先日茨城県潮来で日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の研修会が行われました。研修会の名前は緑の季節にちなんでグリーン・ジョイフルです。
JCPは創立57年になります。初代理事長は赤毛のアンを翻訳された村岡花子さんです。
わたしが入会したのは50周年のときですから、20年、30年学んでこられた方々に比べるとヒヨコのようなものです。
前理事長の満江 巌(みつえ いわお)先生にお目にかかったことがありませんが、満江先生に教えられたことをH姉が紹介してくださいました。
あかしの文章を書くためには、聖書を熟読し、聖書の人物に注目することが必要です。文章作法を学ぶことより、まず信仰が大事で、まさに「文は信なり」です。
一字一句に祈りをこめ、全力で集中して書くことが大切です。そして、多くの信仰者の文章を読むこと。忍耐してたゆまず書いてほしいです。
文章上達法では、M姉がレクチャーしてくださいました。
道具である『言葉』を手入れし、点検し、みがくこと。書いた後で、間違った意味で使ってないか点検することも必要。
書く前と書いた後の始末が大切。
書く前に設計図を描く。文章のプラン、構成を考える。
家にたとえると、土台(テーマ)を作り、間取り、枠組みを考える。部屋数は話題数。
一軒の家を4つに分け起承転結にしたり、3つに分けて序論、本論、結論にするなど。
設計図がないと思いつきで書いてしまう。頭に浮かんだものをどんどん書いていくとひとりよがりの文章になる。読み返すと綻びがみえてくる。
書いた後は読んで下さる方への配慮として後始末をする。
推敲作業
自分の書いたものを少し離れてながめる。段落は整っているか。(1段落は3-5行にする。)一字下げしているか。漢字が多くて紙面が黒くなっていないか、風のとおる空間があるか、雑草(不要な文、言葉)が処理されているか・・・など。
わたしは、かつてM姉がどんどん書けるときはストップして、別のことをしてからまた書くと言っておられたのを聞いて「何故かなあ?」と思っていました。
すらすら書けるときなど、めったにないことです。そんなチャンスをのがしてなるものかと思っていました。そして、そういうときは3時間ぐらい(それ以上は集中力が続きません)続けて書いていました。
『頭に浮かんだものをどんどん書いていくとひとりよがりの文章になる。』と聞いて「なるほど」とうなずきました。
確かに次々書けているときは楽しく、自分では素晴らしい文章を書いていると思いあがっていますが・・・後で読み返すと問題があることが多かったのです。
逆にふさわしい言葉や文章が出てこなくて、書いては消し、消しては書いている箇所は、最終的にはよい文章になっていることがあります。
「うーん……」
文章とは苦しみながら生み出していくものなのですね。
「推敲しているときが一番楽しい時でしょう」と児童文学の仲間から言われたことがありますが、確かにそうだと思いました。
生み出すときは出産時のように苦しみで、推敲しているときは子育ての時のような楽しみがあり、完成して人手に渡ったら子ども(作品)が親(作者)の意志を越えて独り歩きしていくのです。
親の思いをこめて育て上げた子どもの中にキリストが形作られていますように。そして、読者がそれに気づいてくださいますように祈りつつ…今日も書いていきます。
つづく