「見てよ、ママのおなか。こんなに大きくなっちゃって」
ヒックンが言いました。予定日は3月23日です。ヒックンの誕生日が3月31日なので、同じころになるかもしれません。2人目だから、もっとずっと早いかもしれません。
生まれたら、ママと赤ちゃんは、ママの実家(ヒックンの家の近く)にお世話になるので、ヒックンは我が家で預かることになっています。春休みも含めて1か月近くいることになるかもしれません。
備えて今から貯金をしています。貯金と言ってもお金ではありません。聖書を読む貯金です。一年間で聖書全部読めるように聖書通読をしていますが、1日20分ぐらい読まなければ通読ができません。ヒックンが来たら、朝のデボーションで10分ほど読むくらいしかできなくなるので、いまのうち多目に読んでおくのです。今日で8日分の貯金ができました。
料理も出かけた時のために作って冷凍しておきます。ブログ日記の貯金はできませんが、JCPのホームページを早めに作っておかなくては……。
先週、我が家での家庭集会に韓国の宣教師、Y先生が来てくださいました。初めてかと思ったら、そうではありませんでした。12年前、Y先生がめぐみ教会に来られて間もないころ文京家庭集会に来てくださっていたのです。
そのときは、片言の日本語でしたが、今は流暢に話されています。
聖書箇所はⅠサムエル1:1~18。リビングライフからの学びでした。
エルカナにはハンナとペニンナという二人の妻がいて、ペニンナには子どもがいましたがハンナには子どもがいませんでした。
エルカナはハンナを愛していたため特別扱いしたので、ペニンナは嫉妬してハンナをいじめました。ハンナは、不妊という問題とペニンナからのいじめによって2重に苦しみ、泣いて食事もとれませんでした。
なぜハンナはこれほど苦しまなければならなかったのでしょう。
聖書には「主がハンナの胎を閉じておられた。」と書かれています。神様から来る苦しみだったのです。それには意味がありました。
ハンナは主の宮へ行って心にある思いを打ち明け、子どもが与えられるように祈りました。
もし男の子が与えられたら、その子をささげると誓願を立てました。
『すべての問題解決の鍵が神にあるという信仰を持って、祈りの場に出て行かなくてはなりません。』とテキストに書かれています。
神様はハンナの祈りを聞き入れて、男の子(サムエル)を与えてくださいます。ハンナは誓願の通り、サムエルが乳離れしたときに神殿へ連れて行ってささげたのです。
ハンナに最初から子どもが与えられていたら、これほど苦しむことはなく、このような祈りはしなかったことでしょう。そして、長男をささげることもなかったでしょう。
長男サムエルは、のちに預言者としてイスラエルになくてはならない存在となります。ハンナの苦しみは、神様のご計画だったのですね。
『苦しみのどん底まで味わったとき、神が働かれる空間が生まれたのです、神にすべてをし注ぎ出し、主だけを見上げる人は、涙の谷を通って、ついには神が与えてくださる平安と栄光に至ります。』
『祈りは消えてなくなる山びこではありません。確実に神から応えが返ってきます。』 リビングライフより
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ヒックンが言いました。予定日は3月23日です。ヒックンの誕生日が3月31日なので、同じころになるかもしれません。2人目だから、もっとずっと早いかもしれません。
生まれたら、ママと赤ちゃんは、ママの実家(ヒックンの家の近く)にお世話になるので、ヒックンは我が家で預かることになっています。春休みも含めて1か月近くいることになるかもしれません。
備えて今から貯金をしています。貯金と言ってもお金ではありません。聖書を読む貯金です。一年間で聖書全部読めるように聖書通読をしていますが、1日20分ぐらい読まなければ通読ができません。ヒックンが来たら、朝のデボーションで10分ほど読むくらいしかできなくなるので、いまのうち多目に読んでおくのです。今日で8日分の貯金ができました。
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先週、我が家での家庭集会に韓国の宣教師、Y先生が来てくださいました。初めてかと思ったら、そうではありませんでした。12年前、Y先生がめぐみ教会に来られて間もないころ文京家庭集会に来てくださっていたのです。
そのときは、片言の日本語でしたが、今は流暢に話されています。
聖書箇所はⅠサムエル1:1~18。リビングライフからの学びでした。
エルカナにはハンナとペニンナという二人の妻がいて、ペニンナには子どもがいましたがハンナには子どもがいませんでした。
エルカナはハンナを愛していたため特別扱いしたので、ペニンナは嫉妬してハンナをいじめました。ハンナは、不妊という問題とペニンナからのいじめによって2重に苦しみ、泣いて食事もとれませんでした。
なぜハンナはこれほど苦しまなければならなかったのでしょう。
聖書には「主がハンナの胎を閉じておられた。」と書かれています。神様から来る苦しみだったのです。それには意味がありました。
ハンナは主の宮へ行って心にある思いを打ち明け、子どもが与えられるように祈りました。
もし男の子が与えられたら、その子をささげると誓願を立てました。
『すべての問題解決の鍵が神にあるという信仰を持って、祈りの場に出て行かなくてはなりません。』とテキストに書かれています。
神様はハンナの祈りを聞き入れて、男の子(サムエル)を与えてくださいます。ハンナは誓願の通り、サムエルが乳離れしたときに神殿へ連れて行ってささげたのです。
ハンナに最初から子どもが与えられていたら、これほど苦しむことはなく、このような祈りはしなかったことでしょう。そして、長男をささげることもなかったでしょう。
長男サムエルは、のちに預言者としてイスラエルになくてはならない存在となります。ハンナの苦しみは、神様のご計画だったのですね。
『苦しみのどん底まで味わったとき、神が働かれる空間が生まれたのです、神にすべてをし注ぎ出し、主だけを見上げる人は、涙の谷を通って、ついには神が与えてくださる平安と栄光に至ります。』
『祈りは消えてなくなる山びこではありません。確実に神から応えが返ってきます。』 リビングライフより
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