生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

本科に編入しました

2011-03-31 21:07:15 | お茶の水聖書学院
一昨日は御茶ノ水へ出かけてから、都内の実家に泊まりました。震災後初めての東京です。

都内はお店が節電で少し暗いこと以外は、いつもと変わった様子はみられませんでした。(土浦ではブルーシートのかかった屋根があちこちで見られます)

常磐線が4割しか動いてないので、つくばエクスプレス(TX)で行きました。
我が家からはJR土浦駅の方が近いので、都内へ行く時はいつもJRを利用しています。今回はバスでつくば駅までいって、TXに乗りました。

TXも節電のため本数が減っていましたが、それほど待たされずに乗れ、区間快速で1時間足らずで秋葉原に着きました。
秋葉原から御茶ノ水までは1駅です。

今回、御茶ノ水に行ったのはお茶の水聖書学院(OBI)の編入試験のためでした。
2006年に通信科の聴講生として入学しました。5年間ゆっくりと学んできましたが、本格的に学びたいという思いが与えられて本科の通信科に編入を希望しました。

試験があるというので緊張しました。最初は3月15日の予定でした。震災で2回延期になり、ようやく迎えた試験日でした。

何を準備したら良いのかわからなかったので、今まで学んだことを復習しました。30回くらい提出したレポートも読み返しました。すっかり忘れていたことを少しずつ思い出していくのが精いっぱいで、記憶力の衰えた頭になかなか入っていきませんでした。

重要と思われることをノートに書き出して、調理や洗いものをしながら覚えました。
結局、試験には勉強したことはひとつも出ませんでしたが、たくさん勉強できたことが嬉しかったです。(学生時代は勉強が嫌いだったのに不思議です)

面接もありましたが、温かく迎えられている感じがしました。顔と顔を合わせてお話しできること、祈っていただけることは素晴らしいと思いました。(いつもはDVD講義なので……)

昨日、家に帰ると早くも合格通知が届いていました。(バンサーイ!)
すでに単位は3分の2をとっているので卒業研究の準備にかかるようにと言われました。
これからは卒業をめざして進んでいきます。意志の弱い私です。やり遂げる力を主に求めつつ・・・・・・。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


「だいじょうぶなわけないよ」と言った子どもたち

2011-03-28 12:57:28 | 教会
「地震こわかったでしょう。だいじょうぶだった?」
教会学校で小学2年生の子どもに尋ねると、

「だいじょうぶなわけないよ。テレビに映っている人の中には、家族の人が死んじゃったり、家を流された人がいるんだよ」
としかられてしまいました。

自分がだいじょうぶなら、それでいいと考えている子どもはひとりもいません。
子どもは、新聞やテレビをみて、子どもなりに被災者たちの辛さ、大変さを自分のこととして受け止めているのだなあと感心し、教えられました。

わたしの通う教会、土浦めぐみ教会では先週の火曜日に福島県に支援物資を届けました。
そのときのようすの動画は、土浦めぐみ教会のHPで見ることができます。

18日に教会で支援物資を集めているという連絡網がまわってきました。わたしは自転車で運べる分だけ持って行こうと買い物に走りました。
(土浦のスーパーでは、地震後一時的に色々な物がなくなりましたが、今はだいたいの物を買うことができます。)

日曜日、支援物資受け付けの部屋が教会学校分級の部屋になっていたので、部屋の前に大きな段ボールを置いて、分級の時間はそこに入れておいてもらおうと思っていました。
ところが部屋に行くと、次々と人々が支援物資を持ってきていて列をなしています。物資は部屋に高く積み上げているので驚きました。その部屋では分級ができませんでしたが、代わりの部屋が与えられて感謝でした。

そして22日(火)に幼稚園バス2台にぎっしり荷物を詰め込んで出かけたのでした。
金曜日に再び出かけ行って、地元で働くボランティアの方たちへすき焼きをプレゼントして、避難所にはトン汁を作って配ったそうです。まさに愛の実践ですね。

以下は礼拝メッセージの一部です。


初代教会は愛の実践をしていました。聖書には持ち物や財産を共有していたと書かれています。
初代教会の人たちは、同じ群れの中に貧しい人がいるのを知って、自分の所有物を売ってそのお金をすすんで捧げていたそうです。


「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。(使徒4:32)」


そのような中でアナニヤとサッピラは、持ち物を売った代金の一部を持ってきて、それがすべてだと偽りを言いました。すると、ふたりとも突然倒れて死んでしまいました。
一部であるといって捧げればそれでよかったのですが、人だけでなく神さまを欺いた罪は大きかったのです。

