生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

生きがいについて考えた人

2018-06-28 16:28:15 | 読書

急に暑くなって、早くも夏バテです。

「神谷美恵子日記」(角川書店)を読みました。書店の新刊が置いてある場所でみつけたので買い求めました。神谷恵美子といえば、精神科医としてハンセン病療養施設「長島愛生園」に生涯をささげた偉い人というイメージがありましたが、日常生活が書かれた日記を読むと、親近感を覚えました。美恵子さんと呼ばせていただきます。

美恵子さんは19歳の時、ハンセン病療養施設多摩全生園を訪れ、医師の道を志します。アメリカ合衆国に留学し、コロンビア大学で医学を学びます。
子どもの頃から両親に連れられて教会には行っていたようですが、いつキリストに導かれたかは書かれていません。でも日記には信仰者として生きておられたことを示した文章がたくさんあります。

32歳で結婚し、男の子ふたりが与えられました。家事と育児に励みつつフランス語を教えに行ったり、講演会で講演をしたりします。
日記には「平凡な主婦のままがいい。出歩くより家にいて刺繡などしているほうがいい。」と書かれていますが、「自分には使命がある。」とも書かれ、

「自分には弱さがあるので、使命を全うするために神様によりたのんでいきたい。ゆだねよう。」と信仰をあらわす文章を書いています。

美恵子さんが41歳の時、ハンセン病療養施設「長島愛生園」に精神科医として調査に入りました。3~4日いて、自宅に帰っていたようです。子どもたちの世話は、お手伝いさんがしてくれていました。ご主人のNさんは理解があり、とっても優しかったようです。Nさんに対する不満や悪口はいっさい書かれていません。「Nは優しいこと限りなし」という一文に心温まります。

長い間、兵庫県芦屋市に住んでいたようです。「森市場に買い物に行った」という箇所を読んで、わたしが神戸に住んでいたころ母とよく行ったあの森市場だろうか?森市場はいまでもあるのだろうか・・・・・・ネットで調べると、ずいぶん前にセルバという商業施設になっていましたが、森市場を土台に作られたのかなと思いました。

わたしと家族は神戸市の東のはずれに住んでいて、芦屋市と隣接していました。森市場は東灘区ですが、芦屋からも買い物に行く人が多かったと聞きました。

わたしは1968年から1980年まで神戸に住んでいました。美恵子さんは1979年に65歳で召される前は芦屋に住んでおられたので、もしかして森市場ですれ違っていたかも……など考えて楽しくなりました。

美恵子さんは自己をしっかり持っておられました。生きがいについても考えておられました。それは神様から与えられた使命をまっとうすることが生きがいにつながると考えたのではないでしょうか。

毎日ぼんやり過ごすことが多いわたしですが、美恵子さんを見習って生きがいについて考えながら歩んでいきたいです。

最後に美恵子さんが長島愛生園を訪れたとき書いた詩の一節を紹介します。

なぜ私達でなくてあなたが? あなたは代わって下さったのだ



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「ヴィーナスという子」を読んで

2017-11-01 16:43:10 | 読書
「ヴィーナスという子・・・存在を忘れられた少女の物語」トリイ・ヘイデン著/入江 真佐子訳(早川書房)を読みました。ノンフィクションです。

これまでも同じ作者の「シーラという子」「タイガーと呼ばれた子」「檻の中の子」などを読みました。でも、この本ほど感動したものはありませんでした。

7歳のヴィーナスは、学校へ来ると石塀の上にのぼってじっとしているだけです。教室に連れて行き、話しかけたり、絵本を読み聞かせても反応がありません。聴覚または脳に問題があるのかと調べましたが、異常はみつかりませんでした。

どうしてここまで心を閉ざしてしまったのでしょうか……。

ヴィーナスを学校に送ってくるのは、ワンダという知的障がいのある姉です。ワンダはヴィーナスのことを「ビューティフル・チャイルド」と言ってかわいがるのですが、ときどきヴィーナスの存在を忘れてしまいます。

トリイのクラスには4人の元気な男の子たちがいて、ちょっとしたことで喧嘩になり、大騒動になります。トリイが明るく歌ったり踊ったり、いろいろ工夫をして、だんだんまとまってきます。でもヴィーナスは、無反応のままです。ほかの子が近づくと、叫び声を上げ獣のようになってしまいます。
そんなヴィーナスには家庭に大きな問題がありました。でも、何度家庭訪問をしても問題は明らかになりませんでした。

トリイの忍耐強さと愛でヴィーナスは次第に心を開き、言葉を発するようになりますが、家庭での問題が発覚して、ヴィーナスの家族はバラバラになってしまいます。

ヴィーナスがワンダに会いたがっていることを知ったトリイは、なんとか終業式のパーティにワンダを連れてきたいと願います。ワンダは50キロも離れた施設に入所していたのですが、車での送迎を頼んで連れてくることができました。ヴィーナスと再会し「ビューティフル・チャイルド」とワンダが言って抱き合う場面は涙があふれました。

