生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

奇跡の日々

2008-12-31 09:00:45 | 日記

今年最後の日になりました。

一年を振り返ると、今年は去年ほど劇的な年ではありませんでした。昨年は、テレビ(ライフ・ライン)出演や、「よろこびの泉」執筆、「百万人の福音」ペンライト賞(佳作)と、思いがけない大きなことが3つもありました。
今年はこれといって大きなことがなかったこともあり、一昨年と昨年参加していた『よかった探しリース』に参加するのを忘れていました。

28日に教会で「キリストを信じる者の人生は、神の奇跡に満ちている」というメッセージを聞いて、はっとさせられました。

『今年も奇跡はあったではないか。いや、奇跡の連続だった』と、そう思えたのです。

まず、健康が支えられていることが奇跡です。子供のころから体が弱く、喘息でずっと苦しんでいました。5年前には乳がんになりました。当時は、5年も生きられないだろうと本気で思っていたのです。今、元気だということは、まさに奇跡です。

「よろこびの泉」と「百万人の福音」に載せられた私の記事を読んで下さった方、2人と文通を続けていることも奇跡です。

根気のないわたしがお茶の水聖書学院の通信の学びを継続していること、ブログを3年以上も続けていることも奇跡です。

クリスチャン・ペンクラブでの研修会(オータム・ジョイフル)に参加できたこと。茨城児童文学の会の合宿に参加できたことも奇跡です。合宿に向けて7、8月は創作に打ち込んだのでした。そして、10月には児童文学者協会に入会させていただきました。

4月に娘が家に戻ってきたことも奇跡です。東京で一人暮らしを始めたとき、もう娘と一緒に暮らすことはないかもしれないと寂しく思っていたのです。そして娘のことを毎日案じていました。今は、口喧嘩しながらもおしゃべりを楽しみ、3年間離れて暮らしていたことを忘れるほどです。

春に家族で沖縄旅行に行けたことも奇跡です。主人は海外旅行はしたくないと言っており、主人の中では沖縄も“海外”だったからです。

孫のヒックンが順調に成長していることも奇跡です。ヒックンは教会のワンツークラスにも3回出席しました。長男一家がほとんど毎週我が家に来てくれることが嬉しいです。


主人が交通事故にあいましたが、無傷だったこと。このことがいちばん大きな奇跡です。

まだまだ、あげればきりがないほどたくさんの奇跡がありました。神様に心から感謝です。


わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
(詩篇103:2-5)



ブログを読んでくださっている方々、お祈りや励ましをありがとうございました。新しい年に神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。




ダニエル書を学んで

2008-12-29 17:39:29 | お茶の水聖書学院

昨日からヒックンが来ています。姪が会いたいと言ったので、泊まりがけで来てもらいました。姪はひとりっ子なので、ヒックンのことを弟のように可愛がってくれます。ヒックンは最初は姪を見て、こわばった顔をしていたのですが、すぐに慣れてたくさん遊んでもらい、ご機嫌です。

今年一年を振り返ってじっくり書く暇がないので、今日はOBI(お茶の水聖書学院)のリポートに書いたダニエル書を学んだ感想を紹介します。
2年かかってしまいましたが、「旧約聖書との思想と概説」(1.2.3.下)すべて学び終え、今月初めに最後のリポート提出ができました。


ダニエルと3人の若者が偶像に捧げた食べ物を拒否した勇気ある行為。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人がネブカデネザルの像を拝むことを拒否して炉の中に入れられたこと。ダリヨス王以外を拝むと獅子の穴に投げ込まれるという法令が出されたことを知ってもダニエルがいつものように日に三度彼の神に祈ったこと。これらのできごとに深く感銘しました。

仏事で焼香が回ってきたとき、まわりの人の目を恐れて焼香をするふりをしてごまかしたり、お祭りの時、神輿をひかない理由をはっきり言うことができなかったり…優柔不断な行動をとってしまった自分に心を痛めています。
もしキリスト教が迫害されていた時代に生きていて、偶像礼拝を強要されたらはっきり拒否することができるのだろうかと不安です。
偶像に捧げた食べ物を拒否した4人は、よく考え、よく祈り、選んだ言葉で話していると伺って、どんな問題が起きたときにもよく祈って熟慮することを教えられました。
ダニエルたちのように恐れずに信仰に堅く立って歩んでいきたいと思いました。

幻については、わからないことが多いのですが、信仰を確かなものにするためには、色々な立場の考えを知ることが必要だと教えられました。
晩年ダニエル自身が幻を見せられたとき、いつのことなのか問いかけていますがダニエルにも知らされませんでした。なぜ神さまはダニエルに幻を見せ、その解き明かしをされなかったのかわかりませんが、ダニエル書には永遠の命や復活について記されており、それをイエス様が引用しておられること。ダニエル書が旧約と新約の橋渡しになっていることを知って、意味深いことなのだなあと思いました。

終末については、わからないだけに不安がありましたが、今回ダニエル書を学んで、何が起ころうとも神様は救いを備えてくださっておられるのですから、だいじょうぶだという確信が与えられました。御手の中にあって、平安をいただくことができました。感謝いたします。
「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ(ダニエル書10:19)」
のみ言葉が、自分に語られたような気がしています。


講師の先生から「一生懸命旧約聖書を学んでいる姿に感動を覚えます。どうぞ来年もつづけて頑張ってくださいますように。」とメールをいただいて感激しています。

Y子さんの証しから

2008-12-26 17:53:40 | あかしの紹介

一人暮らしの母のところへ行って大掃除を手伝ってきました。中一の姪が泊まりに来ていて、姪と一緒にガラスふきや台所掃除をしました。姪はすすんで手伝いをよくしてくれ、大きな助けになります。
今日は姪を連れて我が家に帰ってきました。数日間わが娘となってくれることが嬉しいです。


