生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

生きがいについて考えた人

2018-06-28 16:28:15 | 読書

急に暑くなって、早くも夏バテです。

「神谷美恵子日記」(角川書店)を読みました。書店の新刊が置いてある場所でみつけたので買い求めました。神谷恵美子といえば、精神科医としてハンセン病療養施設「長島愛生園」に生涯をささげた偉い人というイメージがありましたが、日常生活が書かれた日記を読むと、親近感を覚えました。美恵子さんと呼ばせていただきます。

美恵子さんは19歳の時、ハンセン病療養施設多摩全生園を訪れ、医師の道を志します。アメリカ合衆国に留学し、コロンビア大学で医学を学びます。
子どもの頃から両親に連れられて教会には行っていたようですが、いつキリストに導かれたかは書かれていません。でも日記には信仰者として生きておられたことを示した文章がたくさんあります。

32歳で結婚し、男の子ふたりが与えられました。家事と育児に励みつつフランス語を教えに行ったり、講演会で講演をしたりします。
日記には「平凡な主婦のままがいい。出歩くより家にいて刺繡などしているほうがいい。」と書かれていますが、「自分には使命がある。」とも書かれ、

「自分には弱さがあるので、使命を全うするために神様によりたのんでいきたい。ゆだねよう。」と信仰をあらわす文章を書いています。

美恵子さんが41歳の時、ハンセン病療養施設「長島愛生園」に精神科医として調査に入りました。3~4日いて、自宅に帰っていたようです。子どもたちの世話は、お手伝いさんがしてくれていました。ご主人のNさんは理解があり、とっても優しかったようです。Nさんに対する不満や悪口はいっさい書かれていません。「Nは優しいこと限りなし」という一文に心温まります。

長い間、兵庫県芦屋市に住んでいたようです。「森市場に買い物に行った」という箇所を読んで、わたしが神戸に住んでいたころ母とよく行ったあの森市場だろうか?森市場はいまでもあるのだろうか・・・・・・ネットで調べると、ずいぶん前にセルバという商業施設になっていましたが、森市場を土台に作られたのかなと思いました。

わたしと家族は神戸市の東のはずれに住んでいて、芦屋市と隣接していました。森市場は東灘区ですが、芦屋からも買い物に行く人が多かったと聞きました。

わたしは1968年から1980年まで神戸に住んでいました。美恵子さんは1979年に65歳で召される前は芦屋に住んでおられたので、もしかして森市場ですれ違っていたかも……など考えて楽しくなりました。

美恵子さんは自己をしっかり持っておられました。生きがいについても考えておられました。それは神様から与えられた使命をまっとうすることが生きがいにつながると考えたのではないでしょうか。

毎日ぼんやり過ごすことが多いわたしですが、美恵子さんを見習って生きがいについて考えながら歩んでいきたいです。

最後に美恵子さんが長島愛生園を訪れたとき書いた詩の一節を紹介します。

なぜ私達でなくてあなたが? あなたは代わって下さったのだ



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マナが初めて降った日

2018-06-21 15:25:45 | 
先週家庭集会で、旧約聖書の学びをしました。旧約聖書の出エジプト記には、イスラエルがエジプトを脱出して40年間荒野の旅をしたことが書かれています。

飢饉によりエジプトに移住していたイスラエル人は、エジプトで過酷な奴隷生活をおくっていました。あまりにも辛くてうめき声を上げたら、神様はその声を聞かれ、モーセをリーダーとしてエジプトを脱出させ、約束の地に導かれました。

エジプトの王パロは、働き手であるイスラエルの民を行かせないようにしましたが、10の災いが起きたとき、やっと出ていくことを許しました。ところが追いかけてきてイスラエルの民は海とエジプトの大軍にはさまれ絶体絶命になりました。
そのとき、海がふたつに割れるという奇跡が起きました。

イスラエル人は守られて海の道を渡り、何もない荒野での生活が始まりました。
たちまち水がないことで文句を言い、食べ物がなくなったと嘆きました。

男だけで60万人(女子どもを入れたら100万人を超えていただろうと言われています)を引き連れて荒野を旅するなど、不可能に近いのではないでしょうか。

でも、旅は40年にもなり、その間守られています。水がないと騒いだときは、モーセが杖で岩を打つと、そこから水が流れでて、腹が減ったといえば、天からマナが降り、肉が食べたいといえば、ウズラの大軍が落ちてきました。

このマナというものの正体は何だったのでしょう?

