生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

一年を振り返って

2017-12-29 16:21:13 | 日記
今年も残り少なくなりました。
一年を振り返ってみると、今年は病院通いの年でした。1月から五十肩で整形外科のリハビリに半年通いました。ようやく五十肩がよくなってきたと思ったら、腰痛が起きました。

そのあと膝痛で、まずは左に装具をつけ、右も痛んできたので右にも装具を付けました。幸い装具をつけたらどちらも痛みが和らいできました。今は歩くときはほとんど痛みません。(あちこちの筋肉が弱っているみたいです。年のせいとは言いたくありませんが……)

先日は咳喘息になりましたが、これもほとんど癒されました。

家族のことで大きな変化は、娘の里帰り出産でした。7月に男の子が産まれました。陣痛から出産まで5時間というスピードお産。安産でした。

11月には義母が老人ホームへ入居しました。

創作活動は、カツオドリを主人公とした童話を連作で書き始めました。4月には夫と三宅島へいって、カツオドリを見てきました。

クリスチャン・ペンクラブでは、9月に65周年の祝会があり、あかし集「山川草木」を出版しました。

わたし自身の変化はCS(教会学校)小学科からティーンズへ異動になったことです。それは、思いもよらないことでした。神様がわたしをつかんで運び、新しいところに置いてくださったのです。

緊張して中高生にかける言葉もわからないままに始まりましたが、半分以上は小学科で担当してきた子どもたちです。小学科で蒔かれた種が、ティーンズになって花開いてきていることを見させていただいています。

行事としては、12月2日に父母の記念会を教会でしていただきました。妹一家、息子一家、娘一家、と夫。全員が集まりました。父と母の遺骨が教会の納骨堂に収めさせていただいたたことにより、このような機会が与えられたのです。

さて、来年はどのような年になるのでしょう? それは神様しかわかりませんね。
祈りつつ、内在してくださるお方をあかししていきたいと思います。

「わがたましいよ主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何ひとつ忘れるな。(詩編103:2)」

ブログを読んでくださっている皆様の新しい年のうえに主の祝福がありますようにお祈りします。来年もよろしくお願いいたします。


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与えられたいのち

2017-12-28 15:51:30 | 教会
3日間3歳のナルクン(孫)に振り回されてフラフラでした。
活発でよくしゃべり、よく泣き、よく食べ、ちょっと目を離すと、とんでもないことをしでかしているナルクンです。

7歳年上のお兄ちゃん(ヒックン)と何でも同じようにしたくて、できないとくやしがって泣きます。
穏やかな性格のお兄ちゃんと負けん気の強いナルクン。それぞれ違った賜物を持っています。
ふたりは、今日いったん家に帰って30日からまた来ます。

以前、ブログで紹介したひろくんが、ママと手をつないで教会にやってきました。5月に国内で心臓移植ができ、すっかり元気になりました。

アメリカで移植手術を受けるための3億1千万という途方もない額の必要経費が募金活動などによって与えられたことも奇跡でしたが、国内でドナーが与えられたこと、手術が成功したことが本当に大きな奇跡で、多くの人の喜びとなりました。

ドナーとなった子どものいのちは失われましたが、ひろくんのいのちは助けられました。
わたしたちのいのちを救うために十字架で死んでくださったイエス様の姿がオーバーラップされました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(みこ)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)」

「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。(エゼキエル36:26)」


今年のクリスマスのメッセージで語られた聖書の言葉です。



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クリスマスの意味

2017-12-19 17:38:07 | ティーンズ
2週間前にひいた風邪がきっかけで、咳喘息になってしまいました。咳は治ってきたと思うとぶり返し、なかなか良くなりません。熱は出ていないので普段通りに過ごしていますが、十分な睡眠がとれていないせいか体がきついです。
今度の土曜からまた2人の孫を預かるので、それまでに治らないと困ります。今日、ようやく病院へ行ってきました。

