生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

いじめや自殺がなくなる薬

2007-06-30 16:00:05 | 日記

わたしはあまりテレビを見ないのですが、興味のある番組があると録画し、食事の時、数回に分けて見ています。久々に感動的なドラマを見ました。フジテレビの「わたしたちの教科書」です。28日の最終回は昨日見たのですが、意外な結末に驚き、感動しました。暗いドラマでしたが、最後に希望が見えてほっとしました。
 
女子中学生が教室の窓から転落死するというショッキングな事件から物語は始まります。学校側は事故だと主張しますが、少女がいじめられていたという証拠がみつかり、彼女の継母であり、弁護士でもある主人公積木珠子(菅野美穂)が、裁判を起こすという物語です。


ドラマはいじめという問題に対して法律という側面から迫っていきます。今までにない視点からです。教職の矛盾、いじめの実態、教師の無力感などが現され、考えさせられるドラマでした。

死んでしまった少女明日香は、自殺ではなく事故死だったことがわかります。明日香が転落するときその教室にいたという、小学2年生の時からの友だち、朋美が裁判所で証言します。朋美は自分のせいで明日香が死んだと自分を責め、証言の後心が壊れたようになってしまいます。
その1年後、朋美が積木珠子に連れられて明日香との秘密の隠れ場に行って、コンクリートの壁に書かれた明日香の自分に宛てた手紙を発見するというところでドラマは終わっています。
その手紙文を紹介します。


明日香より。明日香へ。
わたし、今日死のうと思ってた。ごめんね。明日香。
わたし、今まで明日香のことがあまり好きじゃなかった。
ひとりぼっちの明日香が好きじゃなかった。
だけど、ここに来て気付いた。
わたしはひとりぼっちじゃないんだってことに。
ここには8才の時のわたしがいる。
わたしには8才のわたしがいて、13才のわたしがいて、
いつか20才になって、30才になって、
80才になるわたしがいる。
わたしがここで止まったら、
明日のわたしが悲しむ。昨日のわたしが悲しむ。
わたしが生きているのは、今日だけじゃなんだ。
昨日と今日と明日を生きているんだ。
だから明日香、死んじゃだめだ。生きなきゃだめだ。
明日香。たくさん作ろう。思い出を作ろう。
たくさん見よう。夢を見よう。明日香。
わたしたちは、思い出と夢の中に生き続ける。
長い長い時の流れの中を生き続ける。
時にすれ違いながら、時に手を取り合いながら、
長い長い時の流れの中を、わたしたちは、歩き続ける。
いつまでも。いつまでも!


この手紙文を読んだ珠子と朋美はどれほど慰められたことでしょう。このメッセージは視聴者に「生きよ」と訴えています。家族の愛に恵まれず、孤児院で過ごした明日香。自分がいなくなってもだれも悲しむ人はいないと言う明日香。小学生のとき、朋美と過ごした時間が唯一の楽しい思い出だったのかもしれません。そんな思い出と夢があったから生き続けることを願ったのでしょう。

もし、楽しい思い出や夢がなかったとしても、誰からも愛されていないと感じたとしても
「生きて下さい」とわたしは叫びたいです。


明日香の担任だった加治先生は、「いじめや自殺がなくなる薬が発明されればいいのに」とつぶやきます。

その薬はすでに人類に届けられています。薬は誰にでも手に入り、世界中の人が飲んでもなくならないほどたくさん用意されています。でも、それを飲んだ人はわずかです。

その薬をわたしは知っています。それは「互いに愛し合う」という薬です。他の人を自分と同じように愛し、大切にできれば、いじめも自殺もなくなりますね。
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ラジオ放送の紹介と「よろこびの泉」

