生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

注射をやめたわけ

2007-01-30 20:36:42 | 乳癌

乳癌の手術を受けて3年を越えましたが、術後の治療はまだまだ続きます。手術後の経過をざっと振り返ってみます。これは、あくまでもわたしの場合であって、乳癌といっても人によって治療法、副作用のあらわれ方など違うということを念頭においてお読み下さい。


温存手術だったため、手術後、放射線を当てに25日間毎日病院に通いました。(くわしくはブックマークのいちばん上にあるHPの「病気のこと」→「退院後」に書いています)
薬は抗ガン剤フルツロンとホルモン療法としてノルバテックス(タモキシフェン)を飲みました。(わたしの乳癌はホルモンレセプターが+でした)
放射線治療では副作用はなかったのですが、フルツロンを飲み続けるうちに白血球値が下がってきて(医師はフルツロンのせいではないといいましたが……)肺炎にもなってしまいました。

超音波などの検査は最初は3か月に1度、次に半年に1度、3年たった今は1年に1度です。(血液検査は半年に1度)
去年の4月に担当医が変わり、乳腺外来に通うことになりました。(それまでは、外科で看てもらっていました)乳腺外来でリュープリンという腹部注射を薦められ、最初は1か月に1度、2回目から3か月に1度受けることになりました。リュープリンを打ったので、フルツロンはやめることができました。フルツロンをやめると、徐々に白血球は正常値に近づきました。

ノルバテックスはずっと飲み続けています。そもそもリュープリンはノルバテックスの副作用を抑える働きをするそうで、ノルバテックスだけ飲んでいたとき、子宮筋腫が大きくなり、内膜が厚くなっていたのが、注射で改善しました。
リュープリンの副作用は、やる気がなくなる、肥満、鬱、更年期障害などだそうですが、あらわれたのは更年期障害のホットフラッシュくらいです。

リュープリンを1年近く続けたので、やめて様子をみてもいいと言われたのでやめることにしました。やめてもフルツロンはもう飲まなくていいそうです。
ノルバテックスはやめられないので、注射をやめるとどうなるか?は医者でもわからないそうです。それは、体質、年齢によって異なるからです。

ノルバテックスの副作用が出て具合が悪くなったら、またリュープリンを打ってもらえばいいという気持ちもあったので一大決心というわけではありません。もっとも、もう1年続けた方が危険は少ないと言われましたが……。

医学知識のないわたしは、これほど医学が発達しているから、癌になっても早期に治療すればすぐ治るのだと思っていました。そして医師ならなんでもよくわかっているのだと安心していました。
でも、まだ癌を細胞単位で見つけることができないし、再発転移を100%抑えることができないので、治療法もさまざまで、癌治療はまだ試行錯誤の段階です。再発転移するかしないか?何年生きられるのか?などということは、医師にはわからないのです。
命を握っておられる神さまだけが知っておられるのですね。

でも、わたしは神様が最善をしてくださることを信じます。たとい体がどんな状態になってもそれが最善なのだと信じます。


「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。(詩編91:14-16)」

5回目の注射

2007-01-29 18:18:57 | 乳癌

今日病院へ行ってきました。乳腺外来で5回目の腹部注射(リュープリン)を打ってもらいました。乳癌の再発転移予防のため3か月に1度注射を打っています。
婦人科も受診したのですが、めずらしくどちらもそれほど待たされずにすみました。
注射は今回で終わりになるのですが、手放しで喜べません。

注射のあと4.5か月後に体調がくずれる恐れがあると言われたからです。子宮筋腫は注射のおかげで少し小さくなったのですが、注射をやめるとまた大きくなる可能性があるそうです。もう1年注射を続けるか、いまやめて様子を見るか?と問われて、いまやめることを選びました。値段が高いので負担が大きすぎるからです。
不安はありますが、このことも主に委ねていま健康が支えられていることを喜ぶことにします。

それにしても体がだるいのは注射のせいでしょう。今日は午後から病院だったので、夕飯の支度を朝のうちにやっておいて正解でした。

傷つき渇いている心に 

2007-01-28 18:00:41 | エッセイ
昨日は、御茶ノ水クリスチャンセンターでのクリスチャン・ペンクラブの例会に出席しました。今年書きたい物をそれぞれが発表したのですが、みなさんがしっかりとした志を持って熱く語られたので、わたしも思いを新たにされました。
今日は礼拝の後、教会学校の父母懇談会が持たれました。教師と父母たちの実りある話し合いの時となりました。感謝。
クリスチャン・ペンクラブで出版した「生かされている喜び」に掲載されたエッセイ
を紹介します。これは「志に生きる」のテーマで書いたあかし文章です。



傷つき渇いている心に           

子供たちに神さまの愛を伝える物語を書きたいと決心してから十四年たちました。最初の九年は、書くことがみ心かどうか確信がもてずに迷い、何度も挫折しました。  
色々なところに応募して30回くらい落選し、そのたびに落ち込んで、(自分には才能がないんだ。もう書くのはやめよう)と思うのでした。
それなのに書き続けてこられたのは、書けなくなったときに帰っていくところがあるからです。それはいままでの人生の中でいちばんつらかった時期、中学2年のときの心です。

