生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

創作の原点

2012-01-30 16:45:43 | 日記
27日(金)児童文学者協会茨城支部の集まりに参加し、夕方から都内の実家に向かいました。実家に一泊して翌日は御茶ノ水の日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会へ出席しました。

無事自宅に帰った時はほっとしました。
というのは、金曜日の昼に地震があったからです。ビルの5階にいたので、けっこう揺れを感じました。合評の最中でしたが、緊急地震速報が出て一時中断しました。館内放送も流れましたが、たいしたことないとわかったのでよかったです。

またその日、地震とは関係なく、常磐線が人身事故で一時間も止まったというニュースが入りました。
東京へ行く日にこのようなことがあると、恐れます。人一倍体が弱いので、電車に閉じ込められたり、避難所で一晩過ごさなくてはならなくなったら、きっと具合が悪くなるでしょう。

でも、聖書の言葉「恐れるな、わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな、わたしがあなたの神だから。( イザヤ41:10)」を思い出し、勇気を出して出かけました。


土曜日の朝も地震がありました。「遠き国や」(聖歌397番)の「揺れ動く地に立ちて」の歌詞を思い出しました。

こんなにビクビクしていて情けない……と思いましたが、昨日、「恐れるな」という言葉が聖書に365回も書かれていることを聞いて、それなら毎日恐れてもいいのだと慰められました。

児童文学者協会の例会は、作品提出者が少なかったので、わたしの12枚ほどの童話をていねいに一時間もかけて合評していただきました。

「文香さんの作品は、いつも胸にちくっとくるものがあるね」と言われました。『ちくっと』が、皮肉という意味ではなく、自分の罪に気づいて心をさされるという意味だといいな……と思いました。

たくさんの意見が出ましたが、肝心な一行が足りなくて、余計なことを書きすぎていることに気づかされました。忌憚のない意見を聞けて大変貴重な時間でした。うーん、これから書き直さなければ……。

また、24日のブログに書いたこと、(かつて大阪児童文化の会でお世話になったKさんと35年ぶりにつながったこと)を皆に話し、感動を分かち合いました。

35年前の「ぶらんこ」に掲載されている自分の作品を読んだとき、確かに拙い文章だけど、素直だということに気づきました。20歳のころのわたしは、ひねくれていた部分もあったはずですが、今よりは素直だったのかもしれません。そして、伝えたいこともなかったかわりにこだわりがありませんでした。

今は伝えたいことがありすぎて、一つの作品にあれもこれもと盛り込むので、肝心なことが伝わらなくなっていたのでしょう。

それで、今月も終わり近くになって考えた今年の抱負を紹介します。(書くことに関することばかりですが……)以下はJCPでお話しさせていただいたことです。

①素直な気持ちになって書くこと。
②伝えたいことがたくさんあっても、短編ならその中の一つを入れるだけにとどめること。
③童話と小説はファンタジーで書くというこだわりがありましたが、それを捨てるということ。


JCPで「書くことは、特別な人に与えられた特別の業ではない。本能とも呼ばれる精神活動である」と聞いて、創作の原点を教えられました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

役目を果たすということ

2012-01-26 12:45:17 | 教会
先日の礼拝ではエレミヤ書13章1-11からのメッセージが語られました。
エレミヤは、涙の預言者といわれています。エレミヤといえば次の聖書の言葉を思い出します。

「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。(エレミヤ9:1)」

メッセージの一部を紹介させていただきます。
****************************************************

南ユダ王国のヨシア王のとき、再興が起こりました。国が復興しているときに、国が滅ぶという神様の言葉がエレミヤに下りました。

神様はエレミヤに帯を買って腰にしめるように言われます。それから帯をほどいてユーフラテス川の岩の割れ目に隠すように言われます。

ユーフラテス川はエレミヤのいる場所から640㎞も離れているそうです。東京から青森くらいの距離です。ユダの国にはヨルダン川が流れていましたが、神様はヨルダン川ではなく、わざわざ遠い外国にある川まで行くように言われます。

