生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ナルニア、行ってきました !

2008-05-31 11:06:01 | 日記

昨日「ナルニア国物語第2章」を娘と観にいってきました。金曜日は市内の映画館がレディ-スディで安いので、この日まで待っていたのです。
ぎりぎりに行ったら満席で座れないかもしれないと、娘をせかして上映時間の30分前に映画館に入りました。誰ひとりいませんでした。間際になって10数人の観客が来ただけでした。

「平日だよ。そんなに混むわけないじゃん」と娘に言われてしまいました。
ナルニアはすごい人気で、映画館に人が殺到しているのだと勝手に思い込んでいたのでした。

ナルニアに思いが深いのは、前回の映画を観たときにもブログ(2006.4.1)に書きましたが、子どもたちが小学生のころ原作7巻を半年かけて読み聞かせたからです。
読み聞かせは、ひとりで読むよりも内容が頭に入ります。また親子で共通の体験ができます。何か月も継続して読むので、映画を一緒に観るより印象づけられます。
読み聞かせたのは息子が小学6年生、娘が2年生のときでしたので、それから13年にもなります。

昨日娘は、「わたしの中に今でもファンタジー世界があるのは、ナルニアを読んでもらったおかげだよ」と言っていました。

映画は前作同様CGを駆使し、想像を超えた素晴らしい映像でした。内容は、原作より戦闘場面がクローズアップされていましたが、テーマはきちっとおさえてありました。

結末はわかっているのに最後の最後までドキドキハラハラさせられるストーリーの運び方が創作の参考になりました。

先日、児童文学の会で短編のファァンタジー作品を合評してもらいました。わたしの作品とナルニアを比較して下さった方がいました。わたしの作品はナルニアとテーマは同じなのです。
「ナルニアは素晴らしいけれど、あなたの作品はダメだ」といわれました。けなされても、ナルニアと比較されること自体名誉なことなので、落ち込みませんでしたが……。

そのときは、ナルニアとわたしの作品のどこが違って、どのようにダメなのか具体的にわかりませんでした。でも、今回映画を観てそれがよくわかったのです。構成、ストーリー展開、キャラのつくりかた……すべてにおいて学ぶことがありました。創作意欲が沸いてきました。
「めざせ、ナルニア!!」


先日沖縄旅行記を連載しましたが、写真を増やしてHP用に新たに作成しました。
生かされて…土筆文香をご覧ください。

わたしの遺言(その3)

2008-05-29 13:12:07 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

遺言を書いてから5年近くたちました。当時娘は高校生、息子は大学生でしたが、今では娘はクリスチャンとして教会生活を送っており、息子は結婚して子供が与えられています。  主人は、少し心が変化しているように思います。というのは、当時はわたしの書いたものはいっさい読みませんし、キリスト教にも全く関心示さなかったのですが、最近はわたしの書いたものを読んでくれるようになりました。

「百万人の福音」に記事が掲載されたときは、義母に掲載ページに付箋を挟んで読むようにと言ってくれたのです。少し、キリスト教に関心を示すようになってきたのではないかと思っています。

遺言は、この機会に書き直します。息子の嫁と、まだ一歳ですが孫にもあてて書くつもりです。

本来のわたしは、ものすごく気が弱く、心配症、マイナス思考でくよくよ思い悩むたちです。もし、イエス様を信じていなかったら、うつ病になっていたでしょう。とっくに死んでいたかもしれません。
イエス様を信じたことによって、喜びに満ちた素晴らしい人生を送ることができています。そのことを書いて伝えたいです。


原稿はここまでですが、実際に話したことと多少違うと思います。当日は緊張していたので詳しい内容を覚えていないのです。

死について話すと、「縁起が悪い」と言う人がいます。まして早々と遺言を書いたと言ったら、不吉な予兆と思う人もいるかもしれません。でも、死はどんな人にも必ずやってきます。
クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会の前日、実家に泊まったので、練習がてら母に聴いてもらいました。かつて言ったように「縁起でもない」としかられるかと思ったら、「書いておくことは大切だね」と言ってくれました。母は聴きながら涙を流していました。

