1月も最後になりました。今日は天気がいいので自転車で美容院に行って、その帰りに駅の向こう側までいってきました。行き先は100円ショップ。教会学校の子供たちにお皿に絵を描かせて焼き、記念のプレゼントにしようと計画していたので、お皿を見に行ったのです。模様がついてない物でオーブン可というお皿がなかなか見つからず、グラタン皿のような形の物を3種類買ってきました。家で色づけして、どのお皿がいいかためしてみようと思います。楽しみです。
昨日、NHK「生活ほっとモーニング」で闘病記の本が用いられていることが番組で取り上げられていました。興味があったので家事をしながら見ていました。全国各地の図書館や病院で、闘病記を集めた専門のコーナーが設けられ、人気を集めているそうです。「闘病記文庫」を設置した鳥取県立図書館はでは、あらゆる病気の闘病記が病気の種類毎に分類されて貸し出しできるようになっています。
病気の人が、自分と同じような病気の方の本を読んで励まされたり、自ら闘病記を書くことによって回復していく様子が紹介されていました。
また、医師や看護師、看護学生が患者の気持ちを知るために闘病記を読んでいるのも紹介されました。
病気のことをよく知っている医師や看護師より、その病気を体験した者の方が患者の気持ちがよくわかります。心の葛藤などは、体験した者にしかわからないのです。そういう意味で闘病記が用いられることは素晴らしいことです。
ただ、費用のことを考えると(自費出版がほとんどなので)、書いても誰もが出版できるとはかぎりません。その点、インターネットはお金がかからなくていいです。
わたしがHPを立ち上げた理由のひとつは、乳癌の闘病記を書いて、同じような病気の人の励ましになればいいと思ったからでした。でも、ネットをしない人たちに伝わりにくいのが残念です。
病気になってつらいことは、病気の苦しみ、お金の問題、理解してくれる人がいないことの3つだとテレビで言っていました。
病人が理解されたいと思うのは当然のことです。でも、そばにいる家族でさえその苦しみが理解できないことがあります。同じ病気の人でも、人によって症状が異なるので、完全には理解できないでしょう。
完全には理解できなくても、心から祈ってくれる人がいれば、わたしはそれで充分です。
イエスさまだけが完全に理解して下さいます。けれども、辛い状況になったとき、ひとりで祈っていると悲しみに押しつぶされそうになるのです。
昨日書きましたが、モーセがひとりで祈ったのではなく、アロンとフルが共に祈って勝利しました。
わたしは、病の苦しみの中にある方々のために毎日祈っています。そして、わたしも祈られています。