クリスマスは過ぎてしまいましたが、書き残していたことがありました。ようやく今日書くことができます。

12月18日に教会で行われた家庭集会クリスマス会で、我が家の家庭集会に集っておられるY子さんが証しをして下さいました。Y子さんの証しを紹介させていただきます。



Y子さんの証しから

わたしが最初に家庭集会へ参加させていただいたのが12年前でした。家庭集会では多くの人との出逢いがあり、とても楽しく学ばせていただきました。
○年前に主人の両親と同居するようになってからは、なかなか教会へ堂々と来ることができなくなってしまいました。
主人の両親は宗教嫌いで、キリスト教の信仰はいまだに許してはもらえません。
しかし、わたしはこの家庭集会で文香さんの病気をきっかけに受洗に導かれました。

受洗を望んではいたものの、家族の反対を押し切ってまで受洗して揉めるのが怖かったこともあり、ずっと悩んでいました。しかし、そんなことをいっていたらいつまでも受洗できずに私のような中途半端な人間はいつか信仰さえも捨ててしまいそうで、そんな自分自身もいやでした。

そのころの環境からも抜け出したい思いや、わたしの罪や重荷をイエス様に救ってほしいという思いが絶頂に達した時期でもありました。
そして、ずっと祈って支えてくれた文香さんがもしもいなくなってしまったらという思いもあり、あせりました。今しかないと強く思い、2004年4月に受洗させていただきました。

こんな話をしたらしかられてしまいそうですが、12年間も家庭集会に参加して礼拝に出席できたのは1回だけです。こんな形で受洗させていただいたのは、わたしだけかもしれません。
しかし、こんな寛大なゆるしを受けられるのもめぐみ教会だからこそと感謝しています。

傲慢で自分勝手な性格は、クリスチャンになってもまだまだ直らずに、子どもにも「お母さんは偽クリスチャンだ」とか「偽善者だ」とか痛いところをつかれますが、本当のことです。
「だから、神様に赦してもらうために受洗したんだよ」と言うと、「何言ってんの? 意味不明」などと言われますが、いずれ夫にも娘にもわかってもらえる日がくると信じています。

この12年間、わたしだけの小さな信仰では何度もくじけそうになり、もうどうでもいいかな?と投げやりになったり、どうせだめだと落ち込んだりの繰り返しでした。

家庭集会に行ってみなさんと学びをしていると礼拝メッセージだけではわからない聖句のこまやかなところにも感動や驚きを覚え、それぞれの意見を聞くと、本当に聖霊の働きを感じずにはいられません。
そして各々の生活にあてはめて悩みや経験を打ち明けられるのも、家庭集会の良さです。

学びを終え、食事をいただき、くつろいだ雰囲気の中でああ、今日も参加できてよかったという思いでいっぱいになり、それが心の糧となり、次回の学びが楽しみになってきます。

同じ聖書箇所がでてきても、みなさんの理解が深くなっているのには驚きです。
自分は小さく弱い者で、決して受洗したからと言って何かが大きく変わるわけではありませんが、祈る喜び、平安、信じること、委ねることそしてすべてが感謝に変わることを少しずつ感じられるようになりました。

そして祈りあえる仲間がいる、その喜びをこれからも味わっていき、いつの日か我が家でも家庭集会が開けたらいいなあと思っています。
本当に家庭を開放してくださっている皆さん、ありがとうございます。

また、この家庭集会を通して救いにあずかる人が一人でも多くありますようにお祈りいたします。


家庭集会を開いて17年になりますが、家庭を開放するということは大変なことです。ときにはしんどいと思うこともありました。でも、Y子さんの証しを聞いて、その苦労がどこかへとんでいきました。家庭集会を続けてよかったなあとつくづく思いました。
それから、わたしの乳がんがきっかけでY子さんが受洗したことを思うと、主が病を用いて下さったのだと感謝せずにはいられません。

消えることのない光

2008-12-24 12:18:50 | 日記

昨日は、教会の最初の受洗者のSさん(91歳)の葬儀でした。Sさんは、寝たきりになる7年前までは毎回欠かさず礼拝と祈祷会に出ておられました。

お子さんが生後一か月のとき、ご主人を亡くされ、戦中戦後の激動の時代を生きてこられた方です。女手一つで娘さんを育てていくのは大変だったと思いますが、信仰を持ってからは、教会第一の生活をされ、よく奉仕もされていたそうです。

Sさんの娘さんやお婿さん、三人のお孫さんはまだ信仰をもっていませんが、お話を聞いて一同がSさんの信仰に敬服していることがわかりました。そして、これから教会に通いますとおっしゃっていたことを大変うれしく思いました。

これは、わたしにとっても希望です。わたしの主人や息子は、決して教会に行こうとしませんが、わたしが天に召された後、求めるようになるのではないかと思えたのです。そのためにも、まっすぐに信仰に生きる姿をみせておくことだなあと思いました。


文通しているK子さんから「なぜ『わたしに注いだ光は消えることがない』と言い切れるのですか?」という質問がありました。
それは以前わたしが「イエス様を信じたとき、私の心に光が注がれました。そしてその光は決して消えることがないのです」と書いたことに対する質問です。
そのお返事を紹介します。


まず、光というのはイエスキリストがもたらしてくれた希望のことです。わたしの努力で、注がれた光を保っていくというのなら、きっと失ってしまうでしょう。順調なときはよいのですが、何かあると気持ちが大波のように揺れます。気持ちがふさぐこともあり、硬く決心しても、明日には決心がゆらぐような弱く、不完全な者だからです。
この光を決して離すまいと決心したとしても、それはあてになりません。
でも、神様が光を保って下さるのなら、絶対に消えることがありません。