人形のように自分の気分でかわいがられ、ときどき存在を忘れられていた少女が、常に変わらず愛されていることを知り、人間らしさを取り戻していく過程が丁寧に描かれています。

常に変わらず愛することはなかなか難しいことです。大恋愛の末結婚したけれど、あっという間に愛がさめてしまったということがよくあります。
人間の愛の限界のような気がします。

聖書には「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。(エレミヤ31:3)」と書かれています。

わたしというのは神様です。神様の愛はヘセドの愛です。人間の愛とは違います。こちらが愛に応えなくても、裏切っても、反抗しても永遠の愛をもって愛してくださる神様のことを想いながら、この本を読みました。



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「走れ、走って逃げろ」を読んで

2017-09-09 16:12:43 | 読書
先日、児童文学者協会茨城支部の集まりがありました。茨城支部では毎回課題本を読んで、感想を分かち合っています。

今回は「走れ、走って逃げろ」ウーリー・オルレブ作 母袋夏生訳 岩波少年文庫でした。わたしの感想文を紹介させていただきます。

第二次世界大戦下、ナチスドイツ占領下のポーランド。8歳のユダヤ人の少年スルリックは、ゲットー(強制居住区)のなかで家族とはぐれてしまい、一人で壁の外へ脱出します。
執拗に追いかけてくるドイツ兵から逃れ、働く場所を転々と移り、つかまりそうになると森へ逃げていました。森には恐ろしい獣や毒蛇などいたことでしょうが、スルリックは恐れることなく木の枝の上で眠るのです。そのたくましさに圧倒されます。

貧しい人の家に行けば助けてもらえると聞いて、お金持ちでなく貧しい家を訪れます。
特別親切にしてくれたおばさんは、スルリックに誰かに尋ねられた時の答えを教えてくれます。ユダヤ人であることがわかると殺されてしまうからです。

スルリックは名前を変え、逃亡生活を送るうちに、自分の本当の名前を忘れてしまいます。
後に父親と再会を果たしますが、そのときが父親との別れになりました。

父親は「自分の名前を捨てろ。記憶から消すんだ。だが、全部忘れても、父さんや母さんを忘れても、自分がユダヤ人だということは決して忘れちゃいかんぞ。」
と言いました。アイデンティティーを確立するように言ったのでしょう。

父親はスルリックを逃がすためにおとりとなって殺されました。

読んでいてスルリックを応援したくてたまらない気持ちになりました。

スルリックが歯車に巻き込まれて腕を失ったことはショックでした。ユダヤ人だからといって診察してもらえず、病院の廊下に放っておかれ、壊疽を起こして切断となってしまったこと。腕を失っても、片腕でできることを自分で考え、生きることに必死になる少年の姿に涙しました。

これは本当にあった話で、大人になったスルリックから聞いた話をもとにして書かれた小説です。情景描写が少なく、心理描写も少なく淡々と書かれています。


ホロコーストについて知らない人にはちょっと難しい内容です、中高生向きです。

*アイデンティティーとは、自分が何者か認識することです。



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「舟を編む」を読んで

2017-01-17 16:23:17 | 読書
児童文学者協会茨城支部の1月課題本は三浦しをんの「舟を編む」です。映画はほとんど見ないので知らなかったのですが、映画化もされていたようです。
読み終えたら辞書を読みたくなりました。

言葉の海で舟を編んでいくように10年以上かけて一冊の辞書を作っていく人たちに拍手を送りたくなりました。
紙の本が売れなくなっています。紙の辞書も電子辞書やインターネットで調べた方が早いので、買う人が少なくなっているのではないでしょうか。

辞書作りはこのような時代にあって、地道で誰にも顧みられないような働きです。でも、その働きに誇りを持ち、喜びをもって作っている人たちがおられるのです。

主人公の馬締(まじめ)さんは、名前の通りまじめ。人づきあいが下手で、不器用な生き方しかできません。それでも板前修業中の香具矢に恋をして、ラブレターを書き、恋が実るところを読むと、嬉しくなってしまいます。

また、辞書に人生を捧げた松本先生の生き様をみせられて、いのちがけで言葉をつぐむことについて教えられました。


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読書感想文を書くコツ

2016-08-05 16:37:14 | 読書
夏休みに入ると、本の感想文を書いているブログページの閲覧数が上がってきます。わたしの感想文は、かなり偏っており、参考になりませんから気を付けてくださいね。

コピペして、ほかの人の考えや感想をつぎはぎの文章で書くのはNGです。
自分の感じたこと、自分の考えを書いてくださいね。

夏休みになって、ヒックンママから読書感想文の宿題があるので、みてほしいと言われました。
課題図書の中ではヒックンが「さかさ町(F.エマーソン・アンドリュース作)」を選びました。課題図書は図書館で借りるのは難しいため、アマゾンで買いました。

感想文を書く本以外にも何冊か読むのが宿題になっています。図書館にヒックンを連れて行って選ばせればいいのですが、そのような時間もなさそうなので、わたしが今日行って選んできました。

