生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

苦しみのどん底まで味わったとき

2014-02-27 16:16:57 | 聖書から
「見てよ、ママのおなか。こんなに大きくなっちゃって」
ヒックンが言いました。予定日は3月23日です。ヒックンの誕生日が3月31日なので、同じころになるかもしれません。2人目だから、もっとずっと早いかもしれません。

生まれたら、ママと赤ちゃんは、ママの実家(ヒックンの家の近く)にお世話になるので、ヒックンは我が家で預かることになっています。春休みも含めて1か月近くいることになるかもしれません。

備えて今から貯金をしています。貯金と言ってもお金ではありません。聖書を読む貯金です。一年間で聖書全部読めるように聖書通読をしていますが、1日20分ぐらい読まなければ通読ができません。ヒックンが来たら、朝のデボーションで10分ほど読むくらいしかできなくなるので、いまのうち多目に読んでおくのです。今日で8日分の貯金ができました。

料理も出かけた時のために作って冷凍しておきます。ブログ日記の貯金はできませんが、JCPのホームページを早めに作っておかなくては……。


先週、我が家での家庭集会に韓国の宣教師、Y先生が来てくださいました。初めてかと思ったら、そうではありませんでした。12年前、Y先生がめぐみ教会に来られて間もないころ文京家庭集会に来てくださっていたのです。
そのときは、片言の日本語でしたが、今は流暢に話されています。

聖書箇所はⅠサムエル1:1~18。リビングライフからの学びでした。
エルカナにはハンナとペニンナという二人の妻がいて、ペニンナには子どもがいましたがハンナには子どもがいませんでした。
エルカナはハンナを愛していたため特別扱いしたので、ペニンナは嫉妬してハンナをいじめました。ハンナは、不妊という問題とペニンナからのいじめによって2重に苦しみ、泣いて食事もとれませんでした。

なぜハンナはこれほど苦しまなければならなかったのでしょう。
聖書には「主がハンナの胎を閉じておられた。」と書かれています。神様から来る苦しみだったのです。それには意味がありました。

ハンナは主の宮へ行って心にある思いを打ち明け、子どもが与えられるように祈りました。
もし男の子が与えられたら、その子をささげると誓願を立てました。

『すべての問題解決の鍵が神にあるという信仰を持って、祈りの場に出て行かなくてはなりません。』とテキストに書かれています。

神様はハンナの祈りを聞き入れて、男の子(サムエル)を与えてくださいます。ハンナは誓願の通り、サムエルが乳離れしたときに神殿へ連れて行ってささげたのです。

ハンナに最初から子どもが与えられていたら、これほど苦しむことはなく、このような祈りはしなかったことでしょう。そして、長男をささげることもなかったでしょう。
長男サムエルは、のちに預言者としてイスラエルになくてはならない存在となります。ハンナの苦しみは、神様のご計画だったのですね。


『苦しみのどん底まで味わったとき、神が働かれる空間が生まれたのです、神にすべてをし注ぎ出し、主だけを見上げる人は、涙の谷を通って、ついには神が与えてくださる平安と栄光に至ります。』

『祈りは消えてなくなる山びこではありません。確実に神から応えが返ってきます。』
                             リビングライフより


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行きなさい

2014-02-24 19:59:47 | 教会
20日は我が家での家庭集会。21日から実家へ行って泊まり、22日はお茶の水で行われた日本クリスチャン・ペンクラブ童話エッセイの会に出席して土浦にもどってきました。

23日は朝早くから教会で、午後からはヒックンが来て……休む間もありませんでした。
 

昨日は教会学校で暗唱聖句大会が行われました。子どもたちにあらかじめ聖書の言葉が書かれたカードを配り、覚えてくるように促し、当日はゲーム形式でグループごとに競います。例年は40分ほどの時間内で行っていたため、じっくりというわけにはいきませんでしたが、今年は10時半から12時半まで、たっぷり時間を使って行いました。

教師たちはそのために朝8時半からの第Ⅰ礼拝に出ました。聖句並べ替えゲームやみことばソングゲーム、百人一首ふうカルタなど……。覚えていない子でも楽しめるように工夫が凝らされていました。

「暗唱聖句大会なんかつまらない。ぼくは覚えないよ。」と言っていた子どもが17もの聖句を覚えてきて、カルタで大活躍したのには驚きました。

20個の聖句を3回ずつ間違えずに暗唱できたら完全制覇賞です。ほかに 個人賞としてヨハネ1:1~14を覚えるというのがあります。

最初は23日締め切りにしていたのですが、暗唱聖句大会で意欲が出て来た子どもたちが多かったので、締め切りを延期しました。
わたしも、まだ完全に覚えていないので今週中に全部覚えるようにがんばります。

