生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

めぐみ祭り

2009-08-31 16:39:51 | 教会

昨日は年に一度の教会のお祭り、めぐみ祭りでした。祭りというと、神社の境内でと考える方が多いでしょう。クリスチャンは神社のお祭りに積極的に参加したいとは思いません。でも、子どもたちはお祭りが大好きです。

クリスチャンホームの子どもたちが楽しめるお祭りを教会で行いたいという願いから、めぐみ祭りが始まりました。もちろん、クリスチャンホームでない子どもたちも、大人も楽しめるものとなり、毎年500人以上の人が訪れてきます。今年はバスで東京の教会から40名もの方が来て下さったそうです。


子どもたちには、ヨーヨーつりやダーツ、ペットボトルボーリング、輪投げなど楽しいゲームが用意されています。

もちろん、食べ物屋さんもたくさんあります。おにぎり、焼きそば、関西のタコ焼きや韓国のチジミ、コロッケ、クレープ、かき氷などなど。

盆踊りではなく、めぐみ音頭までオリジナルで作ってしまうのですから、すごいです。

午前中の礼拝が終わっていったん家に帰り、投票をすませてから、ヒックンとヒックンママ、娘と4人で出かけました。(めぐみ祭りにヒックンを連れていくのは初めてです)
パパ(息子)は相変わらず仕事。教会へ行くことのない主人は留守番です。雨がぱらつくあいにくの天気でしたが、たくさんの人が集まっていました。

最初に自然生クラブの方々が礼拝堂ですばらしい和太鼓演奏と踊りを披露して下さいました。(写真)

礼拝を捧げ、その後は食事とゲームの時間です。
ヒックンは輪投げをして、入らなかったのにオマケで車のおもちゃをもらって大喜びでした。

今回、わたしはヒックンを連れて行ったので、何のお手伝いもしませんでしたが、ここまで準備するのには前日から大変だったと思います。それでもすすんで奉仕して下さる大勢の方々によってみんなが楽しむことができるのだなあと感謝しました。

聖書にも過ぎ越しの祭りやプリムの祭りなどたくさんの祭りが行われていたことが書かれています。

「めぐみ祭りは、神様のすばらしさをほめたたえる信仰告白の場です」
と礼拝で語られましたが、ほんとうにそうだと思いました。
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児童文学の研修会

2009-08-28 11:27:53 | 日記

26日、27日に児童文学者協会茨城支部の研修会へいってきました。

参加者は講師の本木洋子さんプラス6名です。みんな50歳以上ですが、泊まった場所は昨年と同じ「青年の家」です。わたしたちの心の平均年齢は18歳ですからふさわしいですね。

木の向こうの建物が別館

今回は別館に貸し切りで泊まらせていただいたので、誰にもに気遣うことなく、ワイワイとおしゃべりできました。別館の名は「清思館」でしたが、わたしたちは清思ではなく「騒学」という感じでした。

学んだ部屋

今回の研修では、長い間のメンバーの願いである作品集を出すための準備をしました。本木さんに作品集に掲載する作品をじっくりと講評していただきました。

講評のあとで、今回も創作するうえで大切なことを教えていただきました。主なことを箇条書きにしてみました。

・書きたいことがきっちり書けるように基本的な土台を作ること。
・「序破急」を考えて、文章に緩急をつける。
・言葉に神経をはらう。ボキャブラリー(語彙)を豊富に。
・魅力ある文章、読ませる文章を書く。
・作者自身が楽しんで書く。
・自分の世界だけで、ものを見ていかない。そのためにアンテナを張り巡らす。
・登場人物の書き分けが大切。キャラクターの性格づけ。


これらのことができるなら、苦労しません。できないから、納得のいく作品が書けないのです。

1作品につき1時間ぐらいかけてゆっくりと講評していただきました。6作品あったので、2日間で6時間以上の学びです。他の人の作品の学びもすごく勉強になります。みんな真剣に取り組んでいました。

合間のテーィタイムでのおしゃべりでは、TさんやKさんの子どものころのエピソードを聞いて笑い転げました。
別館前、夕方の風景

わたしは、童話を書き始めたころのファンタジー作品を提出しました。15年も前に書いたものです。数えきれないほど何回も書き直しました。これまで合評に2回かけています。最初は原稿用紙20枚の作品だったのに、100枚の作品になりました。

土台から書き直しと言われなかっただけよかったのですが、たくさん書き直す箇所があって、最終的には200枚くらいになってしまいそうです。
締切は11月15日です。2か月余りしかないではありませんか。
わたしの力ではとても書き上げられません。

合宿の帰りに、「どうしよう。とても無理だ!」とわめいていました。(『無理』と言ったのは時間的にと、能力的にの二つの意味です。)
そのとき、
「書ける状態にあることが感謝じゃないの」
と友人に言われ、はっとしました。