2007-06-29 12:12:57 | 日記

今月16日にもブログで紹介しましたが、クリスチャンライターの三浦喜代子さんのラジオ放送(FEBC)がインターネットで今日から聴けます。さっそく、さきほど聴きました。
大きな試練の中で「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した」(エレミヤ31:3)という聖書の言葉を読み、ここに愛があったのだと知り、大きな平安を戴いたそうです。
その神さまの愛を書きたいとペンをとられたというあかしを聴いて感動に胸が震えました。ぜひお聴き下さい。
番組名は【コーヒーブレイク・インタビュー】です。放送は以下の通りです。
ラジオは、AM1566kHz 6月30日(土)午後9時55分から30分
インターネットでは、http://www.febcjp.com 本日より2週間です。


写真は日本ミッション発行のトラクト「よろこびの泉」(A4 4ページ)〔7/1
発行〕です。
わたしの書いたあかしを載せていただきました。

「心のすき間が埋められて」という救いのあかしです。
HPにも掲載しているものですが、制限字数にあわせて少し書き直しています。
詩「死なないでください」も掲載していただきました。
何部くらい発行されているのかわかりませんが、関西方面の教会で配布されているようです。


むなしさ、さみしさを抱えて、生きる意味を見いだせずに苦しんでいる人のところに……死にたいと思っている人のところに……洗礼を受けたのに教会を離れてしまったという人のところに届けられたらいいなあと思い、祈っています。


500部も送られてきました。配りきれないので、もらっていただけませんか。住所と希望枚数をメールでお知らせ下されば、送料も無料でお送りします。教会で配って下さるのでしたら、教会の住所をお知らせ下さい。

メールアドレスは、ブックマークにあるわたしのHPのメールのところを開いて下さい。
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書くことは回復に……

2007-06-28 13:05:55 | 

童話、詩、小説、エッセイ、ジャンルを問わずに書いていますが、自信がないものばかりです。それでも、書くことが回復につながるので、今日は詩を載せます。


胸の痛み

心って、胸にあるんだね
だって、悲しいと 
心臓のあたりが
痛くなるのだもの

むなしさと さみしさを 
感じたときも
胸が痛むのは なぜだろう

それはね
神さまに呼ばれているんだよ
神さまの呼びかけが
胸の痛みとなって
響いているんだよ



この詩は24日の礼拝メッセージで語られたことと関連しています。アダムとエバが罪を犯したため、人は神さまと断絶してしまいました。女には出産の苦しみが与えられ、男には労働の苦しみが与えられ、いくら働いても達成感を得ることができなくなってしまいました。

そして、人はやがて土に返る、すなわち死が訪れることが定められました。そのときから人はむなしさを感じるようになったのでしょう。

でも、そのむなしさが人の心に沸き上がってくる訳は、人の心を神さまに向けるためなのだと聞いて、嬉しくなりました。
さみしいとき、悲しいとき、むなしさを感じるとき、それは神さまからの呼びかけだと思うのです。神さまの呼びかけに答えたとき、回復が始まるのです。
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回復を必要とするわたし

2007-06-27 17:25:51 | 日記

このところずうっと体調がよかったのに、気候のせいか(それとも更年期障害?)ひどい倦怠感におそわれています。

それでも、自分を奮い立たせて祈祷会に行ってきました。疲れたのか帰ってから2時間も寝てしまいました。昼寝するなら20分以内と決めているのに目覚ましを止めて寝ていました。
いま、だるい体にむち打ってパソコンに向かっています。


礼拝メッセージを書こうと思いつつ、日にちがたつと詳しく書くことができなくなってしまいました。
今回は強く印象に残ったことだけを書かせていただきます。これは現在のわたしに必要なことでもあります。

アダムとエバが罪を犯して以来、人間は回復されることが必要になりました。回復というのは盗まれた物を取り戻すという意味だそうです。つまり、失われたものの回復です。
回復プログラムには次の3つのステップがあります。

1:自分の無力を認める
2:愛のお方である神に解決する力があることを受け入れる
3:神の御手(みて)にゆだねる。(神の招待状を受ける)



この3ステップを現在のわたしにあてはめると、以下のようになります。

わたしは、大きなテーマで童話を書こうと試みました。いままで世界のクリスチャン作家が書こうとしてきたテーマで、成功作品はわずかです。何度も書き直しましたが、……だめでした。自分の力ではとても書けないことを認めます。能力も、信仰も欠けていることを認めます。