16日はティーンズのクリスマス会でした。友達やしばらく教会に来ていない人を誘って、何週間も前から準備しました。プログラムは、まず礼拝をして、そのあと室内ゲームをし、お母さん方が用意してくださった夕食をいただきます。

プログラムはすべてティーンズの子どもたちが考えます。
礼拝、祝会(ゲーム)、食事の3グループに分かれていろいろアイデアを出して工夫を凝らしていました。

わたしはデスチャーゲームの担当でした。といっても助言するぐらいで見守っていただけですが……。パワーポイントを使って時間内に答えないと次の人と交代するというやり方で、次々進められました。

そのほか、一画ゲーム、宝探しゲームなどをしました。
かつて小学科の夏期学校などで、受け身でやっていたゲームを、中高生になった子どもたちが、こんどは友人を楽しませるために準備しています。そんな姿を見ると、成長したなあ……と感慨深く、成長させてくださる神様に感謝します。

テーインズ礼拝はバンド演奏で行っています。

クリスマス会の礼拝メッセージは、初めて教会に来た子にもわかるような内容でした。
かいつまんで紹介させていただきます。

クリスマスは、この世界を造られた神が、そのひとり子をこの世界に贈られたことを祝う日です。
2000年間祝い続けられているのは何故でしょう。この世界にイエスが誕生した意味は何でしょう。
聖書には次のように書かれています。

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(Ⅰヨハネ4:9)」

イエス様は後に十字架にかけられて死にますが、それは私たちにいのちを与えるためでした。
イエス様は私を愛していることを示すためにお生まれになったのです。クリスマスは、あなたを大切に思っていることを2000年間伝え続けています。

この愛のメッセージを知らずに、自分のことを大切にできない人がたくさんいます。どうせ生きる価値がないんだ。誰からも必要とされていないんだと思い込んで自死に至る人も居ます。

「教室内カースト」という本には、教室の中に見えない地位があることが書かれています。生徒たちは、自分がどこに属しているか。人からどのように見られているか。と、常に心配しています。トップの子たちは、やたらに声が大きくいつも笑顔でいますが、心の中では泣きたいのです。悩みがあっても誰にも言えず、「本当のわたしはどこにいるの?」「何のために生きているの?」と苦しんでいるのです。

イエス様は、苦しんでいる人たちに「ありのままでいいんだよ。わたしは、そのままのあなたを愛しているよ」と言っておられます。

神様は、ひとり子のイエス様を私たちの身代わりに十字架にかけてくださるほど、私たちを愛してくださっています。
イエス様は十字架にかかって死ぬために生まれたのです。十字架刑という壮絶な苦しみを経て死ぬことがわかっていて生まれてくださったのです。何故でしょう……。それは、わたしたちの罪を赦すため、そしてわたしたちを愛するためです。




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クリスマスは誰の誕生日?

2017-12-13 17:28:15 | 教会
もうすぐクリスマスですね。街ではきらびやかな飾り付けがなされ、クリスマスソングが流れています。
なぜクリスマスを祝うのでしょう。クリスマスはサンタクロースの誕生日だと思っている人もいます。

そうではありません。4千年も前から、人々はある方の誕生を待ち望んでいたのです。そして、2千年ほど前にそれは実現しました。
ある方とは、イエス・キリストです。

旧約聖書には、救い主が生まれることについて書かれた箇所がいくつもあります。けれども、それがいつのことなのか書かれていないので、旧約聖書を読んでいた人たちは、そのときをずっと待ち望んでいました。
救い主とは、罪のため滅んでしまうしかない人々を救ってくださるお方のことです。
救い主は、ご自分を信じる人々を神の子とし、永遠の命を与えてくださるお方です。

旧約聖書は、イエス・キリストが誕生する前に書かれました。新約聖書は、イエス・キリストの誕生後に書かれています。
2千年前に人々が長い間待っていた時代は終わり、救い主であるイエス・キリストがお生まれになりました。