エレミヤはお言葉通り、ユーフラテス川の岩の割れ目に帯を隠します。何年も経ってから、神様はその帯を取り出すように言われます。

エレミヤが取り出すと、帯は腐ってボロボロになり、何の役にも立たなくなっていました。
川のほとりの岩の割れ目は、植物にとってはいい環境かもしれませんが、帯にとっては劣悪な環境です。帯は腰にしめることによって役目を果たすことができます。

自分の誇りばかりで、神様の言葉を聞こうともせず、ほかの神々を拝んでいるような民は、何の役にもたたないこの帯のようになると神様は言われました。

神につながっていなければ、役目を果たすことができないということを神様は視覚教材を用いて教えてくださいました。

神様は、わたしたちがつまずくことをご存じでわたしたちを救い、愛して下さいました。わたしたちにできることは、神様につながること、神の愛の中にとどまることです。

*******************************************************

経済的に恵まれ、発展しているときに国が滅びるとだれが考えるでしょうか……。
国が繁栄しているときに「このままでは国が滅びる」という言葉を語るのも聞くのも難しいですね。

「今の日本はユーフラテスの岩の割れ目状態の中に置かれている。だから、クリスチャンが神につながって、分を果たすことができることを忘れないように」と牧師先生が言われました。

社会の中で分を果たすとはどのようなことをすればよいのでしょうか……考えさせられました。
自分の人生の中でも、順調なときや何かを成し遂げたとき、神様のことを忘れて自分の力でそうなったと
自分を誇るようなことになったら、腐った帯のようになってしまいます。

すべてのよいことは神様から来る。賜物も神様から与えられたものとして受け止め、イエス様につながっていきたいです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

35年ぶりにつながって

2012-01-24 12:52:10 | 日記

土浦で初雪が降りました。先日、都内で雪が積もったとき、土浦では雪になりませんでした。
今日、主人は車でなく、バスで仕事に出かけました。
お天気にはなりましたが、気温が低いので道路がまだ凍っています。スリップ事故など起きないように祈っています。


わたしは中学1年の夏から24歳まで約12年間、神戸に住んでいました。
短大のとき「子ども世界」という童話雑誌に投稿した小さな作品が入選して掲載されたことがありました。それをきっかけに大阪児童文化の会へ行くようになりました。
児童文化の会の本部は埼玉県浦和にありますが、関西では大阪で例会が行われていることを知り、ひとりで出かけていきました。

千二公民館というところで行われていました。初めて訪れたとき、千里山の駅から公民館までの道がわからなくて迷いに迷った末、タクシーで行った覚えがあります。
そこでは合評会が行われていたので、わたしも何度か作品を持っていきました。厳しいことを言われた覚えはありません。きっと新人で若かったから、やさしくしてくださったのでしょう。

リーダーのKさんにとてもよくしていただいたことを覚えています。文章の書き方のイロハすらわかっていなかったわたしを指導して下さり、作品を同人誌「ぶらんこ」に載せていただきました。(「ぶらんこ」7号~10号にわたしの作品が掲載されています。当時の「ぶらんこ」が手元にあることが不思議です。)


今から考えると、貴重でとても有意義な時間でした。大阪児童文化の会がわたしの創作の原点になるのだなあと思います。

卒業して幼稚園に勤めたのは、子どもたちと触れ合うことで活き活きとした作品が書けるようになりたいという動機からでした。
ところが、幼稚園に勤めてからはだんだん会から足が遠のいていきました。あまりにも忙しすぎて、童話が書けなかったのです。そして休日は疲れ果て、神戸から大阪に行く気力さえなくなってしまいました。
何の挨拶もせずにやめてしまい、その3年後、連絡もせずに関東に引っ越したのでした。

それからしばらく童話を書くことをやめてしまいました。やめたというより、書けなかったのですが……。

再び童話を書き始めたのは、10年以上たってからでした。そのときは、クリスチャンになっていましたから、子どもたちに神様の愛を伝えたいと思い、ひたすら書いていました。
その後20年近くも書いていますが、当時の「ぶらんこ」に載せていただいた作品を見ると、あまり成長していないような気がします。