健康が与えられていること。日々、自由に使える時間が与えられていること。
それなのに「無理だ」と叫んでいるのは、甘えにすぎないのです。
また、能力的に無理だというのなら、それは神様を信頼していないことになります。


神様が力を与えて下さるなら、必ず書き上げられるでしょう。神様の栄光を現わす作品(SDG)として書けるよう祈りつつ・・・がんばります!
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決して見捨てられないという約束

2009-08-25 11:31:51 | 日記

昨日、わたしの書いた詩に曲をつけてくださったチャキさんと電話でお話しました。神様のしてくださった素晴らしいことに改めて心ふるわせました。
今日感じた神様のカリス(恵み)を書きます。


我が家の前の広場で小学生たちが毎朝ラジオ体操をしています。
わたしは窓を少し開けて、外から流れてくるラジオにあわせて(ひそかに)家の中で体操をしています。今朝も体操をしていると、第一が終わったあと、緊急地震速報が流れました。関東に強い地震が起きるというのです。あわてて主人を起こし、安全なところで身構えて祈っていました。1分、2分・・・5分過ぎても揺れは感じられません。

「いつ揺れるのかしら」と聞くと、「もう揺れないよ」と主人。
テレビをつけると、千葉県で地震があったけれど揺れを感じた地域はなかったとか。後に誤報とわかり安心しました。

そういえば先日パソコンの設置位置を変えたのに地震止めをしていなかったことに気づき、しっかりと止めました。

考えてみると、どこにいてもいつ大地震が起きるかわからない状況にあるわけです。主の御手の中にあって守られていることを改めて感謝しました。


大きな禍から守られたことの感動は、時が過ぎると薄れていきます。
長くクリスチャン生活を送っていると、罪赦されたことの喜びが色あせてくることがあります。イエス様の十字架によって罪赦されたことを頭ではわかっていても、その感動が失われがちになることがあります。

先日の水曜礼拝で、わたしたちの身代わりとして十字架につけられたのは、神の子イエス様でなければ、なしえなかったことだと聞きました。

その理由は2つです。
ひとつは、わたしたちと同じように罪のある人間は、十字架につけられて死んでも身代わりにはならないということ。(イエス様は神の子なので罪がありません)
もうひとつは、十字架刑の苦しみに耐えることができるのは、神様の力を持ったイエス様だけだということです。



十字架刑の肉体の苦しみだけなら、耐え得る人はいると思いました。実際ペテロは逆さ十字架につけられて殉教したと聞きますし、キリスト教迫害の時代、多くのクリスチャンが十字架刑で召されました。
でも、その人たちは決してひとりではなかったのです。イエス様が共にいて下さいました。だから耐えられたのだのと思います。

しかし、イエス様が十字架につけられたときは違いました。神様から見捨てられるという経験をしなければならなかったのです。
神様に見捨てられるとはどういうことでしょう。「天の父なる神様」と祈っても、届かないのです。
一筋の光も見えない真っ暗闇にたったひとり放り投げられた感じでしょうか。

肉体の苦しみに加えて神様から見捨てられるという非常につらい状況に耐えることができるのは、イエス様だけだったのですね。

わたしは多くの罪を犯しましたが、イエス様の十字架のおかげで、そのすべての罪を赦していただきました。そして、イエス様のおかげで、どんな状況に陥っても神様から見捨てられることは決してないことを約束していただきました。なんという恵みでしょう!!


聖書の言葉
わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。(へブル13:5


イエス様がわたしのためにしてくださったことの大きさを感じ、その感謝と喜びにあふれて今日も一日歩んでいきます。



明日は児童文学者協会茨城支部の研修会に出かけます。

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「神さまのカリス」が歌に

2009-08-22 16:40:32 | 日記

ゴスペルシンガーの友人、チャキさんがわたしの書いた詩に曲をつけてくださいました。

チャキさんは日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のメンバーです。曲はまだ聞いていませんが、作曲したときのいきさつをブログで読ませていただいて心打たれました。

神様がチャキさんのうえに働いて下さったことを感じました。主に捧げる心でわたしの詩に曲をつけて下さったことを大変うれしく思います。

チャキさんのブログ「チャキの大盛り晴れ日記」とリンクしました。ブックマークにありますのでぜひご覧ください。

その詩は「神さまのカリス」という題(カリスはギリシャ語、恵みという意味)で2006年の新年礼拝のメッセージを聞いて与えられた言葉を綴ったものです。

掲載からちょうど3年後、今年の1月に南米パラグアイに住むTさんが、わたしのブログを見てメールをくださいました。
12月に4人目のお子さんが生まれ、名前をKarisとつけたそうです。
”カリス”でネット検索をしていたら、わたしの「神さまのカリス」にヒットしたそうです。読んで感動され、メールをくださったのです。

