生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

みたまの実

2007-05-30 16:41:21 | 聖書から
田圃に囲まれた土浦めぐみ教会です。右の三角屋根が納骨堂付きチャペル(ピスガ)。左、木の後ろが幼稚園と会堂。どちらも十字架がたっていますが、写真にははっきり写っていません。
鳥の声がよく聞こえる静かな環境の中にありますが、イオンが進出してくるので、このような写真はもう撮れなくなってしまうかもしれません。ちょっと寂しいです。

 
昨日は3時間ほど孫のヒックンを預かりました。もう生後2か月になるのです。母乳だけですくすく育ち、1日35グラムの割合で体重が増えているそうです。(す、すごい!)
息子一家は車で20分ほどのところに住んでいるので、毎週やってきます。
1週間前にはあやしても笑わなかったのに笑うようになって、益々可愛くなりました。無意識に息子が赤ん坊の時の姿と重ねていました。

息子もこんなに小さかったのです。ホントに可愛かった。3歳までは……。いつの間にか大きくなって、中学、高校生のころは親に反抗し、次から次へ問題を起こし、わたしは胃にポリープがたくさんできてしまいました。
その息子が親になったなんて、まだ信じられません。けっこう子煩悩なパパです。預けていても気になるのか、昨日も出先で何度も電話をかけてきました。

 
祈祷会で御霊(みたま)の実について学びました。御霊の実を実らせることはクリスチャンの理想の姿で、パウロは 愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の9つを列挙しています。この中のひとつでも実らせることができたらいいのに……でもわたしはひとつも実らせてない……と考えて落ち込んだりしていました。

ところが、 「人はこれらの実を完全に実らせることができない」と聞いてほっとしました。それができるのは、イエス・キリストだけです。キリストはまさにこの9つの実を実らせておられます。
わたしたちは、もういちどキリストが来られたときに完全に実らせることができるそうです。努力しなくても時がくれば、自然に御霊の実が実ると聞いて嬉しくなりました。キリストと似たものになることが目標ですから。

 
しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。(Ⅰヨハネ3:2)

わたしは話したいのです

2007-05-28 13:34:42 | 乳癌
今日は、前回行ったエコー検査の結果を聞きに病院へ行って来ました。やはり結果を聞くまでは落ちつかず、ドキドキでした。結果は異常なし。感謝!!いつも祈って下さっている方、有り難うございます。

腹部注射リュープリンをやめて4か月たちましたが、その悪い影響は出ていないということで、ほっと胸をなでおろしました。半年に1度おこなっていた子宮体癌の検査もやっと1年に1度でよくなりました。


昨日はペンテコステ礼拝でした。「かたりきかせよ」聖歌436(総合版 438)の作詞者キャサリン・ハンキーについて語られました。
彼女はロンドンに生れ、高級住宅地に住み、ハイ・ソサエティーな生活をしていましたが、18歳のとき自分と同世代の貧しい少女たちと出会って、彼女たちになんとか福音を伝えたいと思い、バイブル・クラスを開きました。ロンドンの多くの人々がこのバイブルクラスに参加して慰めを見いだしたそうです。

 
彼女が33歳の頃、重病を患いました。長い療養生活の中で詩を書き、その一部がこの聖歌になったそうです。原詩の一部を紹介します。(パワーポイントで映し出された字を急いで書き写したので、間違えがあるかもしれません。ご了承下さい)


人知を遥かに越えたイエスの愛について
古い昔の物語をわたしに話して下さい
イエスとその愛についての物語を
わたしは話したいのです
わたしが話したいと思うそのわけは
それが真実であり
他の何ものも満たしてくれることのない
わたしの願いを満たしてくれるからです


イエス様のしてくださったことは、真実で素晴らしいニュースです。だから『話したいのです』と、キャサリンは病床にありながらも熱い宣教の思いを抱いています。そのキャサリンの思いが伝わってきて、体中の血がかけめぐりました。