自分の力で書き上げるのは不可能なことですが、神さまが力を与えて下されば可能になると信じます。

書ける日がくるまで待ちます。(生涯の終わりの日に書けるかもしれません)作品が書けたとしても、それが用いられるかどうかわかりません。そのこともすべて神さまにおまかせします。
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不思議なつながり

2007-06-23 22:10:55 | 日記

今日帰ってきました。4日間の間にあちこち行きました。千葉の主人の実家と、東京三鷹の自分の実家。昨日は八王子に住む友人と吉祥寺で会い、今日はお茶の水のクリスチャン・ペンクラブの集会に出席しました。義母は思ったより元気だったので安心しました。

八王子の友人、Wさんと会ったのは5,6年ぶりになるでしょうか。長男が小学生のとき、同じマンションに住んでいました。同じ学年の男の子がいて、土浦に引っ越してきてすぐ子供どうし友だちになり、お互いの家を行ったり来たりしていました。母親も仲良くなって、毎週のようにお茶飲みしながらおしゃべりをしていました。たった4年半のおつきあいでしたが、共に育成会の本部役員で大変な経験をしたので、特別な思いがあります。

Wさんは、お子さんが中学に入学したとき、一家で八王子に引っ越していきました。でも、それからずっと連絡をとりあっていました。

今回、久しぶりに会って話していて初めてわかったことがありました。Wさんの実家とわたしの母の実家(今は叔母が住んでいます)が近いことです。子供を出産した病院も同じ区内でした。そして、なんとWさんとわたしの産まれた産院が同じだったのです。

わたしが産まれた約半年後に同じ産院でWさんが産まれたことになります。50年前、Wさんのお母さんと母は産院で顔を会わせていたのかもしれません。不思議なつながりだと思いました。

「海底王国の謎」の続きは明日。

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6月の家庭集会(その2)

2007-06-16 13:21:47 | 聖書から
敬愛するクリスチャン作家の三浦喜代子さん(日本クリスチャン・ペンクラブ理事)がキリスト教ラジオ放送(FEBC)に出演します。番組名は【コーヒーブレイク・インタビュー】です。放送は以下の通りです。
ラジオは、AM1566kHz 6月30日(土)午後9時55分から30分
インターネットでは、http://www.febcjp.com 6月29日朝10時から2週間です。
内容はクリスチャンライターとしてあかし文章活動をしている三浦さんの人生の証しです。ぜひお聞き下さい。


昨日に引き続き、家庭集会で学んだこと、感じたことを書かせていただきます。


イエスさまが、ひとり息子を亡くしたやもめと出会ったとき、かわいそうに思われたと聖書に書かれています。
このかわいそうに思いという言葉に
なぜキリストが地上に来なければならなかったか
が示されていると牧師先生が言われました。


神にとって最大の悲しみは人の死です。
創世記に
神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。(1:27)
神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生き物となった。(2:7)

と書かれているように、神さまは人を永遠に生きられる存在として造られました。ところが、人は罪を犯して死を招き入れてしまいました。

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、お前の頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。(創世記3:15)

この聖句の言葉の意味は以下のようです
*わたし=神 *おまえ=サタン *女=エバ *おまえの子孫=悪霊 *女の子孫=人類
*彼=イエス・キリスト


これは、アダムとエバが神さまから禁じられていた木の実を食べるという罪を犯したとき、エバをそそのかした蛇に向かって神さまが言われた言葉です。原福音といわれ、イエスキリストが十字架によって死を滅ぼすということを意味しています。

神さまは人が最初に罪を犯したとき、罰を与えると同時に救いの方法も示して下さっていたのですね。


それは、神さまが、死によって人の魂が滅んでしまうことを何よりも悲しまれているからです。罪のため、滅んでしまうしかないわたしたちを救うために神さまはひとり子イエスを地上におくってくださいました。イエスさまは十字架につけられて死に、3日目によみがえり、死を滅ぼしてくださいました。そのため、わたしたちはイエスさまを信じるだけで肉体は滅びても、魂は永遠に生きられるようになったのです。