そのことを2009・1.10のブログに書き、再び「神さまのカリス」を掲載しました。その記事をチャキさんが読んで、歌いたいという気持ちが与えられたそうです。
でも、そのときはチャキさんが作曲するつもりではなかったようです。チャキさんからは、『大切に曲を作って下さる方との出会いをお祈りします』とコメントがありました。

『お祈りして実現する楽しみを与えられて感謝です。』とも書かれていましたが、それがチャキさん自身によって、いえチャキさんに働きかけて下さった神様によって実現したのです。

2006年にはまだチャキさんと知り合っていませんでしたから、この詩をチャキさんはおそらく今年の記事で初めて読まれたのでしょう。

もし、パラグアイのTさんからメールをいただかなければ、チャキさんはその詩を知ることがなかったでしょう。わたし自身忘れていた詩でした。

不思議なことに2006年1月の記事に「誰か曲をつけて下さると嬉しいのですが……。」と書いています。今までもたくさんの詩を紹介していますが、このようなことを書いたのは初めてでした。
神様の業は、そのときから始まっていたのかもしれません。


神様は、どんな人にでも溢れるようなカリス(恵み)を注いでくださっています。でも、気づかない人が多いのです。以前はわたしも気づきませんでした。むしろ、他の人はたくさんの恵みを受け、わたしには少ししか恵みが与えられないと神様に不平を言っていました。

でも、それは間違っていました。恵みはじゅうぶん注がれていたのです。それに気づいたのは乳がんになってからでした。

シャワーのようにカリスが注がれていても、うつむき、頭を横に振っていたら流れ落ちてしまいます。

このわたしにもあふれるほどのカリスが注がれていることに気づいたとき、顔を上げ、両手を広げ、口を大きくあけてカリスを受けました。カリスを受けたとき、心から主を喜んで生きる者に変えられたのです。


あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。(詩篇81:10)


詩とそれに関する文章は 2006.1.3~1.10&2009.1.10に書いています。ご覧ください。
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「書くこと」の意味

2009-08-20 16:59:10 | 日記

都内に住む中2の姪が新型インフルエンザに罹ったと電話がありました。部活の合宿での集団感染です。30人の参加者のうちで21人が罹ったというのですから驚きです。

少し前ならニュースになり、大騒ぎされたでしょうが、今ではあちこちで起きていることなのでニュースにもなりません。でも、新型インフルエンザで死者も出たのですから、侮れません。姪は幸い熱が下がり、状態も落ち着いているそうなので安心しました。

姪は毎年夏休み、春休みに泊まりに来ます。17日から一週間我が家にきて泊まるつもりでした。来週はお互い用事があるのでこの時期しかなかったのです。
姪が来たら、一緒にお菓子作りをしよう。映画に連れて行こう。と考えて楽しみにしていたのに残念です。


最近見たテレビ番組から「書く」ことの大切さを教えられました。先日ブログで紹介した「戦場のラブレター」では、戦地にいる夫に宛てて書いた手紙があったからこそ起こったできことが紹介されていました。

NHK教育テレビで放映されていた「アンネの日記」のドラマを見ました。13歳のアンネが書き記した日記が世界中で読まれるようになり、誰も知ることがなかった当時の隠れ家の様子があきらかになったのです。

8/6にNHKで放送された「少女たちの日記帳」は、昭和20年に広島の少女たちが書いた日記帳からの再現ドラマでした。日記帳には学校生活、家族、友人についてなど、戦争に追い詰められながらも精いっぱい生きる少女たちの思いがつづられていました。10代で一瞬にして命を奪われた少女たち。その思いは、書かれたものによって残されていたのです。

ブログを書くとき、ときには迷い、悩みつつ書きます。
やめてしまいたくなることもあります。

今朝、友人から前回書いたブログの記事を涙ながらに読まれた方がおられるというメールをいただき、胸が熱くなりました。おおいに励まされ、書き続ける力をいただきました。

日々訪問者数が増えてきて、おとといは200を超えました。閲覧数は412です。感謝とともに書く者の責任を感じます。

わたしには伝えたいことがあり、書き伝えていくことが使命なのだと思いました。

インターネットのおかげで伝えたいことが一瞬のうちに多くの人に伝えられる時代です。
これからも神様の栄光を現わす文章を書いていきたいと心を新たにされました。


久々に「生かされて・・・土筆文香」のHP更新しました。
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奇跡の再声

2009-08-18 17:09:24 | 教会

先週の水曜礼拝でオペラ歌手、ベー・チェチョルさんのVTRをみせていただきました。ベー・チェチョルさんのことは7/30のフジテレビ『アンビリバボー』でも取り上げられたそうです。