どんな人格者だと言われる人でも完全な人間はひとりもいません。そして、どんな人間にも罪があります。また、人間には限界があります。
でも、神様は何もないところから天地万物を造ることができるほどのお方です。その力は想像をはるかに超えます。

神様は、わたしたち人間を造られましたが、造りっぱなしにされているのではありません。ひとりひとりを大切に思い、愛しておられるのです。(この愛というのは男女の愛ではありません)
どれくらい愛しておられるかというと、神様のひとり子、イエス・キリストの命をわたしたちに与えて下さるほど愛しておられるのです。

わたしたちは、罪を持っているので、このままでは神様と正しい関係を持つことができません。このままだと魂が滅びてしまいます。でも、そうならないようにわたしたちの身代りにイエス様が十字架にかかって罰を受けて下さったのです。
神様は十字架につけられるという目的のために愛するひとり子のイエス・キリストを地上に送ってくださいました。イエス様は最も低く貧しいところ(家畜小屋)でお生まれになったのですよね。このクリスマスの出来事を思うと、心が震えます。

イエス様が地上にきてくださったこと、イエス様が十字架にかかってわたしの罪をゆるして下さったことが希望の光です。
キリストが生まれたこと、十字架にかかってくださったことは事実なのです。だから、見えないときにも空に太陽があるようにキリストの光は、たとえその人が見失ったとしても決して消えることはないのです。


「あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。 (イザヤ60:20)」


このクリスマス、キリストの光を心に迎えられますようにお祈りしています。


明日はクリスマス。心からイエス様の誕生をお祝いします。メリークリスマス!!



永遠のいのち宿りて

2008-12-23 09:19:23 | 

クリスマスのメッセージを聞いて、永遠のいのちを与えて下さるために生まれて下さったイエスさまに心打たれて詩を書きました。

       
永遠のいのち宿りて      

どんなに苦しい思いをしても
どんなに心傷つけられても
「助けて」
と叫んだとき
あなたはもう助けられているのです

どんなにみじめな気持ちになっても
どんなにさみしく孤独でも
「イエスさま」
と呼んだとき、
あなたはもうひとりではありません

どんなに小さな声でもかまいません
だれにも聞こえなくていいんです
「神さま」
と呼んだとき、
あなたには永遠のいのちが宿っているのです

クリスマス会

2008-12-22 17:18:29 | 教会

20日に教会学校のクリスマス会が行われ、小学生が劇、紙芝居、合奏、合唱、マジック、ドラマのグループに分かれて発表しました。

いままでは学年ごとに出し物を決めて発表していたのですが、今年は学年の枠をとりはらって、子どもたちの希望するものを準備し、発表することにしました。

各グループは、5週間かけて練習を重ねてきました。5週間といっても練習時間は日曜日の30分だけです。
とくに紙芝居は絵を仕上げてから読み合わせをしたので、ぎりぎりでした。

本番は2階の礼拝堂で行われ、たくさん(250人ぐらい)の父母や祖父母が見に来てくれました。新しい子どもたちも大勢来てくれました。

子どもたちは緊張していましたが、それぞれが賜物を生かし、得意な分野で発表したのでみんな生き生きしていました。

「幸福の王子」の紙芝居は1週間前のリハーサルのときはどうなることやらと思ったのですが、みんな心をこめて読み、すばらしくよくできました。涙を流している父兄もいました。子どもの力を信じてよかったです。


*顔がはっきり映っていないものがありましたので、写真アップしました。



昨日はクリスマス礼拝でした。
昨日のメッセージは『クリスマスのいのち』についてでした。一部を紹介させていただきます。


イエス様は家畜小屋という最も貧しいところで生まれました。それは偶然ではなく、生まれるべくして生まれたのです。
家畜小屋は、この世を表しています。貪欲にむさぼり食らい、あらゆる装飾をもっても隠せない汚くて醜いところですが、それはこの世のすがたです。
このようなところに無垢な救い主が誕生しました。このことこそがメッセージです。
普通では考えられないような危険な状況で生まれたいのちですが、そのいのちは、特別のものであり、永遠のいのちをもっていました。

イエス様は「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(ヨハネ10:10)」と言っています。イエス様はわたしたちに永遠のいのちを与えるために来て下さったのです。人にいのちを分かち与えるため、ご自分のいのちを十字架上で注ぎ出して下さったのです。

永遠のいのちとは、神を知ることです。「神様」と祈るなら、その人は永遠の命を持っています。クリスマスに誕生したいのちを心の中に招き入れる人はだれでも永遠のいのちが与えられるのです。

チーターパシュルと虹(その3)

2008-12-19 12:06:29 | 童話

「パシュル、外を見てごらん」
パシュルが窓に前足をかけて外をみたとき、口をあけたままかたまってしまいました。パルシュルは置物のようにひげ一本、ぴくりとも動きません。時間がこおりついてしまった感じです。
窓の外は、見渡すかぎり一面が水におおわれていました。さえぎるものは何もなく、どこまでも続く水が小さなさざ波をたてていました。

「み、水……」
パシュルはやっとそれだけいうと黙りこみ、床にぺったりと尻をつけてすわりこんでしまいました。

「外に出てみるかい?」
おじいさんがニコニコしてパシュルの背中をポンとたたきました。パシュルは首をこきざみに横に振りました。
やがてハトがもどってきました。

「もうしばらくすれば、水がひいて必ず出られるからな」
「あの……、箱舟に乗らなかった動物たちは?」
パシュルは気になっていたことをたずねました。
「大洪水でみんなほろびてしまった。箱舟に乗ったもの以外はみんな……」