クリスチャンにとって、死は決して忌まわしいものでも恐ろしいものでもありません。天国に新しい住まいが用意されているのですから、死は天国に引越しをする日です。
死を意識した生き方と意識しない生き方は、全く違ってくるでしょう。意識することによって、ほどよい緊張感が与えられ、充実した生き方ができます。また、残された人を想って遺言を書くなどの備えができます。

JCP理事長のI先生は、「遺言を書き終われば、さあ今日は残された日々の最初の日となって新鮮!」とおっしゃいました。


                     おわり


わたしの遺言(その2)

2008-05-27 15:02:17 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
クリスチャン・ペンクラブの例会で「私の遺言」というテーマで発表したものを掲載しています。


ここに乳がんの手術前に書いた主人宛ての遺言があります。恥ずかしいので読むのをどうしようかとためらったのですが、はからずも今日(5/24)は27回目の結婚記念日なので、一部紹介させていただきます。


わたしはあなたと結婚して本当によかったと思っています。あなたが無口なため、なかなか心が通じなくてずっと寂しい思いをしてきました。
あなたと色々な会話をしたいと願っていたのですが、わたしが一方的に話すだけなので、会話はなかなか成立しませんでしたね。
わたしは自分のことを省みないであなたに変わってほしいと願っていたので、心に悲しみがありました。

でも、あなたが無口なのは生まれつきで、意地悪でわざとしゃべらないでいるわけではないということ。わたしは自分勝手でわがままなところがあり、人を傷つけるような言葉を話したりする人間なのに、あなたは寛容な心をもってわたしをやさしく見守ってくれましたね。
体が弱く、掃除も料理も下手なのに教会のことばかり一生懸命であるわたしに対し、あなたは一言も批難の言葉を言わず、毎週日曜に教会へ出かけることに対しても、文句ひとつ言いませんでしたね。

そんなことを考えると、あなたに変わって欲しいと願うことは間違いだと気づきました。そう気づくと、あなたに対する感謝の気持ちでいっぱいになって、悲しみは喜びに変わりました。本当にありがとう。

中略

わたしは、イエス様を本気で信じています。あなたにも信じて欲しいです。そうすれば、天国で再会できるからです。イエス様を信じる者は、天国へ行き、永遠の命をいただけるのですから。

                    つづく

わたしの遺言(その1)

2008-05-25 17:16:35 | 日本クリスチャン・ペンクラブ

昨日は日本クリスチャン・ペンクラブの例会に行ってきました。今年は、「わたしの遺言」を書くという課題が出ています。

「わたしの遺言」を書くにあったて発題をしてくださいと言われました。何を語ろうかと迷ったのですが、祈りつつまとめて発表させていただきました。
原稿を書いたので、2,3回に分けて掲載します。実際はこれを読んだわけではなく、話し言葉で語ったので多少違うところもあります。


わたしは体が弱く、人並みの体力がないのに「病弱な人は案外長生きするものよ」という友人の言葉を信じて、長生きするつもりでいました。
ところが今から4年半前、2003年の11月に検診で乳がんが見つかりました。
まさか自分が癌になるとは全く思っていませんでした。
12月に手術を受けることになったのですが、癌という病気より、手術のときの麻酔が怖かったのです。

わたしはそれまで全身麻酔を受けたことがありませんでした。2回ほど下半身麻酔を受けましたが、そのときアレルギー反応を起こし、術後低体温状態になって震えが止まらなくなってしまったのです。点滴を受けて回復しましたが、下半身麻酔でこのようになるなら、全身麻酔なら意識が戻らないまま天国へ行ってしまうのではないかと思いました。
 
手術日が決まった11月の末、わたしは死を覚悟して家族ひとりひとりにあてて遺言を書きました。
教会へは癌になる前に「葬儀に対する要望」という用紙に記入して提出していました。未信者の主人の決断次第なので、教会で葬儀をやってもらえるかどうかはわかりませんが、一応希望を書いておきました。

「葬儀に対する要望」には、葬儀のときうたう賛美歌や、読まれる聖書箇所、思い出を語る人、教会生活の思い出、心がけてきたこと。教会の仲間に残したい言葉。家族での思い出や大切にしてきたこと、家族に伝えたい気持ちや残したい言葉など、1,2行ですが、かなり具体的に書くように欄が設けてあります。