アジア最高のテノール歌手と言われ、多くの人々に感動を与えてきた韓国人オペラ歌手ベー・チェチョルさん。100年に一人の逸材、神の声を持つテノール歌手と言われていたそうですが、05年に甲状腺ガンがみつかり、手術を受けました。

声は大丈夫と言われていたのに、術後声が出なくなっていました。癌は予想以上に範囲が広く、声帯を動かす神経の一部まで切り取ってしまったとのこと。

歌うことができなくなったベー・チェチョルさんは、絶望しましたが、日本の音楽関係者が声帯の手術を申し出てくれました。

06年4月来日し、声を回復させる手術が行われました。それは世界初の手術で、大変難しいものだったそうです。手術中、一色教授が「何か歌って下さい」と声をかけました。ベーさんは小さいころから教会で歌い、慣れ親しんでいた歌「輝く日を仰ぐとき」をうたいました。

「もう一度チャンスをください。もう一度声が出るのでしたら、いちばん最初の種は神様に捧げます」と祈ったそうです。

ベーさんは、声は出るようになったのですが、右の肺が麻痺し、肺活量が低下して、歌手としては致命的なハンデを負ってしまいました。

歌うことをあきらめていたとき、教会で自分のために祈ってくれる人々がいることを知り、祈ってくれた人たちのために歌を久し振りに披露しました。けれども、肺活量が少ないため途中で声がとぎれでしまいます。すると、教会にいた人たちが、みんなで歌い始めました。

そこでベーさんは自分を待ってくれている人たちのために歌い続けることを決意し、練習を続けました。

そのようなとき奇跡が起こりました。
現代の医学では治らないと言われていたのに、麻痺していた肺の機能が7割まで回復していたのです。医師も驚いたそうです。

「病気になってよかった」とベーさんは言いました。
「病気になる前は、自分のキャリアを積み上げるつもりで、世間が喜ぶ歌ばかり歌っていました。でも、病気の後はむしろ、神様を優先し、神様の愛に応え、神様のために歌おうと気持ちが変わりました。歌うことは、神様が与えて下さった才能。まず、神様に捧げてから、世間の歌をうたいたい」
と言って再び舞台に立つようになりました。

まだ完全な状態ではないけれども、神様の栄光を現わすためにうたうベーさんの「新しい歌声」はオペラの舞台とはまた違った感動を人々に与え続けています。


なぜ世界の宝といわれていたオペラ歌手のベーさんが、よりによって甲状腺がんになったのでしょう・・・・・・。
なぜ声を失ってしまったのでしょう・・・・・・。
わたしは、そこに神様のご計画があると思います。

声を失ったときのベーさんの苦悩は計り知れないほど深かったことでしょう。でも、この苦しみの体験がベーさんを変えていきました。

「病気になったことで神様の計画と使命を学びました。歌うことは世界の宝ではなく神様の栄光を現わすものに変わったのです」と言われたベーさんの顔は輝いていました。


聖書の言葉
苦しみに会ったことは、わたしにとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
詩篇119:71
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伊豆高原に行ってきました

2009-08-15 21:28:39 | 日記

13日、14日に息子一家と伊豆高原へ旅行に行ってきました。お盆のこの時期、混雑していることはわかっていたのですが、皆の休みが重なるのがこの両日しかなかったのです。

朝5時に土浦を出発しました。高速道路は割合すいていたのですが、小田原で降りてから渋滞に巻き込まれました。

ヒックンはみんなでお出かけするのが嬉しくてたまらないといった様子です。車中で何度もパパ、ママ、おじいちゃん、ゆこちゃん(わたしの呼び名)とひとりひとりの名前を呼んでいました。

退屈するだろうと用意していたカーズの絵本と車のおもちゃが役に立ちました。
2時間ほどたったとき「おめめが痛い」と言うのでどうしたのかと心配しました。「眠い時はそう言うの」とママに聞いてひと安心。「牛乳飲んでねんねするの」と言って寝てしまいました。

お昼ごろ到着して、城ヶ崎の遊覧船に乗りました。風が強かったせいか遊覧船は随分揺れました。最初甲板に出ていたのですが、あまりにも揺れるのでわたしは気分が悪くなって船室に避難しました。
ヒックンはパパに抱かれてかたまっていました。

不思議に「こわーい」とは言わず、降りてから「お舟にまた乗りたい」と言ったのには驚きました。

ホテルでは温泉に入ってゆっくりできました。

翌日はシャボテン公園へ行きました。

たくさんの鳥や小動物がいました。放し飼いされているホロホロ鳥がヒックンのまわりに集まってきて、「こわーい」と泣きながら逃げていました。

チンパンジーショーと鳥のショーを見ました。その頭の良さと運動能力に驚きました。

2時頃シャボテン公園を出て帰途につきましたが、道路はやはり渋滞していました。何度か事故車を見たのでドキッとしました。途中で何回か休憩をしながらゆっくり帰り、10時過ぎに土浦に無事着きました。神様に守られたことを心から感謝しました。