露が乾いたあとに残る薄い鱗もしくは霜のような外見であり、コエンドロの実のように白く、蜜を入れたせんべいのように甘いとされています。

毎日マナを一日分を集めて食べるように言われました。それ以上取っておくと腐ってしまいます。週に一度の安息日は、マナは降らないので、安息日の前の日だけは、2日分集めていました。

約束の地カナンに着くまで毎日降り続けたというマナ。人々はそのような恵みに預かっていたのにエジプトにはたくさんの食べ物があったと、文句を言い始めます。


マナとはどんなものだったのか・・・・・・今もあれば食べてみたいです。初めてマナを食べたとき、人々は感動したのではないでしょうか。モーセの孫(ひ孫)が最初に食べたときどんなふうに感じたか詩にしてみました。
         
     マナが初めて降った日

マナが初めて降った日、外に出て目を見開いた
白い砂のようなものが宿営の周り一面に積もっている
「これは何だろう?」
そっと手ですくってみる
「うまいぞ、食べてごらん」
おじいさんに言われて、白くなった指先を口に入れる
甘く、とろけるようなおいしさがのどに落ちていく

焼けばせんべいのようにパリパリ
煮込めばもちのようにしっとり
夢中で集めた
「集めすぎるな。マナは安息日を除いて毎日降る
明日も、明後日も」
おじいさんが言ったとおりになった。

40年近くたって、まだマナは降っていた
ああ、またマナか……。と、つぶやいているわたしがいた。
わたしたちが飢えてしまわないように、与え続けられた食物
それにもう飽きたといった
マナが初めて降った日
ああ、あのときのわたしの心はどこへいったの
あのときのわたしにもどしてください




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33人分の食事

2018-06-19 20:41:41 | ティーンズ
16日、17日は教会で中高生(TEENS)のお泊り会をしました。中高生21人、教師12名、33人の参加です。
午後1時に集合して、ボーリング場へ。わたしは腰痛のためお留守番です。ボーリングに出かける人たちを見送ると、教会ではちょうど婦人伝道集会(ティータイム)が始まるところでした。わたしはティータイムに参加。

新潟のN先生がパントマイムをしながらお話をしてくださいました。プロのパントマイムを見るのは初めてです。表情が面白く、おなかを抱えて笑いました。
N先生は牧師の子どもとして生まれ育ったのに自分の価値がわからなくて死を願っていたと聞いて驚きました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ書43:4の聖書の言葉で救われたそうです。

ティータイムが終わるころ子どもたちが帰ってきました。まず、皆で食材を買いに行き、3グループに分かれて調理開始しました。子どもたちにレシピを渡したら、ジャガイモをむいたり、豆腐の水切りをしたり、どんどんすすめてくれたのでわたしのやることはほとんどありませんでした。

わたしは、今回初めて食事係を引き受けたのですが、予想以上に大変でした。こんなに大勢の食事を作ったことがなかったからです。単にレシピに書かれている一人分の分量に33をかければいいというわけではないからです。

また、参加人数が定まらず、はっきり決まったのが前日でした。当日も変動がありました。

メニューは鶏手羽元のコーラ煮、ガーリックベーコンドレッシングの豆腐サラダ、マシュマロヨーグルトです。

鶏肉は40分以上煮るので、早めに準備しなくてはなりません。冷凍室に入ってカチカチに凍っていたので、2時間前にわたしが出しておく係でした。それなのにティータイムのお菓子に気を取られて、鶏肉のことをすっかり忘れていました。でも、すぐ気づいたので大丈夫でした。

ドレッシングのワインビネガーが足りなくて買い足したり、家から持ってきたはずの醤油が見当たらなくて走り回っていました。
何とか時間通りに出来上がって、皆でお祈りしていただきました。みんなおいしいと言って全部たいらげてくれました。

このあと集会で牧師先生からのお話を聞き、蛍を見に行って、シャワーを浴び、就寝。日曜日はいつもの通りの礼拝でした。わたしは泊らないで帰りました。


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あきらめないで

2018-06-14 17:02:42 | 教会
追記あり
今日は、教会での家庭集会でした。その学びも書きたいのですが、メモ書きが残っていたので、10日の日曜日の礼拝メッセージから書かせていただきます。