礼拝では使徒の働き22:1~21のところからメッセージが語られました。パウロは殺意のある群衆に取り囲まれ、千人隊長に捕えられましたがそのとき、弁明の機会が与えられました。
パウロは殺されるかもしれないという状況の中で、自分のうえに起こったことを述べました。かつてはクリスチャンを迫害する者だったけれど、ダマスコへ行く途中、自分が迫害しているイエスと出会って、180度変えられたことを語ったのです。
Ⅰペテロ3:15には「そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」と書かれています。

キリスト教の教えや道徳的倫理に感動する人はいますが、信じる人は少ないと聞きました。でも、信じた人が、生ける神さまとの人格的な出会いを語れば、それを聞いた人が真剣に神様を求めるようになるかもしれません。

使徒の働き22:21には「行きなさい」と書かれています。イエス様がパウロに言われた言葉です。異邦人のところへ行って、伝えなさいと言っているのです。イエス様はパウロに期待し、パウロは使命として受け止めたのですね。

イエス様はパウロにだけでなく、わたしにも「行きなさい」と言っておられるのだと思いました。
友人や主人や母に対して、お天気のこと、健康のこと、オリンピックのことなど……とりとめもなく話すのに、キリストに出会ってどれだけ喜びが与えられたかを語らないでいることを反省しました。




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見えないものを見るとは?

2014-02-19 17:37:27 | 教会
先日の日曜日は、滋賀県東近江市から福井達雨先生が土浦めぐみ教会に来てくださいました。福井先生は、日本の障がい福祉においてパイオニア的な働きをされてこられた先生で、障がいをもっている人たちの施設、止揚(しよう)学園の創設者です。

わたしが福井達雨先生の名前を知ったのは19歳のとき、神戸の保育科の短大にいたころでした。
「僕アホやない人間だ」という本を読んで感銘したことを覚えています。それから38年もたって、土浦で福井先生にお目にかかれるとは……不思議な導きを感じます。
福井先生は現在82歳ですが、80代とは思えないほどパワフルで、礼拝では熱く語ってくださいました。
語られたメッセージの中から、心に残ったことを書かせていただきます。

止揚学園の止揚とは、ふたつのものがぶつかりあって新しいものが生まれるということです。わたしたちと、重い知的障がいの子どもがぶつかって、子どもたちと共に新しい生き方を生み出していくということで止揚学園と名付けました。
重い知的障がいのある人と共にいると信仰が深められます。それは、重い知的障がいを持った人のうしろにイエス様がおられるからです。彼らはイエス様といちばん近いところに立っているのです。

戦時中、クリスチャンであるぼくの母親は、「天皇は神ではない」と言い続け、留置所に入れられました。ぼくは非国民と言われ、友達ができませんでした。でも、のびのびと明るく育ちました。

母親が38歳のとき、子宮がんで召されました。召される前に語ってくれた2つの言葉は、「見えないものを見、聞こえないものを聞きなさい」「偉い人より立派な人間として生きなさい」でした。
重い知的障がいのある人と共に生きるうちに母親の言った言葉の意味がわかってきました。

聖書には「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。(ピリピ2:6)」と書かれています。

イエスさまは、わたしたちの上に立って「救ってやる」と言っているのではなく、上から下に降りてきて、わたしたちと共に苦しんでくださるお方です。
わたしたちは下から上に行こうとします。でも弱い人は上に行けません。歩けない人、寝たきりの人は下にしかいられません。でも、イエス様は上から下に降りてきてくださいました。十字架の上で命を投げ出してくださいました。こんな深い愛はありません。
イエス様は弱い人、障がいを持った人と共に生きてくださいます。
イエス様は、わたしたちが罪人だから、「神と和解させる」と言ってくださいました。こんなに豊かで優しい宗教はありますか?

重い知的障害のある子どもで「ワーワー」大声を出す子がいます。イライラして「うるさい」と言ったら、ほかの知的障がいの子が、「イエス様とお話ししているんやで」と言ったそうです。
信仰のある耳で聞くと騒音にしか聞こえなかった声が、すてきな会話に聞こえてくるのです。
見えないものを見、聞こえないものを聞くとは、信仰を通して見、聞くということです。


メッセージを聞いて、イエス様が下まで降りてきてくださったことがどれだけ嬉しいことかと思いました。体が弱くて伏せっていることが多いわたしですが、弱さを感じているときほど、イエス様の近くにいるような気がします。

福井先生のお母様は素晴らしかったのですね。たとい38歳の若さで召されても、生きていくのにいちばん大切なことを子どもに教えたのですから。



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奇(くす)しいこと

2014-02-17 16:46:54 | 日記
先週の火曜日から体調をくずしていました。熱は上がったり下がったりで、最高でも37.5℃でしたが、ずっと体がだるく必要最低限のことだけして横になっていました。