人々はその事件を知って神をおそれました。神は生きていて人の心の中を見抜いておられるという畏敬の念を抱いたのです。

神様は、わたしたちの失敗や不十分については無条件で赦してくださいます。でも、不純な動機、偽りの善には厳しく罰せられます。

初代教会の人たちの特徴として勇気と大胆さがあげられます。
使徒がむち打たれたとき、イエスの御名のために迫害されたことをかえって光栄に思い、喜んでいます。

「そこで、使徒たちは「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら議会から出て行った。(使徒5:41)」

生ける神を信頼しているからこそできる行為です。


2000年前に働いてくださった神様は、今も生きておられ、働いてくださいます。
どんなときでも、どんな場所にでも神様は働いてくださいます。わたしは何もできない小さな者ですが、神様が伴って下さればどんなことでもできると信じて一歩を踏み出していきたいです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

アンネの日記を読んで

2011-03-26 11:54:39 | 読書
アンネの日記(完全版)を読みました。
アンネの日記は、中学生のとき読みましたが、内容はほとんど覚えていませんでした。

今回読んで、14歳にしてこれだけ深く物事を考えていたのか・・・・・・と驚きました。
アンネの日記が公表された当時、本当に14歳の少女が書いたのか、捏造ではないかという疑いさえもたれたそうです。

切迫した戦況下で、いつ見つかるかわからないという危機的状況にありました。見つかればホロコーストの犠牲になってしまいます。そのような中でアンネは精神的に高められていったのでしょう。

隠れ家に暮らしていたのは、アンネとアンネの家族4人。ペーター一家3人。そしてデュッセルさんの8人でした。

その中でのアンネからみた人間模様はとてもおもしろいです。大人に対して厳しい眼差しを向け、非難する気持ちを正直に書き記しています。
とくにアンネは母親に対して反感を抱き、非難していました。
日記には

「もしも神さまの思し召しで生きることが許されるなら、わたしはおかあさんよりも立派な生き方をしてみせます。つまらない人間で一生を終わりはしません。きっと世の中のため、人類のために働いて見せます」
と書かれています。

アンネは、信仰とユダヤ人としてのアイデンティティーをしっかりと持っていました。

「いったいだれがこのような苦しみをわたしたちに負わせたのでしょう。だれがユダヤ人をほかの民族と区別させるようにしたのでしょう。だれが今日までわたしたちを、これほどの難儀にあわせてきたのでしょう。
わたしたちを、いまのようなわたしたちにしたのが神さまなのは確かですが、いつかふたたびわたしたちを高めてくれるのも、やはり神さまに違いありません。わたしたちがこういったもろもろの苦難に耐え抜き、やがて戦争が終わったときにも、もしまだユダヤ人が生き残っていたならば、そのときこそユダヤ人は、破滅を運命づけられた民族としてではなく、世のお手本として称揚されるでしょう。(略)わたしたちはつねにユダヤ人であるしかなく、またそれを望んでもいるのです。」


同じ日の日記に「戦後、ほんとうのオランダ人になりたい」とも書かれていますが、みつかるかもしれないという恐怖の中でのことなので、それは本心ではないのだと、わたしは思います。


戦争に対するアンネの考えは今を生きる人たちにぜひ知ってもらいたいです。

「いったい、そう、いったい全体,戦争が何になるのだろう。なぜ人間はお互いに仲良く暮らせないのだろう。何のためにこれだけの破壊が続けられるのだろう。」

「いったいどうして人間は,こんなに愚かなのでしょう? わたしは思うのですが,戦争の責任は,偉い人や政治家,資本家にだけあるのではありません。責任は,名もない一般の人たちにもあるのです。そうでなかったら,世界中の人々はとうに立ち上がって,革命を起こしていたでしょうから。」


砲撃の音が聞こえ、隠れ家から一歩も出られず、いつかゲシュタポにつかまるのではないかという恐怖におびえることがあっても、アンネは希望を失いませんでした。


「日ごとにわたしは自分が精神的に成長してゆくのを感じます。解放が近づいているのを,自然がいかに美しいかを,周囲の人々がどんなに善良な人たちであるかを,この冒険がいかにおもしろく,意味の尽きないものであるかを感じています。だったら,なぜ絶望することがあるでしょうか。」
1944年5月3日


1944年8月1日で日記は終わっており、8月4日にだれかの密告によって隠れ家の8人はつかまってしまいます。
そしてアンネと姉のマルゴーは強制収容所に入れられて、病死してしまいました。8人の中で生き残ったのはアンネの父オットー・フランク一人だけでした。

姉妹の死の約一か月後にはこの収容所は英軍の手で解放されたのだと書かれているのを読んで、ああ、なぜ助からなかったのだろうか……と悲しくなりました。

でも、日記を刊行したいというアンネの望みはかなえられました。そしてアンネの日記は世界のベストセラーになったのです。

この8人は、閉塞された狭い空間で、不自由な生活を余儀なくされ、見つかるかもしれないという恐怖の中にあってよく気が狂わなかったと思います。わたしだったら、大声で叫んで外に飛び出して行きたくなるでしょう。
国民性なのかもしれませんが、激しく言い争い、自己主張しているところがかえってよかったのかもしれないですね。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