ナインの町のやもめの息子をよみがえらせたことの意味は、イエスキリストが人を死から救うメシアとして地上に来られたことを示しているのだと聞いて目が開かれた気がしました。


人は肉体と神さまの霊(まことの命)を持って生まれてきています。肉体は、どんなに健康な人でも100年余りしか生きられません。でも、まことの命は永遠なのです。初めてそのことがわかったとき、人生の空しさを感じていたわたしは、とても嬉しかったことを思い出します。


人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16:26)




                  おわり
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6月の家庭集会(その1)

2007-06-15 18:45:38 | 聖書から

今日は我が家での家庭集会でした。7人の方が来て下さいました。聖書はルカの福音書7章11~17で、ナインという町でイエスさまがやもめのひとり息子の埋葬の列に出会い、死んでいた息子を生き返らせたことが書かれている箇所を学びました。


当時やもめ(未亡人のこと)の社会的立場は弱く、男性中心の社会でしたので女性が一人だけで生きていくのは難しいことでした。夫が死んだ場合にも跡継ぎの息子がいれば、母親である女性はその家を守ることは可能でした。
ところが、やもめのひとり息子が死んでしまったのです。母親は絶望し、放心状態になっていたのだと思います。そんなやもめのところへイエスさまは近づいて行かれます。


聖書には、主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。と書かれています。
『かわいそうに思い』
というのを読んで胸がジーンと熱くなりました。聖書の中でイエスさまの感情が書かれている箇所は少ないのですが、ここにははっきり書かれています。そして「泣かなくてもよい」と言われたのは、単なる気休めではなく、死に打ち勝つことのできる者が来たから大丈夫だよと言われているのです。
そう言われた後、イエスさまはやもめの息子を生き返らせました。


このところで、一緒に学んでいた友人が泣きました。友人は9年前に12歳の息子さんを病気で亡くしているのです。息子さんが亡くなったとき、この箇所を牧師先生が読んでくださったそうです。そのとき、「このやもめの息子はよみがえったからいいなあと思った。でも、わが子は生き返らない。どうして?と心がボロボロになるほど悲しみ、今でもつらい」と言っていました。2年前にご主人を亡くされた友人も泣いていました。
わたしも父の死のことを思ったのですが、ふたりの悲しみは、わたしのよりはるかに大きいのだと感じ、胸が痛みました。

それでも必ず天国で息子と再会できるという希望があると友は語っていました。悲しみばかり見つめないようにしている。悲しみを乗り越えることはできないけれど、悲しみではなく、イエスさまをみつめている。という言葉に感動しました。
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コイノニア

2007-06-13 17:27:31 | 教会

韓国の大方(デバン)教会と土浦めぐみ教会はコイノニアという親しい交流を続けて、訪問しあったり、祈りあったりしています。それが今年で10年になります。
(コイノニアとはギリシャ語で「交わり」「分かち合う」という意味です。)

今日、祈祷会でコイノニアの歴史をふりかえって話を聞きました。
大方(デバン)教会と土浦めぐみ教会でこの10年の間にのべ400以上の人が行き来したそうです。娘も中学生の時、韓国に行って韓国の中高生と共にキャンプをしたり、ホームステイさせていただきました。韓国はおもてなしの国といわれているそうですが、いつも訪韓すると大歓迎されるそうです。今年は8月に大勢の中高生を韓国から迎えます。


普段も教会に韓国の方がたくさんおられるので、韓国の方と親しいのは当たり前だと思っていました。
でも、最初韓国の教会を訪れたときは歓迎という感じではなかったそうです。それは韓国と日本の歴史の中で悲しい出来事があったからです。


数年前のことです。日本から韓国に留学していた学生が、日本人拉致問題について、韓国では問題視されていないことを疑問に思って、韓国人の学生に尋ねたそうです。すると「北朝鮮のしたことは、日本人がアジアにしてきたことと同じなので問題になりようがない」と答えたそうです。