読書は大いに勧めますが、読書感想文が宿題というのは喜ばしくありません。読書は楽しむものであって、感想文を書くために読むと思うと、楽しみが半減してしまうのではないでしょうか。

わたしは小学生のとき、作文が苦手でした。作文の授業で何を書いたらよいか決めかねて、一字も書けないことがよくありました。
読書感想文も苦手で、いつも的外れなことを書いていました。
うんと感動した時は、言葉にはならないので感想文が書けなくなってしまいます。

読書感想文を宿題に出された子どもたちが気の毒でなりません。
読書が嫌いにならないように願っています。

高校生になって感想文の書き方のコツを覚えてからは、何度か賞をいただいたことがあります。

感想文の書き方のコツを簡単にお知らせしましょう。

まず、その本の内容を全く知らない人が読むことを想定して、かんたんに内容紹介(あらすじ)を書きます。
次に本の内容で心にとまったことや言葉(文章)を書きます。そして、どうして心にとまったか、登場人物の気持ちと自分自身の気持ちを重ねて、自分の言葉で表現します。

本の中には、作者がたったひとつの言葉を書きたいために原稿用紙1000枚の作品を書いたというものがあります。
それを見つけられたら最高の感想文になるでしょう。



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「ノボさん」を読んで

2016-07-28 16:21:53 | 読書
先月11日に、正岡子規が召されるまで住んでいた「子規庵」を訪れてから、子規のことをもっと知りたいと思うようになりました。

子規庵に行った時の記事は、ここをクリックしてごらんください。

知人に勧められて正岡子規の生涯を書いた小説、「ノボさん 正岡子規と夏目漱石」(伊集院 静著・講談社)を読みました。
「ノボさん」とは、子規の本名「正岡升(のぼる)」から取られた子規の愛称です。
「ノボさん、ノボさん」
「なんぞなもし」 
「まっことじゃ、ほな、あしは急ぐけん」
ノボさんと呼ばれていた子規は、上京しても伊予弁で話し、親しみやすい人柄だったようです。
短い生涯の間に、ベースボールをひろめ、俳句と短歌の革新を成し遂げ、日本の文芸に大きな影響を及ぼす存在となりました。
子規は常に人々に囲まれていました。友人、師、家族から愛され、子規もまた彼らを慕いました。
明治20年に同じ東京大学で学ぶ夏目漱石こと夏目金之助と出会い、友情を深めていきます。志をともにする子規と漱石は、人生を語り、夢を語り、恋を語ります。

子規は結核を患っており、結核から脊椎カリエスを発症し、35歳という短い生涯をまっとうします。
子規を看病するため、故郷の松山から母親の八重と妹の律がやってきて、同居します。

お母さんと妹の献身的な看病に心打たれます。母が息子の看病のために上京するのはわかりますが、妹まで行くとは……結婚はしていなかったのだろうか? と思いました。
律は2度結婚して、2度離縁されています。実家に戻っていたときに子規に呼ばれたそうです。
わたしは、子規よりもこの律に興味を抱きました。

律は、とても気が強かったので2度も離縁されたと思われているようですが、兄の介護に20代後半から30代前半の7年間を捧げました。愛の深い人でなければ、できることではありません。律はおもに排泄の世話と背中の膿の包帯取り換えをしていたようです。母の八重を助けるためだったともいえるでしょう。

そこまで献身的に世話をしていても、子規は当たり前のように思い、律の介護のしかたをなじるようなことを書物に書いています。肉親に対する甘えかもしれませんが……。

最後のころは、病状が悪化し、壮絶だったようです。背中から膿が出て、ものすごい痛みに襲われて、八重も律もほとんど夜は眠れず、昼間は次から次へ人が訪れて、2人は倒れる寸前だったようです。

日本経済新聞朝刊女性面2015年2月7日付の記事に、子規の妹、律のことが次のように書かれていました。

「介護にはさまざまなケースがあり、ひと言で片付けることはできない。ただ、他に代わることのできない仕事を偉業というのなら、律の介護はまさにそれである。そして今現在も律と同じように、誰かのかけがえのない支えとなって働いている方が数多くいらっしゃるのだ。表には出なくとも、それは確かに偉大な仕事なのである。」木内 昇著

子規は確かに偉大な仕事をなしました。でも、八重や律の看病なしにはできない仕事でした。陰で献身的に子規を支えた八重と律はさらに偉大な仕事をなした人だったと思えてなりません。

夏目漱石の意外な一面がうかがえるところもこの本の魅力です。また、内藤鳴雪、高浜虚子、河東碧梧桐、伊藤左千夫、寺田寅彦、中村不折のことも書かれています。ぜひお読みください。

明日から教会学校低学年キャンプです。教会に一泊します。
体力の限界に挑戦という感じです。奏楽もすることになって、緊張です。でも、必ず守られると信じて行ってきます。