わたしも伝えたい。童話や詩や小説に託して。



写真はこの記事とは関係ありません。東京国立博物館の中です。『受胎告知』は階段の右奥の部屋に展示されていました。

ダビンチ展

2007-05-27 17:55:40 | 日記

24日、三鷹に行くとき上野で途中下車し、娘と待ち合わせしてダビンチ展に行ってきました。
貴重な絵画『受胎告知』があるので、館内に入るときは空港のように手荷物チェックをされました。

ダビンチは生涯で10数点しか作品を残していないということを聞いて意外に思いました。もっとたくさんの作品があるのかと思っていたからです。


ひとつの作品にかなりの時間をかけて描いたのでしょう。『受胎告知』のパーツを拡大して展示されているのを見ると、細かい所まで描かれているのがわかります。マリヤの読んでいる聖書の文字まではっきりとわかりました。ヘブル語(?)なので読めませんでしたが、どの箇所をみていたのでしょう……。

『受胎告知』は右側から見るとバランスのとれた構図になっているので、この絵は右斜めから見るような場所に飾られることを予想して描かれたのではないかと推察されています。



ダビンチは絵画にとどまらず、天文学、物理学、解剖学、建築学などの多彩な分野に関心を広げていました。こうした探求の成果を30歳のころから「手稿」と呼ばれる素描やメモを書きためた手帳に残しています。膨大に残された手稿の紹介やそれを元にして作られた模型などがあって、興味深く鑑賞しました。
鳥の翼も研究しており、鳥人間のようなスケッチがありました。天使ガブリエルの羽を見ると、なるほどあの形なら飛翔できるのではないかと思われます。

また、加齢による人間の血管の位置変化や、人の動きと重心の変化など研究していて、それが絵に生かされています。
科学と芸術が融合して質の高い作品になっています。ダビンチの頭の中はどうなっていたのでしょうか? 
幼子イエスや『最後の晩餐』のイエスの表情をみると、ダビンチの心はまっすぐにキリストに向けられていたとのだと感じました。

ペンテコステ(その2)

2007-05-24 08:13:15 | 教会

キリストが天に上げられた後、弟子たちが集まっていると、突然天から激しい風が吹いてきて聖霊が下りました。
弟子たちは聖霊に満たされ、そこに集っていた世界中の人々に、それぞれの言語でイエス・キリストの福音を語る力が与えられました。何とその日のうちに3千人もの人が救われてクリチャンになったのですからすごいですね。

これを読まれている方の中には、聖霊とは何? と思った方がいるでしょう。木や石などに宿る精霊とは違います。
聖書には、聖霊のことをもう一人の助け主と書かれています。

わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネ16:7)

聖霊が降臨したということは人類の歴史の中でとても大きな出来事です。
聖霊降臨には3つの意味があるそうです。


ひとつは 新しい天地に向けた歩みが始まったということ。
2つめは キリストが復活したという証拠。
3つめは 宣教がそこから始まったということ。


聖霊降臨の意味の大きさに驚きます。

祈り


主よ、どうかわたしの心を聖霊で満たして下さい。そしてキリストの香りを放つ者として下さい。

今日これから三鷹の実家に向かいます。土曜夜には土浦に帰って来る予定。


ペンテコステ(その1)

2007-05-23 18:12:37 | 教会
急に暑くなりました。土浦では最高気温29度でした。朝からはりきって教会2往復した(1回は徒歩で)ので午後はダウンしていました。


OBI(お茶の水聖書学院)のリポートに1か月以上かかっていますが、まだ仕上がりません。手持ちの資料がなく、教会と図書館を探しましたが見つかりません。アブラハムの旅の詳しい地図はどこかにないでしょうか? 古代オリエント地図をネットで見ることができたらいいのに……。


教会では今度の日曜日がペンテコステ礼拝です。クリスマスやイースターは教会に行ったことのない人でも知っていますが、ペンテコステは一般にはあまり知られていませんね。
ペンテコステは五旬節、聖霊降臨日のことです。五旬節とは五十日祭のことで、ギリシャ語のペンテコスト(数字の50という意味)からとっています。教会はイースターから数えて50日目にいちばん近い日曜日を「ペンテコステ」と呼んで礼拝をささげます。