自分の存在価値がわからず、生きることに意味をみいだせず、死を願っていたあのころ。もし、あのときのわたしに、イエスさまのことを誰かが教えてくれたら、神の愛を示す本に巡りあっていたら、どんなに嬉しかっただろう……と思うと、書かなければという気持がかりたてられ、心が熱くなります。

一昨年、大阪府岸和田市で起きた中3生の虐待事件のニュースを聞いたとき、大きなショックを受けました。15歳の少年は、逃げることができたのになぜ逃げなかったのか? 父親は、なぜ我が子が衰弱死しそうになるまで虐待を続けたのか? 次々と疑問がわいてきます。一年半にもわたって暴行を受け続けた少年の気持ち、我が子を虐待する父親の気持ちは想像しがたいのですが、耳をすましていると、心の叫びが聞こえてくるような気がします。いちばん愛してほしい親から愛されなかった少年は、どんなに愛を求めていたでしょう。虐待をする親は、自責の念を抱きながらではなかったのでは? 

いけないことだとわかっていても、子供に対して残酷になってしまうのは、心に深い傷を持っているからかもしれません。『無条件で愛されたい』と心の渇きを覚えているのは、親も子も同じでしょう。
虐待事件はその後も次々と起きています。事件として報道されるものはほんの一部で、実際に起きている虐待はどれだけ多いのかと思うと心が痛みます。
 
暴力をふるわなくても、ネグレクト(放置)しなくても、言葉で子供を傷つけてしまうことがあります。それも(広い意味で)虐待というのだそうです。そう考えると、わたしは子供のころ母親から虐待を受けていたことになり、わたしも自分の子供を虐待していたことになります。
親からいわれた言葉がトラウマ(心的外傷)となって劣等感をかかえていました。でも、神さまからのメッセージが心の深いところに届いたとき、キリストによる癒しがはじまりました。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している(イザヤ書43:4)」といって下さる神さまのことを、傷つき、渇いている心に伝えられるような小説を書きたいと願っています。

風の種の種(その3)

2007-01-25 10:45:26 | エッセイ

「風の種」のテーマは「存在」です。
風に人格があったらと想像して書いているわけですが、「風のベルト」では、自分と他人の区別がなくなっていってしまいます。洋治は、単純にいじめられたから死を願ったのではなく、自分の存在が嫌でそれを消したくて死を願ったのです。


この物語は小学校高学年から中学生向きに書いています。「存在」という言葉は小学生には理解できないのでは?というご指摘もいただきましたが、小5の姪は「存在」の意味をよく理解できていたので高学年なら大丈夫でしょう。


生まれたばかりの赤ちゃんは、自分と母親は同じ存在だと感じているそうです。泣けばすぐ抱いてくれ、おっぱいを飲ませ、おしめをかえてくれる。母親がいつもそばにいると母親が自分の一部のように感じるそうです。保育園に預けられたり、幼稚園に行くようになって、初めて母親と自分は別の存在だと気づくわけです。

赤ん坊のとき母親と同化してしまうほど手にかけてもらった子供は、母親と離れることも容易だそうです。自分という存在が確かになるからです。
そして思春期になったとき、子供は再び存在ということを考えるようになります。なぜ自分は生まれてきたのか? 自分で望んで生まれてきたのではないのにどうしてここにいるのか……。


わたしは、中学生でその問題にぶつかったとき、どうして生きていなければならないんだろうと死を願うようになりました。
キリストを知ったとき、自分は神様によって創造された者で、神様が自分の存在を尊く思っていて下さっていることに気づいたのです。どれほど嬉しかったことか……。幼いころからずっと求めていた方に出会えた、抱きしめてもらえたという感じがしました。
そして今でもその感動は薄れることがありません。


十年の間ファンタジーばかり書いてきました。最近はリアリズムの作品も書きますが、やはりファンタジーが好きです。書く力が備わっていないのにやたらと書いてきましたので完成作品はひとつとしてありませんが、書いた物は膨大な量になります。
新しい作品を書くのと平行して、今まで書いてきた作品をもととした童話や小説を書いていきたいと思っています。


これから実家に出かけます。

「風の種」の種(その2)

2007-01-24 17:34:22 | エッセイ
1月10日-12日に掲載した童話「風の種」について、再び書かせていただきます。

【なぜ「風の種」にしたのか?】
 
風のようにとらえどころのないものより、目に見える物の種にすればもっと書きやすかったかもしれません。
でも、わたしはどうしても風が書きたかったのです。それは小さいころから風になりたいと思っていたからです。
喘息のため、走ることは苦痛でした。早足で歩くのも、坂道をのぼるのも息が苦しくて大変でした。どこかへ出かけようとすると熱が出て行かれないことが多く、家にじっとしていることが多かった少女時代。自分がもし風だったら、どこへでもひとっとびで行けると空想の翼をかって世界一周旅行に出かけていました。