「えーっ!」
パシュルは血の気がひいていくのがわかりました。大洪水がくるなんて知らなかったのです。箱舟に入れば守られるといったメルダの言葉を思い出しました。

「神様のさばきじゃよ。神様がこの世界を水でほろぼされたのじゃ」
パシュルはショックを受けてヨロヨロとメルダのところへもどりました。パシュルはその日からすっかりふさぎこんでしまいました。メルダが話しかけても、返事すらしません。

一週間後、ハトがオリーブの葉をくわえてきて、舟中が喜びに満ちたときも、パシュルだけは床をみつめて伏せっていました。

それから何日かたって、とうとう舟から降りる日がきました。おじいさんが一年近くも閉じられていたとびらを大きく開きました。
「さあ、みんな。降りるんじゃ。降りて全世界に散らばっていくのじゃ」
おじいさんがいうと、動物たちがせきをきったようにわれ先にとびらへ向かい、外にとび出してきました。

パシュルは箱舟の隅でじっとしています。
「パシュル、わたしたちもいきましょう」
メルダが立ち上がってパシュルの尻を鼻でつつきました。
「オレはここにいる。お前はすきなところへいけよ」
「どうして? 前は早く降りたいって言ってたのに……」
「気が変わったんだ。ほっといてくれ」
「そんなこといわないで、いっしょに降りましょうよ」
「いやだね」

6 約束のしるし

パシュルとメルダが言い争いっていると、おじいさんがやってきました。
「パシュル、こわいのだな」
おじいさんにはかないません。心の中をいいあてられて、パシュルはもぞもぞ体を動かし、照れかくしに前足で顔をなでました。

パシュルは舟が水に囲まれているのをみたとき、心底恐ろしくなってしまったのです。前はこわいものなんかありませんでした。足も速く、体もじょうぶなので自信に満ちていました。でも、川に落ちてから、水が恐ろしくなりました。そして、こんな洪水がこれからも起こるかもしれないと思うと、箱舟から出られなくなってしまったのです。

「だいじょうぶじゃ。こわければ、ずうっとわしらといっしょにいればいい」
おじいさんはパシュルの首をだいてやさしくいいました。
パシュルは、おじいさんと奥さん、三人の息子とお嫁さんたち八人のあとについていきました。もちろんメルダもいっしょです。

おじいさんたちは、箱舟を降りると、石を積み上げてさいだんを作りました。そしてひざまずくと手を組んで目を閉じました。
「おじいさんたち何をしているんだろう?」
「さあ……」
パシュルとメルダにはわかりませんでしたが、人間たちは神様に礼拝をささげていたのです。二匹は人間のまねをして頭を下げ、目をとじました。

「あっ、虹だ」
おじいさんの声で目を開けると、空に半円形の光の帯がみえました。七色のしまもようです。そのとき、天からパシュルの耳にはっきりと言葉が聞こえてきました。
「わたしは、もう二度と洪水でこの世界をほろぼさない。この虹は約束のしるしだ」

パシュルの心がふるえ、涙があとからあとから流れ落ちました。神様が命を守るために自分たちを箱舟に入れて下さったことがはっきりわかったからです。
パシュルはそっとメルダによりそいました。メルダのことを初めていとおしいと思いました。メルダの目にも涙がありました。虹がメルダのひとみに映って輝いていました。

                   おわり





チーターパシュルと虹(その2)

2008-12-18 16:17:05 | 童話

「あれが箱舟……」
「箱舟はあと三日で完成じゃ。神様は、全種類の動物のオスとメスを箱舟に入れるようにおっしゃったんじゃ。お前とメルダはチーターの代表として入るのだよ」
パシュルは箱舟に入るのはいやだと思いました。だいいち舟の中では走れません。でも、助けてくれたおじいさんに「いやだ」ということもできず黙って地面をみつめていました。

(箱舟ができたころ、足の傷も治っているだろうから逃げだそう。チーターはたくさんいる。箱舟に入るのはオレじゃなくったっていいだろうから)
パシュルはそんなふうに考えていました。

3 箱舟
三日目の朝のことです。
「できたぞ、できたぞ。箱舟がついにできた!」
おじいさんの三人の息子たちが歓声をあげながら箱舟のまわりをまわっていました。

「もうできたのか」
パシュルの熱は下がっていましたが、まだ前足が痛みます。とても走れそうにありません。パシュルは足を引きずって、かくれるところをさがしていました。
かくれる間もなくおじいさんがやってきて、

「さあ、パシュル。箱舟に入るのだよ」
と追い立てたので、しかたなくノロノロと箱舟に入りました。
箱舟の中はたくさんの動物でひしめきあっていました。ブーブー、ワンワン、ニャーニャー、メーメー、コケコッコー、やかましいったらありません。
「パシュル、こっちよ」
メルダが奥で呼んでいます。しきられたところに二匹のチーターが横たえるだけのスペースがありました。

「あーあ。こんなやかましくてせまいところで暮らすのか」
パシュルがため息をつくと、
「でも、しばらくの間だっておじいさんがいってたわ。それに朝夕十分な食べ物をくださるんだって」
「どうせ、けがして走れないんだから、ここにいてもいいんだけど……」
パシュルは大きなあくびをしました。

箱舟に入って間もなくザーザーと水音が聞こえました。その数日後、舟がユラユラゆれはじめました。ギシギシと木のきしむ音がします。ときおり、ゴーゴーと風の音やパラパラと豆をぶつけたような音が聞こえてきます。