今日はこの50という数字に特別な意味のあることを教えていただきました。聖書では意味のある数字が出てきます。3、7、12などは意味深い数字です。とくに7は完全数といわれています。神は6日かけて天地を創造され、7日目に休まれた。このことから1週間は7日になったそうです。

7日目を安息日として、全世界のキリスト教会ではその日に礼拝をしています。安息日を守る意味は、2つあるそうです。ひとつは神の創造の業を覚えること。もうひとつはイスラエル人がエジプトから救い出されたこと(出エジプト)を覚えることです。


8という数字にも深い意味があるそうです。天地創造のあと、最初の人間アダムとエバが罪を犯してしまいます。このため、神の創造された世界に傷がついてしまいました。それを回復するためイエスキリストが来られたのですが、キリストの復活により新しい天と地が造られました。それが8日目なのです。
五旬節の50日は7回目の安息日の翌日(つまり8日目)で、聖霊なる神が下ったことにより新しい天地が来るという意味になるそうです。

もし3日しか生きられなかったら

2007-05-21 12:40:04 | 教会
ペンテコステの早天祈祷会が始まりました。今週は三鷹の実家に行くので毎日は出席できませんが……。祈祷会の帰りにシラサギの群れる所を見つけました。30~50羽くらいいました。桜川、学園大橋の北側です。


昨日の礼拝では新約聖書、Ⅰコリント人への手紙7:29~31からのメッセージを聞きました。このコリント人への手紙はパウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙です。

「時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う物は所有しない者のようにしていなさい。(1コリント7:29.30)」

と書かれています。この地上はやがて過ぎ去り、この世の秩序も過ぎ去っていきます。だから、結婚することや物に執着しないようにとパウロは薦めています。
地上がやがて過ぎ去ることを心に留めて生きることを、『終末に生きる』というそうです。


終末がすぐにこなくても、地上での命がいつ終わるか自分でもわかりません。
もし余命3か月と宣告されたらどうですか? と尋ねられましたが、わたしはこの『もし』という気持ちを乳癌になって以来持ち続けています。それで落ち込んでしまうのではなく、ほどよい緊張感と、限られた時間の中に生かされているのだという思いが与えられているので感謝です。


ヘレンケラーが「開眼の3日間」という本の中で、もし3日間だけ目が見え、耳が聞こえ、話しができたら……ということを書いています。
わたしたちは目が見えて、耳が聞こえ、話せることを当たり前のように思っています。でも、突然目が見えなくなるかもしれないという気持ちで目を使いなさいとヘレンケラーはいいました。
3日間だけしか見えなかったら、ひとつの花を見るにしても、頭の中に映像をやきつけるようにじっと見るでしょう。3日間しか聞こえなかったら、全神経を集中させて鳥の声を聞くでしょう。3日間しか話せなかったら、友との会話を充分に楽しむでしょう。

もしあと3日しか生きられなかったら……わたしは何をするでしょう……。いつものように祈り、聖書を読み、ブログを書くでしょう。

人生の土台は……

2007-05-19 12:41:37 | 聖書から

昨日はSさん宅での家庭集会に行ってきました。家庭集会では8名が集まり、ルカの福音書6:43-49のところから、人生の土台というテーマで学びました。


悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。木はどれでも、その実によってわかるものです。(ルカ7:43)


めぐみ教会の会堂が建てられるとき、23メートルもの太い杭が何本も地中に埋められたそうです。やわらかい砂地の下の固い岩盤に杭が打ち込まれたので、地震が起きてもあまり揺れません。一方プレハブの教育館の方は杭を打ち込んでないので、地震の時は大きく揺れます。


土台は建ててしまえば外側からは見えません。人も人生を建て上げるときに土台を必要としますが、私たちの人生の土台とはどのようなものですか? 
という質問がありました。

果たしてわたしは、しっかりとした土台の上に建っているのだろうか? と考えました。事故や災害、病気など、突然思いがけない出来事に見舞われたとき、しっかりとした土台に建てられていれば動揺しないでしょう。試練のときにその人の真価が試されるそうですが、わたしはどうだったでしょうか……。