子どもたちにキリストを伝えるため童話を書き始めたのは14年ほど前のことですが、書き始めのころ、風シリーズで春夏秋冬4作の短編を書きました。
短編を書く合間に「地底国の冒険」という長編小説を書きました。そこにも風が出てきます。地底国に迷い込んだ少年が7回姿を変えられるという魔法の薬を飲んで、風になって南極まで行き、さらに宇宙の果てまで行くという荒唐無稽なストーリーです。風になった少年が陽気な風と出会い、その風に助けられて南極に行きます。「風の種」のタオは、このときの風です。「地底国の冒険」で魔法の薬を作っていた老婆が「風の種」に出てきたお婆さんです。


わたしは中学生のころ「グリム」というあだ名がつけられ、学生時代も「グリム」と呼ばれていましたが(学生時代の友人は今でもそう呼んでいます)、もとは「グリムばあさん」でした。グリム童話に出てくる魔法使いのお婆さんと似ているからだそうです。
当時は、そのあだ名が嫌でたまりませんでしたが、後に大好きになりました。
魔女というと恐ろしい感じですが、わたしの書く魔女はどこかぬけていて無邪気。冷たいようであたたかく、とらえどころのない性格です。 


【なぜファンタジーを書くのか?】

自分でもよくわかりません。ストーリーは少しずつ考えて作り上げていくのではありません。家事をしていて、あるときポンと思いつく、というより上から与えられるという感じです。与えられるものは、ファンタジーのストリーが多いのです。長いストーリーでもたいていは一気に結末まで与えられて、何度も頭の中でシミュレーションしてから書いていきます。頭の中で作っている段階では楽しんでいますが、それを言葉にし、人に伝わる文章としていくのは大変な作業です。四苦八苦していますが、祈りつつ、忍耐しつつ書いています。



テーマについては次回書きます。


願い

2007-01-22 12:08:03 | 教会

一昨日のことです。掃除をしていて指先をぶつけ、人差し指にほんのちょっと傷がつきました。右手だから大丈夫だろうとほおっておいたら化膿してきました。(左は乳癌の手術時に腋下リンパ節を切除しているので、左手に怪我をしたらすぐ外科を受診するようにと言われています)
あわてて消毒し、化膿止めの薬をつけたのですが、その薬は消費期限が2年も前に切れていることがわかりました。(汗)


夜になってズキズキ痛んできました。(明日はCSでピアノ奏楽なのにどうしよう……)
心配でたまらなかっのですが、とても疲れていたのでよく眠れました。(眠れるくらいなのでたいした痛みではなかったわけですが……)翌朝、腫れてはいるものの痛みが少し治まっていたのでピアノを弾きました。

パソコンのキーボードなら、人差し指を中指に代えて打つことができます。でも、ピアノはそういうわけにいきません。(熟練した人ならできるのかも……)夜になるとまた痛み出しました。


こんな小さな傷でも、痛むと意識がそこだけに集中して、早く治ってほしいとそのことだけを願います。
掌に釘を打たれて十字架につけられたイエスさまの痛みはどれほどだったのだろう? と思いを馳せていました。わたしだったら痛みに耐えられず逃げ出してしまうでしょう。
幸い、今朝は腫れがひき、痛みもなくなりました。感謝!!


礼拝では『信仰者の成長』についてのメッセージがありました。
「あなたは自分の品性に満足していますか?」と問いかけられてドキッとしました。
ガラテヤ人への手紙5章22.23節に「御霊(みたま)の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」とあります。このような実を実らせている人は、品性の素晴らしい人です。
わたしは、どれひとつ実らせていません。自己中心で愛に欠けた者です。自分は冷たい人間だなあとつくづく思います。


喜びと平安に満たされるには、自己受容が必要だと語られました。自己受容とは、長所も短所も含めてあるがままの自分を認めることです。神様があるがままの自分を認めて下さったことを知ることによって自己受容ができるのだと。
自己受容ができている人は、人からどんな評価を受けても揺り動かされないそうです。


さて、わたしは自己受容ができているのでしょうか? かつては人の言葉に翻弄され、傷つき落ち込んでいたわたしです。最近は傷ついたり落ち込むことが少なくなっていますが、それは周りの人がわたしに対してあたたかい言葉をいつもかけてくださるからです。
ありがたいことにわたしはいつも思いやられているのです。わたしも他者を思いやる心を持つ者になれますように……。



信仰とは?救いとは?