家族に伝えたい気持ち、残したい言葉はとても一行では書けません。それで、この用紙とは別に主人、息子、娘に宛てて遺言を書きました。
当時我が家は、クリスチャンはわたしひとりでした。伝えたいことは、感謝とイエス様を信じてほしいということ。結びには天国で再会しましょうと書きました。

              つづく

和解

2008-05-23 08:59:19 | 日記

子供のころ、よく母親にしかられました。ガミガミ言われているときは、『うるさいなー』と思いながらも安心していました。がんこなわたしは、なかなかあやまりませんでした。すると母は、「もういい、わかったから!」と言って口を閉ざしてしまいます。
そうするとわたしは不安になって「何がわかったの?」と尋ねます。母がわたしを無視して家事を始めると、とほうもなく不安で寂しい気持ちになったことを覚えています。
「ごめんなさい」とひとこといえば、母はにっこり笑って抱きしめてくれます。その「ごめんなさい」がなかなか言えなかったのですが……。

神との和解について昨日書きましたが、神様と和解するとはそういうことなのだと思います。すでに神様の方から和解の手を差し伸べてくださっているので、ただ受け入れればいいだけなのです。キリストの十字架によって罪はもうすでに赦されているのですから、何の努力も何の償いも必要なく、ただその手をつかむだけでいいのです。

神様と和解している者はなんと幸いなことでしょう。不安な時も、辛い時も、嬉しい時も、いつも神様に伝えることができ、神様が応答して下さるからです。
今日も、祈りの中で神様に思いのすべてを伝えました。不安でいっぱいだった心に平安が訪れました。

今日はこれから実家に行きます。

旧約聖書(その2)

2008-05-22 12:03:41 | 聖書から

旧約聖書は神様の視点から書かれています。神様が人間にどのようなことをなさったのか、何を期待されているのか、という神の側からの視点です。
旧約聖書がどのようなものとして記されたか3つのことを教えていただきました。


1、旧約聖書はユダヤ民族に対する神様の誠実さのあかしとして記されました。

  神様は、ユダヤ民族の背信にもかかわらず、誠実に対応してくれました。


2、旧約聖書は神が約束したことを確かに成し遂げたという神の業の証言として記されました。

 神様はユダヤ民族と契約を結んだのですが、自分勝手な道に進んでしまった民に 失望し、怒りを覚えながらもユダヤ民族の子孫から救い主を誕生させるという約 束を実行されました。

「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。(イザヤ54:10)」



3、聖書は人類への神様のラブレターとして記されました。

神様は人をねたむほど愛されたと聞きましたが、旧約聖書を読むと、そのことがだんだんよくわかってきます。
 それは、神様が人間を造られたというところから始まっています。「進化論で は、神様が人間をそこまで愛する理由が見当たらない」と先輩クリスチャンが言われましたが、その通りだと思います。


神様はひとりひとりの人間を精魂こめて造られました。でも、最初の人間アダムとエバは罪を犯してしまいます。そのため、人は死ななければならない者となってしまいます。その後も人間は罪を犯し続け、神様に背いてしまいます。
神様と人の関係は断絶状態になってしまいますが、神様は和解を準備されます。
人類に罪の赦しと新しい命(永遠の命)を与えるという約束をしてくださったのです。新約聖書には、神のひとり子イエスによって、その約束が成就されたことが書かれています。

神様はご自分のひとり子の命を差し出してまで、わたしたちを救おうとされたのです。これほどすごい愛はありませんね。


「神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解の言葉を私たちにゆだねられたのです。(Ⅱコリント5:19)」
           
                 
おわり


旧約聖書(その1)

2008-05-20 12:32:44 | 聖書から

聖書には新約と旧約があります。新しい訳と古い訳という意味ではありません。約は契約の約です。旧約聖書は天地創造から始まり、イスラエル民族の歴史とイスラエル民族を通して働かれた神の行為が書かれています。新しい契約の預言も書かれています。新約聖書の中心はイエスキリストです。