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成長するということ

2016-03-15 16:44:56 | 読書
先月教会学校で行われた暗唱聖句大会の表彰式がありました。
写真は、みことば20を完全に覚えた人へのプレゼントです。クッキーに「成長させたのは神です」とプリントされています。(ケーキ屋さんに頼んで文字と絵をプリントしてもらったそうです)子どもたちと共にわたしも頂きました。また、エペソ4:1-16を覚えた人へのチャレンジ聖句賞も頂きました。

表彰状には
「あなたは、暗唱聖句大会でたくさんの聖句を覚え、ぐんと成長したので、ここに表彰します。これからもますます、みことばによって成長していってください」と書かれていました。

必死に覚えたのですが、覚えているとき、頭の中がいっぱいになって、色々なミスをしてしまいました。本を間違って注文したり、子どもの誕生カードにひとこと書くのに、同じ子のカードを2枚書いてしまったり、肝心なことを忘れたり……。

それでもせっかく覚えたのですから、忘れないように毎日一回は唱えるようにしています。

今日図書館で「三浦綾子作品集17」を借りてきました。

わたしが21歳のとき読んで、教会へ行くきっかけになったエッセー「あさっての風」が載っていました。
なぜ、三浦綾子さんのエッセーを読んで心打たれたのでしょうか。文章を通してイエス様がわたしの心に触れてくださったような気がします。

そのころわたしは幼稚園に勤めていました。2年目になり、仕事に慣れてきたころでしたが、大きなストレスを抱えていました。自分が思い描いていた保育ができず、子どものためではなく、園児を獲得するために行事を派手にして、親へのアピールを強くすることが目的のような保育の在り方に疑問を抱いていました。

また、家庭では母との関係が悪くなっていて、母と顔を合わせる時間を少しでも短くするため、駅前で夕飯を食べて帰ったりしました。それでいて、寂しく、なんでこんなところでひとりで食事しているんだろう……と思って涙を流していました。

そんなとき立ち寄った本屋でみつけた「あさっての風」。
坪井栄の童話「あしたの風」を想い出し、これも童話だと思って、子どもたちにお話をしようと買い求めたのでした。(童話ではありませんでした)

読んでいくうちに、文章がわたしの心に寄り添っているように感じました。作者の三浦綾子さんはどんな人なんだろう。この人なら、わたしの心の悩みをわかってくださるに違いないとまで思い、それから三浦綾子さんの本を次々読むようになったのです。

成長ということで、「あさっての風」の中で三浦綾子さんは次のように書いています。

『本は、人を成長させてくれる大切なものだ。いま、わたしは成長という言葉を使った。わたしは若さの一つの特徴は、成長するということにあると思っている。』


子どもも若い人も年配者も日々成長できるとわたしは思っています。

聖書の言葉

「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ4:15)」



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「鹿の王」読みました

2016-01-16 12:50:28 | 読書
昨日は日本児童文学者協会茨城支部の例会がありました。6人が集まりました。
例会では毎回課題本が挙げられ、午前の部はその合評を行っています。

今まで挙げられた本の中で、2作品がテレビドラマ化されたのでびっくりしています。
中脇初枝の「わたしをみつけて」と昨日から始まった「わたしを離さないで」(TBS)です。
「わたしを離さないで」の著者は、長崎県出身の日系イギリス人作家、カズオ・イシグロです。

今回の課題本は、国際アンデルセン賞をとられた上橋菜穂子氏の「鹿の王」。これは本屋さん大賞をとった作品なので、知っておられる方も多いことと思います。

鹿の王はテーマが重く、登場人物が多くて難しかったです。それでも、夢中で読みました。
病気をモチーフにしているところに興味をひかれました。

感染症にかかった獣に噛まれた人たちはほとんど死んでしまうのですが、ヴァンとユナだけなぜか生き残ります。それには理由があったのですが……これからこの本を読もうと思う方のためにあらすじを書くのはやめておきます。

上橋氏と、神様のカルテの作者、夏川草介氏との対談記事がHPにありました。興味のある方は下記アドレスをクリックしてお読みください。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20141009/Davinci_004983.html

その記事から書かせていただきますね。

上橋氏は、わたしと同じように子どものころから体が弱かったそうで、それで心ではなく体の側から命を捉えてみたいと思ったそうです。

「感染症にかかる人とかからない人がいる。あるいは治る人と治らない人がいる。どうしてなのか、正直いまだにわからない」と感染症専門の医師が言っていたそうですが、同じ条件でもなぜ人によって違うのか、正直解らないと医師である夏川氏も言っています。

神観については、上橋氏も夏川氏も聖書の神様を知らないので語っているのですが、『絶対的な存在がいたらいいけれど、いないから人が人を救うのだ』という結論に達しています。

夏川氏は、死の間際で救いを求めている患者さんに「天国へ行けますよ」と言ってあげたいけれど、説得力がないと言っています。
聖書の神様を知らず、天国のことも知らなければ当然そうなります。惜しいです。

午後の合評では、4作品が提出されました。
わたしは、約一年ぶりに作品を出しました。原稿用紙3枚半ほどの小品で、笑い話です。皆が笑ってくださったので、まずは成功かな?