それが、韓国人の日本人観なのです。韓国では日韓の歴史をしっかり教えますが、日本では詳しく教えていません。そのギャップに気づかされました。
それは戦争中の出来事で、戦後生まれの人には責任がないと言う人もいます。『道徳的責任はないが、政治的責任は負う』と書かれている書物もありますが、だからといって「すいません」と口先だけであやまってすむ問題ではありません。
韓国人の70歳以上の方で日本語が上手な方が大勢おられます。それは、日本で強制労働させられていたからなのです。


韓国の独立記念館では、獄中で日本人が韓国人を虐待している場面が展示されていて、そこを訪れためぐみ教会の学生たちはかなりのショックを受けたようでした。
わたしもいつか韓国に行ったら、独立記念館を訪れたいと思います。


両国の間で悲しい歴史があったのにもかかわらず、心を通わせることができているのは、奇跡としか思えません。大方教会とのコイノニア宣言の一文には「両国の不幸な歴史を心にとめつつ、神の家族の一員として、キリストにある豊かな交わりを、熱心に求めていく」と書かれています。とうてい和解することができない者達が、キリストの十字架のゆえに和解したのです。


キリストこそわたしたちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。(エペソ2:14)

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波を踏みつけて来られた方が

2007-06-11 12:07:57 | 教会

雨が降りそうで降らない日が続いていました。天気のあやしい日は教会まで歩いていくのですが、荷物が重かったので昨日は自転車で行きました。行くときは日差しも出ていたので大丈夫と思っていたら、お昼ごろから大雨。
午後、CS夏期学校の準備委員会に出たので、帰るころは雨がやむのではないかと期待していました。
小雨にはなりましたが、なかなかやまないので、合羽を着て自転車で帰ってきました。

昨日の礼拝ではマルコ6:45-51から「向かい風」というメッセージを聞きましたが、まさしく向かい風と雨の中、自転車をこぎました。


イエスさまが5つのパンと2匹の魚を用いて5千人以上の人を満腹させるという奇跡を行った直後のできごとです。イエスさまは弟子たちに強いて舟に乗り込ませ、ご自分はひとり祈るために山の方にいかれました。

弟子たちの乗った舟は向かい風で進めず、一晩中こぎあぐねていました。夜中にイエスさまは湖の上を歩いて舟に近づいていかれました。弟子たちは幽霊だと思って恐れました。

聖書にはイエスさまはそのまま通り過ぎようとされたと書かれていますが、ひどい向かい風で悪戦苦闘している弟子たちに声もかけず、通り過ぎようとされたのはなぜでしょう? と問われ、「イエスさま、ちょっと冷たいのではないですか?」と言いたくなりました。



でも恐れた弟子が叫び声を上げたとき、イエスさまは「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われました。

イエスさまは弟子たちがどんな目に遭っているか全部ご存じで、決して放っておかれたのではないのです。イエスさまは、弟子たちに対してあふれるほどの思いがあり、助けたくて仕方なかったのだと牧師先生が言われました。

イエスさまは弟子たちを強いて舟に乗り込ませました。弟子たちにあえて試みと訓練を与えたのです。神さまが、アブラハムに愛する子イサクを捧げなさいと言われたことと共通していると思いました。


向かい風にあうように、わたしたちも困難な出来事に遭遇することがしばしばあります。なぜこのような目にあうのだろう?と神さまに理由を問いただしたくなることがあります。でも困難のまっ最中には、たいてい理由はわからないものです。
それでも、神さまには理由がある。苦難には必ず何かの意味があると聞いて、なぜ? と問うのはもうやめようと思いました。
アウグスチヌスは、イエスは波を踏みつけて来られた。イエスは人生に災いをもたらすすべての混乱を踏みつけられた。……波を踏みつけて来られた方が私たちを助けて下さる。と言ったそうです。


クリスチャン・ペンクラブのHP昨日更新しました。ぜひご覧下さい。

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アブラハムに思いを寄せて(その3)