どうしても必要なことは・・・

2011-03-24 17:04:26 | 教会

「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はりんごの木を植える。」
これは、宗教改革者のマルティン・ルターの言葉です。有名な言葉ですので知っている方も多いでしょう。

昨日の水曜礼拝でこの言葉を紹介していただきました。
常識から考えると、明日世界が滅亡するのならリンゴの木を植えても仕方がないのです。

ルターが言いたかったことは、どんな状況の中にあっても絶望はしないように。なぜなら、神を信じる者にとって、世界の終りは絶望ではないからです。明日、世界が滅びても今日という日を希望を持って生きていく。今というこのときを精一杯生きるようにということなのだそうです。


テレビで被災地からの映像が流れるたびに心が痛み、被害の大きさに唖然とし、目に見えない放射能におびえ、余震に恐れをなしています。
こちらでは、昨日も今日も強い余震がありました。

世の終わり(終末)が近いのではないかとさえ思える今日このごろです。何をしたらよいのかわからず、落ち着かない日々を過ごしていましたが、今日という日をしっかり生きていくことの大切さを教えられました。


もてなすことに心を奪われ、忙しくしていたマルタにイエス様は言われました。
「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。(ルカ10:42)」
イエス様の足元に座って、イエス様の語る言葉をじっと聴いていたマリヤ。必要なことはイエス様の言葉を聴くことだったのです。


予想もしなかった大きな災害が起きて、ナイーブになっている人が多いようです。このようなときにこそみ言葉を聴き、祈ることが大切だと思います。

天地万物を造られ、この世界のすべてを御手に握っておられる神さまに直接祈れるとは、何と幸いなことでしょう。
神様が最善をなして下さることを信じて祈り続けます。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

泣かなくてもよい

2011-03-22 12:58:34 | 教会

ようやくガスが復旧しました。
わたしのためにカセットコンロを探して買ってきてくれた友人に感謝します。

一昨日の礼拝は転任されるH先生のめぐみ教会での最後のメッセージでした。聖書箇所はルカ7:11~17です。
その聖書箇所には、イエス様がやもめのひとり息子を生き返らせたことが書かれています。
H先生は、大震災の前から用意されていたこのメッセージを今の時期にすることを躊躇されたそうです。

愛する家族を失って悲嘆に暮れている人たちがいるのに、このメッセージを聞いたらなぜイエス様はうちの家族を助けてくれなかったのか?と思い、傷が深まるのではという気づかいからです。

メッセージの一部を紹介させていただきます。


イエス様がやもめの息子をよみがえらせたことにではなく、イエス様がやもめとどのように関わろうとしてくださったか。やもめをどのような眼差しで見られたかに注目してほしいです。

イエス様が弟子達と共にナインという町の門に近づいたとき、葬式の列が門から出るところでした。やもめとなった母親の一人息子が死んで担ぎ出されるところでした。大勢の町の人がつきそっていました。
聖書には次のように書かれています。


「主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい」と言われた。
そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので「青年よ。あなたに言う、起きなさい」と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。」


やもめというのは夫を亡くした女の人のことです。当時のイスラエル社会は男性中心の社会なので、女性が外で働くのは難しく、女手一つで息子を育てるのは大変だったようです。その息子が青年になって、たよりにしていたのに突然死んでしまったのです。この女性の悲しみはどれだけ深かったことでしょう。

絶望と悲しみに打ちひしがれた女性をみて、イエス様は「泣かなくてもよい」と言われました。
そのときのイエス様は、キュッとはらわたが締め付けられるほどかわいそうに思われたのです。

イエス様は死に勝利したお方です。
「青年よ、あなたに言う、起きなさい」と死人に向かって命令することのできるお方はイエス様だけです。
ローマ人への手紙11章には「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。」(33節)と書かれています。

神さまは、わたしたちの理解を超えたお方です。その神様の方から近づいてきて下さいました。
わたしの考える筋書きとは全然違うかもしれないけれど、イエス様は行動を起こして下さいます。最善をなしてくださることを信じて前に進んでいきましょう。

と牧師先生が言われました。

『はらわたが締め付けられるほど・・・』という表現に胸が熱くなりました。貧しい名もなきやもめの気持ちを思いやって、かわいそうと思われたイエス様……。

ルカの福音書は、地上で見捨てられた者の福音書と言われています。ルカには、しいたげられた者、貧しい者、女性に対してなされたイエス様の奇跡がたくさん書かれています。イエス様は一度に大勢の人の命を救ったり、ローマ帝国の圧政からユダヤ人を救うということはなさいませんでした。
イエス様はひとりの人に近づいて行かれ、その人の気持ちを理解し、かわいそうに思ってくださいました。