癌の宣告を受けたときには動揺しなかったのですが、リンパに転移していることを知らされて動揺しました。その後も腫瘍マーカの変化にオロオロし、平安を失ってしまいました。
それでも最後には神さまが最善をなして下さることを信じ、平安な心を取り戻したのですが、そうなるまでには時間が必要でした。


家庭集会に久しぶりに参加できた友人のあかしを聞いて感動しました。先月7日にも書きましたが、友人は同居しているお姑さんが認知症になって、夜も昼もなく徘徊を繰り返し、介護に疲れ果てて聖書も読めず、祈れなくなっていました。

友人は自分の部屋に入ると「神さま、どうしてこんな目にあわせるのですか?」と大声で泣き叫んでいたそうです。そして、お姑さんを憎んでしまう自分を責め、苦しみました。そのとき、家を新築したとき定礎式で聖書を埋めていたことを思い出しました。そして、自分がクリスチャンであることに立ち返って絶望の中から光を見上げ、苦難の日を耐えたのです。
海外出張していたご主人が一時帰国して、事情をすべて聞き、お姑さんをホームに入所させたそうです。それを聞いてわたしは長い試練の時が終わってよかったと思ったのですが、友人は「ホームに入れたことでお義母さんが辛い思いをしているのではないかと思い、その罪悪感で3日間眠れなかった」と言うのです。お姑さんを思いやる友人の言葉に心打たれました。


「困難なときにこそ土台に信仰があることのすばらしさがわかる」
と牧師先生が言われました。そう考えると、困難はマイナスではなく、プラスの経験ということになりますね。

しっかりとした人生の土台を築きたいです。


ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。(コロサイ1:23)

つながるということ

2007-05-17 13:28:40 | 日記

昨日は千葉県の主人の実家にいってきました。義母が退院したのです。まだ心配な面があるのですが、胃腸炎のほうはすっかり良くなったので感謝しました。義母の元気そうな顔を見て、ほんとうによかったと思いました。
今回の義母入院で、88歳の義父は急遽ショートステイを利用することになりましたが、近くの施設が空いてよかったです。昨日は義父の所には行きませんでしたが、先週行くと不安なようすで、いつ家に帰れるのかと気にしていました。車椅子に乗っている義父を見て、父を思い出しました。いまは地上でおとうさんと呼べる人はひとりしかいないのです。大切にしたいです。
おとうさん、1日も早く家に戻りたいでしょうけれど、もう1週間ほど待っていて下さいね。おかあさんの体力が回復するまで。


一昨日の夕方、突然インターネットがつながらなくなってしまいました。パソコンがこわれたのかと思って、息子に電話し、ヘルプを読んであちこち調べ(といっても、ほとんど何のことかわからず。設定を変えたりすると、かえって大変なことになるのを経験済みなので何もできないまま)あせっていました。
パソコンでわからないことがあったら、検索サイトで調べればいいと息子に言われていたけれど、ネットがつながらなければ、検索サイトが使えないじゃありませんか!


夜、息子が来て色々調べた結果、モジュラージャック(電話線をつなぐ差込口)がこわれているか、電話線が内部で切れているかだというので、別の電話線に差し替えたところつながりました。

ところが、ニュースで大規模なフレッツ接続障害が起きていた事を知り、なーんだと思いました。何もしなくても回復したのです。
ネットがつながらなかった時間は4時間くらいの間でしたが、不安を感じました。(もしかしてネット中毒?)大事なメールを受けられないと困るということ以外にも何か不安を感じてしまったのでした。



人は何かにつながっていないと不安を感じるそうです。何かに所属している、誰かとつながっている。それだけで安心ですね。でも、それは突然切れてしまうことがあります。
イエスさまとつながっていれば、こんなに確かなものはありません。わたしが手を離してしまっても、イエスさまがつかまえていてくださいますから。どんなときでも、どんなところでも、いつもつながっていますから。

聖書の言葉

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。(ヨハネ15:5)

クリスチャンは不自由なの?