美しい景色、珍しい鳥、動物、植物を見て、神様の創造の業(わざ)の素晴らしさを感じました。

以前、友人のお子さん(4歳)が水族館に行ったとき「こんなにきれいでたくさんの種類の魚を造った神様ってなんてすばらしいの!」と言ったというのを聞いて心打たれました。

魚を見て神様をほめたたえることのできる子どもの信仰ってすごいなあと思いました。

9日の礼拝で、「詩篇19編を書いたダビデは自然をみて神様の創造の業(わざ)を喜んでいる」と語られました。

神様を知らないと、自然そのものを崇拝したり、自然の美しさや多彩な動植物をみても、きれいだとか可愛いと思うだけです。

でも、それらすべてが神様によって造られたことを知ると、造った方をほめたたえずにはいられません。 

花も鳥も動物も海も大空も・・・この世界を造られた神様はなんてすばらしいのでしょう!!


天は神の栄光を語り告げ、
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、
夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、
その声も聞かれない。
詩篇19:1-3
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パウロのように

2009-08-12 21:27:44 | エッセイ
 
明日から息子一家と旅行に出かけます。先日震度6の地震があった静岡へ。
地震のことは心配していませんが、道路の渋滞を案じています。トイレの近いわたしは今日の午後から水分を控えています。

関東地方、天気はようやく回復してきたので感謝です。熱中症にならないように気をつけなくてはと思っています。

今年の5月にJCPの研修会、グリーン・ジョイフルが茨城県潮来で行われました。そのときに「わたしと聖書の人々」というテーマで提出したエッセイを紹介します。

 パウロのように

 中心聖句 わたしの恵みは、あなたに十分である。(Ⅱコリント十二:9)

 
パウロがダマスコの近くで主と出会った体験は、何度読んでも心を揺さぶられます。パウロの改心は衝撃的です。キリスト者を迫害していた人がキリストを伝える大伝道者になったわけですから、まさに百八十度の転換です。
これほどドラマチックではありませんが、わたしにも何度か大転換が起きました。パウロ的体験です。

一回目の「パウロ的体験」は二十二歳のときです。夢と希望を抱いて幼稚園に就職したのですが、そこは思い描いていたような保育の場ではありませんでした。自分の無力さを実感し、いいようもないむなしさに襲われていました。

そんなとき、ふと手にした本が三浦綾子の「明後日の風」でした。文章に惹かれて同じ作者の「積み木の箱」を読み、目からうろこが落ちました。
教師である主人公の悠二が罪に気づく場面を読んで『わたしは間違っていた』と思ったのです。いままで、母親や友達とよく議論をしましたが、口で負かされても、いつも自分は正しいと思っていました。また、不都合なことがあるとすべて人のせいにし、人を裁いていました。そのことが罪なのだと気づかされ、『この罪をこのままにしておけない』と思い、教会へ通うようになったのです。
 
わたしは重い小児喘息で、三歳のころからよく発作を起こしていました。高校生の時、漢方薬で一時的に治ったのですが、結婚して出産後再び喘息の発作が起こるようになりました。

そのときすでにクリスチャンでしたが「神様、なぜわたしをまた喘息にしたのですか。何が何でも喘息を治して下さい。喘息の発作が起きたら、奉仕もできませんし、神様をほめたたえることなんてできませんから」と祈っていました。喘息にした神様に対する怒りのこもった祈りでした。

パウロは『肉体に一つのとげを与えられ』と書いています。とげを去らせて下さいと三度も祈ったのに「わたしの恵みは、あなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と主が言われたというのです。

わたしは「喘息を治して下さい」と三度どころか三百回ぐらい祈っていたのですが、この箇所を読んだとき、はっとしました。

パウロのとげは片頭痛だったか眼病だったかわかりませんが、かなり辛かったのだと思います。それでもパウロは主からそう言われて病を受け入れました。

パウロのようにとげが与えられたのは『何故』ではなく、『何のために』と考える者になりたい。「高ぶるこのないように……」と書けるほどの信仰を持ちたいと思い、祈りはじめました。すると、喘息を少しずつ受け入れられるようになってきました。完全に受け入れたとき、不思議に重い発作は起こらなくなっていました。これが「パウロ的体験」の二回目です。

その後、神様は喘息より大変な乳癌というとげを与えて下さいましたが、乳癌は受け入れるまでにそれほど時間がかかりませんでした。

「わたしの恵みは、あなたに十分である」というパウロの書いた神様のみ言葉がわたしの中に根付いていたからかもしれません。
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「戦場のラブレター」を視聴して