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「きみはいい子」を読んで

2015-04-28 16:13:37 | 読書
一昨日はブログをアップしなかったのに、アクセス数が3倍にも跳ね上がって、アップした昨日は4倍、閲覧数は10倍でした。アクセス解析をつけていないので、どうしてなのかわかりませんが、多くの人に読まれていることは、嬉しくもあり、恐ろしくもありです。最近訪れた方、コメントいただけると嬉しいです。

以前書いていた記事でアップしていないものがありましたので、更新します。


隔月に行っている児童文学者協会茨城支部の例会で課題図書となった「きみはいい子」中脇初枝 ポプラ社 を読みました。
5つの短編がおさめられています。

児童虐待の問題が扱われています。わたしが書こうとしているテーマでもあるので、図書館で借りるのではなく、買い求めました。
読んでいて切なく心が痛むのですが、いつも最後に熱いものがこみあげてきて、こころが温かくなります。
日本児童文学者協会で出している「日本児童文学」に紹介されていたので、このような本があると知ってわたしが推薦しました。

子どもが登場しますが、主人公は大人です。子ども向けの本ではありません。
わたしは子ども向けに書こうとして何度も試みては失敗しています。

「大人向けにとか何年生向けにとか考えないで書くとよい」という助言をいただきました。
確かに名作と言われている文学作品は、子どもが読んでおもしろく、大人が読んでも読みごたえがありますね。

5つの作品の中でいちばん心に残ったのは、「姥捨て山」でした。
高齢で認知症のお母さんを3日間預かる娘が主人公。娘はかつて母親から言葉による虐待を受けていたことを思い出して、母を置き去りにしてしまいたい衝動に駆られます。

主人公は、お母さんに傷つけられ、嫌いになり、そんな自分のことも嫌いになって悩んでいたときに言われた先生の言葉に救われます。

先生のセリフ「そんなにひどいお母さんなら、きらいでいいんだよ。無理にすきになる必要はないんだよ。ひどいことされたら、それがたといお母さんでも、仲田にとってはひどい人なんだから。ひどいひとをすきになる必要はないんだよ」

娘は、お母さんを嫌いな自分を嫌いになる必要はないことを知って、ほっとします。
母に対する記憶は嫌なものばかりだったのですが、母とのいい記憶もあったことを思い出します。
「赦し」というところまでには至っていませんが、それにつながるような終わり方で、ほのかな希望が感じられました。



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宇宙の意志

2014-05-08 17:13:01 | 読書
連休に息子一家が来ました。ヒックンの弟、ナルクンは生後一か月になり、我が家を初めて訪れました。一か月で1キロ近く体重が増え、目で動く物を追うようになっていました。ヒックンは、ナルクンにほっぺをすりよせてかわいがっています。
「早く遊べるようになればいいな」と言っていますが……。

友人に勧められて「生命の暗号」村上和雄著 サンマーク出版を読みました。
興味深く読ませていただきました。筆者の村上先生は遺伝子工学の世界的権威者です。
人間は約60兆という数の細胞から成り立っていて、その細胞のひとつひとつに約30億の遺伝情報がしまいこまれているそうです。

遺伝子にはオン、オフの作用があって、よい遺伝子をオンにし、悪い遺伝子をオフにすれば、人は変われるのだそうです。確かに潜在能力というものがあって、自分では気づかない能力を発揮させることは可能だと思います。

「今、人類はその全知能をかけて遺伝子を読み取ろうとしている。私は、遺伝子の暗号を読んでいて、その精緻な働きに驚嘆した。しかし、もっとすごいことに気がついた。それは暗号を書いたものが存在するということだ!」著者はその存在をサムシング・グレートと呼んでいます。

科学を極めようとすると、必ず理論的に解明できない部分が出てくるといわれています。
世界の始まりはビッグバンといわれていますが、ビッグバンの最初の3分間がわからないと宇宙物理学者の先生がおっしゃっているそうです。
ビッグバンの最初の一瞬に何が起こったのかわからないというのです。爆発のタイミングがほんのわずかでも狂っていれば、いまの宇宙、地球、生命はあり得ないというのです。
「偶然ではなく宇宙の意志を感じる」と言われたそうです。

「宇宙と遺伝子は意味ある相似形を描いている。体外宇宙と体内宇宙は呼応しながらつながっており、その起源も同じ。ある同一の意思から発せられたのではないか。その意志を発した主体こそが宇宙の生命のみなもとであるサムシング・グレートである。」と書かれています。

わたしは、そのことに驚きません。なぜなら、この世界を造ったお方は創造主なる神で、そのお方はわたしたち人間を造ってくださったお方なのですから、当たり前のことです。

世界の始まりに爆発が起きたかどうかわかりませんが、3分間の謎は、聖書の創世記の記事によって解き明かされる時がくると思います。
聖書には神は6日かけて天地を造られたと書いていますが、この1日は24時間という意味ではありません。3分という時間も比喩的な意味であらわしていることは明らかです。