イエス様を信じる前は、神様といえば『偉そうにふんぞり返って上から人間を見下ろしている。そして、恐ろしい罰を当てる』というイメージがありました。
でも、聖書に示されている神様は、全然違います。聖書の神様は人と交流することを求めておられ、ひとりひとりの心を理解し、気持ちに寄り添って下さいます。

もし、このブログをお読みになっている方で悲嘆に暮れている方がおられたら、あなたのためにイエス様が、はらわたがしめつけられるほど悲しんでおられると思ってください。
イエス様は「泣かなくてもよい」と言って下さっています。
イエス様はあなたのために命を捨てて下さいました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

おじいさんの知恵のことば(その2)

2011-03-19 09:33:38 | その他

まだガスが復旧しませんが、電気、水道はだいじょうぶなので電子レンジとホットプレートを駆使して工夫して調理をしています。
電気ポットは電気製品の中で最も活躍しています。
今日はお風呂を使わせてもらいに息子の家に出かけます。
こちらで招くところだったのですが、逆に招かれることになって嬉しいです。

「おじいさんの知恵のことば」昨日の続きを紹介します。


17、仕返しをしようとしている限り相手に自分を痛め続けさせることになる。
18、人の傷を癒すのは「時」ではなく「愛」。
19、人間として成長するのに必要なことは有能な友を持つこと。
20、私が出会うすべての人は、私の笑顔の挨拶を受けるにふさわしい人々である。
21、赤児と一緒に寝て、その息づかいを自分の顔に感じるほど気持ちのよいことはない。
22、恋愛するまで完全な人がいるだなんて知らなかった。
23、人生は難しい。でも、自分はもっと難しい。
24、機会は失われることはない。自分が失った機会を誰かが得ている。
25、穏やかで優しい言葉を語りなさい。明日はそのことばを食べることになる。(明日はそのことばが自分に返ってくる)
26、笑顔は自分の顔を改良する最も安価な方法。
27、自分の感情は選べない。しかしそれをどうするかは選べる。
28、幼子の小さな手に指を握られると私の全生涯が握られたように感じてしまう。
29、忠告を必要とする状況は二つしかない。一つは求められたとき。もう一つは人のいのちがかかっている時。
30、持ち時間が少ない方がよりたくさんのことを成し遂げることができる。人は与えられた時間だけ使う。
31、父親が亡くなる前にもう一度「愛しているよ」と言ってやればよかったと思う。
32、嫌な思いを心の中に秘めていると、幸いな思いは他の場所へ移行してしまう。

アンデーィ・ルーニ―作「悔いることのない毎日への心の光『おじいさんの知恵のことば』」より

18、はしみじみとそう思います。「時」では癒されない傷が何と多い事でしょう……。
人の愛も必要ですが、神様の愛が傷を癒します。

22、はおもしろいですね。恋は盲目といいますが……。恋愛すると、相手が完全な人間に思えてしまいますね。

24、は機会を失ったと嘆くことはないのだと教えられました。

21,28、は作者には孫かひ孫がいて可愛がっていることがうかがえ、ほほえみが浮かんできます。

30、を読むと、たとい自分の人生が短かったとしても、それは不公平ではないと思います。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります



おじいさんの知恵のことば(その1)

2011-03-18 17:24:50 | その他
今日は家庭集会の予定でしたが、中止になりました。来週のクリスチャン・ペンクラブの定例会も中止との連絡が入り、がっかりしています。しかし、今の状況では電車が正常に運行していないので都内へ行くことは難しい状況です。

テレビをつければ、被災地で困り果てている人たちの姿が映し出されます。何かできないのだろうか・・・と思いつつ、何もできないと自分の無力さに落ち込んでいましたが、アンデーィ・ルーニ―の言葉を読んで、まず祈ることの大切さを教えられました。

「おじいさんの知恵のことば」として32の言葉が書かれているものを読んだのですが、今の状況にあったことばを見出すことができたので前半を紹介します。


1・愛していることはすぐ分かる。
2・「今日を本当によい日にしてくれてありがとう。」と言われると私の「今日」も最高の一日になる。
3・幼子が私の腕の中で眠る時は世界中で最高に平安な感じになる。
4・正しくあるよりは親切であることの方が大切。
5・子供からのプレゼントは決して拒否してはいけない。
6・人を助けることができないときはいつでも祈ることができる。
7・誰でも本当に困っているときは一緒に気を紛らわしてくれる友を必要としている。
8・人が必要としているのは握ってくれる手であり、理解してくれる心である。
9・子供のころ、夏の夕べよく父親と一緒に近所に散歩したことは大人になってからの自分に驚くような支えとなっている。
10・人生はまるでトイレットペーパーのよう、終わりに近づくに従って速く回る。
11・神様は私たちが願うことをすべて聞いてくれないことを喜ばなければいけない。
12・品性はお金で買うことはできない。
13・毎日起こる小さなことごとが人生を張りのあるものにしてくれる。
14・誰でも固くとざした殻の下に、感謝されたり愛されたりすることを願うもう一人の自分を持っている。
15・主も一日ですべてをなさらなかった。私ができるだなんて、何で考えられるだろう。
16・現実を無視することによって現実を変えることはできない。