2007-05-14 12:58:39 | 日記

昨日、入院している義母の病室にカーネーションが届けられました。義妹が生協から母の日に届くようにと頼んでいたそうですが、頼んだときはまさか病院に届けられることになるとは思わなかったでしょう。
 ちょうど届いたとき近所の方が家の前にいて、受け取って下さり、病院まで持ってきて下さったそうです。
昨日は、母の日なのにまだ入院していなくてはならない義母を思って悲しんでいましたが、そのことを聞いてちょっと心が温かくなりました。胃腸炎のほうは少しずつ治ってきていますが、持病(難病です)があるので今日と明日検査を受けるそうです。検査結果が出ないと退院のめどがたちません。持病のほうも回復していますようにと祈るばかりです。


「クリスチャンになると、毎週日曜日教会に行かなくちゃならないんでしょう? お酒や煙草はだめなんでしょ。不自由だわ」といって友は教会から離れていきました。
クリスチャンは不自由なのでしょうか?


土筆文香というペンネームを初めて妹に知らせたとき、妹は真っ青な顔をして言いました。
「お姉ちゃん、その名前はやめてちょうだい。今からでも変えて!」
わけを聞くと、「文(ふみ)とつく名前の人は不幸になるってお婆ちゃんが言ってたから」と言います。
わたしはJCPの先生からつけていただいたこのペンネームをとても気に入っており、意味付けもしています。なので、たとえば清香とか遥香にしたら、意味が違ってきてしまいます。
「不幸になるなんて、それはどういう根拠があるの?」
と聞くと、妹は暫く考えてから、
「お婆ちゃんの知り合いの人で不幸せになった人が「文」という字のつく人ばかりだったんだって」
と言いました。
「それは何の根拠もないことだし、他人からみて不幸せでも、本人はどうかわからないでしょう。だから名前は変えない」
と言うと、妹も納得しました。


これはささいなことですが、大安、仏滅を気にしたり、方角を気にしたり、占いにとらわれたり……案外そのようなことに縛られている人が多いのではないでしょうか。それは、世間的な考えの奴隷になっているのです。あるいは、心のどこかに恐れがあるのかもしれません。

クリスチャンは、何にも縛られることがありません。仏滅の日に平気で結婚式をします。
仏滅の日に結婚式をしたら、悪いことが起きるのでは?と恐れ、友引にお葬式をしたら友人が引き寄せられると恐れる人が多いようです。(友引の日は火葬場がお休みのところがほとんどですね)
クリスチャンは、どんなに強い悪の力が存在したとしても、それに勝る方、イエス・キリストがついていてくださるから何も恐れる必要がないと知っています。だから何事にも縛られません。


日曜ごとに教会へ行くのは、行かなければならないからでなく、行って礼拝を捧げたいと願うからです。お酒や煙草だって禁止されているわけではありません。自由です。ただ、神さまが尊いひとり子(イエス・キリスト)の命を犠牲にしてまで自分のことを愛して下さっていることを知っていて、そのことで胸がいっぱいなので、神さまの下さった体をこわすようなことはしたくないと思っているだけなのです。


「クリスチャンは、人からどう思われようが、どう評価されようが、そこからも自由なのです」
と牧師先生は言われました。クリスチャンこそ本当の意味での自由を得ている人なのです。

キリストは自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。
(ガラテヤ5:1)



ガンバレ、未来の作家たち!

2007-05-12 12:25:09 | 日記

JCPの児童文学の集いでご一緒しているS氏から「12歳の文学」(小学館)という本を貸していただきました。
本には今年3月に発表された第1回『12歳の文学賞』受賞作品が掲載されていました。『12歳の文学賞』というものがあることを初めて知りました。この回が第1回ですが、2205作品もの応募があったそうです。


(小学生の作品? あまり興味がないなあ……)さっと斜め読みしてお返ししようと思っていました。ところが(えっ、これが小学生の作品?)と思うものもあり、惹かれて一気に読みました。
大人では書かないだろうなあと思われる奇想天外のストリー。発想のおもしろさにびっくりしたり、じっくり読ませる作品にジーンときたり、うーんと頷いたり……。

今を生きる12歳の心情がわかって、12歳を主人公に小説を書いている者としては、得るところが大きかったです。常識にとらわれない自由な発想から創作のヒントが与えられました。