私の作品を初めて掲載させていただいた「ぶらんこ」は7号。そして、今は47号が出ており、わたしがやめてからもずっと続けて発行されていたことに感動を覚えます。

先日、Kさんと35年ぶりに連絡を取ることができました。どうして連絡が取れたかというと、去年の暮れにわたしのホームページをみた元大阪児童文化の会の会員、Tさんからメールが届きました。

「児童文化の会」で検索して、わたしのブログがヒットしたのだそうです。『同じころに会にいた人のようだけど、誰なんだろう?』 と思われたそうで、メールを下さいました。

わたしが旧姓を名乗ると、早速Kさんに伝えてくださいました。
Kさんはわたしのことを覚えていて下さいました。TさんがKさんの住所を教えて下さったので、わたしは手紙を書いて「リピート・シンドローム」をお送りしました。すると、昨日、Kさんからお手紙と新しい「ぶらんこ」が送られてきました。

Kさんは、わたしが児童文学者協会に入ってずっと書き続けていることをたいそう喜んで下さいました。「関西に来られたらぜひ知らせて下さい。家に泊まって下さい」と書かれていたのでびっくりしました。35年も音信不通だった人にそのように言ってくださるなんて・・・懐の大きい方だなあと思いました。

35年前のわたしは、とても無口で自分を語ることができませんでした。児童文化の例会でも、ほとんど発言をしなかったと思います。短い期間しか在籍しなかったので、わたしのことはとっくに忘れられていると思っていました。ところが、覚えていて下さり、なつかしんでくださったことを知って、感激しました。

神さまは、すばらしい人と出会いを備えていて下さり、35年の時を経てまたつながるようにして下さったのですね。つなげて下さったTさんにも感謝します。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

心の病の癒しについて

2012-01-20 15:18:44 | その他
今年は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)60周年を迎えます。秋に行われる記念会の準備委員として奉仕させていただいています。

思えば初めてJCPの集いに出かけたのは50周年記念会のときでした。あれからちょうど10年。そのとき、テキパキ動いている委員の人たちが輝いて見えたのを覚えています。いつかわたしもここで奉仕できたらいいのに……と、思いました。

何年かたち、JCPの実行委員のひとりに加えていただきました。奉仕できることを感謝しています。
今、60周年でJCPから出版する本の編集作業をしています。

今週はそれに加えてCSメッセージ準備、分級準備、教会の小グループ読書会の発表準備、OBIのレポート作成。ネット読書会の課題本(ドストエフスキー『白痴』)を読むこと。やることが山積みです。


先日の水曜礼拝では、境界例(境界性人格障害)が癒された方のあかしを聞きました。
子どものころ受けた心の傷に蓋をして、自分でも気づかずにいたそうですが、あるとき一気に噴き出してきたそうです。

それまでは、自分の弱さを人に見せないようにしてきたけれど、鬱状態になってダウンしてしまったとき、自分の弱さと向き合うことになったと言われました。
12ステップで心の内を話し、人に聞いてもらうことで心が解放され、キリストからの応答を受けて癒されたそうです。

「魂の深いところにある本当の自分の姿を見つめたとき、顔をそむけたくなるけれど、そこにおられるイエス様が傷に触れて下さる」とOBIで教えていただきましたが、そのことなんだなあ……と思いました。


心病む者とそうでない者の区別はどこにあるのでしょう……。健全な魂と言われたとしても、完全な人間はいないので、100%健康な心を持っている人はいないのではないでしょうか。
わたしも境界例かもしれません。確かに心が病んでいる部分がありました。いや、今でもあることに気づいています。

心に傷があってもイエス様を信じたときに自動的に癒されると、かつては思っていました。でも、そうではありません。イエス様を信じていても、心病む人は多いのです。

ただ、イエス様を信じ傷をみつめたとき、癒しが始まるのだと思います。でも、傷に蓋をしてしまっている場合、そしてそのことに自分で気づかないときは難しいですね。
深い心の傷は、簡単には治りません。時間がかかります。でも、必ず治ります。

15年前の自分の心を思い出してみると、確かに病んでいました。他人から欠点や過ちを指摘されると、全人格を否定されたように思って異常なほど傷ついていました。それは、劣等感から解放されていなくて、自分が人間的に欠けた者だと思っていたからです。