2007-01-19 19:00:05 | 社会
今日は我が家での家庭集会でした。学びの中ではっと気づかされたことがありましたので一部紹介させていただきます。


エペソ人への手紙2章から「信仰による救い」ということを学びました。
「あなたは信仰といわれて何を思い浮かべますか?」「救われるとはどういうことですか?」
という質問がありましたが、わかりきったことなのにちゃんと答えられませんでした。


信仰と聞くと、あまりいいイメージを抱かない人が多いと思います。日本人のもつ「信仰」は「信心」とも言い換えることができます。信じる対象は何であれ、修練して自分が信じたという一方通行的なものです。キリスト教でいう信仰とは、神様と人格的なやりとりのある双方通行です。
信じる対象である神、イエス・キリストがどのようなお方であるか聖書に示されています。修練したからというのではなく、神様が働きかけて下さって信仰を持つことができ、救われるのです。



「救いとは人間が本来あるべき姿に戻ること」
なのだと聞いて目が開かれた思いでした。罪を犯す前のアダムは永遠の命を持っていました。神様はご自身の姿に似せて人間を造られたと創世記に書かれています。
神の姿というのは、見た目ではなく性質です。人間に受け継がれた神の性質というのは、「イメージしたものを造り出すことができる」ことと、「言葉をあやつることができる」ことの2つです。この2つは動物にはない性質です。


神様と親しく交わり、永遠の命を持っていたアダムとエバでしたが、神様の禁じた木の実を食べて罪を犯してしまいます。そのせいで死が入ってきました。
人はだれでもいつかは死ぬことがわかっていますが、普段はそのことを考えないで生活しています。でも、つきつめて考えてみると、死からのがれる方法を求めているのではないでしょうか。色々な宗教があるのも、科学が発展していったのも死を克服する方法を考えたゆえではないかと……。


わたしたちクリスチャンは死を克服された方を知っています。それはイエス・キリストです。キリストを信じることによって、人間の本来あるべき姿、永遠の命を持つ者となれるのです。でも、そのことを知らない人がどれだけたくさんいることでしょう……。伝えなくてはならないと思いました。

キリスト教信仰は、いろいろある宗教の中から選んだのではなく、初めからおられた神の存在に気づかされたということなのです。

この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12)


「風の種」の種(その1)

2007-01-18 12:39:19 | エッセイ
大きな行事が終わってほっとしましたが、明日は家庭集会、明後日は子供家庭集会、日曜はCS奏楽奉仕と忙しい日々がまだまだ続きます。これくらい忙しいと今までなら体調をくずしていましたが、今は不思議なほど元気です。神さまによって支えられています。昨日は雨の中歩いて祈祷会に行ってきました。


先日公開した童話「風の種」について書きます。この童話は、2か月に1度行われている日本クリスチャン・ペンクラブ小さな集い「児童文学の集い」に提出するために昨年書きました。「児童文学の集い」では、毎回テーマを決めて7.8枚の作品を書き、合評しています。メンバーはいまのところ5人。文字どおり「小さな集い」です。

今までに「種」というテーマのほかに「机」「鍵」「クリスマス」で書いてきました。次回2月の集まりまでに「雨」で書くことになっていますが、まだ書き上がっていません。


この作品は、小中学生のいじめによる自殺が相次ぎ、社会問題としてニュースになる前に書きました。もともとわたしが小説や童話を書き始めたのは、子供たちに自殺をしないでほしいというメッセージを伝えたかったからです。
20年ほど前、アイドルの自殺をきっかけに中学生の自殺が相次ぎ社会問題になったことがありました。そのとき、とても心を痛めました。
当時は小学生で自殺をする子供は稀でしたが、今は小学生で自殺する子供が増えています。
大きく報道されることによって連鎖反応が起きているともいわれていますが、どうしたら命の尊さを伝えることができるのでしょう……。


ある中学生のブログに「いじめを受けてつらい。死んでやる」と書かれていました。
いじめるクラスメートが憎い。もし自分が自殺したら、いじめていたクラスメートは少しは反省するだろう。周りの人は自分のことを可愛そうにと同情してくれるだろう。


「死んでやる」という言葉の裏にはこのような思いがあるのでしょう。これは大変思い上がった考えで、自殺することによって両親、きょうだいをはじめ、どれだけ多くの人の心を傷つけるか想像すらしていません。いじめている者への復讐として「死んでやる」と書いているのでしょう。


自殺した子供に同情を寄せるような報道があると、自分が死んだら、あんなふうにニュースになるのだとますます自殺したいという思いが募ってくるでしょう。
命は自分の所有物だから、どのようにしても自由なのだと思っている人がほとんどです。でも、命の所有者は神様で、神様から貸し与えられているのだから、自由にはできないのです。自分を殺すことは大きな罪なのだということを子供たちに知らせたいです。
そんな願いをこめて「風の種」を書きましたが、10枚では充分に書ききれなかった気がします。


日を改めて、『なぜ「風の種」にしたのか。なぜ、ファンタジーなのか?』について書きたいと思います。


美しい追憶(その2)

2007-01-15 19:22:29 | 日記

7月に実家に帰ったとき、父が熱心にワープロで何か書いていました。書いていたのは「死亡連絡先リスト」でした。父は先が長くないことを知っていたのです。
「これを3部ずつコピーしてくれないか」と、わたしに言いました。
3部というのは、母と妹とわたしの手元に置いてほしいからだそうです。父とわたしはコピーをしに近くのスーパーに出かけました。