2009-08-10 13:40:08 | 日記
 
先日このブログで紹介した番組、 NNNドキュメント「戦場のラブレター」を見ました。

戦場となった硫黄島で、ひとりのアメリカ兵(ライマン・コリーさん)が手紙を拾いました。それは戦地の夫に宛てた妻からの手紙でした。ライマンさんは日本語で書かれた文章の意味を理解することはできませんでしたが、雨が降ったにもかかわらず濡れていない手紙をなぜか捨てられずポケットにしまいました。

数日後、怪我をして手紙を持ったまま母国に帰りましたが、手紙のことはずっと気になっていたそうです。

あるとき宣教師にその手紙を翻訳してもらい、手紙を書いた奥さんに帰すべきではないかと思ったそうです。そして、手紙は宣教師から日本の牧師(池田先生)に託されました。

当時の住所をてがかりに、石川県に住む奥さんをみつけることができました。
池田先生ご夫妻は手紙を持って奥さんの家を訪ねました。奥さんは89歳になっていました。
 
手紙を読み上げると、奥さんは涙を流されました。
奥さんは、結婚して男の子が与えられていました。手紙で2人目の子供を授かったことを夫に知らせています。夫からの葉書には、赤ん坊の名前が書かれていました。

奥さんは、夫が必ず戻ってくると信じていたのです。
けれども夫はもどってきませんでした。硫黄島での戦いの様子は悲惨でした。たくさんの日本兵が亡くなり、アメリカ兵も亡くなりました。

手紙を拾ったライマンさんは、手紙を届けることによって遺族に米兵に対する憎しみが起きるのではないか。心の傷が深まるのではないかと気遣って返すのをためらったそうです。

でも、そのようなことはなく、ただ「手紙ではなく夫に帰って来てほしかった」と奥さんは言われました。

当時坊やだった息子さんは、記憶にない父親のことを知りたくなったと言われ、硫黄島の生き残り元日本兵の家を訪ねます。その人は硫黄島でのことを話して涙ぐんでいました。戦死した者に対して自分が生き残ったことがうしろめたいと苦しんでいるのです。
手紙を拾ったライマンさんも同じように苦しんでいました。

その後息子さんは硫黄島の日米合同慰霊祭に行きました。日米合同で慰霊式が行われているのは硫黄島だけだそうです。

父親の手紙が落ちていたと思われる(おそらくそこに遺骨がある)場所にどんなに望んでも飲めなかった故郷の水を注いでいました。

戦争によって、まだ生きられる尊い命が奪われ、多くの家族が苦しみました。
生きて帰れた人は、その後の人生を苦しみを背負って生きることになりました。

わたしの父も学徒出陣で戦地に出向き、シベリアで捕虜となりました。チフスに罹り、しばらくの間、次に死亡する人のリストの一番上に名前が書かれていたそうです。

多くの戦友が亡くなりましたが、父は奇跡的に回復して帰国できたのです。しかし、そのときのことを一生ひきずっていたようです。召される1週間前、ホスピスでチャプレンの先生にシベリアでのことをすべて話してほっとしたような顔になりました。

 
戦争に勝利はない。両国とも負け。たとえ勝ったとしても後には何も生まれない。
と言ったライマンさんの言葉が心にしみました。

硫黄島の夫にあてた手紙が60数年後に戻ってくると誰が想像したでしょうか。天の配剤を感じました。

手紙がぬれていなかったこと。米兵が拾ったこと。その人が60数年も大事に取っていたこと。宣教師に見せたこと。宣教師が埼玉県川越の池田先生に託したこと。池田先生ご夫妻が石川県まで足を運んだこと。どれひとつ欠けても実現しなかったことです。そしてそれがテレビ放送されたこと。

ひとつひとつに神様が働いて下さったのだと思いました。
 

再放送は8/15(土)日テレ 24:00~です。

*日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。
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KiKiコンサート

2009-08-08 21:44:47 | 日記

KiKiさんのコンサートに行ってきました。友人が車に乗せてくれたので行くことができました。(感謝!)

感動で胸がいっぱいで、何と書いたらよいか言葉が見つかりません。コンサートはPM6:00からだったので夕食の支度をしてから出かけました。幸い主人は夕方から外出したので気遣う必要もなく行けました。

8:00には家に帰りましたが、夕飯を食べていないことを忘れていました。おなかがすいているのを感じないほど熱くなっていました。

乳癌であるとはとても思えないほどのパワフルな歌声に圧倒されました。弾き語りも素晴らしかったです。

8年前のストップ・ザ・ドラッグのときにも聞きましたが、KiKiさんのお兄さんが覚醒剤で逮捕された話をされ、優しいお兄さんを想って作った歌をうたってくださいました。わたしは涙が止まりませんでした。