また、母親から嫌われることへの恐怖を幼いころから抱いていて、それがずうっと続いていました。結婚して何年たっていても母親に叱られる夢をよく見ていました。

10年ぐらい前までは、体が弱いことが受け入れられなくて、悲しんでいました。
感情が不安定で、ときどきわけもなく虚しくなったりしました。

でも、今は、劣等感からも、母親の恐怖からも解放され、病も弱さも受け入れられて平安が与えられています。

カウンセリングを受けたわけでもないのに、どのようにしてそうなったのでしょう……。いつ、どこで、どのようにして、なぜ癒されたのか……思い巡らしていますが、はっきりわかりません。誰に癒されたかだけはわかっています。それは、イエス・キリストです。


思うことがあって、フェイスブック退会しました。(ちゃんと退会できているかわからないのですが……)
しなければならないことが多くて、フェイスブックを見る時間がないというのが主な理由です。友人になって下さった方、ありがとうございました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

心の傷がいやされるために

2012-01-17 16:22:20 | 日記
阪神大震災から17年がたちました。
東日本大震災の後なので、今年は特別な思いを抱く方が多いのではないでしょうか。

テレビでは震災で家族を亡くした方の心のケア―について特集が組まれていました。

あのとき、すぐ助けに行っていたら死なせなくて済んだのに……と自分責め、後悔の念にさいなまれる方。深い心の傷を抱えて苦しんでいる方。

「仕方なかったんだよ。あなたが悪いのではないよ」と言われても、自分が許せなくて苦しみ続ける方。
それは、時間が経てば解決するという問題では決してありません。

どうしたらこの傷が癒されるのでしょう……。同じような苦しみにあった人と話すことも癒しのプロセスの中で必要でしょう。

自分の罪にさいなまれる方には「どんな罪を犯しても赦して下さるお方がいる」と伝えたいです。
また、自分のことが許せず、受け入れられない人には、「そのように弱いあなたの全存在を受け入れて下さっているお方がいる」と伝えたいです。

心の深い傷を覆い隠すのではなく、見つめることによって、癒し主であるイエス様がその傷に触れて下さって、癒して下さいます。

どうか傷ついた方々がイエス様と出会い、癒しを体験することができますように。

聖書の言葉

「わたしは主。あなたをいやす者である。(出エジプト15:16)」


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

心に余裕がなくならないように

2012-01-13 22:16:40 | 聖書から
昨日は我が家での家庭集会でした。6人の方が来て下さいました。
今回は十字架上の二人の犯罪人について学びました。


イエス様が十字架につけられたとき、イエス様の左右に同じように十字架につけられた犯罪人がいました。
このふたりは、十字架刑に処せられるほどですから、ローマ帝国に対してよほど悪いことをした極悪人だったようです。

十字架にかけられた犯罪人の一人はイエスに悪口を言い、
「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言いました。
自分が最後に近づいているなかで、同じ苦しみの中にある人に悪口を言い続ける人についてどう思いますか?と質問がありました。


あまりにもひどい苦しみを受けると、誰かを攻撃したくなり、この人は隣にいたイエス様を攻撃したのだと思います。

この人は自分のしたことの罪の大きさがわかっていなかったのかもしれません。だから、この苦しみは理不尽な苦しみだと思って怒りが湧いてきたのでしょう。

かつてわたしも苦しいことがあると、どうしてこんな目にあわなくてはならないの?と怒りを抱いていました。人間の本来の姿のように思います。


一方、もうひとりの犯罪人は(最初は一緒に悪口を言っていたのですが)彼をたしなめます。
「われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪い事は何もしなかったのだ。(ルカ23:41)」と言います。

どうしてこの人はこのように心が変化したのでしょう……。

イエス様が十字架にかかっている様子を見てイエス様が本当に神の子であるとわかったのだと思います。


十字架につけた人たちに対して、イエス様は十字架上で言われました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