 
応募の8割が女の子だったそうで、受賞作品もほとんどが女の子の作品でした。が、1つだけ男の子の作品で「夕日の丘に」というのがあり、その作品がいちばん心に残りました。「生と死」をテーマに、しっかりしたプロットで書かれています。作者は祖父の死を通して「生と死」を考えるようになったといっています。
 
学校の先生が自殺したことにショックを受けた主人公たちが、戦争で足をなくしたおじいさんと出会い、おじいさんが生きる意味について語っています。
そのセリフが素晴らしい。一部を紹介します。


「生きるって……何か一つのことに夢中になることだよ。何もせずだらだら過ごすことは石にだって出来るのさ。一つのことに夢中になって、それについて学んで、考えて、感じて、それが生きるだ。そうして生きるは活きるに……(略)活きる事で、学んで、考えて、感じて……そこから活きる意味が見つかるかも知れない。見つからなくても、活きる事に意味があるんだ。活きる事は心の糧にもなるし、他の人の糧にもなっていく。そういうことが出来る命ってものは直ぐ捨てたり、うばったりしてはだめなんだ」


もう1作品「オトナの人へ」の最後にはするどい一言が書かれていました。

オトナのひとへ。
あんたたちは、「いまどきの子どもは……」とかなんとかっていうけど、あたしたちは、一生懸命生きてる。お願い。忘れないで。そして、あたしは、あんたたちよりよっぽど、いま、いろんなことを感じられる。

 
そうですね。ゲームやパソコンが大流行で、活字離れと言われていますが、多くの小学生が小説を書いているということが、驚きであり喜びです。わたしは14歳のときはじめて小説書きましたが、書くことが生きる力になったのです。
ガンバレ、未来の作家たち。



*ブックマークにあるJCP(日本クリスチャン・ペンクラブ)のHP更新しましたのでぜひご覧下さい。

その手を開いて

2007-05-11 13:14:26 | 

わたしは、かつて無口で消極的だったのですが、反面ものすごく強情で自我が強く、両親とよく衝突しました。先日(5日)神さまにギブアップしたことを書きましたが、すんなりとできたわけではありませんでした。神さまにギブアップするということは、自分の負けを認めることで、持っている物を手放すことです。
実際、それはとても簡単なことなのです。でも強情なわたしは、自分の中の罪を認め、きよくなりたいと願っていたのにもかかわらず、固く握りしめた手をなかなか開こうとはしませんでした。


今まで色々な面で努力してきたということを誇りに思っていたので、それを手放せなかったのです。高校生のころ、中間や期末試験の前は徹夜したり、夜中まで勉強する人が多いですが、わたしにはそれができませんでした。身体が弱いため
10時には寝ないと熱を出してしまうので、試験前でも早寝をしていました。


時間を有効に使うため単語カードに暗記事項を書いて常に持ち歩いていました。食事の前後など、ちょっとの間をみつけては覚え、お風呂にまで持ち込んで勉強していました。一夜漬けができないので毎日コツコツと努力をしました。その癖が大人になっても残っています。


勉強の場合は、努力が功を奏することが多いですね。でも、それ以外のことには努力が実らないことも多く、努力してもどうしようもないことがあることを体験的にわかってきます。とくに、自分の性格を変えようとする努力は空しいものだと気づきます。
あるとき、素直な気持ちになって固く握りしめていた手を開きました。そのときからわたしの性格は少しずつ変えられていきました。

努力することは決して悪いことではありません。わたしは今でも何事に対しても努力するように心がけています。ただし、努力した結果を問わないようにしています。結果は神さまにゆだねています。
たとい一生懸命努力した末、良い結果が得られなくても落ち込んだりはしません。(少しはがっかりしますけれど……)主にあって努力したことは決して無駄になることがないのですから。

聖書の言葉

あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。
(Ⅰコリント15:58)