ピリピ人への手紙は、パウロが晩年に書いた手紙です。
ピリピ4:8に「最後に」と書かれていますが、多くは文章の最後に付け加えるような軽い意味でとらえられています。
ですが、ピリピ4:5の「主は近いのです」からつながっていて、世の終わりのことやパウロが自分の死期が近いことを思って書いているという解釈ができるそうです。

最後のすすめとは、「すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ4:8)」です。

心に留めるとは、⓵あきらめないで心を留めて追い続けなさい。
        ⓶そのことを実行している人に心を留めなさい。の2種類です。

それは理想で、実際にはできないという人たち・・・・・・わたしも含めてですが・・・・・・。

『でも、あきらめないで。わたしたちは聖化の途上にあるのです。』と牧師先生が言われました。


追記
日本クリスチャンペンクラブのHP更新しました。わたしの書いたエッセーが載っています。メニューの作品→春夏秋冬の「私とふるさと」をクリックしてお読みください。



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群馬の旅(2)

2018-06-07 16:36:28 | 日記
富岡製糸場を見学してから水上の宿で温泉につかりました。
翌日はSLに乗るのですが、16時近くの発車だというので、水上の町を散策しようと計画していました。
バス停に行くと、谷川岳ロープウェイ乗り場行きのバスが止まっていました。すぐにでも発車するというので、「乗りましょうよ」と言って、どれぐらい時間がかかるのか確かめもせずに乗り込みました。

今回の旅行はすべて夫任せで、地図も見ていなかったわたしは、水上から谷川岳の方へ行けるとは思っていませんでした。


30分ほどでロープウェイの乗り場に着きました。



驚いたのは、重なり合う緑の山の奥に雪渓が見えたことです。



ロープウェイは快適でした。ゆっくりと登っていきます。


雪が触れるほど近くにありました。

終点で降りると、リフトが動いていたので、それにも乗りました。
ふと、御嶽山の噴火を思い出しました。今、急に噴火したらどうしよう。何も遮ることのできないリフトに乗っているとき噴石が飛んで来たら……。
100パーセント安全な火山はないのですから。



谷川岳から戻って昼食をとり、水上駅に向かうとSLが汽笛を鳴らしてやってきました。孫に読んであげている「きかんしゃやえもん(阿川弘之作)」を思い出しました。
(やえもんは、おじいさんの汽車なので)
『あしや せなかが いたいので えきを でるときは、「ひゃあ!」とひとこえ
ひめいをあげました。』

という文を読むと、4歳のナルクンが「ゆこちゃんも足や背中が痛いの?」
と言ったのです。わたしのことを年寄りだと認識しているのですね。
「痛いのよ。ひゃあ!」と言って笑いました。
終点の高崎駅から2回乗り換えて土浦に向かいました。天気も最高で、良い旅ができたことを感謝しました。

                      おわり

群馬の旅(1)

2018-06-06 17:02:36 | 日記
6月1日~2日、夫と群馬へ旅行に出かけました。夫が退職してから、SLの旅を続けていました。ほとんど行きつくしたのですが、群馬県水上~高崎間を走るSLにはまだ乗っていなかったので、今回は1泊2日で行ってきました。


まず、世界遺産に登録された富岡製糸場へ向かいました。
高崎から 上信電鉄に乗り換えて、上州富岡駅から歩いて10分ほどのところにありました。駅前は広々としています。れんが作りの建物がたくさんあって、製糸場と間違えてしまいそうです。




富岡製糸場は1872年(明治5年)、明治政府が設置した日本初の本格的な器械製糸工場です。
フランス人が建設を指導したそうです。日本の木造建築と、西洋のれんが建築の技術を融合した「木骨れんが造り」の建物です。
さすが、世界遺産に選ばれただけありますね。まず、れんが作りの建物に惹かれました。主な建物は、明治期のままの状態で保存されているそうです。



工場の中です。女工さんたちが並んで一斉に働いていました。朝ドラ「花子とアン」で、花子の妹かよが、製糸場に働きに出かけ、あまりにも辛くて逃げ出したことを思い出して、過酷な労働を強いられたのだと想像していましたが、そうでもなかったようです。



女工さんたちの寮です。
1日八時間労働で、週休1日。夏冬に休暇が各10日あったということが記録されています。でも、本当はブラック企業だったのではないかという説もあり、真偽のほどはわからないそうです。
                      つづく



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