このようなことを言える人がいるでしょうか。もう一人の犯罪人は、この言葉を聞いて心動かされたのだと思います。


ののしり続けた犯罪人は、自分のことしか頭になく、命を助けてほしいとばかり考えていました。イエス様の言動を心に留める余裕がなかったのでしょう。でも、この犯罪人は、心に余裕があって、イエス様を見つめていました。だから、イエス様が神の子だとわかり、

「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出して下さい。」
と言いました。イエス様は即答えます。
「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」



この犯罪人は、肉体的にはひどく苦しかったことでしょうが、心は喜び踊ったのではないでしょうか。
どんなに大きな罪を犯した人でも、イエス様を信じるだけでその罪すべてが赦され、天国へいくことができるのです。
そのためにイエス様は十字架にかかって下さったのですから。

自分のことばかりにとらわれて、心に余裕がなくならないように祈りました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

弱さを自覚するとき

2012-01-10 20:11:39 | 教会
一昨日の礼拝では先週に引き続き年間聖句「神の力は私の弱さの中に完全に現れる。私が弱い時こそ私は強いのです。(Ⅱコリント12:9-10より)」について語られました。
一部を紹介させていただきます。


**********************************************************************
リビングバイブルでは、Ⅱコリント12:10の箇所は「無力であればあるほど、それだけしっかりと、キリスト様によりすがるようになるからです」と書かれています。

弱さというのは、健康上の弱さだけでなく、劣等感やマイノリティの弱さもあります。
クリスチャンの少ない日本では、クリスチャンだというだけで引け目を感じることがあります。
日本では宗教や信仰に対する正当な評価がされておらず、ある宗教を信じる人を揶揄したり、信じることが有害または危険だという風潮があります。

イスラム圏の人は、宗教や信仰を決して馬鹿にしません。「日本の多くの若者は信仰を持っていない」と言ったら、「信仰を持っていなくて、何のために生きるかということが、どうしてわかるの?」と質問されたそうです。
イスラムの人は、神を信じることが自分の人生に意味を見出すことと考えています。

めぐみ教会には毎週600人ほどの人が礼拝に訪れますが、土浦市の人口(30万人)を考えるとほんの一握りの人数です。多くの人はイエス様を知らず、教会のことも知りません。
わたしたちは、目の前の必要があってもそれを実現することができない弱さがあります。
でも、わたしたちの弱さが何であれ、神に信頼する心は決まっています。

「今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。力や才能を見せびらかすのではなく、喜んでキリスト様の力の生き証人となりたいのです。(リビングバイブルⅡコリント12:9)」

弱さを誇るのは、私は弱いけれどキリストは強いという証人になるためです。弱いところに神さまの力が働きます。弱い時こそ強いのです。

*********************************************************************

メッセージを聞いて弱い時こそ強いという体験をしたときのことを思い出しました
5年前、わたしのHPとブログをみたPBAのスタッフの方から連絡を受けてキリスト教番組「ライフ・ライン」に出演させていただきました。

人前に出ることが大の苦手で、人前に立つと蚊の鳴くような声でしか話せなかったわたしです。そんなわたしがTV出演なんてとても考えられないことでした。

もちろん、断ることはできました。でも、このことは神さまからきたことだから、断ってはいけないような気がしてお引き受けしました。

ライフ・ラインの撮影の直前、自分の過ちに気づかされて、ひどく気落ちしてしまいました。あまりにも気が沈んで、断れるものなら断りたいと思ったほどです。

祈っていると、自分の弱さをとことん示されました。そして、「弱くていい。そのままのあなたの気持ちを語るだけでいいのだよ」と神さまのみ声が聞こえた気がしました。

我が家にテレビカメラが入り、最初は緊張でひざが震えていましたが、途中から背中を押され、自分ではなくなったように話すことができたのです。そのとき、「弱さを誇る」という言葉が口から出てきました。

弱さを自覚するとき、神様は大いに働いて下さることを実感したときでした。



日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひごらんください。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。



体が弱いこと

2012-01-07 11:12:08 | 
弱さについてずっと考えています。
わたしは子どものころから体が弱く、そのことで長い間精神的に辛い思いをしてきました。
弱いことはマイナスとしか考えられなかったからです。