2007-06-09 13:23:43 | 聖書から
前回はアブラハムの失敗について書きましたが、アブラハムの素晴らしい信仰に圧倒されることも多いです。今日はアブラハムが神さまのテストに合格したことを書きます。


アブラハムに最大の試練が訪れました。アブラハムが100歳の時、25年も待ってやっと産まれたイサクです。目に入れても痛くないほど可愛かったでしょう。
イサクは、アブラハムにとっていちばん大事なものでした。そのイサクを全焼のいけにえとして捧げなさいと神さまが命じたのです。

当時礼拝を捧げるとき、動物を殺して捧げていました。全焼のいけにえとして捧げるとは、殺して血も内臓も取り出して焼くということです。あまりにも酷すぎる命令ではないでしょうか。わたしなら子供とどこかへ逃げ出してしまうかもしれません。

聖書にはアブラハムの心情がいっさい書かれていませんが、相当苦しんだことでしょう。聖書の行間から、4000年という時を越えてアブラハムの思いが迫ってきます。

なぜ神さまはこのような試練をアブラハムに与えたのでしょう? 神とイサクとどちらが大事なのかと突きつけられているようです。
アブラハムはイサクを深く愛していました。でも神さまの命令に従ったのです。神さまを深く信頼していたからでしょう。


神さまは、アブラハムがイサクに小刀を振り下ろそうとしたそのときストップされました。そして、イサクの代わりに雄羊を用意されました。

神さまはアブラハムが本気でイサクを捧げようとしているか試しておられたのでしょう。それは神さまが後にひとり子、イエスを捧げることを予感させるものでした。当時のアブラハムはそこまで気づかなかったと思いますが、神さまは実際ご自分の愛するひとり子を捧げたのです。

アブラハムにこのような試練を与えたのは、彼を精錬し、その信仰が純化されたものとなるためだったのですね。


やぶに角をひっかけている一頭の雄羊を見たとき、アブラハムの喜びはどれほど大きかったでしょう。

神さまの命令に従ったアブラハムの信仰に大きな感銘を受けました。そして、雄羊を備えて下さった神さまの愛の大きさと哀れみに心揺さぶられました。

主の山には備えがある(創世記22:14)

                おわり

今日はこれから子供家庭集会のはこぶねクラブです。紙芝居を持っていきます。

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アブラハムに思いを寄せて(その2)

2007-06-07 11:57:04 | 聖書から

アブラハムのことを調べているうちにアブラハムという人物に親しみを感じてきました。今日はアブラハムの失敗についてわたしの感想を書きました。


ウルという町から神さまの示す約束の地に向かって旅を続けたアブラハムに危機が訪れました。日照りが続き、飲み水がなくなってきたのです。アブラハムは家族だけでなく、大勢の僕、家畜を連れています。荒野の旅で何日も雨が降らないということは、死を意味します。アブラハムはエジプトに進路変更しました。

エジプトにはパロという王様がいました。(エジプトの王は代々パロという名だそうです)アブラハムは、妻のサラが美しいので、自分がパロに殺されるのではないかと恐れ、サラを妹だと偽りました。このとき、サラはどう思ったのでしょう?聖書にサラの気持ちは書かれていませんが、夫にそのように言われてショックだったのでしょうか? それとも命を守るためにはいたしかたないと思ったのでしょうか? パロはサラを召し入れてしまいます。


このところのアブラハムの心理もよくわかりません。サラは異母兄妹だったそうですから妹というのは事実なのですが、最愛の妻なのです。妹と言えばパロに召し入れられることは想像できたはずです。妻だといったら、パロはアブラハムを殺して奪おうとするのでしょうか? その可能性はあったのかもしれません。それほどサラが美人だったのでしょう。それにしても、このときサラは65歳。色香が衰えてないとはすごいですね。


アブラハムのとった行動は確かに間違っていました。でも、神さまはアブラハムを罰するのではなく、パロとその家をひどい災害でいためつけ、サラを返させるようにしています。そしてパロからアブラハムに家畜や奴隷などの贈り物が届けられました。