KiKiさんがイエス様に出会う前は、本当は寂しいのに「寂しい」とは言えなくて、本物の愛を求めているのにみつからなくて、虚しさの中にいたそうです。わたしもそうでした。

イエス様に出会って変えられ本当の愛を知り、神様に向かって心から賛美している姿をみて、わたしはあることに気付かされました。

最近のわたしの作品に、欠けているものが何かわかったのです。それは情熱です。イエス様がして下さったことの感動からくる情熱が欠けていたのです。
だから、作品を書き終えたとき、何か物足りない気がしていたのです。

作品だけでなく、わたし自身に欠けていたものでした。
コンサートでそのことに気づかされ、KiKiさんに現わされている神様の栄光を見て、わたしも熱くなりました。

最後は和眞衣香さんに振り付けを教えていただき、一同が立ち上がって踊りながら共に賛美しました。

コンサートの後、KiKiさんの証しを聞いたことがきっかけで「リピート・シンドローム」を書いたことを話し、手紙と本をお渡しすることもできました。大勢の人がいたので1分ほどしかお話しできませんでしたが、感謝の気持ちを伝えられてよかったです。

KiKiさんの健康が支えられ、これからも多くの人に力を与える音楽活動が続けられますよう心からお祈りします。
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逆転の真理

2009-08-07 12:33:12 | 聖書から
 
ひとつの小説を書きあげて自分の力不足、弱さを嘆き、落ち込んでいました。
そんなとき、 「『弱い者ほど強い』とはどういうことなのか?」と聞かれました。
『弱い者ほど強い』というテーマで作品を書いて、それを読んだ人からの質問でした。
質問に答えているうちに自分自身が励まされました。

 
「弱さ」をマイナスだと感じている人が多いですね。
『弱さをみせたら負け。弱点を克服するために修行し、努力する。弱点を人に知られないようにひたすら隠し、自分も目をつぶる。』
と考えている人が多いのではありませんか?

競争社会では、人を蹴落としてでも勝たなければならない。そのためには弱さがあってはいけないのだと教えられます。

弱さとは何でしょうか? 身体の弱さ、気の弱さ、意志の弱さ・・・いろいろあると思いますが、弱さがあってはいけないのでしょうか。それは恥なのでしょうか。
わたしは、色々な面において自分が弱いことを知っていますが、認めたくありませんでした。弱いことは恥ずかしいことだと思って、病気(喘息)のことも気の弱いことも、意志の弱いことも隠してきました。(隠しても隠しきれませんでしたが・・・)

でも、聖書の中にすすんで自分の弱さを誇っている人がいるのを知って驚きました。それは、パウロです。
聖書には 「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)」と書かれています。

パウロがそう書けたのは、自分の弱さを認めたからです。弱くて自分の力ではどうにもなりませんと降参したからです。

弱くて自分の力が不足しているので、神様に不足分を満たして下さいと訴え、神様が満たして下さることを信じたからです。

10の力が必要な時、自分の力が1しかなくても、神様が足りない分を下さるから大丈夫なのです。それどころか神様は十二分の力を下さるので10の力を持っている強い人より大きいことをなし得るのです。弱い方が強いという逆転の真理ですね。

 
イエス・キリストの生涯を思うと、これこそ逆転の真理です。
イエス・キリストは、かっこいいヒーローのようではありませんでした。みすぼらしく、見栄えが悪く、弱々しくみえました。
イエス様は全く無抵抗に十字架につけられ、殺されてしまいます。悲惨な結末を見た弟子たちは絶望したことでしょう。でも、3日目に復活したことから逆転劇が始まります。
イエス・キリストの道こそが救いの道につながっていることの逆転です。

 
弱いところがあってもいいではありませんか。むしろ、弱さを感じれば感じるほど強くしていただけるのですから・・・わたしも弱さを隠しません。
そして弱さのうちに働かれる神様の力に期待します。
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2つのお知らせ

2009-08-05 21:29:46 | 日記

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の理事長であり、わたしのペンネーム土筆文香の名づけ親でもある霞が関キリスト教会の牧師、池田勇人先生がNNNドキュメント(日本TV系列)に出演されます。

日時は 8/9 24:50~です。再放送は8/15 24:00~

NNNドキュメントHPには次のように紹介されていました。


戦地の夫に宛てた手紙が60数年ぶりに妻の手に戻った。「坊やが貴方のことを尋ねますの。(中略)お父ちゃんどうぞお元気で最後までガンバッテ下さい」硫黄島で手紙を拾った元アメリカ兵が「差出人を探して返してほしい」と友に託したものだ。妻・きく枝さんは89歳。心臓病に加え痴ほうが進行しているが毎朝、夫の遺影に手を合わせることは忘れない。手紙に登場する「坊や」も65歳。手紙を見て涙が止まらなかった。遠くを見つめていたきく枝さんがひと言つぶやいた。「手紙よりもあの人に帰ってきて欲しかった…」奇跡的に遺族の元に舞い戻った手紙が、伝えるものは何か?