後日、ファイルに綴られた死亡連絡先を渡されました。ファイルの1ページ目には次のように書かれていました。

『父がこのような状態になってしまって、お母さん、お2人(妹とわたし)に連日ご心配かけて申し訳なく、感謝しています。お二人はこれからの人生がありますので、元気で頑張ってください。父は20代から何回となく死に直面して我ながらよくここまで生きてこられたなあと驚いています。
 これもみなお母さんやお2人のおかげと思っています。人には寿命があり、父はいつ皆さんとお別れしてもいいと覚悟はしています。ただお母さんの今後がいちばん気がかりでなりません。どうか宜しくお願いします。』

 そして、延命治療はしないでほしいと言いました。

 9月末に父はかねてから予約をしていたホスピスに入院しました。父はチャプレンの先生の話にじっと耳を傾けていました。
 3週間の入院であっという間に召されてしまいましたが、父がキリストを信じ天国に行ったのだと確信しました。


それでも、父とは地上ではもう会えないと思うと、ふっと寂しくなります。葬儀から1、2か月したころがいちばん寂しかったのですが、そのときちょうどドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいました。
慰めに満ちた文と出会ったので紹介させていただきます。

イリューシャという少年が病死して、悲しみの中にいる友人たちに向けてアリョーシャが埋葬のとき語った言葉です。

「過去において追憶をたくさん集めた者は、一生救われるのです。もしそういうものがひとつでも私たちの心に残っておれば、その思い出はいつか私たちを救うでしょう。」
「美しいひとつの追憶がわたしたちを大いなる悪から護(まも)ってくれるでしょう。」


父との美しい追憶は宝物のように輝いています。それを大切にしていきたいと思いました。
    おわり



わたしたちを大いなる悪から守って下さるのは創造者である神さまです。あえて、「護(まも)る」という字が使われているのは、保護するという意味なのでしょう。神さまが外から守り、美しい追憶が心の内から護(まも)って下さるのだと解釈しました。
「カラマーゾフの兄弟」の冒頭に書かれている聖句は、
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24)です。父は、一粒の麦となって母や妹、姪、息子夫婦の心に種を植えてくれました。


写真は納骨堂の棚です。(扉を開けたところ)12の扉があって、召された月の扉に入れるようになっています。父の遺骨は真ん中の黒くて十字架のついたものです。他の骨壺に名前が入っていたので、それを消した写真を写してアップしたため画像が良くありません。
上下の緑は実際にはありません。


美しい追憶(その1)

2007-01-14 21:58:45 | 日記

昨日は納骨式、今日は娘の成人式で祝福にあふれた2日間でした。
納骨式には、教会員で父と面識のない方もたくさん来て下さって、有り難かったです。


牧師のS先生も生前の父とは面識がなかったのですが、わたしが伝えていたことをもとに「生かされて」という題でメッセージしてくださいました。
父の死後、父が三浦綾子さんの本「永遠の言葉」を抜粋してワープロで書き写していたものを見つけた話しをS先生にすると、是非見せて下さいと言われたので、コピーしてお渡ししていました。それは、字数にして約7000字にもなります。


「これほどのものを書き写すということは、よほど感動し、共感していたということでしょう。一文を紹介すると、
わたしたちは、なぜ生きなければならないのかという問いを発しがちですが、生きるとか死ぬとかという人生の一大事の「なぜ」はだれにもわからないものですね。それよりも私たちは、だれも「生きる」のではなく「生かされている」と考えると、おのずから生き方も変わってくると思うんです。
と書かれています。お父さんのような年代の男性は、『自分の力で生きてきた』という思いが強い人が多いのに『生かされている』という心境になったことはすごいことです」
と先生が言われたのを聞いて、感動を新たにしました。

それから、ホスピスに入院して召されるときのようすも語って下さいました。
わたしは父との思い出を語りました。父の思い出として書いた物を紹介します。実際に語ったのとは多少違っていますが……。

            
美しい追憶
父は厳格でしたが、根はとてもやさしい人でした。小さい頃の思い出というと、遊んでもらった記憶はないのですが、コーヒー好きな父は時々喫茶店に連れていってくれ、チョコレートパッフェをご馳走してくれました。

父は几帳面できれい好きなので部屋が散らかっていたり、洗面所が汚れているとしかられました。わたしは父に逆らってばかりいて、ちっとも片づけようとしませんでした。素直な娘ではなかったのです。

孫が生まれると、父は孫をとても可愛がりました。子どもや孫たちに囲まれているときがいちばん幸せだと言っていました。

とくにわたしは娘を出産してから喘息で10日間入院してしまいました。ちょうど父が退職したしたばかりのころでした。
父はおむつを買え、ミルクを飲ませ、お風呂に入れてくれました。
妹の子どものこともかわいがり、勉強を教えてくれていました。