アンデーィ・ルーニ―作「悔いることのない毎日への心の光『おじいさんの知恵のことば』」より

とくに6.7.8が心にとまりました。
11は不思議にさえ思うでしょうが、その通りだと思います。
15には慰められました。聖書の創世記には神さまは6日かかってこの世界を創造され、7日目に休まれたことが書かれています。
この私ができることは、大河の一滴にも満たない小さなことですが、それでよいのだと思ったのです。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


光はやみの中に輝いている

2011-03-16 16:48:43 | 日記
地震から5日目になり、少し落ち着きました。今週予定していたことすべてが中止になってしまいました。

計画停電に茨城県が除かれたので助かりました。まだ、ガスが止まったままだからです。水道は出ていますが、いつ止まるかわからない状況なので節水しています。

お風呂に入れないこと、調理がままならないこと・・・不足を訴えればいくらでもありますが、被災者の方々のことを思うと何も言えません。
テレビに写される方々の様子をみて胸がつぶれそうに痛みます。原発の近くの方はどれだけ不安なことでしょう。家族を亡くされたかたはどれだけ心が痛んでいるでしょう。
どうかひとりひとりが守られ、すべての必要が満たされますようにお祈りします。

今まで当たり前だと思っていたこと・・・水道からいつでも水が出、スイッチ入れればお風呂が沸かせ、ガスがつき、電気がつき・・・それが断たれて初めて当たり前ではなかったのだと気づきます。

地震の当日は一日水が出ず、停電してしまいました。出ないとわかっているのに何度水道のレバーを押してしまったことでしょう。

電気がないとテレビやPCがつかず、情報が入ってこないことの不安でいっぱいになりました。(ラジオがあったので助かりましたが・・・)

ガスは、カセットコンロとホットプレートで代用していますが、ガスボンベがあっという間になくなってしまいました。ガスボンベはどこの店でも売り切れなので今日から手作りコンロで調理します。

「火がついた。水が出た。電気が通った。感謝だね、感謝だね」と娘と言いあって、日常のひとつひとつのことに感謝しています。


「感謝することを忘れてしまった人は、人生で眠ってしまった人だ」
と「宝島」の作者ロバート・ルイス・スティーブンソンが言ったそうです。

「感謝は苦しみの中で生まれ、苦しみの中から育つ」とOBIで聞きました。
1620年、102人のピューリタンの信徒を乗せたメイフラワー号がマサチューセッツに着いたのですが、寒さのため半数が召されてしまったそうです。それでも苦しみの中にあって感謝祭を行ったという話を聞いて、心打たれました。


*写真は停電したとき作ったサラダ油の手作りランプです。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)」



*ちゃきさんの新しいブログ土の器(この土台の上に)をブックマークに入れました。ぜひごらんください。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


地震から守られました

2011-03-14 14:45:40 | 日記

今回の地震には驚かされました。

阪神大震災を思い起こすと、いつかはこちら(茨城県)でも大地震が起こるのではないかと思っていました。でも、小さな地震が頻繁に起きているのできっと大丈夫と楽観的に考えていました。

そのとき、娘とわたしは自宅にいました。最初はいつもの弱い地震だと思っていました。ところがいつまでもおさまらず、揺れはどんどん大きくなります。

どこが安全なのか考える間もなく、その場にすわりこんでしまいました。少し揺れがおさまると、娘はてきぱきと玄関や部屋の戸を開けて、防災用品バッグを持って来ました。わたしは腰が抜けたようになって動けません。頭の中も真っ白です。

娘がラジオをつけて、大変大きな地震であることを知りました。
まず電気、ガスが止まり、しばらくして水道も止まってしまいました。電気は夜10時ごろ復旧しました。(水道は今朝から復旧、ガスはいまだに止まっています)

携帯も電話も通じません。主人とはすぐに連絡はつきませんでした。
車で30分のところに勤めている主人は、4時間かかって帰ってきました。停電で信号機が作動していないので渋滞していたそうです。

わたしは、かぜをひいて微熱があったのですが、びっくりしたせいか熱が下がってしまいました。
家の中のものの被害は少なかったです。タンスや食器棚、テレビ、PC、プリンター等に地震止めをしており、食器棚の扉は簡単に開かないようになっていたからです。インスタント食品など軽い物を入れていた戸棚だけとめていなかったので傾き、中味が全部落ちました。