サラがパロに召し入れられたままアブラハムのもとに戻らなかったら、子孫の約束は反故にされてしまいます。(以前、神さまは、子のないアブラハムに子孫を増やすと約束をされています)約束の遂行のために神さまが介入して下さったことが、すごいと思いました。


後にアブラハムはこのときと全く同じような過ちを犯します。このときも神さまの介入でサラはあわやというところで助けられるのです。

聖書には信仰の父と呼ばれるアブラハムの失敗が隠さず書かれているからおもしろいです。偉人伝なら省かれるような箇所です。決してアブラハムが立派だったから神さまに選ばれたのではないという証拠ですね。
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梅ケーキ作ってみました

2007-06-06 17:15:57 | 日記
梅ケーキを焼きました。主人のために毎年梅酒を作るのですが、取り出した梅を捨てるのはもったいないと、梅ジャムを作ってみました。苦労して種を取り除いたというのに不評で誰も食べてくれません。無駄にはしたくありません。そこで、パウンドケーキに混ぜ込んで作ると、とっても美味。食べ過ぎて太ってしまいそうです。

パウンドケーキ1本分の作り方を紹介します。(かなりおおざっぱですが……)

 
1)水を入れた鍋に梅酒の梅を入れ、ふっとうさせてからザルに上げる。(これだけでかなりアルコールが抜けます)
2)鍋にひたひたの水と梅、砂糖(分量は適当)を入れ、水分がなくなるまで煮て種を取り除く。
3)薄力粉100グラムとベーキングパウダー小1は振るっておく。
4)バター100グラムをレンジで20秒加熱して、砂糖50~80グラムを2.3回に分けて入れ、ゴムべらで混ぜる。
5)卵大2個は黄身と白身に分け、黄身は1個ずつ4)に入れて混ぜる
6)白身は塩ひとつまみ入れてハンドミキサーで固く泡立てる。
7)2)と5)をよくまぜてから、3)と6)を入れ、ざっくりまぜる。
170度のオーブンで40分焼いて出来上がり

*梅ジャムの分量はお好みで。砂糖はジャムの量によって調節します。わたしはジャムを半カップぐらい入れ、砂糖は50グラムにしました。
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「わが旅路の歌」を読んで

2007-06-04 13:33:43 | 読書

わが旅路の歌―創作讃美の実際と宣教の現状―
(佐藤一枝編・著 一粒社)を読みました。先月出版されたばかりの本です。佐藤一枝姉とは日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)でご一緒させていただいています。(クリスチャンは主にあって兄弟姉妹ということで、兄、姉と呼んでいます)
佐藤姉はカンタータや数々の聖歌を作詞、訳詞されています。現在80歳になられますが、姿勢も歩き方も若い人のようで、講演や取材など幅広く活躍されています。


JCPのHPにこの本の紹介文を書かせていただくことになりました。2005年11月に出版された佐藤姉の「喜び歌いつつ御前に来たれ」についても書かせていただきましたが、紹介文を書くのはなかなか難しいです。
書くためには内容をしっかりと把握しなければならないので、線を引きつつ真剣に読みます。的はずれな読み方になっていないか不安なので、もう一度読み返します。そして書き始めるのですが、今回は感想文のようになってしまいました。というのは、何箇所かで感動して、そのことを書かずにはいられなかったからです。
拙い紹介文ですが、佐藤姉がとても喜んで下さったので嬉しかったです。