下記の詩も以前書いたものです。  

神さまのシャワー

神様が 
土くれにひとしいわたしを
泥沼から
引き上げてくださった

神様が
泥だらけのわたしを
両手でつつみ
抱き上げて下さった

神様が
わたしにシャワーをかけて
泥のよごれを
落として下さった

神様 
もっと もっと
シャワーを下さい
ここもまだ あそこもまだ
汚れているのです

そう言いながらも
わたしは 
ぎゅうっと両手を
にぎりしめていた

いま、その手を開きます


昨日、今日のこと

2007-05-09 17:28:32 | 日記

昨日は、80歳の義母が急性腸炎で入院したという知らせが入り、千葉県Y市まで行ってきました。車だと1時間余りで行けますが、電車だと2回乗り換えがあるので、2時間半~3時間かかります。日帰りだとちょっときついです。

義母の顔を見るまでは心配でたまりませんでしたが、ベッドに起き上がって話が出きるほど元気だったのでほっとしました。とはいえまだ食べられず、24時間点滴をしています。今日は主人が午後から東京の仕事なので、午前中に病院に寄りました。

3日間も下痢や嘔吐が続いていたのに我慢して病院にも行かず(連休中だということもあって)、7日に病院に行ったときは脱水症状を起こしていたというので、びっくりしました。

日曜の夜に電話したとき、いつものように会話をしていたので、まさか具合が悪いとは思いもしませんでした。迷惑をかけたくないと思って言わなかったのでしょう。

連休のはじめのころ具合が悪くなっていたら、手遅れになっていたかもしれません。主によって守られたのです。感謝!!


今日は茨城児童文学の会の集まりがあって1日出かけ、疲れはピークに達しています。合評に毎回作品を出していたわたしですが、今回はパスでした。この3か月、身辺が落ち着かず、前回出した長編を書き直せなかったのです。他の方の大作を読んで大いに励まされ、この次(9月)までには書き上げたいと思いました。

ゆっくりと

2007-05-07 13:35:36 | 
写真は姪の飼っているインコ、れんちゃんです。

子供の激しい泣き声がするので、ベランダから顔を出すと、園服を着た3歳くらいの男の子がお母さんに抱かれて泣き叫んでいました。男の子は「おうち帰る、おうち帰る」と言って泣いています。通園バスを待っているようです。

間もなくバスがやってきました。むりやりバスに乗せられて、男の子は泣きながら窓にはりついてお母さんの方をじっと見ていました。
連休明けはつらいのね……。かわいそうに……。

でも、泣ける子供は幸せです。大人になったら、泣きたくても泣けませんよね。泣けないで自分の気持ちを押し込めてしまうと、身体的症状になって表れることがあります。


連休明け、わたしも疲れが出て、身体がだるいです。昨日の礼拝メッセージのことを書きたかったのですが今日は無理なので、詩を紹介することにしました。

わたしは以前、心が痛んで何もできなくなってしまったことがありました。何もできない自分に苦しみました。一歩も前に進めないことにあせりを感じました。

「何もできなくていいんだよ」とイエスさまが言って下さっているのに気づいたとき、ギリギリと縛り付けていた紐がプツンと切れて、ほっと安らいだのです。



ゆっくりと
きのうは庭先に来た雀にパンくずをやった
それだけ

おとといは
花の種を植えた
それだけ

今日はなーんにもしないで
いちにちゴロゴロしていた

何もしない一日があってもいい
明日は友のために祈ろう


ギブアップ

2007-05-05 13:45:44 | 
ヒッくんのパパとママが買い物に出かけた間、主人とヒッくんのおもりをしました。ママのオッパイを飲んですやすやと眠っていたのに目がさめて泣き出しました。大泣きして抱いても泣きやみません。ミルクを作って飲ませ、ゲップをさせ寝かせると、また大泣き。たくさんウンチしています。お尻を洗っておむつをかえ、ほっとして寝かせるとまた大泣き。暫く抱いていると大きなゲップ。
パパとママがいないのがわかるのでしょうか? うとうとしかけるのに眠らず、ずうっと泣いています。慣れないので主人とわたしはあたふたしています。パパとママが帰ってきてほっとしました。ママのオッパイを飲んでやっと眠りました。ヤレヤレ……。ママのオッパイにはかないません。わたしたちはギブアップです。