でも、割れたものはひとつもありませんでした。ピアノも大丈夫でした。
友人の家は、ピアノが20センチも動き、壁に当たって壁にひびが入ったと言っていました。

ヒックンは、保育園で誕生会をしていたところだったそうです。3月生まれのヒックンはみんなからお祝いしてもらって、ケーキを一口食べたところで地震が起き、座布団をかぶってホールに避難したそうです。無事でよかったけれど、ケーキ、一口しか食べられなかった・・・とがっかりしていました。

とにかく、守られたことを感謝します。

逆らうことのできない大きな力の前には人間は何もすることができないと実感しました。
なぜこんな災害が起こるのか・・・それはわかりませんが、すべて神さまの御手の中にあって起きたことです。

被災された方、いまも助けを求めておられる方が守られますように祈っています。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

ナルニア国物語第3章を観て

2011-03-09 20:38:05 | 日記

映画「ナルニア国物語 第3章 アスラン王と魔法の島」を観ました。
ナルニアには特別な思いがあります。子どもたちが小さいとき、ナルニアの本7冊を半年かかって読み聞かせたので、親子でストーリーの中に浸っていました。

1章、2章も娘と一緒に観に行きました。そのことを過去のブログに書いています。1章は2006年4/1 2章は2008年5/31です。
今日観た3章は、わたしとしてはいちばん良かったです。

水曜礼拝の後、教会のすぐ近くにあるイオンの映画館へ行きました。
3Dのメガネを借りて観ました。3D映像初体験です。すごい迫力でした。

映画はナルニアの本「朝びらき丸東の海へ」の内容で、原作と少し違う部分もありましたが、原作のイメージが損なわれることなく描かれていました。

人間の名誉欲、金銭欲、人をうらやむ気持ち、美しくなりたいという願望、自己中心の罪が描かれていたことがよかったです。
「恐れるな」というセリフが生きていました。

ドラゴンになったユースチスが、アスランに衣を裂かれて少年の姿にもどる場面は、キリストを信じて新しく生まれることを意味しているように思いました。


「あちらの世界では、わたしはほかの名前をもっている」
このセリフはアスランが子どもたちと別れるときに言った言葉です。

ほかの名というのは、イエス・キリストという名を示していますが、キリストを知らない人にはわからないでしょう。単に「ライオン」と思うかもしれません。

作者のC・S・ルイスがこの作品を読んだ子どもたちにキリストを知ってもらいたいという一心で書いた言葉です。この言葉がセリフとなっていたことが嬉しかったです。

リーピチープがアスランの国に行ってしまう場面では涙があふれました。
聖書信仰に基づいて書かれたファンタジー作品が、現在このようにして3Dの映画となったことが嬉しいです。
3章で最後の予定だそうですが、本は7巻あります。次作が作られるように祈ります。


拍手ボタン(右側、自己紹介の下にあります)100になりました! 嬉しいです。
ボタンが押されるたび、励まされています。
押してくださった方、ありがとうございます。これからも、よろしくおねがいしますね。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


エマオの道体験

2011-03-07 17:20:45 | 教会

昨日は暖かい春の陽気でした。今日は一転して冬に逆戻り。朝から降っていた雨が雪に変わりました。
昨日の礼拝メッセージを聞いて2000年前のエルサレムに思いを馳せました。

*青字が牧師先生の言葉、茶色字がわたしの感想です。


イエス様の復活の後、ペテロとヨハネが宮にいくと、生まれつき歩けない人が「美しの門」の前に運ばれてきました。

「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい(使徒3:6)」
とペテロが言って男の右手を取って立たせると、その人はおどりあがって立ち、歩きだしました。その奇跡はエルサレムの町周辺に広がりました。

「神殿に入って行く勇気もなく、神殿の入り口でしおれたような毎日を過ごしていた人は誰でしょう?」
と牧師先生が問いかけました。


それは、かつてのわたしです。イエス様の働きかけがあったにもかかわらず、教会に行けませんでした。何のために生きるのか答えがみつからないまま、しおれたような人生を歩んでいました。
イエス様の十字架と復活がわたしに何の意味をもたらすかわかりませんでした。でも、後にはっきりとわかったのです。


サドカイ派の人たちは、何の権威によってこのことを行ったのかとペテロとヨハネに問いただします。ペテロは権力者の前で堂々とイエスのことを語ります。
50日前、イエスが十字架につけられたときは、逃げ隠れしてしまった弟子達です。それが、こんなに堂々と語れるのは、復活したイエスに出会ったからです。