わたしが驚いたのは、遺伝子工学の先生や宇宙物理学者がサムシング・グレートの存在を認めていることです。それが聖書に書かれている神なのだと気づいてほしいです。

そういえば、ダーウィンやパスカルもクリスチャンでした。キリスト教信仰は科学と矛盾しないのです。


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もう時間がない

2014-05-03 20:47:20 | 読書
「トムは真夜中の庭で」フィリパ・ピアス作 高杉一郎訳 (岩波書店)を読みました。
イギリスのファンタジーの古典といわれる作品です。小学生のころ読んだ記憶があります。

児童文学者協会茨城支部の課題本になったので図書館で借りてきて読みました。岩波少年文庫で出ていますが、図書館には「世界児童文学集」のケース入りのものしかありませんでした。

時計が13回鳴ったとき、不思議な庭園に導かれるという設定。時計と庭園、ハティと同じスケート靴をはいてスケートをする場面は覚えていましたが、そのほかのことは覚えていませんでした。

作者のフィリパ・ピアスは、以前このブログでとりあげた「まぼろしの白い犬」の作者でもあります。「まぼろしの……」はファンタジーではありません。
トムを読んでいたら、わくわくして夢中になってしまいました。最後の場面では涙が出ました。

以前読んだときは気づかなかったのですが、聖書のカインとアベルの話や黙示録に書かれている言葉が出てきたので嬉しくなりました。
黙示録10:6の「もう時間がない」がキーワードになっています。

新改訳聖書では「もはや時が延ばされることはない」と書かれ、共同訳では、「もはや時がない」となっています。

このはギリシャ語でクロノス、経過する時間としての時をあらわします。もはやこれ以上、時間、クロノスは存在しない、つまり終わりが来たということです。

それではいったい何の終わりなのでしょう。
世の終わりのときです。またそれは、あらゆる民族がキリストにあってひとつにされる時です。つまり教会の完成、天にある祝福の時がもはや延ばされることはないというのですから、大いなる慰めと喜びの知らせです。

「トムは真夜中の庭で」の中での「もう時間がない」は、ハティと過ごす時間が少なくなっているという意味だと思いますが、作者は作品を通して聖書の真理を伝えたかったのかもしれません。

わたしはずっと以前からファンタジーの長編を書きたいと思っていました。実際何作か書きました。でも、読者に伝わらないのでした。想像力、表現力の乏しさに限界を感じ、しばらくの間ファンタジーを書くのをやめていました。

ファンタジーは歴史小説のように膨大な資料を調べたりする必要がないので簡単なように思えますが、頭の中で描いた世界を文字を使って読者に同じような情景を思い浮かべてもらうためには、リアリズムの作品より技術が必要なのです。その技術が不足しているため、ひとりよがりの作品になっていました。

わたしは頭の中で映像でファンタジーの世界を見ているのですが、それをどのようにして書き表わしたらよいかわからないのです。
でも、祈りながら書き続け、神さまが力を与えてくだされば、いつかは書けるかもしれないと希望を持っています。



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「殺人者の涙」を読んで

2014-03-13 16:57:31 | 読書
明日は児童文学者協会の茨城支部3月例会です。今回の課題本は「殺人者の涙」アン=ロール・ボンドゥ作 伏見操訳 小峰書店です。

チリの最南端、さいはての地に建つ一軒の家にアンヘルという名の殺人者がやってきて、そこで暮らしている夫婦を殺してしまいます。子どものパオロは殺さずに、一緒に暮らし始めます。

最初の殺人のシーンがショッキングすぎて、なかなか感情移入できませんでした。
寒々とした気持ちで読んでいましたが、しだいに物語に引き込まれました。

アンヘルはパオロと暮らすうちに変わっていきます。パオロに愛情を抱くようになるのです。
一方パオロは両親を殺したアンヘルのことを憎みもせず、その事実をしっかり受け止めています。

最初、パオロがなぜ両親を殺したアンヘルを恨まなかったのか不思議に思いましたが、そこは誰一人やってこないような土地です。アンヘルがいないと生きていけなかったから、パオロには選択枝がなかったのだと気づいて納得しました。

しばらくして、ルイスという旅人がやってきて隣で暮らし始めます。ルイスはパオロとアンヘルに文字をもたらします。
その後旅に出て、アンヘルがかつて殺した家族の生き残り、きこりのイカルドと出会います。イカルドは音楽をもたらすのです。

アンヘルはパオロという愛する存在を得、文化や芸術に触れて、すっかり変えられました。でも、犯した罪は消えず、結局死刑になってしまいます。
死刑制度廃止のことが作者プロフィールに書かれていましたが、どんなに重い罪を犯した人でも人は変わると訴えたかったのでしょう。

確かに人は変わりうるものです。
しかし、他者への愛と文化、芸術だけでは足りない気がします。
アンヘルに心からの罪の悔い改めがあったでしょうか。

けれども、イエス・キリストを信じたら、人は根底から変えられます。キリストにあって、とりかえしのつかない罪はないからです。



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「ペコロスの母に会いに行く」を読んで

2014-01-23 17:01:12 | 読書
「ペコロスの母に会いに行く」岡野雄一作 出版:西日本新聞社を読みました。
児童文学者協会茨城支部の1月課題図書になったからです。(図書館で予約して2か月待たされ、ようやく借りられました)