去年の2月に末期癌だとわかり、余命3か月といわれました。それでもしばらくは体調がよかったので、「お父さんといい思い出を作りたい」という妹の提案で、四月の初めに両親と妹一家、娘の6人で箱根に行きました。そのとき父は体調がよく、旅館で出された食事を全部たいらげたので癌が治ってしまったのではないかと思ったほどです。

箱根で生まれて初めて父から手紙をもらいました。この旅行の感謝と、母のことを頼むというようなことが書かれていました。
旅行から帰るとわたしは返事を書いて、そのとき父にイエスさまのことを伝えました。
                             つづく

納骨式

2007-01-13 22:12:40 | 日記
「風の種」についてコメントをたくさんいただいてとても嬉しいです。有り難うございました。この童話については、のちほど書かせて戴きます。

今日は教会での納骨式でした。写真は納骨堂のあるチャペルピスガです。
母と妹、姪、息子夫婦、娘、教会員の方々が参列して式が執り行われました。主人は残念ながら仕事で出られませんでした。

今日は母たちが我が家に泊まります。

風の種(その3)

2007-01-12 13:23:53 | 童話
洋治は、どうせ存在がなくなるのなら、風の姿で家に帰ってみようと思った。海を離れると、あっという間に都内の家に着いた。家には誰もいない。
父親の勤める病院の屋上へいくと、絵里が泣いていた。

(絵里……。何でこんなところにいるんだろう……。そうだ、お母さんが病気とかいっていたな)
洋治は絵里の長い髪をゆらしたが、絵里は気づかない。絵里は涙をふくと、洗濯物をとりこんで階段をおりていった。
洋治は窓のすきまから病室に入った。ベッドにはやせて髪の毛のぬけた女の人が、体にたくさんの管をつけて横たわっていた。その傍らには白衣を着た洋治の父が立っている。

「お母さん。死なないで……。お母さんが死んだら、わたしも死ぬ!」
絵里はベッドに寄り添って号泣している。
(絵里のお母さん、そんなに悪かったのか……。昨日学校で何も言わなかったのは、お母さんのことを心配していたからだったんだな。そういえば、絵里にはお父さんも兄弟もいない。お母さんが死んだら、ひとりぼっちになってしまう)

「絵里、死んではいけない。自殺したら天国へはいけないのよ。わたしは、もうすぐ天国にいく。いつか天国で必ず会えるから……」
息も絶え絶えに母親がいった。
「いやだ、いやだ、お母さん」
「神さまが決めたことだから……。どんなに生きたいと願っても、生きられないの……。だけど、お前は生きるのよ」
絵里の母親の言葉が自分に向けていわれたように思えて、胸がずきんとした。なんとか絵里を励ましてやりたいと思ったが、風である洋治の声は絵里には届かない。

父親が病室を出ていった。あとをついていくと、誰もいない廊下で泣いていた。
「なんとか治してあげたかった‥‥。なんと無力なんだ……」
父は壁をたたいてうめくようにいった。
冷たいとばかり思っていた父親の意外な一面をみて、自分が死んだら父は悲しむのだろうと思い直した。
洋治はいたたまれなくなって病院から出ると、うんと高いところまで飛んでいった。

「いこうよ、いこうよ、どこまでも」
風の歌声が聞こえる。いつの間にか風のベルトの中に入っていた。
(しまった。ここに入ると他の風と混ざってしまうとタオがいっていた。そうなると自分の存在がなくなってしまうんだ)洋治が抜け出そうとすると、ぐいと手をつかまれた。
「僕たちと一緒にいこうよ」
「きみは僕で、僕はきみさ」
「いやだよ、僕は人間なんだよ!」
洋治が叫んだが、がっちりつかまれた手はなかなか離れない。みると、体の色が緑から黄緑に変わってきている。
「誰か助けて、ベルトからおろして!」
洋治が叫んだとき、大きな温かい手に抱きしめられていた。青い風タオが、風のベルトから救い出してくれたのだ。
「ありがとう、タオ」
「お前は、人間にもどりたいのか?」
「うん」
洋治が答えると、タオはにこっと笑った。
「そういってくれるのを待っていたんだ」

その声が聞こえたとたん、洋治は意識を失ってしまった。気がつくと、深い森の中の石の上にすわっていた。手足をさすってみた。もとの姿にもどっている。
「ああ、僕はここにいる。生きてる。生きてるんだ!」

恐ろしい獣の鳴き声が聞こえた。森はすっかり暗くなっていて、どちらの方角からここへきたのか全くわからない。戻れなくなっていることに気づき、ぞっと寒気が襲った。

ふと見上げると、青白く光る雲のようなものが洋治の頭の上に浮かんでいた。
「タオ?」
 それは返事をしなかったが、木の葉を揺らしながらゆっくりと移動していく。洋治は急いであとをつけた。しばらくすると、木々の間から街の明かりがぽつぽつと見えてきた。
森を出たとたん、青白いものは見えなくなった。
「ありがとう、タオ!」
洋治が叫ぶと、風がほおをなでて吹き抜けていった。
おわり