外はどうなっているのでしょう……。パシュルたちのいるところには窓がないからわかりません。外のようすがわからないまま、何日も何日も過ぎていきました。パシュルはだんだん不安になってきました。

ある朝、メルダが耳をピンとたてていいました。
「水の音がしなくなったわ」
たしかにメルダのいうとおり、水と風の音がやんでいました。でも、ギシギシと音がして舟はまだゆれています。

パシュルはほっとしましたが、こんどはたいくつでたまらなくなってきました。
「ああ、早く舟を出たい」
「おじいさんがとびらを開けるまで出られないのよ」
「そんなこと、わかってるさ。ああ、たいくつだ」
パシュルは後ろ足で頭をかきむしりました。
メルダは次から次へとおもしろい話をはなして聞かせました。パシュルはしばらく耳をかたむけていましたが、だんだんあきてきて、またため息ばかりつくようになりました。

気が遠くなるほど時間が過ぎたある日、船底からガタンと音がして、舟が少し傾いてゆれがピタッと止まりました。
ネズミがこわがってチューチュー騒ぎ出すと、箱舟の動物たちがいっせいに鳴き出しました。

「うるさーい! しずかにしやがれ!!」
パシュルはさけぶと立ち上がりました。前足のけがはすっかりよくなっています。

4 箱舟の外をながめて
「まったく! やってられないぜ」
「どこいくの?」
「外に出る。先におろしてもらう」
パシュルは階段をのぼり、三階の屋根裏部屋をのぞきました。窓が少し開いていて、そこから日の光がさしこんでいました。
(あの窓を大きく開ければ外に出られるぞ)

そっと窓へ近づくと、窓から真っ黒なカラスが飛びこんできました。
「羽を休めるところなかったよ」
カラスが叫ぶと、おじいさんが屋根裏部屋に入ってきました。おじいさんの肩にはハトがとまっています。
「そうか。まだ水はひいてないんじゃな」

おじいさんは、パシュルに気づいて目を細めました。
「足のけがはすっかりよくなったのか?」
「う、うん」
パシュルは目をそらして答えました。
「外に出ようと思ったんじゃろ」
おじいさんはパシュルの心を見通しているようです。

パシュルが答えずに黙っていると、おじいさんは大きく窓を開け、ハトをはなしました。


つづく

チーターパシュルと虹(その1)

2008-12-16 16:39:46 | 童話

10月のJCP(日本クリスチャンペンクラブ)の「童話エッセイの集い」で発表した作品を推敲したものです。(「虹」というテーマで書くのが課題でした)

ノアの箱舟に乗った動物を主人公にしました。この作品を書いてから、別の動物を主人公とした童話が次々と生まれつつあります。
「チーターパシュルと虹」は3回に分けて連載します。感想をきかせてくだされば嬉しいです。

チーターパシュルと虹 (原稿用紙15枚)   

Ⅰ走るの大好き
神様がこの世界をおつくりになって間もないころ、動物はみな草を食べていました。
人間たちの間では、けんかやあらそいがたえませんでしたが、動物の世界は平和でした。

砂と岩だらけの大地がどこまでも広がっています。大地をけってチーターのパシュルがかろやかに走っています。地平線に日が沈もうとするとき、ようやく森がみえてきました。

パシュルは立ち止まってちょっとふり向きました。見渡すかぎりだれの姿もありません。
走り出すとき、メスのチーター、メルダが追ってきたのですが、やはり追いつけなかったのでしょう。チーターは動物の中で一番足が速いのですが、つかれやすく、1㎞も走るとすぐへたばってしまいます。

でも、パシュルは違いました。何十キロ走ってもつかれないじょうぶな体を神様からいただいていたのです。
「オレさまの走りにかなうものはいない。オレさまは世界一だ」

パシュルは森に入って茂みにもぐりこむと、うーんと伸びをして、体を草の上に横たえました。草のにおいがつかれた体に心地よく、やがてぐっすり眠ってしまいました。

パシュルはひとりでいることが好きでした。そんなパシュルにメルダは近づいてきてペチャクチャおしゃべりします。パシュルはメルダのことが苦手で、いつも逃げていました。

「パシュル、起きて、パシュル」
目を覚ますとメルダが目の前にいました。いつの間にか夜が明けて、こもれ日がメルダの顔のはんてんに当たって光っていました。
「何だよ、ついてくるなっていったのに……」
パシュルは鼻にしわを寄せてギロリとメルダをにらみました。
「追い返さないで。わたしの話を聞いて」
メルダは目を大きく見開いてパシュルをじっとみつめました。

パシュルはそっぽを向いて口いっぱいに草をほおばりました。
「パシュルとわたし、選ばれたのよ」
メルダは前足をぐっと伸ばして、パシュルの顔を下からのぞきこみました。
「選ばれた?」
「わたしたち、舟に乗れるのよ。舟に乗る者は命が守られるんだって」
「舟? 舟ってなんだ」

パシュルは首をかしげ、ちらっとメルダをみました。
「とにかく、わたしのあとについてきて」
「いやだね。ぼくはひとりが大好きなんだ」
パシュルはメルダをふりはらうようにして森の奥へ走っていきました。

2 川

森の真ん中に川が流れていました。パシュルは川の水をたっぷり飲み、ふーっと息をつきました。川の向こう岸には色とりどりの花が咲いています。(この川をとびこえよう。そうすればメルダはもう追ってこれない)
はば三メートルほどの川です。こんな川、軽々ととびこえられると思っていました。ところが助走もつけないでとんだので、バシャーンと川に落ちてしまいました。