アマゾンではこの本を『62歳、無名の“ハゲちゃびん"漫画家が施設に暮らす認知症の母との「可笑しく」も「切ない」日々を綴った感動のコミックエッセイ!』と紹介しています。

40歳で故郷の長崎に戻ってきた作者が、認知症になった母親を温かい目でみつめて描いたコミックです。

わたしは、母には認知症にならないでほしいと願い、自分も絶対になりたくないと思っていました。最近は物忘れをすると、認知症になったのではないか?と恐れさえ抱くようになっていました。

でも、この本を読んで、認知症も悪くないなと思いました。

認知症の人の立場でものをみれば、ちゃんと道理が通っているのです。はたから見たら理解できないような言動をしても、ちゃんとした理由があるのです。頭ごなしに否定してはいけないことを教えていただきました。

母親が、亡き夫や若き日の自分と会ったり話したりする場面は、単なる思い出ではなく、現実に故人と会って話しているのです。
赤ん坊をおんぶして歩くとき、その赤ん坊はお孫さんではなくて原爆で亡くなったご自分の子どもなのです。

「今っていつ?」と問いかける母親は、日々過去と現在を行き来しつつ生きているのです。
空間や時間を飛び越えて生きているのですね。
長崎の方言が良い味を醸し出しています。

施設に入っていても、介護の大変さはあるでしょう。でも、愚痴や大変さをひとつも書いていません。ユーモアに満ちていて、著者の母親に対する温かい愛が伝わってきました。

昨年の11月に赤木春恵さん(88歳)主演で映画化されています。赤木さんは「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネス世界記録に認定されたそうです。

土浦の映画館では上映されていないのでまだ観ていませんが、ぜひ観たいと思っています。



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武と愛の人 新島八重の生涯

2013-08-09 12:43:34 | 読書
NHK大河ドラマ「八重の桜」を毎週見ています。テレビはほとんど見ないわたしですが、これだけは最終回まで欠かさず見たいと思っています。
会津戦争の時、女性ながらスペンサー銃を持って戦った八重が、のちに新島襄と結婚してクリスチャンになります。キリストを信じるときの八重の心の動きを知りたいと思いました。

日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の先輩が書かれた「武と愛の人 新島八重の生涯」(新堀邦司著:里文出版)の感想文を読んだ後、この本を読みたいとずっと思っていました。
図書館になかったのでリクエストすると、取り寄せてくださり、ようやく手にすることができました。

6月にJCP合宿で群馬県安中を訪れたとき、新島襄記念会堂で「テレビで放映されているドラマは実際と異なることが多い」という話を聞き、どの部分が本当でどの部分が違うのか知りたいと思いました。
幕末のまだ男尊女卑の精神が根強く残っている時代に女性が銃を持って戦ったのは本当なのか……と思いましたが、それは事実だったようです。
尚之助が八重を離縁した理由は、推測の域を出ないようです。

新島襄と結婚するいきさつについては、まだドラマでは放映されていませんが、この本では、八重自身が書き残したものから、出会いの時のエピソードが紹介されています。

暑い日に八重が井戸の上に板戸を渡してその上で裁縫をしていたそうです。そのとき新島襄がやってきて彼女を見、驚きました。板戸が折れたら井戸の中に落ちてしまうほど危険だったからです。それなのに平然と裁縫をしている大坦な姿に惹かれたのかもしれません。槇村正直が薦めたこともあって、結婚に至ったと書かれています。ドラマではどのように脚色されるか楽しみです。

八重は、兄覚馬のすすめで結婚前から聖書の勉強をしていました。まだキリスト教が解禁される前でした。
八重がキリストをどのようにして信じるようになったか……その内面的変化について詳しくは書かれていません。

戊辰戦争による魂の傷は癒されたのでしょうか。
父や弟の命を奪った薩長への憎しみの問題はどうなったのでしょうか。
会津藩武士の子弟として厳しい精神教育を受けてきた八重です。自分は清く正しく生きていたと思っていたのに、人はみな罪人であるという聖書の言葉を読んでどう思ったのでしょう。葛藤があったことが想像できます。

襄は八重の気持ちをよく理解して魂のケアに心を砕き、励まし続けました。
罪のことは、八重が神と人との問題だと気づいたとき、暗雲が晴れたように思ったと記されています。

襄は、八重のことを「ハンサムウーマン」と称しています。それは「美しい行いをする人」という意味です。ふたりの結婚生活は幸せだったようです。

八重は牧師夫人となったのですが、最初は、薩長出身の生徒は夕食に招かなかったそうです。何年もたってから招くようになったというのは、長い時間をかけて傷がいやされ、憎しみが愛へと変えられていったことを意味すると思います。