作詞されるときの困難は、わたしが作品を生み出すときの苦しみと相通じるものがあります。祈りの中から賛美を生み出していく姿勢には教えられました。

その紹介文をここに掲載させていただきます。

「喜び歌いつつ御前に来たれ」の続編ともいえる本で、2007年5月1日に出版されました。
1章には佐藤一枝姉が作った賛美の詞や聖書カンタータの詞が掲載されています。作品の背景や土壌となった信仰を伺わせる文章に心打たれます。
故古山洋右牧師の「私たちが神に対してなし得る最高の奉仕、実はそれは賛美なのです」という言葉が引用されていますが、賛美と祈りが切り離せないこと、祈りの中から作品が生まれてくることが示されています。
2章は『日本ウィクリフ聖書翻訳協会』の総主事、永井敏夫牧師との対談。井上義実牧師の書かれた青年宣教の現状と展望が掲載されています。
3章は日本クリスチャン・ペンクラブの理事長池田勇人師の詩。中年伝道合唱団「ディープリバーズ」の高松明氏の証。4章は佐藤姉が『千葉英和高校』で創立者中田羽後師のことを語られたことなど。5章は佐藤姉の短歌と証がさわやかな文章で綴られており、心温まる内容です。


この本の購入先、値段等はJCPのHP(ブックマークにあります)、本の紹介ページに載せています。ご覧下さい。
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June Bride

2007-06-02 17:28:16 | 日記
 
今日は教会で結婚式がありました。二人ともクリスチャンホームで育ち、ご両親から神さまの前における誠実さを受け継いでいることを知り、大変嬉しく思いました。Mくん、Sさん、おめでとうございます。
詩人吉野弘さんの祝婚歌を贈ります。

 
祝婚歌   吉野 弘

二人が睦まじくいるために
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい



この詩を読むとジーンと胸が熱くなります。『祝婚歌』は、姪御さんの結婚式に出席できない吉野さんが送ったものだそうです。姪御さん夫妻にいい夫婦でいてほしいという願いがこめられているように思います。

(アブラハムのことはまた後日書きます)
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アブラハムに思いを寄せて(その1) 

2007-06-01 12:33:10 | 

OBIのリポートがようやく書けました。2か月近くかかってしまいました。アブラハムについて調べたのですが、アブラハムの生涯から箇条書きにすると、25項目ものことを教えられました。

アブラハムといえば、信仰の父と呼ばれている人ですから、立派な人物という印象が強いのですが、迷い、恐れ、時には失敗もする人であったのです。なんだか親しみを感じました。


子のないアブラハムに神さまは「あなたの子孫を増やす」と約束しますが、最初の約束がアブラハム75歳、奥さんのサラ65歳の時です。しかし、実現するのはそれから25年も先のこと。アブラハム100歳、サラがなんと90歳でイサクを生むのです。

25年という歳月の間に2人は待ちきれなくなって女奴隷ハガルによって子供(イシュマエル)を得てしまいます。このことは、神さまのみ心ではなかったかもしれませんが、神さまはイシュマエルのことも祝福し、一つの国民としようと言って下さいます。それでイシュマエルはアラブ人の祖先となったのです。

神さまはアブラハムにどうして25年も待たせたのでしょう? 不思議に思いました。
25年という年月は長いです。しかも高齢で子を得る可能性がだんだん少なくなってくるというのに………。

神さまは、イサクが約束の子であることを示すために、普通では子を得ることが不可能な年になるのを待って与えたのと知って、なるほど……と思いました。その年で子が与えられたなら、神さまの介入で生まれたのだと思わざるをえません。
待つことは困難な中を進むことより忍耐を必要とします。25年という年月は忍耐を養うのに必要な期間でもあったのですね。


わたしは待つことが苦手です。バスが5分遅れただけでイライラして歩き出してしまいます。何かを待っているときも、待ちきれずに自分の考えで行動を起こして失敗してしまうことが今まで何度もありました。

神さまは、アブラハムに子を与える時を知らせませんでした。いちばん知りたい「いつ?」というのが直前までわかりませんでした。
神さまには神さまの時があるということを知らされました。

へたくそな詩を紹介します。


神の時計

わたしの時計は あわてんぼう
チクタク チクタク
あせっている

神の時計は ゆっくりと
止まっているように
ゆっくりと

自分の時計で 風をきり
すすめ すすめ どこまでも

いつの間にか ふりだしに
ぐるっと一周 ふりだしに

神の時計は 音もなく
気づかないうち 進んでた
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