どどっと水が押し寄せます。鼻にも耳にも水が入ります。何かにつかまろうとしても前足は宙をけるだけです。ぶくぶくと顔が沈みます。息が苦しくて死にそうです。必死に首をもたげて鼻を出し、息を吸い込もうとすると水が入ってきます。そのうち急な流れにのみこまれ、パシュルは岩に体をあっちへぶっつけ、こっちへぶっつけしながら下流に流されていきました。

流れがゆるやかになってきたとき、目の前に太い木の枝がみえました。パシュルはむちゅうでそれにつかまって、ようやく岸にたどりつき、ばたりと倒れてしまいました。
足先がジンジン痛みます。みると前足のつめがはがれて、血がにじんでいました。

「歩くのは無理じゃて。しばらく、じっとしてるんだな」
岸辺におじいさんが木の枝を持って立っていました。
「あぶないところじゃったなあ……」
木の枝を差し出してくれたのがこのおじいさんだと知って、パシュルは頭を下げました。

ゆうゆうと流れている川をみると恐ろしさがよみがえってきて、背中の毛が逆立ちました。あんなこわくて苦しい思いはもう二度としたくありません。

「パシュル、助かったのね、よかった!」
上流からメルダがハアハア息を切らしてかけてきました。
「足けがしたの? だいじょうぶ?」
メルダはパシュルの傷ついた前足をあたたか舌でなめました。
「何でもないさ」
パシュルは元気にみせようと、さっと立ち上がろうとしたのですが、よろけてしまいました。寒気がして体がブルブルふるえています。

おじいさんがパシュルをささえました。
「おや、熱があるようだ。ゆっくりお休み。箱舟ができ上がるころには、よくなるじゃろう」
おじいさんは、パシュルの頭をなでました。
「箱舟って?」
パシュルは不思議な響き持つ言葉の意味をたずねました。
「あれじゃよ」
おじいさんが指さす方をみると、小高い丘の上に木で造られた家のような建物がありました。


つづく

*お知らせ:久々にhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~tukushi/「生かされて…土筆文香」のHP更新しました。ご覧ください。

クリスマスの喜び

2008-12-14 17:30:54 | 教会

今日は教会で洗礼式がありました。10名の方が洗礼を受けました。洗礼式は、一階ホールで行われますが、撮影してそのようすを同時に2階の礼拝堂でも見ることができます。

第1礼拝の中で5人、第2礼拝の中で5人が洗礼を受けました。洗礼式にはいつも大きな喜びと感動があります。神様の子供として新しく生まれ、神の家族に加えられた方々を心から祝福します。

特に嬉しかったのは、10人の中に中学生ひとりと高学生ひとりがいて、その2人は小学生の時、教会学校でわたしが受け持った子供だったことです。
Mixiを通して紹介され、めぐみ教会に来るようになり、洗礼を受けた方もおられました。


クリスマスのメッセージは、先週から引き続いて「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)」の箇所からでした。

先週は『クリスマスへの道』について語られました。
神様が天地を造られた当初は、すべてのものが神様と一緒に過ごしていました。でも、アダムとエバが罪を犯して以来、人間は神様から遠く離れた場所に置かれました。もう一度、神様のもとへ帰るには、元来た道を通らなければなりませんが、その道は閉ざされていました。

神様はイスラエル民族を選び「主の命令とおきてを守ること」によって楽園に帰る道を示して下さいましたが、イスラエルの人たちはおきてを守ることができず、自力では帰りつくことができませんでした。
道を失った者が家に帰りつく方法は、道を知っている人に聞くしかありません。
そのために神様は、クリスマスへの道を備えられました。それは、神が人となってわたしたちのもとに来て下さるための道でした。イエス様という道を通ることによって、神様の元に帰ることができるのです。

そして、今日のメッセージは『真理である救い主』でした。
イエス様は真理そのものであります。神のひとり子であるイエス様が生まれるのに場所がなく、家畜小屋で生まれることになりました。人々から拒否されても生まれたのは、神様の熱意の表れです。

イエス様は、わたしを信頼しなさい。わたしが真理です。わたしを見なさい。と言っておられます。


午後は教会学校のクリスマス会の準備をし、その後でドイツのクリスマス会というのに出席しました。ドイツに住んでおられた姉妹が準備して下さったクリスマス会です。O兄のギターの素晴らしい演奏を聴き、ドイツのお菓子シュトーレンをいただきました。クリスマスの喜びがだんだんと高められてきます。



すい かん ゆ

2008-12-11 12:06:01 | 教会

9日は教会の喜楽希楽(きらきら)会のクリスマス会でした。喜楽希楽会は65歳以上の方の会です。毎月集まり、隔月に日帰り旅行をし、年に2回は一泊旅行をしているそうです。

数年前まで母は「そんな老人会みたいな集会には行かない」と言っていたのですが、今回誘うと「何を着て行こうかしら」と楽しみにしているようすでした。

クリスマス会は父の遺骨が納骨されているチャペル“ピスガ”で行われました。出席者は7名のスタッフの先生とボランティアの方入れて30名ほどでした。
S先生のメッセージは、とてもわかりやすく母は熱心に耳を傾けていました。
メッセージを紹介させていただきます。


人生で大切なことは「すい かん ゆ」ですが「すい かん ゆ」とは何のことかわかりますか? という質問にみんな「???」と首をかしげました。

「すい」は、「すいません」のすいです。テレビドラマ「だんだん」で一条のおじいさんが、忠さんにあやまった場面に感動しました。そのときはよかれと思ってやったことが、後によくない結果をもたらすことがあります。後悔の念にかられて「すいません」とあやまることは大切です。
聖書にはパウロ先生がテモテの手紙の中に「わたしは罪人のかしらです」と書いています。