最愛の夫、襄は、40代半ばで病に倒れ、召されてしまいます。その後八重は再婚もせずに86歳まで生きました。日清戦争が始まったとき、八重は日赤京都支部戦時救護員として看護婦を率いて負傷兵の看護にあったっています。50歳になろうとしていた八重は若い看護婦に負けないくらい元気に働いたそうです。さらに日露戦争のときは60歳になっていたのですが、やはり看護活動を行っています。
会津戦争で傷つき、死んでいった人たちのことを思うと、いてもたってもいられなかったそうです。

周囲の人の言葉に惑わされず、古い慣習も打ち砕いていく強い女性ですが、同時にきめこまやかな心と信仰による愛をもちあわせた八重の魅力が伝わってきました。


日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。ここをクリックしてご覧ください。



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「デイヴィッド・コパフィールド」を読んで

2013-05-31 16:19:58 | 読書
ネット読書会カラマの会の今年の課題本はチャールズ・ディケンズ「デイヴィッド・コパフィールド」(石塚裕子訳 岩波文庫)です。昨年はドストエフスキーの「白痴」と「悪霊」だったので、気が重かったのですが、今年の本は大いに楽しんで読めました。

先日SLの旅に同行させ、牛久駅あたりで読み終えたので、感動が冷めないうちに少しだけ感想を書かせていただきます。
「デイヴィッド・コパフィールド」はモームが世界の10大小説の1つに選び,ディケンズ自身も「自分の作品中最も好きなもの」と語っている作品です。チャールズ・ディケンズはクリスマスキャロルも書いています。

岩波文庫で5冊もあるので最初は読み切れるかしらと思いました。ところが、ストーリーがおもしろくてどんどん読み進めてしまいます。しかも、主人公は少年。だんだん成長していくのですが、成人しても子どもの心を持ち続けているようなデイヴィッドです。デイヴィッドと共に笑ったり、涙を流したり、はらはらしながら読みました。
読書会のお仲間で1か月弱で読了してしまった方もおられます。

わたしは、途中でほかの本を読んだり、読み返したりしてブレーキをかけながらゆっくり読みました。読み終えたら寂しくなると思ったからです。(実際、読み終えた今、寂しいです)

「デイヴィッド・コパフィールド」とはこの小説の主人公の名で、チャールズ・ディケンズ自身の自伝的小説と言われています。でも略歴を見るとかなり違っています。精神的自伝小説と言った方がいいでしょう。
「ぼくは」という一人称で書かれています。たくさんの登場人物が出てきて、複雑に絡み合ったストーリーなのにデイヴィッドの視点からだけで書けるのですから、すごい筆力だと思います。

一人称なのに内面を鬱々と書くのではなく、読者があきる前にはっとさせられるような出来事が起こり、この先どうなるのだろうという期待を持たせ、そして期待を裏切らない結末に向かってストーリーが展開されていくのです。エンターテイメント的な要素が強いですが、わたしはすっかりこの小説に魅せられてしまいました。

小説はデイヴィッドが生まれるときのことから始まっています。生まれてくる子が女の子だったら援助するつもりで叔母さんがやってきますが、男の子だったのでがっかりして帰ってしまいます。(冷たい叔母さんだと思いましたが、あとからデイヴィッドを助けてくれ、愛情深い婦人だということがわかります)

デイヴィッドが生まれたときはすでに父親は亡くなっており、若い母親と乳母ペゴティーに育てられます。やがて母親が再婚し、継父とその姉からひどい仕打ちを受けます。寄宿舎のある学校に入れられ、先生から虐待を受けます。
また、デイヴィッドの母親は赤ん坊を生んで間もなく死んでしまうという悲劇的なストーリーです。でも、ちっともじめじめしていなくて、乳母のペゴティーがデイヴィッドを抱きしめるたびに背中のボタンがはじけ飛ぶようすが描かれていたり、ペゴティーの兄一家のユーモラスな言動に思わず微笑んでしまう場面があります。

さまざまな人たちが登場してきて、その個性的な人たちが生き生きと描かれています。
人物の描写が細かく、挿絵がついた文庫ですが、挿絵を見なくてもその人の顔かたち、体形が想像できます。
小説の最後の方で、物語に出て来た主な登場人物のほとんどが再登場していることに感心しました。デイヴィッドをとりあげた医師まで登場させています。

その後、あの人はどうなったのかな? と思っていた人のことが最後まできっちり書かれています。
ユライア・ヒープは相変わらず悪いままでした。結婚が決まっていたのにほかの男と駆け落ちしてしまったエミリーの心情については書かれていませんが、ミスター・ペゴティーにハムのお墓から一束の草と土を持ってきてほしいと頼んだというところでエミリーの思いが伝わってきました。

人間に対する深い愛情をもって書かれた「デイヴィッド・コパフィールド」。デイヴィッドはいつまでもわたしの心の中に生き続けるでしょう。

みなさんにぜひ読んでいただきたい小説です。まだ読まれていない方はぜひお読みください。中学生から読めます。


わたしのHP「生かされて・・・土筆文香」久々に更新しました。


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