彼らは、ペテロとヨハネに今後、いっさいイエスの名によって語ったり、教えたりしてはいけないと厳しく戒めました。
それに対してペテロとヨハネは「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうか、神の前に正しいかどうか判断してください。私たちは自分の見たこと、また聞いたことを話さないわけにはいきません(使徒4:19・20)」と大胆に答えています。
こののち、イエスを信じる者の群れが起こって最初の教会ができました。

このことが起きたとき、サウロ(のちのパウロ)はエルサレムにいました。サウロがイエスのことばを聞いたかどうかわかりませんが、イエスさまのことを無視できなくなりました。そして、キリスト者を迫害する者となります。

現代におけるわたしたちに当てはめて考えることができます。
2000年前のできごとを無視して生きていても、無視できないときが来ます。そのときが大切なときで、それはキリストが語りかけてくれたときです。

エマオに向かう道で、弟子たちはイエスとは知らずにイエスと共に歩いていました。
(幸福の王子、わがままな巨人(大男)の作者)オスカー・ワイルドは
「人はだれでも一生に一度はエマオの道へ行く」
と言ったそうです。エマオの道とはイエス・キリストと共に歩く道という意味です。


わたしが洗礼を受けたのは22歳でしたが、その前に何度かエマオの道を歩んでいたことにあとから気づきました。
高校生のとき、尊敬する文芸部の先輩がキリスト教を嫌っていたので、何の根拠もなくわたしも嫌っていました。

ところが、幼稚園教諭の資格をとるために受験した学校がミッションスクールで、補欠でぎりぎり入学できました。学校での礼拝の時間がいやでさぼっていたにもかかわらず、聖書物語に興味があって、聖書を読み始めたのは、イエス様が伴ってくださったからなのだと思います。

19歳のとき、友人に誘われて劇団四季の「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観ました。
そのとき、人間イエスとして描かれていたことに違和感を覚えました。十字架の場面で劇が終わっており、復活まで演じられなかったことに憤りを感じました。楽屋までいって「なぜ復活の場面をやらないのですか」と文句を言いたい気分になりました。

そのときわたしはイエスの復活を信じていたのでしょうか・・・?イエス様が心の中に働きかけてくださって『十字架の死で終わりではない』と教えて下さったのだと思います。

一度も教会に行ったことのなかったわたしにとって、それは不思議な体験であり、エマオの道の体験でした。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

忘れ得ぬ人

2011-03-05 21:18:28 | エッセイ

今日は、子ども家庭集会でMちゃんの家にいってきました。ふだん、教会学校に来ていない子ども2人を含め、5人の参加でした。創作紙芝居をし、トランプ遊びをして楽しいひとときでした。

教会で発行している「月報めぐみ」では、月ごとにテーマが決められていて、そのテーマで数人が文章を書きます。今月号は「忘れ得ぬ人」で、わたしは「隣のおばちゃん」という題で書かせていただきました。月報は明日発行です。一足先に紹介します。

***********************************************************************************
        隣のおばちゃん

わたしは中学一年のとき、父の転勤で東京から神戸に引っ越しました。聞き慣れない関西弁に戸惑い、不安でいっぱいでした。

新しい家に着いたとき、隣家から満面の笑顔でわたしたち家族を迎えてくれたおばちゃんがいました。
「わからんことがあったら、何でも聞いてや」
と言って、おばちゃんはカラカラと笑いました。

母は、おばちゃんとすぐ親しくなり、家族ぐるみでおつきあいが始まりました。おばちゃんには子どもがいませんでした。

妹は、人なつっこい性格なので可愛がられました。無愛想で人見知りの激しいわたしは、おばちゃんに自分から話しかけることはありませんでした。おばちゃんも、わたしとどう接したらよいかわからないようでした。

半年ほどたったとき、蕨を隣に届けるように母から言いつけられました。わたしは、人と話すのが苦手で、誰かの家を訪問するのは苦痛を感じるほどでした。

やっとの思いで蕨を持って行くと、おばちゃんは怪訝な顔で、「この前も蕨もらったで。他の家に持って行くはずなんちゃう。お母さんに聞いてみ」と言って、受け取ってくれませんでした。
母に尋ねると、「まだたくさんあるから、もう一度あげるのよ。また、行ってきて」と言います。
わたしは、受け取ってもらえなかったことのショックと、また行かなくてはならない負担に耐えきれず、泣き出してしまいました。

「もう、行けない」と言うと、「届けるという役目をちゃんと果たしなさい!」と母に叱られました。
わたしは、顔を洗ってもう一度隣へ行きました。しどろもどろに説明すると、今度は受け取ってもらえました。