イエス様を信じてしばらくしてから、弱いことは実はマイナスではなくプラスだったと気づきました。それは価値観の転換です。今年初めて書いた詩を紹介します。
   

体が弱いこと


体が弱いことは
他の人と同じように活動できないこと
夜遅くまで仕事や勉強ができないこと
たくさん涙を流すこと
自分の無力さをとことん知ることです

だから、何かなし得たとき、自分の力ではないと思うのです

体が弱いことは
ときどきダウンしてしまうこと
計画通りにできないこと
頑張れないこと
努力だけではどうしようもないと気づくことです

でも、弱ければ弱いほど、たくさんの恵みをいただいているのです


聖書の言葉
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」(Ⅱコリント12:9)



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

弱いときこそ

2012-01-04 17:09:47 | 教会
昨夜遅く実家から帰ってきました。
義母も母も元気で、ごちそうをいただきながらおしゃべりをして、楽しいときを過ごしました。


1日は日曜礼拝でした。例年は元旦礼拝があって、数日後にその年最初の日曜礼拝があるのですが、今年は日曜礼拝が元旦にあるという特別の年です。

今年の主題聖句「神の力は私の弱さの中に完全に現れる。私が弱い時こそ私は強いのです。(Ⅱコリント12:9-10より)」を聞いたとき、ドキッとしました。

わたしの人生を変えた聖句のひとつだったからです。
弱いことに於いては誰にもひけをとらないほど身体も精神も弱いわたしです。このみことばにどれだけ強められてきたことでしょう。

かつては、弱いことを悪いこと考え、自分は欠陥人間で人間としての価値がないとさえ思っていました。
でも、この聖句は、弱いことを嘆く必要はないと教えてくれました。それどころか、弱さを誇っていいのです。

『弱いときこそ強い』『弱さの中に神様の力が現れる』
何と素晴らしいことでしょう!

この聖句を書いたパウロには持病があったそうです。それもかなり辛い病だったようです。パウロはこの肉体のとげを取り去ってほしいと何度も祈っています。しかし、神様の答えは「わたしの恵みはあなたに充分である」でした。
つまり、「治さない」と言っているのです。

酷な答えのように思います。でも、神様は、『お前と共にいるから充分ではないか』と答えておられます。その答えにパウロは苦しみの意味を理解し、納得しています。
納得した証拠に、パウロは『私が高ぶることのないように、とげが与えられた』と言っています。

「突然、理不尽な苦しみを体験した時、それでも恵みは充分にあるという声を聴きたいです。私たちの弱さの中に発揮される神の力を体験しましょう。」と牧師先生が言われました。


わたしも病気を抱えていますが、何年も苦しんだ後、病んでいても恵みが充分であると気づかされました。病んだままでいいこと、弱いままでいいことを知ってから、大きな平安をいただきました。


知人のフラワーデザイナーのブログ「金子ゆか・花ブログ」をブックマークに入れました。

フランスの花屋さんの写真、プリザーブドフラワー、フラワーアレンジメントの写真など、見ているだけで楽しくなります。是非訪れてください。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

今年もどうぞよろしく

2012-01-01 16:55:21 | 日記

新年のごあいさつ申し上げます。

去年義父が亡くなっているので年賀状を書きませんでした。喪中の葉書は一部の方にしか出さなかったので、たくさんの方から年賀状をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

天地万物を造られた神さまを信じている者として、喪中という考え方が受け入れ難かったので、迷った末、今年はこのようなかたちにしました。

毎年60枚近く年賀状を受け取っているのに一通も受け取れないのはさみしいことです。年に一度、近況報告を書いて年賀状のやりとりをしている方も多いので、そういう方にはあとで寒中お見舞いを出そうと思っています。

暮は息子一家が泊まりに来て、にぎやかな年末年始になりました。今年は気合を入れておせち料理を作りました。

明日は主人の実家、明後日はわたしの実家に行きます。迎えて訪れるお正月。なんて恵まれているのでしょう。

今年も「生かされて」をどうぞよろしくお願いいたします。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


拍手ボタンです

web拍手