風の種(その2)

2007-01-11 16:26:16 | 童話
お婆さんは種を洋治の手に握らせると、ケッケッケと笑って、森の奥に姿を消した。

洋治は風の種をぼんやり眺めた。アーモンドのようでおいしそうだ。ごくりとつばを飲み込んだ。そういえば、家を出てから何も食べてない。(これから死ぬというのになぜおなかがすくんだろう……。)

洋治はお婆さんからもらった種を食べた。かむとカリカリ音がして香ばしい。さあ次は睡眠薬と思ったとき、体が風船のように軽くなり、ふわっと浮き上がった。
みると、下に自分の体があった。石の上にうつむいて座り、魂がぬけたように動かない。(えっ? まさか僕、風になったの?)

「おーい、ぼうず」
上から呼び声が聞こえた。見上げると青い雲のかたまりのような物が浮かんでいた。目と鼻と口がついていて、洋治に話しかけた。
「お前、生まれたての風だろう。おれはタオっていうんだ。よろしく」
洋治は自分の体をながめた。緑色の小さな雲のような形だ。体の大きさはタオの十分の一くらいだ。
「風って色がついていたのか……」
「オレと一緒に旅しないか」

 洋治が黙っていると、青い風の体から手のような物がにゅうっと伸びてきた。
「いこうよ。きみも手を出して」
「えっ、手なんかないよ」
「風は思いのままに姿を変えられるのさ。手を伸ばそうと思えば手が出てくるはずさ」
 洋治が手を伸ばすイメージを思い浮かべると、手が伸びてきた。タオはその手をつかんでぐんぐん上へのぼっていった。整った形の富士山がみえた。山頂に積もった雪がキラキラ光っている。点々と水たまりのような湖があり、向こうには青い海がみえた。

 タオと洋治は海の上を飛んだ。水平線が弧を描いている。何て気持ちがいいのだろう。こんなにのびのびとした気持ちになったのは久しぶりだ。
 「上をみてごらん。風のベルトだよ」
見上げると川のようなものが空に流れていた。たくさんの色がまざりあっている。
「風のベルトって?」
「いろんな風が集まって地球のまわりをぐるぐる回っているんだ。あの中に入るとほかの風と体が混ざって、自分がなくなってしまうから、絶対に近づいてはいけないよ」
 
 タオは洋治の手をつないだまま海面すれすれに飛んだ。タオと洋治が通ると、すうっと一直線に波がたっていった。
「昔、オレは神さまからの命令で海をふたつに分けたことがあるんだぜ」
タオが自慢げにいった。
「海をふたつに? モーセの話みたい」
洋治は幼稚園のころ聞いた聖書の話しを思い出した。
「そうだよ。モーセとかいう人が手を挙げていた。その間にオレは吹いて吹いて吹きまくって、海の中に道をつくったのさ」
「ええっ! タオは三千五百年も前からいたの?」
「もっとずうっと前さ。神さまが地球を造ったとき、オレのことも造ったんだ」
「神様が造ったのか……」

「神様はオレだけじゃなくてお前のことも造ったのさ。人間としてね」
「僕が人間だってこと、知ってるの?」
「ああ。神様から教えてもらったんだ。お前みたいに小さいと、大風にのみこまれてしまうんだ。だから一緒にいようと思ってね」
「のみこまれると、どうなるの?」
「お前の存在がなくなってしまう。だからオレがお前を守る」  
「僕のことは、ほおっておいて! 僕は存在を消したいんだ」

 洋治が怒ったようにいうと、タオは悲しげな顔をして手を離した。
「そうか……残念だな。……さよなら」
タオがあっけなく水平線の向こうに飛んでいってしまったので、洋治は急に寂しくなった。(あんなこといわなければよかった……) 

               つづく

風の種(その1)

2007-01-10 16:48:52 | 童話

昨年11月に日本クリスチャン・ペンクラブから「生かされている喜び」という本が出版されました。その本に掲載されたわたしの童話を今日から3日間にわたり連載します。本は親しい人に送りましたが、この作品の感想を聞けませんでした。読んで下さったら、どうか感想をお聞かせ下さい。

  風の種            土筆文香
 
 洋治は、昼でも薄暗い森の中を歩いていた。ギシギシと葉をふみしめる音だけが聞こえる。うっそうとした木から、灰色の鳥がけたたましい声をあげて飛びたった。
洋治は大きな石をみつけると、その上にすわりこんだ。ポケットには睡眠薬とカッターナイフが入っている。睡眠薬は父親の部屋からこっそり持ってきたのだ。
(僕が自殺したことを知ったら、父さんは悲しむだろうか? いや、悲しむもんか。僕のことなんか、すぐに忘れてしまうさ)
 