かつてわたしは、旧約は難しく、新約は読みやすいと感じていました。また、旧約聖書の神は裁きの神、厳しい神というイメージで、新約の神は愛と赦しの神というイメージがありました。

でも、旧約聖書の神と新約聖書の神は同じであり、新約聖書が旧約聖書と密接に関連していることを知りました。旧約聖書においても神様の熱烈な愛を読み取ることができます。また、イエス様が「~と聖書(旧約聖書のこと)に書かれている」と何度も言われているようにイエス様ご自身が旧約聖書の言葉を実に多く引用しています。

旧約聖書を読まなければ、新約聖書を理解することができないと知って、2年前からOBI(お茶の水聖書学院)で旧約聖書の勉強を始めました。(通って講義を聴くのではなく、DVDとネットでの学びです。リポート作成に四苦八苦しながらもなんとか続けています。)旧約聖書を学んで目が開かれたような思いになっています。


一昨日の礼拝でのメッセージでは、旧約聖書を読む時の心構えが語られました。
旧約聖書を読む時、学術的論文のように読んだり、天地創造を神話のようにとらえたりすると、つまずいてしまいます。
聖書は、たとえば父親によって「お前のお母さんは、お前のために毎朝お弁当を作ってくれたんだよ」と書かれた自分あての手紙と考えるとよいと聞いて、そうだなあと思いました。

枝葉末節につまずいて読むのをやめてしまったら、もったいないことです。わからないところは保留しておき(後でわかる日がくるので)、とにかく読むようにと勧められました。

 
わたし自身、旧約聖書を学んでいてもわからないところがたくさんあります。すべてを理解しようとして、自分なりに解釈してしまうと大きな過ちを犯すことになります。注意したいです。

旧約聖書にはイスラエル民族の赤裸々な歴史が書かれていますが、イスラエル民族を自分だと思って読んでいくと、神様がどれだけ自分のことを愛してくださっているかがわかります。

ホセア書を読んだとき、神様がホセアに姦淫の女ゴメルを妻とするように命じられたことが不可解でした。
ホセアが苦しみもだえながらゴメルを買い戻して受け入れるように、神様も背信の民イスラエルを痛みを持って受け入れることを示しているのだと知って、はっとしました。背信の民とは、まさにわたしではありませんか……。

洗礼を受けた後、神様に背を向けて歩んでしまったわたしを受け入れて下さった神様の愛を思ってジーンときました。



「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。(ホセア書14:4)」



聖霊の働き

2008-05-18 21:46:31 | 教会

先週は、月曜から土曜まで朝6時からペンテコステの早天祈祷会がありました。イースターの早天祈祷会のときは、風邪をひいていて調子が悪かったので、いちども行けませんでした。今回はたとえ一回でも行きたいと願っていました。

主人の出勤時間がまちまちなので、仕事が東京のときは早天祈祷会の時間に朝食の支度をしなければならないので、行けません。
大雨の火曜日から始まって4回行けました。昨日は祈祷会の後、ブレックファーストが出て、おいしい手作りのパンをいただいてきました。

「めぐみ教会に見る聖霊の働き」というテーマで、4人の牧師先生と2人のスタッフの先生がメッセージをしてくださいました。

教会に通って間もないころ、聖霊とは何かよくわかりませんでした。聖霊は目に見えません。聖霊とは何でしょうか? 木や石などに宿る精霊とは違います。
聖書には、聖霊のことをもう一人の助け主と書かれています。

「聖霊に満たされて」と言われるクリスチャンがおられますが、聖霊に満たされるとはどういうことなのだろう? わたしの中に聖霊がおられるのだろうか? と悩んだ時期がありました。でも、キリストを信じて受け入れたときに聖霊がわたしの中に注がれていたのです。


「聖霊はいたるところで見いだされる」と牧師先生が言われました。聖霊は聖徒たちの判断の中に働いておられるのだそうです。

20年前、新しい会堂が建てられるとき、教会の役員の方々はどの場所に建てるか祈り求めたそうです。町中(まちなか)がいいのか、郊外がいいのか……。

普通なら町中の方が人が集まりやすいと考えます。でも、これからは車で来る人が増えるであろうという将来的なことを考えて、郊外で広い土地のあるところ、周囲に建物がなく、土地を広げていけるところに教会を建てることになりました。