「かん」は「感謝」のかんです。今、ここにいるということは、神の不思議、憐れみです。
人生の中でイエス・キリストを信じるようになったこと。罪赦されて、平安が与えられ、神様に生かされていると思えるようになったことが感謝です。神様を知ったことは絶大な価値のあることです。神様のすばらしさのゆえに感謝したいですね。
「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。(ピリピ3:8)」

「ゆ」は「ゆだねる」の「ゆ」です。一寸先は闇といいますが、明日何が起こるかわかりません。人間は無力で、限界があります。
若いころできたことも年をとるとできなくなってきます。でも、いっさいを神様にゆだねておまかせしましょう。
神様は善意の方であり、いたずらに苦しみ、悲しみを与えたりするような方ではありません。善意に満ちている神さまにゆだねましょう。
ピリピ3:20には「私たちの国籍は天にあります」と書かれています。行き先がわからないと不安ですが、行き先が天国と決まっているので安心ですね。


牧師先生の言葉に母は深くうなずいていました。
というのは、その前日、母が来た日に一寸先何が起きるかわからないということを実感したのです。

主人が出勤途中交通事故に遭ったのです。対向車が脇見運転で主人の車に接触し、主人の車は180度回転して止まったそうです。ぶつかってきた車の後ろを走っていた車は田んぼに落ちてしまいました。

主人はエヤーバックがふくらんだ衝撃で打撲。田んぼに落ちた車の運転者も怪我をして2人が救急車で運ばれました。車は壊れてしまいましたが、幸いなことに主人は異常なしで、痛みもなく無事家に戻ってきました。

わたしは事故の電話を受けて、一瞬パニックになりました。状況を聞いて、ぞっと寒気がしました。主人の車の後輪が路肩に乗り上げていたら、車が逆さになるところだったそうです。また、主人の車の後ろに車が走っていたら、正面衝突していたでしょう。
これだけ大きな事故で無傷だったのは、奇跡としかいえません。神様に守られたことを感謝しました。

事故のことを聞いて母もびっくりしていました。その後でメッセージを聞いたので、母の心にメッセージが届いたようでした。

お昼にはおいいしい食事をいただき、食後には紅茶とケーキをいただきながら歓談しました。楽しく和やかな時を過ごせて母も喜んでいました。

どんなことが起きるかわからない日常ですが、善意ある神様がいっさいのことを支配しておられるのですから、ゆだねていきたいと思いました。

術後5年たって

2008-12-08 13:20:19 | 乳癌

乳癌の手術をして今日でまる5年になります。術後3年ぐらいの間は、再発または転移するのではないかという恐れとの闘いでした。再発リスクが高いので、長くは生きられないのだと覚悟を決めて、日々を過ごしていました。

5年たったからといって、再発転移のリスクが小さくなったわけではありません。むしろ、5年クリアーしてほっとしたのも束の間、再発がみつかって……という方が少なからずおられることを思うと、これで安心というわけにはいきません。
乳癌は、ほかの癌と違って5年間再発転移しなければ大丈夫なのではなく、10年以上たっても再発転移することがあるからです。

5年間飲んでいた薬は終わりになりますが、来年1月からは別の薬をさらに5年間飲むように医師から勧められています。どれほどの効果があるかわかりませんが、飲むことにしました。

5年たった今の心境は、これまで守られたことと、健康であることに感謝の気持ちでいっぱいです。乳癌になる前より元気です。もともと体が弱く疲れやすい体質なのですが、疲れても最近は回復が早く、風邪もあまりひかなくなりました。日常生活の中では、乳癌ということを忘れていることが多いです。

あまりテレビは見ない方ですが、最近フジテレビの「風のガーデン」を見ています。自分が末期癌であることを知った麻酔科医が離れて暮らしていた家族のところへ帰るという重いテーマのドラマです。

乳癌になってから、主人公が病気で死に至るとわかっているようなドラマは見られませんでした。それ以前は、自分と切り離して見ていたので平気でしたが、自分が癌になってから、このようなドラマを見ると身につまされるのです。
主人公の父親役の緒方拳さんが現実に末期癌で、それを誰にも言わず出演していたドラマだと知って見始めたのでした。緒方拳さんはどのような思いで演じたのだろう……と考えると胸が痛みます。
また、癌で2年前に召された父のことも思い出され、せつなくなります。


毎回涙を流しながらも見ていて、自分自身の心境の変化で気づいたことが2つあります。ひとつは、死を見つめることがつらくてたまらなかったのに、今はつらくとも耐えられること。もうひとつは、死を目の前にしている人の気持ちが痛いほどわかるということです。もちろん、100%ではありませんが……。

でも、死に打ち勝つお方がおられること。そのお方、イエス・キリストが永遠の命を与えて下さることを思うと、希望が沸いてきます。

今日これから母が泊まりがけで来ます。明日は母と教会のクリスマス会に出席する予定です。


きらりんクラブクリスマス

2008-12-06 17:12:59 | CS(子供伝道)

今日は子ども家庭集会『きらりんクラブ』のクリスマス会でした。きらりんクラブは、今年の6月にスタートしました。月一回、教会学校に集う子どもの家庭で行われています。
教会からスタッフと教会学校教師のk姉とわたしの3人が聖書のお話やゲームを準備して出向きます。いつもは教会員の子どもプラスそのお友達1~2人ですが、今日はクリスマス会だということもあって、全部で10人の子どもと7人の大人が集まりました。

クリスマスストーリーのパネルシアターをしました。
主の使いが羊飼いたちに言ったセリフ「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」を言うと、一緒に言ってくれた子どもがいたのでびっくりしました。その子どもは教会学校に来ていない子供です。以前ほかの教会学校に通っていたことがあったそうで、覚えていたようです。

