昨日は雨だったので祈祷会に出るため、歩いて教会に行きました。歩き始めてから足首が痛くなり、いつもの倍、時間かかってしまいました。ゆっくり歩くといいこともありました。鶯(たぶん…)に出会ったからです。とても寒かったけれど、春を感じて嬉しくなりました。これは雨の上がった帰り道で撮りました。
家庭集会の学びの続きです。
イエス様に「来てしもべを癒してください」と言わず「ただおことばをいただかせてください」と言った百人隊長の信仰はすごいですね。わたしだったらイエス様の手をつかんで、「早く、来て下さい」と言うでしょう。
目に見える形で癒しの業を見たいと思ってしまうのです。参加したひとりが「大切なものは目に見えないからね」と言っていましたが、その通りですね。
ヨハネ1:1には「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と書かれています。つまり神様=ことば=イエス・キリストなのです。
創世記には神様が「光よあれ」と言って光ができたことが書かれています。
イエス様が天地万物を造られ、いっさいの権威を持っておられること。イエス様にはできないことはなく、癒すことも命を奪うことも命を与えることもお出来になるということを百人隊長は知っていたのですね。
わたしも、百人隊長のような信仰をもちたいです。
イエス様は人生の中で起こる出来事すべてを支配しておられます。いっさいのものの創造者であるイエス様は、わたしの細胞一つひとつも造って下さいました。わたしの髪の毛の数さえ知っておられるイエス様ですから、「それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。(マタイ12:7)」一つひとつの細胞の状態もご存じで、癌にすることも癒すこともお出来になります。
薬の副作用による痛みを起こすことも癒すこともお出来になります。
病気にならないこと、すべてが順調にいくことを願いますが。イエス様はわたしにとっていちばん良いことをしてくださいます。
病気になったり、思わぬ不幸が訪れると「神様、どうしてですか?」と心騒がせてしまいます。
でも、あとから考えると、それは不幸なできごとではなく、そのことが起きたから良い結果になったということに気づくことが多いのです。
今までにわたしの人生に起こった出来事はそうでした。乳がんになったことは、不幸なできごとではなかったのです。それどころか、たくさんの益をもたらしてくれました。
ですから、これからもきっとすべてが益となると信じます。全知全能のお方、イエス様に「ただ、おことばをください」と言えるようになりたいです。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」
おわり