この手紙を運んだのが池田先生ご夫妻だそうです。 

 
8日(土)PM6:00~7:30には、わたしの所属している土浦めぐみ教会でゴスペルシンガーKiKiさんのコンサートがあります。

KiKiさんは2001年9月つくば市のノバホールにて行われた「ストップ・ザ・ドラッグ」のコンサートに出演されていました。そこであかしをされ、それを聞いたことがきっかけとなってわたしは小説を書きました。それが2004年に出版された「リピート・シンドローム」です。

KiKiさんとは直接お話ししたことはありませんが、ぜひコンサートに行きたいと思っています。
明日6日(木)PM7:00~9:00にはワークショップも行われます。

詳しくは土浦めぐみ教会HPでご覧ください。


KiKiさんのプロフィールより

日本人離れしたソウルフルな歌声は多くの人を魅了し、新聞、雑誌、TVなどでも多く取り上げられている。シンガーであると同時に、北海道に点在するクワイアの指導などゴスペルの指導者としても活躍中。
 2004年12月には生チョコレートで有名な「ロイズ」のCMソング「空へ」も収録されている待望のアルバムをリリース。2009年2月にJAYE公山プロデュースの4作目ミニアルバム「Pray LikeThe Rain」をリリース。
 昨年、乳がんが再発し余命1年と宣告されたが、強い副作用を伴う抗がん剤の治療を受けるより、神と人との前で大胆に生きることを選択し音楽活動を続ける。現在、多方面で活躍し、多くの人を励ましている。

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エキスポセンターへ

2009-08-03 21:56:21 | 日記

土曜日はヒックンママが研修会だったので、2歳の孫を一日預かりました。

わりあい涼しいので、主人とどこかへ連れて行こうと話しました。主人の車にチャイルドシートがついていないので、車では行けません。

テレビで若田さんのニュースが流れているのをみて、つくばエキスポセンターに行くことを思いつきました。
エキスポセンターなら、マンション前からバスに乗れば30分ほどで着きます。

「出かけるよ」と言うと「お出かけ、お出かけ」とヒックンは大喜びです。
バス停で主人に抱っこされていると、すぐバスがきました。
「バスだ!」
と喜んだのも束の間、バスに乗ると顔をこわばらせて「こわーい」と主人にしがみついて泣き出してしまいました。

いつもパパかママの車で出かけるので、バスに乗るのは生まれて初めてだったようです。
景色をみる余裕もなく、乗っている間ずっと緊張していました。

バス停からエキスポセンターまでは大人の足で10分ほどですが、2歳の子どもにとっては、たいそうの距離です。

歩道橋の上から工事しているところを眺めて、ブルドーザーやクレーン車が動いていたので見とれ、なかなか進みません。
おじいちゃんに抱っこされてようやく着きました。

エキスポセンターにあるロケットにはあまり興味を示さず、スイッチを押したりハンドルを回すとランプがつくなどの実験装置をさわって喜んでいました。タイムマシンや潜水艇、次世代自動車などは、遠巻きに見ています。「乗ろうか」というと、「パパの車じゃないからダメ」と言って乗りませんでした。

帰りは池の鯉に餌をやって、また歩いてバス停に向かいました。わたしと手をつないで歩いていたのですが、突然立ち止って、
「おじいちゃん、おじいちゃん」
と大声で呼ぶのでなにごとかと思うと、
「抱っこ」
といっておじいちゃんの足にまとわりつきました。

ヒックンは、わたしには決して抱っこと言いません。わたしが(左腕に力が入らないので)ヒックンを抱いて歩けないことを知っているようです。

帰りのバスでは、ぐっすり眠ってしまいました。

夕方、ママからわたしの携帯に電話がかかってきました。ヒックンはニコニコしてママとおしゃべりしています。
「ママ何て言ってた?」と聞くと「チャララララーンって」と答えました。わたしの携帯はスライド式で、閉じるときチャララララーンと音がします。ママがその音も出していると思ったのでしょうか? 大笑いしました。
 
翌日は、ママとヒックンとわたしの3人で教会に行きました。ヒックンが久しぶりに親子クラスに出られたので嬉しかったです。帰りは教会のすぐ近くにできたイオンでケーキを買って帰りました。

ヒックンママとわたしが同じ8月生まれなので、少し早いのですが誕生会をしました。
ヒックンは自分の誕生会だと思って、得意気にろうそくを吹き消しました。 

夜、家に帰るとき駐車場まで送っていくと、ヒックンが「風がふいてきたねえ」と大人のような話し方で言いました。息子も2歳ぐらいのとき、こんな話し方をしていたことを思い出しました。
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