20年後、土浦市とつくば市は、一軒に平均2台の車を持つような車社会になりました。現在の場所に教会が建てられたことによって広い駐車場が備えられ、400-500人もの人たちが集う教会になっていったのです。それは教会の役員の方たちに聖霊が働いて郊外に教会を建てようと判断したのだと知り、感動しました。

難しい問題に遭遇したとき、判断に迷うことがあります。また、とっさに決断を迫られることがあります。自分の知恵ではなく、正しい判断ができたと思えることがありますが、そういうときは、聖霊が働いてくださったのですね。

わたしは以前、知り合いに「クリスチャンは裁く者なの?」と聞かれたことがありました。その人はわたしに裁かれていると感じ、反感を抱いているようでした。
挑戦的な質問に一瞬たじろぎましたが、心の中で祈ってから「クリスチャンが……というより、人は誰でも他の人を裁いてしまう傾向があると思うの。人の行為をみて、『わたしだったらそんなことしないわ』と批判的な思いを抱いたり、自分のことを棚に上げて人のことを非難したり……。でも、クリスチャンは、人を裁いたことに気づいたら、それを罪だと感じ、神様にあやまって悔い改める者だと思う」と答えました。

すると、その人は何も言いませんでした。喧嘩にでもなりそうな雰囲気だったのですが、空気が和らいだ気がしました。このように答えられたのは、わたしの知恵、力ではありません。まさに聖霊の働きだと思います。

羊飼いに告げられた知らせ

2008-05-16 22:12:07 | 聖書から

今日はSさん宅での家庭集会でした。

聖書箇所はルカ2:8-20です。
主の使いが、野宿で夜番をしていた羊飼いたちにキリストの誕生を告げ知らせたこと。羊飼いたちがベツレヘムに行き、みどりごを捜し当てたことが書かれています。

当時の羊飼いがどのような立場だったか、社会からどんな取扱いを受けていたか教えていただきました。

当時のユダヤ人は、聖(きよ)さを求め、神とのかかわりを一番大切にしていました。死体に触れると汚(けが)れると考えていたので、動物を扱う仕事である羊飼いを汚れた仕事として差別していました。また、羊飼いたちは安息日を守ることができないので、ユダヤ人の社会から疎外されていました。
社会の底辺にいた羊飼いたちに、真っ先にイエスさまの誕生が告げ知らされたことは驚きです。

羊飼いたちは差別を受け、自分たちは見捨てられた存在だと思っていたでしょう。でも、彼らは救い主がいつか生まれることを知っていて、待ち望んでいました。
このように虐げられた者たちにいちばんにキリスト誕生の素晴らしい知らせが届いたことに改めて感動しました。

救い主誕生の知らせを聞いたとき、人によって全く違った反応をします。
羊飼いは、すぐにベツレヘムに出かけました。
一方、東方の博士から救い主誕生の知らせを聞いたヘロデ王は、恐れました。

羊飼いのように求める思いや、『このままではいけない』という気持ちがないと、福音(良い知らせ)を聞いても救いあずかることはできないのだなあと思いました。


「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように。(ルカ2:14)」

御使いたちは賛美しました。

イエスさまは平和をもたらすために来て下さったのです。平和とは、神との和解です。神と和解することが救いです。

羊飼いたちは、神との関係が不十分であると思っていました。でも、救い主を受け入れたとき、平和が与えられたのです。御心にかなう人たちとは、この羊飼いのような人たちなのだと聞いたとき、嬉しくなりました。

罪にまみれ、地面を這いつくばって生きていたわたし。そんなわたしのところに来て下さったイエス様に感謝!!