挿入歌として高橋泉さん(「両手いっぱいの愛」の作者)が作られた「神の御手から」をプロのピアニストのお母さんの伴奏でふたりのお母さんに歌っていただきました。すばらしいコーラスでした。歌声にうっとりして次の場面を動かすのを忘れるほどでした。
2008年前のクリスマスの夜、羊飼いたちが聞いたみ使いたちの歌声はこのようなものだったのではないかしらと思いました。

パネルシアターのあとで2グループに分かれてケーキを作りました。スポンジ台は市販のものを使いました。生クリームと、フルーツとチョコレートでトッピングして、すごいケーキができました。(写真)みんな、ワイワイガヤガヤ言いながら夢中で作って、おいしくいただきました。

学校でも、子ども会でも、英語教室やピアノ教室でもクリスマス会が行われます。でも、何をお祝いするのか語られず、クリスマスの意味も説明されません。
子ども家庭集会では「神様が、ひとり子のイエス様をわたしたちにプレゼントとしてくださった日がクリスマスですよ」と語りました。どうか、子どもたちが大人になるまでこのことを深く心にとどめていてくれますように。

89歳の義父の絵

2008-12-03 14:29:27 | 日記

ヒックンが38℃の熱を出したので、今日は朝から預かっています。熱が高くても元気です。午前中は横になることもなく、機嫌良く遊んでいました。食欲もあり、うどんを茶碗いっぱいたいらげました。
昼寝させようとするとなかなか寝ず、添い寝しているわたしのほっぺたや鼻を小さな指でさわっています。しばらく寝たふりをしていたら、起き上がってふすまを開けようとしたので「コラッ!」と怒ると、泣きながら眠ってしまいました。ヤレヤレ……。ヒックンが寝ている間しかパソコンの前に座れません。


先月24日に車で息子一家と主人の5人で主人の実家までいってきました。義父母がひ孫に会いたがっているからです。息子は火曜日休みの仕事をしているので、なかなか休日に休みがとれなかったのですが、なんとか休みがとれて行くことができました。

主人の実家は千葉県です。成田の近くなので土浦からは2時間近くかかります。息子一家は前の日から我が家に泊まって、朝早く出発しました。

ヒックンは主人とわたしが車に乗ったので、大喜びでした。
ヒックンは人見知りをしないので助かります。ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんにニコニコ笑顔をみせていました。

以前ヒックンの百日の記念に金太郎の格好をして撮った写真を渡していたら、義父がそれを見て絵を描いてくれました。写真は89歳の義父が書いた油絵です。

義父は会社に勤めていた頃から油絵を描いていました。退職後は、あちこち旅行をしてスケッチをするのを楽しみにしていました。ところが退職後間もなく脳溢血で倒れ、麻痺が残ってしまいました。

何年かして、リハビリを兼ねて少しずつ描き始めましたが、最近は年をとったのでおっくうになって絵筆を持っていませんでした。
ひ孫の写真を見たら、また描く気力が出てきたそうです。何か月もかけ、心をこめて描いてくれたことに感動しました。

パソコンがもどってきて

2008-12-01 17:38:39 | 日記

パソコンがフリーズする原因を主人と娘と三人で色々考えてみました。わたしのPCは無線でネットをつなげています。ルーターは娘のPCに直接つながっており、娘の部屋からわたしのPCを置いている場所は離れています。

ネットの電波がうまくとどいていないからフリーズするのかもしれないと思いました。フリーズ記録を見ると、ネットに接続していないときには一度もフリーズしてないのです。ルーターからケーブルをわたしのPCにも直接つなげばフリーズが防げるでしょうけれど、どんなに長いケーブルを買っても、ドアが閉まらなくなるのでつなぐことができません。

無線だと不安定になるのは、マンションの壁が電波を通しにくくしているせいではないかと主人は言います。ルーターを2つ設置することはできないそうなので、わたしのPCを置く場所を変えることにしました。娘の部屋の隣、寒い北向きの部屋です。

古いPCがなんとかワードだけ使えるので、古いものを今まであった場所に設置し、ワードだけの作業のときはそこですることにしました。
ネットとワードを分けたので、ブログ更新はペースダウンすると思いますが、落ち着いて創作活動ができそうです。


神様がわたしに何かを教えようとして一時的にPCを使えなくして下さったのだと思いました。

PCがなくなって、最初は落ち着かず、気がつくとPCのあったテーブルの前にぼんやりすわっていたりしました。
これではいけないと、PCがなくてもできることをしようと考えたら、 次々とやることがでてきて、充実した時が過ごせました。

PCが使えなくなって、今までPCに時間を使い過ぎていたことに気づきました。
それと、日記帳を発見しました。日付を見たら2年前の9月でストップしていました。15歳の時からずうっと日記をつけていたのに……。毎日ではありませんが、3日以上書かなかったことはなかったのです。

愕然としました。ブログを書くようになって、日記を書く暇がなくなったのです。わたしの場合、ブログは日記代わりにはなりません。

ブログには書けない、いいようのない思い、あとから読んだら恥ずかしくなるようなことを赤裸々に書くのが日記です。日記は何年かたったら 破り捨ててしまいます。でも、書くことによって初めて気づくことがあり、そこから物語も生まれてくるのです。

最近、新しい発想が生まれてこないのはなぜだろうと思っていたのですが、日記を書いていないせいだったのかもしれません。
とはいえ、PCが戻ってきたら嬉しくて今日は午後からずっとPCの前に座っています。もとの黙阿弥にならないように自戒しつつ……。

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