前の週に主人がB型インフルエンザにかかったので、念のため翌日病院へ行ってインフルエンザの検査を受けましたが、結果は陰性でした。

土曜日にはよくなるだろうと思ったのですが、体調が悪く、一時間も起きてられません。

いままで風邪と思っていて副鼻腔炎だったことが2回。肺炎になったことが2回あるので週明けもこんな状態だったら総合病院へ行かなくては……と思っていました。

それにしても日曜日に教会へ行けないのはつらいです。わたしにとって礼拝出席が何よりも喜びになっているからです。
それに16日は、福井達雨先生が滋賀県から来られて、メッセージと講演をしてくださるのです。ずっと楽しみにしていました。

15日夜は、翌日元気になることは不可能だと思われるほど具合が悪く、床の中で癒してくださいと祈りました。
祈る前は不安でしかたありませんでした。

でも、祈っているうちに、『神さまはわたしの体の細胞のひとつひとつを造り、その状態を知っておられるのだ。すべておまかせしよう。』と思ったら平安が与えられました。
翌日は、なんと元気に起きられ、教会へ行くことができたのでした。

それから心配されていた雪については、関東の他県は先週と同じように大雪だったのに、土浦(茨城県)は雪ではなく雨が降り、この前積もった雪もほとんど溶けてしまいました。

「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。(詩編139:13-14)」

まだ長時間パソコン作業をすると疲れるので、福井達雨先生のメッセージの感想は、次回書きますね。



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助けはそこに

2014-02-09 20:52:59 | CS(子供伝道)
45年ぶりの大雪ということで、土浦でもたくさん雪が積もりました。



上の写真はマンションの2階の通路に積もった雪です。吹き込んできたのですね。

今日は礼拝の日です。

車ならスタッドレスタイヤ でないタイヤで走るのは、危険です。自転車はこげませんし、こげたとしても転倒の恐れがあります。でも、わたしの2本の足ならだいじょうぶと思って出かけました。
滑り止めのある長靴を履いていきました。雪道はシャーベット状になっていて、歩きにくかったのですが、景色を見ているうちにわくわくしてきました。


教会へ着くと教会学校の小学科教師がわたしを入れて4人(全員で20名います)しかいませんでした。メッセージを語る予定の先生はふたりとも交通手段がなくて行けないと連絡がありました。

子どもたちも1年生から6年生まで合わせてたったの9人でした。(いつもは70名近くいるのですが……)
どうしても教会へ行きたいからと30分もかけて雪道をひとりで歩いてきた子どもがいたので、心打たれました。


10時からの礼拝は予定通りしたほうがよいとのことで、4人で祈りつつ考えました。
23日に行われる暗唱聖句大会に備えて5曲のみことばソングを中心に礼拝を進めることにしました。
わたしが聖句の意味を説明したり、みことばにまつわることを話し、S先生のリード、M先生のピアノで賛美しました。そのあとで聖書を開き、5つの聖句を順に読みました。

聖句の説明をするとき、何の準備もしていませんでしたが、語るべき言葉がそのときに与えられて感謝しました。
5つの聖句の中のひとつ「神はわれらの避け所、また力。苦しむときそこにある助け。(詩編46:1)」を子どもたちと一緒に読んでいたとき気づいたことがありました。

苦しくて助けを求めたときに助けていただくのではなく、助けがすでにそこに備えられているということに気づいたのです。
あまりにも苦しくて「助けて」とも言えないようなときでも、すでに助けがあると神様はおっしゃってくださいます。助けはそこにあるのです。

すべてをご存じで、すべての必要を満たしてくださる神様に感謝しました。



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人は人を幸せにできるの?

2014-02-07 17:09:44 | 聖書から
インフルエンザが猛威を振るっています。ヒックンも月曜日からインフルエンザB型にかかり、39℃の熱が出たと言っていました。先週の土、日に遊びに来たときは元気だったのに……。

火曜日にヒックンママが「お父さんやお母さんにうつしたのではないでしょうか」と心配してメールをくれたときは、皆元気でした。

ところが、主人が夕べから発熱。37.2の微熱ですが、今日病院へ行って調べてもらうと、やはりB型インフルエンザでした。
いつもいちばんにかかるわたしは、いたって元気です。
今年は予防接種を受けていてもかかるということなので、注射をしたからというわけでもなさそうです。


一昨日は今年初めて聖書輪読会をしました。3人で旧約聖書民数記の10~14章を読みました。
モーセたち、イスラエルの民は神様がくださると約束してくださった地をめざして旅をしていました。モーセは舅に一緒に旅をしようとさそいました。そのとき、次のように言っています。