おばちゃんはわたしが泣いたことに気づき、「Y子ちゃん、純情やねんね」と母に言ったそうです。それ以来、おばちゃんとの距離がぐっと縮まりました。

毎年8月の誕生日には、汗だくになりながらクッキーを焼いてくれました。
人形劇部の卒業公演には、母と共に見に来て、母より先に涙を流していました。

わたしは中学生のころ、孤独の中にあって死にたいと思っていました。自分を気にかけてくれる人はひとりもいないと思い、暗い顔して歩いていると、「どないしたん。元気出さなあかんよ」と、おばちゃんがぽんと肩をたたいてくれました。

死なないですんだのは、おばちゃんの存在があったからかもしれません。
12年の神戸での生活を終え関東に戻るとき、おばちゃんは目を真っ赤に泣き腫らしていました。
おばちゃんは神様が備えてくださった方だったのです。今は天国にいるおばちゃん、おおきに。

***********************************************************************************

おばちゃんは数年前、老人ホームに入り、去年の暮に亡くなったという知らせがありました。おばちゃんはクリスチャンではありませんでしたが、別れてからずっと、おばちゃんが主に導かれますようにと祈っていました。おばちゃんはきっとイエス様を信じて天国へいったのだと思います。

ところで、蕨を持っていたとき、泣いてしまったわたしの気持ちを読者に理解していただけたかどうか、それが疑問です。また、記憶に残っているおばちゃんの言葉を書きましたが、関西弁は間違っていなかったでしょうか?(コメントをお寄せ下さい)

わたしが、以前はひどい内気で無口だったと言うと、誰も信じてくれません。今でもそういう部分が残っていると自分では思っているのですが……。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。



空に笑顔が・・・・・・

2011-03-03 20:44:17 | 日記

この画像はカナダの宣教師から送られてきたものです。
画像には


A smile from God!
One in a million shot
Send God's smile to someone you want to bless today!


と、添え書きがあります。

まさに、神様から贈られた笑顔ですね。


「これは、主が設けられた日である。この日を喜び楽しもう。(詩篇118:24)」
という聖書の言葉を思い浮かべました。

久々にわたしのHP「生かされて・・・土筆文香」のギャラリーの部屋を更新しました。
この画像のほか壮大な自然の写真を詩篇19篇とともに紹介しています。ぜひごらんください。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

思い煩い

2011-03-02 16:35:14 | 教会
日曜の礼拝ではピリピ4:6-7から「思い煩い」についてメッセージが語られました。一部を紹介します。


「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)」


思い煩いについて、次のような態度をとる人がいます。

①思い煩いがあってはならない。あったら、不信仰なことだと考える。
②思い煩いに極度にとらわれてしまう。思い煩いに支配され、あきらめてそのままにしてしまう。

どちらも極端です。「思い煩い」は存在しているという事実を受け止め、どうしたら対処していけるか考えることが大切です。
人それぞれ思い煩いの内容は違っています。思い煩っていることを恥じたり、人と比較する必要はありません。

一人で悩んでいると孤独です。悩みが深くなると、何が大きな悩みなのか、どう整理したらよいかわからなくなります。
信仰が深まれば、悩みがなくなるわけではありません。

まず、神に知ってもらうことです。「あらゆる場合に」と聖書にありますが、どんな場合にも知っていただくことです。

聖書には、
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:7)
と書かれています。

心配ごとをすべて神に打ち明け、神に願い事を知っていただいた結果、思い煩いはどうなったか、願いはどうなったか書かれていません。
それは、願いが叶うこと以上に大切なことがあるからです。

ヘンリー・ナーウェンが思い悩んだとき、マザーテレサに相談するためインドを訪れたそうです。ナーウエンは、マザーの前で10分間悩みを語り続けました。そのあとでマザーが口を開きました。


「そうですね。あなたは一日に一時間、あなたの主を礼拝する時間を過ごし、自分の心に照らして間違ったことを行わなければ、それで大丈夫ですよ」

答えはそれだけでした。

マザーの言葉を聞いたナーウエンは、「本物の癒しに触れた。」「真理に出会った。」と言ったそうです。

「問題の答えをみつけることがすべてではなく、問題の中にあって、神を礼拝し、信頼することを学ぶことが大切です」と牧師先生が言われました。



思い煩うのはやめようと何度思っても、また別の問題に出くわすと思い煩ってしまうわたしです。
思い煩うということは不信仰のあかしだと、自分を責めたりしました。でも、その必要はないと教えられました。
「思い煩いは存在している」と考えたらいいのですね。

わたしの場合、思い煩ってもどうしようもないことが多く、後になって何であんなに悩んだのだろう……と思うことがよくあります。それでも思い煩いはなくならないのです。

だれにも打ち明けられなくても、神様に打ち明けることができる幸いを思います。
確かに、すべてを打ち明けた後は、問題が解決されていなくても不思議なほどに平安が訪れます。
先日書いた「重荷をおろして」と同じですね。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。


拍手ボタンです

web拍手