旧約聖書で預言されている箇所があります。

「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声を上げず、
ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには地に公義を打ち立てる。
島々も、その教えを待ち望む。(イザヤ42:1~4)」

(彼というのは、イエス・キリストのことです)

12弟子のひとりであったマタイは、マタイの福音書にこの箇所を引用しています。(マタイ12:18~22)
ほとんど内容は同じですが、最後に「異邦人は彼の名に望みをかける」と書かれていて、そこだけが違っています。『待ち望む』→『望みをかける』に変化しているのは、マタイが実際に救い主と出会って弟子となり、その感動からこの一文を書いたと教えていただきました。

イエス様の誕生は、希望があり、いのちがあります。

なぜイエス様に希望があり、いのちがあるのかについて、メッセージで語られたことを紹介させていただきます。

イエス様は多くの病人を癒しましたが、その偉大な力をご自分の名声を高めるためのことはしませんでした。不正なことをしていた収税人、殺されそうになっていた女の人、生まれつきの盲人、37年間病んでいる人など、ひとりひとりに全力でかかわってくださいました。

また、イエス様は弱さを担ってくださいました。重い荷物を背負って歩いていると思ったら、荷物ごと運ばれていました。運んでくださったのはイエス様です。


「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになってもわたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なおわたしは運ぼう。わたしは背負って救い出そう。(イザヤ46:4)」

イエス様は、私たちが弱いからこそ近づいてきてくださったのですね。

心配性で気が弱く、いつも何かにおびえていた弱い弱いわたしにイエス様の方から近づいいてきてくださったのです。


「彼に信頼する者は、失望させられることがない。(1ペテロ2:6)」



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喜びに呑まれた悲しみ

2017-12-05 20:28:00 | 家族
2日の土曜日は、教会で父母の記念会を行っていただきました。身内の者9名+子ども3名と友人と教会スタッフの先生方だけの小さな会です。娘一家は前日から来て泊り、妹一家は当日から来て泊り、息子一家は仕事の合間を縫って来てくれました。

2年前に母が召されたので、「お母さんの3回忌がしたい」という妹から要望がありました。遺骨はふたりとも分骨して秋田のお墓と土浦めぐみ教会の納骨室に収めています。
秋田まで行くこともないので、教会で執り行っていただくことにしました。

父は11年目の記念会となりました。
妹に母との思い出、姪に祖父との思い出を語ってもらいました。わたしはパワーポイントで映像をうつしながら、主に父の生涯について、そして父と母がどのように信仰を持つに至ったかを以前書いた「心のフィルムに」というエッセイから話しました。

こんなに緊張したことはありませんでした。身内の前で話すのは照れくさいという思いもあって、ちゃんと語れたかどうか記憶にないほどです。
そして、肝心なことをいくつか抜かしてしまいました。

わたしの話の後で牧師先生が説教をしてくださったのですが、わたしが抜かしてしまった箇所のほとんどを語ってくださいました。前もって牧師先生に原稿を見せていた訳ではなかったのに……。驚きました。神様が欠けをすべて補ってくださったのです。

お墓には、『亡くなった方を思い起こす』という意味があるそうです。納骨堂のある会堂で故人の思い出を語り、思い起こすことができるとは、なんと幸いなことでしょう。寂しさが心にあったのですが、父と母は天を見上げながら天の御国に行ったという確信が与えられました。

ふたりとも、神様が用意してくださった『憩いの水のほとり』で安らいでいることでしょう。父母に再会できるという希望に、悲しみが喜びに呑み込まれてしまいました。

記念会で語られた聖書の言葉

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。」
                              ヨハネ14:1~2


翌日の日曜には妹と姪が礼拝に出席できてうれしかったです。

父のことを詳しく書いたエッセイはわたしのHP「生かされて・・・土筆文香」のエッセイの部屋「心のフィルムに」に掲載しています。ここをクリックしてごらんください。


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