生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ゆだねるとは……

2019-09-25 15:17:57 | 教会
22日の日曜日は3人の方が洗礼を受けました。その中の一人はTEENSのメンバーで中学3年生のSちゃんです。Sちゃんのことは赤ちゃんの時から知っています。中学一年生のころから素直な信仰をもって、受洗に至りました。なんと嬉しいことでしょう。

メッセージはTEENS担当のK先生でした。一部紹介させていただきます。(青字はメッセージ、緑字は聖書の言葉、茶色字はわたしの感想)

詩篇37章5~6節には
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。」

と書かれています。

道とはわたしたち自身のことです。
ゆだねるとは、ヘブル語では『ころがす』という意味です。手に持っているものを手放すということです。ゆだねたら、もう何も持っていないということです。


わたしは、祈りの最後によく「主にすべてをおゆだねします」と祈ります。でも、そのあとで色々不安になることが多いです。ということは、ゆだねていない、ゆだねきれてないということです。なんと不信仰なのだろうと落ち込んでいると、「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」という聖書の言葉が迫ってきました。


この詩篇を書いたのはダビデです。ダビデはサウルに命をねらわれて10年以上逃亡生活をおくっていました。
アドラムの洞穴に隠れていたとき、サウルはダビデたちがいるとは知らずに用を足しに洞穴に入ってきました。ダビデの部下は、サウルを殺す絶好のチャンスだと言いますが、ダビデはサウルの着物の裾の切れ端を取っただけでした。(Ⅰサムエル24:1-4より)

なぜダビデはサウルを殺さなかったのでしょう。それは、神様が事をなしてくださるので今後のことは、神様にゆだねると祈っていたからでした。神様のみこころが必ずあるので、自分の思いのすべてを神にゆだねたのです。

神様はゆだねられたことを必ず成し遂げてくださいます。
また、神様は誰よりも私たちの心と思いの正しさを知っておられます。神によってのみ光輝くのです。


ダビデはサウル王に対して何も悪いことをしていないのにサウルに追われる身となりました。逃亡生活は理不尽であり、精神的にも辛いものだったでしょう。その中にあってすべてを神にゆだねられたのは、ダビデが神様を信頼していたからなのですね。



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心からありがとう

2019-09-17 17:28:15 | 家族
暑さがもどってきました。照り付ける日差しは強いですが、風はひんやりした秋風です。

明日は、台風15号で被害にあった義母のホームにお見舞いに行ってきます。
義母の入居しているホームは千葉県にあります。千葉で大規模停電のニュースが入った時、とても驚きました。

電気と水道が止まり、屋上にあるお風呂のボイラーが台風で壊れてしまったそうです。
三度の食事はなんとか食べられたけれど、エレベーターが使えないので、職員の方が部屋に運んだと義母が言っていました。幸い2階建てなのでよかったです。
それでも大変だったでしょうね。職員の方々だけでなく、所長さん自らトイレの水運びをして流してくださったと聞いて、頭が下がる思いでした。

エアコンが使えなかったのは2日間でしたが、熱帯夜だったので、90歳を過ぎている義母が熱中症にならないか心配しました。

「電気が復旧するまで家に泊まりに来て」と言ったのですが、「みんなでがんばるからここにいる」との返事でした。

ホームに入居して2年近くになりますが、いい人間関係を築いているようです。

今回ほど義母が老人ホームに入居していてよかったと思ったことはありません。
一人暮らしを続けていたら、無理やりにでも家に連れてこなければならなかったでしょう。

茨城は東日本大震災でも電気は1日半で復旧したのに、地震ではなく台風でこんな被害が出るなんて思いもよらないことでした。千葉県内ではまだ電気も水道も止まっているところがあるというので、一刻も早く復旧するようにお祈りしています。

聖書の言葉

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書14:27



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宮嶋裕子さん再び

2019-09-10 18:26:06 | 教会
8日の午後、ナオミ会(教会の婦人会の一つ)で宮嶋裕子さんの講演会がありました。宮嶋裕子さんは、三浦綾子さんの初代秘書です。6月に婦人集会で宮嶋さんのお話を聞いて大変励まされたので、今回もぜひお聞きしたいと思いました。

でも、参加できるかどうかはぎりぎりまでわかりませんでした。
土日は孫たちがくる可能性が高いので、もし来たら講演会には行けません。

また、台風が近づいているので、午後までいたら自転車で帰れなくなってしまうかもしれません。
それでも希望を持って祈りつつ、当日は朝8時に家を出て第一と第三礼拝に出ました。

午後になって講演会が始まるとき、空は晴れていました。『きっと大丈夫』と、思い切って参加しました。大丈夫でした。

ふだん、ナオミ会に出ていない者ですが、皆さんが温かく迎えてくださいました。
講演が始まるころには疲れでふらふらしていました。手元にあるメモ書きを見ながら一部を紹介させていただきます。

綾子さんは、自分が罪赦されたことを本当に感謝していました。

自分の罪に気づいて自殺しようとオホーツク海に足を入れたとき、前川正さんに助けられました。
その後、綾子さんはキリストに導かれ、病床洗礼を受けました。

西村久蔵さんは、「クリスチャンは神さまの愛を伝える者なのだ」と言いました。それで綾子さんは受洗の翌日から祈り、キリストを伝えたそうです。

脊椎カリエスになって体が固定されるとき、牧師先生は「必ず治ります」と言いました。綾子さんはその言葉に助けられたそうです。

「人を励まし、慰める言葉を心に蓄えておかなければならない」と綾子さんは言っていました。

綾子さんは、自分がサマリアの女のようだとも言いました。

サマリアの女とは、ヨハネの福音書4章(新約聖書)に書かれていますが、イエス様と弟子たちがサマリアの町を通った時、井戸があったので、その傍らで休まれました。

お昼ごろひとりのサマリアの女が、井戸に水くみにやってきました。女は、後ろ指をさされるようなことをしていたので、町の人が水を汲みに来ない時間にやってきたのです。

イエス様は「水を飲ませてください」と女に声をかけられました。

当時、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪く、顔を合わせても言葉を交わすことがなかったそうです。

彼女は驚きましたが、イエス様と話をするうちにイエス様が預言者だと信じるようになります。
イエス様は、女の過去を言い当てました。

彼女は町へ行って、イエス様のことを伝えました。サマリアの人たちはイエス様に滞在してくれるように頼み、イエス様は2日間留まり、福音を伝えます。それでサマリアの人々はイエス様が救い主だと信じました。

綾子さんがこの女の人と自分を重ね合わせたのでしょう。相手が何と言おうと、イエス様のことを伝えずにはいられないという気持ちで、書いて伝えたのだと思います。
最後に綾子さんの聖書に赤線が引かれていた箇所を紹介します。


「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。(ピリピ2;13、14)」



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