洋治の家族は父と姉の三人だ。母親は洋治が幼いころ、病気で亡くなっている。
洋治は中学に入学してから二年半の間、ずうっといじめを受けていた。教科書をやぶられたり、物を取られたり……お金を持ってこいと脅されて、家のお金をこっそり持っていったこともある。忙しい医師の父は気づかなかった。
昨日は、学校で腹をくだしてトイレに入っていると、上からバケツの水をかけられた。廊下に引きずり出され、ズボンをぬがされた。もう少しでパンツもぬがされそうになった。いつもかばってくれていた絵里が、何も言わずにうつむいて廊下を通り過ぎていった。絵里にも見捨てられてしまった。もうがまんも限界を越えた。

洋治はこれまで自宅で何度もリストカットをしたが、そのたびにみつかっていた。
「命を粗末にして!」と父はひどく怒った。(お父さんになんか、僕の気持ちがわかるはずない)いじめのことは誰にもいえなかった。
学校を休んで朝早くから電車を乗り継ぎ、祖父母の家近くの森にやってきたのだ。幼いころから「この森には絶対に入ってはいけない」と祖父に繰り返しいわれて 
きた。「どうして?」と聞くと、「魔女が森に入った者をつかまえて食べてしまうからだ」と答えた。洋治は恐ろしくて森に近づけなかった。森に入って迷子になり、死んだ子供がいたので、祖父は魔女がいるといったのだろう。人がほとんど入らないこの森の中なら、誰にも引きとめられずに死ねる。洋治は睡眠薬を袋から出して手の上に乗せた。

「ちょっとお待ち」
背後からとつぜんしわがれ声が聞こえた。木陰から黒い服の腰の曲がったお婆さんが現れた。グリム童話に出てくる魔女みたいだ。
(えっ、魔女? おじいちゃんのいってたことは本当だったのか……。魔女に食べられて死んでもいいか……)洋治は覚悟を決めて、お婆さんをみつめた。
ところがお婆さんはニコニコしていった。
「その薬は眠り薬だね」
洋治がうなずくと、
「これと取り替えてくれないか」
と洋治の目の前にしわだらけの手を差し出した。掌には一粒の種が乗っていた。
「何それ?」
洋治がたずねると、お婆さんは欠けた歯をみせて笑った。
「種だよ。風の種」
「風の種?」
「お前は、空を飛びたいと思わんかね?」
「べつに」
「空を自由に飛べたら気持ちいいぞぉ。これを食べると、風になれるんだよ。風になって地球を一周してみたらどうだい?」

洋治は、このお婆さんは、きっと頭がおかしいのだと思って黙っていた。
「わたしはね、いろんな材料を使って魔法の種を作っているんだ。若返りの水の種を作ろうと思うのだが、なかなかうまくいかなくてな。眠り薬を調合すれば、できるような気がして……。頼む、一粒でいいから分けておくれ」
お婆さんは、深く腰を曲げて洋治の顔をのぞきこんだ。
「お前さんは死ぬつもりなんだろ。風になって地球を一周してから死んだらどうだ。さあ、これをやるから、眠り薬を一粒おくれ」
薬は二十粒もある。(一粒くらい上げてもかまわないか。薬を渡せばどこかへいってくれるだろう。早くひとりになって死にたい)
洋治はお婆さんに薬を一粒差し出した。

               つづく

破られた債務証書

2007-01-07 16:16:28 | 教会

今日教会で聖餐式が行われました。聖餐式とは、イエス・キリストが最後の晩餐でパンとぶどう酒を弟子たちに与え「パンは私のからだであり、杯は私の血による契約である」と言ったことを記念して、パンとぶどう液を会衆に分けるキリスト教の儀式です。キリストの十字架を思ってパンとぶどう液を食するのですが、初めて教会に来た人が見ると、とまどうかもしれません。


今日は礼拝で聖餐式の意味が語られました。
聖餐式は、神さまから人類への領収書だそうです。領収書をいただくということは、負債があったということです。
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マタイ22:37)
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(マタイ22:39)

というイエスさまが言われた2つの戒めを思い起こすと、2つとも守れていない自分に気づきます。それどころか、人を嫌ったり、疎んじたり、嫉妬したり……愛することからほど遠いことばかりしています。その罪ひとつひとつを負債と考えると、巨額の負債があるわけです。そして、どんなことをしても自分では払うことができません。


債務証書 〇〇〇〇様 『罪の報酬は死である』

と書かれている紙を牧師先生が取り出して見せてくださいました。そして、それをビリビリとやぶりました。
わたしは今日Ⅰ礼拝に出たのですが、(礼拝は3回あるのにⅠ礼拝で破ってしまっていいのかな? 同じ物が3枚あるのかな?  ……でも破ってくださって嬉しい!)と思いながら見ていました。〇〇〇〇のところに自分の名前が書かれているような気がしたからです。


そうなんです。債務証書は、キリストの十字架によって破棄されたのです。負債はすでに支払われているから神さまは領収書をくださったのですね。わたしは、素直に感謝して受け取ります。イエスさま、本当にありがとう!

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