沖縄旅行(その7)

2008-05-14 10:11:16 | 聖書から

3日目(5/1)は、守礼の門、首里城見学をしてすべての行程が終了しました。

これまでまあまあの天気でしたが、天気予報を見ると最終日の1日は那覇で雨の確率90%です。明け方、すごい雨音で目が覚めました。最後の日くらい雨でも仕方ないなあーと思ってまた眠り、再び目覚めると雨は上がっていました。

首里城は石段を登っていくので、雨が降っていたらすべって危なかったでしょう。いい天気になって主に感謝しました。
90パーセントの確率で雨といわれていたのに晴れることは、沖縄ではそれほど珍しいことではないのかもしれません。でも、関東ではめったにありません。
確率という言葉の中にあいまいさがありますね。生存確率ということも……。

イエス様は「だれでもこの山に向かって、『動いて海に入れ』と言って心の中で疑わず、ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11:22)」と言われました。100パーセント無理だと言われていることでも、信じるなら神様は可能にしてくださるのです。そのような信仰を持ちたいと願います。

首里城(しゅりじょう)は、琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)でした。1945年の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により破壊されてしまい、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っているだけだそうです。
本格的な復元は1980年代末から行われ、1993年に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になったそうです。

2000年12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されましたが登録は「首里城跡」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではないのだそうです。

首里城正殿に入ると、まず目をひくのがさまざまな彫刻です。国王の象徴といわれている龍の彫刻がいくつもありました。柱や壁に鮮やかな赤を基調として、金や青を使って美しい模様が描かれています。よく復元したものだと思いました。


3日間のツアー旅行は盛りだくさんでした。時間に追われ忙しい旅でしたが、充実していました。ツアーでなければこんなにまわれなかったと思います。

主人はレンタカーが嫌いです。沖縄には電車がなく、路線バスも少ないので、ツアーで行って正解でした。28人と割合少ない人数のツアーでしたので、時間に遅れる人もいなく(わたしたちがいちど遅れそうになりました)いつも時間通りスムーズな発車でした。行く先々でガイドさんの説明が聞け、車中では、三線の弾き語りが聴けたので沖縄に浸ることができました。添乗員さんにもお世話になりました。感謝します。

ひとつの記事に1枚の写真しか載せられなかったので、(ひとつの記事に複数枚の画像をアップする方法がわかりません。gooのブログでのやり方をご存知の方がありましたら、教えて下さい)まだお見せしたい写真がたくさんあります。

後日ホームページに沖縄旅行記を掲載しますので、よかったらご覧ください。


おわり

これから児童文学の会に出かけます。今日も雨が降って寒いです。

沖縄旅行(その6)

2008-05-12 13:06:30 | 日記

沖縄旅行2日目、美ら海水族館の次にナゴパイナップルパーク行き、パイナップルを試食してきました。こちらで食べるパイナップルと全然味が違い、甘くておいしかったです。ワインの試飲もあり、主人は大喜びでしたが、わたしはアルコールにアレルギーがあるので一滴も飲めません。
パイナップ畑を見学し、パイナップルがなっているところを生まれて初めて見ました。

ハイビスカス、ブーゲンビリアの花やガジュマルの木などの亜熱帯植物。沖縄で見る植物は、どれも珍しくて惹かれました。
万物の創造者である神様は、なんとたくさんの種類の植物を造ってわたしたちの目を楽しませてくださるのでしょう! 天と地、動植物、そして人間が偶然に存在しているのではなく、ひとつひとつ神様の手によって造られたことを知ったとき、わたしは感動で心が震えました。

人間は魚から進化してできたのだと教えられてきましたが、聖書には、種類ごとに神様が創造されたと書かれています。人間は神様の手によって母親の胎の中で骨が組み立てられたのです。

「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。(詩編139:13)」
そのことを思うと、存在意義と使命を感じます。ここに咲いているひとつの花も存在する意味があるのだなあとしみじみとした気持で眺めました。

最後DFSショップに着いたときは疲れ果てていました。主人もわたしもブランドに興味がないので店を素通りし、土産店で娘を待ちました。娘は目をきらきらさせて見て回っていました。

6時半ごろようやく那覇市内のホテルについてほっとしました。夜は、国際通りへ行って沖縄料理の店に入りました。

沖縄料理といえば、最初の日の昼食から楽しませていただきました。ゴーヤチャンプルー、紅芋の天ぷら、グルクン(たかさご)のから揚げ、ジマーミ豆腐、海ぶどう、もずく……おいしいものばかりです。初日の夜は、むら咲むらというところで沖縄の舞踊を見ながらいただきました。たくさん食べて旅行の間に2キロも太ってしまいました。(ヒックンのおかげですぐ元の体重にもどりましたが……)