今日は、以前に書いた詩を紹介します。
4/30にも書きましたが、わたしは癇癪持ちでした。自分の感情が抑えられなくなって、両親に当たり散らし、暴れることがありました(家の中でです。決して外ではしませんでしたが……)
そんな自分がいやでたまりませんでした。また、自分の中に醜い思いがあることに気づき、苦しくなって教会に行きました。
洗礼を受ければ、自分の中にある醜い心がなくなり、癇癪も起こさなくなるのだと思って、期待して洗礼を受けました。(28年前のことです)大きな変化を期待してきました。


確かに罪赦されましたが、その後、相変わらず癇癪を起こし、罪を犯すのです。むしろ、心に神さまの光が当てられたのですから、益々心の中にある汚い物を自覚するようになり、苦しみました。パウロもローマ人への手紙の中で「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです」と書いています。


どうしようもない状態を嘆いてわたしは教会を離れてしまいます。その間、自分の力でなんとかきれいな心になりたいと思い、努力をしていました。
でも、努力ではどうすることもできないと知ったとき、神さまにギブアップしたのです。
そのときから、少しずつ変えられていきました。
癇癪は治りましたかですって? 治りましたよ20年くらい前に。


ギブアップ

きれいな物をいっぱい見て
美しい音楽をたくさん聞いて
感動的な本を読み
ピュアなドラマを見て

心がきれいになったような
やさしい人になったような
そんな気がして浮かれていたら

自分の中の
みにくい思い
人をうらやみ、にくむ気持ちが
むくっむくっと顔を出します

一生懸命努力して
心を変えようと願っているのに
ちっとも変わらないこの心

もしも心を映す鏡があったなら、
それを見て気絶するでしょう


神様、ギブアップです
どうか
きよめてください

24年前の育児日記

2007-05-04 17:23:26 | 日記

昨日から息子一家が来ています。3/31に生まれたヒッくん(ヒック、ヒックとしゃっくりばかりしているのでわたしがつけた愛称。ブログではこの愛称で書いていきます)と会うのは1か月ぶりです。
病院で会ったときよりひとまわり大きくなった感じがします。顔つきもしっかりし
て、元気に足をバタバタさせています。

まだ寝ている時間が長いのですが、寝ている顔を眺めていると刻々と変化するので、しばらく眺めていました。泣きべその顔、怒ったような顔、微笑んだ顔、真っ赤になっていきんだ顔、口をパクパクしてオッパイを飲みたい顔……。あーやっぱり可愛い!!


24年前、息子が生まれたときの育児日記が出てきたので、嫁のT子さんに見せました。なんて懐かしいのでしょう。育児に悪戦苦闘したことが克明につづられています。
以下少し紹介します。

生後1か月

エンエンエンエン泣いてばかりのYくん。 オッパイもたっぷり飲んだし おむつもきれいになったのに何で泣くの? もう夜中の2時 お母さんの目から涙がポトリポトリ Yくんのほっぺたに落ちる。

生後3か月
公園に散歩。小学生の歩いているのを目で追っている。ベビーカーに乗せるとすぐねむってしまった。

生後1年
無我夢中で育児に追われた1年。長いようであっという間に過ぎた。初めての子供だから、おっかなびっくりで、ミルクを飲み過ぎると心配し、飲まないともっと心配し……。体重が平均より少ないことがわかると、なんとかして太らせようとむりに飲ませたり……。
一日も早くつかまり立ちできるようにと練習させたり……。なんとも愚かなことをしてしまった。
でも、驚いたことにYくんはぐんぐん成長していった。体重は9㎏を越えた。誕生時の約3倍だ。

心も成長した。大人の言うことや、感情まで理解するようになってきた。飲んで寝てばかりいた生まれたばかりのころを思うと、素晴らしい成長だなあと思う。
これは親の力ではなく、自ら伸びていったのだ。たいした病気もせずすくすく育ったYくん。来年はどんな成長をとげてくれるか楽しみだ。


いま読み返してみると、成長させるのは神さまだということと、1年間守られたことの感謝が書かれていないことに物足りなさを感じました。そういえば、このとき教会から離れていた時期でした。でもずうっと守られていたのです。

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。(Ⅰコリント3:6)


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