「私たちは、主があなたがたに与えると言われた場所へ出発するところです。私たちといっしょに行きましょう。私たちはあなたをしあわせにします。主がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」(民数記10:29)

しあわせという言葉がひらかなで書かれていることに注目しました。『幸せ』とは、この世の幸せですが、『しあわせ』とは、神様が共にいてくださるという『しあわせ』なのだと教えていただきました。

男性が相手の両親に結婚のあいさつをするときよく「お嬢さんを幸せにしますから結婚させてください」と言いますが、人が人を幸せにできるのでしょうか……。

この世の幸せとは、無病息災、商売繁盛の言葉に集約されますね。
災害や事故、病気などを起こさないようにすることは不可能です。人がいくら気を付けても努力しても、長い一生の間、ずうっと幸せでいられるという保障はどこにもありません。
幸せを願うことは悪いことではありません。でも、幸せが人生の目的であったら、その幸せが失われたとき、絶望してしまいますね。

一方「しあわせ」だと、病気をしていても事故や災害に遭っても、どんな辛い目にあっても心に平安があります。それは、神様が一緒にいてくださるから、どんなことが起きてもだいじょうぶと思えるのです。

モーセは舅に「しあわせ」を約束しました。それには根拠があります。「主がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」とあるように『神様がしあわせにしてくださると約束してくださったのだから、その約束は本当です』と確信を持って言っているのです。

物質的に恵まれても心に憂いがあるとしあわせではありませんね。本当のしあわせとは、人のすべての考えにまさる平安を持っていることです。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6〜7)



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終わりのない冬はない

2014-02-04 20:51:38 | エッセイ
昨日はとても暖かだったのに、真冬の寒さに逆戻りです。朝から降っていた雨が、午後になって雪になりました。

今日は内科と婦人科通院の日だったので、病院まで歩いていきました。
いつもは自転車です。自転車で20分ぐらいかかるので歩いたら1時間ぐらいかなと思っていたら40分で着きました。早足でこれだけ歩くとホカホカ暖かくなります。ちょうどいい運動になりました。(元気な患者です)
 
日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)では、春・夏・秋・冬について400字エッセイを書いています。わたしが書いた「冬」のエッセイを紹介します。

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終わりのない冬はない

        
中2の毎日は終わりのない冬のようだった。 
いちばん辛かったのは、20分の昼休み。友達のいない私には居場所がなかった。ひとりでいるところを誰にも見られたくなかったので、図書室に行ったり、校舎の周りを歩いたりしてチャイムの鳴るのを待った。

3人連れのクラスメートに何度も行き会って恥ずかしくなり、トイレに籠った。
「長いな。誰が入ってるんやろ」
 
ふいに外から声がした。出るに出られない。どうしようと思ったとき、チャイムが鳴った。

その後、空想することで人目を気にせず時間を過ごせるようになった。ストーリーが生まれた。書き留めたら原稿用紙130枚にもなった。作家になろうと決心した。

このことが私に生きる意欲を与えた。作家になるために本嫌いだった私が片端から本を読み始めた。
その後、一冊の本をきっかけとしてキリストと出会った。本嫌いのままだったら出会えなかっただろう。終わりのない冬はない。


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人生の冬というと、老年期を思う人が多いかもしれません。でも、わたしにとって冬は中学2年のときです。関東から関西の学校へ転校して、なかなかなじめませんでした。精神的な苦しみに加えて喘息の苦しみがありました。
クラスでひとりも友達がいないということでつらい日々を過ごしていました。

担任の先生に呼び出されて「校舎の周りをひとりで歩いているんやて。友達作らなあかんで」としかられました。
引っ込み思案のわたしは、常に受け身で、自分から人に声をかけることがありませんでした。それまでは誰かが声をかけてくれて、少ないながらも友達がいたのです。ところが、中学2年になったとき、誰からも声をかけられず、かといって自分から声をかけることができず、孤立してしまいました。

どれだけ友達が欲しいと思ったことでしょう。それなのに先生から『作らなあかん』と言われるなんて……。
そのようなとき、空想するようになりました。現実逃避だったのかもしれません。空想の中ではたくさんの友達がいました。ストーリーが生まれ、おもしろくてたまらなくなり、書き留めることを思いつきました。

つらい冬の時期があったからこそ、発見できたのだと思います。

書くことで自分の存在を確かめることができ、書くことによって生きる喜びを見出していったのです。それは神様からのプレゼントです。
キリストと出会ったのは、それから8年も後のことです。きっかけになった本は、三浦綾子の「あさっての風」です。


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