つづく

*沖縄旅行記はあと1回で終了します。

結婚式

2008-05-10 21:37:55 | 教会

今日は教会で結婚式があり、娘と一緒に参列しました。新郎新婦ふたりとも子供のころからめぐみ教会に通っていた青年です。新婦のとまとちゃんは、娘よりひとつ年上の22歳。若い花嫁さんです。とまとちゃんは、小学5年生の時一家で土浦に越してきて、同じマンションに住んでいました。

娘とすぐ仲良くなって、お互いの家を行ったり来たりしました。マンションの前で野良猫を飼い、拾ったお金で猫の餌を買ってしかられ、お金を交番に届けたことが結婚式で語られましたが、娘と顔を見合わせて笑ってしまいました。娘も共犯者です。

数年後それぞれ市内に引っ越しましたが、教会で毎週顔をあわせていました。3年前からとまとちゃんはCS教師になり、一緒に奉仕していました。
辛いことがあっても笑顔をたやさず、何をたのんでもいやな顔ひとつせず引き受けてくれたとまとちゃんが、頼もしく優しいYくんと結婚することを聞いたとき、とても嬉しく思いました。
土浦を離れてしまうことがさみしいですが、両方とも実家が土浦なので、ちょくちょく帰ってくることでしょう。

ふたりとも音楽が大好きなところから、楽団員にたとえて牧師先生が奨励をしてくださいました。


ふたりは別々の楽団に所属していましたが、教会で同じ楽団になりました。これまで別々の楽団にいたのでお互いが理解できず、けんかをしたり、すれ違いがありました。ふたりが二重奏をするためチューニングをしなければなりません。
これからもチューニングを続けて、すばらしい二重奏を奏でるようになることでしょう。


聖書
妻たちよ、あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものではなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものをもつ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。
夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて、妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。(Ⅰペテロ3:3-4、7)


おふたりの上に神様の祝福が豊かに注がれますように。


*沖縄旅行の続きは後日書きます。

*日本クリスチャン・ペンクラブのHPと「生かされて…土筆文香」のHP更新しました。ブックマークにありますのでぜひご覧ください。

沖縄旅行(その5)

2008-05-08 17:46:20 | 日記

これまで書いてきた沖縄旅行の記事は、4月29日(1日目)に行ったところです。

沖縄旅行2日目は、まず始めに座喜味城(ざきみじょう)跡を訪れました。(写真)座喜味城は、築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が、15世紀初期に築いた城だそうです。石垣しか残っていませんが、その石垣は崩れないように積み方が工夫されているそうです。アーチの真ん中にくさびが埋め込まれています。その時代によく造られたものだと感心しました。

首里城の石垣は、ほとんどが復元だそうですが、座喜味城の石垣は600年くらい前のものです。一つの石を抜き取っても崩れないというのには驚きました。

石といえば、自らを「礎の石」であると言われたイエスキリストに思いをはせます。
「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼するものは、決して失望させられることがない。(Ⅰペテロ2-6)」 石を抜き取られても崩れない石垣のようにイエスさまを信頼していれば、揺らぐことがなく、失望することもないのです。

次に立ち寄った万座毛(まんざもう)からの景色はすばらしかったです。(沖縄旅行その1に写真を載せています。)海は東シナ海になります。
地面は天然芝の所が多く、アダンの林もあり、亜熱帯的風景です。 ここの平らな芝生を見て、尚敬王(しょうけいおう)が万人が座るに足りると言ったところから名前がついたとか。
イエスさまもこのような山上で「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」と言われたのでしょうね。

琉球城でお昼をいただき、蝶々園に行きました。本土では見られないオオゴマダラが、乱舞していました。赤い帽子をかぶると、とまってくれました。オオゴマダラのサナギが黄金色だったのでびっくりしました。

次はいよいよ楽しみにしていた美(ちゅ)ら海水族館です。水族館は海洋博公園の中にあります。ちょうど着いたたとき、イルカショーが始まるところで、イルカショーの後すぐ、ジンベイザメの餌付けたというので、走って移動しました。
ジンベイザメは迫力がありました。餌を食べるときは垂直になって、大きな口をあけ大量の海水とともにすいこんでいました。
水族館も一時間余りで出なければならなかったので、心残りでした。


