいよ、ユリエ。十段ものぼれたんだもの」
「うん……」

ユリエは素直にうなずいて母親に抱えられるようにして階段をおりた。
「もう少し上までのぼれると思っていたのに……」
階段を下りて、落ち着きを取りもどしたユリエは、泣きそうな顔で階段を見上げた。

「あせらないで、ゆっくりでいいよ。きっといつか平気になるときがくるから」
「うん。昨日までは一段しか上れなかったんだもんね」
ユリエはにこっと笑って、杖をつきながら母親と家に戻っていった。



 浩一はうつろな目つきで駅に向かっていた。久しぶりに外に出たので、日の光がまぶしくて頭がクラクラする。
ポケットには切り出しナイフが入っていた。

部屋のカーテンを閉め、起きているときはほとんどゲームをしていた。おなかがすくと台所でカップ麺を食べ、またゲームに没頭した。コントローラを持つ手にはまめができていた。

朝なのか夜なのか、いつ眠っているのかさえわからなくなった。やめたいと思うのにやめられない。

ゲームをしていないときは、妹が殺された記憶がよみがえり苦しくてたまらないからだ。そんな毎日に区切りをつけたくなった。

リセットだ。リセットするためには、人を刺すしかない。
目を閉じると敵を刺して進む自分の姿がみえる。何度もシュミレーションを繰り返す。敵をすべて刺し殺せば、新しい世界にいけるゲームの世界。浩一は、ゲームの世界と現実との境がわからなくなっていた。

(誰でもいい。誰かを刺せばこの生活にピリオドが打てる)
改札で出会った人を刺そうと、浩一は駅の階段の下に立った。

ふいに誰かにみつめられた気がして、はっと横を向いた。花壇に植えられたシロヤマブキの花がこちらをみていた。清楚なシロヤマブキをヒサヨが大好きだったことをぼんやり思い出して、しばらくそこに佇んでいた。

                 つづく
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シロヤマブキ(その1)

2009-05-01 13:28:53 | 童話

土浦市JR荒川沖駅付近の殺傷事件の初公判が行われたというニュースが流れました。

この作品は、先日JCP(日本クリスチャンペンクラブ)で合評していただいたもので、この事件をヒントにして書きました。(実話ではありません)

「駅」というテーマで小説、童話、エッセイのいずれかを書くという課題が出ていました。最初は箱舟シリーズで2作書いているので3作目をと思ったのですが、ノアの箱舟と「駅」が結びつかなかったので、書けませんでした。それで、かねてから問題意識を持っていた「誰でもよかった」といって事件を起こす若者の心理に迫りたいと思って書いたのです。もしかしたら、こちらの方が本当に書きたかったものかもしれません。

先日ブログで発表した童話「チャメとグレイ」とは、ずいぶん雰囲気が違いますが、いずれもわたしが書いた作品です。4回連載にしますので読んでいただけたら嬉しいです。

シロヤマブキ


「『誰でもよかった。人殺しをして死刑になりたかったから』とA駅殺傷事件の犯人が言いました」
ニュースから流れた言葉が、何度も何度も頭の中でこだましている。

「なぜなんだ、なぜ妹が殺されなきゃならなかったんだ!」
 浩一はにぎりこぶしで机をガンガンたたいた。指の関節から血がにじみ出ていた。
 
事件の一報が入ったのは3年前、シロヤマブキが咲きはじめたころだ。入学したばかりの中学に登校するときの出来事だった。成績優秀なヒサヨは難関な私立中学に合格し、期待に胸を膨らませて登校したのだ。駅の改札手前で事件は起きた。
もう少し早く、あるいは遅く家を出ていたら、事件に巻き込まれないですんだのに……。

ヒサヨは優しく、笑顔を絶やさない子だった。ヒサヨがいるだけで家の中が明るくなった。
兄妹喧嘩もしたけれど、いつも先にあやまるのはヒサヨだった。
ヒサヨが悪くないときでも「お兄ちゃんごめんね」と目に涙をためていってくる姿は、天使のように思えた。

ヒサヨのようにいい子がたった12歳でなぜ殺されなければならかったんだろう……。何度も何度も問いかけた。でも、答えはわからない。

事件の後、父親と母親は喧嘩ばかりするようになった。父親は私立中学をすすめた母親を責めた。ヒサヨが公立中学に入っていれば、あの時間に駅にいくことがなかったんだという。母親は父親を責めた。あの日、車で送ってくれればよかったのにと。

何をいっても取り返しのつかないことなのに、父親と母親は顔を合わせるたびに喧嘩をし、去年とうとう離婚してしまった。
あの事件さえなければ、一家4人の幸せな生活が続いていたのに……。

浩一は、父親と一緒にアパートで暮らしている。父親は毎晩お酒を飲んで遅く帰宅する。父親との会話はない。母親とは連絡すらつかない。
ヒサヨがいなくなってから、浩一はすべてが物憂く、学校へいく気もなくなった。努力して勉強し、優秀な成績をとっても、死んだら何もなくなると思うと、生きている意味がわからなくなる。

浩一は1年前から部屋に引きこもってゲームばかりしている。敵をナイフで刺しながらゴールへ到達するテレビゲームだ。

浩一はゲームの中で怒りをぶつけていた。敵はヒサヨを刺した犯人だ。いや、本当の敵は、こんなひどい出来事を起こすのをゆるした神様だ。


                      つづく


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