               つづく

沖縄旅行(その4)

2008-05-07 13:31:47 | 日記

沖縄旅行でわたしがいちばん感激した場所は玉泉洞(ぎょくせんどう)でした。玉泉洞は、おきなわワールドの中にあります。長さ4500メートル(公開されているのは890メートル)で、日本の洞窟では第7位だそうです。

東洋一の広さ・高さを誇ると言われる「東洋一洞」、約2万本の鋭い鍾乳石が下がっている「槍【やり】天井」や「龍神の池」、リムストーンダム(かぼちゃ石)と呼ばれ、日本最大を誇る「黄金の盃」、板状の鍾乳石が重なってできた「絞り幕」などがありました。

何10万年もかけてできた洞窟です。発見される前までは、暗闇の中でした。神様はなぜこのような芸術的な美しさをもつ洞窟を造られたのだろうか……など考えながら見学しました。

わたしは、鍾乳洞が大好きで、(宇宙と海底も好きですが)以前「地底国の冒険」という長編小説を書きました。地底の描写をするために、岩手県の龍泉洞にまで行きました。龍泉洞は地底湖が素晴らしかったですが、玉泉洞では鍾乳石の美しさに魅せられました。
入口が海中にある青の洞窟にも行きたかったのですが、ツアーになかったので断念……。

「地底国の冒険」を推敲し直してみたくなりました。でも、完成させても200枚くらいの小説なのでブログで連載できません。本になるあてもないし……誰にも読んでもらえないと思うと気力が萎えてきてしまいます。
誰にも見られない未発見の洞窟のような作品がたくさんあります。

洞窟を出ると、エイサーの踊りもやっていましたが、バスの集合時間に追われ、急いで駐車場にかけつけました。

              
つづく

祝福

2008-05-05 12:22:11 | 教会

昨日はヒックンの初節句のお祝いに招かれました。パパとママ、ふたりのおじいちゃんとおばあちゃん、大人6人に囲まれて、ヒックンはご機嫌でした。生まれて初めてお寿司(納豆巻きと卵のにぎり)、ケーキも食べました。
わたしたちは微笑みながらヒックンの一挙一動をながめて、楽しくおしゃべりをしました。


ヒックンはまだ一歳ですから、大きくなった時、このときのことは覚えてないと思いますが、記憶のどこかにとどめられることでしょう。愛されて育つ子供はなんと幸いなことでしょう!
今日これからまたヒックンが来ます。連休後半は大忙しになりそうです。


昨日、教会学校でノアの箱舟のメッセージを聞きました。神様の言葉に忠実に従ったノアのことを改めてすごいと思いました。

ノアは、神様から「これから洪水を起こしてこの世界を滅ぼすから箱舟を作りなさい」と言われました。それも5~7千トンのタンカーに相当する船を造るのです。片手間にできるものではありません。やっていた日常のことをやめて、全力投球で舟を造らなければなりません。そのときノアは、従順に従ったのです。
ノアは、すべて神の命じられたとおりにし、そのように行った。(創世記6:22)と聖書には書かれています。

ノアひとりではなく、奥さんと3人の息子とそのお嫁さんも一緒に造りました。ノアは他の人たちに洪水が来ること、箱舟に入れば助かることを告げましたが、誰一人信じませんでした。

人間は、ノアとその家族総勢8人しか救われなかったことを思うと驚きです。わたしたちは、みなノアの子孫なのですね。

ノアは水がひいたことを知っても、神様に「箱舟から出なさい」と言われるまで出ませんでした。そのことにもノアの忠実さがあらわれています。
「忠実な人は多くの祝福を得る。(箴言28-20)」

{祝福とは、神様が与えて下さる幸せのことです。おいしいものを食べたり、楽しいことをして「ああ幸せ」と思うのとは少し違います。つらいことがあっても、神様から平安をいただいて幸せと思えることが神様の祝福です}と聞いて本当にそうだと思いました。

自分の置かれている状況に左右されることなく、心の中に平安がいつもありますように。

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